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カテゴリー「音楽>メーカー>Bösendorfer」の119件の記事

2023年5月30日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『ギヴ・アンド・テイク』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『ギヴ・アンド・テイク』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『ギヴ・アンド・テイク』は2011年11月にリリースされたアルバム《荒野より》の一曲で、『夜会VOL.17 2/2』で主人公とその恋人とのデュエットで短く唄われているオリジナル曲です。2011年といえば3月11日にあの恐ろしい東日本大震災が起きた年、このアルバム《荒野より》にはそれを意識してメッセージが随所に込められているという解釈が少なくなく、それぞれに説得力ある論が展開されていて興味深いです。

 Give & Take 与えられることは
  Give & Take 心苦しくて
  困ってはいない 望んでもいない そんなふうに言うのは
  返せない借りだと恐れてしまうから

何かしてもらったときにお返ししなきゃ、という気持ちが芽生えるのは普通に素直な感覚だと思います。ただそれを「貸借勘定」のような感覚で捉えてしまうところ、ちぃとばかし厄介な人間関係が透けて見えてきますね〜。

 Give & Take 施し物は
  Give & Take 人をみじめにする
  気がひけてしまう うつむいてしまう そんなふうに思うのは
  返せない借りだと恐れてしまうから


『ギヴ・アンド・テイク』の歌詞では、このいささか厄介な心持ちが繰り返し投げかけられます。何かを与えられることが借りを作ることであってすなはち相手に優位に立たれることだと感じてしまうとき、いろいろと理由を作ってそれを拒みたくなります。なるほど、わかるわかる。

 Give Take それは違うよ
  僕は君から貰える
  君が受けとって呉れる ほら僕は貰えている


ですが、厚意というものは別に見返りを求める気持ちではないですよね。厚意的にナニか手伝うという行動はめっちゃ単純に人間の尊さだと思うのですが、昨今の社会情勢を見聞きするに、その厚意の受け取り側がやたらと恐縮するとか、ことさらにお礼を言いつのるような場面が目につきます。ちょっとしたことでバカみたいに炎上するネット世界を生まれた時からつぶさに観察して育っている世代にとっては、どんなに厚意的な行動であってもそれは「負い目」であって、だからこそ逆にいわゆる「きちんとした対応」ができなければ人生が詰んでしまうほどの重大で恐ろしいことなのかも知れません。

いやはや、まぁ、ねぇ、わからんでもないですよ、人から嫌われるのってそりゃ〜コワいでしょうよ。ですが、考えていただきたい。そのような姿勢って、厚意を与えてくれた相手に対する信頼、ひいては自分が生きている世界に対して信頼がない態度に他ならないのですぞ。与えられた厚意を自らに課せられた借りであるとみなしてしまうのって、言わせてもらえばかなり下卑た根性で、そのような根性が透けて見える人物に幸せなんて訪れ得るでしょうか。

だいたい、個々人が考えて配慮できる程度の「 き ち ん と し た ほ に ゃ ら ら 」なんて、どれほどのモンでもないですってばさ。も〜ちょっと自分に対して優しくなって、お互いにそこそこ甘えられる環境を広げていきたいと思いませんか〜?(*´-`)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年4月30日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『はじめまして』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『はじめまして』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『はじめまして』は1984年にリリースされたアルバム《はじめまして》の最後を飾る一曲です。このアルバム《はじめまして》は、中島みゆきが自らの理想とするサウンドをとことん追求しそして迷走したいわゆる「ご乱心時代」初期の産みの苦しみの結果の渾身のアルバムとのこと。

アルバムが《はじめまして》かつ最後の曲が『はじめまして』とはコレいかにですが、この曲の歌詞は中島みゆきではないほどにwストレートかつ前向きな歌詞なんですよね〜。前のアルバム《予感》からこのアルバム《はじめまして》まで一年半の間が空いておりいかにも産みの苦しみ、そして次のアルバム《御色なおし》はわずか半年後のリリースとなっています。なるほど、アルバム《はじめまして》は新生中島みゆき、乞うご期待だわよっ、というメッセージがてんこ盛りなのでしょうね〜。

 新しい服を着る 季節のように
  今来た道を 忘れてしまう


新緑の今の季節にぴったりのフレーズで、春は年度替わりで別れと出会いの季節、というのも決まり文句ですな。

 枯れた枝 落とすように
  悲しい人を 他人のように忘れてしまう


もうね、こういうフレーズが出てきてこその中島みゆきで、この期待を裏切らず何の衒いもない対語法はもはや心地よさすら感じます。<悲しい人>とは自分にとっての<悲しい人>で、字句通りに<忘れてしまう>ではなく、一歩ヒネって、悲しい部分なんて誰にだってあるに決まってるから切り替えていきましょ、と捉える方が季節がわりで始まるこの詞にふさわしい気がします。

 シカタナイ シカタナイ そんなことばを
  覚えるために 生まれて来たの


2番はこう始まります。この全体的にストレートに前向きなこの曲にど〜して<シカタナイ>をぶっ込んでくるのかに妄想をハタラかせたくなるのが中島みゆき読みのサガwwwでござる。歌詞ですから1番と関連づけるのは必ずしも的確とは思いませんが、1番の<他人のように忘れてしまう>が字句通りにハイ、サヨナラ、もう他人〜ではなく、あ〜も〜、まったく〜、と思いつつもやっぱり忘れたくないのではないでしょうか。

こういう感覚があらゆる人づきあいにつきものなのは、少しでも人生を送れば邪魔くさいくらいにwご存じでしょう。この<シカタナイ>な感覚は別に後ろ向きでもなんでもなく、明るい未来(言い過ぎ?)のためになくてはならない感覚とまで言いたくなるのは、やはりメンドくさいオジさんな証拠かしらんwww。まぁ中島みゆきですから当〜然恋愛が基本でしょけどね〜。

 少しだけ 少しだけ 私のことを
  愛せる人もいると思いたい


どんなに順風満帆に見えても自己肯定感に満ちていても、期待はずれのない人生を送れる人なんで皆無でしょう。期待が大きければ失望もそれだけ大きい、とは使い古されたフレーズですが、さまざまな経験を積んだ結果として期待を<少しだけ>にしておくというのは心の平安のためにきわめて有効、です、よね?

やはり思い出すのは・・・

 まわるまわるよ 時代はまわる
  喜び悲しみくり返し
  今日は別れた恋人たちも
  生まれ変わって めぐりあうよ
(1976年『時代』

『はじめまして』は、他者との関係性をうたっている形こそ取ってはいますが、実は今までの自分と訣別して生まれ変わるわよっ、という自らの心持ちを<はじめまして 明日(のわたし、そしてあなた!)>という言葉に託しているのではないでしょうか。このどストレートに明るく前向きな調子はカラ元気な感じがしないでもないですがw、不安と期待がないまぜになった年度替わり、別れと出会いの季節、春ですね〜(*´-`)

 はじめまして 明日
  はじめまして 明日
  あんたと一度 つきあわせてよ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年3月31日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『地上の星』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『地上の星』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『地上の星』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の斬り込み隊長にふさわしくめっっっちゃカッコ良い一曲です。このアルバム《短篇集》に先だって『地上の星』そして『ヘッドライト・テールライト』NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌としてオンエアされ、2曲ともアルバム《短篇集》のみに収録される予定だったところ、ファンからの要望で急遽この2曲をシングル盤として発売したとのことです。

NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』のプロデューサーが中島みゆきファンでもあり、『命の別名』(1998年)の<名もなき君にも 名もなき僕にも>というフレーズが無名の人々の活躍を取り上げる『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主旨と合致していたことから主題歌とエンディング曲を依頼した、という経緯がありまして。『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の人気も手伝って『地上の星』は驚異的なロングヒットとなり、中島みゆきは2002年大晦日の「第53回NHK紅白歌合戦」にデビュー27年目にして初出場、その後の2003年1月20日付オリコン・シングルチャートで『地上の星』は発売後130週目にして第1位を獲得しました。

『地上の星』の歌詞は中島みゆきにしてはきはめて単純ですが、やはりさすがのテクニックが随所に光っていますぞ。

 風の中のすばる
  砂の中の銀河
 <草原のペガサス
  街角のヴィーナス
 <崖の上のジュピター
  水底のシリウス


すばる>も<銀河>も本来は星の集合体として光り輝く存在なのに<風の中><砂の中>にかき消され埋もれる存在とされ、<ペガサス>も<ヴィーナス>も本来は神話の主人公として光り輝く存在なのに<草原><街角>という普通の風景に溶け込む存在とされ、<ジュピター>も<シリウス>も本来は天空にひときわ明るく光り輝く存在なのに<崖の上><水底>という見失われがちな場所に置かれる存在とされています。この発想、無名の人々の活躍への賛歌としてまさにコロンブスの卵ですよね〜。それに加えて・・・

 <みんな何処へ行った 見守られることもなく
 <みんな何処へ行った 見送られることもなく

ですから、そもそも見失われがちな存在がさらに影が薄くさせられ、もうなんともはや。

 <地上にある星を誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる
 <名立たるものを追って 輝くものを追って
  人は氷ばかり掴む

それにしてもいつも思うのは、中島みゆきという存在自体は<地上の星>なんてハズもなく何十年もトップを走っている天空の星であるのに、このような歌詞を「お前が言うな」とならずに抵抗なく読ませてくれるということ。これがTwitterとかの短い文字だけだとまた違ってくるwのでしょうが、歌詞と音楽というともに抽象度が高い媒体をハンパない巧みさで操れる中島みゆきという人物だからこそにじみ出せる説得力なんだろうなと。

 つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
  つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年2月23日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『ヘッドライト・テールライト』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

本日(2/23)は中島みゆきの71歳の誕生日、名曲の誉れ高くしっとりと心に染みる美しさ極まる『ヘッドライト・テールライト』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『ヘッドライト・テールライト』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の最後を飾る、美しく心に染みわたる珠玉の一曲です。このアルバム《短篇集》に先だって『地上の星』そして『ヘッドライト・テールライト』NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌としてオンエアされ、2曲ともアルバム《短篇集》のみに収録される予定だったところ、ファンからの要望で急遽この2曲をシングル盤として発売したとのことです。

 語り継ぐ人もなく
  吹きすさぶ風の中へ
  紛れ散らばる星の名は
  忘れられても


唄い出しはこんな感じでして、ごくごく少数の世に出られる存在以外のいわゆる「世間」から一瞥もくれられずに消えていく普通の人生を詠じていますね。なるほど『地上の星』と対になっている曲で、しかもちゃぁんとココに<>の一語を入れているところ、統一感を与えるための常套手段とはいえ、なんともニクいですわ〜。

 宇宙の掌の中
  人は 永久欠番
『永久欠番』1991年)

いわゆる「名も無き存在」へのエールが中島みゆきの大きなテーマの一つであるとは、少しでも聴き込んだひとならば簡単に思いつくでしょう。この手のエールはそれこそ枚挙にいとまがございませぬ。

 足跡は 降る雨と
  降る時の中へ消えて
  称える歌は
  英雄のために過ぎても


やはり中島みゆきの詞には<>が入らないとですね〜。一個人の力でもどうしようもできないような無力感を表現するには、やはり<>でなくっちゃ。

 地上にある星を誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる
『地上の星』2000年)

>が輝くのは<>であり、<>にのぼって注目されるのは<英雄>に他ならず、地上(むしろ「地べた」が適切か)を這いつくばる「名も無き存在」の<足跡>は<降る雨と 降る時の中へ消えて>しまうという、まっこと的確としか言いようのない例えではございませぬか。そう言えば、中島みゆき、こんな表現もしてましたっけね。

 どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
  人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
  だれか思い出すだろうか
  ここに生きてた私を
『永久欠番』1991年)

時による淘汰はめっちゃくちゃ残酷で、ひととき光り輝いた存在があっという間に色褪せてしまうことのなんと多いことでしょうか。まして、光り輝かなかった存在なんぞ誰も思い出してくれようハズがございません。あぁ人生は虚しいw

 行く先を照らすのは
  まだ咲かぬ見果てぬ夢
  遥か後ろを照らすのは
  あどけない夢

  ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
  ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない


1番2番で<ヘッドライト・テールライト>を説明せずにサビとして繰り出しておいて3番で答え合わせをする・・・というアイディア、「あぁなるほど!」と誰もが得心するでしょう。夢があってこその人生というといささか重いでしょうが、なぁに、大それた夢である必要なんぞなく、自分そして近しい人たちにとってのささやかな幸せこそが<あどけない夢>なのかも知れません。このようなほんのささやかな幸せさえもがじわじわと奪われようとしている現在、せめて庶民のささやかな幸せが<見果てぬ夢>となってしまわないことを切に祈ります。

 ファイト!  闘う君の唄を
  闘わない奴等が笑うだろう
  ファイト!  冷たい水の中を
  ふるえながらのぼってゆけ
『ファイト!』1983年)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年1月29日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『銀の龍の背に乗って』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『銀の龍の背に乗って』はドラマ『Dr. コトー診療所』(第一期:2003年7月3日〜9月11日。第二期:2006年10月12日〜12月21日)の主題歌として書き下ろされ、同年2003年にリリースされたシングル《銀の龍の背に乗って》の一曲(B面は『恋文』)です。ドラマ『Dr.コトー診療所』は南国の離島で地域医療に日夜挑む青年医師の物語で、この主題歌『銀の龍の背に乗って』では青年医師の苦悩そして決意が壮大に唄われています。昨年2022年12月16日にこの『Dr.コトー診療所』の続編が劇場版としてなんと16年の時を経て封切られてただいま絶賛上映中、ひさびさにこの曲を耳にした方も少なくないのではないでしょうか。

 あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
  まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている


ドラマは具体的なできごとを描きますが、詞や音楽は抽象的だからこそ受け手の心のあり方によって姿を変えてくれますね。誰かが傷んでいるのがわかっているのに自分は力及ばず駆けつけられぬ、というもどかしさは、『Dr.コトー診療所』の内容にてらせば、よそ者である青年医師の心のうちとか、充分な医療支援を受けさせられない離島の現状とか、誤解曲解を正しきれない現実とか、強大な自然を目の当たりにした無力感とかが想起されるのでしょうか。まぁ人生の荒波やら不条理やらは多かれ少なかれ自らの「力及ばず」がきっかけとなるモンでしょうから、皆さんこの一節から自分のさまざまな体験を想起して頷かせられるところ大なのではないでしょうか。

 急げ悲しみ 翼に変われ
  急げ傷跡 羅針盤になれ


「力及ばず」は悔しくつらい体験ですが、その結果として<悲しみ>そして<傷跡>は案外と奮起する方向を決める原動力となるものでして、それが<>であり<羅針盤>なんでしょね。<>がなくては移動できませんし同時に<羅針盤>がなくては進む方向が示せないワケで、この暗喩、さすがというべきか相変わらずというべきか、ほんっっっと冴えてますわ〜。

ここまでが1番の前段、これからが後段です。

 夢が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけだった昨日
  明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
  銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
  銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


震えて待ってるだけだった昨日>とは<この非力を嘆いている>かつての自分ですが、いよいよ<夢が迎えに>きてくれて<悲しみ>が<>に変わり<傷跡>が<羅針盤>になって、曲もそれに合わせて嬰へ短調から嬰ヘ長調に転調させてグッと前向きになっています。コレはまぁ常套手段なのですが、それに止まることなくわずか2行=8小節でサビの<銀の龍の背に乗って…>を嬰ヘ長調の平行短調である嬰ニ短調にグイッと寄せているテクがなんともニクいです。

「長調は明るい、短調は暗い」という紋切り型二元論wがそこいらでよく語られますが、こんなに単純にしたら理解できるものも理解できなくなるのではないかしらんねぃ・・・とかねがね思っているワタクシでして。このサビの<銀の龍の背に乗って…>では、長調から短調にグイッと寄ることで中島みゆきのドスの効いた声質も相まって決意表明としてむっちゃ力強い表現となっていると感じます。そりゃ〜暗めであることで力強さをより感じさせているのも確かなのですが、「短調は暗い」というテストの回答で止まってしまってはチト感心しませんね〜(・x・ゞ

 銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
  銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


自らの翼で羽ばたいてではなくいつの間にか<銀の龍の背に乗って>になっているトコに突っ込むのは野暮の極みとしてwww、このサビの2行のカッコよさたるや、中島みゆきには素晴らしき「応援ソング」が数多いですがその中でも白眉とさえ思わされます。TVドラマの製作発表の際の中島みゆきからのこのコメントもむべなるかな!

 この作品なら多感な少年のみならず、多感な大人のみなさんにこそきっと何かを共感していただけるのではないかと確信いたしまして新しい曲が生まれました。放送を楽しみにしております



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年1月14日 (土)

ヘルマン・ネッケ『夜のケーニヒス湖上散歩, op.241』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ヘルマン・ネッケ/Hermann Necke(1850-1912) という名前でピンと来る方はもはや少なくなってしまったかも知れませんが、あの(懐かしのw)運動会の定番ちぅの定番『クシコス・ポスト』の作曲者でありま〜す。この曲『Nachtfahrt auf dem Königssee/夜のケーニヒス湖上散歩, op.241』は1892年にライプツィヒで出版されており、まさにそのタイミングである1894年にウィーンで作られたベーゼンドルファーで弾く音色には史料的価値があると思いますよ〜(*´-`)

さてこの曲はおそらく録音されておらず、当然ながら出来合いの邦訳があるハズもございませぬ。Nachtfahrt は Nacht(夜)+ fahren(乗り物で移動する)が名詞になったみたいなモンwで、auf dem は「〜の上(on the ですナ)」、そして Königssee はザルツブルクの南のドイツがオーストリアにぐいっと食い込んでいる場所に位置している山に囲まれたまことに風光明媚な湖で湖上遊覧が有名・・・と思いきや、Neckeが生涯を過ごしたドイツ西部のDürenの近郊にも小さくて素敵な Königssee がありまして、どのケーニヒス湖なのかはわからんというwww

ともあれ、獨逸弁の『Nachtfahrt auf dem Königssee』は直訳すると『ケーニヒス湖上での夜間移動』となりまして、さらにこの曲には「Barcarolle」という標記があることから、夜のケーニヒス湖で舟遊びしている様子を詠んだのだろなぁと。「ケーニヒス湖」という固有名詞に邪魔されてイカした邦訳をヒネり出しにくいですが、まぁ『夜のケーニヒス湖上散歩』とでも申しましょうかという流れでございました(・o・ゞ



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年1月 1日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『最後の女神』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

謹賀新年のタイミングで別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『最後の女神』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。今年もよろしくお願いします(*´-`)

『最後の女神』は1993年にリリースされた両A面シングル《時代/最後の女神》の一曲で、カップリングされた名曲の誉れ高い『時代』はリメイク版です。リメイク版『時代』とカップリングされている曲ということで、今回の『最後の女神』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面『傷ついた翼』の次に弾く曲として一応は意味があるwんですね〜。

そして、この『最後の女神』は、TBS系報道番組「筑紫哲也NEWS23」の1993年10月~1994年3月のエンディング曲として書き下ろされています。1993年11月10日の放送では、筑紫哲也と対談して『最後の女神』の創作意図を語っています。

 願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの。
  そういうところからできごとは起こってくるんです。そのおおもとの
  ところの歌にしたいな、って願いで作ったんですけどね
(1993年11月10日「筑紫哲也NEWS23」中島みゆき)

報道番組とは日々新しいできごとを伝えるのが使命ですが、そのような番組であってもエンディング曲を日々新しくするのは現実的ではないワケでw。それならば、その<おおもと>となる<人間の心の熱みたいなもの>を曲にしよう・・・と。いかにも根源性や普遍性を歌にすることが多い中島みゆきらしい着想だなぁと思います。

 いちばん最後に見た夢だけを
  人は覚えているのだろう
  幼い日に見た夢を 思い出してみないか


『最後の女神』はこんな緩やかなイントロで始まります。「三つ子の魂百まで」と申しますが、日々をコナすだけで精一杯になりがちなせわしない日常、その中で回帰できるような自らの魂のよりどころってなんなのでしょうね。

 あぁ あれは壊れたオモチャ
  いつもいつも好きだったのに
  僕には直せなかった
  夢の中で今も泣いてる


こ、これはなんとも切ないですわ〜。誰でも夢は持っていたでしょうが、それを正しく認識して的確に育んで「業」として生き抜いていけるヒトがどれほど稀であるか。フツーの「デキる人材」がこんなことを言ったところで「おまえが言うな」で終わってしまうでしょうが、中島みゆきの詩ではなにやら共感を覚えさせられてしまいます。さすがはポップス界でトップを駆け続けている稀な人材だからこその有無を言わせぬ説得力でありま〜す。

 まだ見ぬ陸を信じて
  何故に鳥は海をゆけるの
  約束を載せた紙は風の中
  受けとめてくれる人がいるだろうか


ひとりひとりは独自の人生を歩むわけで、その目的地がどこにあるかなんて誰にもわからない・・・というのはもはや言い古され尽くしたw古典的な感覚でしょう。その、いわば憧れに満ちながらも言いようのない不安な感覚は誰でも抱いているでしょうが、それをこのように美しく表現してしまうのが中島みゆきなんでしょうね。そういえば、

 、 人生は素人につき『人生の素人』2017年)

こんなアジな表現もしてましたっけ(*´-`)

 心は変わる誰もが変わる
  変わりゆけ変わりゆけ もっと好きになれ


心は変わる誰もが変わる>と中島みゆきに言われたら、安定の「心変わり→フラれる」に決まってるじゃ〜ん、と誰もが思うところでこう来るとはなんともニクく、起承転結の「転」としてさすがですな。冷静に考えれば、この曲、報道番組のエンディングなんですけどwww

 あぁ あれは最後の女神
  まぎれもなく君を待ってる


あれ>という指示代名詞は、指示する語がない場合にはなにやら漠然とした存在を指し示す語として使われ、という文法的な怪説がピッタリくるような。漠然とした存在であるのに同時に<まぎれもなく>なところが<最後の女神>たる所以かと。なるほど、中島みゆき本人の言うところの<願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの>の暗喩として秀逸な言葉の選択だなぁと感じ入ります。

 あぁ あれは最後の女神
  天使たちが歌いやめても




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年12月25日 (日)

吉松隆「プレイアデス舞曲集 第5巻 op.51(1992)」第6曲『真夜中のノエル』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

吉松隆の素敵なピアノ曲集「プレイアデス舞曲集」の第5巻 op.51 は1992年の出版、その第6曲『真夜中のノエル』をいつもの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。この『真夜中のノエル』は数ある「プレイアデス舞曲集」の中でも非常に有名で、いかにも冷たく張り詰めた冬の夜の空気が美しく描かれていますよ〜。

この曲は冬の夜中の情景描写であると同時に、真夜中の夢であるとか、温かく幸せなクリスマスの団らんであるとか、はたまたプレゼントへの期待感であるとか、個々人それぞれのイメージによってさまざまな姿を見せてくれるような気がします。コレって音楽というきわめて抽象的な世界だからこそ起こりうる、多様性バンザイな方向ですね。

さて、皆さん、どのようなクリスマスをお過ごしでしょうか? メリークリスマス(*´-`)

2022年12月 2日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『傷ついた翼』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

本日12/2はワタクシの56歳の生誕記念日でございまして、別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『傷ついた翼』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『傷ついた翼』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面の曲で、『時代』の知名度があまりにもあまりにもw高くてワリを食ってしまっている曲とも言えそうな。ですが実は『傷ついた翼』は1975年5月18日の「第9回ポピュラーソングコンテスト本選会」(いわゆる「ポプコン」ですね)で入賞してプロデビューするきっかけになった記念すべき作品なんですぞ。この流れでは当然ポプコンのライヴレコードが発売されて『傷ついた翼』がシングル盤A面でリリースされるはずだったのですが、なんらかの事情(目論見でしょうね〜w)『傷ついた翼』のシングルカットは見送られてデビューシングルは『アザミ嬢のララバイ』となったという。

ポプコン一週間後、1975年5月25日付の十勝毎日新聞の記事の中で、中島みゆきはこう語っています。

<他人に評価されたい、注目されたいという気持ちが、あたしのどこかにあったみたい。そんな自分の気持ちに嫌気がさしてきたから、しばらく歌を作るのをやめていたんです。行き詰ったんですね、ひとなみに。だから本当に素直な気持ちになって作ったのがこれなんですよ。>

そりゃぁね、人前で歌を歌うコンクールに出るってぇコトは<他人に評価されたい、注目されたい>以外のナニモノでもないワケで、この葛藤は実に古典的な誰もが通る道ですわな。この記事が当時の中島みゆきの本心を忠実に反映させているかどうかはともかくとしてw、最初期の中島みゆきも<ひとなみ>な一面をちゃぁんと備えていたということ、なんだかホッとしませんかの?(*´-`)

 時は流れゆき 思い出の船は港をはなれ
  通りすぎてゆく人達も 今はやさしく見える
  そんなある日 想い出すわ あの愛の翼


この出だし、結果的に一緒にシングルカットされた『時代』の世界観とま〜るで一緒ですよね〜。これこそがプロデューシングの妙、現代のようなキャッチーさでなくじっくり聴かせようという方向、まことに好ましいと思います。

 そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
  あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
『時代』1975年)

あるタイミングでは気づけなかったことが何年も経ってから「そ〜だったのか!」と気づくことは誰しも経験あるかと思います。さらに時間が経つとそれがナニやらむず痒いような甘酸っぱい感覚でよみがえってくることもまた誰しも経験あるのではないでしょうか。自らの青春時代を懐かしむとき、ヒトは独特な感覚を抱きますよね〜。

 そうね あの頃は悲しくて だれの言葉も聞かず
  愛の翼にも気づかずに つきとばしてきたのよ
  何も言わぬひとみの色 今見える
  愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ


2番に相当する一連です。も〜、思い当たるフシが多すぎてそこら中がむず痒くなりますけどw、ホント、当事者であるときはあり得ないくらいにな〜んにも気づかないモンですよね〜。中島みゆきの詩には「応援ソング」的な方向が一種はっきりと感じさせられますが、その萌芽はココにあったのでしょうか。

 傷ついた翼思うたび 胸ははげしく痛む
  遅すぎなければ この想いのせて もう一度飛んで
  泣いているわ 愛の翼 今見える


>が象徴するナニか、それは誰かが決めつけるモノではなく、それぞれが想い出の中に秘めているナニかですよね。いみじくも「後悔先に立たず」と申しますが、<遅すぎなければ>と語っている以上は自分がヤラかしてしまったナニかが遅すぎることは本人が一番わかっていることでしょう。それでも<もう一度飛んで>みたいと思いたくなるのもまた無理もないこと、夢を果たせるヒトはほんの一握りですが、甘酸っぱい感傷を抱きながらその夢を追い続ける、いや、想い続けることは、それなりに人生を歩み続ける支えになるような気がいたします。中島みゆきは世間一般から見れば断然「夢を叶えられた存在」ですが、そのような存在が市井の名もない存在に心を砕くような歌詞を書いて反発でなく共感を得られていること、やはり詩と音楽の力がズバ抜けている証左ではないでしょうか。冷静に見直せば一般的なことがらをフツーに語っているに過ぎないとすら思える中島みゆきの歌詞、しかしそれは聴き手それぞれにとっては自分一人にとって投げかけられたメッセージになるんですね〜。デビューから40年以上もポップスの世界の先頭を走り続けている実力、やはりハンパなく恐るべしです。

 愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年10月31日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『旅人のうた』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『旅人のうた』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『旅人のうた』は、前年1994年に放送された日本テレビ系ドラマ『家なき子』の続編『家なき子2』の主題歌として書き下ろされ、1995年発売のシングル《旅人のうた》として発売されました。このシングルもオリコンシングルチャートで好成績を収め、中島みゆき4作目の1位獲得、そして前作に引き続きオリコンで3作目のミリオンセラーとなりました。

さらに『旅人のうた』は1996年発売のアルバム《パラダイス・カフェ》の斬り込み隊長として収録されていますが、これはシングルとは違うバージョンになっています。この動画ではシングル版を弾いていまして、重くも力強い推進感のある「ざっざかざっざか」したベースが心地よいです。ですが、コレ、ピアノの左手で弾こうとするとウマいこと手のひらの力が抜けていないとツリそうになるんですよ〜〜〜(・x・ゞ

 男には男のふるさとがあるという
  女には女のふるさとがあるという
  なにも持たないのは さすらう者ばかり
  どこへ帰るのかもわからない者ばかり
  愛よ伝われ ひとりさすらう旅人にも
  愛よ伝われ ここへ帰れと


ドラマ『家なき子2』の主題歌をこのように始めること、なるほど。「家なき子」には帰れるふるさとはないわけで、確かに<さすらう者>なんですよね〜。「家なき子」の置かれた状況はかくも過酷ですが、そこに差し伸べられる手は、やはり<>なのであります。そしてハタと思い当たるのは・・・たとえ<ふるさと>のような帰る物理的存在があったとしても、心のよりところがなくては人は迷いさすらい寂しいままなんだよなぁ、ということ。コレ、現代人の孤独として言い古されているのは百も承知で、昨今SNSでちょっとしたきっかけで過度に攻撃的になってしまう輩の激増を嘆かざるを得ません。

さて2番。

 西には西だけの正しさがあるという
  東には東の正しさがあるという
  なにも知らないのは さすらう者ばかり
  日ごと夜ごと変わる風向きにまどうだけ
  風に追われて消えかける歌を僕は聞く
  風をくぐって僕は応える


時と場合そして置かれた立場などによって<正しさ>何てぇシロモノは簡単に正反対になるということ、一度社会を知るとイヤというほど直面させられますよね。それでも人は<風に追われて消えかける>ような<正しさ>を求めるという、ホントに因果な存在だと思わされますわ。同時に、自分の見聞そして論理こそが正しいと臆面もなく言い放つ輩が激増している昨今のSNSであることよw

そして、嬰ト短調の力強さから嬰ハ長調に転調して歌い上げられるのがこのサビ、題名の『旅人のうた』の公式英訳が "TRAVELLERS SONG" ではなく "WANDERERS SONG" とされているのが納得ですね。それにしても、この転調ってばまことにドラマチックでたまらんですぜ〜(*´-`)

 あの日々は消えてもまだ夢は消えない
  君よ歌ってくれ僕に歌ってくれ
  忘れない忘れないものも ここにあるよと




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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