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カテゴリー「音楽>メーカー>Bösendorfer」の128件の記事

2024年3月29日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『野ウサギのように』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『野ウサギのように』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『野ウサギのように』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の最初の曲です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、現在2024年に至るまでアレンジャーはず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解だそうです。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されているとかいろいろと余計なハナシもございまして。ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️ #グッバイ・ガール #野ウサギのように #中島みゆき

 いい男は いくらでもいるから
  そばにいてよね いつでもいてよね
  誰にだって いいとこはあるから
  とかく ほろりと ほだされたりするわ


いい男は いくらでもいる>のに、その時々でいつも<そばにいてよね いつでもいてよね>と願う女心、な〜かなかオトコのコにとってはムツカシござる。それでも<いいとこ>を見せるのが上手で女子を<ほろりと>その気にさせやがるオトコもちゃぁんといるワケで、まっっっことにケシカランですな😑

 思いも寄らぬ女になって
  変わったねって 哄われるだけ
  野ウサギのように 髪の色まで変わり
  みんな あんたのせいだからね


1988年ごろは髪の毛を染めていたのはせいぜい悪役女子レスラーぐらいしかおらず、不良というイメージが定着しかけていた程度だったような感じがします。確か茶髪も1990年代半ばごろから流行り始めたような気がしますが、そのような時代に<髪の色まで変わり>という表現を使うのはか〜なり強い印象(というかかなりの違和感)を持たれたのではないでしょうか。まぁ野ウサギの体毛は夏は茶色で冬には白く生え変わるというのが一般常識だった時代でしょうから、この違和感はウマいこと中和されたのだろなぁ・・・と思いつつ、<みんな あんたのせいだからね>に全部持っていかれるのでありましたwww

 あたしの言うことは 男次第
  ほらね 昨日と今とで もう違う


イヤ、だから、それ、ダマされてるってば💦
それがわかっていてもくっついてしまうのが男女の仲で、あれれと思う間もなく離れてしまうのもまた男女の仲なのかなぁ。これってステディがいないワケでとっても不安定なのですが、主人公はそれに気づいているからこそ・・・

 悪気のない人は みんな好きよ
  “好き”と“嫌い”の間がないのよ


と自分の判断をことさらに正当化してしまうのでしょうね。第三者から見たらま〜るで正当化なんかできてないのですが、コレ、やはり、強がりのなせる一種の自己洗脳wでありま〜す。

 見そこなった愛を 逃げだして
  また新しい烙印が 増える
  野に棲む者は 一人に弱い
  蜃気楼(きつねのもり)へ 駈け寄りたがる


男女の仲での切ったはった、これすなはち<烙印>ですが、男女の仲にしても人間社会にしてもそこに棲む者が一人に弱いのは誰でもわかっていること。キツネがウサギを狩ることはイメージとしてまだ現代でもそれなりに普通と思いますが、「蜃気楼」の別称が「狐の森」であることを教養として知っている人材は1988年当時ですらかなりの少数派だったのではないでしょうか。「蜃気楼」とは密度の異なる空気層の間での光の屈折で「そこにないものが見える」という現象ですが、それを「安定した愛が見える」と錯覚する意味にかけるのはさすがの中島みゆきのセンス。安定した愛を求めて主人公の野ウサギ(女性)が蜃気楼に駆け寄ってもそこには安定した愛なんぞなく、しかも蜃気楼の正体は狐の森ですから、野ウサギがキツネに狩られてしまうのは当然の成り行きですな。多重構造な掛け言葉の切れ味、恐るべし😳

この曲では中島みゆきのはすっぱな歌いっぷりが野ウサギ(女性)の不安定なふらふら感を倍化させており、実はこのアルバム《グッバイ・ガール》の次の曲が『ふらふら』なのが関係ありやなしや。多かれ少なかれパートナー次第で男も女も変わりますが、やはり中島みゆきの歌詞では強がっているオンナが恨み節をサラッとつぶやくコレですよね〜。

 みんな あんたのせいだからね



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年2月23日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『異国』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『異国』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

本日2月23日は中島みゆきの生誕祭、特別な意味のありそうな曲ということで『異国』かなぁとヒラめいてしまったのが運の尽き、いやはや大〜変でございました😅

『異国』は1980年にリリースされたアルバム《生きていてもいいですか》の最後の曲で、この暗く暗すぎる真っ黒なアルバムを締めくくるにふさわしく(?)救いもナニも枯れ果てた絶望の縁を見下ろすがごとき存在です。LPレコードの片面はおおむね23分程度なのですが、そのうち9分もの長さをこの曲が占めるというところからしてナカナカ一筋縄では行かぬ曲。しかも基本的に伴奏がギターソロのみ、かつ、歌はボソボソつぶやくがごとき枯れ具合ですからおよそピアノで弾くにはふさわしくない曲だったりします。それが130年昔のベーゼンドルファーでどのように語らせられるか、いやまぁ、そりゃ原理的に無理筋なんですが、中島みゆき信者なみなさまの歌詞を補う能力に寄りかからせていただきましょうぞ💦 #生きていてもいいですか #異国 #中島みゆき

 とめられながらも去る町ならば
  ふるさとと呼ばせてもくれるだろう
  ふりきることを尊びながら
  旅を誘うまつりが聞こえる

  二度と来るなと唾を吐く町
  私がそこで生きてたことさえ
  覚えもないねと町が云うなら
  臨終の際にもそこは異国だ


ふるさと>の対語として<異国>を用いるこの切れ味鋭いセンス、たまらんですね。自分が居場所そして帰る場所を求めるからこそ旅に出るという姿(さすらい人ですね)が人生、というのはまぁ言い古されたネタでしょうが、同時に旅人とは本質的に他所ものであるというのもまた真実なのでしょう。

 遠いふるさとは 落ちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える
『あぶな坂』1976年)

中島みゆきのファーストアルバム《私の声が聞こえますか》(1976年)の口開けの曲の歌詞がコレですから、なかなかに<ふるさと>に対する問題意識は根が深そうですね〜。

 百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り仕度をしつづける


これぞ魂の彷徨、自分の居場所そして帰る場所を求め続けるがゆえに安住の地が永遠に手に入らない、という内容を<あたしを埋める場所などない>と表現するのは絶っっっ品に暗黒であります。何かわからないものを求め続けて彷徨い続けるのが現代人、とは人生をテツガクし始めれば必ずぶち当たる意識で、コレまさに常に探し、常に切望し、常に渇いてしまう人々の苦悩。死が救いとならぬのであれば、いったいナニが救いとなるのでしょうか。

 悪口ひとつも自慢のように
  ふるさとの話はあたたかい
  忘れたふりを装いながらも
  靴をぬぐ場所があけてある ふるさと


どん底に暗い『異国』の歌詞でひときわ温かい救いの光を放っているのがこの一連で、個々人それぞれにとって「居場所」というナニやらよくわからないナニかがどれほどまでに大切かが痛切に感じさせられます。自分が社会の一員となっている、という実感が個々人にとって大きな精神的な支えとなるんですよね〜。

 しがみつくにも足さえみせない
  うらみつくにも袖さえみせない
  泣かれるいわれもないと云うなら
  あの世も地獄もあたしには 異国だ

  町はあたしを死んでも呼ばない
  あたしはふるさとの話に入れない
  くにはどこかときかれるたびに
  まだありませんと うつむく


人間は社会的動物であると述べたのはかのアリストテレス、いかに孤独を好む人物であっても社会から隔絶して生きることはおよそ不可能なワケで、それなのに社会に自分の居場所がないという精神的な孤独を強く感じてしまうと無力感はハンパなし。この限りない無力感を研ぎ澄ますとこんな表現になるんだなぁと思い、同時にこの一連で<異国>と<地獄>が語感上対を成していることに気づいて慄然とします。そして、以下の魂の彷徨を5回繰り返して曲が閉じられます。3回繰り返しは普通にありますが、4回ならず5回の繰り返しはにわかにはナニが起こったのかわからないくらいな異常な繰り返し回数で、常ならぬこの曲の締めくくりに相応しいのでは。

 百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り仕度をしつづける




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年1月19日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『粉雪は忘れ薬』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『粉雪は忘れ薬』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『粉雪は忘れ薬』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の一曲で、このアルバム《短篇集》発売一週間後から上演が始まった『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』でラストを飾っている堂々たるバラードです。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』の舞台では、凍原でもはや還ってこない主人公の女(=谷山浩子)を想い続け帰りを待ち続ける犬(=中島みゆき)が唄っています。 #短篇集 #粉雪は忘れ薬 #中島みゆき

中島みゆきが青春を過ごしたのは北海道は帯広、パサパサに乾いて音も無く降り続ける粉雪で景色が見る見るうちに変わってしまう経験はごく普通のことだったでしょう。雪は夢のように穏やかな姿にとどまりませんで、北海道の地吹雪の凄まじさたるや、雪が上からも横からも下からも吹きつけてくるんですよ〜。ワタクシ、実は何度かマトモに巻き込まれたことがありまして、それこそ自分の目の前に伸ばした腕が途中で白い闇に消えてしまうほどで、これぞ「ホワイトアウト」でした。そりゃ、地吹雪のときにうかつに戸外に出たら、通い慣れた道でも迷ってしまって簡単に凍死しますぜよ。

 忘れなけりゃならないことを
  忘れながら人は生きるよ
  無理して笑っても 無理してふざけても
  意地悪な風 意地悪な雨


人間稼業を続けていれば、それなりに出会いも別れも経験するもんですな。まぁなんともさまざまな人と関わってきたなぁ、とあらためて気づいたりして。その全てを忘れて無かったこととしてしまえれば人生ラクなのでしょうけど、ひとの心とはなんとも甘くなく<意地悪な>雨風に満ちていますな。

 忘れさせて優しい日々を
  忘れさせて楽しい人を
  足音? 車の停まる音?
  間違えながら待ってしまうから


関わりが深かったからこそ忘れたい、無かったことにしたい、という経験は誰しもいくつか心に秘めているのではないでしょうか。この「未練」やら「後悔」とかいう感情ってば、なんとも御し難いですよね〜。優しい日々>しかり<楽しい人>しかり、大切な関わりがあったひとは単なる<足音>でも<車の停まる音>であっても特別でしたもんね。

 粉雪は忘れ薬
  すべての悲しみ消してくれるよ
  粉雪は忘れ薬
  すべての心の上に積もるよ


なんという美しい表現・・・と感じるだけでなく、雪国の人たちにとって雪は厄介極まりない存在であることを忘れないでおきたいと思います。あっという間に全ての人間活動を停止させてしまう恐ろしい存在、かと思うと雪晴れの輝きに我を忘れさせられたりして、雪ってば<すべて>を雪色にしてしまう現象なのでありま〜す。なるほど、それをひとの心に拡張して<すべての悲しみ>を雪色に<消して>、<すべての心の上に積もって>雪色にするのが<粉雪>であって、それを<忘れ薬>とする切れ味、安定の中島みゆきでございます。そういえば、パウダースノーよりももっと細かくサラっっっサラな雪を「アスピリンスノー」って言うのでしたっけ。もはや死語な気もしますけどw

 忘れさせて 古い約束
  忘れさせて 古い口癖
  覚えておこうとしないのに
  何かのはずみ 思い出して泣ける


そうそうそう、<何かのはずみ>でなつかしきひとを思い出してじんわりくるこの切なさたるや、もう「未練」という言葉さえ甘く思えてしまうようなあふれる想いですよね〜。<古い約束>はともかくとして、ここではさらりと<思い出して泣ける>と流していますが、いやいやいや、<古い口癖>がよみがえってくるのはか〜なり危険であります。

 バスは雨で遅れてる
  店は歌が 止まってる
  ふっと聞こえる 口ぐせも
  変わらないみたいね それがつらいわ
『バス通り』1981年)

素敵な思い出であればあるほど逆にそれが思い出にすぎないことに気づいて<つらい>という感覚が沸き起こってきたりもします。そのきっかけは案外とどうってことのない<些細なこと>だったりして、それがまたたまらない心もちにさせられますな。どないせいっちゅ〜んじゃ。

 粉雪は忘れ薬
  些細なことほど効き目が悪い


ここに起承転結の「転」を「そう来やがったか〜」と言う絶妙〜なユーモア込みでぶっ込んでくるのも中島みゆきの心憎さなんでしょうね。北海道の<粉雪>は格別に軽いですから、せっかく真っ白になった雪景色がちょっとした陽射しやらちょっとした風やらで現実に戻ってしまうこともあったりしてwww

 思い出すなら 幸せな記憶だけを 楽しかった記憶だけを
  辿れたらいいけれど
『記憶』2000年)

 忘れてしまったのは 幸せな記憶ばかり 嬉しかった記憶ばかり
  そうであってほしいけれど
(『記憶』2000年)

『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』では、『粉雪は忘れ薬』がラストでその少し前に『記憶』が歌われました(なお、翌々年2002年の『夜会VOL.12 ウィンター・ガーデン』では『記憶』がラストのカーテンコール)。この<思い出すなら>もなるほどですし、<忘れてしまったのは>も両方ともナルホドですね。自分の心のうちであるのに、どうにもこうにも意のままにならぬのが思い出、<忘れ薬>が欲しいような欲しくないような。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年12月 2日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『いつか夢の中へ』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『いつか夢の中へ』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『いつか夢の中へ』は1999年11月にリリースされたアルバム《日-WINGS》の一曲で、『夜会VOL.9 2/2』のために新たに作曲されてその時しか演奏されていないオリジナル曲です。この1997年の『夜会VOL.9 2/2』はDVD化もされておらず、舞台に出向けた人だけにしか伝えられていない、ある意味「幻の夜会」だったりします。『いつか夢の中へ』『夜会VOL.9 2/2』前半にデュエットで歌われた曲で、アルバム《日-WINGS》でも宮下文一とのデュエットで収録されています。#いつか夢の中へ #夜会 #中島みゆき

さて、若かりし頃、果てしもない永遠の時間の流れの中では自分の生きざまなんてねぇ・・・とイジけた青臭い記憶wが蘇る方々も少なからずかと思いますが、実はそここそが自分という個を認識する出発点だったのかも知れませんねぃ🧐

 いつか夢の中へ さまよい果てる気がしているわ
  誰もいない国へ 1人だけで旅立つのが私の定めなら


ある程度の期間ニンゲンなんてぇ稼業を続けていれば、さまざまなイベントに振り回されてさまよっているだけの自分がいかに平凡な存在であるのか身に染みてますよね? そうですよね? ねぇ?

 いつか夢の中へ 忘れ去られる日が来ていても
  きっとめぐり会える 大切な私たちのあの日にたどり着ける

  いつか夢の中へ 失ったものを探している
  今も消えはしない 遙かな闇の彼方 忘れない 私だけは


ここから各節の歌い出しの<いつか夢の中へ>はリフレインというか、頭韻の拡張であるように思います。そう考えればコレは意味がなく省略可能、てかむしろこの<いつか夢の中へ>に意味を与えてしまうとワケわからなくなりますよ〜😅

 忘れ去られる日が来ていても
  きっとめぐり会える 大切な私たちのあの日にたどり着ける
  失ったものを探している
  今も消えはしない 遙かな闇の彼方 忘れない 私だけは


とすると、なんとなくメッセージっぽいナニかが浮かび上がってくるような気がします。ラストで倒置法を使って<私だけは>で締められているところ、強い意志というか決意表明ですね。中島みゆきの歌詞にはこのような決意表明がけっこう出てきて、まことにカッコ良いです。

 いつか夢の中へ 1人あなたはさまよっている
  遠く追われてゆく道が 何処へ続いているのかを知らないまま
  (遠く 道が 何処へ続いているのかを知らないまま

  何もわからない 誰もわからない 自分のことがわからない
  誰か教えて 訳を教えて 何処へゆくのかわからない


本日(12/2)はワタクシの57歳の誕生日だったりしますが、この曲の歌詞を味わうにつけ自分の<道標>ってなんなんだろうなぁ、なにも見えていないしわかってもいないなぁ、と痛感させられます。<道標>を失ってしまったのか、そもそもナイのか、まぁ<わからない>のが人生、もしも道標が見えたとしたらそれは墓標なのかも🥹

 いつか夢の中へ 失った道標いつの日か見えるまで
  失った道標いつの日か見えるまで


いや・・・やっぱ違うかw。<道標>とは「自分を前向きにさせてくれる何か」なのでしょうかしらん💡



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年10月22日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『有謬(うびゅう)の者共』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『有謬(うびゅう)の者共』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『有謬(うびゅう)の者共』は中島みゆきの最新作、ついこないだ2023年9月13日に48作め(!)のシングル《心音/有謬の者共》としてリリースされました。カップリングの『心音(しんおん)』ばかりが話題にのぼるのは、映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の主題歌ですからそりゃまぁ無理ないでしょうが、な〜んのなんの、この『有謬(うびゅう)の者共』の炸裂ぐあいwはスゴいもんですぜ〜(・o・ゞ #有謬の者共 #心音 #中島みゆき

 いくつの夜を 集めても足りない
  ここは隠れ家 息をひそめてる
  幻の火を 連ねても足りない
  ここは物陰 嘘たちの棲み処
  隠れて隠れて隠れ続けた
  逃れて逃れて逃れ続けた
  真っ新で 真っ直ぐで 真っ暗な空
  完璧で 潔癖で 鉄壁な空
  嘘が解れる夜
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン あんたがまだニンゲン


この歌詞、字句を怪釈しようとしてもナニがナニやらですが、このシングルCDのデザインに中島みゆきが一切登場せず映画『アリスとテレスのまぼろし工場』一色であることを鑑みれば映画の内容が下敷きになっているだろうなぁと想像できます。映画『アリスとテレスのまぼろし工場』(すんません、観てないです)、突然起こった製鉄所の爆発事故により全ての出口を失い、時まで止まってしまった町で少年が二人の少女と出会いその世界の均衡を崩していく物語。<隠れ家>やら<物陰>やら<隠れて>やら<逃れて>やら、そして<>という時間帯も象徴的に「外界とのやり取りが無い場所」を示しているのかなぁと気づきます。(夜行生物はど〜なのよとか突っ込むのはヤメてよねw)

 時が縺れる 夜へ傾れ込む
  離れ離れの記憶が入り組む
  停まって停まって停まり続けた
  凍って凍って凍り続けた
  清潔で 高潔で 冷血な空
  従順で 恭順で 単純な空
  嘘が溶けだす夜
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン あんたがまだニンゲン


2番にも「外界とのやり取りが無い場所」を暗示する言葉が散りばめられていますね〜。この「外界とのやり取りが無い場所」を現代人間社会に置き直してみると、昨今よく目にする「自らの狭い視野に閉じこもった者共」なのではないでしょうか。まぁ誰もがみんなそうでしょ、というツッコミも同時にしておきたいですが。そのような閉ざされた存在を見下ろしているのが<>という絶対的なナニか。ここで<>はど〜なのよと思いますが、夜という時間帯は地上にしかなく天空には昼も夜もないことに気づくとちょっとニヤりとします。イヤ、まぁ、それだけですけどwww

 真っ新で真っ直ぐで真っ暗な空
  完璧で潔癖で鉄壁な空
  嘘が弾ける夜
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン あんたがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン


地上には<間違い>やら<>やらに満ち満ちていますが、楽しかろうが苦しかろうがいかなる状況に置かれようとも空のもとで人間は間違う<ニンゲン>で徹頭徹尾あり続けるのでありま〜す。さまざまなことが降りかかってきているこんな人類世界になってしまいましたが、誰もがみ〜んな<まだニンゲン>という『有謬の者共』=「誤謬に満ちた存在たち」ですよね。そのようなしょ〜もない我々ですが、せめて、せめてささやかな安寧(もはや平和とは言えませんわ)がほしいです。

 宇宙(そら)の掌の中
  人は 永久欠番
『永久欠番』1991年)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年9月28日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『心音(しんおん)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『心音(しんおん)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『心音(しんおん)』は中島みゆきの最新作、ついこないだ2023年9月13日に48作め(!)のシングル《心音/有謬の者共》としてリリースされました。『心音(しんおん)』は中島みゆき初のアニソン、スタジオMAPPA制作、岡田麿里監督による9月15日公開の最新作映画『アリスとテレスのまぼろし工場』主題歌です。内容にしても評判にしてもそこら中にあふれていますので、どうぞ参考になさってくださいませ〜(ヒトまかせw)

*商品ページはコチラです、買いましょうね〜。コメント全文もご一読を(*´-`)
https://www.yamahamusic.co.jp/s/ymc/artist/59

 ゲームもアニメもさっぱりわからない中島に、御注文を
  くださるとは、なんでなの?と謎な気持ちで、
  届いた台本をおそるおそる読み始め、最後まで読み終わ
  らないうちに、どっぷり、岡田麿里様のしもべとなっておりました。
  岡田麿里様は、中島の絶大なる「推し」です!
(中島みゆき コメント(部分))

 『⼼⾳(しんおん)』が流れてきた瞬間、正⾯から、強い⾵がぶわっと吹いた気がしました。
  ⾵にあおられて、緊張だけでなく、スタジオの景⾊がすべて吹っ⾶んでいきました。
  そして、この物語の主⼈公である正宗と五実、睦実の姿が⾒えました。
  彼らはしんと冷たい世界の中で、腹の底から叫び、⾛っていました。
(岡田麿里 コメント(部分))

優しく語りかけるような歌い出しからこの力強いサビに至るまで、さすがの安定感です。映画の内容は断片的にしか知りませんが、ことごとく「なるほど」な歌詞と思わされました。それと同時に和声の美しさが際立っており、この複雑さをピアノ一台で表現するのは無理かもなぁと一瞬絶望したことは白状させてくださいませ💦 おかげで編曲が部分的に非常に難しくなってしまい、も〜必死でしたよ〜www

 綺麗で醜い嘘たちを 僕は此処で抱き留めながら
  僕は本当の僕へと 祈りのように叫ぶだろう
  未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行け




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年8月30日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『あぶな坂』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『あぶな坂』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

前回の動画で最新2023年リリースのアルバム《世界が違って見える日》のラストを飾る『夢の京(みやこ)を弾いたのはイイですが、曲があまりにも充実していたので次の選曲にハタと行き詰まりましてな。かくなる上は、1976年リリース一番最初のアルバム《私の声が聞こえますか》の最初の曲『あぶな坂』にしようという苦し紛れw

それにしてもこの『あぶな坂』の歌詞の怪しさたるやなかなかなモンでして、デビューアルバムの最初の曲をコレにするなんて当時のヤマハのプロデューシングはど〜なっていたのかしらん。ただ考えてみれば1970年前後はアングラ演劇が盛んで、その旗手であった寺山修司プロデュースの浅川マキがレコードを一通りリリースしたタイミングでもあったりするんですね〜。中島みゆきはコンクール優勝後のインタビューでレパートリーを「130曲」と即答しており、単なる「ポプコン出身の女性シンガー」にとどまらぬ幅の広さを見せようとしていたのなら慧眼とも思いますが、それにしても、ねぇwww

 あぶな坂を越えたところに
  あたしは住んでいる
  坂を越えてくる人たちは
  みんな けがをしてくる


という、のっけからめっちゃ屈折して詩の不可思議さ全開な歌い始めでござる。

 橋をこわした おまえのせいと
  口をそろえて なじるけど

  遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
  坂を落ちてくるのが ここからは見える


「故郷を出て夢破れて戻ってきたのか」と思いきや、<遠いふるさとで 傷ついた>ですからさらに謎は深まります。まぁこのテの怪しげな世界wでは「坂」とか「橋」とかは結界のような意味を持つ、という認識で充分なのかなぁと。そしてここでの「坂」と「橋」が同じ結界であるかどうかも定かではござらぬ。<遠いふるさとで 傷ついた>のが<橋をこわした おまえのせい>だと<坂を落ちてくる>人たちが<口をそろえて なじる>という読み方もできるのではないでしょうか。

さて2番。

 今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて

  おまえがこんな やさしくすると
  いつまでたっても 帰れない

  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える


ふるさととなるべき居場所に呼ばれぬまま人生に<おちぶれた男>たちは、おちぶれたのはおまえのせいだとなじる相手が欲しいのです。そしてけがをしたのも自分が至らなかったせいではなく、坂を落ちてきたせいなのです。みっともないと申されるな、思い通りに生きられぬ当の本人にとってはそれも含めて他でもないてめぇの人生、そしてその逆風はあらゆる人にとっていつ何時降りかかってきてもおかしくないことなのです。そのような苛烈な人生においてのささやかな安らぎの場所があるのなら、それが<あぶな坂を越えたところ>なのではないでしょうか。

3番です。

 今日も坂は だれかの痛みで
  紅く染まっている
  紅い花に魅かれて だれかが
  今日も ころげ落ちる

  おまえの服があんまり紅い
  この目を くらませる

  遠いかなたから あたしの黒い喪服を
  目印にしてたのが ここからは見える


あぶな坂>は人生の荒野そのもの、という読み方もできそうな。ささやかな安らぎの後の再出発が「けがが癒えた男たちを見送る」とかなんとかで描写されていないところが沁みます。「少し休んでまた頑張ろう!」とかいう現代的でわかりやすいキャッチフレーズがこの怪しい世界にあってたまるかwww

 行路難 行路難 多岐路 今安在『行路難』李白 745年)
 人生行路は困難だ 困難だ 分かれ道ばかりで 自分はいったい何処にいるのか



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年8月 7日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『夢の京(みやこ)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『夢の京(みやこ)を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『夢の京(みやこ)は今年2023年にリリースされた最新のアルバム《世界が違って見える日》ののラストを飾る曲で、それにふさわしくスケールが大きく力強く、中島みゆきらしさあふれる大曲ですよ〜。アルバム《世界が違って見える日》には「作者註」として手短な解説が『心月(つき)『夢の京(みやこ)の二曲分つけられており、これは自作を解説することを意識的に避け続けてきた中島みゆきにとって、極めて異例のことです。

 <(前略)でも私は、「京(みやこ)はもう無くなってしまったけれども、京(みやこ)の設計図を私たちは夢の中に、いつも確かに持ち続けるだろう。どんな暴力も、夢まで奪うことはできない。だから、未来を怖れる必要はない」と、歌いたいと思います。>アルバム《世界が違って見える日》作者註2)

いやはや簡潔明瞭、これを作詞作曲者本人に語られてしまっては、ワタクシごときがナニ言っても蛇足にしかならないです。3番の歌詞がこれまた示唆に富んでおり、そのまま引用いたします。あなたの京(みやこ)はどこに?

 樹々は歌う 水は歌う なのに人は なのに人は
  欲の轍に轍を重ね 自らを埋ずめてゆくの
  夢の京(みやこ)へ帰ろう もう無い国へ帰ろう
  時は戻らない 夢は戻れる 怖れることはない
  怖れることはない




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年6月29日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『バス通り』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『バス通り』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『バス通り』は1981年にリリースされたアルバム《臨月》の一曲で、B面のトップを飾っています。爽やかな曲調でいかにもこの時代なの歌詞は未練タラタラのオンナの独り語り・・・という、さぁすが失恋ソングの女王っぷりを如何なく発揮している秀作と思います。この『バス通り』の歌詞ってば語感がやたらと美しく、失恋のほろ苦さがより一層際立っているような気がするんですね〜。

 昔の女を だれかと噂するのなら
  辺りの景色に気をつけてからするものよ


爽やかなイントロからこの穏やかならざる歌い出しで一瞬で聴き手の期待感をガッツリつかむのがさすが、B面のトップを飾っているのもナルホドであります。

 まさかすぐ後ろの ウィンドウのかげで
  いま言われている 私が
  涙を流して すわっていることなんて
  あなたは 夢にも思っていないみたいね


も〜なんと言うかね、期待を裏切らない安定の失恋シチュエーションですな。この中島みゆきの場面設定の妙、偶然を装っているにしても、マジひでぇやwww

 バスは雨で遅れてる
  店は歌が 止まってる
  ふっと聞こえる 口ぐせも
  変わらないみたいね それがつらいわ


ここで情景がはっきりしますね〜。バス停の横の喫茶店、主人公は店の中、主人公をフッたオトコが今の彼女と遅れているバスを待ちながら主人公の噂話をしているのが店のBGMが止まっているせいで丸聞こえ・・・ですか、う〜む。

 時計をさがして あなたが店をのぞくまで
  私は無理して 笑顔になろうとしてる


そう、1981年当時には携帯電話なんぞ影も形も存在せず、腕時計かそのへんの店をのぞいて時間を知るという時代でした。この表現、店をのぞいて欲しい気持ちとなかなか笑顔になれない気持ち、という主人公の未練と寂しさがないまぜになってなんとも複雑な心持ちですね〜。

さて2番。

 古びた時計は 今でも 昔のように
  あなた待ちわびて 十時の歌を歌いだす


次第にフラれた時のシチュエーションが鮮明になってきました。彼はひょっとしたら九時の待ち合わせに来なかったのかも知れないですな。

 小指をすべらせて ウィンドウをたたく
  ねえ 一年半遅刻よ
  あの日はふたりの時計が違ってたのよね
  あなたはほんとは待っていてくれたのよね


フラれたのは一年半前のこと。喫茶店の中と外で内側からしかも小指でウィンドウを叩いても外側に聞こえるハズもなし、時計の合わせ違いというシチュエーションを無理やり作ってしまう主人公、これは哀しいぞ切ないぞ。

 バスは雨で遅れてる
  店は歌が流れだす
  雨を片手でよけながら
  二人ひとつの上着 かけだしてゆく


遅れていたバスが見えたのでしょうね。ふたりがいかにも仲が良さそうにバス停に駆け出す様子で、一年半前の「あの日」への想いに耽っていた主人公に現実が突きつけられた瞬間。情景が目に浮かぶような寂しくも美しい一節ではございませんか。

 ため息みたいな 時計の歌を 聴きながら
  私は ガラスの指輪をしずかに落とす


「ガラス」で「落とす」ものと言えば、なんといってもシンデレラの靴であります。シンデレラの靴は自分を探してもらう手がかりのために落とされた存在ですが、この『バス通り』で最後に主人公が落とすのが<ガラスの指輪>とはこれまた切ない。指輪とはつながりの象徴で<ガラスの指輪>は落とせば壊れてしまうのは当然の成り行き、<時計の歌>が<ため息>に聴こえてしまう主人公の静かな諦めの気持ちが二重にせまってきますね。それにしてもなんてことのないフツーの言葉からこのような美しい情景を紡ぎ出せるのは、やはり才能のきらめきでしょう。それだけに哀しさ切なさが一層際立つ、B面の佳曲としての存在感バツグンですね〜。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年5月30日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『ギヴ・アンド・テイク』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『ギヴ・アンド・テイク』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『ギヴ・アンド・テイク』は2011年11月にリリースされたアルバム《荒野より》の一曲で、『夜会VOL.17 2/2』で主人公とその恋人とのデュエットで短く唄われているオリジナル曲です。2011年といえば3月11日にあの恐ろしい東日本大震災が起きた年、このアルバム《荒野より》にはそれを意識してメッセージが随所に込められているという解釈が少なくなく、それぞれに説得力ある論が展開されていて興味深いです。

 Give & Take 与えられることは
  Give & Take 心苦しくて
  困ってはいない 望んでもいない そんなふうに言うのは
  返せない借りだと恐れてしまうから

何かしてもらったときにお返ししなきゃ、という気持ちが芽生えるのは普通に素直な感覚だと思います。ただそれを「貸借勘定」のような感覚で捉えてしまうところ、ちぃとばかし厄介な人間関係が透けて見えてきますね〜。

 Give & Take 施し物は
  Give & Take 人をみじめにする
  気がひけてしまう うつむいてしまう そんなふうに思うのは
  返せない借りだと恐れてしまうから


『ギヴ・アンド・テイク』の歌詞では、このいささか厄介な心持ちが繰り返し投げかけられます。何かを与えられることが借りを作ることであってすなはち相手に優位に立たれることだと感じてしまうとき、いろいろと理由を作ってそれを拒みたくなります。なるほど、わかるわかる。

 Give Take それは違うよ
  僕は君から貰える
  君が受けとって呉れる ほら僕は貰えている


ですが、厚意というものは別に見返りを求める気持ちではないですよね。厚意的にナニか手伝うという行動はめっちゃ単純に人間の尊さだと思うのですが、昨今の社会情勢を見聞きするに、その厚意の受け取り側がやたらと恐縮するとか、ことさらにお礼を言いつのるような場面が目につきます。ちょっとしたことでバカみたいに炎上するネット世界を生まれた時からつぶさに観察して育っている世代にとっては、どんなに厚意的な行動であってもそれは「負い目」であって、だからこそ逆にいわゆる「きちんとした対応」ができなければ人生が詰んでしまうほどの重大で恐ろしいことなのかも知れません。

いやはや、まぁ、ねぇ、わからんでもないですよ、人から嫌われるのってそりゃ〜コワいでしょうよ。ですが、考えていただきたい。そのような姿勢って、厚意を与えてくれた相手に対する信頼、ひいては自分が生きている世界に対して信頼がない態度に他ならないのですぞ。与えられた厚意を自らに課せられた借りであるとみなしてしまうのって、言わせてもらえばかなり下卑た根性で、そのような根性が透けて見える人物に幸せなんて訪れ得るでしょうか。

だいたい、個々人が考えて配慮できる程度の「 き ち ん と し た ほ に ゃ ら ら 」なんて、どれほどのモンでもないですってばさ。も〜ちょっと自分に対して優しくなって、お互いにそこそこ甘えられる環境を広げていきたいと思いませんか〜?(*´-`)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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