フォト

カテゴリー

カテゴリー「音楽>メーカー>Bösendorfer」の99件の記事

2021年10月13日 (水)

湯山昭『お菓子の世界』から第1曲「シュー・クリーム」と第2曲「バウムクーヘン」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

湯山昭(1932- )のピアノ小品集『お菓子の世界』(1974)から第1曲「シュー・クリーム」と第2曲「バウムクーヘン」を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

古今東西のさまざまな楽曲のスタイルを親しみやすく、というネタは誰もが一度は考えるとは思いますが、コレは真の実力の試金石となるほどに難しい仕事ではないでしょうか。その難しさをさらりとコナして150版を数える大ロングセラーの実力は半端なく、楽譜の<まえがき>にありますが、湯山昭氏の子どものためのピアノ曲集というより、大人も子どもも弾いて楽しめ聴いて楽しめるピアノ曲という、大変欲ばった考えで作曲しました。という意図は十二分に達成されているんですね〜。

第1曲「シュー・クリーム」も、第2曲「バウムクーヘン」も、子どもたちのピアノの発表会にはたいてい耳にする曲でした。2曲ともけっして難しくなく、古典派古典派した杓子定規な音の羅列(子どもたちにとってはチェルニーやソナチネアルバムなんてそんなモンでしょw)でなく「それっぽい」充実感も与えてくれる曲だったのでしょうか。まぁ「生徒がつまらなそうにしたらこの曲」とピアノの先生がたが決め打ちしていたフシもございますが、それも大アリで(・x・ゞ

新しすぎず古くもないところを狙うのは多岐にわたる方面へのバランス感覚がないと難しいことですが、この曲集は1974年(元は1973年の連載用作品だった由)当時にしてその任をみごとに果たしたのではないでしょうか。その控えめに新しくオシャレな世界をそもそもがやたらと複雑な響きを持つ1894年製ベーゼンドルファーで弾いてみたところ、まことに滋味深い世界が生まれたような気がします (`・ω・´)

2021年10月 3日 (日)

Chicago Cottage Organ 社1893年製リードオルガンと1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで、Charles Mayer(1799-1862) 作曲『Jugendblüten/うるはしき青春時代, op.121』から第3曲「酒場の唄」

Adobe Premiere Pro 導入の第1号、2019年12月に録ってアップ用に仕上げたのに忘れていたwリードオルガン動画です。色合いがイマイチだったのでついでにサクッと怪良〜♪

シカゴ・コテージ・オルガン社が1893年ごろに作った大型棚つきリードオルガンで、フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻から、第56番、C.Mayer作曲という表記の『Festlied』を弾きました。この第2巻には小品が70曲おさめられており、なかなか感じ良くリードオルガン用に編集されているんですよ〜。

さてこの手の曲集には必ず編曲の手が加えられておりまして、オリジナルを探し当てるのはな〜かなか根性(と偶然w)が必要です。作曲家はCharles Mayer(1799-1862) で合っていましたが、果たして絶妙に曲名が変えられており、原曲は24曲からなるピアノ小品集『Jugendblüten, op.121』から第3曲「Trinklied」でした。

この小品集の名称『Jugendblüten』は出版譜の英訳ではナンのヒネりもなく『Album for the Young』とされていましたが、ちょっと待てよと。それならシューマンの「Jugendalbum/子供のためのアルバム」と同じなワケで、いくら150年前の独逸であっても「Trinklied」という「酒場で歌われる歌」が子供のための曲集に入っているのはいかがなモンかw・・・てなワケでリサーチ怪始。Blüteの語感を識者に問うと「結実する前、花盛り」とのこと。こりゃ〜絶っ対に「the Young」でも「子ども」でもないなと。しかるに拙訳は『Jugendblüten/うるはしき青春時代, op.121』から第3曲「酒場の唄」とでも致しましょうぞ。



この手の大型棚つきリードオルガンは100年ちょい昔の北米にはごくごく普通にあった楽器です。見た目はパイプオルガンに匹敵するくらいに派手ですが、実は普通の箱型のリードオルガンの上に豪華な装飾棚(しかも意外と軽いw)を載せているだけなので、構造や機能自体は普通のリードオルガンと一緒と考えて差し支えないのでした。見た目で身構える必要は全〜然ないんですよ〜(・o・ゞ

・リードオルガン修復:渡邉祐治
https://pianoreedorgan.jimdofree.com/

原曲のピアノ曲も弾きました。いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノです。

2021年8月30日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『永久欠番』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『永久欠番』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『永久欠番』は、1991年に発売されたアルバム《歌でしか言えない》に収録されており、2001年から東京書籍『新編 新しい国語3』(=中学校3年の国語)の最初のページに掲載されています(いつまでだったのかは不明ね(^^;)『永久欠番』は発売当初から名曲の誉れ高い曲とのことですが、実はリメイク含めて他では使われておらず、アルバム《歌でしか言えない》のみでしか聴けないんですよね〜。

「個人とはどうしても社会の中で埋もれざるを得ない存在」という、当たり前と言えば当たり前のことを冷徹に諦観と無念さとを込めて語っておきながら、最後の最後で人間の尊厳を高らかに歌い上げるという、これまた当たり前の楽曲構成。唄のラストが「ひとは え〜いきゅう けつばん〜〜〜〜〜〜〜〜」なのですが、高らかに歌い上げた最後の最後で「ん〜〜〜〜〜〜〜〜」と伸ばすという効果的とはおよそ真逆の形はどうしたことか。いや、まぁ、どうしようもないのですがw、一般的な「効果的」というのを踏み越えた表現意図って絶っ対にありますからね。けっこう地味にトンでもない曲でして、こんな曲をピアノソロに編曲するって、ま〜た難儀なんですわ、ハイ(・o・ゞ

 どんな立場の人であろうと
  いつかはこの世におさらばをする
  たしかに順序にルールはあるけど
  ルールには必ず反則もある
    街は回ってゆく 人1人消えた日も
    何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと

1番です。あたり前のことを<ルールには必ず反則もある>というセンスで語れる形に仕立てられるのはやはり真の実力のなせるワザなのでしょうが、歌詞に「反則」を使うセンス、これまたぶっ飛んでいるような。やはり、一般的な「効果的」というのを踏み越えた表現意図ですよね〜。

 100年前も100年後も
  私がいないことでは同じ
  同じことなのに
  生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
    街は回ってゆく 人1人消えた日も
    何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
    かけがえのないものなどいないと風は吹く


2番です。「個」と「集団」についてはもはや語り尽くされている感が強いですが、コレって語り尽くされたところで原理的に解決不可能なんですよね〜。現代の日本ってぇヤツは集団としての効率化をストイックに求めつづけるあまりに積極的に「個」を無視、いや、迫害/弾圧するような社会に成り果てたとすら感じていますが、ふざけんなと。「個」というものは意識しているしていないに関わらず個人が生きていることそのものに他ならず、迫害や弾圧で抑え込めるようなシロモノでは断じてございませぬ。

 愛した人の席がからっぽになった朝
  もうだれも座らせないと
  人は誓ったはず
  でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまうもの
    どんな記念碑(メモリアル) 雨風にけずられて崩れ
    人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
    だれか思い出すだろうか
    ここに生きてた私を


3番です。いや、まぁ、そうですよ、その通りなんですが、もぅ言い方が中島みゆきらし過ぎてwタマランですね。ここまでの3連で「個人なんてそんなモンだよね〜」と畳みかけられるといささかキツくなりそうなのですが、やはり中島みゆきの歌唱力のなせるワザなのでしょう、同時に「ホントにそんなもんなのかな?」という感覚を呼び覚まさせられるんですよね〜。中島みゆきの作品っていわゆる「応援歌」に限らず、なにやら「思い直させられる」ような傾向が強い気がします。

考えてみれば、中島みゆきというトップアーティストは今までの3連とはもっとも縁遠い存在なワケで、並みのアーティストだったら「オマエが言うなwww」で終わっちまいますよ〜。人間の感覚は個々人の想像をはるかに超えるほどにぶっ飛んで千差万別wなワケで、その中でトップアーティストを何十年も続けられるということは、作品の多面性がおそろしく幅広く深いがためにそれぞれの感覚に応じて姿を変えてくれることで「寄り添ってくる」感覚を呼び覚まさせられるからなのでありま〜す。これは「古典」として残っている作品に共通してみられる特徴でして、中島みゆきの作品は発表後かなりの期間を経て「売れる」ものが少なくないということ、やはり「古典」としての質を備えているのでしょうね。中学3年生の教科書に採用されたということもまたその現れであると言えましょう。

 100億の人々が
  忘れても 見捨てても
  宇宙の掌の中
  人は永久欠番


「個」の存在をはかるのは、社会的地位でも職業でも見た目でも生きた長さでも、ましてナニかの点数でもありません。否、そもそも「個として存在していること」自体が大きくて重い現象で「はかること」ができないということが本質で、これこそが「人間の尊厳」であります。

 宇宙の掌の中
  人は 永久欠番


2021年8月14日 (土)

アンドレ・カプレ『古風なスタイルに基づく3つの小品』から第1曲「メヌエット(リュリに基づく)」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

アンドレ・カプレ(1878-1925) の『3 petites pièces dans le style ancien/古風なスタイルに基づく3つの小品』の第1曲「Menuet (d’aprés LULLY)/メヌエット(リュリに基づく)」を、1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。パリの作品をウィーンの楽器で弾くのは、まぁ、ヨーロッパ東西の大都会という以外に共通点はない気もしますwが、同じ時代の空気感が愉しめるかもしれませんよ〜 (*´-`)

André Caplet/アンドレ・カプレ(1878-1925) は仏蘭西中堅の作曲家でドビュッシーと親交が篤く、繊細な作風がとりわけ素敵だったとのことです。この時代はあらゆる分野で幾多の才能が存分に花開いていましたが、作曲家としてはどうしてもドビュッシーとラヴェルあたりの超〜有名な作曲家ばかりに目が向けられがちなのは、まぁ、う〜ん、仕方ないんでしょかね〜 (´・ω・`)

『3 petites pièces dans le style ancien/古風なスタイルに基づく3つの小品』は1897年の出版ですから、このベーゼンドルファーとまさに同年代の作品です。この時代の芸術はこれから進む新しい方向を向きつつも過去の遺産にもしっかりと憧れの眼を向けていたようで、擬古典的な作品もた〜くさん産み出されていました。そして、この時代のチェンバロ復興の趨勢がモダンチェンバロという、不当にも無視されていますがなかなか興味深く実は音楽的にも相当に豊かな方向に向かったこともなにげに愉しく、そのような時代性が聴こえるような気がしませんか?

2021年8月 7日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『泣かないでアマテラス』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『泣かないでアマテラス』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『泣かないでアマテラス』は、1992年に上演された《夜会 VOL.4『金環蝕』》の終曲ですが、この《夜会》全体にわたって断片的に使われているとのことです。そして、1995年に発売されたアルバム《10 WINGS》に収録されています。このアルバム《10 WINGS》は、《夜会》のために書き下ろされた曲をまとめたアルバムで、さすがに甲乙つけがたい曲が並んで聴きごたえバッチリでしてね。

「天照大神の岩戸隠れ伝説」は、ある程度古い日本人wなみなさんは一度は聞いたことがあるでしょう(最近は習うんでしょうかね?)。太陽の神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴狼藉に怒り心頭、天岩戸(あまのいわと)にお隠れになられてしまいました。太陽の神がお隠れになったのですから世間が真っ暗になり、いろいろと大変なことどもが起こって八百万(やおよろず)の神々は大弱り。八方手を尽くした結果、天鈿女命(あめのうずめのみこと)のおもしろおかしい大騒ぎ〜最古のストリップショーとも言われますネw〜でなんとか天照大神を引きずり出すことに成功したとかいうおはなし。

 アマテラス アマテラス アマテラス どこにいるの
  アマテラス アマテラス アマテラス 泣かないで
  私には何もない 与えうる何もない


『泣かないでアマテラス』は、このように静かに語りかけるように始まります。岩戸隠れの伝説を知る人が普通に考えれば歌い手は天鈿女命(あめのうずめのみこと)になりましょうが、関係各所の情報を総合wすると、歌い手は天岩戸から解き放たれた天照大神(あまてらすおおみかみ)で、語りかけられているのは天岩戸に閉じこもっている天照大神(あまてらすおおみかみ)であるようです。《夜会 VOL.4『金環蝕』》では、常に男性に対して控えめであることを求められ抑圧されてきた大和撫子的な日本女性からの解放を訴えかけている一面がある、とのこと。まぁこれにとどまらず、《夜会》では昔の伝説と中島みゆきの創作である現代とが入り乱れるので、当然ながら異なる解釈が聞き手の心に応じて生まれます。

 アマテラス 悲しみは誰をも救わない
  アマテラス 憎しみは誰をも救わない
  私には何もない 与えうる何もない
  君をただ笑わせて
  負けるなと願うだけ
  アマテラス アマテラス どこで泣いているの
  アマテラス アマテラス 明日は泣かないで
  アマテラス アマテラス アマテラス


1番の詩です。中島みゆきらしい「応援ソング」ですね〜。例によって<明日は泣かないで>と少しヒネっているのが素敵に思えます。単純に一律に「泣かないで」と強者の論理で強く呼びかけるばかりでなく「明日は」を加えることで、ちゃぁんと「今は泣いてもいいんだよ」と逃げ道を作ってくれていますね。世の中で目立つのが強い人ばかりなのは当たり前でしょうが、実は、世の中に知られず目立たなく一生を送る弱い人の方が圧倒的に多いことに心を向ける余裕、持てるようになりたいですね (`・ω・´)

 全然泣けなくて 苦しいのは誰ですか
  全然今なら 泣いてもいいんだよ
『泣いてもいいんだよ』2014年ーももいろクローバーZへの提供曲)

ワタクシ、「弱者を思い遣る」という表現がそもそもナニか「強者の憐憫の情」のようで抵抗あるんですよ〜。違うでしょ、一人一人の存在を尊重することこそが近代人としてきはめて重要な意識ではないですか? つい先日、金メダルを本人でなく赤の他人である名古屋市長が噛む、という鬼畜の所業がございましたが、これこそが人権意識の圧倒的な欠如・無理解・誤解の象徴である醜悪極まりない姿であります。勘違いして欲しくないのですが、金メダルという一般的にきはめて貴重な文物(ですよね?)だからいけないのでは断じてござらぬ。「一個の人格にとってかけがえのない何か」を大切にする、という意識の欠片も無く個人の尊厳を平気で踏みにじれる傲慢不遜な人間性こそが幼稚で未開なのです。寫眞機を100台持っていて毎日違う寫眞機を使っても一年に3回ちょっとしか使えないでしょ、とツッコミ入れるのは、ヤボなんですよ、ヤボ。とほほほ (´・ω・`)???

 地上に悲しみが尽きる日は無くても
  地上に憎しみが尽きる日は無くても
  それに優る笑顔が
  ひとつ多くあればいい
  君をただ笑わせて
  負けるなと願うだけ
  泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
  泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで


2番です。厄介な疫病に対する上層部の無為無策、それに振り回され消耗させられて悲しみや憎しみをつのらせてネット上で攻撃する対象を見つけては暴れ回る図式、さすがに目に余りますがそりゃ〜無理もないでしょ〜と強く思いますわ。人生に理不尽なことは数限りなくございますが、それにしても今般の厄介な疫病に連関する「人為的な理不尽」ちぅか「不公平感」があまりにもあ〜んまりにも多すぎやしませんかね? さすがにこの状況で<それに優る笑顔が ひとつ多くあればいい>と思えるのは仏にもホドがあるよなぁとも思いますが、このように考えなきゃ正直やってられないぜというのもまた実感としてある気もいたします。

それにしても、最後の段の<泣いて終わらないで>は、ホントにグッと来ますね〜〜〜〜。泣かないでとは言うけれど絶対に泣いちゃいけないんじゃない、泣くのは仕方ない、でも・・・<泣いて終わらないで>!! もぅね、涙ちょちょ切れますわ。アレ?

 ほほえんで ほほえんで ほほえんで
  アマテラス!


2021年7月29日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『天鏡』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『天鏡』(てんきょう)を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『天鏡』は、2008年初演の《夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』》の終曲として書き下ろされ、翌年2009年に発売されたアルバム《DRAMA!》のラストに収録されています。このアルバム《DRAMA!》は、ミュージカル『SEMPO 〜日本のシンドラー 杉原千畝物語〜』に提供した曲から選んだ前半6曲と、夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』(2008年 - 2009年)、夜会 VOL.16『〜夜物語〜本家・今晩屋』(2009年)で歌われた書き下ろし曲から選んだ後半7曲との計13曲からなっています。

中国では古来から「鏡」を神霊視しており、帝王の権力を象徴するのが「玉鏡」「金鏡」そして「天鏡」です(そう言えば、我が国の「三種の神器」は原初は「鏡」と「剣」の二種だったそうな!)。鏡には「天下国家を映し出すもの」という意が込められているとのことで、後漢時代(25年〜220年)に広がった「讖緯(しんい)説」という政治的な予言説に、「聖天子が天下を安定させると不思議な力を持った鏡が現れ、天下が乱れれば鏡は失われる」という発想が見られるとか。

 その鏡に映るものは 隠しきれぬ愚かさと
  その鏡に映るものは 拭いきれぬ悲しみと
  その鏡に映るものは 失くしてから気が付く愛しさ


『天鏡』はこのように唄い出されます。中島みゆきを聴くほどの人材wなら、これだけで<>とは「人生=ひとの営みを映し出す何か」の暗喩だと気づくことでしょう。そして中島みゆきのライフワークたる「夜会」に一貫して流れる輪廻転生というテーマを知る人ならば、<隠しきれぬ愚かさ>や<拭いきれぬ悲しみ>は、「生まれ変わっても初期化wされない魂の業(ごう)」なんだろうなぁとも感づくことでしょう。

 その鏡を手にすることに焦れ
  戦を起こす 心を捨てる
  手にする物は 砕け散る道標


>という「ひとの営みを映し出す何か」そして「天下国家を映し出すもの」はまことに魅力的であります。それを<手にすること>は。人心を掌握して天下を握ることに他ならないですもんね。ですが、権力とは魔物であることもまた真実でありまして、な〜るほど、ここひと月ばかり(もっと長いかw)でそれこそうじゃうじゃ湧いて出てきたのは政権に群がっている心を捨てた卑しきものどもですし、それに輪をかけて東京大運動会の周辺に群がっているのも心を捨てた卑しきものども。歴史上、日本人がこれほどまでに卑しきものどもの醜悪な姿を見せつけられたことはあるのかしらん、とさえ思わさせられるほどではございませんか。おい、みんな、ここまでコケにされて黙ってるのか。いいかげんに怒ろうぜ (`・ω・´)

 その鏡は 人の手には触れることの叶わぬもの
  その鏡は 空の彼方 遥か彼方
  涙を湛えた 瞳だ


そもそも、権力なんてぇシロモノは人々を支配して悦に入りたい連中が勝手に作り出した虚構ではございませんか。まぁ確かに見事に上手に作り上げられていること自体は認めざるを得ませんが、そんな虚構ではなく、<隠しきれぬ愚かさ>に満ちて、<拭いきれぬ悲しみ>に満ちて、<失くしてから気が付く愛しさ>に満ちた自らの生を、<涙を湛えた瞳>で見据えたいではございませんか。さぁ、あなたの鏡はなんですか? そしてあなたの鏡にはナニが映っていますか〜? (*´-`)

 その鏡は 空の彼方 遥か彼方 涙を湛えた 瞳だ>

2021年7月12日 (月)

末岡武彦『前奏曲第7番<春花園(しゅんかえん)>』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

友人の作曲家、末岡武彦氏が1985年初頭に作曲した『前奏曲第7番<春花園(しゅんかえん)>/Prelude No.7 - Spring Garden』をいつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

単純明快である中にクラシカルな調性音楽の美しさが十全に詰まった佳品です。凡百の作曲者にありがちな紋切り型に終始して短いのにすぐ飽きてしまうようなカタチとは明らかに一線を画し、まことにイイ感じにパターンを崩しているところがキラリと光ってますよ〜 (*´-`)

*末岡氏による曲解説
https://takehikosueoka.web.fc2.com/s600105p.html
*末岡氏の自己紹介サイト
https://takehikosueoka.web.fc2.com/framepage03.html

2021年6月29日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『命の別名』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『命の別名』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『命の別名』は、1998年初めに放送されたTBS系ドラマ「聖者の行進」(1998年1月9日~3月27日)の第5話から主題歌として新しく作曲されました。このドラマの主題歌は最初は1992年発売のアルバム《EAST ASIA》の『糸』で、第5話から『命の別名』に変更、そして再度第10話とラストの第11話で『糸』に戻っています。この2曲は1998年2月4日に発売されたシングル《命の別名/糸》で両面A面という対等な位置づけで収録されています。ドラマの第5話はこのシングル発売直後の2月6日であり、ネットが一般的でなかった時代の売り方としてナルホドでもあります。

シングル盤発売の翌月にアルバム《わたしの子供になりなさい》が発売され、第3曲めに『命の別名』が収録されました。これはなんとシングル盤そしてドラマ主題歌の優しい口調のアレンジ(それがまた表現として強いのですが(^o^;)と全く異なり、かなり直接的攻撃的に「がなる」アレンジに変えられています。ドラマ『聖者の行進』は、知的障害者といういわゆる「社会的弱者」に焦点を当てた相当に重い問題作だったそうで、そのための書き下ろし曲が重くなるのもまた必定かと。ただいくら重い内容であってもデレビドラマの主題歌で「がなる」アレンジを採用するのは戦略上不利・・・という判断が働いたかどうかはわかりませんし、それを知ったところでナンにもなりゃしませんがw。メッセージの多面性重層性を重視する中島みゆきですから、おそらくどちらのアレンジも「本心」なんでしょうけどね〜 (*´-`)

 知らない言葉を覚えるたびに
  僕らは大人に近くなる
  けれど最後まで覚えられない
  言葉もきっとある


『命の別名』の始まりはこの一節。ドラマの題材こそ知的障害者ですが、この多面的かつ複雑怪奇な人間社会には完全無欠の存在なんで原理的にあり得ないことでして、全てのひとは程度の差こそあれ、必ず障害を抱えているのでありま〜す。現代日本人は「障害」を「障碍」と書き換えたがりますが、まるっきり偽善であり屁理屈であり、たいがいにせぇやと思いますわ。このように得意不得意(言い換えましたw)を抱えた自分という存在が自分の不得意にかかわらぬことだけを選びさえすれば人生を順風満帆に過ごせるかというと、そうは問屋がおろしませんで。得意なことを選び出すためには不得意なことも同じように知らねばならず、その過程は例外なく痛くて苦しくて哀しくて悔しいですもん。

 何かの足しにもなれずに生きて
  何にもなれずに消えてゆく
  僕がいることを喜ぶ人が
  どこかにいてほしい


とは言え、世の中はまことに不条理なモノで、ごくごく少数の世に出られる存在以外はいわゆる「世間」からは一瞥もくれられずに消えていきます。それにしても、別にネットやらマスコミやら大きなコンサート会場やらスタジアムやらの中だけが「世間」であるワケでもなし、範囲をどのように限定して充実感を得るかはこの発信手段がとんでもなく多様化した現代、相〜当〜に大切なのでしょう。「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」でもございますが、それにしてもココにも厳然と不条理が存在したりして・・・無い物ねだりは人の常w

 石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
  僕と生きてくれ


すでに1年半もコロナ禍が続いているワケで、人と関わるのは疲れますし傷つきますし面倒ですし、ホントにいいことがあるのかいな? とさえ思わされる毎日。とにかく自分も含めて日本人ってぇヤツらの救いようのない陰険さはどうしたもんかと絶望しますわ。まぁ生きるということは他人に迷惑をかけることに他ならないですけれど、それにしてもこの日本人な世間、ちぃとばかし酷すぎやしませんかね?

 くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
  君にも僕にも すべての人にも
  命に付く名前を「心」と呼ぶ
  名もなき君にも 名もなき僕にも


サビとしてホントに素晴らしい一節だと思います。<命に付く名前を「心」と呼ぶ>って、もうね、むちゃくちゃシビれますぞ。この一節のレトリックは単純な倒置法で、読み解きやすくするには・・・

 君にも僕にも すべての人にも
  くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
  名もなき君に 名もなき僕にも
  命に付く名前を「心」と呼ぶ


ですね〜。ひととして生まれて<>を得たからには<くり返す哀しみ>は等しくふりかかり、そこに灯をかざすということはすべてのひとの命を尊重することに他なりません。そして命を尊重するということは、ひとりひとりの「心」を尊重することに他なりません。まぁワタクシは誹謗中傷やら偽善やら権利侵害やら犯罪やらは尊重できず、ま〜だまだ否定してしまいますがね〜。少しは<大人に近く>なったと思いたいのですが、そこはご堪忍くださいませwww

いわゆる「名も無き弱い存在」へのエールが中島みゆきの大きなテーマの一つであるとは、少しでも中島みゆきの詩を聴き込んだひとならば簡単に思いつくでしょう。ただ考えてみれば中島みゆきって社会的成功者の中でもひときわ抜きん出た存在ですから、そんなところから単純にエールを送られても「な〜に言ってやんでぇ」と逆に反発されても無理からぬこと。それが全くそのように思われずに40年以上にわたってトップアーティストとして支持され続けているところ、こればかりは努力を伴った才能としか言いようがないなぁと。

不特定多数を相手にして言葉という比較的具体性の高い手段でメッセージを送るのって、SNSの炎上を例に挙げるまでもなく大変に難しいことですよね。そこで「詩」という抽象性の高い手段で解釈に幅を持たせるところまでは誰でも考えられるかと思いますが。例によって抽象性と具体性のサジ加減ってすんごく難しいこと。そこを割り切って単純かつワンパターンな具体性で大成功しているのが坂道シリーズなアイドルグループであったり現代アニメであったり、もはや中島みゆきであってもこの趨勢に抗い続けるのは難しいんだろうなぁ・・・と最近少し淋しいです。新しいものは古くなって飽きられるのも早いはずなんですけどね〜。

 まわるまわるよ 時代は回る(『時代』1975年)

2021年6月16日 (水)

ライネッケ『Hausmusik op.77』から第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

一昨日リードオルガンでアップした、ライネッケ(1824-1910) の『Hausmusik op.77』の第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」のオリジナルを、ライネッケが生きている時代に作られた1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

リードオルガンでは左手をばっちりレガ〜〜〜トで弾いて右手はポルタート気味に弾くことで旋律と伴奏とを別の楽器であるかのように弾き分けることができます。とゆ〜か、いかにリードオルガンが足踏みペダルの操作次第で「息の強弱」がつけられると言っても声部ごとに息の送り方が変えられるワケではございませんから、声部ごとに弾き方を変えてやらないと声部の表情と無関係な大小がつくばかりになってしまって、結局は音楽を損なってしまうのでありま〜す。この曲のような単純な曲こそ「声部ごとの弾き分け」ができているか否かの試金石であり、実はな〜かなかコワいんですね〜。

そして、ピアノの場合はリードオルガンの同じレガ〜〜〜トは原理的に不可能ですから、違う工夫が必要になります。ピアノという楽器は声部ごとの弾き分けは大小を弾き分けることで可能性を高められる楽器ですが、実は大小による表現ばかりではナゼか一生懸命さばかりが伝わってしまったりして、チト悩ましいですんね〜。要はピアノの表現として有効そうなネタを総動員しないとど〜しよ〜もないのですが、和声感あり、響きの拡がりの加減あり、リードオルガンより少し精密な右手のポルタート感あり、拍節感あり、も〜どないせぇっちゅ〜んじゃとw

鍵盤楽器ってぇヤツは楽器としては根本的に欠陥だらけで、このような不備だらけの楽器で合奏やオーケストラのような拡がりや響きの多様性を出そうと苦心惨憺することこそに逆説的な鍵盤楽器の存在意義があるのだろうなぁと思っています。「デキる楽器」では当たり前で深く考える必要がないようなポイントを「デキない楽器」でできるようになろうと苦心惨憺することが深く考えることに直結するのでしょうね。おそらく、たぶん、きっと (*´-`)



・リードオルガンによる『Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし』

2021年5月27日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『宙船(そらふね)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『宙船(そらふね)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。今回はチト編曲に調子にノり過ぎてむっちゃ難しくしてしまって四苦八苦wしましたが、なんとかアップできました。自分の力量を過信しちゃならんですな、とほほほwww

『宙船(そらふね)』は、TOKIO が歌った日本テレビ系土曜ドラマ「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」(2006年7〜9月放送)の主題歌です。中島みゆきは、この作品で「第48回 日本レコード大賞」の“作詩賞”を受賞しました。中島みゆきはこのドラマの放送が終わってわずか2ヶ月後の2006年11月22日発売のアルバム《ララバイSINGER》でセルフカバーしていますが、もともとはこのアルバムの為に用意していた曲だった(主題歌の依頼が来たのがアルバムの準備に入っていたタイミングで時間的に無理で、双方合意のもとで)とのことでコレはセルフカバーと言えるのかどうか微妙な気もしますな。TOKIOのメンバーに渡った曲のデモテープの歌は中島みゆき本人でなくしかも録音に立ち会ってもいなかったとのことで、解釈の違いがなかなか興味深いです。まぁワタクシの好みは圧倒〜的に中島みゆきのドスの効いた荒いがなり方なんですけどね〜(^x^;;;

 その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


いかにも中島みゆきの強い「男歌」ですね〜。ここで使われている<オール>ですが、船を漕ぐ「oar」のカタカナ表記と「all」のカタカナ表記をかけてますな。のっけから飛ばして普通に歌ったら喉をつぶしそうなほどに荒くがなってますが、この曲のメッセージの単純な強さからしたら大正解と思います。中島みゆきはこのような声もよ〜く使いますが、これで喉をつぶしていないのはよっぽど理解力のある的確なアドバイザーあっての芸当ではないでしょうか。正直、このがなり方、踏み越えてますぜよ。

 その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
  その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか


ふらふらと浮かぶ>のも人生ですし<ボロボロで進む>のもまた人生ですね。『宙船(そらふね)』はどうやら中島みゆきの造語のようですが、まことにセンスあふれる的確かつキャッチーな言葉だなぁと思わされます。『ガリヴァー旅行記』には空飛ぶ島がありますがコレは1726年初版(ベートーヴェンが亡くなる1年前!)『天空の城ラピュタ』が1986年公開ですが、まぁ関係ないかw

 流されまいと逆らいながら
  船は挑み 船は傷み
  すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
  その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


人生なんて満身創痍で美しくもなく整ってもなく。自分のささやかな幸せだけを願っている目立たないひとにも何故だか人生の逆風は襲いかかってくるんですよね〜。そこに友人とかなんとかいう同行者が存在するのは確かですが、結局は自分が人生の荒波に抗って漕ぎ続けるしかないという。この歌詞、中島みゆきにしては妙〜に単純でわかりやすくてwスカッとしますね〜。複雑な深読みではなく直情的な強さを前面に出した詩ですから、そりゃ〜、唄い方を荒く強くすることが理にかなっているのでしょう。

 その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
  その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
  地平の果て 水平の果て
  そこが船の離陸地点
  すべての港が灯りを消して黙り込んでも
  その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


あらゆるひとは飛び立つポテンシャルを備えているはずですが、どうしても日々の些事にかまけて忘れてしまいますね。ですが自分の手で漕ぎ続けた果てに自分にしか見えない世界が。う〜ん、さすがに単純過ぎてわざわざ怪説するまでもないですな。まぁこんなときもあってもよろしいwww

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

イベント・演奏会 グルメ・クッキング ファッション・アクセサリ レッスン 写真>Instagram 写真>昔のレンズ/カメラ 学問・資格 文化・芸術 旅行>アジア>フィリピン 旅行>アジア>中国 旅行>アジア>台湾 旅行>アジア>韓国 旅行>アジア>香港 旅行>ヨーロッパ 旅行>中南米 旅行>北米 旅行>北米>アメリカ 旅行>日本>中国地方 旅行>日本>中部地方 旅行>日本>九州地方 旅行>日本>北海道 旅行>日本>北陸地方 旅行>日本>四国 旅行>日本>山陰 旅行>日本>東北地方 旅行>日本>甲信越 旅行>日本>近畿地方 旅行>日本>関東地方 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 書籍・雑誌 鉄道 鉄道>写真 鉄道>模型 鉄道>模型>マヌ34 音楽 音楽>Soundcloud 音楽>YouTube 音楽>アンドレ・ギャニオン 音楽>オーディオ 音楽>クリストフォリピアノ 音楽>ピアノなど鍵盤楽器の歴史 音楽>ピアノ工房ピアピット 音楽>メーカー>ADLER Organ 音楽>メーカー>BECHSTEIN 音楽>メーカー>BELL Organ 音楽>メーカー>Blüthner 音楽>メーカー>Broadwood 音楽>メーカー>Bösendorfer 音楽>メーカー>Chicago Cottage Organ 音楽>メーカー>DIAPASON 音楽>メーカー>EHRBAR 音楽>メーカー>Farrand & Votey Organ 音楽>メーカー>FAZIOLI 音楽>メーカー>Grotrian 音楽>メーカー>Gröber 音楽>メーカー>HORUGEL 音楽>メーカー>KAWAI 音楽>メーカー>NISHIKAWA Organ 音楽>メーカー>Packard Organ 音楽>メーカー>PETROF 音楽>メーカー>Pleyel 音楽>メーカー>Steinway 音楽>メーカー>Streicher 音楽>メーカー>YAMAHA 音楽>中島みゆき 音楽>作曲家>Alberti 音楽>作曲家>Alkan 音楽>作曲家>Bach 音楽>作曲家>Battmann 音楽>作曲家>Beethoven 音楽>作曲家>Boëllmann 音楽>作曲家>Boëly 音楽>作曲家>Brahms 音楽>作曲家>Bruckner 音楽>作曲家>Burgmüller 音楽>作曲家>Buxtehude 音楽>作曲家>Böhm 音楽>作曲家>Cabezón 音楽>作曲家>Cage(1912-1992) 音楽>作曲家>Caplet 音楽>作曲家>Chopin 音楽>作曲家>Clark 音楽>作曲家>Clementi 音楽>作曲家>Couperin 音楽>作曲家>Czerny 音楽>作曲家>Debussy 音楽>作曲家>Dubery(1948- ) 音楽>作曲家>Dvořák 音楽>作曲家>Fauré 音楽>作曲家>Fibich 音楽>作曲家>Field 音楽>作曲家>Fischer 音楽>作曲家>Flor Peeters(1903-1986) 音楽>作曲家>Franck 音楽>作曲家>Frescobaldi 音楽>作曲家>Froberger 音楽>作曲家>Galuppi 音楽>作曲家>Giustini 音楽>作曲家>Godard 音楽>作曲家>Granados 音楽>作曲家>Grieg 音楽>作曲家>Hahn 音楽>作曲家>Haydn 音楽>作曲家>Hindemith 音楽>作曲家>Händel 音楽>作曲家>Janáček 音楽>作曲家>Lefébure-Wély 音楽>作曲家>Liszt 音楽>作曲家>MacDowell 音楽>作曲家>Marcello 音楽>作曲家>Massenet 音楽>作曲家>Mendelssohn 音楽>作曲家>Merikanto 音楽>作曲家>Moir 音楽>作曲家>Mompou 音楽>作曲家>Monti 音楽>作曲家>Mozart 音楽>作曲家>Pachelbel 音楽>作曲家>Ponce 音楽>作曲家>Reinecke 音楽>作曲家>Rinck 音楽>作曲家>Royer 音楽>作曲家>Rubinstein 音楽>作曲家>Satie 音楽>作曲家>Scarlatti 音楽>作曲家>Schubert 音楽>作曲家>Schumann 音楽>作曲家>Scriabin 音楽>作曲家>Sibelius 音楽>作曲家>Suk 音楽>作曲家>Séverac 音楽>作曲家>Tchaikovsky 音楽>作曲家>Wagner 音楽>作曲家>三島元樹 音楽>作曲家>中国人作曲家 音楽>作曲家>吉松隆 音楽>作曲家>大中寅二 音楽>作曲家>鷲見五郎 音楽>楽器>アップライトピアノ 音楽>楽器>クラヴィコード 音楽>楽器>スクエアピアノ 音楽>楽器>チェンバロ 音楽>楽器>フォルテピアノ 音楽>楽器>リードオルガン 音楽>楽器>特殊管楽器 音楽>楽器>鍵盤ハーモニカ 音楽>楽譜作成(lilypond) 音楽>蓄音器 音楽>高橋靖志ハープシコード&クラヴィコード 音楽に思うこと

最近の記事

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のコメント

無料ブログはココログ