フォト

カテゴリー

カテゴリー「音楽>楽器>クラヴィコード」の74件の記事

2024年11月10日 (日)

1726年製クリストーフォリピアノ&1763年製モーツァルトの旅行用クラヴィコード演奏会

2024年11月10日、大阪は堺の『スペースクリストーフォリ堺』主催公演の大役を仰せつかりましてな💪

Img_5896s

現代的な合理化を一切廃して多少の弾きづらさなどなどは意に関せず、といういさぎよ過ぎるほどの完全オリジナル主義な修復方針にこだわり抜く山本宣夫氏の本拠が『スペースクリストーフォリ堺』、山本宣夫氏はココで25年前の1999年に1726年製クリストーフォリピアノの奇跡的な完全複製楽器を作り上げたのでした(なお、浜松市楽器博物館の有名なのとは別の個体です👌)。この奇跡の一部がこの記事↓です。

*山本宣夫氏のインタビュー
 ホンモノの熱意というのは神がかりのように運を引き寄せるのだと納得させられます。運も実力のうち!
https://phoenixhall.jp/interview/2004/06/01/747/

20241110_cristofori_s

20年前まではこの山本宣夫氏の1726年製クリストーフォリピアノでの活動をワリと頑張っていたワタクシ、昨年2023年豊中市での「とよなかクリエイティブ・ガーデン」でのひさびさの再会を機に加齢なw復活、月並みな表現ですが、過ぎ去りし青春時代に一瞬でタイムスリップしましたよ〜😭

20241110_palazzi_s

「最初のピアノはチェンバロの躯体に弦を叩く機構を取り付けただけの不完全なシロモノだった」と憶測するだけなら知識があろうがなかろうが容易ですが、いまだにピアノの専門家な方々ですら案外とこの程度の認識でとどまっているコトが少なからずなようで歯がゆいです。例によってと言うべきかw史実は全く異なっており、Cristofori のピアノはチェンバロよりはるかに複雑強靭に組まれていて、しかもこの1726年製の個体の打弦機構(アクション)はウナるしかないほどに洗練されています。

*打弦機構の動画をどうぞ〜✨✨✨


そして、これまた特殊な「ダブル・ベントサイド構造」のために複雑強靭な躯体を持ちながら響板は雑な表現を許してもらえれば柔らかく「浮いた」ように仕組まれており、Cristofori のピアノで弾く柔らかいピアニシモは特筆すべき美しさなのです。そのためCristofori のピアノとクラヴィコードとの親和性が極めて高く、比較的小規模な会場でこの2台を演奏するというのは我がスタイルとして確立できたような気がいたします✌️

20241110_reiseclavichord_s

この山本宣夫氏による複製楽器は「未完成かつ不完全なシロモノ」という根拠のない憶測を吹っ飛ばすに足る驚くべき出来栄えで、やはりピアノという楽器は Cristofori という「真の天才による偉大な発明」だったのだろうなぁと思わされます。願わくば、この動画でその魔力のごく一部でも伝われば幸いです。

2024年9月21日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『海鳴り』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『海鳴り』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

『海鳴り』は、1978年発売のアルバム《愛していると云ってくれ》に収録されています。《愛していると云ってくれ》は中島みゆきの第4作めのアルバムですが、大ヒット作の『わかれうた』が入っていますし、フラれ歌の女王らしさと2年後の問題作《生きていてもいいですか》の出現を予感させていたかのような『化粧』の不穏な雰囲気とを兼ね備えた、相当にヒネくれて充実wしたアルバムと思います。前作《あ・り・が・と・う》とともにYMO結成直前の坂本龍一が参加していたというのもな〜かなか興味深いところで、めっっっちゃトンがっていたであろう当時の坂本龍一と中島みゆきが一緒に音楽を作っていた現場なんて、ちょ〜っと想像を超えますね〜😳

さて、中島みゆきは帯広で青春期を送っていますが、それ以前幼稚園年長から小学校5年生までは岩内(いわない)で暮らしています。帯広は大平原の街ですが、岩内は積丹半島の南のつけ根で日本海の荒波が打ちつける漁師町。昭和30年代半ばですから海から吹き付ける風の厳しさも冬の雪の厳しさもひとしおだったことでしょう。なお、国鉄岩内線は1962(昭和37)年2月1日に客貨分離されて旅客がディーゼル化されており、中島美雪嬢(本名)って岩内線の近代化をちょうど体験しているんですね〜w

 海鳴りが寂しがる夜は
  古い時計が泣いてなだめる


1978年発売のアルバムの曲ですから、<古い時計>は荘重な柱時計一択ですね。遠く近く聞こえる海鳴りと古い柱時計のカチコチ音そして定時を知らせる鐘の音、これだけで寂しげな情景が浮かび上がってくるではございませんか。

 遠く過ぎて行った者たちの
  声を真似して 呼んでみせる


海鳴り>とはあくまでも感情のない自然現象にすぎませんから、それが寂しがって聞こえたり<遠く過ぎて行った者たちの声を真似して>聞こえたりするということは、それを聞いている主人公の心こそが寂しく、そして<遠く過ぎて行った者たち>を想っているのであります。アルバム発売当時の中島みゆきはようやく26歳、さすが底知れぬ感性の持ち主ですわ〜😳

 海よ おまえが 泣いてる夜は
  遠い 故郷の 歌を歌おう
  海よ おまえが 呼んでる夜は
  遠い 舟乗りの 歌を歌おう
『海よ』1976年)

中島みゆきが「海」を唄うことは決して多くはないですが、デビューアルバムにこの曲が入っていることもまた、中島みゆきが「海」に対してなにか特別な感興を抱いているのではないかと思わされます。昭和30年代半ばの岩内は活気にあふれていたでしょうがその自然環境は厳しく、中島みゆきの独特な「翳り」の源泉の一つなのではないでしょうか。

 紅灯の海は優しい 海と名の付くものは優しい『紅灯の海』1997年)

紅灯>とは、まぁ「赤ちょうちん」なのですが、歓楽街とは確かにその活気と表裏一体となった「人生の翳り」にあふれている場所でもあるんですよね。

 覚えてるよ 覚えてるよ
  この足元で はしゃいでいたね
  覚えてるよ 覚えてるよ
  時計だけが 約束を守る


人間も環境も全てがうつろう万物流転なこの世界ですから、ある程度人生を過ごしてきたヒトなら皆、<約束>とは必ずしも永遠でもないことは何度となく思い知らされますね(そうですよね?)。それらと無関係に無情に一定の時を刻むものは<時計>という存在であり、その存在を<約束を守る>という無情とは真逆の表現に落とし込むこのセンス、むちゃくちゃ冴えてますわ〜。それにしてもこのなんとも寂しい疎外感というか喪失感、いったい何ぞ。

 海鳴りよ 海鳴りよ
  今日も また お前と 私が 残ったね


これぞ寂しさの極致、<海鳴り>は海がある限り鳴り続けるワケで<時計>と同様に永遠の象徴でもあり、主人公もまた永遠に変わらぬことを願いそのように行動しているはずなのに、逆にその結果<海鳴り>と自分独り以外誰一人として残っていないのであります。そのやるせなさを包み込んでくれるのが広い広い「海」であり、その存在を聴感的に伝えてくれる<海鳴り>なのでしょうか。ですが<海鳴り>とはあくまでも感情のない自然現象なんですよね〜。

 見てごらん 今歩いてゆく
  あんな ふたりを 昔みたね
  そして 今日は 明日は 誰が
  私の ねじを 巻いてくれるだろう


柱時計はゼンマイを巻かなければ止まってしまうことを、現代人は知らねばなりませぬ。主人公が時計のように永遠に変わらぬためには、誰かにネジを巻いてもらわねばならないのです。主人公はかつて<ふたり>であってゼンマイを巻いてもらえていたのは確かなようですが(コレ、想いびとに限らないですね)、そのことで逆に時計とともに独りになってしまったのでしょうか。いやいやいや、どないせぇっちゅ〜んじゃ。

 忘れないで 忘れないで
  叫ぶ声は 今も 聞こえてる
  忘れないよ 忘れないよ
  時計だけが約束を守る


忘れないで>と叫んでいたのは主人公のみならず、かつて<ふたり>であったお互いでしょう。しかしそれは彼方に過ぎ去ってしまい、その約束は守られなかったのですね。海鳴り>は寂しさを慰めてくれるときもありましょうがむしろ寂しさをつのらせてくる存在でもあるわけで、その雰囲気をギターの分散和音による伴奏が見事に表しています。この曲、地味かも知れませんが、まことに沁みますね😭

 海鳴りよ 海鳴りよ
  今日も また お前と 私が 残ったね




ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。

2021年12月 2日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『北の旅人』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

本日(12/2)はワタクシの生誕日、いつの間にか55歳になってしまったようですが、なぁに、五捨六入すればまぁだ50歳の折り返し地点でさぁwww

中島みゆきの『北の旅人』という未録音の秘曲を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

『北の旅人』は、1983年9月4日の天理教「あらきとうりょう・女子青年決起北海道大会」の大会歌として書き下ろされた曲です。ネット上にもあまり情報はなく、音源もわずか数種類程度にとどまるようです。「あらきとうりょう」とは「荒木棟梁」という建築や大工に関係した言葉で、どんな深山へでも恐れずに入っていって、立派な用材を伐採して建築に役立つように製材をする棟梁のこと。「荒木棟梁」とは天理教青年会が掲げている行動理念で、青年会員は自ら「あらきとうりょう」を自負し、日々、布教と求道に励んでいるとのことです。

このような理念を謳った特別な作品ということもあり歌詞を載せて偉そうに解釈を開陳することは控えますが、さすがは安定の中島みゆき、天理教の「あらきとうりょう」という理念を北海道の冬の自然の厳しさと見事に調和させた美しい歌詞として仕上げています。単純な中に力強さを秘めた佳曲だなぁと思いますが、同時にサビの部分で下の「ド」から上の「レ」までの跳躍を歌わせるのもまた、さすが容赦ない中島みゆきでありま〜す。



ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。

2021年9月30日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『あたいの夏休み』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

行く夏を惜しむどころか今年の3/4が過ぎ去ろうとしている9月末、中島みゆきの『あたいの夏休み』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜。

『あたいの夏休み』は1986年6月発売のシングルA面、そして同年11月に発売されたアルバム《36.5℃》に、ミックス違いのバージョンで収録されています。シングル発売前3ヶ月にわたったコンサートツアー「五番目の季節」で新曲として歌われたのが初出である由。

当時ワタクシが入り浸って製作に勤しんでいたw鉄道模型店にこの曲のシングル版がカセットテープでそれこそエンドレスでかかっておりまして、この『あたいの夏休み』はそれこそ隅々まで聴き慣れているというね。聞き慣れすぎていることはアレンジには邪魔で、「なぁんか違う〜」という感覚をもみ消すwのがいささか大変でした。アレンジって要はベツモノに仕立て直すことですから「なぁんか違う〜」のが当たり前なんですけどね〜(・o・ゞ

 短パンをはいた付け焼き刃レディたちが
  腕を組んでチンピラにぶらさがって歩く
  ここは別荘地 盛り場じゃないのよと
  レースのカーテンの陰 ささやく声


「高原の原宿」と呼ばれて首都圏の若者たちに爆発的な人気を誇った清里(きよさと)のペンションブームは1978年に始まっており、まぁそれを知る人はすでに熟年世代でしょうが、そのイメージはまさに「爽やかな高原にたたずむパステルカラーの瀟洒なペンション」であり、そこに欠かせない舞台装置は、まさにレースのカーテンでありました。そして1981年10月から倉本聰による『北の国から』の放映が始まって本州の高原と異なる富良野・美瑛の雄大な丘の風景が全国的に知られるようになり、次第に日本人の心の中に高原リゾートに反応する気質が育まれていったのではないかなぁと思っています。

そして満を持した1983年の「東京ディズニーランド」開園が日本に与えたインパクトは絶大で、これがきっかけとなって日本人の暮らし方は新しい地平を見出した感があります。同年に「長崎オランダ村」「リトルワールド」「日光江戸村」がオープンするなどテーマパークが一気に注目を集めるようになり、それらのイメージがあらゆる業態のサービスをくつがえして日本人の暮らしを激変させていったと言っても過言ではないと思います。重なるときは重なるモンで、任天堂がファミコンを発売したのも1983年、そういえばつくば万博は1985年でしたね〜。

社会が一気に変化するタイミングでは少なからず滑稽な現象が見られるモンでして、ナルホド、いつの世でも「ブーム」というシロモノは踊らされる人たちが浪費したお金で支えられているんだなぁと。あ、モチロン、それは決して悪いコトではなくって、人間活動としてはむしろ健全なんだろうなぁとも思ってますぜ。『あたいの夏休み』の主人公は<付け焼き刃>な滑稽さを冷笑的に見つつも、なんだかんだ言って自分は滑稽でなく華やかな場の一員になりたくて別荘地にやって来てるワケで、やっぱりウラヤマシくてしょ〜がないんですよね〜〜〜(・x・ゞ

 お金貯めて3日泊まるのが夏休み
  週刊誌読んでやって来れば 数珠つなぎ
  さめたスープ 放り投げるように 飲まされて
  二段ベッドでも あたいの夏休み


この一連はブームに人一倍憧れつつもさまざまな事情wで乗り切れない、という鬱屈とした感覚そのものですな。一見すると毒をはらんだ社会風刺のように見えますが、実は主人公の心のうちは風刺される側なのでありま〜す。この時代は夏の曲といえばこんな感じで爽やかな夏で売るのが当然でしたが、

 <フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
  夏の扉を開けて
  私をどこか連れていって
(松田聖子『夏の扉』1981年)

ここにめっっっちゃ庶民的で鬱陶しく屈折した夏の主人公(「あたい」という一人称も最っ高〜に効いてるしw)をぶっ込んできた中島みゆきってば、も〜オモシロすぎますwww

 貴賓室のドアは金文字の VIP
  のぞきこんでつまみ出されてる夏休み
  あたいだって町じゃ 捨てたもんじゃないのよと
  慣れた酒を飲んで 酔う 十把ひとからげ


最初の<貴賓室のドアは金文字の VIP>って、詩的に見えて中身のない言葉の中でも最右翼に位置するようなめっちゃおバカなひとことだと思うんですが、この時代のいかにも取ってつけたようなハリボテ感を表現するのにウマく一役買ってますね。別荘地の華やかな舞台に立つことなんて見果てぬ夢なのは主人公には先刻承知でしょうが、やっぱりウラヤマシくてしょ〜がないんですよね〜〜〜(・x・ゞ

 だけど あたいちょっと この夏は 違うのよね
  ゆうべ買った 土産物屋のコースター
  安物だけど 自分用じゃないもんね
  ちょっと わけありで 今年の夏休み


自家用車で高原の別荘地(「リゾート」という概念が知られるためにはもう少し、数年後のバブルを待つタイミングですナ)アベック(死語)で出かけてしっぽり、というのが当時の若者の憧れのゴールでしたが(でしたよね!?www)、惜しくもちょ〜っと届いていない主人公。ユーミンのコンサートが派手でゴージャスな方向になり始めたのが1979年ごろからとか、世の中が華やかな方向に動き始めている中で主人公がようやく買えたのが従来型の安い観光地土産、というのが哀れと同時にひときわ共感を覚えます。そうそう、「アベック」が「カップル」に変化するきっかけ、1978〜1981年に少年マガジンに連載されていた『翔んだカップル』が重要なんじゃないかなぁと思いますが、どうなんでしょね?

 悲しいのは ドレスが古くなること
  悲しいのは カレーばかり続くこと
  だけど もっと悲しいことは ひとり泣き
  だから あたいきっと勝ってる夏休み


「別荘地アベックなお前らはいっときのかりそめで、あたいは町に帰ればイイ人がいるんだもんね〜」という主人公、華やかな舞台に乗れなかったことへの精一杯の強がりなのでしょうが、庶民のささやかな楽しみなんてそんなモン。それにしても、中島みゆきの数ある詩の中で、つき合い始めでこっそりニヤニヤしている主人公って他にいたかなぁ・・・と思えるほどレアではございませんか。イジけて自虐的なばかりでなくちっぽけな幸せをそっとかみしめるこの主人公、なんだかイイ感じと思いません?



ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。

2021年9月23日 (木)

モーツァルト『6つのウィーンソナチネ』から第1番第1楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト作曲とされる「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章を、モーツァルトが7歳のときにモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。ナゼかこの動画のときだけ撮影アプリがバグって派手なフリッカーが発生してしまったのが残念至極!

モーツァルト没後の19世紀初頭(1805年とされています)のウィーンで、モーツァルト作曲によるクラヴィーアソロ用の「6つのウィーンソナチネ」なる楽譜が Artaria 社の Plate 1644-1645 として2分冊で出版されました。手頃で親しみやすい曲集でかなりの好評を博したようで現代でもさまざまな楽器用に編曲されていますが、この手の作品は成り立ちが怪しいものが少なからずなのもまた事実。オリジナルはケッヘル目録第6版でK.439b の「3本のバセットホルンまたはバセットホルンとファゴットのための5つのディヴェルティメント, K.Anh.229(439b)」とされていますが、なんとなんと、この「6つのウィーンソナチネ」では編集者によって5つの曲も楽章もバラバラにして6曲に再構成されていたりします。

この動画で弾いている「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章はもとは「ディヴェルティメント第4番」の第1楽章で、再現部に絶妙なカットが入れられてクラヴィーアソロ用として編曲されています。この「6つのウィーンソナチネ」の編曲者は知られていませんが、再構成の見事な手腕とあわせて考えるとかなりの実力者だったのではないかなぁと思わざるを得ませんね〜。



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

モーツァルト『K.2』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年1月にザルツブルク(?)にて作曲、とされる当時6歳になるかならないかのモーツァルト(誕生日が1月27日ですからね〜)による「ヘ長調の小品 K.2」を、その1年半後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「ヘ長調の小品 K.2」は一般的には「メヌエット K.2」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問があるんだけど・・・まぁいっかw。この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に書きつけたものと一応はされていますがこの曲のページ(とあとK.5の1ページ)は後年に誰かに贈られて失われており、唯一1828年に発行された資料にのみ記載がある、という厳密にはちょ〜っとだけ悩ましいシロモノだったりします。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月22日 (水)

モーツァルト『ソナタ K.7』第3楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年11月30日にパリにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「メヌエット ニ長調」を、その少し前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「メヌエット ニ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第2曲の第3楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.7」が与えられております。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月21日 (火)

モーツァルト『ロンドン・スケッチブック, K.15』から第1〜6曲を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト一家のいわゆる「西方大旅行」中のロンドンにて、当時8歳のヴォルフガングが父レオポルドから与えられた楽譜スケッチ帳に自らの手で書きつけた「ロンドン・スケッチブック」から第1〜6曲を、1年ほど前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。この「ロンドン・スケッチブック」の時期は1764年の後半と推測され、これら最初の6曲はさまざまなスタイルを自在に使い分けていて、8歳半にしてさすがは神童の名に恥じない素晴らしい能力ですよ〜。

モーツァルト一家がロンドンに着いたのは1764年4月23日、今までにないほどの熱狂的な歓迎を受けたのでした。ですが当時のロンドンの環境は産業革命最初期(七年戦争が終結、パリ条約が前年の1763年ですよ〜)で劣悪で、父レオポルトが「これほどたくさんの蒸気・煙・埃それに霧が出る人口稠密な都会」という表現をしています。なお、ワットによる蒸気機関の効率化はわずか数年後だったりしますね。

このような環境の中で用心深い父レオポルドは家族の健康に充分以上なほどの注意を払っていたのですが、あろうことか自身が8月初めに重病にかかってしまい、一家は9月末ごろまでロンドン郊外のチェルシーに移ります。ここには鍵盤楽器がなかったためにヴォルフガングはこの楽譜スケッチ帳でいろいろと作曲を試みていた・・・というのが通説ですが、一家は旅行用クラヴィコードを1年前から携えていましたからこの説は怪しいとワタクシにらんでいたりします(・x・ゞ

鍵盤に触れられなくて頭の中だけで作ったから妙に弾きにくかったり演奏不能だったりする箇所が少なくないという解説もほぼ例外なく目にしますが、人類の歴史に燦然と輝くほどの天才少年の頭の中です。凡人には弾けなくても彼は弾けたかもwしれませんし、そもそもスケッチ帳で完成させることを念頭に置いていないワケですから鍵盤楽器だけを念頭に置いていたと限定してしまうのも無理があると思いませんかの? まぁ同時にこの楽譜スケッチ帳には一家所有の旅行用クラヴィコードの音域を下に超える曲があるのも事実ですが当時の鍵盤楽器の最大音域にはきっちり収まっているワケで、音域が合わないからと言って「旅行用クラヴィコードは手元になかった」と結論づけられるほどのハナシではないでしょうよと。だいたい、この時代の音楽家たるもの、鍵盤楽器の音域がアタマの中に入っていないワケないでしょ〜にw。

「弾きにくさ」も、ヴォルフガング君はいたずら好きですし弾けて弾けて楽しくてしょうがない少年だったでしょうし、突飛な音形をぶっこんで見たというイタズラも無数にあったのではないでしょうかね〜(^^)b

第1〜3曲


第4〜6曲


ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月20日 (月)

モーツァルト『K.4』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年5月11日にザルツブルクにて作曲、とされる当時6歳のモーツァルトによる「ヘ長調の小品 K.4」を、その1年ちょい後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に<1762年5月11日>の日付とともに書きつけており、このタイミングはザルツブルクの自宅だよね、という判断というワケです。この「ヘ長調の小品 K.4」は一般的には「メヌエット K.4」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問なんだけどなぁ・・・形はメヌエットなのでまぁいっかw。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月18日 (土)

モーツァルト『ソナタ K.6』第2楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年10月にブリュッセルにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「アンダンテ へ長調」を、その直前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「アンダンテ へ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第1曲の第2楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.6」が与えられており、7歳の天才少年の作品としてまことに堂々としたアンダンテ楽章であるように感じます。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

イベント・演奏会 グルメ・クッキング ファッション・アクセサリ レッスン 写真>Instagram 写真>昔のレンズ/カメラ 学問・資格 彫金 文化・芸術 旅行>アジア>フィリピン 旅行>アジア>中国 旅行>アジア>台湾 旅行>アジア>韓国 旅行>アジア>香港 旅行>ヨーロッパ 旅行>中南米 旅行>北米 旅行>北米>アメリカ 旅行>日本>中国地方 旅行>日本>中部地方 旅行>日本>九州地方 旅行>日本>北海道 旅行>日本>北陸地方 旅行>日本>四国 旅行>日本>山陰 旅行>日本>東北地方 旅行>日本>甲信越 旅行>日本>近畿地方 旅行>日本>関東地方 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 書籍・雑誌 萬年筆 鉄道 鉄道>写真 鉄道>模型 鉄道>模型>マヌ34 音楽 音楽>Soundcloud 音楽>YouTube 音楽>アンドレ・ギャニオン 音楽>オーディオ 音楽>クリストフォリピアノ 音楽>ピアノなど鍵盤楽器の歴史 音楽>ピアノ工房ピアピット 音楽>メーカー>ADLER Organ 音楽>メーカー>BECHSTEIN 音楽>メーカー>BELL Organ 音楽>メーカー>BELTON 音楽>メーカー>Blüthner 音楽>メーカー>Broadwood 音楽>メーカー>Bösendorfer 音楽>メーカー>Chicago Cottage Organ 音楽>メーカー>DIAPASON 音楽>メーカー>EASTEIN 音楽>メーカー>EHRBAR 音楽>メーカー>ENSCHU 音楽>メーカー>Farrand & Votey Organ 音楽>メーカー>FAZIOLI 音楽>メーカー>Grotrian 音楽>メーカー>Gröber 音楽>メーカー>HORUGEL 音楽>メーカー>KAWAI 音楽>メーカー>MATSUMOTO 音楽>メーカー>NISHIKAWA Organ 音楽>メーカー>Packard Organ 音楽>メーカー>PETROF 音楽>メーカー>Pleyel 音楽>メーカー>Steinway & Sons 音楽>メーカー>Streicher 音楽>メーカー>YAMAHA 音楽>中島みゆき 音楽>作曲家>Alberti 音楽>作曲家>Alkan 音楽>作曲家>Bach 音楽>作曲家>Battmann 音楽>作曲家>Beethoven 音楽>作曲家>Boëllmann 音楽>作曲家>Boëly 音楽>作曲家>Brahms 音楽>作曲家>Brambach 音楽>作曲家>Bruckner 音楽>作曲家>Burgmüller 音楽>作曲家>Buxtehude 音楽>作曲家>Böhm 音楽>作曲家>Cabezón 音楽>作曲家>Cage(1912-1992) 音楽>作曲家>Caplet 音楽>作曲家>Chaminade 音楽>作曲家>Chopin 音楽>作曲家>Clark 音楽>作曲家>Clementi 音楽>作曲家>Couperin 音楽>作曲家>Czerny 音楽>作曲家>Debussy 音楽>作曲家>Dubery(1948- ) 音楽>作曲家>Dvořák 音楽>作曲家>Fauré 音楽>作曲家>Fibich 音楽>作曲家>Field 音楽>作曲家>Fischer 音楽>作曲家>Flor Peeters(1903-1986) 音楽>作曲家>Franck 音楽>作曲家>Frescobaldi 音楽>作曲家>Froberger 音楽>作曲家>Gael 音楽>作曲家>Galuppi 音楽>作曲家>Giustini 音楽>作曲家>Godard 音楽>作曲家>Granados 音楽>作曲家>Grieg 音楽>作曲家>Hahn 音楽>作曲家>Haydn 音楽>作曲家>Hindemith 音楽>作曲家>Händel 音楽>作曲家>Janáček 音楽>作曲家>Lefébure-Wély 音楽>作曲家>Liszt 音楽>作曲家>MacDowell 音楽>作曲家>Marcello 音楽>作曲家>Massenet 音楽>作曲家>Mendelssohn 音楽>作曲家>Merikanto 音楽>作曲家>Moir 音楽>作曲家>Mompou 音楽>作曲家>Monti 音楽>作曲家>Mozart 音楽>作曲家>Pachelbel 音楽>作曲家>Ponce 音楽>作曲家>Reinecke 音楽>作曲家>Rinck 音楽>作曲家>Royer 音楽>作曲家>Rubinstein 音楽>作曲家>Satie 音楽>作曲家>Scarlatti 音楽>作曲家>Schubert 音楽>作曲家>Schumann 音楽>作曲家>Scriabin 音楽>作曲家>Sibelius 音楽>作曲家>Suk 音楽>作曲家>Séverac 音楽>作曲家>Tchaikovsky 音楽>作曲家>Wagner 音楽>作曲家>三島元樹 音楽>作曲家>中国人作曲家 音楽>作曲家>吉松隆 音楽>作曲家>大中寅二 音楽>作曲家>鷲見五郎 音楽>楽器>アップライトピアノ 音楽>楽器>クラヴィコード 音楽>楽器>スクエアピアノ 音楽>楽器>チェンバロ 音楽>楽器>フォルテピアノ 音楽>楽器>リードオルガン 音楽>楽器>特殊管楽器 音楽>楽器>鍵盤ハーモニカ 音楽>楽譜作成(lilypond) 音楽>蓄音器 音楽>高橋靖志ハープシコード&クラヴィコード 音楽に思うこと

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のコメント

無料ブログはココログ