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カテゴリー「音楽>楽器>クラヴィコード」の62件の記事

2021年5月 8日 (土)

大島徳彦氏個展@ギャラリーくぼた

Facebook友のアマチュア笛吹き大島徳彦さんの絵の個展にクラヴィコードとチェンバロがあって演奏が聴けるとなれば、ご挨拶に伺うのが当然の礼儀でございまして(*´-`)

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大島さんご本人の笛の演奏、そして前々からなんとなく活動が気になっていた西野晟一朗(にしのせいいちろう)さんのクラヴィコード演奏もさることながら、優しげでありながら芯がビシッと通った絵の数々に囲まれた贅沢な時間を堪能できました。僭越ながら差し入れにお祝い演奏をさせていただきましたが、西野さんとのモーツァルト初期 K.19d の初見連弾の楽しかったこと楽しかったこと!

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クラヴィコードを響かせるように音を重ねて弾ける人材にほとんどお目にかかれないのが残念な現状(^x^;;;ですが、西野晟一朗さんってそれができる稀有の人材なのが嬉しくて。クラヴィコードは西野さんの所有の逸品、小渕晶男2006年製作の Johann Heinrich Silbermann (1775) モデル。このクラヴィコード、持ち主の力量を反映して素晴らしく「育って」いて、小渕さんの楽器特有の非常に素直な鳴りが際立っていました。そして、大島さんお持ちの J.H.Rottenburgh のオリジナルフルートの鳴りがまた次元の違うなんとも凄まじい鳴りだったのもまた愉し。

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んで、満足したアカツキにウチの近所のいつもの場所で良質なw炭水化物とタンパク質とアブラに加えてニンニクと唐辛子を充分に摂取、とw

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2021年5月 4日 (火)

モーツァルト『ソナタ K.13/Joseph Bopp編』から第1楽章を、20世紀初頭のフルートとモーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で(フルート:素来聡子)

このK.13は、1763年6月9日から1766年11月29日までのほぼ3年半にもわたるいわゆる「モーツァルト一家の西方大旅行」の間にロンドンで作曲され、1765年1月に作品3として自費出版された「ヴァイオリンまたはフルートの助奏つきクラヴサンのためのソナタ集(全6曲)」の中の第4曲です。

西方大旅行の最初、1763年6月22日の晩にモーツァルト一家は父レオポルドの故郷アウグスブルクに到着して7月初めまで滞在しています。この動画で使っている旅行用クラヴィコードはこのタイミングでシュタインから入手したものでして、神童時代のヴォルフガングにとっての「真のオリジナル鍵盤楽器」なんですよ〜。また、このころロンドンはスクエアピアノの黎明期でもあり、クリスティアン・バッハの音楽とともに神童ヴォルフガングの音楽に与えた影響ははかり知れないものがあると言えましょう。

素来聡子さんのフルートはさすがにこの時代のものではなくベーム式フルートですが、20世紀初頭のルイ・ロットによる銘器です。

2021年5月 3日 (月)

モーツァルト『ソナタ K.13/Joseph Bopp編』から第2楽章を、20世紀初頭のフルートとモーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で(フルート:素来聡子)

このK.13は、1763年6月9日から1766年11月29日までのほぼ3年半にもわたるいわゆる「モーツァルト一家の西方大旅行」の間にロンドンで作曲され、1765年1月に作品3として自費出版された「ヴァイオリンまたはフルートの助奏つきクラヴサンのためのソナタ集(全6曲)」の中の第4曲です。

西方大旅行の最初、1763年6月22日の晩にモーツァルト一家は父レオポルドの故郷アウグスブルクに到着して7月初めまで滞在しています。この動画で使っている旅行用クラヴィコードはこのタイミングでシュタインから入手したものでして、神童時代のヴォルフガングにとっての「真のオリジナル鍵盤楽器」なんですよ〜。また、このころロンドンはスクエアピアノの黎明期でもあり、クリスティアン・バッハの音楽とともに神童ヴォルフガングの音楽に与えた影響ははかり知れないものがあると言えましょう。

素来聡子さんのフルートはさすがにこの時代のものではなくベーム式フルートですが、20世紀初頭のルイ・ロットによる銘器です。

2021年5月 2日 (日)

モーツァルト『ソナタ K.13/Joseph Bopp編』から第3楽章を、20世紀初頭のフルートとモーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で(フルート:素来聡子)

このK.13は、1763年6月9日から1766年11月29日までのほぼ3年半にもわたるいわゆる「モーツァルト一家の西方大旅行」の間にロンドンで作曲され、1765年1月に作品3として自費出版された「ヴァイオリンまたはフルートの助奏つきクラヴサンのためのソナタ集(全6曲)」の中の第4曲です。

西方大旅行の最初、1763年6月22日の晩にモーツァルト一家は父レオポルドの故郷アウグスブルクに到着して7月初めまで滞在しています。この動画で使っている旅行用クラヴィコードはこのタイミングでシュタインから入手したものでして、神童時代のヴォルフガングにとっての「真のオリジナル鍵盤楽器」なんですよ〜。また、このころロンドンはスクエアピアノの黎明期でもあり、クリスティアン・バッハの音楽とともに神童ヴォルフガングの音楽に与えた影響ははかり知れないものがあると言えましょう。

素来聡子さんのフルートはさすがにこの時代のものではなくベーム式フルートですが、20世紀初頭のルイ・ロットによる銘器です。

2021年4月 1日 (木)

ブルクミュラー『25の練習曲, op.100』から第1曲「素直な心/La candeur』を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

F.ブルクミューラー(1806−1874)の有名な『25の練習曲, op.100』から第1曲「素直な心/La candeur」を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。考えてみたら、せっかくこのクラヴィコードを持っていながら最近は中島みゆきばかりを弾いていたワケで、な〜にやってんだか(^◇^;;;;;

ブルクミュラーは1806年生まれで1832年以降パリに居住していたということは、ショパンやリストより数歳年上であって同じ時期にパリで活動していたのでありました。この時代でもクラヴィコードは個人的な音楽の友としてワリと普通に使われていたフシがありまして、現代ピアノ以外でブルクミュラーを体験するのはなかなか興味深かろうと思います。当然ながら文献学的必然性は皆無ですが、鍵盤楽器って妄想力次第で案外と「交換可能」ですからやってみりゃイイんですね〜 (*´-`)

2020年12月21日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『クリスマスソングを唄うように』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『クリスマスソングを唄うように』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『クリスマスソングを唄うように』は1986年12月18〜21日に両国国技館でのライヴ『歌暦Page86 -恋歌-』で歌われ、それを収録したライヴCD《歌暦》の第6曲めに置かれています。ギターの音を軽く確かめつつ「クリスマス、もうすぐだね」の一言に続いてイントロが始まり、中島みゆきによるギター弾き語りソロとなっています。「中島みゆきがアマチュア時代に作った唯一のクリスマスソング」という曲でなかなか耳にする機会はないのですが、それにしてもそれにしても、クリスマスソングほど中島みゆきに合わないネタはないじゃないのよ〜・・・というのは誰もが納得できるツッコミではないでしょうか ( ̄ー ̄)

 クリスマスソング唄うように 今日だけ愛してよ
  暦変われば他人に戻る


出だしからして、あぁ、納得の中島みゆきでありました。ここでホッとしてしまうのってなかなかのヒネくれ具合だとも思いますが、中島みゆきの世界に引きずり込まれていればしゃ〜ないんですよね〜w(・x・ゞ

 急に慈悲深くなった人々と
  そして 変わらずに すげない貴方(ひと)


すげない=素気ない=素っ気ない、ですね。この季節、街の人々はみんな「クリスマス、楽しんでね〜」というのが挨拶代わりになりますが、それなのにただ一人だけ変わらずに<すげない>のが主人公の想い人であります。う〜ん、これでこそ中島みゆきですなww

中島みゆきにはクリスマスを歌った曲がもう一曲『LOVERS ONLY』がございますが、コレ、恋人たち「ONLY」という題名なんですね〜。それじゃ恋人になっていない主人公はどないせぇっちゅんじゃ・・・というどころか、クリスマスには二人で幸せになろうと言われた相手にフラれている設定なんですから、も〜、これでこそ中島みゆきwww

 街じゅうが今夜だけのために 何もかも変わろうとする夜
  ほんのひと月前の別れも 昔のことと許される夜
  幸せにならなきゃならないように 人は必ず創られてると
  あの日あなたに聞いたのに
『LOVERS ONLY』2001年)

それにしても、この『クリスマスソングを唄うように』の音楽の切ないこと切ないこと。

 クリスマスを理由に
  雪を理由に
  云えない思いを 御伽噺


中島みゆきは、誰もが簡単に見えるような表面的な華やかさではなくその片隅にひっそりとしかしけなげに息づいている存在に眼を向けます。クリスマスシーズンは華やかで浮き立つような季節ではありますが、今年2020年のクリスマスシーズンは例の厄介な疫病のために様変わりさせられてしまっていますね。それでも人それぞれの心の中にはいつも通りの感覚が残っているに相違なく、見てくれの華やかさではない「目に見えない何か」に満たされていることでしょう。それと同時に無念さに満ちたこの2020年を振り返って、<云えない想い>を少しでも少しでも次につなげられることを祈ります。

2020年7月 7日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『悪女(シングル版)』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『悪女』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『悪女』は1981年10月発売のシングルA面、オリコン週間ヒットチャート第1位を飾ったまさに大衆的名曲です。どクラシックガチガチだったワタクシですら唄い出しの「んまぁりこのへぇやへぇ〜(チャカチャ~ン)、んでぇんわをかぁけてぇ〜(チャカチャ~ン)、」という独特の語り口が耳にこびりついているほど、それこそそこら中でかかっていましたモンね〜。『悪女』は1982年3月発売のアルバム《寒水魚》の冒頭にも収録されていますが、耳になじんだアレンジとちがって無理矢理悪ぶっている作りモノっぽさが耳について、ま〜る〜で〜聞いてられないんですよ〜。げに刷り込みとは恐ろしきものなり ( ̄ー ̄)

 マリコの部屋へ 電話をかけて
  男と遊んでる芝居 続けてきたけれど


う〜む、『悪女』というタイトルのワリには、この唄い出しからしていつものフラれて捨てられる中島みゆきのオンナじゃないですか〜σ^_^;

 帰れるあての あなたの部屋も
  受話器をはずしたままね 話し中


この感覚は現代のケ〜タイ時代には完っ全に滅んでしまいましたね〜。つ〜か、現代は音声通話すらしないでラインするんでしょね。あたしゃラインはしないから知らんけどw

 悪女になるなら 月夜はおよしよ
  素直になりすぎる
  隠しておいた言葉が ほろり
  こぼれてしまう 「行かないで」


これぞ有名な、あまりにも有名なサビ。中島みゆきの主人公のフラれ方パターンのひとつで「精一杯強がってみせるけど本音は・・・」ですね。『御機嫌如何』(1987年)が典型的でしょうか。

 涙も捨てて 情も捨てて
  あなたが早く私に 愛想を尽かすまで
  あなたの隠す あの娘のもとへ
  あなたを早く 渡してしまうまで


サビの部分で「ん?」と思った聴き手は2番のココでようやっと腑に落ちるようになっていますが、大ヒット曲の悲しさ、2番のココまでちゃんと歌詞を味わってもらえることは少なかったでしょうw。ワタクシも当〜然そのクチでして、そもそも歌詞に2番があったことすら気づいていなかったのでした。まぁコアなファンでなく流行りモンに乗っかる一般人wは、そもそもそんなもんですわな。

それにしてもこの『悪女』って、耳に残りやすく覚えやすい単純さと飽きさせない複雑さとが絶妙にブレンドされたメジャーちぅのメジャーだったんだなぁとあらためて感じさせられました。シングル販売80万枚オーバーの実力は伊達ぢゃなく、有名になってかつ記憶に残る作品にはやはりそれなりの必然性があるのでしょう。時間の淘汰とは残酷なモンで、「知られざる名作」なんつ〜のが常に探されて提案され続けておりますが、結局のところ残念ながらその圧倒的多数が「マニアックな作品」やら何やらの域を脱することができないワケで。そもそも「発掘されて提案されて主張されている」時点で何百周も遅れをとっているのが冷厳な事実で、そんな無理な主張せずに人それぞれの趣向が異なることを再確認しさえすれば、四海波静か(・x・ゞ

2020年4月 7日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『スクランブル交差点の渡り方』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『スクランブル交差点の渡り方』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。少し前にマイクと録音機の間に装着して音量レベルを上げる魔法のジョイントを自作しましたが、今回はそのデビュー。それなりの効果があった模様です(・o・ゞ

『スクランブル交差点の渡り方』は2012年発売のアルバム《常夜灯》に収録されています。全12曲の8曲めという地味な配置の曲で、曲調も諦めに満ちた独白調。でありながら、ギスギスして生きづらくなってしまっている現代、そしてやはり他者との関係なしでは生きていけない人間への鋭い指摘に満ちています。

 初めて渡ったときは気分が悪くなり
  しばらく道の隅で休んでいました


この出だしで「ちょっとメンタル弱過ぎぢゃね?」と思う方は、少なくとも現代の感覚に順応できている方でしょう。多少の無理を感じつつも順応できるだけの心の強さ、そして同時に鈍さ(少し前に「鈍感力」って流行りましたよね〜)を兼ね備えている、いわば「普通の現代人」なんですね。しかし残念ながらこの主人公は、現代を生き抜くにはいささかナイーヴに過ぎるのです。それなら人がいないところが自分の居場所・・・と思うのは当然ですが、な〜んと、2番はこうなっています。

 信号のない島に行ったりしました
  誰も来ない道は  道と呼べませんでした
  3つ隣の  中くらいの島に着いて
  信号の灯に喜んだのは確かでした


他者がいないと勝手にできて楽だろうなぁと思うのは無理もございませんが、それは早計。人間は多かれ少なかれ「自分が存在しているという実感」を求めるもので、それこそが自分が生きている証=灯りなんですね。この<信号の灯>を他者との関わりを示す象徴としているところ、さらりとアタマに入ってくるのがやはり流石の中島みゆきであります。この詩で「喜び」を表現しているのはただ一ヶ所この部分だけなのが印象的ですが、主人公は他人のように醒めた目で<喜んだのは確かでした>と。この行き場の無い閉塞感はいたたまれないほどだと思われませんか? 主人公が感じた世間とは・・・

 おそろしく沢山な敵ばかりでした

であり、そして、コレ。

 あまりにも複雑な競い合いでした

このような厳しい世間を渡れない人たちは弱者という枠に追いやられてしまい、表には出られなくなってしまいます。いや、このような人たちは、自分のできる範囲だけをひっそり続けられる居場所さえあれば充分で、表に出られないこと自体が問題なワケではございません。ですが現代の抜け目ない効率ってぇヤツは、そのようなささやかな願いさえも搾取の対象としやがります。こうして「標準」と称される「都合の良い定型」から外れる人の居場所は狭くなる一方なんですよ〜。それぞれ一連の最後に吐き出されるつぶやきが心に刺さります (´・_・`)

 私には向いていないと思いました

「住めば都」と申しますが、この主人公にとっての「都」って一体どこなんでしょう? <中くらいの島>ならハナシは単純ですが、どうやらそうではなさそうです。3番にこんな一節がございます。

 人と違うほうへ出ようとするから
  人とぶつかるばかりだったんです
  人の後ろに付けばいいんだと知りました
  スクランブル交差点では  渡り方にコツが要る


やはり主人公はスクランブル交差点にとっての「都合の良い定型」から外れていますね。スクランブルといえども一定の秩序があり、それを乱すのは邪魔者に他ならず。そのような者には居場所なんぞあるハズがないようです。小さな一個人のささやかな願いさえも世間の空気を読まねば叶えられない、そんな場所が偉そうにも万物の霊長たるとはほざく人間の社会であってイイのでしょうか? (`ω´)

 それでも時折  意外な所へ着いてしまったりもするので
  人の行く先を予測するのが大事です


うぅむ、そんな世知辛い現代社会にあってなんとか一個人の願いを叶えるためには、やはりそれなりの悪知恵がないとなかなか厳しいらしいですな (`・ω・´)

2020年3月 7日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『忘れな草をもう一度』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『忘れな草をもう一度』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『忘れな草をもう一度』は1982(昭和57)年発売の中島みゆき13枚目のシングル《横恋慕》のB面で、実はアルバムには収録されていない曲です。忘れな草は春から夏にかけて咲く青い可憐な花、花言葉は「私を忘れないで」そしてそこから転じて「真実の愛」。3月は卒業や別れの季節でもあり、あちこちで「私を忘れないで」「真実の愛=ずっと一緒だよ」という場面が繰り広げられていることでしょう。この季節の花はなんといっても桜でしょうが、忘れな草も忘れないで・・・って、忘れな草ってホントに地味ですからね〜 ヽ( ̄▽ ̄)ノ

それにしてもこの曲の世界はまことに荒涼としていて、果てのないような淋しさを感じてしまいます。2番の出だしと言ったらもうね(T_T)

 春や夏や秋が あるのは
  しあわせ行きの 駅の客です
  君を乗せた 最後の汽車が
  消えた荒野は 長い冬です


主人公(「僕」なので男性です)の置かれた境遇は<長い冬>のままですが、1番の出だしがこうなっているので、主人公が失ってしまった「君」には春が来たのでしょうか。失ってしまった相手が幸せになってしまった経験は誰にでもあるでしょうが、コレ、ホントにホントにホントに切ないですよね。

 ふいに聞いた 噂によれば
  町はそろそろ 春のようです
  君のいない 広い荒野は
  いつも 今でも 冬というのに


まぁそれにしても、主人公の未練がましさもまたなかなかでw この曲の歌詞は中島みゆきにしてはストレートで読みやすいのがイイのか悪いのか。

 君は今も 咲いていますか
  誰のために 咲いていますか
  僕はここで 生きてゆきます
  未練な手紙になりました


さて・・・一定以上の年齢の方で<しあわせ行きの駅>で思い出されるのは、旧国鉄広尾線の『愛国から幸福ゆき』の切符ではないでしょうか。広尾線は中島みゆきが青春を送った帯広から南に伸びていた渋い渋いローカル線で、広大な十勝平野をトコトコ走る風情はなんとも通好みwでございました。そんなローカル線の一枚の切符が一大ブームとなったのは1974(昭和49)年ごろからとのこと、この区間の切符をいったい何百万人が買い求めたことでしょう。この切符を買っても幸せになれなかったヒトたちが国鉄職員に文句を言ったところ、とんちの利いたその職員、「そりゃ〜、アナタがたの最寄り駅から愛国までの往復切符を一緒にしてなきゃダメですよ、キセルじゃ幸せはやってきませんぜと返したとか返さなかったとかwww

1986031408

広尾線の廃止は国鉄民営化直前の1987(昭和62)年2月2日、ワタクシ、前年の3月の一浪めの入試直後に広尾線を訪ねてそこそこの記録を撮ることができましたが入試の結果は惨敗で二浪へと道が開かれてしまいました(爆)。「愛国→幸福」も「幸福→愛国」も、そのとき使ったなつかしの北海道ワイド周遊券も一緒にしていたのになんたることぞw

国鉄広尾線 大正ー幸福 1986.3.14.
 Camera: FUJICA ST-701 Lens: FUJINON 55mm F1.8
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2019年12月 2日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『十二月』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

さぁいよいよ年の瀬が見えてくる12月2日は不肖ワタクシの誕生日でございます。この年齢になっても誕生日はそれなりに嬉しいモノでありますが、折り返し地点をとっくに過ぎたんだなぁ・・・とも思わざるを得ないフクザツな日とも。まぁワタクシ一回しか折り返さないつもりは毛頭ございませんがね〜 (`・ω・´)

さて、この記念すべき(?)日に全くふさわしくないw曲、中島みゆきの『十二月』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『十二月』は1988年発売のアルバム《グッバイ ガール》のA面ラストに収録されておりますが、二番の歌詞のあまりの鋭さにアルバムではカットしてしまったといういわくつきのとんでもない曲だったりするんですわ。なお、この「幻の二番」込みのフルバージョンは、アルバムリリース翌年1989年の『夜会』第一回と1997年のコンサート『パラダイス・カフェ』で披露されています。ニワカなもんで1番と2番のつなぎがどう処理されていたのかは知らないのですが、安直につなげて(おっと(^x^;)疑似的フルバージョンに仕立ててみました。なお、このアルバム《グッバイ ガール》と同じ題名の楽曲『グッバイ ガール』はこのアルバムには収録されておらずにシングルのみであるとか、このアルバムはCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく中古市場では高値で取引されているとか、いろいろと余計なハナシもございまして。最近ちょっと値が下がったので某ヤフオクでウッカリ落札してしまったというのもココだけのハナシ(・x・ゞ

 自殺する若い女が この月だけ急に増える
  それぞれに男たち 急に正気に返るシーズン
  大都会の薬屋では 睡眠薬が売り切れる
  なけなしのテレビでは 家族たちが笑っている


・・・イヤ、そもそも、ダメでしょ、この唄い出し。新年を控えた歳末にあらためて現実を整理して省みるというごく普通のことを、現実を家庭に置き換えて男たちが急に正気に・・・という表現のネタにするとはかなりのアタマのキレっぷり。しかもその家庭には<なけなしのテレビ>でテレビの中で<家族たちが笑っている>のですからね〜。《グッバイ ガール》が発売された1988年といえばバブル期まっただ中そして20年にわたるスキーブームの終末期、前年の1987年には映画『わたしをスキーに連れてって』の封切りもございました。そういえば『わたしをスキーに連れてって』の音楽はユーミンで『恋人がサンタクロース』が主題歌を凌駕して大当たりしましたね〜。そんな年のスキーシーズンが始まる時期の11月16日に、『十二月』をA面ラストそして『吹雪』をB面ラストに据えたアルバム《グッバイ ガール》をリリースするなんて、よくもまぁヤッたもんで。販売サイドでキラキラなユーミン vs ダークな中島みゆきという図式があったのかもしれませんが、バブル期でパワーが半端なかった時代とはいえいくらナンでも真っ黒に振らせ過ぎでしょw

 誰を責めるつもりもない 誰に語るつもりもない
  横たわる口元は 周到な愛を笑っている
  膝を抱えた掌が 力尽きて凍えていく
  開かれたアドレスは 連絡先がひとつもない
    何万人の女たちが あたしはちがうと思いながら
    何万人の女たちと 同じと気がついてしまう月
   人の叫びも 鴃(もず)の叫びも
   風の叫びも 警笛(ふえ)の叫びも
   みんな似ている みんな似ている
   人恋しと泣け 十二月


かの「幻の二番」がコレ。う〜ん、別に自主規制するほどの内容かな〜と思いますし、逆に昨今はやりの「自己責任」という決まり文句wとは次元の違う覚悟の強さを感じてしまうのはワタクシだけでしょうか。とは言え<開かれたアドレスは 連絡先がひとつもない>のはバブル期にあってはむちゃくちゃに淋しい状況ですし、いづれにせよ酷い歌詞ですわ (´・_・`)

一般的な十二月の景色はクリスマス・年の瀬・正月という華やかな景色で、しかも1988年当時はバブルまっただ中ですから年がら年中「華やか」だったところに上乗せされた華やかさでしたね。まぁ世間がそうであってもごくごく普通の人の日常とは華やかさとは無縁で世間に触れてもらえない部分で、そして世間に乗れていなかった人々こそがバブル崩壊を乗り切れたであろうことにも眼を向けたいと思います。タピオカは台湾では昔っから日常ですが、日本でのブームはいつまで続くんでしょうね〜w

 人よ信じるな けして信じるな
  見えないものを
  人よ欲しがるな けして欲しがるな
  見果てぬものを
   形あるものさえも あやういのに
    愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
    愛さえも夢さえも 粉々になるよ
『愛よりも』1988年)

《グッバイ ガール》B面2曲めがこの『愛よりも』ですが、まさにバブルに浮かれていた時代を見極めていたかのようなこの1番の歌詞。そしてB面ラスト=アルバムのラストに置かれた『吹雪』の最後の最後で浮かれた雰囲気にとどめを刺されます。

 疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて
  静かになる日が来たら 予定どおりに雪は降る
    どこから来たかと訊くのは 年老いた者たち
    何もない闇の上を 吹雪は吹くだろう
『吹雪』1988年)

<愛さえも夢さえも粉々に>なって<ブームが過ぎて静かになる日が来たら><何もない闇の上を 吹雪は吹くだろう>・・・と部分を切り取って物語を作りなおすwのもどうかとは思いますが、はやりすたりと無縁の「変わらぬもの」ってなんでしょうね。思春期を帯広で過ごした中島みゆきですから、一夜にして周囲を一変させる存在であって解けてしまえばウソのように元通りになる「雪」という自然現象に特別の感覚を持ち、はやりすたりと無縁の「変わらぬもの」を人間の力の及ばぬほど強大な自然の営みに例える感覚を育んでいたのかもしれません。「雪は天から送られた手紙である」と遺したのは雪の結晶の研究で名高い物理学者の中谷宇吉郎博士(1900-1962)ですが、中島みゆきはこの言葉を手がかりとして雪と氷の不思議な世界を『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』で表現しようとしたとのこと。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』が上演されたのは2000年、<中谷博士が生まれてちょうど百年目の年の冬>であります。どうぞ『六花』の怪説もご覧になってくださいませ。

『六花』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

 好きになるのも 信じきるのも
  待ちわびるのも 思い切るのも
  みんな自由だ みんな自由だ
  人恋しと泣け 十二月


中島みゆきの詩の中でも指折りの酷さを誇るこの『十二月』の唯一の救いはここでしょうか。はてさて、自由とは。

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