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カテゴリー「音楽>作曲家>Mozart」の22件の記事

2021年9月23日 (木)

モーツァルト『6つのウィーンソナチネ』から第1番第1楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト作曲とされる「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章を、モーツァルトが7歳のときにモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。ナゼかこの動画のときだけ撮影アプリがバグって派手なフリッカーが発生してしまったのが残念至極!

モーツァルト没後の19世紀初頭(1805年とされています)のウィーンで、モーツァルト作曲によるクラヴィーアソロ用の「6つのウィーンソナチネ」なる楽譜が Artaria 社の Plate 1644-1645 として2分冊で出版されました。手頃で親しみやすい曲集でかなりの好評を博したようで現代でもさまざまな楽器用に編曲されていますが、この手の作品は成り立ちが怪しいものが少なからずなのもまた事実。オリジナルはケッヘル目録第6版でK.439b の「3本のバセットホルンまたはバセットホルンとファゴットのための5つのディヴェルティメント, K.Anh.229(439b)」とされていますが、なんとなんと、この「6つのウィーンソナチネ」では編集者によって5つの曲も楽章もバラバラにして6曲に再構成されていたりします。

この動画で弾いている「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章はもとは「ディヴェルティメント第4番」の第1楽章で、再現部に絶妙なカットが入れられてクラヴィーアソロ用として編曲されています。この「6つのウィーンソナチネ」の編曲者は知られていませんが、再構成の見事な手腕とあわせて考えるとかなりの実力者だったのではないかなぁと思わざるを得ませんね〜。



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

モーツァルト『K.2』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年1月にザルツブルク(?)にて作曲、とされる当時6歳になるかならないかのモーツァルト(誕生日が1月27日ですからね〜)による「ヘ長調の小品 K.2」を、その1年半後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「ヘ長調の小品 K.2」は一般的には「メヌエット K.2」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問があるんだけど・・・まぁいっかw。この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に書きつけたものと一応はされていますがこの曲のページ(とあとK.5の1ページ)は後年に誰かに贈られて失われており、唯一1828年に発行された資料にのみ記載がある、という厳密にはちょ〜っとだけ悩ましいシロモノだったりします。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月22日 (水)

モーツァルト『ソナタ K.7』第3楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年11月30日にパリにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「メヌエット ニ長調」を、その少し前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「メヌエット ニ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第2曲の第3楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.7」が与えられております。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月21日 (火)

モーツァルト『ロンドン・スケッチブック, K.15』から第1〜6曲を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト一家のいわゆる「西方大旅行」中のロンドンにて、当時8歳のヴォルフガングが父レオポルドから与えられた楽譜スケッチ帳に自らの手で書きつけた「ロンドン・スケッチブック」から第1〜6曲を、1年ほど前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。この「ロンドン・スケッチブック」の時期は1764年の後半と推測され、これら最初の6曲はさまざまなスタイルを自在に使い分けていて、8歳半にしてさすがは神童の名に恥じない素晴らしい能力ですよ〜。

モーツァルト一家がロンドンに着いたのは1764年4月23日、今までにないほどの熱狂的な歓迎を受けたのでした。ですが当時のロンドンの環境は産業革命最初期(七年戦争が終結、パリ条約が前年の1763年ですよ〜)で劣悪で、父レオポルトが「これほどたくさんの蒸気・煙・埃それに霧が出る人口稠密な都会」という表現をしています。なお、ワットによる蒸気機関の効率化はわずか数年後だったりしますね。

このような環境の中で用心深い父レオポルドは家族の健康に充分以上なほどの注意を払っていたのですが、あろうことか自身が8月初めに重病にかかってしまい、一家は9月末ごろまでロンドン郊外のチェルシーに移ります。ここには鍵盤楽器がなかったためにヴォルフガングはこの楽譜スケッチ帳でいろいろと作曲を試みていた・・・というのが通説ですが、一家は旅行用クラヴィコードを1年前から携えていましたからこの説は怪しいとワタクシにらんでいたりします(・x・ゞ

鍵盤に触れられなくて頭の中だけで作ったから妙に弾きにくかったり演奏不能だったりする箇所が少なくないという解説もほぼ例外なく目にしますが、人類の歴史に燦然と輝くほどの天才少年の頭の中です。凡人には弾けなくても彼は弾けたかもwしれませんし、そもそもスケッチ帳で完成させることを念頭に置いていないワケですから鍵盤楽器だけを念頭に置いていたと限定してしまうのも無理があると思いませんかの? まぁ同時にこの楽譜スケッチ帳には一家所有の旅行用クラヴィコードの音域を下に超える曲があるのも事実ですが当時の鍵盤楽器の最大音域にはきっちり収まっているワケで、音域が合わないからと言って「旅行用クラヴィコードは手元になかった」と結論づけられるほどのハナシではないでしょうよと。だいたい、この時代の音楽家たるもの、鍵盤楽器の音域がアタマの中に入っていないワケないでしょ〜にw。

「弾きにくさ」も、ヴォルフガング君はいたずら好きですし弾けて弾けて楽しくてしょうがない少年だったでしょうし、突飛な音形をぶっこんで見たというイタズラも無数にあったのではないでしょうかね〜(^^)b

第1〜3曲


第4〜6曲


ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月20日 (月)

モーツァルト『K.4』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年5月11日にザルツブルクにて作曲、とされる当時6歳のモーツァルトによる「ヘ長調の小品 K.4」を、その1年ちょい後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に<1762年5月11日>の日付とともに書きつけており、このタイミングはザルツブルクの自宅だよね、という判断というワケです。この「ヘ長調の小品 K.4」は一般的には「メヌエット K.4」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問なんだけどなぁ・・・形はメヌエットなのでまぁいっかw。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月18日 (土)

モーツァルト『ソナタ K.6』第2楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年10月にブリュッセルにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「アンダンテ へ長調」を、その直前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「アンダンテ へ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第1曲の第2楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.6」が与えられており、7歳の天才少年の作品としてまことに堂々としたアンダンテ楽章であるように感じます。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月16日 (木)

モーツァルト『K.5』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年6月5日にザルツブルクにて作曲、とされる当時6歳のモーツァルトによる「ヘ長調の小品 K.5」を、その1年後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「ヘ長調の小品 K.5」は一般的には「メヌエット K.5」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めてしまうのはちぃとばかしどぉなのかなぁ・・・まぁいっかw。この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に書きつけたものと一応はされていますがこの曲のページ(とあとK.2の1ページ)は後年に誰かに贈られて失われており、唯一1828年に発行された資料にのみ記載がある、という厳密にはちょっとだけ悩ましいシロモノだったりします。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月14日 (火)

モーツァルト『ソナタ K.6』第3楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年10月にブリュッセルにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「メヌエット ハ長調」を、その直前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。
(ここしばらくこの楽器で中島みゆきばっかりうpしてるので関係各所から批難GoGoだったりwww)

この「メヌエット ハ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第1曲の第3楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.6」が与えられており、神童時代の作品としてなんとなく耳にしたことのある方も少なくないのではないでしょうか。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年5月 4日 (火)

モーツァルト『ソナタ K.13/Joseph Bopp編』から第1楽章を、20世紀初頭のフルートとモーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で(フルート:素来聡子)

このK.13は、1763年6月9日から1766年11月29日までのほぼ3年半にもわたるいわゆる「モーツァルト一家の西方大旅行」の間にロンドンで作曲され、1765年1月に作品3として自費出版された「ヴァイオリンまたはフルートの助奏つきクラヴサンのためのソナタ集(全6曲)」の中の第4曲です。

西方大旅行の最初、1763年6月22日の晩にモーツァルト一家は父レオポルドの故郷アウグスブルクに到着して7月初めまで滞在しています。この動画で使っている旅行用クラヴィコードはこのタイミングでシュタインから入手したものでして、神童時代のヴォルフガングにとっての「真のオリジナル鍵盤楽器」なんですよ〜。また、このころロンドンはスクエアピアノの黎明期でもあり、クリスティアン・バッハの音楽とともに神童ヴォルフガングの音楽に与えた影響ははかり知れないものがあると言えましょう。

素来聡子さんのフルートはさすがにこの時代のものではなくベーム式フルートですが、20世紀初頭のルイ・ロットによる銘器です。

2021年5月 3日 (月)

モーツァルト『ソナタ K.13/Joseph Bopp編』から第2楽章を、20世紀初頭のフルートとモーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で(フルート:素来聡子)

このK.13は、1763年6月9日から1766年11月29日までのほぼ3年半にもわたるいわゆる「モーツァルト一家の西方大旅行」の間にロンドンで作曲され、1765年1月に作品3として自費出版された「ヴァイオリンまたはフルートの助奏つきクラヴサンのためのソナタ集(全6曲)」の中の第4曲です。

西方大旅行の最初、1763年6月22日の晩にモーツァルト一家は父レオポルドの故郷アウグスブルクに到着して7月初めまで滞在しています。この動画で使っている旅行用クラヴィコードはこのタイミングでシュタインから入手したものでして、神童時代のヴォルフガングにとっての「真のオリジナル鍵盤楽器」なんですよ〜。また、このころロンドンはスクエアピアノの黎明期でもあり、クリスティアン・バッハの音楽とともに神童ヴォルフガングの音楽に与えた影響ははかり知れないものがあると言えましょう。

素来聡子さんのフルートはさすがにこの時代のものではなくベーム式フルートですが、20世紀初頭のルイ・ロットによる銘器です。

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