中島みゆき 作詞/作曲『孤独の肖像1st.』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『孤独の肖像1st.』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*この編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/419175
『孤独の肖像1st.』は、1993年にリリースされた中島みゆきのアルバム《時代 -Time goes around-》のラストから2曲めの曲です。
この曲、1985年に『孤独の肖像』としてシングル《孤独の肖像》A面とアルバム《miss M.》のA面ラストに収録された作品の元ネタです。1985年当時の中島みゆきには音楽として使えなかった音域があったとか、プロデューサーの意向と合わなかったとか情報が転がってますが、結果として同じ着想の歌詞で全く異なる曲が生まれたので良きことだったのではないでしょうか。ちなみにこの1993年のオリジナルバージョン『孤独の肖像1st.』の最高音はト音記号真ん中のB(シ)で、中島みゆきの声域として確かにか〜なり高いです😳
<悲しみは あなたを失くしたことじゃなく
もう二度と だれも信じられなくなることよ
どうせみんなひとりぽっち 海の底にいるみたい
だからだれかどうぞ上手な嘘をついて嘘をついて>
難解な歌詞が少なくない中島みゆきですが、最初の2行の設定がヒネっているのに巧みです〜っと心に沁みてきますね〜。それでいながら題名の『孤独の肖像』の「孤独」も「肖像」も歌詞に全く出現しないところがニクく、歌詞自体は一見わかりやすく感じられるのに同時に象徴のカタマリとなっているようです。否、そもそも「孤独」という形のないナニか(=抽象概念)に「肖像」が存在し得るとは考えづらく、題名がすでにナゾでござるな🧐
<あなたを失くしたこと>で<だれも信じられなく>なってしまった、という主人公の感覚はなかなかにネジくれているなぁと思いつつ、中島みゆきの歌詞にこのような主人公は頻繁に登場するワケで、こんな感覚になるヒトがいても不思議じゃないよなぁと思わせられてしまいます。この時点で中島みゆきの術中にハマっているのでしょうがw、このような芸風で半世紀も第一人者として続いているということは、その説得力が不特定多数を納得させられるだけのパワーに満ちている証左でありましょう。
主人公は<どうせみんなひとりぽっち>と物わかりの良いフリを装いつつ、やはりそれは耐え難いこと。それを癒してほしくて<だれか>に<上手な嘘をついて>という切なる叫びであります。
<いつも僕が側にいる、と
夢でいいから囁いて
それで少しだけ眠れる
本当の淋しさ忘れて
たぶん>
ココは主人公が求める<上手な嘘>の具体的内容ですね。主人公は<どうせみんなひとりぽっち>と物わかりの良いフリを装いつつ、求めているのはやはり側にいてくれる<だれか>なのでした。ですが、<嘘をついて>そして<夢でいいから>と願っている時点で主人公は<どうせみんなひとりぽっち>が真実であって<いつも僕が側にいる>のは真実ではない、と薄々気づいているワケで、このネジれこそが孤独の<本当の淋しさ>ですね〜。さらにダメ押しの<たぶん>がむちゃくちゃ効いているではございませんか。この<たぶん>で、結局は主人公は救済されぬままそれでも救済を切に願ってしまっている、というネジれの構造が強固になってしまいました。
さてこれを踏まえた2番。
<愛なんて何処にも無いと思えば気楽
はじめからないものはつかまえられないわ
隠している心の中 うずめている心の中
もう二度と悲しむのはこりごりだから暗闇の中へ>
イヤ、ちょっと、イジけ過ぎでしょうよ、と思う反面、中島みゆきの歌詞に出てくる主人公ですからこれこそが通常営業、安心してしまうのがファンのサガ😅
<いつも僕が側にいる、と
夢でいいから囁いて
それで少しだけ眠れる
本当の淋しさ忘れて>
主人公が救済されぬままそれでも救済を切に願っているこの部分を過ぎるとポピュラーの常套手段で変ホ長調から半音上げのホ長調に飛びますが、半音上げでありがちな無理やり感のカケラもない巧みな処理にウナらせられました。前のフレーズの<忘れて>の「て」が変ホ長調下属音の変イ(As)なのですが、それを異名同音のホ長調第3音の嬰ト(Gis)に読み替えて<消えないわ>の同音反復で乗り換えるという発想ですが、あれっと思う間もなくスルッと調性が半音上がるのがまことにお見事👀
<消えないわ心の中 消えやしないわ
消せないわ心の中 消せやしないわ
手さぐりで歩きだして暗闇の中
もう一度はじめから愛を探したい>
しかもこの部分では、一連の進行が<いつも僕が側にいる、と 夢でいいから囁いて それで少しだけ眠れる 本当の淋しさ忘れて>と全く同じに仕組まれており、中島みゆきが高らかに歌い上げている裏で同時に弦楽合奏に歌わせるという大技を決めています。コレをやられると鍵盤楽器ソロとして編曲する難易度がハネ上がってしまうのですが、クラシック鍵盤楽器を弾いている人間としては複旋律を弾けないなんて弱音を吐くなんて許されざること。いやはや、果たしてむちゃくちゃ難しい編曲になってしまったですわ〜😅💦
<消えないわ心の中 消えやしないわ
消せないわ心の中 消せやしないわ
手さぐりで歩きだして暗闇の中
もう一度はじめから愛を探したい>
主人公は<どうせみんなひとりぽっち>が真実で<いつも僕が側にいる>のは真実ではない、と薄々気づいてしまっていますから、そのような心のうちはどんなに<嘘>をつかれても<夢>を見せてもらっても<消えやしない>し<消せやしない>のであります。それでも主人公はけなげにも<暗闇の中>を<手さぐりで歩きだして>、<もう一度はじめから愛を探したい>と動こうとしています。このような主人公の姿は中島みゆきの歌詞には枚挙にいとまがございませんね。そっか、この『肩にふる雨』も『孤独の肖像』と同じアルバム《miss M.》に入っていたんですね💡
<肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声>(『肩にふる雨』1985年)
さてと題名の「孤独」はともかく「肖像」とは何ぞや、というのが怪決できていませんが、コレはなっかなか難しいです。「肖像」とは人物に用いられる言葉ですが、そもそも抽象概念である「孤独」を具体的な人格や表情を示す「肖像」として描いているところがミソと思います。もちっと踏み込むと「肖像」には「顔がある」ワケで、『孤独の肖像』とは「孤独」そのものが主人公という人間の顔をして歩いている歌であるように思えてきます。
<Flame & Aqua 求めずにいられない
私たちは
あまりにひとりでは担い過ぎる炎と水>(『炎と水』1991年)
<どうせみんなひとりぽっち>だと薄々気づいていながら、それでも<求めずにいられない>主人公。その矛盾こそが、この『孤独の肖像1st.』という歌を暗闇の中で歩かせ続けているのかもしれません✨
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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