ショパン『ノクターン第2番 op.9-2』を、ウィーン式アクション1820年製グレーバーで
2018年7月18日に行った『古典鍵盤楽器 徒然草 七』のアンコールで弾いた、ショパン(1810-1849)のノクターン第2番 op.9-2 です。op.9 の「3つのノクターン」の出版は1832年末のこと、カミーユ・プレイエル夫人に献呈されています。
19世紀ドイツ語圏で発行されていた雑誌『Allgemeine musikalische Zeitung (General music newspaper)』に、19世紀初頭のショパンが生まれたころのワルシャワに関する記事があり、<教育熱心なほとんど全ての家庭にはウィーン、ドレスデン、ベルリンそしてブレツラフ産のグランドピアノがあり、非常に達者に弾ける者も少なからず居る>というレポートが掲載されています。ショパンは1810年にワルシャワ近郊で生まれて1828年秋にベルリンに旅行(演奏旅行ではなかった)するまで、ポーランド以外を全く知りませんでした。そして、ワルシャワを発ったのが1830年11月2日、ウィーンを経てパリに1831年9月末に到着。パリで亡くなったのが1849年10月17日。1829年に大成功を収めたウィーンでの演奏会ではグラーフのピアノを選び、パリに赴いてからもグラーフのピアノは好んでいた、という資料も残っています。
対して、初代プレイエルのイグナーツは1757年生まれ。ハイドン周辺で音楽を学び、全くの未経験からピアノ製造に手を染めたのは1805年のこと、現存最古のプレイエルピアノは1807年製、息子のカミーユに経営権を委譲したのが1813年。その後1829年にイグナーツの健康状態の悪化を機にカミーユがカルクブレンナーとともにPleyel & Co.を設立、ようやく1830年1月1日にプレイエル親子自身のサロンのこけら落としとしてプレイエルピアノを用いた演奏会を開いています。
これだけの史実からでも『ショパン=プレイエル』とまとめてしまうのがあまりにも皮相的に過ぎることに気づかれるかと思います。ここで使っているグレーバーピアノは1820年ごろのオリジナル楽器で6オクターヴウィーン式。グラーフのピアノもウィーン式であり、実はショパンの音楽的源泉を考える上で欠くべからざる楽器の一種でもありま〜す (`・ω・´)シャキーン
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