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カテゴリー「音楽>メーカー>Bösendorfer」の94件の記事

2021年7月29日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『天鏡』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『天鏡』(てんきょう)を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『天鏡』は、2008年初演の《夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』》の終曲として書き下ろされ、翌年2009年に発売されたアルバム《DRAMA!》のラストに収録されています。このアルバム《DRAMA!》は、ミュージカル『SEMPO 〜日本のシンドラー 杉原千畝物語〜』に提供した曲から選んだ前半6曲と、夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』(2008年 - 2009年)、夜会 VOL.16『〜夜物語〜本家・今晩屋』(2009年)で歌われた書き下ろし曲から選んだ後半7曲との計13曲からなっています。

中国では古来から「鏡」を神霊視しており、帝王の権力を象徴するのが「玉鏡」「金鏡」そして「天鏡」です(そう言えば、我が国の「三種の神器」は原初は「鏡」と「剣」の二種だったそうな!)。鏡には「天下国家を映し出すもの」という意が込められているとのことで、後漢時代(25年〜220年)に広がった「讖緯(しんい)説」という政治的な予言説に、「聖天子が天下を安定させると不思議な力を持った鏡が現れ、天下が乱れれば鏡は失われる」という発想が見られるとか。

 その鏡に映るものは 隠しきれぬ愚かさと
  その鏡に映るものは 拭いきれぬ悲しみと
  その鏡に映るものは 失くしてから気が付く愛しさ


『天鏡』はこのように唄い出されます。中島みゆきを聴くほどの人材wなら、これだけで<>とは「人生=ひとの営みを映し出す何か」の暗喩だと気づくことでしょう。そして中島みゆきのライフワークたる「夜会」に一貫して流れる輪廻転生というテーマを知る人ならば、<隠しきれぬ愚かさ>や<拭いきれぬ悲しみ>は、「生まれ変わっても初期化wされない魂の業(ごう)」なんだろうなぁとも感づくことでしょう。

 その鏡を手にすることに焦れ
  戦を起こす 心を捨てる
  手にする物は 砕け散る道標


>という「ひとの営みを映し出す何か」そして「天下国家を映し出すもの」はまことに魅力的であります。それを<手にすること>は。人心を掌握して天下を握ることに他ならないですもんね。ですが、権力とは魔物であることもまた真実でありまして、な〜るほど、ここひと月ばかり(もっと長いかw)でそれこそうじゃうじゃ湧いて出てきたのは政権に群がっている心を捨てた卑しきものどもですし、それに輪をかけて東京大運動会の周辺に群がっているのも心を捨てた卑しきものども。歴史上、日本人がこれほどまでに卑しきものどもの醜悪な姿を見せつけられたことはあるのかしらん、とさえ思わさせられるほどではございませんか。おい、みんな、ここまでコケにされて黙ってるのか。いいかげんに怒ろうぜ (`・ω・´)

 その鏡は 人の手には触れることの叶わぬもの
  その鏡は 空の彼方 遥か彼方
  涙を湛えた 瞳だ


そもそも、権力なんてぇシロモノは人々を支配して悦に入りたい連中が勝手に作り出した虚構ではございませんか。まぁ確かに見事に上手に作り上げられていること自体は認めざるを得ませんが、そんな虚構ではなく、<隠しきれぬ愚かさ>に満ちて、<拭いきれぬ悲しみ>に満ちて、<失くしてから気が付く愛しさ>に満ちた自らの生を、<涙を湛えた瞳>で見据えたいではございませんか。さぁ、あなたの鏡はなんですか? そしてあなたの鏡にはナニが映っていますか〜? (*´-`)

 その鏡は 空の彼方 遥か彼方 涙を湛えた 瞳だ>

2021年7月12日 (月)

末岡武彦『前奏曲第7番<春花園(しゅんかえん)>』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

友人の作曲家、末岡武彦氏が1985年初頭に作曲した『前奏曲第7番<春花園(しゅんかえん)>/Prelude No.7 - Spring Garden』をいつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

単純明快である中にクラシカルな調性音楽の美しさが十全に詰まった佳品です。凡百の作曲者にありがちな紋切り型に終始して短いのにすぐ飽きてしまうようなカタチとは明らかに一線を画し、まことにイイ感じにパターンを崩しているところがキラリと光ってますよ〜 (*´-`)

*末岡氏による曲解説
https://takehikosueoka.web.fc2.com/s600105p.html
*末岡氏の自己紹介サイト
https://takehikosueoka.web.fc2.com/framepage03.html

2021年6月29日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『命の別名』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『命の別名』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『命の別名』は、1998年初めに放送されたTBS系ドラマ「聖者の行進」(1998年1月9日~3月27日)の第5話から主題歌として新しく作曲されました。このドラマの主題歌は最初は1992年発売のアルバム《EAST ASIA》の『糸』で、第5話から『命の別名』に変更、そして再度第10話とラストの第11話で『糸』に戻っています。この2曲は1998年2月4日に発売されたシングル《命の別名/糸》で両面A面という対等な位置づけで収録されています。ドラマの第5話はこのシングル発売直後の2月6日であり、ネットが一般的でなかった時代の売り方としてナルホドでもあります。

シングル盤発売の翌月にアルバム《わたしの子供になりなさい》が発売され、第3曲めに『命の別名』が収録されました。これはなんとシングル盤そしてドラマ主題歌の優しい口調のアレンジ(それがまた表現として強いのですが(^o^;)と全く異なり、かなり直接的攻撃的に「がなる」アレンジに変えられています。ドラマ『聖者の行進』は、知的障害者といういわゆる「社会的弱者」に焦点を当てた相当に重い問題作だったそうで、そのための書き下ろし曲が重くなるのもまた必定かと。ただいくら重い内容であってもデレビドラマの主題歌で「がなる」アレンジを採用するのは戦略上不利・・・という判断が働いたかどうかはわかりませんし、それを知ったところでナンにもなりゃしませんがw。メッセージの多面性重層性を重視する中島みゆきですから、おそらくどちらのアレンジも「本心」なんでしょうけどね〜 (*´-`)

 知らない言葉を覚えるたびに
  僕らは大人に近くなる
  けれど最後まで覚えられない
  言葉もきっとある


『命の別名』の始まりはこの一節。ドラマの題材こそ知的障害者ですが、この多面的かつ複雑怪奇な人間社会には完全無欠の存在なんで原理的にあり得ないことでして、全てのひとは程度の差こそあれ、必ず障害を抱えているのでありま〜す。現代日本人は「障害」を「障碍」と書き換えたがりますが、まるっきり偽善であり屁理屈であり、たいがいにせぇやと思いますわ。このように得意不得意(言い換えましたw)を抱えた自分という存在が自分の不得意にかかわらぬことだけを選びさえすれば人生を順風満帆に過ごせるかというと、そうは問屋がおろしませんで。得意なことを選び出すためには不得意なことも同じように知らねばならず、その過程は例外なく痛くて苦しくて哀しくて悔しいですもん。

 何かの足しにもなれずに生きて
  何にもなれずに消えてゆく
  僕がいることを喜ぶ人が
  どこかにいてほしい


とは言え、世の中はまことに不条理なモノで、ごくごく少数の世に出られる存在以外はいわゆる「世間」からは一瞥もくれられずに消えていきます。それにしても、別にネットやらマスコミやら大きなコンサート会場やらスタジアムやらの中だけが「世間」であるワケでもなし、範囲をどのように限定して充実感を得るかはこの発信手段がとんでもなく多様化した現代、相〜当〜に大切なのでしょう。「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」でもございますが、それにしてもココにも厳然と不条理が存在したりして・・・無い物ねだりは人の常w

 石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
  僕と生きてくれ


すでに1年半もコロナ禍が続いているワケで、人と関わるのは疲れますし傷つきますし面倒ですし、ホントにいいことがあるのかいな? とさえ思わされる毎日。とにかく自分も含めて日本人ってぇヤツらの救いようのない陰険さはどうしたもんかと絶望しますわ。まぁ生きるということは他人に迷惑をかけることに他ならないですけれど、それにしてもこの日本人な世間、ちぃとばかし酷すぎやしませんかね?

 くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
  君にも僕にも すべての人にも
  命に付く名前を「心」と呼ぶ
  名もなき君にも 名もなき僕にも


サビとしてホントに素晴らしい一節だと思います。<命に付く名前を「心」と呼ぶ>って、もうね、むちゃくちゃシビれますぞ。この一節のレトリックは単純な倒置法で、読み解きやすくするには・・・

 君にも僕にも すべての人にも
  くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
  名もなき君に 名もなき僕にも
  命に付く名前を「心」と呼ぶ


ですね〜。ひととして生まれて<>を得たからには<くり返す哀しみ>は等しくふりかかり、そこに灯をかざすということはすべてのひとの命を尊重することに他なりません。そして命を尊重するということは、ひとりひとりの「心」を尊重することに他なりません。まぁワタクシは誹謗中傷やら偽善やら権利侵害やら犯罪やらは尊重できず、ま〜だまだ否定してしまいますがね〜。少しは<大人に近く>なったと思いたいのですが、そこはご堪忍くださいませwww

いわゆる「名も無き弱い存在」へのエールが中島みゆきの大きなテーマの一つであるとは、少しでも中島みゆきの詩を聴き込んだひとならば簡単に思いつくでしょう。ただ考えてみれば中島みゆきって社会的成功者の中でもひときわ抜きん出た存在ですから、そんなところから単純にエールを送られても「な〜に言ってやんでぇ」と逆に反発されても無理からぬこと。それが全くそのように思われずに40年以上にわたってトップアーティストとして支持され続けているところ、こればかりは努力を伴った才能としか言いようがないなぁと。

不特定多数を相手にして言葉という比較的具体性の高い手段でメッセージを送るのって、SNSの炎上を例に挙げるまでもなく大変に難しいことですよね。そこで「詩」という抽象性の高い手段で解釈に幅を持たせるところまでは誰でも考えられるかと思いますが。例によって抽象性と具体性のサジ加減ってすんごく難しいこと。そこを割り切って単純かつワンパターンな具体性で大成功しているのが坂道シリーズなアイドルグループであったり現代アニメであったり、もはや中島みゆきであってもこの趨勢に抗い続けるのは難しいんだろうなぁ・・・と最近少し淋しいです。新しいものは古くなって飽きられるのも早いはずなんですけどね〜。

 まわるまわるよ 時代は回る(『時代』1975年)

2021年6月16日 (水)

ライネッケ『Hausmusik op.77』から第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

一昨日リードオルガンでアップした、ライネッケ(1824-1910) の『Hausmusik op.77』の第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」のオリジナルを、ライネッケが生きている時代に作られた1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

リードオルガンでは左手をばっちりレガ〜〜〜トで弾いて右手はポルタート気味に弾くことで旋律と伴奏とを別の楽器であるかのように弾き分けることができます。とゆ〜か、いかにリードオルガンが足踏みペダルの操作次第で「息の強弱」がつけられると言っても声部ごとに息の送り方が変えられるワケではございませんから、声部ごとに弾き方を変えてやらないと声部の表情と無関係な大小がつくばかりになってしまって、結局は音楽を損なってしまうのでありま〜す。この曲のような単純な曲こそ「声部ごとの弾き分け」ができているか否かの試金石であり、実はな〜かなかコワいんですね〜。

そして、ピアノの場合はリードオルガンの同じレガ〜〜〜トは原理的に不可能ですから、違う工夫が必要になります。ピアノという楽器は声部ごとの弾き分けは大小を弾き分けることで可能性を高められる楽器ですが、実は大小による表現ばかりではナゼか一生懸命さばかりが伝わってしまったりして、チト悩ましいですんね〜。要はピアノの表現として有効そうなネタを総動員しないとど〜しよ〜もないのですが、和声感あり、響きの拡がりの加減あり、リードオルガンより少し精密な右手のポルタート感あり、拍節感あり、も〜どないせぇっちゅ〜んじゃとw

鍵盤楽器ってぇヤツは楽器としては根本的に欠陥だらけで、このような不備だらけの楽器で合奏やオーケストラのような拡がりや響きの多様性を出そうと苦心惨憺することこそに逆説的な鍵盤楽器の存在意義があるのだろうなぁと思っています。「デキる楽器」では当たり前で深く考える必要がないようなポイントを「デキない楽器」でできるようになろうと苦心惨憺することが深く考えることに直結するのでしょうね。おそらく、たぶん、きっと (*´-`)



・リードオルガンによる『Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし』

2021年5月27日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『宙船(そらふね)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『宙船(そらふね)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。今回はチト編曲に調子にノり過ぎてむっちゃ難しくしてしまって四苦八苦wしましたが、なんとかアップできました。自分の力量を過信しちゃならんですな、とほほほwww

『宙船(そらふね)』は、TOKIO が歌った日本テレビ系土曜ドラマ「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」(2006年7〜9月放送)の主題歌です。中島みゆきは、この作品で「第48回 日本レコード大賞」の“作詩賞”を受賞しました。中島みゆきはこのドラマの放送が終わってわずか2ヶ月後の2006年11月22日発売のアルバム《ララバイSINGER》でセルフカバーしていますが、もともとはこのアルバムの為に用意していた曲だった(主題歌の依頼が来たのがアルバムの準備に入っていたタイミングで時間的に無理で、双方合意のもとで)とのことでコレはセルフカバーと言えるのかどうか微妙な気もしますな。TOKIOのメンバーに渡った曲のデモテープの歌は中島みゆき本人でなくしかも録音に立ち会ってもいなかったとのことで、解釈の違いがなかなか興味深いです。まぁワタクシの好みは圧倒〜的に中島みゆきのドスの効いた荒いがなり方なんですけどね〜(^x^;;;

 その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


いかにも中島みゆきの強い「男歌」ですね〜。ここで使われている<オール>ですが、船を漕ぐ「oar」のカタカナ表記と「all」のカタカナ表記をかけてますな。のっけから飛ばして普通に歌ったら喉をつぶしそうなほどに荒くがなってますが、この曲のメッセージの単純な強さからしたら大正解と思います。中島みゆきはこのような声もよ〜く使いますが、これで喉をつぶしていないのはよっぽど理解力のある的確なアドバイザーあっての芸当ではないでしょうか。正直、このがなり方、踏み越えてますぜよ。

 その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
  その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか


ふらふらと浮かぶ>のも人生ですし<ボロボロで進む>のもまた人生ですね。『宙船(そらふね)』はどうやら中島みゆきの造語のようですが、まことにセンスあふれる的確かつキャッチーな言葉だなぁと思わされます。『ガリヴァー旅行記』には空飛ぶ島がありますがコレは1726年初版(ベートーヴェンが亡くなる1年前!)『天空の城ラピュタ』が1986年公開ですが、まぁ関係ないかw

 流されまいと逆らいながら
  船は挑み 船は傷み
  すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
  その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


人生なんて満身創痍で美しくもなく整ってもなく。自分のささやかな幸せだけを願っている目立たないひとにも何故だか人生の逆風は襲いかかってくるんですよね〜。そこに友人とかなんとかいう同行者が存在するのは確かですが、結局は自分が人生の荒波に抗って漕ぎ続けるしかないという。この歌詞、中島みゆきにしては妙〜に単純でわかりやすくてwスカッとしますね〜。複雑な深読みではなく直情的な強さを前面に出した詩ですから、そりゃ〜、唄い方を荒く強くすることが理にかなっているのでしょう。

 その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
  その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
  地平の果て 水平の果て
  そこが船の離陸地点
  すべての港が灯りを消して黙り込んでも
  その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


あらゆるひとは飛び立つポテンシャルを備えているはずですが、どうしても日々の些事にかまけて忘れてしまいますね。ですが自分の手で漕ぎ続けた果てに自分にしか見えない世界が。う〜ん、さすがに単純過ぎてわざわざ怪説するまでもないですな。まぁこんなときもあってもよろしいwww

2021年5月23日 (日)

スクリャービン『4つの小品 op.56』から第3曲「ニュアンス/Nuances』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

スクリャービンの『4つの小品 op.56』から第3曲『ニュアンス』 をいつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

スクリャービンは神秘思想にたいへんに傾倒し、晩年(と言ってもせいぜい40歳なのですが)には自らの生み出した「神秘和音」を執拗に使い倒す一種行き止まり的な音楽を書き続けました。神経質で大変な潔癖症だったのですが、なんと感染症がもとで亡くなってしまったというのがなんとも気の毒というか人間の業の現れというか、複雑な気持ちにさせられますね〜。スクリャービンの世界は自らの独自な論理そして思想の中に閉じこもってその中での美しさそして幸せを追求し続けたかのように見えますが、さすがに人類の歴史に残るほどの大変態wですから、やはり妙に心に訴えてくる「ナニか」を強烈に備えているように思えます。

『4つの小品 op.56』は1908年の出版。次の『2つの小品 op.57』とともに「神秘和音」の萌芽が随所に見られ、えも言われぬ浮遊感を備えているように感じます。この第3曲『ニュアンス』は比較的わかりやすく、そのため逆に不思議な雰囲気も出しやすかったりします。この1894年製ベーゼンドルファーは現代では失われてしまったこの時代の楽器の響きを現代に伝えてくれている生き証人ですから、このような不思議さが十全に体験できるんですよ〜 (*´-`)

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケでして、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていた時代ですから、たかが現代日本人がこの時代のピアノを使ったところでそれを強く強く念頭に置いて弾かないと一発で返り討ちされるのが怖く、またオモシロいのでありま〜す (`・ω・´)



・op.57-1 欲望/Désir

2021年5月15日 (土)

ヒンデミット『フルートソナタ』から第1楽章を、20世紀初頭の木製フルートとベーゼンドルファーで(フルート:石井孝治)

ヒンデミット(1895-1963)の『フルートソナタ』から第1楽章を、石井孝治さんの20世紀初頭のハンミッヒによる銘器と1894年製ウィーン式ベーゼンドルファーとで合わせました。我ながら、よもやヒンデミットをこのベーゼンドルファーで弾く日が来るとは想像だにしませんでしたが、なんともイイ感じの合奏ができたと思います。

ヒンデミットのフルートソナタは1936年の作曲。この年にナチスによって公式にヒンデミット作品の演奏が禁止されるなど弾圧が強まり始めていたタイミングですが、このような外的要因が作品にどの程度影響したかは本人が明白な意図を持っていると表明した場合以外に邪推するのは全く無意味ですね。政治的な要因にしても、楽器の限界的な要因にしても、音楽語法の好み的な要因にしても、一言で「要因」として片付けるにはあまりにも複雑にからみ合っていますからね〜。

石井孝治さんのハンミッヒ製木管フルートは、フランスのベーム式ではありますがまさにヒンデミットがドイツで活動していた時代のドイツの楽器。楽器に寄り添うように偏りなくす〜っと鳴らせるのが石井さんの真骨頂で、ウチの1894年製(ヒンデミットの1歳年上ですネ)ベーゼンドルファーとの合奏がなんとも心地良くて (*´-`)

2021年5月14日 (金)

ヒンデミット『フルートソナタ』から第2楽章を、20世紀初頭の木製フルートとベーゼンドルファーで(フルート:石井孝治)

ヒンデミット(1895-1963)の『フルートソナタ』から第2楽章を、石井孝治さんの20世紀初頭のハンミッヒによる銘器と1894年製ウィーン式ベーゼンドルファーとで合わせました。

ヒンデミットのフルートソナタは1936年の作曲。この年にナチスによって公式にヒンデミット作品の演奏が禁止されるなど弾圧が強まり始めていたタイミングですが、このような外的要因が作品にどの程度影響したかは本人が明白な意図を持っていると表明した場合以外に邪推するのは全く無意味ですね。政治的な要因にしても、楽器の限界的な要因にしても、音楽語法の好み的な要因にしても、一言で「要因」として片付けるにはあまりにも複雑にからみ合っていますからね〜。

石井孝治さんのハンミッヒ製木管フルートは、フランスのベーム式ではありますがまさにヒンデミットがドイツで活動していた時代のドイツの楽器。楽器に寄り添うように偏りなくす〜っと鳴らせるのが石井さんの真骨頂で、ウチの1894年製(ヒンデミットの1歳年上ですネ)ベーゼンドルファーとの合奏がなんとも心地良くて (*´-`)

2021年4月30日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『あした』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『あした』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『あした』は、KDD(現KDDI)のCM「001」に使われた、中島みゆき初のCMソングです。1989年3月リリースの第24作めのシングル《あした》が発売され、翌1990年のアルバム《夜を往け》に少しだけアレンジを変えて収録されていまして、この動画はアルバム《夜を往け》収録バージョンを耳コピしました。『あした』『糸』大ヒット以前の定番とも言われることがあるほどの曲だそうですが、なるほど確かにしっとりした落ち着きの中に相手に向けた強い感情に満ちた迫力を秘めた、はかなくも強く美しい曲だと思います。

 イヤリングを外して 綺麗じゃなくなっても
  まだ私のことを見失ってしまわないでね


恋は盲目と申しまして一瞬にして燃え上がるものですが、それが愛となるためには持続可能wになるためのさまざまな障壁がございますね。非日常が日常となるみたいなモンですから、その過程でそれまで気づかなかった相手のしょ〜もない素顔がわらわらとw湧いて出てきて「百年の恋もいっぺんで醒める」ような悲劇も数知れず。しかも、ここでは<見失ってしまわないでね>ですからそれどころではなく、恋人という特別な存在(=目につく存在)が特別でない存在(=目につかない存在)になってしまいかねない、という日常化の残酷な一面をえぐっていますね (`・ω・´)

 カーラジオが嵐を告げている
  2人は黙りこんでいる
  形のないものに 誰が
  愛なんてつけたのだろう 教えてよ


隣に相手がいるのが当たり前の車の中ですが、普通の天気予報ではなく嵐の予報。恋という非日常には形がありますが愛という日常はに形がない・・・と指摘されれば、なるほど、そのような一面があってもおかしくはないのかも知れません。人生にはなんとも皮肉で切ない切り口があるもんですね〜。形がないから日常として持続するのか日常として持続させるために形がなくなるのかで分けてまとめるのも乱暴にすぎますけど。

 もしも明日 私たちが何もかもを失くして
  ただの心しか持たないやせた猫になっても
  もしも明日 あなたのため何の得もなくても
  言えるならその時 愛を聞かせて


『あした』のサビ、中島みゆきは真摯な愛を悲痛な声を絞り出すように唄いあげます。この『あした』が使われたKDD「001」のCMがネット上に2種類とも確認できましてな(すごい時代ですわ〜)。最初のCMはスーツケースが移動するだけの地味なものでAメロの2番が使われており、のちに切り替えられたCMは海外赴任とおぼしき彼氏を出国審査場入り口まで笑顔で見送るも彼氏が背中を見せたとたんに別れの辛さに号泣するというものでさすがのこのサビが使われておりました(この悲しきヒロインは若かりし奥貫薫とのこと)1989年といえばバブル真っ最中、そのような時代にこのような真摯な愛を唄いあげる曲をリリースしてしかもオリコンチャートの100位以内が33週連続を叩き出すとは、やはりさすがの中島みゆきではございませんか。

 ガラスならあなたの手の中で壊れたい
  ナイフならあなたを傷つけながら折れてしまいたい


真摯な愛であってもただひたすらに美しいだけでなくこのようないささか病的な方向に突き進んでしまう場合もあり得るのがひとの心の複雑なところですが、このような少し怖い人間の業を唄わせたら中島みゆきの右に出るものなし。この一連は冷静に考えれば現代のストーカーに他ならないワケですが、それを1989年のバブル真っ最中に唄いつつ、なにやら妙に美しい一連にまとめてくるんですよね〜。中島みゆきってホントに不思議な芸術家なんだなぁと。

 何もかも愛を追い越して
  どしゃ降りの1車線の人生
  凍えながら2人共が
  2人分傷ついている 教えてよ


非日常である恋は全てに勝りますが、ひとたび日常となった愛は形がないがゆえに「支払い」や「成績」などwという形がある生活やら仕事やら子育てやらに追い越されがちでしょう。この『あした』では人生とはどしゃ降りの中を凍えながら歩む1車線の片道道路。中島みゆきはすでに『あした』に先立つこと12年の1977年に『ホームにて』で成功という汽車に乗れるかどうかという比喩で人生を描いておりますし、その5年後の1982年には『傾斜』でひたすら坂道を登るという比喩で人生を描いています。

人生が苦難の連続であるのは誰しも認めざるを得ないと思いますが、この『あした』には同行者と共に1車線の人生を歩んでいるという何よりも大きな救いがありますね。愛には恋のように燃えるような形こそございませんが、愛そのものが人生の同行者という強い味方であり、よりどころなのでしょう。してみると、中島みゆきの絞り出すような悲痛な声はただ悲痛なだけでないように聴こえてきませんか? (*´-`)

 もしも明日 私たちが何もかもを失くして
  ただの心しか持たないやせた猫になっても
  もしも明日 あなたのため何の得もなくても
  言えるならその時 愛を聞かせて


2021年4月23日 (金)

フォーレ『コンクール用小品』を、19世紀末のフルートとベーゼンドルファーで(フルート:石井孝治)

先日(4/17)、古き佳き時代の楽器の音色そして表現をことのほかお好みなだけでなく、正統的な現代の楽器演奏としてまとめられる実力者:フルートの素来聡子さんと石井孝治さんとの YouTube しぅろくを激狭の拙宅秘蔵の1894年製ウィーン式アクションのベーゼンドルファーを使って決行しましてな。

この動画で石井孝治さんの使っているフルートは19世紀末の仏蘭西はクロード・リーヴ/Claude Rive 製の銘器です。リーヴはルイ・ロットと並び立つ名工という評価ですが、工房を開いていたのが1877〜1895年までの20年足らずで初代で終わってしまったためか、残存する楽器は非常に少ないです。

フォーレ(1845-1924)のこの『コンクール用小品』は、1898年に作曲されたパリ音楽院の初見視奏のための問題として作曲された単なる教育用の実用曲ですが、ま〜なんともヤルことてんこ盛りでいぢわるなことw。なお、フォーレは1896年にパリ音楽院の作曲法と対位法の教授となっています。

19世紀末は、科学技術と人間の霊的な感性とがおそるべき融合を見せていた時代です。このような時代に作り上げられた曲と楽器から生み出される深い響きの世界をどうぞ味わってくださいませ!


Gabriel Fauré(1845-1924)
- Morceau de concours for Flute and Piano(1898)

Flute: Koji ISHII - Claude Rive(late 19c.)
Piano: Kazutaka TSUTSUI - Bösendorfer(1894, 85keys) with Viennese action

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