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カテゴリー「音楽>中島みゆき」の95件の記事

2024年6月29日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『バラ色の未来』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『バラ色の未来』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『バラ色の未来』は1994年にリリースされたアルバム《LOVE OR NOTHING》の3曲めです。中島みゆきなのに『バラ色の未来』を唄うとはこれいかに・・・ですが、やはりさすがさすがのヒネった解釈てんこ盛りで、希望と幸福に満ちたバラ色の未来な歌詞を想像すると見事に裏切られるのがいつもながらサイコーですぞ💡

 今より未来のほうが きっと良くなっていくと
  教えられたから ただ待っている
  星はまたたいて笑う 星はころがって笑う 今夜、月のかげに入る


なにしろ歌い出しがコレですから、一気に社会風刺感満載でございますな。立ち止まって冷徹に考え直せば、陰謀論者ならずとも<バラ色の未来>なんつ〜シロモノは誰かに操作され仕組まれた虚像、という一面は否定しづらかろうと思います。もちろん<教えられたから ただ待っている>という側にも問題は大アリで、自分に都合良い<>の存在を期待するだけでナニも行動しないのでは、<>に笑われて消え去られるのがオチですわな。今(2024年6月末)は東京都知事選挙の阿鼻叫喚wのまっ最中、この曲に込められているメッセージの現実感が不必要なまでに高まってしまうのは東京都民ゆえの事情で御免😅

 だれかが耳うちをしている だれかが誘いをかけてる
  あなたも幸せになりたいでしょうと
  だれかがあなたの手をとって だれかがあなたの目を閉じて
  未来はバラ色ですと言う


これねぇ、昔からずっっっと言われてきているシャレにならん指摘なのですが、なかなか実感として届かないんですよ〜。人民ひとりひとりの力は弱いので団結せねば権力に太刀打ちできないのですが、団結から外れて抜け駆けすれば<未来はバラ色です>、と手を替え品を替え甘言を弄して切り崩しにかかる権力の狡猾さよ。あなたも幸せになりたいでしょう>とかなんとか利益を誘導して人心を掌握するのは権力の常、貧しいところに雀の涙の補助金をぶら下げれば投票行動を変えさせられるのですから、まぁ人民なんてちょろいモンなんでしょね〜😑

 わかってる 未来はまだ遥か遠くて届くまでに
  まだ何千年もかかると
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く


ここに記されている<未来>とは<バラ色の未来>のことでしょうね。<バラ色の未来>があると信じてただ待っていた昔の僕に、<(バラ色の)未来はまだ遥か遠くて届くまでに まだ何千年もかかる>のだし待っていちゃダメだぞ、と今の主人公は昔の僕に手紙を書きたいのでしょうか。ですが過去の自分を変えることはできず、この手紙は永遠に届かないんですよね〜。後悔先に立たず😓

さて続けて、中島みゆきは情け容赦なくたたみかけてきます。ここの間奏が妙に短いのは、たたみかけるために必要だったのでしょか。

 だれもまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない
  これだと言われたらそうかなと思う
  しだいにそれじゃなきゃイヤだと思い込むようになって
  それがないのがつらくなる


これはね〜ホントにね〜、全くもってド正論で厳し〜いですわ。将来に来たるべき<バラ色>は他者にお膳立てされるものでは決してなく、<バラ色>を作り上げるのは自分自身に他ならないのでありま〜す。まぁね、自分で彩りから何から何までも決めなければならぬ<バラ色>なんて大変ですし不確かですし、他者にお膳立てされれば楽ですし、それに慣れてお膳立てされた環境を<バラ色>だと思い込むのが幸せへの切符であることもまた確かだったり。この一連、この曲に込められたメッセージのキモだと心得ました。

さて『バラ色の未来』の入ったアルバム《LOVE OR NOTHING》がリリースされたのは1994年10月、それから半年もしない翌1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こります。そうかそうか、<未来はバラ色ですと言う>のは時の権力ばかりではないのでありました。この歌に予言的な意味があったか否かには興味はないですが、人生にはいくらでも<バラ色>の誘惑ってぇヤツは口を開けて待ち構えているんですよね〜。

あの、その、ホレ、この楽器を買えば<未来はバラ色です>とか、このカメラを買えば<未来はバラ色です>とか、このレンズを買えば<未来はバラ色です>とか、この模型を買えば<未来はバラ色です>とか、この工具を買えば<未来はバラ色です>とか、この万年筆を買えば<未来はバラ色です>とか、いやはや、詰まるところ人生の悪魔なんつ〜シロモノは他ならぬ自分が招き寄せているという自業自得。買ったときは<未来はバラ色>なんだけどなぁ、とほほほ😭

なんだか盛大に脱線したような気もしますがw、初心忘るるべからず、思い出そうぜ!

 教えてよ 僕の憧れてたあの頃
  バラの色はどんな色だったというのか
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年5月27日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『噂』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『噂』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『噂』は1986年にリリースされたシングル《あたいの夏休み/噂》のB面の曲で、シングルのみでアルバムには入っていないというワリとレアな曲です。世の中には案外と「B面マニア」が根強く存在していまして、そんな方々の中でこの曲もまた知る人ぞ知るクセ曲であるようですぞ〜💡

 答えづらいことを無理に訊くから 嘘をついてしまう ひねくれちまう
  ほら すれ違いざま飛礫のように 堅気女たちの ひそひそ話


主人公はどうやら堅気でないようで、そりゃ〜<答えづらいこと>ばかりでしょうよ。そして「ひとの口に戸は立てられぬ」と申しまして、一度広まってしまった噂は真偽を問わず止められないんですな。堅気でない女の宿命ではあるのでしょうが、それでも恋というヤツは容赦無く人を落とすのでしょう。な〜んという因果。

 悪いことばかり信じるのね 観たがるのは告白
  あなただけは世界じゅうで 刑事じゃないといってよ


イヤなことや悪いことは見なけりゃいい、無視すりゃいい、放っておきゃいい・・・というのはまぁご無理ごもっともではございまするが、これって実は心がか〜なり強くなけりゃできやしないんですよね。ブロックしてるイヤなヤツに対して、見なきゃイイのにそいつが書き込んでるのを見つけるまで検索し続けてしまうとか、誰しも思い当たるフシがあるのではないでしょうか😅💦

 外は5月の雨 噂の季節 枝のように少し あなたが揺れる

五月雨(さみだれ)は「しとしとと降り続く雨のようにダラダラと続いてしまう状況」を表す比喩表現で実は<5月の雨>ではなく梅雨の長雨なのですが、まさか中島みゆきがそれを知らぬハズはなく、一般人に対してわかりやすいイメージを使ったのだろうなぁと。噂がくすぶっていてそれで心が揺れてしまう<あなた>の描写で、これぞ中島みゆきのレトリック。5月の雨>という単語を使って言い知れぬ不安を描き出すという、まぁフツーっちゃフツーなのですが、まことに美しいです

 噂なんて きっかけにすぎない
  どこかで この日を待ち望んでたあなたを知ってる


・・・い〜やちょっと待てぃ。このどんでん返しも中島みゆきらしいっちゃらしいですが、ど〜しようもなく卑怯なダメ男ですやん。堅気でない女の周辺にうごめく男どもなんてぇヤツらはそんなもんだろうなと思いつつ、肝心なところで逃げを打つのは女ではなく男の方、という図式も確かにあるんですよね〜。悪い噂に便乗して別れる口実を作りたがっている卑怯な男、わりとそのへんにフツーに転がっていそうな😑

 私たちの歌を酒場は歌う 気の毒な男と 猫かぶり女
  目撃者は増える 1時間ごと あなたは気にしだす 半時間ごと


酒場で隣り合うワケあり風情な男女の姿、それを横目で気にしつつ興味シンシンな傍観者たち、そして周りを気にするのは男の方ばかりなり。絵に描いたような緊張感ですねん。

 何もなかったと言えば 疑う心に火を注ぐ
  何かあったとからかえば ほらやっぱりとうなずくの


いやはや、コレ、まさに教科書的(ナンの教科書だろw)な疑心暗鬼の構造ですね〜。「疑う」という心はまったくもって始末に追えないシロモノで、疑いを晴らそうとすればするほど「ほらやっぱり隠してる」となりますし、それを面倒と思ってテキトーに肯定とも否定ともつかぬようにしたところで「ほらやっぱりそうなんだ」となるんですわ。疑心暗鬼がいったん発動してしまうと、疑っている方は知ってか知らでか「ほらやっぱり」という疑っている内容の裏づけばかりを欲しがるようになって、真実を知りたいという気持ちがどこかにすっ飛んでしまうんですよね〜。

 外は5月の雨 どこへ行こうか 少し疑ってる男を捨てて

主人公は堅気でない女、そんなことには慣れっこだし自分の方から捨ててやるわよっ・・・と強がってはみたところで、そんなことは心にもないのはバレバレですな。はすっぱで軽いフリをして<どこへ行こうか>とうそぶいてみても未練タラタラ、まぁそれは相手の男にしても似たようなモンなのでしょうね〜。げにヤヤこしきは男女の仲なり😅

 外は5月の雨 どこへ行こうか 疑いたがってる男を捨てて



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年4月26日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『俱に』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『俱に(ともに)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『俱に』は2023年にリリースされたアルバム《世界が違って見える日》の最初の曲です。もとは2022年10月10日〜12月19日に放送されたフジテレビ系ドラマ『PICU 小児集中治療室』の主題歌で、「生きるとは」「命とは」「家族とは」という普遍的な問いに向き合ったドラマの世界観を支えています。そして同時に、コロナ禍の中を果敢に辛抱強く生きてきた人々の心に寄り添う「愛」と「勇気」の歌、という意味も込められている・・・とのことです。
『俱に』の漢字は旧字体で「倶に」ではないんですよ〜😳)

 手すりのない橋を 全力で走る
  怖いのは 足元の深い峡谷を見るせいだ
  透きとおった道を 全力で走る
  硝子かも 氷かも 疑いが足をすくませる

『俱に(ともに)』という寄り添うタイトルでありながらこのような孤独で不安な書き出し、作詞のテクニックとしては常套手段なのでしょうが、<手すりのない橋>と<透きとおった道>という、えも言われぬ不安を掻き立てる情景の選択ってば毎度ながらこれぞ中島みゆきでウナらされますわ〜。中島みゆきにとっても前のアルバム《CONTRALTO》からコロナ禍もあってか3年あまりの空白を経てのアルバム《世界が違って見える日》のリリース、その口開けの曲として誰もが感じているであろう不安感でアルバムを始めるのは、必然でもあったのでしょうか。

 つんのめって 出遅れて 日は沈む 雨は横なぐりだ

そう、凡人は全力で走ろうとは思っていても不安だからな〜かなか走れないんですよね〜。そうこうしているうちに状況は悪くなるばかり、な〜んとも思い当たるフシがありすぎです。そういえば、『とろ』にはこんなシーンが。

 とろ何とかならないか
  考え考え日が暮れる『とろ』2006年)

先送りしてしまうヒトって考えるだけで手ェ動かさないから全っっっ然進まないんだよね〜、って言われますが、はいはい、ご無理ごもっとも。だ〜って、ど〜やって手を動かすかを考えなきゃならないんですから、そこを解決しないままにそんなありがたいご指摘されてもな〜んにもならないんですわ😅

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  過ぎた日々の峡谷を のぞき込むヒマはもうない


それなりに長く人間稼業を続けていれば過去の栄光とか過去のヤラかしとかいくらでも。それを振り返ること自体は仕方のないことと思いますが、振り返ってばかりで先を見ないのもどうなのよと。いや、そりゃ、まぁ、その分先に進めというのは至極真っ当なご正論でご無理ごもっともでございますが、あぁぁ耳が痛い痛すぎるw

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火


これぞ中島みゆきの真骨頂(こればっかw)。「寄り添う」というのは物質的なつながりのみならず、精神的なつながりなんですよね。人生において俱(とも)に在る誰かが確かにいるという感覚のありがたさ、我々がコロナ禍で人と人との物理的なつながりを意識的に避けねばならなくなったという体験をさざるを得なかっただけに、本っっっ当〜にはかり知れないものがあると思います。人生はしばしば大海原に例えられますが、昔、羅針盤の発明以前には見渡す限り海しか見えない大海原での唯一のよりどころは昼は太陽であり夜は星。外洋から戻ってきて初めて陸地が見えるところには灯台が設置されることが多いのですが、その<灯火>が見えたときの船乗りの安堵感もはかり知れなかったことでしょう。

『俱に』アルバム《世界が違って見える日》に先立って『銀の龍の背に乗って』と両A面シングルとしてリリースされていますが、そう言えば!

 急げ悲しみ 翼に変われ
  急げ傷跡 羅針盤になれ
『銀の龍の背に乗って』2003年)

ふ〜む、シングル盤で<灯火>と<羅針盤>を対にさせるという深謀遠慮、中島みゆきならヤリかねないですねん💡

 身代わりは要らない 背負わなくてもいい
  手を引いてこちらへと 示してほしいわけでもない
  君は走っている ぜったい走ってる
  確かめるすべもない 遠い遠い距離の彼方で
  独りずつ 独りずつ 僕たちは 全力で共鳴する
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火


この2番、やはり物質的なつながりでなく精神的なつながりあってこその人生ですよね。ここで思い返すのは、毎度のことながら『二隻の舟』の世界観。たとえ物理的物質的に隔たっていたとしても、俱に走り続け走り継ごうとする全ての存在に対してそれぞれの意志を鼓舞しているのでしょう。いやはや、めっっっちゃカッコいいですわ〜。

 おまえとわたしは たとえば二隻の舟
  暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
  互いの姿は波に隔てられても
  同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟
『二隻の舟』1992年)

 敢えなくわたしが波に砕ける日には
  どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
  それだけのことでわたしは海をゆけるよ
  たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても
『二隻の舟』1992年)

コロナ禍その他もろもろの難題山積で人間の存在自体が<風前の灯火>とすら感じさせられるような今、それでも生きねばならぬという怖さ、そして生き抜けられるだろうかという疑いに満ちた我々にとって、真に心を通わせられる相手/対象を見出せることこそが生きる望みそして喜びなのではないでしょうか。まぁそれはそれで、確固たる信頼感とともに茫漠たる不安感と静かな覚悟とを同居させるというなんとも言い表せぬ心持ちでもあるのですが、あらゆるヒトにとって人生は初めて体験することの連続なんですよね〜。願わくば、今が人類の<風前の灯火>でないことを切に切に祈ります。

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年3月29日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『野ウサギのように』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『野ウサギのように』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『野ウサギのように』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の最初の曲です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、現在2024年に至るまでアレンジャーはず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解だそうです。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されているとかいろいろと余計なハナシもございまして。ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️

 いい男は いくらでもいるから
  そばにいてよね いつでもいてよね
  誰にだって いいとこはあるから
  とかく ほろりと ほだされたりするわ


いい男は いくらでもいる>のに、その時々でいつも<そばにいてよね いつでもいてよね>と願う女心、な〜かなかオトコのコにとってはムツカシござる。それでも<いいとこ>を見せるのが上手で女子を<ほろりと>その気にさせやがるオトコもちゃぁんといるワケで、まっっっことにケシカランですな😑

 思いも寄らぬ女になって
  変わったねって 哄われるだけ
  野ウサギのように 髪の色まで変わり
  みんな あんたのせいだからね


1988年ごろは髪の毛を染めていたのはせいぜい悪役女子レスラーぐらいしかおらず、不良というイメージが定着しかけていた程度だったような感じがします。確か茶髪も1990年代半ばごろから流行り始めたような気がしますが、そのような時代に<髪の色まで変わり>という表現を使うのはか〜なり強い印象(というかかなりの違和感)を持たれたのではないでしょうか。まぁ野ウサギの体毛は夏は茶色で冬には白く生え変わるというのが一般常識だった時代でしょうから、この違和感はウマいこと中和されたのだろなぁ・・・と思いつつ、<みんな あんたのせいだからね>に全部持っていかれるのでありましたwww

 あたしの言うことは 男次第
  ほらね 昨日と今とで もう違う


イヤ、だから、それ、ダマされてるってば💦
それがわかっていてもくっついてしまうのが男女の仲で、あれれと思う間もなく離れてしまうのもまた男女の仲なのかなぁ。これってステディがいないワケでとっても不安定なのですが、主人公はそれに気づいているからこそ・・・

 悪気のない人は みんな好きよ
  “好き”と“嫌い”の間がないのよ


と自分の判断をことさらに正当化してしまうのでしょうね。第三者から見たらま〜るで正当化なんかできてないのですが、コレ、やはり、強がりのなせる一種の自己洗脳wでありま〜す。

 見そこなった愛を 逃げだして
  また新しい烙印が 増える
  野に棲む者は 一人に弱い
  蜃気楼(きつねのもり)へ 駈け寄りたがる


男女の仲での切ったはった、これすなはち<烙印>ですが、男女の仲にしても人間社会にしてもそこに棲む者が一人に弱いのは誰でもわかっていること。キツネがウサギを狩ることはイメージとしてまだ現代でもそれなりに普通と思いますが、「蜃気楼」の別称が「狐の森」であることを教養として知っている人材は1988年当時ですらかなりの少数派だったのではないでしょうか。「蜃気楼」とは密度の異なる空気層の間での光の屈折で「そこにないものが見える」という現象ですが、それを「安定した愛が見える」と錯覚する意味にかけるのはさすがの中島みゆきのセンス。安定した愛を求めて主人公の野ウサギ(女性)が蜃気楼に駆け寄ってもそこには安定した愛なんぞなく、しかも蜃気楼の正体は狐の森ですから、野ウサギがキツネに狩られてしまうのは当然の成り行きですな。多重構造な掛け言葉の切れ味、恐るべし😳

この曲では中島みゆきのはすっぱな歌いっぷりが野ウサギ(女性)の不安定なふらふら感を倍化させており、実はこのアルバム《グッバイ・ガール》の次の曲が『ふらふら』なのが関係ありやなしや。多かれ少なかれパートナー次第で男も女も変わりますが、やはり中島みゆきの歌詞では強がっているオンナが恨み節をサラッとつぶやくコレですよね〜。

 みんな あんたのせいだからね



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年2月23日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『異国』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『異国』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

本日2月23日は中島みゆきの生誕祭、特別な意味のありそうな曲ということで『異国』かなぁとヒラめいてしまったのが運の尽き、いやはや大〜変でございました😅

『異国』は1980年にリリースされたアルバム《生きていてもいいですか》の最後の曲で、この暗く暗すぎる真っ黒なアルバムを締めくくるにふさわしく(?)救いもナニも枯れ果てた絶望の縁を見下ろすがごとき存在です。LPレコードの片面はおおむね23分程度なのですが、そのうち9分もの長さをこの曲が占めるというところからしてナカナカ一筋縄では行かぬ曲。しかも基本的に伴奏がギターソロのみ、かつ、歌はボソボソつぶやくがごとき枯れ具合ですからおよそピアノで弾くにはふさわしくない曲だったりします。それが130年昔のベーゼンドルファーでどのように語らせられるか、いやまぁ、そりゃ原理的に無理筋なんですが、中島みゆき信者なみなさまの歌詞を補う能力に寄りかからせていただきましょうぞ💦

 とめられながらも去る町ならば
  ふるさとと呼ばせてもくれるだろう
  ふりきることを尊びながら
  旅を誘うまつりが聞こえる

  二度と来るなと唾を吐く町
  私がそこで生きてたことさえ
  覚えもないねと町が云うなら
  臨終の際にもそこは異国だ


ふるさと>の対語として<異国>を用いるこの切れ味鋭いセンス、たまらんですね。自分が居場所そして帰る場所を求めるからこそ旅に出るという姿(さすらい人ですね)が人生、というのはまぁ言い古されたネタでしょうが、同時に旅人とは本質的に他所ものであるというのもまた真実なのでしょう。

 遠いふるさとは 落ちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える
『あぶな坂』1976年)

中島みゆきのファーストアルバム《私の声が聞こえますか》(1976年)の口開けの曲の歌詞がコレですから、なかなかに<ふるさと>に対する問題意識は根が深そうですね〜。

 百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り仕度をしつづける


これぞ魂の彷徨、自分の居場所そして帰る場所を求め続けるがゆえに安住の地が永遠に手に入らない、という内容を<あたしを埋める場所などない>と表現するのは絶っっっ品に暗黒であります。何かわからないものを求め続けて彷徨い続けるのが現代人、とは人生をテツガクし始めれば必ずぶち当たる意識で、コレまさに常に探し、常に切望し、常に渇いてしまう人々の苦悩。死が救いとならぬのであれば、いったいナニが救いとなるのでしょうか。

 悪口ひとつも自慢のように
  ふるさとの話はあたたかい
  忘れたふりを装いながらも
  靴をぬぐ場所があけてある ふるさと


どん底に暗い『異国』の歌詞でひときわ温かい救いの光を放っているのがこの一連で、個々人それぞれにとって「居場所」というナニやらよくわからないナニかがどれほどまでに大切かが痛切に感じさせられます。自分が社会の一員となっている、という実感が個々人にとって大きな精神的な支えとなるんですよね〜。

 しがみつくにも足さえみせない
  うらみつくにも袖さえみせない
  泣かれるいわれもないと云うなら
  あの世も地獄もあたしには 異国だ

  町はあたしを死んでも呼ばない
  あたしはふるさとの話に入れない
  くにはどこかときかれるたびに
  まだありませんと うつむく


人間は社会的動物であると述べたのはかのアリストテレス、いかに孤独を好む人物であっても社会から隔絶して生きることはおよそ不可能なワケで、それなのに社会に自分の居場所がないという精神的な孤独を強く感じてしまうと無力感はハンパなし。この限りない無力感を研ぎ澄ますとこんな表現になるんだなぁと思い、同時にこの一連で<異国>と<地獄>が語感上対を成していることに気づいて慄然とします。そして、以下の魂の彷徨を5回繰り返して曲が閉じられます。3回繰り返しは普通にありますが、4回ならず5回の繰り返しはにわかにはナニが起こったのかわからないくらいな異常な繰り返し回数で、常ならぬこの曲の締めくくりに相応しいのでは。

 百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り仕度をしつづける




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年1月19日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『粉雪は忘れ薬』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『粉雪は忘れ薬』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『粉雪は忘れ薬』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の一曲で、このアルバム《短篇集》発売一週間後から上演が始まった『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』でラストを飾っている堂々たるバラードです。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』の舞台では、凍原でもはや還ってこない主人公の女(=谷山浩子)を想い続け帰りを待ち続ける犬(=中島みゆき)が唄っています。 #短篇集 #粉雪は忘れ薬 #中島みゆき

中島みゆきが青春を過ごしたのは北海道は帯広、パサパサに乾いて音も無く降り続ける粉雪で景色が見る見るうちに変わってしまう経験はごく普通のことだったでしょう。雪は夢のように穏やかな姿にとどまりませんで、北海道の地吹雪の凄まじさたるや、雪が上からも横からも下からも吹きつけてくるんですよ〜。ワタクシ、実は何度かマトモに巻き込まれたことがありまして、それこそ自分の目の前に伸ばした腕が途中で白い闇に消えてしまうほどで、これぞ「ホワイトアウト」でした。そりゃ、地吹雪のときにうかつに戸外に出たら、通い慣れた道でも迷ってしまって簡単に凍死しますぜよ。

 忘れなけりゃならないことを
  忘れながら人は生きるよ
  無理して笑っても 無理してふざけても
  意地悪な風 意地悪な雨


人間稼業を続けていれば、それなりに出会いも別れも経験するもんですな。まぁなんともさまざまな人と関わってきたなぁ、とあらためて気づいたりして。その全てを忘れて無かったこととしてしまえれば人生ラクなのでしょうけど、ひとの心とはなんとも甘くなく<意地悪な>雨風に満ちていますな。

 忘れさせて優しい日々を
  忘れさせて楽しい人を
  足音? 車の停まる音?
  間違えながら待ってしまうから


関わりが深かったからこそ忘れたい、無かったことにしたい、という経験は誰しもいくつか心に秘めているのではないでしょうか。この「未練」やら「後悔」とかいう感情ってば、なんとも御し難いですよね〜。優しい日々>しかり<楽しい人>しかり、大切な関わりがあったひとは単なる<足音>でも<車の停まる音>であっても特別でしたもんね。

 粉雪は忘れ薬
  すべての悲しみ消してくれるよ
  粉雪は忘れ薬
  すべての心の上に積もるよ


なんという美しい表現・・・と感じるだけでなく、雪国の人たちにとって雪は厄介極まりない存在であることを忘れないでおきたいと思います。あっという間に全ての人間活動を停止させてしまう恐ろしい存在、かと思うと雪晴れの輝きに我を忘れさせられたりして、雪ってば<すべて>を雪色にしてしまう現象なのでありま〜す。なるほど、それをひとの心に拡張して<すべての悲しみ>を雪色に<消して>、<すべての心の上に積もって>雪色にするのが<粉雪>であって、それを<忘れ薬>とする切れ味、安定の中島みゆきでございます。そういえば、パウダースノーよりももっと細かくサラっっっサラな雪を「アスピリンスノー」って言うのでしたっけ。もはや死語な気もしますけどw

 忘れさせて 古い約束
  忘れさせて 古い口癖
  覚えておこうとしないのに
  何かのはずみ 思い出して泣ける


そうそうそう、<何かのはずみ>でなつかしきひとを思い出してじんわりくるこの切なさたるや、もう「未練」という言葉さえ甘く思えてしまうようなあふれる想いですよね〜。<古い約束>はともかくとして、ここではさらりと<思い出して泣ける>と流していますが、いやいやいや、<古い口癖>がよみがえってくるのはか〜なり危険であります。

 バスは雨で遅れてる
  店は歌が 止まってる
  ふっと聞こえる 口ぐせも
  変わらないみたいね それがつらいわ
『バス通り』1981年)

素敵な思い出であればあるほど逆にそれが思い出にすぎないことに気づいて<つらい>という感覚が沸き起こってきたりもします。そのきっかけは案外とどうってことのない<些細なこと>だったりして、それがまたたまらない心もちにさせられますな。どないせいっちゅ〜んじゃ。

 粉雪は忘れ薬
  些細なことほど効き目が悪い


ここに起承転結の「転」を「そう来やがったか〜」と言う絶妙〜なユーモア込みでぶっ込んでくるのも中島みゆきの心憎さなんでしょうね。北海道の<粉雪>は格別に軽いですから、せっかく真っ白になった雪景色がちょっとした陽射しやらちょっとした風やらで現実に戻ってしまうこともあったりしてwww

 思い出すなら 幸せな記憶だけを 楽しかった記憶だけを
  辿れたらいいけれど
『記憶』2000年)

 忘れてしまったのは 幸せな記憶ばかり 嬉しかった記憶ばかり
  そうであってほしいけれど
(『記憶』2000年)

『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』では、『粉雪は忘れ薬』がラストでその少し前に『記憶』が歌われました(なお、翌々年2002年の『夜会VOL.12 ウィンター・ガーデン』では『記憶』がラストのカーテンコール)。この<思い出すなら>もなるほどですし、<忘れてしまったのは>も両方ともナルホドですね。自分の心のうちであるのに、どうにもこうにも意のままにならぬのが思い出、<忘れ薬>が欲しいような欲しくないような。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年12月 2日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『いつか夢の中へ』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『いつか夢の中へ』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『いつか夢の中へ』は1999年11月にリリースされたアルバム《日-WINGS》の一曲で、『夜会VOL.9 2/2』のために新たに作曲されてその時しか演奏されていないオリジナル曲です。この1997年の『夜会VOL.9 2/2』はDVD化もされておらず、舞台に出向けた人だけにしか伝えられていない、ある意味「幻の夜会」だったりします。『いつか夢の中へ』『夜会VOL.9 2/2』前半にデュエットで歌われた曲で、アルバム《日-WINGS》でも宮下文一とのデュエットで収録されています。#いつか夢の中へ #夜会 #中島みゆき

さて、若かりし頃、果てしもない永遠の時間の流れの中では自分の生きざまなんてねぇ・・・とイジけた青臭い記憶wが蘇る方々も少なからずかと思いますが、実はそここそが自分という個を認識する出発点だったのかも知れませんねぃ🧐

 いつか夢の中へ さまよい果てる気がしているわ
  誰もいない国へ 1人だけで旅立つのが私の定めなら


ある程度の期間ニンゲンなんてぇ稼業を続けていれば、さまざまなイベントに振り回されてさまよっているだけの自分がいかに平凡な存在であるのか身に染みてますよね? そうですよね? ねぇ?

 いつか夢の中へ 忘れ去られる日が来ていても
  きっとめぐり会える 大切な私たちのあの日にたどり着ける

  いつか夢の中へ 失ったものを探している
  今も消えはしない 遙かな闇の彼方 忘れない 私だけは


ここから各節の歌い出しの<いつか夢の中へ>はリフレインというか、頭韻の拡張であるように思います。そう考えればコレは意味がなく省略可能、てかむしろこの<いつか夢の中へ>に意味を与えてしまうとワケわからなくなりますよ〜😅

 忘れ去られる日が来ていても
  きっとめぐり会える 大切な私たちのあの日にたどり着ける
  失ったものを探している
  今も消えはしない 遙かな闇の彼方 忘れない 私だけは


とすると、なんとなくメッセージっぽいナニかが浮かび上がってくるような気がします。ラストで倒置法を使って<私だけは>で締められているところ、強い意志というか決意表明ですね。中島みゆきの歌詞にはこのような決意表明がけっこう出てきて、まことにカッコ良いです。

 いつか夢の中へ 1人あなたはさまよっている
  遠く追われてゆく道が 何処へ続いているのかを知らないまま
  (遠く 道が 何処へ続いているのかを知らないまま

  何もわからない 誰もわからない 自分のことがわからない
  誰か教えて 訳を教えて 何処へゆくのかわからない


本日(12/2)はワタクシの57歳の誕生日だったりしますが、この曲の歌詞を味わうにつけ自分の<道標>ってなんなんだろうなぁ、なにも見えていないしわかってもいないなぁ、と痛感させられます。<道標>を失ってしまったのか、そもそもナイのか、まぁ<わからない>のが人生、もしも道標が見えたとしたらそれは墓標なのかも🥹

 いつか夢の中へ 失った道標いつの日か見えるまで
  失った道標いつの日か見えるまで


いや・・・やっぱ違うかw。<道標>とは「自分を前向きにさせてくれる何か」なのでしょうかしらん💡



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年10月22日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『有謬(うびゅう)の者共』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『有謬(うびゅう)の者共』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『有謬(うびゅう)の者共』は中島みゆきの最新作、ついこないだ2023年9月13日に48作め(!)のシングル《心音/有謬の者共》としてリリースされました。カップリングの『心音(しんおん)』ばかりが話題にのぼるのは、映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の主題歌ですからそりゃまぁ無理ないでしょうが、な〜んのなんの、この『有謬(うびゅう)の者共』の炸裂ぐあいwはスゴいもんですぜ〜(・o・ゞ #有謬の者共 #心音 #中島みゆき

 いくつの夜を 集めても足りない
  ここは隠れ家 息をひそめてる
  幻の火を 連ねても足りない
  ここは物陰 嘘たちの棲み処
  隠れて隠れて隠れ続けた
  逃れて逃れて逃れ続けた
  真っ新で 真っ直ぐで 真っ暗な空
  完璧で 潔癖で 鉄壁な空
  嘘が解れる夜
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン あんたがまだニンゲン


この歌詞、字句を怪釈しようとしてもナニがナニやらですが、このシングルCDのデザインに中島みゆきが一切登場せず映画『アリスとテレスのまぼろし工場』一色であることを鑑みれば映画の内容が下敷きになっているだろうなぁと想像できます。映画『アリスとテレスのまぼろし工場』(すんません、観てないです)、突然起こった製鉄所の爆発事故により全ての出口を失い、時まで止まってしまった町で少年が二人の少女と出会いその世界の均衡を崩していく物語。<隠れ家>やら<物陰>やら<隠れて>やら<逃れて>やら、そして<>という時間帯も象徴的に「外界とのやり取りが無い場所」を示しているのかなぁと気づきます。(夜行生物はど〜なのよとか突っ込むのはヤメてよねw)

 時が縺れる 夜へ傾れ込む
  離れ離れの記憶が入り組む
  停まって停まって停まり続けた
  凍って凍って凍り続けた
  清潔で 高潔で 冷血な空
  従順で 恭順で 単純な空
  嘘が溶けだす夜
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン あんたがまだニンゲン


2番にも「外界とのやり取りが無い場所」を暗示する言葉が散りばめられていますね〜。この「外界とのやり取りが無い場所」を現代人間社会に置き直してみると、昨今よく目にする「自らの狭い視野に閉じこもった者共」なのではないでしょうか。まぁ誰もがみんなそうでしょ、というツッコミも同時にしておきたいですが。そのような閉ざされた存在を見下ろしているのが<>という絶対的なナニか。ここで<>はど〜なのよと思いますが、夜という時間帯は地上にしかなく天空には昼も夜もないことに気づくとちょっとニヤりとします。イヤ、まぁ、それだけですけどwww

 真っ新で真っ直ぐで真っ暗な空
  完璧で潔癖で鉄壁な空
  嘘が弾ける夜
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン あんたがまだニンゲン
  間違えてもニンゲン 間違えてもニンゲン
  間違うのがニンゲン 誰かがまだニンゲン


地上には<間違い>やら<>やらに満ち満ちていますが、楽しかろうが苦しかろうがいかなる状況に置かれようとも空のもとで人間は間違う<ニンゲン>で徹頭徹尾あり続けるのでありま〜す。さまざまなことが降りかかってきているこんな人類世界になってしまいましたが、誰もがみ〜んな<まだニンゲン>という『有謬の者共』=「誤謬に満ちた存在たち」ですよね。そのようなしょ〜もない我々ですが、せめて、せめてささやかな安寧(もはや平和とは言えませんわ)がほしいです。

 宇宙(そら)の掌の中
  人は 永久欠番
『永久欠番』1991年)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年9月28日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『心音(しんおん)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『心音(しんおん)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『心音(しんおん)』は中島みゆきの最新作、ついこないだ2023年9月13日に48作め(!)のシングル《心音/有謬の者共》としてリリースされました。『心音(しんおん)』は中島みゆき初のアニソン、スタジオMAPPA制作、岡田麿里監督による9月15日公開の最新作映画『アリスとテレスのまぼろし工場』主題歌です。内容にしても評判にしてもそこら中にあふれていますので、どうぞ参考になさってくださいませ〜(ヒトまかせw)

*商品ページはコチラです、買いましょうね〜。コメント全文もご一読を(*´-`)
https://www.yamahamusic.co.jp/s/ymc/artist/59

 ゲームもアニメもさっぱりわからない中島に、御注文を
  くださるとは、なんでなの?と謎な気持ちで、
  届いた台本をおそるおそる読み始め、最後まで読み終わ
  らないうちに、どっぷり、岡田麿里様のしもべとなっておりました。
  岡田麿里様は、中島の絶大なる「推し」です!
(中島みゆき コメント(部分))

 『⼼⾳(しんおん)』が流れてきた瞬間、正⾯から、強い⾵がぶわっと吹いた気がしました。
  ⾵にあおられて、緊張だけでなく、スタジオの景⾊がすべて吹っ⾶んでいきました。
  そして、この物語の主⼈公である正宗と五実、睦実の姿が⾒えました。
  彼らはしんと冷たい世界の中で、腹の底から叫び、⾛っていました。
(岡田麿里 コメント(部分))

優しく語りかけるような歌い出しからこの力強いサビに至るまで、さすがの安定感です。映画の内容は断片的にしか知りませんが、ことごとく「なるほど」な歌詞と思わされました。それと同時に和声の美しさが際立っており、この複雑さをピアノ一台で表現するのは無理かもなぁと一瞬絶望したことは白状させてくださいませ💦 おかげで編曲が部分的に非常に難しくなってしまい、も〜必死でしたよ〜www

 綺麗で醜い嘘たちを 僕は此処で抱き留めながら
  僕は本当の僕へと 祈りのように叫ぶだろう
  未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行け




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年8月30日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『あぶな坂』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『あぶな坂』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

前回の動画で最新2023年リリースのアルバム《世界が違って見える日》のラストを飾る『夢の京(みやこ)を弾いたのはイイですが、曲があまりにも充実していたので次の選曲にハタと行き詰まりましてな。かくなる上は、1976年リリース一番最初のアルバム《私の声が聞こえますか》の最初の曲『あぶな坂』にしようという苦し紛れw

それにしてもこの『あぶな坂』の歌詞の怪しさたるやなかなかなモンでして、デビューアルバムの最初の曲をコレにするなんて当時のヤマハのプロデューシングはど〜なっていたのかしらん。ただ考えてみれば1970年前後はアングラ演劇が盛んで、その旗手であった寺山修司プロデュースの浅川マキがレコードを一通りリリースしたタイミングでもあったりするんですね〜。中島みゆきはコンクール優勝後のインタビューでレパートリーを「130曲」と即答しており、単なる「ポプコン出身の女性シンガー」にとどまらぬ幅の広さを見せようとしていたのなら慧眼とも思いますが、それにしても、ねぇwww

 あぶな坂を越えたところに
  あたしは住んでいる
  坂を越えてくる人たちは
  みんな けがをしてくる


という、のっけからめっちゃ屈折して詩の不可思議さ全開な歌い始めでござる。

 橋をこわした おまえのせいと
  口をそろえて なじるけど

  遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
  坂を落ちてくるのが ここからは見える


「故郷を出て夢破れて戻ってきたのか」と思いきや、<遠いふるさとで 傷ついた>ですからさらに謎は深まります。まぁこのテの怪しげな世界wでは「坂」とか「橋」とかは結界のような意味を持つ、という認識で充分なのかなぁと。そしてここでの「坂」と「橋」が同じ結界であるかどうかも定かではござらぬ。<遠いふるさとで 傷ついた>のが<橋をこわした おまえのせい>だと<坂を落ちてくる>人たちが<口をそろえて なじる>という読み方もできるのではないでしょうか。

さて2番。

 今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて

  おまえがこんな やさしくすると
  いつまでたっても 帰れない

  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える


ふるさととなるべき居場所に呼ばれぬまま人生に<おちぶれた男>たちは、おちぶれたのはおまえのせいだとなじる相手が欲しいのです。そしてけがをしたのも自分が至らなかったせいではなく、坂を落ちてきたせいなのです。みっともないと申されるな、思い通りに生きられぬ当の本人にとってはそれも含めて他でもないてめぇの人生、そしてその逆風はあらゆる人にとっていつ何時降りかかってきてもおかしくないことなのです。そのような苛烈な人生においてのささやかな安らぎの場所があるのなら、それが<あぶな坂を越えたところ>なのではないでしょうか。

3番です。

 今日も坂は だれかの痛みで
  紅く染まっている
  紅い花に魅かれて だれかが
  今日も ころげ落ちる

  おまえの服があんまり紅い
  この目を くらませる

  遠いかなたから あたしの黒い喪服を
  目印にしてたのが ここからは見える


あぶな坂>は人生の荒野そのもの、という読み方もできそうな。ささやかな安らぎの後の再出発が「けがが癒えた男たちを見送る」とかなんとかで描写されていないところが沁みます。「少し休んでまた頑張ろう!」とかいう現代的でわかりやすいキャッチフレーズがこの怪しい世界にあってたまるかwww

 行路難 行路難 多岐路 今安在『行路難』李白 745年)
 人生行路は困難だ 困難だ 分かれ道ばかりで 自分はいったい何処にいるのか



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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