ハイドン『ソナタ Hob.XVI:6 ト長調』から第3楽章を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)右ペダル踏みっぱなしで
いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで、ハイドン『ソナタ Hob.XVI:6 ト長調』から第三楽章を、最初っから最後まで右ペダルをベタ踏みしっぱなしで弾いてみました (`・ω・´)
*この曲、10月10日14時怪演のチェンバロ演奏会:バロック方面から風来たる ACT.2 で弾きますよ〜^^
ハイドンやモーツァルトの時代のフォルテピアノのダンパー機構はまだまだ「膝レバー」であったと信じられて疑いないようですが、実はかなりの割合でもっと古い「ハンドストップ(=手動式)」という機構だったのです。ということは細かいペダル操作は全く不可能で、ダンパーを上げるなら上げっぱなしで下げるなら下げっぱなし、という使い方しかできなかったのですよ〜。まぁそれを現代の楽器に無批判で使うのは愚の骨頂ではあるのですが、この1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノは1820年代シューベルトの時代の雰囲気を十全に残しており、それならば試したくなる、ってぇのは悪知恵(悪ノリとも言うw)なオトコのコとして当然の姿でありま〜す。どうぞご期待くださいませ〜。
「ペダルは耳で踏め」とようやっと最近目にする機会が増えてきたように感じます。コレ、とっても大切な意識の持ち方なのですが、その肝心の耳の使い方というのは極めて個人的な感覚ですからそもそも伝えることが不可能であり、だからこそ抽象的な「ペダルは耳で踏め」という一見矛盾した珍しい言葉に教える方も教わる方もすがりたくなってしまうのではないでしょうか。気づいていない感覚に気づいてもらうためには美しさばかりを説いても意外と無駄で、「うへ〜、コレやっちゃダメだわ〜w」という気にさせて自力で工夫したくなるように仕向けるぐらいしかできないと思っておりまして、実はこの「右ペダル踏みっぱなしの刑」はペダリングを失敗したらどのように悲惨な状況に陥るかを伝えるために有効なのではないかなぁと思っております。まぁ良い子は真似しちゃいけませんw
いつだったかどなただったか忘れましたが、偉いピアニスト先生とご一緒して意気投合したとき、ナニかの曲でうっかり僭越にも「ココはこんな感じで少し濁らせた方が膨らんで聴こえますでしょ」と言い放ってしまったのですが、その大先生は「ワタシはアカデミックな立場だからそういうことはやらないんです」と仰り放ちwましてな。なんぢゃその日本でしか通じない薄っぺらいプライドは、と一気に興ざめしたワタクシはなんとなくフェイドアウトを成し遂げたのでありましたとさ |彡 サッ
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