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カテゴリー「音楽>作曲家>Beethoven」の25件の記事

2023年6月23日 (金)

HUPFER/フッペルのアップライトピアノ(1927年製)で、ベートーヴェン『ピアノソナタ第14番, op.27-2(月光)』第1楽章を

実話をもとにしたフィクション小説『月光の夏』(1993年)そして同年封切りの映画『月光の夏』の中で、太平洋戦争末期にある特攻隊員が出撃地に配属させられる前に是非にと弾いたピアノのメーカー、HUPFER/フッペルのアップライトピアノ(1927年製)で、ベートーヴェン『ピアノソナタ第14番, op.27-2(月光)』第1楽章を弾きました

・・・まぁ史実としてピアノを弾いたのは特攻隊員でなく特操2期の少尉でこの部分は創作なのですが、それを殊更にあげつらうのは野暮w

このアップライトピアノは、大学教授だった方がフランスにいる時に奥様へのプレゼントとしては購入されて戦前に日本に持って帰られたものです。その息子さんから10数年前に引取の話がありその後亡くなられ、遺言にこのピアノはぴあの屋ドットコムへ、とあり、娘さんから連絡あって届いた、何重にも思いの詰まったピアノです。このようなピアノの修復はやはりピアピット、とのことで依頼を受けたという経緯です。

*ぴあの屋ドットコム
https://www.pianoya.com/

このピアノは少なくとも一度オーバーホールされており、木目仕上の上に黒塗装がされていてその塗装に盛大にヒビが入っています。それでも比較的安定していましたので、修復前の音をどうぞ!

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

2021年3月 5日 (金)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第12番 op.26』から第3楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第12番 op.26』から第3楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

この op.26 のピアノソナタ、実はソナタ形式の楽章がないんですよね〜。モーツァルトの例の「トルコ行進曲つきソナタ」もソナタ形式の楽章がなく、第1楽章が変奏曲であるという類似点から「ベートーヴェンはモーツァルトのこのソナタを意識して作曲したのであろう」とまとめる論調が散見されますが、いやいやいや待ってくだせぇ、トルコ行進曲つきソナタには葬送行進曲はないですってばさ。まぁ、よしんば「意識して作曲した」のが真実だったとしても、それってどんな作曲家でも珍しいことぢゃございませんで、それがナニか?ですなw

閑話休題、この第3楽章は葬送行進曲で副題として「MARCIA FUNEBRE sulla morte d’un Eroe/ある英雄の死を悼む葬送行進曲」とされており、この「英雄」が誰なのかは気になりますね。ベートーヴェンで英雄といえばナポレオンが最初に浮かびますが、このソナタが作曲されていた時期のナポレオンはまさに破竹の勢いでしたからそのセンはなさそうな気がします。このソナタが出版されたのは1802年、ベートーヴェンは二十代後半から自身の聴力障害を意識したとされており、有名な『ハイリゲンシュタットの遺書』が1802年ですから、ひょっとしたら自身の「音楽的な死」のための葬送行進曲だったのかも・・・と想像するのはさほど難しくはないでしょう。まぁそれがナニか?w

このタイミングのベートーヴェンは作曲家として順風満帆でこのソナタも変イ長調らしいさわやかな温かさ(主観ですヨw)に満ちているように思えますが、どうしたことか第3楽章だけが葬送行進曲、しかもこの当時としてはかなりぶっ飛んだ調性であるフラット7個の変イ短調とはこれいかに。順風満帆である人生の中に一点現れた音楽家にとって致命的な耳疾の衝撃たるや、フラット7個の変イ短調こそふさわしかったのかも。このピアノソナタはソナタ形式を持たないと最初に書きましたが、強烈な革新者変革者たるベートーヴェン自身を描いた曲だったのかも知れませんね (`・ω・´)

2021年2月12日 (金)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第12番 op.26』から第1楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第12番 op.26』から第1楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

第1楽章が変奏曲になっているピアノソナタはモーツァルトのいわゆる「トルコ行進曲つきソナタ」に例がありますが、か〜なり珍しいです。変奏曲ってなかなか悩ましくて、あくまでも「変装」いや「変奏」ですからwあまりにもテンポや雰囲気を変えて主題がどこかにすっ飛んじまうのもどうかと思いますが、「変奏」とは元ネタの雰囲気をどう変えていくかがウデの見せどころでもあり、どないせぇっちゅ〜んじゃと。「変装」なら元ネタがバレちゃ失敗なんですけどw (*´-`)

だいたいこのピアノソナタの主題がクセモノでして、主題の中ですでに変奏してやがるワケですよ〜。同じ芸を二度見せるのは恥だったwでしょうから二度目にはちょっと変装いや変奏(しつこいw)を加えるのが当然だったにしても、このような多重構造っていわゆるドイツっぽい「構築性」の発露なんでしょうね〜。最後の第五変奏で主題の出だしの「カタチ」が二小節連続でベースに出て来るところ、あぁそう言えばこんな「カタチ」を何度も聞いたよなぁ・・・とナニか腑に落ちるような感覚にさせられませんかの?

それにしても、若きベートーヴェン先生ってば、後期のピアノソナタ第30番の終楽章を彷彿とさせるような変奏曲を既にこの時点で書いているとはおそるべし。ベートーヴェン先生はあまたの天才の中でも超弩級の天才ですからその進化なんて我々凡人からはおよそ窺い知ることなんてできようはずもございませんが、そのような天才が世に出して良いと判断した大変なレベルの作品(=人類の宝ですよね〜)を自由に弾いて良いこの世界、ワリと捨てたモンじゃ〜ないなぁと思います (`・ω・´)

2020年12月29日 (火)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第11番 op.22』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

もう今週末は来年ですよね〜。せっかくのベートーヴェン生誕250年なのにこんな年になってしまったのが残念でならず、せっかくピアノソナタの緩徐楽章串刺しネタを始めたのにだらだらしてロクに進めなかったのも残念でなりません。・・・とゆコトでw、ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第11番 op.22』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

この楽章、9/8拍子かつ Adagio con molta espressione という例によってベートーヴェン先生の容赦ないところ全開wでありま〜す。拍子には「単純拍子」と「複合拍子」があって云々…というのを現代でも音楽の授業で習うかどうかは知りませんが、9/8拍子が「複合拍子」であって単純に3/8拍子が連なっているワケではないこと、専門家スジでもコロッと忘れられることが案外と多い印象がございます。いちにぃさんにぃにっさんさんにっさん」という大きな3拍子で捉えないといかんワケなのですが、コレを Adagio でたゆまずダレずに行い続けるのはなかなか難儀ですよね〜。しかもベートーヴェン先生ってば、この楽章やたらと長く書きやがったしw

そしてさらに con molta espressione ですから、どないせぇっちゅんじゃと。左手の伴奏音型が基本的に同音連打で9/8拍子をキープしつつの con molta espressione ですから、縛りとして相当なモンですね。しかも、タダでさえテンポが揺れるとなんだか「サマにならなく」なってしまうのがベートーヴェン先生の緩徐楽章ですから、なんとも困ったモンです(困ってないw)。それでも金科玉条なのは基本の基本として四声体で書かれていることで、どこでテンポをキープしてどこで con molta espressione な表現をするのかを考えさせてくれる、というまことに教育的な存在でございますね〜 (*´-`)

長い長い時間の淘汰を乗り越えてきた「古典」という人類の財産は、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」を備えていますが、同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えています。このような楽章を「それっぽくできるかどうか」こそが音楽の理解力の試金石なのであって、指がまわるとか音がそろえられるとかは理解した音楽を楽器で奏でるための「方便」にすぎないのでありま〜す(`・ω・´)

2020年10月 3日 (土)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第10番 op.14-2』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第10番 op.14-2』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

ベートーヴェンのピアノソナタ op.14 の2曲セットであるこの第9番と第10番は比較的易しいとされておりますが、なんのなんの、そうは問屋がおろしませんぞ。初期ピアノソナタの例に漏れずに少ない音数で J.S.Bach のフーガとは全く異なる多声部な構造があるのですから、演奏者は逃げも隠れもできません。この楽章の指定は Andante で2/2拍子、というなかなか悩ましい指定になっています。Andante は日本語の音楽事典では「歩くような速さで」と書かれていてそれ自体は悪くない見識だと思うのですが、受け取る人間の方が Andante を「ゆっくり」であると認識してしまうところに悩ましさの源泉があるような気がします。Andante はメトロノーム的スピード表記では Moderato よりゆっくりな位置に置かれていますが、これって Andante に「ゆっくりめ」という先入観を与える元凶である気がしてなりません。

Andante は伊太利亜弁ですから、伊太利亜弁でどのようなニュアンスである/あったのかを知るのは意味あることと思います。Andante の元となった動詞の「Andare」は「前に進む」というニュアンスを持ち、「andante」には「ごく普通」とか「まあまあ」という感じですが「moderato」という「イイ感じの普通」よりわずかに劣ったニュアンスが含まれるとのことです。とすると、「まぁまぁちょうど良い感じであくまでも前に進む感じを忘れずに」のようなテンポ感が求められているのではないかなぁとかなんとか (*´-`)

なんのこっちゃ〜とお思いかも知れません(自分でもそう思いますわw)が、そもそもテンポにしてもその他もろもろにしても表現意図と独立して存在するものではなく、てめぇがどんな Andante にしたいのかを抜きにして決められるシロモノではございません。表現意図と乖離した「お勉強」なんてまるっきり有害無益、表現意図さえしっかりしていれば自分に都合の良いお勉強をすりゃ充分・・・というのは極論ではありますが、稀代の大作曲家たちの作品を自分のレベルにまで引きずり落として楽しもうとしているのですから、所詮はそんなモンかと。とほほ ヽ( ̄▽ ̄)ノ

2020年10月 1日 (木)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第9番 op.14-1』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第9番 op.14-1』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

ベートーヴェンのピアノソナタ op.14 の2曲セットであるこの第9番と第10番は比較的易しいとされておりますが、なんのなんの、そうは問屋がおろしませんぞ。初期ピアノソナタの例に漏れずに少ない音数で J.S.Bach のフーガとは全く異なる多声部な構造があるのですから、演奏者は逃げも隠れもできません。この Allegretto で落ち着いているかに見える第2楽章ですら、かなりきっちりと独立した司令が出せないと手も足も出ないんですね〜 (*´-`)

長い長い時間の淘汰を乗り越えてきた「古典」という人類の財産は、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」を備えていますが、同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えています。このような楽章を「それっぽくできるかどうか」こそが音楽の理解力の試金石なのであって、指がまわるとか音がそろえられるとかは理解した音楽を楽器で奏でるための「方便」にすぎないのでありま〜す(`・ω・´)

ベートーヴェンの時代のピアノのアクションはウィーン式アクションとイギリス式アクションに大別できてイギリス式アクションが現代のピアノと直結しているのですが、実はベートーヴェン自身はウィーン式アクションのピアノの方を好んでいたのです。この1894年製ベーゼンドルファーとベートーヴェンがまだ生きていた1820年代のウィーン式ピアノを同じ空間で弾き比べる機会があったのですが、なんと音も響きもそっくりでノケぞりました。さすがは時間が止まっているウィーンの楽器、いわゆる「ウィンナトーン」ってぇシロモノはシェーンベルク(1874-1951)が生まれ育った時代まであまり変わっていなかったんですね〜(・ω・ゞ

2020年7月20日 (月)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第8番 op.13(悲愴)』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第8番 op.13(悲愴)』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

あまりにも有名な「悲愴ソナタ」の第2楽章ですが、Adagio cantabile という、ピアノという楽器にとって鬼門な発想記号が指定されています。ベートーヴェン先生ってばその楽器では物理的に不可能なことを容赦無くやらせやがりますが、ピアノソナタの緩徐楽章ってその最右翼なんだよなぁと。ピアノという楽器は弦を叩いて音を出すので原理的に減衰音しか出せないから、歌うような表現がむっちゃ困難・・・なんてぇのは誰でも一度ならず耳にも口にもwしておられるでしょう。ベートーヴェン先生の音楽は、それに加えて基本の基本は四声体なんだし、それらを弾き分け歌い分けるのなんて当然に決まってるよね〜、とピアノ弾きに強要してくるんですよ〜〜〜〜(まぁ他のみんなもそうと言えばそうなんですがw)。コレ、単純に言えばピアノを弦楽四重奏そのまんまに両手で弾き分けろって指令で、そう言えばJ.S.Bachには四声どころか六声のフーガがあったっけ・・・と思い出せれば、アレよりは楽だと思えるんですけどね(思えないかw)。

それにしてもこの『悲愴ソナタ』って、200年以上の時間による残酷な淘汰をくぐり抜けてメジャーであり続ける、メジャーちぅのメジャーだったんだなぁとあらためて痛感させられました。これぞ古典ちぅの古典、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」と同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えており、ワタクシのような芸風にとっては「シビアさ」ばかりが強烈に。やはりメジャーちぅのメジャーですから音楽としての密度も桁違いでいやはやキツかったのなんの、とにかく鍛えられましたわ〜 (*´-`)

「知られざる名作」なんつ〜のが常に探されて提案され続けておりますし、ワタクシもそのような作品を好む傾向にあるのですが、結局のところはその圧倒的多数が「マニアックな作品」やら何やらの域を脱することができないワケで。そもそも「発掘されて提案されて主張されている」時点で何百周も遅れをとっているのが冷厳な事実で、別に変に主張せずとも人それぞれの趣向が異なることを再確認しさえすれば四海波静か(・x・ゞ

ベートーヴェンの時代のピアノのアクションはウィーン式アクションとイギリス式アクションに大別できてイギリス式アクションが現代のピアノと直結しているのですが、実はベートーヴェン自身はウィーン式アクションのピアノの方を好んでいたのです。この1894年製ベーゼンドルファーとベートーヴェンがまだ生きていた1820年代のウィーン式ピアノを同じ空間で弾き比べる機会があったのですが、なんと音も響きもそっくりでノケぞりました。さすがは時間が止まっているウィーンの楽器、いわゆる「ウィンナトーン」ってぇシロモノはシェーンベルク(1874-1951)が生まれ育った時代まであまり変わっていなかったんですね〜(・ω・ゞ

2020年6月 4日 (木)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第7番 op.10-3』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第7番 op.10-3』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

ベートーヴェンの初期ピアノソナタって、実は最高限度を超えた盤石のメカニックと楽曲の「まとめ方」についての複合的重層的なこれまた最高限度を超えた理解力とを併せ持っていないと全く歯が立たない存在なんですよね〜。中期や後期ならばまだ音が多いので少々理解が浅くてもなんとか聴き手と同時に自分もゴマかせる可能性があるwのですが、初期はシンプルかつ清潔な姿なのにとにかく容赦無く音を暴れまわらせにゃならんのでキツいキツい。リストなどの技巧はまだ「人間が弾ける」ことを意識しているのでなんとかできそうな気にさせてもらえるのですが、ベートーヴェンのピアノ曲に求められる技巧は「機械のように弾かねばならぬ」がごときエゲつなさに満ちているのでありま〜す(`・ω・´)

それでいながら、いわゆる「人間的な感覚」もまた最高限度を超えた(しつこいw)繊細かつ大胆なレベルで表出できないと単なる「がんばっておけいこしましたね〜」以外のナニモノでもなくなってしまうので、ベートーヴェンの音楽に取り組むというのは、もはや難行苦行というか我慢大会に他ならず。しかししかし、少しでもできるとそれがちゃぁんと音楽の充実に直結してくれるのが嬉しくて飽くなき探求の日々に。弾きこもりってこんなに充実していてイイのでしょうかしらん?(*´-`)

ベートーヴェンの作品とは時間の淘汰なんてモノともしない古典ちぅの古典ですので、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」と同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えています。速い楽章は指の稽古を重ねて音を当てられるようになるだけで充実感を得られてしまいがちですが、遅い楽章はそうは行きません。ベートーヴェンの緩徐楽章を「それっぽくできるかどうか」は音楽の理解力の試金石なのではないでしょうか。

ベートーヴェンの時代のピアノのアクションはウィーン式アクションとイギリス式アクションに大別できてイギリス式アクションが現代のピアノと直結しているのですが、実はベートーヴェン自身はウィーン式アクションのピアノの方を好んでいたのです。この1894年製ベーゼンドルファーとベートーヴェンがまだ生きていた1820年代のウィーン式ピアノを同じ空間で弾き比べる機会があったのですが、なんと音も響きもそっくりでノケぞりました。さすがは時間が止まっているウィーンの楽器、いわゆる「ウィンナトーン」ってぇシロモノはシェーンベルク(1874-1951)が生まれ育った時代まであまり変わっていなかったんですね〜(・ω・ゞ

2020年6月 1日 (月)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第6番 op.10-2』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第6番 op.10-2』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

この第2楽章は Largo でも Adagio でもなく、Allegretto です。すなはち「小さなAllegro」であって、Allegroの「快適なスピード感」ほどではないのですがあくまでも「遅い楽章ではない」ところが心地よい気がします。3/4拍子というところで舞曲的な要素が加味されやすいのも確かでしょうが、この楽章の雰囲気だとメヌエットというにはチト違うような(まぁ実際メヌエットとは題されてないのであたり前w)

このような楽章ってイイ感じで「雰囲気を出す」のがなかなか難儀でして、ともすれば何かを表現しているように自らをゴマかすためにテンポを揺らしてしまったりするんですよね〜。「曲の全体像を捉える」とかいう言葉を使いさえすれば理解した気になりやすいのは確かですが、このような抽象的な言葉を使ったところで出てくる音楽が変化しないのであれば実はナニも理解していないのがバレバレ。音楽って誰もが等しく取り組めるものですし、そうでなければならないのですが、それだけにちょっとした味のかたよりで「なんか違う感じ〜」という感想が出てきてしまうのがなかなか怖いです。

長い長い時間の淘汰を乗り越えてきた「古典」という人類の財産は、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」を備えていますが、同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えています。このような楽章を「それっぽくできるかどうか」こそが音楽の理解力の試金石なのであって、指がまわるとか音がそろえられるとかは理解した音楽を楽器で奏でるための「方便」にすぎないのでありま〜す(`・ω・´)

ベートーヴェンの時代のピアノのアクションはウィーン式アクションとイギリス式アクションに大別できてイギリス式アクションが現代のピアノと直結しているのですが、実はベートーヴェン自身はウィーン式アクションのピアノの方を好んでいたのです。この1894年製ベーゼンドルファーとベートーヴェンがまだ生きていた1820年代のウィーン式ピアノを同じ空間で弾き比べる機会があったのですが、なんと音も響きもそっくりでノケぞりました。さすがは時間が止まっているウィーンの楽器、いわゆる「ウィンナトーン」ってぇシロモノはシェーンベルク(1874-1951)が生まれ育った時代まであまり変わっていなかったんですね〜(・ω・ゞ

2020年5月29日 (金)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第5番 op.10-1』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第5番 op.10-1』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。ベートーヴェンの緩徐楽章串刺しシリーズ第5作でございま〜す。

ベートーヴェンの前期って実は素晴らしく美しいメロディーに満ちておりまして、シューベルトと並び立つほどのメロディーメーカーだと密かに信じているワタクシでありま〜す。ですが、美しいメロディーというのは演奏する側にとっては実に厄介な魔物でありましてね。「美しいなぁぁぁ」とか「素晴らしいなぁぁぁ」とか感じながら演奏してしまうと、実は脳内補完が強〜烈に発動してしまって自己陶酔の世界へとまっしぐらに突入してしまうコトになってしまうんですね〜。録音を聴いてみて「こんなハズはない!」とショックを受けた経験は誰にでもあると思いますが、実演と録音とは全く異なることを大〜きく差し引いても、残念ながら悲しいことにそれが己の現実なのであります。とほほほ。

録音を聴いてショックを受け続けていると、脳内補完の恐ろしさというか素晴らしさというか、そのショックを麻痺させるような自己正当化という方向に走り始めます。自分のお金をつかって自分で愉しむのであればそれはそれで非常に結構なことでございますが、音楽を生業にしている身としてこんなドツボに陥ってしまうのは全くもって嬉しくない状況ですね。真面目に音楽をお勉強してしまうと「知識」というシロモノという諸刃の剣の怖さ、理解していなくても「正しさ」という権威にすがることで理論武装という自己正当化が可能になってしまうのであります。まぁ音楽に限ったハナシでもございませんが。

「分けること」と「分かること」とは似て非なること。目的も持たずにヤミクモにばらばらにしたところで理解できるハズはございません。対して、現代のネットはあまりにも親切になってしまっていて検索しさえすれば「分けるまでもなくw」たいていの場合「答え」が勝手に転がってきます。果たしてそれは「分かった」のでしょうかね?

この楽章、まことに美しいメロディーで始まりますが、ベートーヴェン先生ってばときたま妙に速い音符をぶっこんで来ます。速いアルペジオならばまだ楽なのですが、まさかの64分音符での12連符=8分音符のなかに64分音符12個という鬼畜ゾーンが待ち構えています。この箇所を打ち込みでやってみると、もう、めっっっちゃウケますぜ。物理的に音の高さや長さや大小などをヤミクモに再現することと機能和声にもとづいた意味を持たせて音の高さや長さや強弱などを表現することと、まぁなんともこれほどまでに残酷に差がつくモンかと驚かされます。いやホンマ、是非是非やってみてくださいませ!(`・ω・´)

楽譜に表示されているデジタル符号である音符をそのままデジタル操作盤である鍵盤の上にヤミクモに「置き直す」ことは単なる「変換」にすぎず、ワリと昔のコンピューター(AI以前ですよ)でも「打ち込み」という形で簡単にできましたしその方が圧倒的に正確に再現されます。まぁ現代では「打ち込み」の方がふさわしい曲が支配的になってしまった感がございますが、少なくともいわゆる「クラシック音楽と称される何か」な時代の音楽は断じてそうではありません。願わくば、打ち込みでは満足できないようなあなた自身の「ファジーな生き物としての感覚」を大切になさってくださいますように (*´-`)

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