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2026年1月 1日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『バクです』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

2026年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくおつき合いのほどを。

中島みゆきの『バクです』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*この編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/385285

『バクです』は2011年11月にリリースされたアルバム《荒野より》の一曲で、それに1ヶ月先立って『荒野より』とのカップリングのシングルが発売されています。2011年といえば3月11日にあの恐ろしい東日本大震災が起きた年、このアルバム《荒野より》にはそれを意識してメッセージが随所に込められているという解釈が少なくなく、それぞれに説得力ある論が展開されていて興味深いです。

この曲は中島みゆきのアレンジを長年任されて絶大なる信頼を置かれている瀬尾一三をイメージした曲とされています。瀬尾一三は1973年に『貘』というタイトルのソロアルバムを発表しており、「中島みゆきTOUR2010」のツアーパンフの「自分を動物に例えると?」という質問に「貘」と答えていたりもしますね〜。

「バク」とは漢字では「貘(獏)」で、人の悪夢を喰うといわれている想像上の動物です。もともと中国では貘が悪夢を喰うという記述はありませんが邪気を払うとはされており、それが日本に伝わったタイミングかどこかで「悪夢を喰う」と解釈されるようになったようで、室町時代末期には貘が「悪夢を喰う」という設定になっていたとのことです。いい初夢が見られるように七福神が乗る宝島の絵を枕の下に敷いて眠るという風習がありますが、江戸時代には悪い夢を喰ってくれる「貘」の字を宝島の帆の部分に書くことがあったとか。

 バクです バクです 今の今からバクになる
  バクです バクです バクになることに したんです


最初に主人公が<バクになることに したんです>と決意表明していますが、コレって悪夢を食べる存在になるという決意表明ですから、優しく無邪気そうな声色とは裏腹にちょ〜っと穏やかならざる雰囲気を感じてしまいませんか?

 あんたの 悪い夢を喰っちまいます
  あんたの 怖い夢を喰っちまいます
  あんたの つらい夢を喰っちまいます
  あんたの 泣いた夢を喰っちまいます


これぞ中島みゆきによる悪夢諸相、これら全部(いや、もっといろいろ)を<喰っちまう>存在になろうとしているのですから、実はなみなみならぬ悲壮な覚悟だったりするのですぞ。バクは悪夢を喰う設定な想像上の動物ですが、それだけに終わらせずに悪夢を喰ったバクがどうなるのかに眼差しを向けるところ、も〜いかにも中島みゆきならではの穿ちかたですね〜。

 <バクはまったく平気なんです 痛くもかゆくもないんです

ほらね。いくらバクが夢を喰う想像上の動物でも、バクになった主人公が<あんた>の悪夢全てを喰い続けて<痛くもかゆくもない>ハズはございません。<痛くもかゆくもないんです>ってわざわざ言うってぇコトは一種の自己暗示、まぁかゆくはないかもしれませんがw、ホントはすっっっごく痛いんですよ〜💦

 腹いっぱいになりすぎたなら ふわりふわりと浮きそうだ
  そしたらバクは夢を見るんだ そしたらバクは夢を見るんだ
  笑ってるあんたの夢を見る


バクになった主人公は<あんたの>悪夢を喰ってすっっっごく怖く、つらく、泣きたいはずなのに、<ふわりふわりと浮きそうだ>と。こりゃ〜カラ元気でしょうが、<腹いっぱいになりすぎたなら>眠くなってふわりふわりと夢の世界にいざなわれることもまた確かですな。それでいながらバクになった主人公の見る夢は<笑ってるあんたの夢>なのですから、<ふわりふわりと>軽く実態感のない夢の中であっても、ど〜しようもなく寂しい。あんたの悪夢を喰って<笑ってるあんた>を実際に見ているのではなく<笑ってるあんた>を夢の中で見ているのですから、その<笑ってるあんた>は夢から覚めたら消えてしまうんですよ〜〜〜😭

だいたいそもそも、夢を喰らうバクが夢を見るところからしてめっちゃネジくれてまして、この『バクです』でバクが見ている夢は実は寝ている時に見る夢であると同時に、「あんたのバク」になろうと決意した主人公の「あんた」へ向ける切なる願い、とも読めます。「夢」とはこのように二面性を備える単語で、「願い」を「夢」と読み替えるとき、往々にしてその願いが叶う可能性は低いワケです。主人公から<あんた>への切なる願いは<>ですから、叶う可能性はかなり低いのです。いやはや、ホントに、泣けますね。

そういえば、中島みゆきは《CONCERT'95 LOVE OR NOTHING》の舞台で

 <夢は、叶った方がいいです。でも叶わない夢もあります。
  姿を変えでもしない限り、叶いようのない夢もあります。
  だからどんなに、姿形を変えようとも、どんなに傷ついてでも、
  あなたの夢がいつか叶いますように>


と言ってましたっけ。1995年は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が立て続けに起こった年、この言葉が呼び覚ましてくれる何かはただひたすらに大きいです。それにとどまらず、2011年の東日本大震災があって最初にリリースしたのが『荒野より』と『バクです』とのカップリングのシングルですから、ここにも深く重いメッセージを感じます。一流の芸術家は常人の浅知恵が及びもしないほどの関連づけ・意味づけを行う存在ですから、これが偶然であろうハズがないのではないでしょうか。

 あんたの 悲しいことを喰っちまいます
  あんたの 寂しいことを喰っちまいます
  あんたの 苦しいことを喰っちまいます
  あんたの 痛いことを喰っちまいます


2番ですが、1番を「あんたのバク」になろうと決意した主人公の心の痛みの現れと読んでしまうと、<悲しい><寂しい><苦しい><痛い>と繰り返されるだけで胸が締めつけられます。<こと>は「夢」をさらに抽象化させており、ここで「夢」を「願い」と置き換えると

 <あんたの 悲しい願いを喰っちまいます
  あんたの 寂しい願いを喰っちまいます
  あんたの 苦しい願いを喰っちまいます
  あんたの 痛い願いを喰っちまいます>

となり、「あんたのバク」になろうと決意した主人公は、願いを果たせなかった<あんた>の痛みを自らの痛みとして受け入れる存在となったのです。

 バクはまったく悪もの喰いで 何んでも彼んでも喰うんです
  心配されても その心配さえ うまいうまいと喰いそうだ
  バクは1人で喰い続けてる バクは1人で喰い続けてる
  笑ってるあんたの夢を見るまで


2度繰り返される<バクは1人で喰い続けてる>がめ〜っちゃグッときますね。主人公は<あんた>の痛みを自らの心の痛みとして受け入れて、それだけでなく願いを果たして<笑ってるあんた>になって欲しいと切に願い続けているのでしょう。この一連の最後は倒置法で、平易に直すと
 笑ってるあんたの夢を見るまで
  バクは1人で喰い続けてる


ですね。1番では腹いっぱいになって笑ってるあんたの夢を見るだけですが、2番では<笑ってるあんたの夢を見るまで><1人で喰い続けてる>のですから、このバクの寂しさたるやいかばかりでしょう。

 バクの上に夢よ降り積め あんたの捨てたい夢よ降れ

三好達治の『雪』ですね。『雪』はたった2行だけの詩ですが、この一度見たら忘れられない強い印象は一体全体ナンなんでしょうね。1927年の発表ですから、な〜んと100年前😳

 <太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。>
(三好達治『雪』1927年)

バクの上に降り積むのがあんたの悪夢であってそれを腹いっぱいに喰ったバクが寝るのですから、ここでは三好達治の『雪』を<>に読み替えて読み手の妄想をふくらませているのかも。それにしても、この<あんたの捨てたい夢よ降れ>を『バクです』の歌詞の中にどう位置づけるかの難しいこと難しいこと😅

 <あんたの捨てたい悪夢よ バクの上に降れ、降り積もれ>
を倒置法を交えて詩的に表現して、悪夢より抽象的かつ二面性を備える<夢>を用いることで<あんたの捨てたい夢>を「あんたが果たせなかった願い」と読ませるのでしょうか。「あんたのバク」になった主人公は、<あんた>が願いを果たせるまでただひたすらに待ち続ける存在なのでしょう。中島みゆきの楽曲には聴き手に対して力強くエールを送る歌詞が多いですが、この『バクです』はただひたすらに待つことで<あんた>が象徴する聴き手ひとりひとりにエールを送る曲なんですね。傷つきながらも優しく無邪気そうな声色でただひたすらに待つ存在、なるほど、ひとの悪夢を喰ってくれるバクに相応しいです。

さて、今さらですが、『バクです』を瀬尾一三との連関として読み直してみましょう。
アレンジャー/プロデューサーとは欠くことができない大切な立ち位置であると同時に、創作者であって創作者ではないという微妙な立ち位置でもあります。1973年にソロアルバム『貘』を出すも必ずしも商業的成功は得られずにアレンジャー/プロデューサーに転身して大成功を収めた瀬尾一三、なるほど、中島みゆきという創作者が笑えるまでとことんその<>=願いを喰い続けてくれる「」ですね。ただ寂しく待つだけでない、能動的にあんたの夢を喰い続ける「貘」が瀬尾一三なのでしょう。

 バクは1人で喰い続けてる バクは1人で喰い続けてる
  笑ってるあんたの夢を見るまで


実は、クラシック音楽を演奏するってぇコトも基本的には他人の創作物を演奏するのですから、創作者であって創作者でない立ち位置なんですぜ💡

今年(2026年)もよろしくお願いします。さぁ、あんたの初夢が悪くなくても喰っちまいましょかね😎



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年12月 2日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『昔から雨が降ってくる』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

本日(12/2)はワタクシの60回めの誕生日、いろいろありつつも59歳を迎えることができました。

さて恒例の中島みゆき、『昔から雨が降ってくる』をいつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/379184

『昔から雨が降ってくる』は、2007年4月15日にリニューアル再スタートしたMBS/TBS系ドキュメントバラエティ番組「世界ウルルン滞在記“ルネサンス”」のエンディング曲です。同番組のオープニング曲『一期一会』とともに2007年7月にシングルが発売、そして同年10月に発売されたアルバム《I Love You, 答えてくれ》のラストから2曲めの所収です👌

この曲ってば、そもそも題名が謎かけで考えさせられますよね〜。「雨が降っている」ではなく「雨が降ってくる」ですから、単純な「昔から雨が降り続けている」にとどまる程度の題名ではございませぬぞ。これ、言うなれば「昔降っていた雨がそのころの降り方そのままに、現在の我々にも降って来ているのだ」という、悠久の時の流れを象徴するまことに大きな題名だと思います。この意図を明解にしたいならば『雨が昔から降って来る』とするのが妥当でしょうが、こんなきっちりした題名な雨の降り方では詩的な情感もへったくれもなく、<なつかしく降ってくる>なぁんて情緒とはおよそ無縁になりますなw

 あの雨が降ってくる
  僕は思い出す
  僕の正体を
  昔から降ってくる
  なつかしく降ってくる


だからこそのこのサビで、前世やそれ以前に<>が体験していたであろうさまざまを<あの雨>で象徴しているワケであります。現代に降っている雨は実は太古からの雨でもあり、これすなはち「時は循環して連続する」という、中島みゆきの楽曲に頻繁に登場する「輪廻転生」に通じる考え方でありましょう。そしてそれは、あらゆるひとの一生の中で育まれている過去から現在そして未来への人生行路をも象徴しており、転じて他者と人生体験を分かち合うところにまで想いを馳せたくなるような気にさせられますね〜💡

 昔、僕はこの池のほとりの
  1本の木だったかもしれない
  遠い空へ手を伸ばし続けた
  やるせない木だったかもしれない


やるせない【遣る瀬ない】とは辞書によると、憂い・悲しみを紛らわそうとしても、晴らしどころが無(くて、せつな)いという意をもちます。樹木は大地にどっしり根を下ろす力強く雄大な象徴であるばかりでなく、この1番の歌詞では遠い空に象徴される手の届かない存在に対するやるせなさの象徴。ある程度長く人生を経験していれば、誰しもこのような感情に駆られる時があっても仕方ないでしょう。まことに印象的な起承転結の「起」ですね。

 昔、僕はこの海のほとりの
  1匹の魚(うお)だったかもしれない
  話しかける声を持とうとした
  寂しがる魚(うお)だったかもしれない


魚は水中に生きる存在で、なるほど、いかにも声は出せなさそうですし、よしんば声を出せたとしても人類には聞こえないでしょうね。魚にとっての声に象徴される持ちたくても持ち得ない何かを持てずに寂しがる様子、これまたある程度長く人生を経験していれば、誰しもこのような感情に駆られる時があっても仕方ないでしょう。1番の<やるせない>を受けた2番の<寂しがる>が中島みゆきらしさ充分な、起承転結の「承」でしょう。

 昔、大きな恐竜も
  昔、小さな恐竜も
  同じ雨を見あげたろうか
  同じ雨にうなだれたのだろうか


この1連の前に穏やかな間奏が入り、ここで<恐竜>が入る2段だけ変ト長調(フラット6個)からニ長調(シャープ2個)への転調をぶっ込んでくる、というなかなか衝撃的な技術(実は単なる長三度下降にすぎないのですが)。ニ長調はフラットで書き換えればフラット10個の重変ホ長調で、ショパンならシャープでなくフラットで書いただろうなと思って楽譜にするときにチト迷ったのはココだけのハナシwww。太古から流れ続けている悠久の時の流れ、そして今も昔も変わらぬ喜怒哀楽・毀誉褒貶な人間模様に想いを馳せられる、名実ともに起承転結の「転」ですな。

 昔、僕はこの崖の極みの
  1粒の虫だったかもしれない
  地平線の森へ歩きだした
  疑わない虫だったかもしれない


ここまでの3連は<やるせない>とか<寂しがる>とか<うなだれた>とか、半端なく美しいのにどうにもこうにも後ろ向きで忸怩たる雰囲気に満ちていますが、ここで満を持して前に進む<1粒の虫>の登場であります。この将来に対する期待に満ちた高揚感、少し前に動画を出しましたねん😛

 砂は海に海は大空に
  そしていつかあの山へ
『小石のように』1979年)

この<1粒の虫>の一連で落ち着いた変ト長調からスッと半音上げて前向きなト長調に転調しており、曲も歌詞もグッと前向きに進むように書かれています。ほ〜んと、お手本のような起承転結の「結」ですね〜。我々は悠久の時の流れの中では一粒の虫に過ぎない存在でしょうけれど、昔から降ってくるあの雨を感じられる我々は、もはや単なる虫ではございませぬ💪

 あの雨が降ってくる
  なつかしく降ってくる



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年10月31日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『ピエロ』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『ピエロ』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/372721

『ピエロ』は1979年9月21日にリリースされたシングル《りばいばる/ピエロ》のB面です。『ピエロ』は根津甚八への提供曲で、なんとこちらも同じキャニオン・レコードから同じ1979年9月21日にシングル《ピエロ/まだ浅い別れ》としてリリースされています。根津甚八の方も YouTube に転がっているので聴いてみましたが、さすがさすがの舞台人の歌、語り口がバツグンでございましたぞよ〜👌

 思い出の部屋に 住んでちゃいけない
  古くなるほど 酒は甘くなる
  えらそうに俺が 言うことでもないけど
  出てこいよ さあ 飲みにゆこうぜ


この『ピエロ』の歌詞の情景描写は単純ですが描かれている人間関係はなかなかシビれますね〜。フラれて手酷く傷ついた心を癒せずに幸せだった<思い出の部屋>という世界に閉じこもってしまっている女性、そしてその女性に片想いし続けていて気が気じゃないと思いつつもチャンスと狙っている<>という関係。失恋は立ち直ってこそ人生の糧となり得る経験ですが、立ち直れないままに思い出に浸って心を麻痺させてしまうのは危うい、ということを<古くなるほど 酒は甘くなる>と表現しており、同時にすぐ後に現れる<麻酔>の伏線としています。この中島みゆきの言葉の切れ味、いつもながらですがもぅさすがとしか言いようがないですね〜。片想いの相手が失恋したらチャンスと思うのはごくフツーと思いますがw、それにしても主人公の<>ってば、ほんとにホントに優しすぎるオトコですな😅

 かまれた傷には 麻酔が必要
  俺でも少しは 抱いててやれるぜ


コレ、要は「どうした? ハナシ聞こうか?」であわよくば、という単純なネタでしょうが、そこに<>と<麻酔>とを掛けるという歌詞のテクニックをしれっとぶっ込むセンスに脱帽ですわよ。

 思い出の船を おまえは降りない
  肩にかくれて 誰のために泣く
  まるで時計か ゆりかごみたいに
  ひとりで俺は さわぎ続ける


優しすぎる主人公のせいなのか、女性にとっての<思い出>があまりにもよろしかったからでしょうか、主人公の心配も期待も虚しく空回りし続けているようです。<時計>は時間の経過と同時にその無情さも象徴しており、<ゆりかご>は<思い出の船>を揺らす波であると同時に女性の心を動かそうと孤軍奮闘する主人公の心の動き。<ひとりで俺は さわぎ続ける>は、まさに主人公が女性が受けた失恋の痛手をどうにかして癒し忘れさせようと孤軍奮闘している様子。同時に、<時計>と<ゆりかご>とは同じ運動を繰り返す存在で、主人公の心配も期待も虚しく空回りし続けていることも象徴していたりしますね。これぞ題名の『ピエロ』=道化、という、表面はおどけて見せていても内面にはなんとも言いようのない哀しみそして翳りを抱えている存在、癒し手になりたくても果たせない恋の痛みを抱えている存在、ピエロの輪舞から抜け出せない存在でありま〜す💡

 飲んでりゃ おまえも うそだと思うか
  指から 鍵を奪って
  海に 放り投げても


この一連は難しいですが、まずは単純にココは倒置法ですから・・・

 指から 鍵を奪って 海に 放り投げても
  飲んでりゃ おまえも うそだと思うか


となり、<>とは<思い出の部屋/船>の鍵。その鍵をおまえの指から奪って海に放り投げるのですから、女性を閉じこもった殻の外に連れ出せて(=出てこいよ)、首尾良く失恋の痛手を癒すことができた(=かまれた傷には 麻酔が必要)、という状況を主人公が仮定というか妄想していると読みます。そして、<うそだと思うか>の「か」は反語ではなく詠嘆をあらわす終助詞「か」と読みます。しかし悲しいかな、その仮定・妄想の中であっても女性がかけられた麻酔のような何かは<かまれた傷>だけに効くワケもなし、主人公が失恋の痛手を癒してくれたということにも効いてしまって<うそだと思>われてしまうんだろうなぁぁぁ=<>の片想いは結局は女性に通じないんだろうなぁぁぁ、というな〜んともやるせなく逡巡する主人公の心でありますことよ(詠嘆)

ここで思い出すのは

 二人だけ この世に残し
  死に絶えてしまえばいいと
  心ならずも願ってしまうけど
  それでもあなたは 私を選ばない
『この世に二人だけ』1983年)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年8月26日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『土用波』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『土用波』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/359084

『土用波』は1988年にリリースされたアルバム《中島みゆき》のA面3曲めです。このアルバム《中島みゆき》は中島みゆきがレコーディングのためにコンサート活動を一時休止した、いわゆる「産休宣言」後に発売されたアルバムです。このアルバムのタイトルは実に困ったモンで、検索しようとするとアルバム以外がわんさか引っかかって来やがるんですよね〜🤣

なお、土用波とは夏の「土用」(7月20日頃~立秋の前日まで)の時期のうねりの大きい波のことで、海水浴やサーフィンではさらわれないように注意するべき波とのことです。「土用」とは「季節の変わり目」のことで、そのような季節に押し寄せる「さらわれないように注意するべき大波」ですから、中島みゆきの歌詞の題材としてまことに好適ですな。

 昔の歌を聴きたくはない
  あの日が二度と戻らないかぎり
  なつかしい名前口ずさんでも
  砂を崩して 土用波がゆく


最初の2行は倒置法ですから、平易な文にすれば
 <あの日が二度と戻らないかぎり
  昔の歌を聴きたくはない
  なつかしい名前を口ずさんでも
  砂を崩して土用波がゆく>

ですな。

今の主人公にとって幸せだった<あの日>は<二度と戻らない>ワケで、それなら思い出したくもないと思うのが逆に強がりなことは往々にしてございます。そして幸せだった<あの日>を思い出そうと<なつかしい名前>を<口ずさんでも>、<あの日>は<二度と戻らない>という現実が突きつけられてしまうのでしょう。時の流れはたかが人間の意思なんて一切意に介さず、まことに無情であります。これぞ、土用波という「季節の変わり目に押し寄せる大波」という存在を「季節の変わり目に一切合切を流し去ってしまう」存在として暗喩しているゆえんで、さすがの中島みゆきの詩作力/思索力でありま〜す💡

 愛の重さを疑いながら
  愛に全てをさらわれてゆく


永遠に続くかと思っていたあの幸せな日々ですら終わってしまうなんて<愛の重さ>なんてそんなもんなのか、こんちくしょ〜、と<愛の重さを疑い>たくなるような経験は誰しもあるのではないでしょうか。だからこそ未練は募るばかりになって何も手につかず<全てをさらわれて>しまうほどになってしまう、それも<>なのであります。「一切合切を流し去ってしまう」土用波のイメージがここでピリッと効いてますね。

 <伝えそこねた言葉のように
  雨をはらんで 土用波がゆく>

<伝えそこねた言葉>の内容は主人公だけが知っていて、それを伝えられなかった相手はそれを知る術がないですね。<雨>が主人公の後悔の念と読み取るのは簡単で、まさに「後悔先に立たず」。ここでも「一切合切を流し去ってしまう」土用波のイメージが効きますね〜。

 あなたの髪から私の髪へと
  流れ落ちる 土用波の音
  溜息まじりの潮風を泳ぐ
  折れたカイトに見覚えはないか


あなたの髪から私の髪へと><土用波の音>が<流れ落ちる>という表現は、聴覚的現象を触覚的現象に置き換えるという、詩作の妙技としか言いようのない見事な表現だと思います。さすれば<溜息>はお互いの溜息、<折れたカイト>はすなはち「空を飛べなくなった凧」であって、終わりを迎えたふたりの喪失感の象徴。その喪失感に対して<見覚えはないか>と問いかけるのは、自分だけでなく相手も同じような喪失感を抱えているんだよね、という確認のニュアンスもありそうです。う〜ん、めっちゃ切ないですな。

 流れゆけ流れてしまえ立ち停まる者たちよ
  流れゆけ流れてしまえ根こそぎの土用波


立ち停まる者たち>とは、時の流れにあらがって<二度と戻らない><あの日>という過去にしがみつこうとしている主人公の象徴そして一般化でしょう。まぁそれ自体は仕方ないことですけれども現実としてはそこに留まり続けるワケにもいかず、<土用波>に象徴される無情な時の流れの力を借りて前に進むしかないんですよね〜。してみれば、「季節の変わり目に一切合切を流し去ってしまう」という<土用波>の力強さは、何かを終わらせてしまうと同時にそれを流し去ってくれて新しい自分に生まれ変わる原動力となり得る破壊と創造の両面を兼ね備えた力強さであり、やはり中島みゆきの歌詞に頻繁に出現する「転生」の原動力なんだなぁと思わされます。

 流れゆけ流れてしまえ根こそぎの土用波



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年7月28日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『金魚』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『金魚』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*この編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/352907

『金魚』は1983年にリリースされたアルバム《予感》のB面の最後から2曲めに収録されています。前の曲が『テキーラを飲みほして』でラストが『ファイト!』ですから、これまたまっことに絶妙な曲順なだなぁぁぁとウナらされます。『テキーラを飲みほして』から『金魚』には間髪を入れずに突入しており、だからこそ『金魚』の前半半分以上がイントロ(もはやイントロではないw)な意味があって、その意味ではそもそも『金魚』は独立させて鑑賞する性格の曲ではないんでしょネ💦

 一匹も すくえなかったね
  ほんとうに要領が悪いんだから
  浮いてきたところ すくわなきゃ
  ほらシャツの袖が水びたし


7月も末になってしまいましたが、この時期は夏祭りとか花火大会とかの縁日の時期。金魚すくいはや〜っぱり縁日の屋台には欠かすことのできないアイテムですよね〜。それにしてもシャツの袖を水びたしにするほどの主人公の要領の悪さはもはや才能で、コレ、おそらく幼少期の中島美雪嬢(本名)の記憶を誇張させて重ね合わせているのでしょう。そして2006年のアルバム《ララバイSINGER》所収の『とろ』同様に舌ったらずな声色にしているところもいかにも、でありま〜す💡 そうそう、それで、夏祭りのシャツは半袖だから原理的に袖が水びたしになるハズがない、浴衣の袖でなきゃ〜、と冷静に突っ込むのはヤボですよ、ヤボwww

 きらりひらりきらりひらり
  人生が身をかわす
  きらりひらり
  幸せが逃げる


な〜にやっても裏目に出てしまって生きづらいタイミングってそれなりに長く人生を送っていれば何度も経験するでしょうし、それどころか、もはやそれが芸風とすら思えるほどいつでもどこでも人生に苦労しているヒトもいますよね〜。それを<要領が悪いんだから>の一言で単純明快に済ませてしまうことに違和感を覚えてしまうワタクシではありますが、だからと言ってそのヒトの「生きづらさ」に心の底から共感できるハズもなく、よしんば共感できたところでいわゆる「解決」につながるワケもないのが個々人の限界。その逃げる人生の幸せを中島みゆきという稀代の言葉の達人が逃げる金魚になぞらえると、こうも美しく輝くんですね〜✨

 でも嬉しいみたい
  すくえなかったことが
  どうせ飼えないものね
  Um 旅暮らし


ここは流石の掛け言葉で、金魚を掬えなかったことは確かに残念だったでしょうが、逆に金魚を掬えなかったことで金魚と主人公の気持ちが救われていますね。「与えられた環境で輝け」とはワリと耳にする励ましフレーズですが、少なくともこの『金魚』の中で主人公はことさらに輝いているコトもありません。ですが、ひと夏のちょっとした残念な経験を、前向きとも言いづらいながらもホントにささやかな嬉しさに昇華できているように感じます。

この『金魚』はワタクシは6/8拍子として採譜しましたが、ここの<Um>という感嘆詞の箇所はフェルマータと解釈するほど長くもなくテンポ感も止まっておらず、残念だけど<でも嬉しいみたい>というフクザツな感興をあらわすために絶妙な間になっていてチト悩まさせられました。きっちりとタイムをとってみたらなんとぴっっったり8分音符4つ分で、なるほど、ということで独立させた4/8拍子の小節にしました。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年6月29日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『夜風の中から』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『夜風の中から』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/

『夜風の中から』は1976年10月にリリースされたアルバム《みんな去ってしまった》のB面2曲めに収録されています。アルバム《みんな去ってしまった》は中島みゆきのアルバム2作め、その先行シングルとして《夜風の中から/忘れられるものならば》が3ヶ月前にリリースされており、アレンジも節回しも微妙に違っているのが興味深いです。まだまだ駆け出しで自分の意見をアルバムに投影させてもらえなかった時期の作品ですが、いったいどんな意向があったのでしょうね〜。

この歌詞にはロクに描写されていませんが、なぁんだかホントにど〜しよ〜もない青春を送っている<おいら>と<お前>の縁(えにし)っぽいですね〜。ここで<夜風>といういかにも詩的なキーワードをどのように受け止めてやろうか・・・と頭をヒネってしまうのが怪釈好きの愉しきサガw

 夜風の中から お前の声が
  おいらの部屋まで 飛んでくる
  忘れてしまった 証拠のように
  笑っているわと 見せつける

  浮気でやくざな 女が今夜どこで
  どうしていようと 知った事じゃないが
  けれどそこいらは おいらが遠い昔
  住んでた路地だと お前は知らぬ>


SNS時代の現代ならフトしたきっかけで相手の動静を察してしまえることもあって風情もへったくれもなく、想い人がどうしてるかを想像するときに<夜風>という詩的な表現を使うには全く相応しくないでしょうがw、1976年はもはや50年近くも昔(!)ですからSNSという概念すら存在し得ない時代。この時代では、生活圏が物理的に遮断されてしまえば相手がナニしているかなんて皆目見当がつけられなくなるのが当たり前でしたよね。

主人公の<おいら>がいっときかなり熱をアゲていた(イヤ今でも)のが<お前>でしょう。この歌詞の状況証拠からして連絡を断たれて雲隠れをされたとかで、<浮気でやくざな 女が今夜どこで どうしていようと 知った事じゃない>ってぇことは、そりゃもぅ間違いなく、気になって夜も眠れない<おいら>なんですよ。そんな未練タラタラな主人公の<おいら>は、昔自分が住んでた路地のあたりで<お前>が暮らしているのを風の便りで知ってその巡り合わせの妙に胸をかきむしっており、この歌詞はそんな<おいら>の頭に去来している妄想の数々なのではないでしょうか💡

青春のにがい想い出を呼び起こす<夜風>は爽やかな風であっては断じてならず、ちょうど今ごろ、梅雨どきのジメジメした重っ苦しい風でなくてはなりませぬ。こんな寝苦しい夜をさらに息苦しくさせるのが<お前>の噂、おいらは<お前の声>なんかいっときたりとも忘れたことがないのに、連絡もよこして来ないってぇことはおいらのことなんて<忘れてしまった 証拠>なんだろうよ。しかもおいらが< 住んでた路地>のあたりに今お前が暮らしているなんて、一体全体どんな巡り合わせなんだよ、こんちくしょ〜〜〜〜。っとジタバタしている主人公の独り相撲がこの2段8行でしょかね。詩人の言葉選びってば、ホントにすごすぎますな😅

どうせ風の便りなので目撃された、程度だったとしても、<おいら>の独り相撲はネジくれた思いがために勝手に「ヨロしく」暮らしていると解釈をつけ加え、おいらのことなんて<忘れてしまった>とわざわざ思い込み、<お前>が<笑っている>に違いないと根拠もなく被害妄想に陥るのであります。あ〜、くっっっそメンドくさいヤツでしかないですが、案外とこんな思い悩みってば誰でも経験あるのではないでしょうか。いや、その、経験あってほしいぞ😤

 そこにはお前を そんなにいつも
  笑わす何かが 落ちているか
  おいらの顔など 見たくもないと
  夜風に手紙を 書いてくる>


主人公ってば、フラれたのはお前をいつも笑わせられなかったからだと思い込んでいるフシがありますな。そしてまたも、昔住んでた路地のあたりで<お前>が暮らしているのを風の便りで知っただけなのに、<お前>が<おいらの顔など 見たくもない>と思っているに違いない、と被害妄想全開になるのでありま〜す。今夜もジメジメして寝苦しい夜だけど、余計に眠れなくなるじゃねぇかい、こんちくしょ〜〜〜〜。とかなんとか😮‍💨

ほんっっっとにど〜しよ〜もなく情けないオトコの姿ですが、フラれてイジけて落ち込んでいるオトコなんてぇモンは、そんなモンでも取り立てて不思議ではないと思いますね〜。それと同時に<浮気でやくざな 女が今夜どこで どうしていようと 知った事じゃない>と強がって見せるのもまた、悲しきオトコのサガでござるよ。

 うらぶれ通りで お前が雨に
  ふるえているから 眠れな
  そこから曲がって 歩いた右に
  朝までやってる 店があるぜ


おつぎは<お前が雨に ふるえている>という妄想ですな。これも字義通りに受け取るのではオモシロくなく、<お前>は幸せにヨロしく暮らしているんだろうが(すでに妄想)、心は満たされずに<雨に>打たれているように<ふるえている>んじゃないか? ホレ、<おいら>が知ってる<朝までやってる 店>に行けば心が慰められるぜ、とかなんとか。この<朝までやってる >も実在の店ではなく象徴的表現上の店であって、<お前>が本来いるべき場所は今いるトコじゃないんだ、と伝えるのが<おいら>のお役目なんでしょなぁ。これぞ妄想全開。

 浮気でやくざな 女が今夜どこで
  どうしていようと 知った事じゃないが
  けれどそこいらは おいらが遠い
  住んでた路地だと お前は知らぬ


こう怪説してくると、<お前>が今<おいらが遠い昔 住んでた路地>にいるというのは、実は逆に主人公にとっての心の拠り所になっているのではないでしょうか。すなはち、お前はおいらをフって姿を消したくせに図らずも<おいらが遠い昔 住んでた路地>にいるってぇことは、お前はおいらの面影をどこかで求めているという証なんだ・・・という、これまたなかなか激しい妄想ですが、こんちくょ〜と後ろ向きな妄想ばかりが浮かんで来つつも生きていられるのは、この拠り所あってこそなのかもしれません。

この曲が生まれた1970年代半ばは夜はまだ暗いところが多くクーラーもようやく普及し始めた程度、ジメジメと寝苦しい夜に淋しく悶々と独り寝しているオトコなんて図は、これぞまさしく青春の苦い挫折と失意。この舞台装置の甘酸っぱいようなフクザツな懐かしさってば、もうじんわりたまらんですね〜。

 けれどそこいらは おいらが遠い昔
  住んでた路地だと お前は知らぬ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年5月 8日 (木)

ピアピットでオーバーホールした1902年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で、リストのコンソレーション第2番を

1902年製のBösendorfer 167cm(実測)、現代のアクションと全く異なるウィーン式アクションの個体です。輸入する際に白鍵の象牙が剥がされてしまうのはもはや仕方のないこと。全体的な動作自体は良好でハンマーフェルト外側に巻いてある革も良い状態で残っていたのでそれもオリジナルのまま活かし、可能な限りオリジナルを残す方向でオーバーホールを行っています💪
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

ハンマーフェルト外側に革が巻いてありますからフェルトに針を刺して行う整音はその革を剥がさなければ不可能ですが、革の状態が良く音質もいかにも独特な美しい音色が残っていたのでそのまま整音せずに温存しています。絃はポレロ製をおごって消耗部品を交換するもむやみに交換はしなかった結果でしょうか、発音が明瞭かつ伸びのある音色がよみがえり、それに加えて華やかな音色に仕上がった印象です。たくさん弾いて革が固くつぶれて音質が硬く伸びなくなるまではこのままでイケますね〜。

シューベルトが活躍していた1820年代のウィーン式6オクターヴの楽器と基本的な方向性は全く変わっておらず、いわゆる「ウィンナトーン」という概念は不変だったのだろうなと思わされます。やはりウィーンは超〜保守的だったんでしょうね。

リスト/Franz Liszt(1811-1886)のコンソレーションは第3番以外は全く知られていませんが、本来6曲セットの曲集です。第3番もこの個体にピッタリではありますが、とりわけこの個体の音色が活かせる曲ということで第2番にしました〜✨
*楽譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/331668

2025年4月28日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『LADY JANE』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『LADY JANE』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/334211

『LADY JANE』は2015年11月にリリースされたアルバム《組曲(Suite)》のトリを飾る大切な曲です。「LADY JANE」とは大木雄高(おおきゆたか)氏(79)経営の下北沢のジャズバー「レディ・ジェーン」のことで、「シモキタ」という演劇や音楽の街の伝統の象徴ともいうべき存在、残念ながらついこないだ2025年4月13日を最後に閉店の憂き目にあってしまいました。入居する建物の契約更新が認められなかったのが閉店の理由ですが、住民にロクに説明せず大手ゼネコンが行政と結託して勝手に作っていくような再開発に猛反対する斬り込み隊長的存在がマスターの大木氏でして、こりゃ再開発推進側地主の意図に決まっとるサと容易に推測できますわな😤

下北沢の再開発が始まったのが2003年のこと、小田急下北沢駅が2013年3月23日に地下化されて古き佳き姿が加速度的に消えてきたタイミングの2015年秋に中島みゆきのアルバム《組曲(Suite)》が発売され、その2015年は「レディ・ジェーン」の40周年、しかも中島みゆきのデビュー40周年でもありました。そのようなアルバムのトリを飾る曲が『LADY JANE』であるというコト、さらには昨年2024年に東京・大阪で全16公演行われた中島みゆきの《歌会 VOL.1》でも『LADY JANE』が歌われたワケで、これには単なる行きつけのバーへの感謝を超越した大っっっ変に重い意味があるはずですよね〜。街をつくり上げ支えてきた市井の生活者の声を代弁して強大な大手ゼネコンそして行政と斗う闘士としての「レディ・ジェーン」の姿は、中島みゆきが昔っから発信している「名も無き存在へのエール」としっかりシンクロしていますし💡

シモキタの再開発の過程をホンの少し知るだけでも、店の様子をなにげなくも生き生きと描写する中にチラリとぶっ込まれている再開発の多面性を指摘する一言がまことに心に響きます。同時に下北沢の再開発を全く知らぬ聴き手に対してもちゃぁんと詩として意味をなすように平易に仕組まれているところ、さすがは言葉の使い手のプロ中のプロが編み出した歌詞であります。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


のっけから謎かけのように始まるのは、空想の世界に誘ってくれる意味もあるのでしょうか。時間帯を物理的に考えると明るくなる前で、すなはち夜明け前の時間帯。明け方までダラダラと飲むのはジャズバーならではでしょうが、あたしにゃムリですw

それにしても<日常な町角>の<>の用法が難解ですね〜。困ったときの英訳で、この部分は<Daily life would hit you otherwise>となっています。な〜るほどなるほど、「暗いうちに店を出ないと日常にヤラれちまいますヨ」ってぇ意味なんですね。「日常」とはナニも考えなくても過ごせるルーチンワークと捉えられ、その対語として「非日常」があるのは自明。

 LADY JANE どしゃ降りの夜なら
  LADY JANE 古い看板が合います 色もない文字です


ふむ、「日常」と「非日常」とを隔てる結界が<LADY JANE>の<古い看板>そして<色もない文字>、という図式ですな。いいぞいいぞ。

 愛を伝えようとする二人連れが ただジャズを聴いている
  愛が底をついた二人連れも ただ聴いている


いやはや、詩人の思索のフィルターを通ると「二人連れの若者も熟年もジャズを聴いている」という状況説明wがこうも美しくなってしまうんですな。それにしても<愛が底をついた>ってぇ表現、いかにも酸いも甘いもひっくるめて年輪を重ねてきた雰囲気ですな。

 時流につれて客は変わる
  それもいいじゃないの この町は 乗り継ぎ人の町


下北沢は決して大きな駅でも町でもないですが乗継駅として重要ですね。ひっきりなしに乗継客が行き交う町であることは変わりませんが、<時流につれて>変化していくのは当然のこと。同時に<乗り継ぎ>は単なる路線間の乗継のみならず、古いナニかと新しいナニかとの移り変わりでもあり、ある考え方と別の考え方との乗り換えでもあり、そして、過去と未来の乗り継ぎ地点とは現代に他ならないことも頭に留めておきたいです💡

 LADY JANE大好きな男が
  LADY JANE この近くにいるの たぶんここは知らないけど


ラストで歌い出しのフレーズをリフレインして片想いな歌詞をぶっ込んでくるところ、もう安定の中島みゆきですな。ここでホッとしてしまうのがイイのか悪いのかw

 LADY JANE 脛に傷ありそうな
  LADY JANE マスターはいつも怒ってる 何かを怒ってる


さぁ、2番でメンドくさそうなマスターの登場でござい。ジャズバーのマスターなんつ〜のは偏屈なオヤジと相場は決まっとるwですが、シモキタ再開発と斗う闘士としての<LADY JANE>大木氏を知ってしまうと、そりゃもう、ナニに怒っているかは自明ね。

 LADY JANE 昔の映画より
  LADY JANE 明日の芝居のポスターが 何故か古びている


こんなことがあっても不思議じゃない空間ってあるよね〜、と単純に読んでも店内の描写として成り立ちますが、ち〜ょっとヒネりたい一節。<>と<明日>とを対比して<明日>の方が<何故か古びている>と指摘する一節ですから、当〜然シモキタの再開発とからめたくなりますぞ。

かつてシモキタは雑多な芸術が巣食っていた猥雑と言っても過言ではない一帯で、新しいナニかが次々と生まれて輝いていたはずです。対して現代の再開発が区画整理して大っきなビルを建てる、という方向ばかりなのはワリと簡単に観察できます。ゼネコンや行政が建設効率ばかりを重視せざるを得ない結果ですから没個性になるのは理の当然、建設費用を回収するための高いテナント料がために昔からの商店が「結果的に」排除されて大手資本のチェーン店ばかりが入居すれば没個性になるのもこれまた理の当然でございましょう。

高度経済成長にしろバブルにしろ過去のあだ花、もはやそんな夢物語はありえないと突きつけられ続けているのが現代なはずです。それなのにあ〜も変わらず旧態依然とした効率重視の大艦巨砲主義を振りかざしているワケで、再開発して建物だけを新しくしたところで新しさのカケラもなく<古びて>見えるのは、<何故か>どころか当っっったり前のことではございませんか。こんなことは50年以上も前から指摘されているワケで、再開発の際に「地域らしさ」とはなんぞやと検討する協議会こそ設置されますが、それが逆に再開発に対する「免罪符」であることもまた現実です。推進側の意図に反する答申を出したが最後、次の仕事はもらえなくなる=カネが稼げなくなるワケですからね〜😤

 座り心地が良いとは言いかねる 席はまるで船の底
  常に灯りは霞んでいる 煙草のるつぼ


これまた店内の描写であると同時に、再開発前の雑多で猥雑なシモキタの雰囲気を象徴させていると読みます。シモキタに限らず、行政が巨額の予算を組んでまで再開発したくなるところは、安全にも治安にもいささか問題を抱えているのは確か。何事にも滅菌消毒されたような清潔さが求められる現代ですから、それをキレイに整え直さねばならぬという意見が「民意」とされるのもまた現実でしょう。

 時流につれて町は変わる
  迷い子になる程変わっちまっても この店はあるのかな


現代とは万事効率が求められる時代であります。効率化とはつまるところ標準化・規格化ですから、没個性になる必然がございます。そりゃ〜<変わっちまって><迷い子になる>のもむべなるかな。いやホンマ、<LADY JANE>が2025年4月13日に閉店させられてしまったことが残念というか象徴的に感じられてなりません。

 酔いつぶれて寝ていたような片隅の 客がふいとピアノに着く
  静かに遠ざかるレコードから 引き継いで弾く


かつては人間関係が親密で、部外者にはワケわからぬ「不文律」やら「以心伝心」などなど「暗黙の了解」とかいう不思議かつメンドウな空気がありました。客が店のピアノを弾くのならレコードはどんな名演であろうが邪魔なワケで、マスターがボリュームを絞るのは基本中の基本ですね。このような空気感、果たして昨今なにかとヤヤこしいストリートピアノ界隈では如何?

 時流につれて国は変わる
  言葉も通じない国になっても この店は残ってね


な〜んか穏やかでない歌詞でもありますが、これまた<>を「国のあり方」転じて「立場」そして「世代」とでも捉え直せば、言葉も通じない>状態とは「利害が対立する立場」とか「世代交代」のために「話が通じなくなってしまう」状態の象徴ですよね〜。昔ながらのふんわりしたユルい共通理解が通じない相手や世代が主流になっても<この店=LADY JANEは残ってね>という、まぁ古い世代の戯言なのかもしれません。

 LADY JANE 私は一人です
  LADY JANE 歩いて帰れる程度の お酒を作ってね


おぉ、そういえば、<愛を伝えようとする二人連れ>と<愛が底をついた二人連れ>がいましたっけ。主人公が自力で歩いて帰らねばならぬのはチト不条理ですが、これでこそ中島みゆきの歌詞でござろうよ。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


ここまでシモキタの再開発とからめたら、この歌い出しのリフレインの意味合いが全く変わってくるのではないでしょうか。<>とは「ずっと変わらず昔のままであって欲しいと願う LADY JANE」そして「シモキタ」であり、<暗いうち>の拡大怪釈として「再開発前のシモキタ」であり、<日常な町角>の拡大怪釈としては「再開発後の下北沢」なのかなぁ💡

このように考えてみると、「まちかど」の「まち」という漢字に中島みゆきが「町」という、「街」に比べれば現代的無機質なイメージ(と思うんですよ〜)の漢字をわざわざ使った意味が見えてくるような気がいたします。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


・・・古き佳きシモキタの思い出に浸りたいときは、せめて明るい昼でなく暗くなった夜にね。現代の現実の前では古き佳き思い出なんてかき消されてしまいますよ。LADY JANE そして古き佳きシモキタよ、永遠に!



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年4月18日 (金)

ピアピットでオーバーホールした1902年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で、シューベルトの即興曲 D935-2 を

いつものピアピットでがっつりオーバーホールした 1902年製 ウィーン式アクションのBösendorfer 167cm で弾いた、シューベルト(1797-1828) の即興曲遺作第2番、D935-2 です。な〜んとなんとこの個体はワタクシ所有の1894年製(中島みゆきばかり弾いてますがw)と全く同型なのが僥倖でござるよ✨✨✨

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

輸入する際に白鍵の象牙が剥がされてしまうのはもはや仕方のないこと。全体的な動作自体は良好でハンマーフェルト外側に巻いてある革も良い状態で残っていたのでそれもオリジナルのまま活かし、可能な限りオリジナルを残す方向でオーバーホールを行っています💪

外側に革が巻いてありますからフェルトに針を刺して行う整音はその革を剥がさなければ不可能ですが、革の状態が良く音質もいかにも独特な美しい音色が残っていたのでそのまま整音せずに温存しています。絃はポレロ製をおごって消耗部品を交換するもむやみに交換はしなかった結果でしょうか、オリジナルのままの発音が明瞭かつ伸びのある音色がよみがえり、それに加えて華やかな音色に仕上がった印象です。たくさん弾いて革が固くつぶれて音質が硬く伸びなくなるまではこのままでイケますね〜。

シューベルトが活躍していた1820年代のウィーン式6オクターヴの楽器と基本的な方向性は全く変わっておらず、いわゆる「ウィンナトーン」という概念は不変だったのだろうなと思わされます。やはりウィーンは超〜保守的だったんでしょうね。



*1820年ごろのウィーン式6オクターヴで同じ曲をどうぞ

2025年3月23日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『ジョークにしないか』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『ジョークにしないか』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/326984

『ジョークにしないか』は2014年11月にリリースされたアルバム《問題集》に収録されています。訥々とした語り口の中にあふれる愛情がじわじわ来ますよ〜。この地味にじんわりくる雰囲気そして下のG音から上がっていく音型は、1994年にリリースされたアルバム《LOVE OR NOTHING》に収録されている『風にならないか』とクリソツ、このような方向性もこれぞ中島みゆきな一面なんですよね〜(*´-`)

『風にならないか』は、ピアノではなくクラヴィコードで弾いてますぞ٩(・ω・)و


 笑ってくれましたか それならいいんです
  驚きすぎると笑うしかないですよね
  笑ってくれましたか 黙らないでください
  構えさせてしまった 深い意味はないんです


夢にしても憧れにしても愛にしてもなんとも厄介なシロモノでございまして、想いが強ければ強いほど口に出しづらくなりますし、たとえそれを伝えられたとしてもその強すぎる想いをぶつけられてしまった相手が「そそそ、そんなコト言われたって💦」となってしまうのは無理もないことでしょう。笑ってゴマかしてもらえればいいんですが、黙られてしまったらもぅね、伝えた方としても立つ瀬がなくなって「あ、いやいや、まぁ<深い意味はない>んだけど💦💦💦」とかなんとかテキトーにその場を取りつくろうしかないですわ。いや、それ、取りつくろえてないんですがw

 愛について語ることは 私たちは苦手だから
  明日また会えるように ジョークにしないか
  きりのない願いは ジョークにしてしまおう


>という言葉で象徴していますが、複雑難解で言葉にしづらいことなんつ〜のは人生の荒波を渡っていればそこいら中で出くわしてしまうワケで、酸いも甘いもひっくるめて人生を<ジョークにしてしまおう>ではないか💡 かの楽聖ベートーヴェンが死の前に「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」とのたまったとはされていますが、まぁこのテのいかにも偉人らしい逸話なんつ〜のはだいたいが伝言ゲームの結果で、ど〜せ後世の捏造でしょと思ってますwww(・x・ゞ

 桜が咲きましたね 雪が来ますね
  そんな話だけで1年が過ぎてもいい
  ふざけてばかりな奴 好きも嫌いもない
  うとましがられるより そんな奴でいいんです


いやはや、このような達観した境地になれるものならばなりたいですわ。ですが、この境地に達するまでには行き違いやら葛藤やら衝突やらなどなどなど苦しい経験が無数に必要なワケで、それならばこの境地に達したところで人生の切なさから逃れる術はないのでしょうね。達観も諦観も、形こそ違えどそこに行き着く道筋は同じなのかもしれません。

 愛なんて軽いものだ 会えることに比べたなら

この曲のキモはなんと言ってもここですね〜。どんなに多言を弄したところで現実の提示の前では屁のつっぱりにもならぬワケですし、言葉の怪釈には必ず誤解曲解勘違いなどなどなどがついてくるワケで。というか、人生の荒波を渡るってぇコトは、誤解曲解勘違いなどなどなどという人間関係と向き合い続けることに他ならず、その誤解曲解勘違いなどなどなどのきっかけになるのはひとえに「言葉」だったり。詩のようにわざわざ抽象的にしなくても言葉の様々な怪釈で誤解曲解勘違いなどなどなどwが発生するのはいくらでも経験できますし、その挙げ句、やれ傷ついただの、やれショック受けただの、なんのかんのとまことにかまびすしい。

まぁそんなマイナスの面ばかりではなく、言葉があるおかげで人類はさまざまな文化を育んできているのですから、やはり必要不可欠。それなら、もうね・・・

 明日また会えるように ジョークにしないか
  きりのない願いは ジョークにしてしまおう


この<明日また会えるように>ってぇのが、じんわり来る来る来る〜。ここに込められているのは達観でも諦観でもなく、強く切ない願いなのではないでしょうか。会い続けることこそが愛であって、会い続けるためには人生の酸いも甘いも全部ひっくるまて笑い飛ばして<ジョークにしてしまおう>😛

 海へゆこう 眺めにゆこう
  無理に語らず 無理に笑わず
  伝える言葉から伝えない言葉へ
  きりのない願いは ジョークにしてしまおう


はい、出てきました。中島みゆきの<>ですね。ここは多言を弄さず。

 紅灯の海は優しい 海と名の付くものは優しい『紅灯の海』1997年)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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