中島みゆき 作詞/作曲『バクです』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
2026年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくおつき合いのほどを。
中島みゆきの『バクです』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*この編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/385285
『バクです』は2011年11月にリリースされたアルバム《荒野より》の一曲で、それに1ヶ月先立って『荒野より』とのカップリングのシングルが発売されています。2011年といえば3月11日にあの恐ろしい東日本大震災が起きた年、このアルバム《荒野より》にはそれを意識してメッセージが随所に込められているという解釈が少なくなく、それぞれに説得力ある論が展開されていて興味深いです。
この曲は中島みゆきのアレンジを長年任されて絶大なる信頼を置かれている瀬尾一三をイメージした曲とされています。瀬尾一三は1973年に『貘』というタイトルのソロアルバムを発表しており、「中島みゆきTOUR2010」のツアーパンフの「自分を動物に例えると?」という質問に「貘」と答えていたりもしますね〜。
「バク」とは漢字では「貘(獏)」で、人の悪夢を喰うといわれている想像上の動物です。もともと中国では貘が悪夢を喰うという記述はありませんが邪気を払うとはされており、それが日本に伝わったタイミングかどこかで「悪夢を喰う」と解釈されるようになったようで、室町時代末期には貘が「悪夢を喰う」という設定になっていたとのことです。いい初夢が見られるように七福神が乗る宝島の絵を枕の下に敷いて眠るという風習がありますが、江戸時代には悪い夢を喰ってくれる「貘」の字を宝島の帆の部分に書くことがあったとか。
<バクです バクです 今の今からバクになる
バクです バクです バクになることに したんです>
最初に主人公が<バクになることに したんです>と決意表明していますが、コレって悪夢を食べる存在になるという決意表明ですから、優しく無邪気そうな声色とは裏腹にちょ〜っと穏やかならざる雰囲気を感じてしまいませんか?
<あんたの 悪い夢を喰っちまいます
あんたの 怖い夢を喰っちまいます
あんたの つらい夢を喰っちまいます
あんたの 泣いた夢を喰っちまいます>
これぞ中島みゆきによる悪夢諸相、これら全部(いや、もっといろいろ)を<喰っちまう>存在になろうとしているのですから、実はなみなみならぬ悲壮な覚悟だったりするのですぞ。バクは悪夢を喰う設定な想像上の動物ですが、それだけに終わらせずに悪夢を喰ったバクがどうなるのかに眼差しを向けるところ、も〜いかにも中島みゆきならではの穿ちかたですね〜。
<バクはまったく平気なんです 痛くもかゆくもないんです>
ほらね。いくらバクが夢を喰う想像上の動物でも、バクになった主人公が<あんた>の悪夢全てを喰い続けて<痛くもかゆくもない>ハズはございません。<痛くもかゆくもないんです>ってわざわざ言うってぇコトは一種の自己暗示、まぁかゆくはないかもしれませんがw、ホントはすっっっごく痛いんですよ〜💦
<腹いっぱいになりすぎたなら ふわりふわりと浮きそうだ
そしたらバクは夢を見るんだ そしたらバクは夢を見るんだ
笑ってるあんたの夢を見る>
バクになった主人公は<あんたの>悪夢を喰ってすっっっごく怖く、つらく、泣きたいはずなのに、<ふわりふわりと浮きそうだ>と。こりゃ〜カラ元気でしょうが、<腹いっぱいになりすぎたなら>眠くなってふわりふわりと夢の世界にいざなわれることもまた確かですな。それでいながらバクになった主人公の見る夢は<笑ってるあんたの夢>なのですから、<ふわりふわりと>軽く実態感のない夢の中であっても、ど〜しようもなく寂しい。あんたの悪夢を喰って<笑ってるあんた>を実際に見ているのではなく<笑ってるあんた>を夢の中で見ているのですから、その<笑ってるあんた>は夢から覚めたら消えてしまうんですよ〜〜〜😭
だいたいそもそも、夢を喰らうバクが夢を見るところからしてめっちゃネジくれてまして、この『バクです』でバクが見ている夢は実は寝ている時に見る夢であると同時に、「あんたのバク」になろうと決意した主人公の「あんた」へ向ける切なる願い、とも読めます。「夢」とはこのように二面性を備える単語で、「願い」を「夢」と読み替えるとき、往々にしてその願いが叶う可能性は低いワケです。主人公から<あんた>への切なる願いは<夢>ですから、叶う可能性はかなり低いのです。いやはや、ホントに、泣けますね。
そういえば、中島みゆきは《CONCERT'95 LOVE OR NOTHING》の舞台で
<夢は、叶った方がいいです。でも叶わない夢もあります。
姿を変えでもしない限り、叶いようのない夢もあります。
だからどんなに、姿形を変えようとも、どんなに傷ついてでも、
あなたの夢がいつか叶いますように>
と言ってましたっけ。1995年は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が立て続けに起こった年、この言葉が呼び覚ましてくれる何かはただひたすらに大きいです。それにとどまらず、2011年の東日本大震災があって最初にリリースしたのが『荒野より』と『バクです』とのカップリングのシングルですから、ここにも深く重いメッセージを感じます。一流の芸術家は常人の浅知恵が及びもしないほどの関連づけ・意味づけを行う存在ですから、これが偶然であろうハズがないのではないでしょうか。
<あんたの 悲しいことを喰っちまいます
あんたの 寂しいことを喰っちまいます
あんたの 苦しいことを喰っちまいます
あんたの 痛いことを喰っちまいます>
2番ですが、1番を「あんたのバク」になろうと決意した主人公の心の痛みの現れと読んでしまうと、<悲しい><寂しい><苦しい><痛い>と繰り返されるだけで胸が締めつけられます。<こと>は「夢」をさらに抽象化させており、ここで「夢」を「願い」と置き換えると
<あんたの 悲しい願いを喰っちまいます
あんたの 寂しい願いを喰っちまいます
あんたの 苦しい願いを喰っちまいます
あんたの 痛い願いを喰っちまいます>
となり、「あんたのバク」になろうと決意した主人公は、願いを果たせなかった<あんた>の痛みを自らの痛みとして受け入れる存在となったのです。
<バクはまったく悪もの喰いで 何んでも彼んでも喰うんです
心配されても その心配さえ うまいうまいと喰いそうだ
バクは1人で喰い続けてる バクは1人で喰い続けてる
笑ってるあんたの夢を見るまで>
2度繰り返される<バクは1人で喰い続けてる>がめ〜っちゃグッときますね。主人公は<あんた>の痛みを自らの心の痛みとして受け入れて、それだけでなく願いを果たして<笑ってるあんた>になって欲しいと切に願い続けているのでしょう。この一連の最後は倒置法で、平易に直すと
<笑ってるあんたの夢を見るまで
バクは1人で喰い続けてる>
ですね。1番では腹いっぱいになって笑ってるあんたの夢を見るだけですが、2番では<笑ってるあんたの夢を見るまで><1人で喰い続けてる>のですから、このバクの寂しさたるやいかばかりでしょう。
<バクの上に夢よ降り積め あんたの捨てたい夢よ降れ>
三好達治の『雪』ですね。『雪』はたった2行だけの詩ですが、この一度見たら忘れられない強い印象は一体全体ナンなんでしょうね。1927年の発表ですから、な〜んと100年前😳
<太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。>(三好達治『雪』1927年)
バクの上に降り積むのがあんたの悪夢であってそれを腹いっぱいに喰ったバクが寝るのですから、ここでは三好達治の『雪』を<夢>に読み替えて読み手の妄想をふくらませているのかも。それにしても、この<あんたの捨てたい夢よ降れ>を『バクです』の歌詞の中にどう位置づけるかの難しいこと難しいこと😅
<あんたの捨てたい悪夢よ バクの上に降れ、降り積もれ>
を倒置法を交えて詩的に表現して、悪夢より抽象的かつ二面性を備える<夢>を用いることで<あんたの捨てたい夢>を「あんたが果たせなかった願い」と読ませるのでしょうか。「あんたのバク」になった主人公は、<あんた>が願いを果たせるまでただひたすらに待ち続ける存在なのでしょう。中島みゆきの楽曲には聴き手に対して力強くエールを送る歌詞が多いですが、この『バクです』はただひたすらに待つことで<あんた>が象徴する聴き手ひとりひとりにエールを送る曲なんですね。傷つきながらも優しく無邪気そうな声色でただひたすらに待つ存在、なるほど、ひとの悪夢を喰ってくれるバクに相応しいです。
さて、今さらですが、『バクです』を瀬尾一三との連関として読み直してみましょう。
アレンジャー/プロデューサーとは欠くことができない大切な立ち位置であると同時に、創作者であって創作者ではないという微妙な立ち位置でもあります。1973年にソロアルバム『貘』を出すも必ずしも商業的成功は得られずにアレンジャー/プロデューサーに転身して大成功を収めた瀬尾一三、なるほど、中島みゆきという創作者が笑えるまでとことんその<夢>=願いを喰い続けてくれる「貘」ですね。ただ寂しく待つだけでない、能動的にあんたの夢を喰い続ける「貘」が瀬尾一三なのでしょう。
<バクは1人で喰い続けてる バクは1人で喰い続けてる
笑ってるあんたの夢を見るまで>
実は、クラシック音楽を演奏するってぇコトも基本的には他人の創作物を演奏するのですから、創作者であって創作者でない立ち位置なんですぜ💡
今年(2026年)もよろしくお願いします。さぁ、あんたの初夢が悪くなくても喰っちまいましょかね😎
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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