ライネッケ『Hausmusik op.77』から第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
一昨日リードオルガンでアップした、ライネッケ(1824-1910) の『Hausmusik op.77』の第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」のオリジナルを、ライネッケが生きている時代に作られた1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。
リードオルガンでは左手をばっちりレガ〜〜〜トで弾いて右手はポルタート気味に弾くことで旋律と伴奏とを別の楽器であるかのように弾き分けることができます。とゆ〜か、いかにリードオルガンが足踏みペダルの操作次第で「息の強弱」がつけられると言っても声部ごとに息の送り方が変えられるワケではございませんから、声部ごとに弾き方を変えてやらないと声部の表情と無関係な大小がつくばかりになってしまって、結局は音楽を損なってしまうのでありま〜す。この曲のような単純な曲こそ「声部ごとの弾き分け」ができているか否かの試金石であり、実はな〜かなかコワいんですね〜。
そして、ピアノの場合はリードオルガンの同じレガ〜〜〜トは原理的に不可能ですから、違う工夫が必要になります。ピアノという楽器は声部ごとの弾き分けは大小を弾き分けることで可能性を高められる楽器ですが、実は大小による表現ばかりではナゼか一生懸命さばかりが伝わってしまったりして、チト悩ましいですんね〜。要はピアノの表現として有効そうなネタを総動員しないとど〜しよ〜もないのですが、和声感あり、響きの拡がりの加減あり、リードオルガンより少し精密な右手のポルタート感あり、拍節感あり、も〜どないせぇっちゅ〜んじゃとw
鍵盤楽器ってぇヤツは楽器としては根本的に欠陥だらけで、このような不備だらけの楽器で合奏やオーケストラのような拡がりや響きの多様性を出そうと苦心惨憺することこそに逆説的な鍵盤楽器の存在意義があるのだろうなぁと思っています。「デキる楽器」では当たり前で深く考える必要がないようなポイントを「デキない楽器」でできるようになろうと苦心惨憺することが深く考えることに直結するのでしょうね。おそらく、たぶん、きっと (*´-`)
・リードオルガンによる『Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし』
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