中島みゆき 作詞/作曲『杏村から』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『杏村から』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『杏村から』は1977年にリリースされた研ナオコの通算4枚目のアルバム《かもめのように》に収録された、中島みゆき作詞作曲の提供曲です。そして翌1978年の春のツアーで中島みゆき本人が歌い、1981年にシングル《あした天気になれ/杏村から》として発売されています。なんとも美しくじ〜んわり来る情景と心象が渾然一体となったこの雰囲気、さすがさすがの初期の中島みゆきであります。かつてのシングル盤のB面って案外と佳曲が多くて渋〜い存在、な〜んと1982年にカセットテープ(!)で《中島みゆきB面コレクション》なるモノが発売されていたりますね〜😝
<ふられふられて 溜息つけば
街は夕暮れ 人波模様>
初期の中島みゆきですから<ふられふられて>は想い人にフラれたと脊髄反射してしまいますが、まぁ人生長い短いに関わらず、人と関われば思い通りにコトが運ばないことなんぞいくらでもありますネ。やることなすこと裏目に出てしまうときのなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感は誰しも経験あるでしょう。
<子守唄など うたわれたくて
とぎれとぎれの ひとり唄をうたう>
他人なんぞ我関せずな帰宅を急ぐ夕暮れの雑踏の中の主人公、そりゃ〜誰かしらに慰めてもらいたいでしょうがそれも叶わず、<ひとり唄をうたう>というのが都会という<街>にあふれる孤独。そう、主人公だけでなく、夕暮れの雑踏を形づくる皆が寂しく孤独なのが都会なんですね。団地住まいで隣人の姿を見たことすらないことが増えてきた、と指摘されるようになったのは1970年代後半よりもう少し後だったようになんとなく記憶していますが、この都会の孤独を美しい唄として託してしまった20代半ばの中島みゆき、恐るべし。
<明日は案外 うまく行くだろう
慣れてしまえば 慣れたなら>
これは単純な倒置法ですね。ひっくり返すとナルホドでありま〜す💡
<慣れてしまえば 慣れたなら
明日は案外 うまく行くだろう>
都会の孤独の中で生きていくためには、それに慣れてしまうのが手っ取り早いと言えば手っ取り早いワケで。孤独を感じていても明日は必ずやってきますし、ひとと関わらないワケにもいかず、まぁ孤独な状況に<慣れてしまえば>案外とうまく行ったりするっちゃする感じもしますなw
<杏村から 便りがとどく
きのう おまえの 誕生日だったよと>
孤独を唄っている曲なのになんとも美しく温かい雰囲気の理由がここで解決(なにげにコレも倒置法ですな)。都会に生きる主人公の孤独を癒してくれるのは、やはり<杏村>として隠喩されている「ふるさと」なんですね。誕生日当日ではなく翌日に<便りがとどく>というのは、おまえを決して忘れていないんだよ〜、という温かい眼差しだからこそでしょう。そして、この眼差しは実は「生まれ故郷」という狭い範囲にとどまらず、逆にこの温かい眼差しを投げかけてくれる「なにか」こそが主人公にとってほんとうの心のふるさとであり、生きていくためのよりどころなのではないでしょうか。そのような「なにか」が見つけられたならば、人生は案外と悪くないものになるのでしょうね。
<ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ>(『ホームにて』1977年)
な〜るほど、『ホームにて』も『杏村から』と同じ1977年で、しかも大ヒットシングル《わかれうた》のB面でしたっけ💡
<町のねずみは 霞を食べて
夢の端し切れで ねぐらをつくる>
<町のねずみ>でピンと来るのはイソップ寓話の一つ『田舎のネズミと都会のネズミ』ですが、現代の若者たちもピンと来るのでしょうかね〜。それはともかく、都会の便利さ危険さそして孤独の中であっても、人それぞれささやかな<夢の端し切れ>は抱いていると思います。
<眠りさめれば 別れは遠く
忘れ忘れの 夕野原が浮かぶ>
<夢の端し切れ>とともに眠りにつけば、昨晩感じていたなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感はなんとなく慣れっこになって、日々の生活の中で<忘れ忘れ>になっていくのでしょうか。それにしても、この歌詞のなんとも美しいことよ。
<明日は案外 うまく行くだろう
慣れてしまえば 慣れたなら
杏村から 便りがとどく
きのう おまえの 誕生日だったよと>
・・・イヤ実は、昨日の12月2日はワタクシの誕生日だったのよ😛
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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