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カテゴリー「音楽>メーカー>Bösendorfer」の142件の記事

2025年5月 8日 (木)

ピアピットでオーバーホールした1902年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で、リストのコンソレーション第2番を

1902年製のBösendorfer 167cm(実測)、現代のアクションと全く異なるウィーン式アクションの個体です。輸入する際に白鍵の象牙が剥がされてしまうのはもはや仕方のないこと。全体的な動作自体は良好でハンマーフェルト外側に巻いてある革も良い状態で残っていたのでそれもオリジナルのまま活かし、可能な限りオリジナルを残す方向でオーバーホールを行っています💪
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

ハンマーフェルト外側に革が巻いてありますからフェルトに針を刺して行う整音はその革を剥がさなければ不可能ですが、革の状態が良く音質もいかにも独特な美しい音色が残っていたのでそのまま整音せずに温存しています。絃はポレロ製をおごって消耗部品を交換するもむやみに交換はしなかった結果でしょうか、発音が明瞭かつ伸びのある音色がよみがえり、それに加えて華やかな音色に仕上がった印象です。たくさん弾いて革が固くつぶれて音質が硬く伸びなくなるまではこのままでイケますね〜。

シューベルトが活躍していた1820年代のウィーン式6オクターヴの楽器と基本的な方向性は全く変わっておらず、いわゆる「ウィンナトーン」という概念は不変だったのだろうなと思わされます。やはりウィーンは超〜保守的だったんでしょうね。

リスト/Franz Liszt(1811-1886)のコンソレーションは第3番以外は全く知られていませんが、本来6曲セットの曲集です。第3番もこの個体にピッタリではありますが、とりわけこの個体の音色が活かせる曲ということで第2番にしました〜✨
*楽譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/331668

2025年4月28日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『LADY JANE』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『LADY JANE』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/334211

『LADY JANE』は2015年11月にリリースされたアルバム《組曲(Suite)》のトリを飾る大切な曲です。「LADY JANE」とは大木雄高(おおきゆたか)氏(79)経営の下北沢のジャズバー「レディ・ジェーン」のことで、「シモキタ」という演劇や音楽の街の伝統の象徴ともいうべき存在、残念ながらついこないだ2025年4月13日を最後に閉店の憂き目にあってしまいました。入居する建物の契約更新が認められなかったのが閉店の理由ですが、住民にロクに説明せず大手ゼネコンが行政と結託して勝手に作っていくような再開発に猛反対する斬り込み隊長的存在がマスターの大木氏でして、こりゃ再開発推進側地主の意図に決まっとるサと容易に推測できますわな😤

下北沢の再開発が始まったのが2003年のこと、小田急下北沢駅が2013年3月23日に地下化されて古き佳き姿が加速度的に消えてきたタイミングの2015年秋に中島みゆきのアルバム《組曲(Suite)》が発売され、その2015年は「レディ・ジェーン」の40周年、しかも中島みゆきのデビュー40周年でもありました。そのようなアルバムのトリを飾る曲が『LADY JANE』であるというコト、さらには昨年2024年に東京・大阪で全16公演行われた中島みゆきの《歌会 VOL.1》でも『LADY JANE』が歌われたワケで、これには単なる行きつけのバーへの感謝を超越した大っっっ変に重い意味があるはずですよね〜。街をつくり上げ支えてきた市井の生活者の声を代弁して強大な大手ゼネコンそして行政と斗う闘士としての「レディ・ジェーン」の姿は、中島みゆきが昔っから発信している「名も無き存在へのエール」としっかりシンクロしていますし💡

シモキタの再開発の過程をホンの少し知るだけでも、店の様子をなにげなくも生き生きと描写する中にチラリとぶっ込まれている再開発の多面性を指摘する一言がまことに心に響きます。同時に下北沢の再開発を全く知らぬ聴き手に対してもちゃぁんと詩として意味をなすように平易に仕組まれているところ、さすがは言葉の使い手のプロ中のプロが編み出した歌詞であります。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


のっけから謎かけのように始まるのは、空想の世界に誘ってくれる意味もあるのでしょうか。時間帯を物理的に考えると明るくなる前で、すなはち夜明け前の時間帯。明け方までダラダラと飲むのはジャズバーならではでしょうが、あたしにゃムリですw

それにしても<日常な町角>の<>の用法が難解ですね〜。困ったときの英訳で、この部分は<Daily life would hit you otherwise>となっています。な〜るほどなるほど、「暗いうちに店を出ないと日常にヤラれちまいますヨ」ってぇ意味なんですね。「日常」とはナニも考えなくても過ごせるルーチンワークと捉えられ、その対語として「非日常」があるのは自明。

 LADY JANE どしゃ降りの夜なら
  LADY JANE 古い看板が合います 色もない文字です


ふむ、「日常」と「非日常」とを隔てる結界が<LADY JANE>の<古い看板>そして<色もない文字>、という図式ですな。いいぞいいぞ。

 愛を伝えようとする二人連れが ただジャズを聴いている
  愛が底をついた二人連れも ただ聴いている


いやはや、詩人の思索のフィルターを通ると「二人連れの若者も熟年もジャズを聴いている」という状況説明wがこうも美しくなってしまうんですな。それにしても<愛が底をついた>ってぇ表現、いかにも酸いも甘いもひっくるめて年輪を重ねてきた雰囲気ですな。

 時流につれて客は変わる
  それもいいじゃないの この町は 乗り継ぎ人の町


下北沢は決して大きな駅でも町でもないですが乗継駅として重要ですね。ひっきりなしに乗継客が行き交う町であることは変わりませんが、<時流につれて>変化していくのは当然のこと。同時に<乗り継ぎ>は単なる路線間の乗継のみならず、古いナニかと新しいナニかとの移り変わりでもあり、ある考え方と別の考え方との乗り換えでもあり、そして、過去と未来の乗り継ぎ地点とは現代に他ならないことも頭に留めておきたいです💡

 LADY JANE大好きな男が
  LADY JANE この近くにいるの たぶんここは知らないけど


ラストで歌い出しのフレーズをリフレインして片想いな歌詞をぶっ込んでくるところ、もう安定の中島みゆきですな。ここでホッとしてしまうのがイイのか悪いのかw

 LADY JANE 脛に傷ありそうな
  LADY JANE マスターはいつも怒ってる 何かを怒ってる


さぁ、2番でメンドくさそうなマスターの登場でござい。ジャズバーのマスターなんつ〜のは偏屈なオヤジと相場は決まっとるwですが、シモキタ再開発と斗う闘士としての<LADY JANE>大木氏を知ってしまうと、そりゃもう、ナニに怒っているかは自明ね。

 LADY JANE 昔の映画より
  LADY JANE 明日の芝居のポスターが 何故か古びている


こんなことがあっても不思議じゃない空間ってあるよね〜、と単純に読んでも店内の描写として成り立ちますが、ち〜ょっとヒネりたい一節。<>と<明日>とを対比して<明日>の方が<何故か古びている>と指摘する一節ですから、当〜然シモキタの再開発とからめたくなりますぞ。

かつてシモキタは雑多な芸術が巣食っていた猥雑と言っても過言ではない一帯で、新しいナニかが次々と生まれて輝いていたはずです。対して現代の再開発が区画整理して大っきなビルを建てる、という方向ばかりなのはワリと簡単に観察できます。ゼネコンや行政が建設効率ばかりを重視せざるを得ない結果ですから没個性になるのは理の当然、建設費用を回収するための高いテナント料がために昔からの商店が「結果的に」排除されて大手資本のチェーン店ばかりが入居すれば没個性になるのもこれまた理の当然でございましょう。

高度経済成長にしろバブルにしろ過去のあだ花、もはやそんな夢物語はありえないと突きつけられ続けているのが現代なはずです。それなのにあ〜も変わらず旧態依然とした効率重視の大艦巨砲主義を振りかざしているワケで、再開発して建物だけを新しくしたところで新しさのカケラもなく<古びて>見えるのは、<何故か>どころか当っっったり前のことではございませんか。こんなことは50年以上も前から指摘されているワケで、再開発の際に「地域らしさ」とはなんぞやと検討する協議会こそ設置されますが、それが逆に再開発に対する「免罪符」であることもまた現実です。推進側の意図に反する答申を出したが最後、次の仕事はもらえなくなる=カネが稼げなくなるワケですからね〜😤

 座り心地が良いとは言いかねる 席はまるで船の底
  常に灯りは霞んでいる 煙草のるつぼ


これまた店内の描写であると同時に、再開発前の雑多で猥雑なシモキタの雰囲気を象徴させていると読みます。シモキタに限らず、行政が巨額の予算を組んでまで再開発したくなるところは、安全にも治安にもいささか問題を抱えているのは確か。何事にも滅菌消毒されたような清潔さが求められる現代ですから、それをキレイに整え直さねばならぬという意見が「民意」とされるのもまた現実でしょう。

 時流につれて町は変わる
  迷い子になる程変わっちまっても この店はあるのかな


現代とは万事効率が求められる時代であります。効率化とはつまるところ標準化・規格化ですから、没個性になる必然がございます。そりゃ〜<変わっちまって><迷い子になる>のもむべなるかな。いやホンマ、<LADY JANE>が2025年4月13日に閉店させられてしまったことが残念というか象徴的に感じられてなりません。

 酔いつぶれて寝ていたような片隅の 客がふいとピアノに着く
  静かに遠ざかるレコードから 引き継いで弾く


かつては人間関係が親密で、部外者にはワケわからぬ「不文律」やら「以心伝心」などなど「暗黙の了解」とかいう不思議かつメンドウな空気がありました。客が店のピアノを弾くのならレコードはどんな名演であろうが邪魔なワケで、マスターがボリュームを絞るのは基本中の基本ですね。このような空気感、果たして昨今なにかとヤヤこしいストリートピアノ界隈では如何?

 時流につれて国は変わる
  言葉も通じない国になっても この店は残ってね


な〜んか穏やかでない歌詞でもありますが、これまた<>を「国のあり方」転じて「立場」そして「世代」とでも捉え直せば、言葉も通じない>状態とは「利害が対立する立場」とか「世代交代」のために「話が通じなくなってしまう」状態の象徴ですよね〜。昔ながらのふんわりしたユルい共通理解が通じない相手や世代が主流になっても<この店=LADY JANEは残ってね>という、まぁ古い世代の戯言なのかもしれません。

 LADY JANE 私は一人です
  LADY JANE 歩いて帰れる程度の お酒を作ってね


おぉ、そういえば、<愛を伝えようとする二人連れ>と<愛が底をついた二人連れ>がいましたっけ。主人公が自力で歩いて帰らねばならぬのはチト不条理ですが、これでこそ中島みゆきの歌詞でござろうよ。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


ここまでシモキタの再開発とからめたら、この歌い出しのリフレインの意味合いが全く変わってくるのではないでしょうか。<>とは「ずっと変わらず昔のままであって欲しいと願う LADY JANE」そして「シモキタ」であり、<暗いうち>の拡大怪釈として「再開発前のシモキタ」であり、<日常な町角>の拡大怪釈としては「再開発後の下北沢」なのかなぁ💡

このように考えてみると、「まちかど」の「まち」という漢字に中島みゆきが「町」という、「街」に比べれば現代的無機質なイメージ(と思うんですよ〜)の漢字をわざわざ使った意味が見えてくるような気がいたします。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


・・・古き佳きシモキタの思い出に浸りたいときは、せめて明るい昼でなく暗くなった夜にね。現代の現実の前では古き佳き思い出なんてかき消されてしまいますよ。LADY JANE そして古き佳きシモキタよ、永遠に!



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年4月18日 (金)

ピアピットでオーバーホールした1902年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で、シューベルトの即興曲 D935-2 を

いつものピアピットでがっつりオーバーホールした 1902年製 ウィーン式アクションのBösendorfer 167cm で弾いた、シューベルト(1797-1828) の即興曲遺作第2番、D935-2 です。な〜んとなんとこの個体はワタクシ所有の1894年製(中島みゆきばかり弾いてますがw)と全く同型なのが僥倖でござるよ✨✨✨

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

輸入する際に白鍵の象牙が剥がされてしまうのはもはや仕方のないこと。全体的な動作自体は良好でハンマーフェルト外側に巻いてある革も良い状態で残っていたのでそれもオリジナルのまま活かし、可能な限りオリジナルを残す方向でオーバーホールを行っています💪

外側に革が巻いてありますからフェルトに針を刺して行う整音はその革を剥がさなければ不可能ですが、革の状態が良く音質もいかにも独特な美しい音色が残っていたのでそのまま整音せずに温存しています。絃はポレロ製をおごって消耗部品を交換するもむやみに交換はしなかった結果でしょうか、オリジナルのままの発音が明瞭かつ伸びのある音色がよみがえり、それに加えて華やかな音色に仕上がった印象です。たくさん弾いて革が固くつぶれて音質が硬く伸びなくなるまではこのままでイケますね〜。

シューベルトが活躍していた1820年代のウィーン式6オクターヴの楽器と基本的な方向性は全く変わっておらず、いわゆる「ウィンナトーン」という概念は不変だったのだろうなと思わされます。やはりウィーンは超〜保守的だったんでしょうね。



*1820年ごろのウィーン式6オクターヴで同じ曲をどうぞ

2025年3月23日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『ジョークにしないか』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『ジョークにしないか』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/326984

『ジョークにしないか』は2014年11月にリリースされたアルバム《問題集》に収録されています。訥々とした語り口の中にあふれる愛情がじわじわ来ますよ〜。この地味にじんわりくる雰囲気そして下のG音から上がっていく音型は、1994年にリリースされたアルバム《LOVE OR NOTHING》に収録されている『風にならないか』とクリソツ、このような方向性もこれぞ中島みゆきな一面なんですよね〜(*´-`)

『風にならないか』は、ピアノではなくクラヴィコードで弾いてますぞ٩(・ω・)و


 笑ってくれましたか それならいいんです
  驚きすぎると笑うしかないですよね
  笑ってくれましたか 黙らないでください
  構えさせてしまった 深い意味はないんです


夢にしても憧れにしても愛にしてもなんとも厄介なシロモノでございまして、想いが強ければ強いほど口に出しづらくなりますし、たとえそれを伝えられたとしてもその強すぎる想いをぶつけられてしまった相手が「そそそ、そんなコト言われたって💦」となってしまうのは無理もないことでしょう。笑ってゴマかしてもらえればいいんですが、黙られてしまったらもぅね、伝えた方としても立つ瀬がなくなって「あ、いやいや、まぁ<深い意味はない>んだけど💦💦💦」とかなんとかテキトーにその場を取りつくろうしかないですわ。いや、それ、取りつくろえてないんですがw

 愛について語ることは 私たちは苦手だから
  明日また会えるように ジョークにしないか
  きりのない願いは ジョークにしてしまおう


>という言葉で象徴していますが、複雑難解で言葉にしづらいことなんつ〜のは人生の荒波を渡っていればそこいら中で出くわしてしまうワケで、酸いも甘いもひっくるめて人生を<ジョークにしてしまおう>ではないか💡 かの楽聖ベートーヴェンが死の前に「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」とのたまったとはされていますが、まぁこのテのいかにも偉人らしい逸話なんつ〜のはだいたいが伝言ゲームの結果で、ど〜せ後世の捏造でしょと思ってますwww(・x・ゞ

 桜が咲きましたね 雪が来ますね
  そんな話だけで1年が過ぎてもいい
  ふざけてばかりな奴 好きも嫌いもない
  うとましがられるより そんな奴でいいんです


いやはや、このような達観した境地になれるものならばなりたいですわ。ですが、この境地に達するまでには行き違いやら葛藤やら衝突やらなどなどなど苦しい経験が無数に必要なワケで、それならばこの境地に達したところで人生の切なさから逃れる術はないのでしょうね。達観も諦観も、形こそ違えどそこに行き着く道筋は同じなのかもしれません。

 愛なんて軽いものだ 会えることに比べたなら

この曲のキモはなんと言ってもここですね〜。どんなに多言を弄したところで現実の提示の前では屁のつっぱりにもならぬワケですし、言葉の怪釈には必ず誤解曲解勘違いなどなどなどがついてくるワケで。というか、人生の荒波を渡るってぇコトは、誤解曲解勘違いなどなどなどという人間関係と向き合い続けることに他ならず、その誤解曲解勘違いなどなどなどのきっかけになるのはひとえに「言葉」だったり。詩のようにわざわざ抽象的にしなくても言葉の様々な怪釈で誤解曲解勘違いなどなどなどwが発生するのはいくらでも経験できますし、その挙げ句、やれ傷ついただの、やれショック受けただの、なんのかんのとまことにかまびすしい。

まぁそんなマイナスの面ばかりではなく、言葉があるおかげで人類はさまざまな文化を育んできているのですから、やはり必要不可欠。それなら、もうね・・・

 明日また会えるように ジョークにしないか
  きりのない願いは ジョークにしてしまおう


この<明日また会えるように>ってぇのが、じんわり来る来る来る〜。ここに込められているのは達観でも諦観でもなく、強く切ない願いなのではないでしょうか。会い続けることこそが愛であって、会い続けるためには人生の酸いも甘いも全部ひっくるまて笑い飛ばして<ジョークにしてしまおう>😛

 海へゆこう 眺めにゆこう
  無理に語らず 無理に笑わず
  伝える言葉から伝えない言葉へ
  きりのない願いは ジョークにしてしまおう


はい、出てきました。中島みゆきの<>ですね。ここは多言を弄さず。

 紅灯の海は優しい 海と名の付くものは優しい『紅灯の海』1997年)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年2月23日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『倒木の敗者復活戦』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

本日2月23日は中島みゆきの誕生日でございます。
中島みゆきの『倒木の敗者復活戦』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/320080

『倒木の敗者復活戦』は2012年10月にリリースされたアルバム《常夜灯》に収録されています。この1年半前にあの恐ろしい東日本大震災が起こっており、この曲は東北へのエールではないだろうかという指摘が相次いだとのこと。これについて、中島みゆき本人は2016年11月リリースのアルバム《中島みゆき・21世紀ベストセレクション『前途』》のライナーノーツで

 あまりにも悲惨だった東日本大震災は、私の作品に於いても、発表を控えたり、表現を変更せざるを得ない事態が、いくつか起きた。そんな中で、逆にこの曲の「倒木の」が「東北の」と、聞き取れるとして、受け入れていただく結果になったのも、大震災の影響の一つであったと思われるが、それはそれで否定するまでもないと考えている

と述べています。

どんな分野であれ、ひとたび作品として世に出されたものは容赦ない評価、理不尽な扱い、誤解、曲解などなど、それこそありとあらゆる形で作者の意図と異なる受け取り方・扱いをされるものでして、表現者たるものその全てを否定せず受け入れねばならぬのが定めであり、なんだかんだ言ってそれこそが多様性を育んできた一面がございます。ただど〜も昨今、その方向性が知ろうとしない故のデタラメに変質してきて多様性を育みづらくなっているような気が致しますが、まぁこんなコト思うのは老害な証拠さねwww

さて不肖ワタクシ、2016年11月に『愛される花、愛されぬ花』をアップしてから8年ちょい、今回の動画で1894年製ベーゼンドルファー(など)で弾く中島みゆきシリーズが100曲となりました。中島みゆき唯一無二の個性たるCONTRALTOな低〜い声域は鍵盤楽器では埋もれやすい音域で1オクターヴ上げて編曲されてしまうのが常。それが不満でここしばらく自分で編曲しているのですが、めっっっちゃ嬉しいことに楽譜が欲しいという声がときどき届きましてな。この100曲めの機会を逃すなと関係各所からハッパかけられてwくっっっそ重い腰を上げ、お馴染みiPad用楽譜ビューアー「Piascore」の楽譜販売サイトで販売怪始です。まぁナメクジの歩みでのんびりとゆコトで屋号は『楽譜舎エスカルゴ』、今回は怪店記念のお祭りで『ヘッドライト・テールライト』『地上の星』『倒木の敗者復活戦』『雨が空を捨てる日は』の4曲リリース、どうぞよしなに〜🐌🐌🐌🐌
*楽譜舎エスカルゴ
https://store.piascore.com/search?c=1911

 打ちのめされたら 打ちひしがれたら
  値打ちはそこ止まりだろうか
  踏み倒されたら 踏みにじられたら
  答はそこ止まりだろうか


負けても負けても喰らいつけという高度経済成長期な根性論なハズもなくw、この疑問形に仕組まれているのは<そこ止まりだろうか(いや、そうではない)>という「反語」であります。たまたまにせよ必然にせよ失敗や挫折のない人生なんて自分を偽らない限りは存在せず、犯罪を犯していない限りは一個の人間として尊重されるのが人の道だと思うのですが、いまだにいわゆる「出世」の道から外れる者を見下しバカにする傲慢な方々って少なくないよなぁと感じています。まぁたとえそのような方々にそのような扱いを受けたところで<値打ちはそこ止まりだろうか><答はそこ止まりだろうか>、いや、そんなハズはございませぬ!

 光へ翔び去る翼の羽音を 地べたで聞きながら

おなじみの対語法、ここでは<>と<地べた>ですね。樹木とは高く天を目指す存在の象徴でしょうが、それがひとたび<倒木>となると、<打ちのめされ><打ちひしがれ>て<踏み倒され><踏みにじられ>る存在の象徴へと変わってしまうというところ、単なる言葉の綾というにはな〜かなかに厳しく人生を照らしていると思います。一寸先は闇でござるよ💦

 望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
  泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦


ハ長調で始まって<地べたで>でチラッとフラットを見せておいてのここでのシャープ3つのイ長調への転調、グッと来ますね〜。歌詞と同時にガラッと前向きの空気に滑り込むのはまさに調性音楽の妙で、歌詞を原理的に持てない鍵盤楽器ではこのような箇所こそが試金石。過不足なくヤレばイイのは確かで、そう指摘するだけなら理解していない方でも可能ですが、ま〜コレが、たいてい、どっちかに偏っちまうんですわ〜😅

 あざ嗤え英雄よ 嗤うな傷ある者よ
  傷から芽を出せ 倒木の復活戦


英雄>は他者をあざ嗤ってもまぁ英雄のままでいられましょうが、<傷ある者>が他者をあざ嗤っては自らをさらに貶めるばかりです。<傷ある者>にとっては、その傷こそが復活そして再生、転生のきっかけ。切り倒された切り株の傷からは芽が出ますし、乾燥して何年も眠りについていた種子の固い皮からも傷をつけて水分さえ吸わせてやれば案外と芽が出ます。一般的に<敗者復活戦>とは他者との戦いですが、人生における<復活戦>とは<>に象徴される痛手のような何かをきっかけとして自ら動き出す、自らとの戦いでもありま〜す😤

 望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
  泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦


あらためてこの2行、応援ソングとして見事に奮い立たせてくれますよね〜。<救いの糸>という<望みの糸>が切れてナイぢゃねぇかと論理的wに突っ込むのはヤボ、ココは対語法の妙を愉しむトコね。いくら<復活戦>が自らとの戦いであるとはいえ、小さき個人の力ではどうにもできずに<望みの糸>が切れたと感じる状況に陥ることだってあるでしょうよ。何度も痛手をこうむれば、もちろん強くはなりますが、倒れてしまうことだってありますもんね。そのようなときでもどこかしらに「糸口」があるものと信じなくては倒れたままなワケで、まぁそれもまた人生ではありますが、起き上がりたい人にとって<救いの糸は切れない>という言葉は力になりますね〜。

 傷から芽を出せ 倒木の復活戦



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年1月16日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『雨が空を捨てる日は』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『雨が空を捨てる日は』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/320082

『雨が空を捨てる日は』は1976年6月にリリースされた研ナオコのシングル《LA-LA-LA/雨が空を捨てる日は》B面に収録された、中島みゆき作詞作曲の提供曲です。そして同年1976年10月にさっそく中島みゆき本人のアルバム第2作め《みんな去ってしまった》の第1曲に収録、さらには翌1977年にちあきなおみのアルバム《ルージュ》でカバーされているという、当時なかなかウケを取れていた曲なようです。めっちゃ演歌な湿っぽい出だしからのこのなんともうすら寒いどんよりした雰囲気、さすがさすがの初期の中島みゆきでありますナ🧐

実は今回の動画で1894年製ベーゼンドルファーで弾く中島みゆきシリーズが第99曲めとなり、来月ついに100曲めをアップできる予定です。来月は2月、ナニがある月なのか、みなさん当〜然ご存知ですよね〜。2016年11月に『愛される花、愛されぬ花』をアップしてから8年、嬉しいことに楽譜が欲しいという声がときどき届きまして、この100曲めの機会を逃すワケにゃいかんとくっっっそ重い腰を上げようとw。ピアノ用編曲をネット上販売するにあたっての著作権処理は特に難しくないことも判明、まぁナメクジの歩みでのんびり行こうと思ってます。どうぞよしなに🐌🐌🐌

 雨が空を捨てる日は
  忘れた昔が 戸を叩く
  忘れられない 優しさで
  車が着いたと 夢を告げる


これぞ詩作そして思索の妙、着想としてざっと平たく書けば「雨の日はなにやら昔を思い出して切なくなるものよ」てな感興なのでしょうが、デキる詩人の手にかかるとこうも素敵で美しい表現になっちまうんですね〜。まぁ若かりし中島美雪嬢(本名ね)にも、昨年2024年11月13日に亡くなった谷川俊太郎の詩に打ちのめされた大切な経験があるワケで、古今東西を問わずいつの世でもレベルを知る人材たちの切磋琢磨たるや、すさまじいものなのでしょうね。

 <忘れる筈もない。実は私には、谷川俊太郎という名を聞いただけで土下座したくなるような思い出があったのだ。(雑誌「鳩よ!」1991年3月号)

中島美雪嬢は1972年『あたし時々おもうの』で第2回全国フォーク音楽祭全国大会で優秀賞を受賞し、この曲でプロデビューするてはずになっていましたが、全国大会の課題として出された谷川俊太郎の詩『私が歌う理由』に衝撃を受けてしまった美雪嬢はデビューを思いとどまったのでした。1970年代初頭のフォーク界で実力で勝ち取ったプロデビューのハナシを白紙にできるなんて、ちょっとやそっとのキモの座り方じゃないですわよ。そう言えば、18歳にしてショパンコンクールで優勝したのに8年も表舞台に出てこなかったポリーニという大ピアニストもおりましたが、昨年2024年3月23日に亡くなってしまいました。

 空は風色 ため息模様
  人待ち顔の 店じまい


雨の日に昔を思い出してそれにひたっている主人公でしょうが、思い出にひたって<ため息>ばかりついているワケにもいかず、名残惜しくも<人待ち顔の 店じまい>と相ならざるを得ないんですよね。まぁ思い出ってぇシロモノはどのような思い出であっても、美しいと同時に寂しいもの、と相場は決まっているのでありま〜す✨

 雨が空を 見限って
  あたしの心に のり換える


『雨が空を捨てる日は』のキーワードは当然ながら<>で、それはあくまでも感情を持たぬ自然界の降水現象wに過ぎませんが、中島みゆきの歌詞にはホントに多種多様な<>が登場しますね。本来こころがないハズの事物であってもひとのこころを通すことで象徴として再解釈されて鑑賞者の心を動かすワケで、それができてこその芸術家の存在価値。詩人ってすごいですよね〜。

 雨が空を捨てる日は
  直しあきらめる 首飾り
  ひとつ ふたつと つなげても
  必ず終わりが 見当たらない


ここに谷川俊太郎の『私が歌う理由』の影響を感じてしまうワタクシでございましてな。なにしろ・・・

 私が歌うわけは
  いっぴきの仔猫
  ずぶぬれで死んでゆく
  いっぴきの仔猫
(谷川俊太郎『私が歌う理由』冒頭)

出だしの二行がちょっと不思議な形になっており、一行め最後の「は」という係助詞に「対照」という「なにかを提示することで、そのなにかから連想できる潜在的な別の意味合いを想起させる」という役割を与えています。一見すると関係がない一行めと二行めとで読み手は一瞬「?」となりますが、それに続く二行がその感覚的な種明かしになっている、という構造が同じなんですね〜💡

 空は風色 ため息模様
  人待ち顔の 店じまい


雨の日に昔を思い出してそれにひたっている主人公でしょうが、思い出し続けたって忘れられなくたってどこかで<終わり>を作らなければならない。それはわかっていても、わかっていてもですよ、あ〜、も〜、そんなの、無理に決まってるんです。<首飾り>は切れてしまえば使えないですし、直してしまえば<終わり>がないワケでして。そんな未練たっぷりな主人公の心はまさに<人待ち顔の 店じまい>ですね。いやはや中島みゆきの言葉の力、冴え渡ってますわ。

 雨が空を 見限って
  あたしの心に 降りしきる


今度の<>は<あたしの心に  のり換える>のではなく<あたしの心に 降りしきる>とは、これまた詩ならでは。雨模様の空から昔を思い出した主人公は、結局泣きたくなってしまったのでしょうね。<>は空を見限ることができたようですが、主人公の心のうちはま〜だまだ未練たっぷりなようです。同時に、例によってですが、最初期の中島みゆきだからと言って恋心の未練のみに感覚を限定させてしまうのは、詩の鑑賞としてはチトもったいない。個々人それぞれが歩んできた人生に照らし合わせて一緒に心に降りしきる雨を感じてじんわりしたいものです。

そう言えば、この『雨が空を捨てる日は』は、アルバム《みんな去ってしまった》の第1曲でしたっけ😭



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年1月10日 (金)

コチャルスキ「前奏曲集 op.65」から第15番 変ニ長調 を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

コチャルスキ「前奏曲集 op.65」から、第15番 変ニ長調 を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で弾きました。
*楽譜の入手はこちらからどうぞ!
https://store.piascore.com/scores/316551

ラオル・コチャルスキ/Raoul Koczalski(1885-1948) という名前はいにしえの巨匠ピアニストマニアが密かに愛でていた存在wですが、ようやっとピンと来る方が増えてきた印象があります。4歳で舞台デビュー、5歳から作曲を始めて7歳までに40を越える作品を書くなどの正真正銘の神童でした。その才能に、かのショパンの高弟カロル・ミクリ/Carl Mikuli(1819-1897) が「私はこの少年にショパンから教わったことを全て伝える!」と1892年から4年間、徹底的に「仕込んだ」のでした(そのレッスンがホントに大変だった、とコチャルスキは告白していますぞ)。

なるほど、コチャルスキによるショパンの録音からはショパン自身やその周辺からの証言を裏づけるかのようなところが随所に聴き取ることができまして、コチャルスキの大変な才能と、その才能をミクリがゴリゴリに「ショパン的に」仕込んでくれた幸運に感謝せねばならないと思わされます。まぁ、だからと言ってコチャルスキのショパンこそが唯一の正統であると盲信してもならぬでしょう。コチャルスキはあくまでもコチャルスキであって、ミクリでもましてショパンでもないワケですからね〜(・o・ゞ

コチャルスキの手による「前奏曲集 op.65」は4巻、おそらく1910年に出版され、全ての調性による24曲からなります。この15番はフラット5つの変ニ長調で、豊かなピアノの響きを慈しむかのような佳作です。コチャルスキの周りにいくらでもあったであろうピアノの響きを今に伝える1894年製ベーゼンドルファーで弾くこの曲、それなりの史料的価値はあると思いますよ〜(*´-`)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年12月 3日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『杏村から』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『杏村から』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/323043

『杏村から』は1977年にリリースされた研ナオコの通算4枚目のアルバム《かもめのように》に収録された、中島みゆき作詞作曲の提供曲です。そして翌1978年の春のツアーで中島みゆき本人が歌い、1981年にシングル《あした天気になれ/杏村から》として発売されています。なんとも美しくじ〜んわり来る情景と心象が渾然一体となったこの雰囲気、さすがさすがの初期の中島みゆきであります。かつてのシングル盤のB面って案外と佳曲が多くて渋〜い存在、な〜んと1982年にカセットテープ(!)で《中島みゆきB面コレクション》なるモノが発売されていたりますね〜😝

 ふられふられて 溜息つけば
  街は夕暮れ 人波模様

初期の中島みゆきですから<ふられふられて>は想い人にフラれたと脊髄反射してしまいますが、まぁ人生長い短いに関わらず、人と関われば思い通りにコトが運ばないことなんぞいくらでもありますネ。やることなすこと裏目に出てしまうときのなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感は誰しも経験あるでしょう。

 子守唄など うたわれたくて
  とぎれとぎれの ひとり唄をうたう

他人なんぞ我関せずな帰宅を急ぐ夕暮れの雑踏の中の主人公、そりゃ〜誰かしらに慰めてもらいたいでしょうがそれも叶わず、<ひとり唄をうたう>というのが都会という<>にあふれる孤独。そう、主人公だけでなく、夕暮れの雑踏を形づくる皆が寂しく孤独なのが都会なんですね。団地住まいで隣人の姿を見たことすらないことが増えてきた、と指摘されるようになったのは1970年代後半よりもう少し後だったようになんとなく記憶していますが、この都会の孤独を美しい唄として託してしまった20代半ばの中島みゆき、恐るべし。

 明日は案外 うまく行くだろう
  慣れてしまえば 慣れたなら

これは単純な倒置法ですね。ひっくり返すとナルホドでありま〜す💡

 <慣れてしまえば 慣れたなら
  明日は案外 うまく行くだろう>

都会の孤独の中で生きていくためには、それに慣れてしまうのが手っ取り早いと言えば手っ取り早いワケで。孤独を感じていても明日は必ずやってきますし、ひとと関わらないワケにもいかず、まぁ孤独な状況に<慣れてしまえば>案外とうまく行ったりするっちゃする感じもしますなw

 杏村から 便りがとどく
  きのう おまえの 誕生日だったよと

孤独を唄っている曲なのになんとも美しく温かい雰囲気の理由がここで解決(なにげにコレも倒置法ですな)。都会に生きる主人公の孤独を癒してくれるのは、やはり<杏村>として隠喩されている「ふるさと」なんですね。誕生日当日ではなく翌日に<便りがとどく>というのは、おまえを決して忘れていないんだよ〜、という温かい眼差しだからこそでしょう。そして、この眼差しは実は「生まれ故郷」という狭い範囲にとどまらず、逆にこの温かい眼差しを投げかけてくれる「なにか」こそが主人公にとってほんとうの心のふるさとであり、生きていくためのよりどころなのではないでしょうか。そのような「なにか」が見つけられたならば、人生は案外と悪くないものになるのでしょうね。

 ふるさとへ 向かう最終に
  乗れる人は 急ぎなさいと
  やさしい やさしい声の 駅長が
  街なかに 叫ぶ『ホームにて』1977年)

な〜るほど、『ホームにて』『杏村から』と同じ1977年で、しかも大ヒットシングル《わかれうた》のB面でしたっけ💡

 町のねずみは 霞を食べて
  夢の端し切れで ねぐらをつくる

町のねずみ>でピンと来るのはイソップ寓話の一つ『田舎のネズミと都会のネズミ』ですが、現代の若者たちもピンと来るのでしょうかね〜。それはともかく、都会の便利さ危険さそして孤独の中であっても、人それぞれささやかな<夢の端し切れ>は抱いていると思います。

 眠りさめれば 別れは遠く
  忘れ忘れの 夕野原が浮かぶ

夢の端し切れ>とともに眠りにつけば、昨晩感じていたなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感はなんとなく慣れっこになって、日々の生活の中で<忘れ忘れ>になっていくのでしょうか。それにしても、この歌詞のなんとも美しいことよ。

 明日は案外 うまく行くだろう
  慣れてしまえば 慣れたなら

  杏村から 便りがとどく
  きのう おまえの 誕生日だったよと

・・・イヤ実は、昨日の12月2日はワタクシの誕生日だったのよ😛



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年10月30日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『あどけない話』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『あどけない話』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/326985

『あどけない話』は、1991年10月15日~27日にBunkamuraシアターコクーンで行われた、オンシアター自由劇場創立25周年記念公演「ラブミーテンダー」のための書き下ろし曲です。その劇中で歌った吉田日出子のシングル《あどけない話/歌姫》が1992年に発売され、中島みゆき本人は1993年にリリースしたアルバム《時代─Time goes around─》に収録しています。

 おとぎばなしを聞かせるなら
  「ありえないこと」と付け足しておいてよ
  おとぎばなしはみんなずるい
  どこにも日付を書いていない


『あどけない話』というタイトルで<おとぎばなし>ですからまぁフツーは他愛もない夢物語的な『あどけない話』なのでしょうけれど、中島みゆきの歌詞で<ありえないこと>に加えて<おとぎばなしはみんなずるい>とぶっ込まれると俄然怪釈が変わってきますね〜。

 昨日のこと、あさってのこと、おとといのこと
  それとも、いつ?

主人公は想いびとから(コレは既定路線ねw)おとぎばなし>=『あどけない話』=夢物語を聞かせられてそれが現実になることを期待=夢見ていますが、その話には<どこにも日付を書いていない>ワケで、現実になるのがいつなのか、はたまた現実にならないのか、確証が一切無いのでありま〜す。中島みゆきの歌詞にワリと登場する、「今のままで居続けたいし将来にも希望を持ちたいのに、未来に確証が持てないで不安になってしまう主人公」がここにも現れましたぞ👀

 船に乗り風に乗り
  どこまでもどこまでも
  私たち旅をゆく
  信じてる、迷いもなく


何やらことさらに未来をバラ色に(少し前に『バラ色の未来』も出しましたが👌)輝かせて、しかも最後にダメ押しで<信じてる、迷いもなく>ですから、これは主人公の未来に対する不安を打ち消したいがための姿勢だろうなぁと。人間というヤツらが本来的に100%誰もが未来に希望を抱くものなのかは知らんですが、この主人公のように未来に確証が持てなくなってしまうのは、期待していたのに裏切られた経験が少なくないからこそ、なのではないでしょうか💦

 おとぎばなしはみんなずるい
  どこにも日付を書いていない


ほ ら ね 。
人生なんつ〜のは、自分が望んでいるような良い未来はロクに起こらずに悪い未来ばかりが現実に起こりやがる、というモンですよね〜。かと言って・・・

 海鳴りよ 海鳴りよ
  今日も また お前と 私が 残ったね
『海鳴り』1978年)

永遠に変わらぬことを願いそのように行動したところで、逆にその結果変わらぬ自然現象である<海鳴り>と自分独り以外誰一人として残っていなくなったりもしますね。っっったく、な〜んでこうも人生は思い通りにならないんざんしょ😤

 「いつかおまえに見せてあげよう
  沈まない月も翼のある花も」
  終わることない夢のはなし
  いつまでも私 うなずきましょう


あくまでもあどけない空想の産物である<おとぎばなし>ですが、思い通りにならぬ人生に対してそれを積極的に肯定することなく「まぁそんなもんよね〜」とかなんとかうなずきながら生き続けるための方便としての意味、実は大変に大きいのだろうなぁと思わされます。現実逃避と申されるな(いやそうなんですがw)、よりどころがあらずして人生の荒波を泳ぎ切れる人物なんぞなかなかいるもんではございませぬ。<おとぎばなし>はオトナの先送りwとも思いますが、<いつまでも私 うなずきましょう>と人生をヤリ過ごすことができるならば、それはそれで名も知られぬ路傍の一介の石としてまことに立派な生き方でしょうぞ。

 双子のように似ているふたつ
  誓うことと願うことは
  うそじゃないうそじゃない
  でも人は愛すると
  叶おうが無理だろうが、夢を聞かせたくなるわ


ふむ、出だしは倒置法ですな💡
 <誓うことと願うことは 双子のように似ているふたつ

思い通りにならぬ人生において、愛する方は誓って愛される方は願う、という図式を指摘しているのでしょうか。なるほどごもっともでございますが、な〜かなかに冷徹な観点ですな。愛する方が<夢を聞かせたくなる>のはまったくもってその通りで(特にオトコのコってばさw)、愛される方がたとえ<叶おうが無理だろうが>そうあってほしいと願ってうなずくこともまたその通りだろうなと思わされます。愛し愛される間柄は互いにあどけなく<おとぎばなし>を語り合うような関係で、人生のよりどころとして素晴らしく意味のある存在なのでしょう。嗚呼、それにしてもそれにしても、人生は邯鄲の夢のごとし💡

 終わることない夢のはなし
  いつまでも私 うなずきましょう




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年8月31日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『MEGAMI』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『MEGAMI』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/340072

『MEGAMI』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の3曲め、A面5曲の真ん中です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、これから現在2024年に至るまで中島みゆきのアレンジャーがず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解です。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されて年々上がり続けているとかいろいろと余計なハナシもございまして。実はワタクシ、ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️

 子供の頃に もらったような
  甘い菓子など 飲み込めなくて
  苦いグラスに 溺れてるおまえを
  今夜もひとり ひろってゆこう


「純粋無垢な子供」と「雑念やら苦しみに満ちた大人」とを対比させる、なんつ〜のは使い古されてカビが生えていますが、だからこそ古今東西の表現者たちが手を替え品を替え使いまくるんですよね〜。それにしても、それをこのように美しい謳い出しの一連として表現してしまう中島みゆきの才覚、恐るべし。

 どのみち短い 眠りなら
  夢かと紛う 夢をみようよ


主人公の立場は女神、全てを包み込んでくれる優しさに満ちた存在と信じたいのはヤマヤマですが、ちょ〜っと待て待て。この歌詞の『MEGAMI』が与えてくれる安らぎはあくまでも<>であって、しかも<どのみち短い>束の間の安らぎにすぎないということか。まぁそれであっても長い人生、束の間の安らぎが与えてくれる「なにか」がどれほど大切であるかは皆さんよ〜っくご存知ですよね。

 おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  己れのための 愛を持たない
  おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  みかえり無用の 笑みをあげよう


主人公たる『MEGAMI』の言葉は包み込むように限りなく優しく、これが中島みゆきの歌詞であることが信じがたくすら思えますがw、その限りない優しさは『MEGAMI』の<性=さが>=持って生まれた運命→逃れられない運命であるワケで、この一連に仕込まれた<己れのための 愛を持たない>の一行のなんと寂しさ哀しみに満ちていることでしょうか。包容力やら優しさやらの裏側には共感が存在し、<みかえり無用>でとどまるどころか相手の苦しみをも引き受けてしまうことも少なからずなのであります。この境地に至るまでに主人公はどれほどたくさんの苦しみ悲しみ痛みを引き受けてきたのでしょうか。相談者に共感し過ぎてしまうカウンセラーは、遅かれ早かれ自分の心がヤラれてしまうんですよね〜。

 今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて

  おまえがこんな やさしくすると
  いつまでたっても 帰れない

  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える
『あぶな坂』1976年)

中島みゆきのファーストアルバムの口開けの『あぶな坂』の2番、この主人公もまた闘いばかりの<哀れな男>に束の間の安らぎを与える存在で、これまた哀しい存在と思えます。その「束の間の安らぎ」が美しくとも醜くとも必須の栄養であること、人生はキビしかりけり。

 あんたの 悪い夢を喰っちまいます
  あんたの 怖い夢を喰っちまいます
  あんたの つらい夢を喰っちまいます
  あんたの 泣いた夢を喰っちまいます
『バクです』2011年)

中国から伝わった伝説の動物:獏(バク)は、日本では悪夢を喰ってくれるとされています。悪夢を喰った獏もまたまことに哀しい存在。

「御乱心の時代」明けのアルバム《グッバイ・ガール》のA面真ん中にこの『MEGAMI』を配した中島みゆきの意図やいかに?



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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