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カテゴリー「音楽>中島みゆき」の87件の記事

2023年9月28日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『心音(しんおん)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『心音(しんおん)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『心音(しんおん)』は中島みゆきの最新作、ついこないだ2023年9月13日に48作め(!)のシングル《心音/有謬の者共》としてリリースされました。『心音(しんおん)』は中島みゆき初のアニソン、スタジオMAPPA制作、岡田麿里監督による9月15日公開の最新作映画『アリスとテレスのまぼろし工場』主題歌です。内容にしても評判にしてもそこら中にあふれていますので、どうぞ参考になさってくださいませ〜(ヒトまかせw)

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 ゲームもアニメもさっぱりわからない中島に、御注文を
  くださるとは、なんでなの?と謎な気持ちで、
  届いた台本をおそるおそる読み始め、最後まで読み終わ
  らないうちに、どっぷり、岡田麿里様のしもべとなっておりました。
  岡田麿里様は、中島の絶大なる「推し」です!
(中島みゆき コメント(部分))

 『⼼⾳(しんおん)』が流れてきた瞬間、正⾯から、強い⾵がぶわっと吹いた気がしました。
  ⾵にあおられて、緊張だけでなく、スタジオの景⾊がすべて吹っ⾶んでいきました。
  そして、この物語の主⼈公である正宗と五実、睦実の姿が⾒えました。
  彼らはしんと冷たい世界の中で、腹の底から叫び、⾛っていました。
(岡田麿里 コメント(部分))

優しく語りかけるような歌い出しからこの力強いサビに至るまで、さすがの安定感です。映画の内容は断片的にしか知りませんが、ことごとく「なるほど」な歌詞と思わされました。それと同時に和声の美しさが際立っており、この複雑さをピアノ一台で表現するのは無理かもなぁと一瞬絶望したことは白状させてくださいませ💦 おかげで編曲が部分的に非常に難しくなってしまい、も〜必死でしたよ〜www

 綺麗で醜い嘘たちを 僕は此処で抱き留めながら
  僕は本当の僕へと 祈りのように叫ぶだろう
  未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行け




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年8月30日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『あぶな坂』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『あぶな坂』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

前回の動画で最新2023年リリースのアルバム《世界が違って見える日》のラストを飾る『夢の京(みやこ)を弾いたのはイイですが、曲があまりにも充実していたので次の選曲にハタと行き詰まりましてな。かくなる上は、1976年リリース一番最初のアルバム《私の声が聞こえますか》の最初の曲『あぶな坂』にしようという苦し紛れw

それにしてもこの『あぶな坂』の歌詞の怪しさたるやなかなかなモンでして、デビューアルバムの最初の曲をコレにするなんて当時のヤマハのプロデューシングはど〜なっていたのかしらん。ただ考えてみれば1970年前後はアングラ演劇が盛んで、その旗手であった寺山修司プロデュースの浅川マキがレコードを一通りリリースしたタイミングでもあったりするんですね〜。中島みゆきはコンクール優勝後のインタビューでレパートリーを「130曲」と即答しており、単なる「ポプコン出身の女性シンガー」にとどまらぬ幅の広さを見せようとしていたのなら慧眼とも思いますが、それにしても、ねぇwww

 あぶな坂を越えたところに
  あたしは住んでいる
  坂を越えてくる人たちは
  みんな けがをしてくる


という、のっけからめっちゃ屈折して詩の不可思議さ全開な歌い始めでござる。

 橋をこわした おまえのせいと
  口をそろえて なじるけど

  遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
  坂を落ちてくるのが ここからは見える


「故郷を出て夢破れて戻ってきたのか」と思いきや、<遠いふるさとで 傷ついた>ですからさらに謎は深まります。まぁこのテの怪しげな世界wでは「坂」とか「橋」とかは結界のような意味を持つ、という認識で充分なのかなぁと。そしてここでの「坂」と「橋」が同じ結界であるかどうかも定かではござらぬ。<遠いふるさとで 傷ついた>のが<橋をこわした おまえのせい>だと<坂を落ちてくる>人たちが<口をそろえて なじる>という読み方もできるのではないでしょうか。

さて2番。

 今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて

  おまえがこんな やさしくすると
  いつまでたっても 帰れない

  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える


ふるさととなるべき居場所に呼ばれぬまま人生に<おちぶれた男>たちは、おちぶれたのはおまえのせいだとなじる相手が欲しいのです。そしてけがをしたのも自分が至らなかったせいではなく、坂を落ちてきたせいなのです。みっともないと申されるな、思い通りに生きられぬ当の本人にとってはそれも含めて他でもないてめぇの人生、そしてその逆風はあらゆる人にとっていつ何時降りかかってきてもおかしくないことなのです。そのような苛烈な人生においてのささやかな安らぎの場所があるのなら、それが<あぶな坂を越えたところ>なのではないでしょうか。

3番です。

 今日も坂は だれかの痛みで
  紅く染まっている
  紅い花に魅かれて だれかが
  今日も ころげ落ちる

  おまえの服があんまり紅い
  この目を くらませる

  遠いかなたから あたしの黒い喪服を
  目印にしてたのが ここからは見える


あぶな坂>は人生の荒野そのもの、という読み方もできそうな。ささやかな安らぎの後の再出発が「けがが癒えた男たちを見送る」とかなんとかで描写されていないところが沁みます。「少し休んでまた頑張ろう!」とかいう現代的でわかりやすいキャッチフレーズがこの怪しい世界にあってたまるかwww

 行路難 行路難 多岐路 今安在『行路難』李白 745年)
 人生行路は困難だ 困難だ 分かれ道ばかりで 自分はいったい何処にいるのか



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年8月 7日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『夢の京(みやこ)』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『夢の京(みやこ)を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『夢の京(みやこ)は今年2023年にリリースされた最新のアルバム《世界が違って見える日》ののラストを飾る曲で、それにふさわしくスケールが大きく力強く、中島みゆきらしさあふれる大曲ですよ〜。アルバム《世界が違って見える日》には「作者註」として手短な解説が『心月(つき)『夢の京(みやこ)の二曲分つけられており、これは自作を解説することを意識的に避け続けてきた中島みゆきにとって、極めて異例のことです。

 <(前略)でも私は、「京(みやこ)はもう無くなってしまったけれども、京(みやこ)の設計図を私たちは夢の中に、いつも確かに持ち続けるだろう。どんな暴力も、夢まで奪うことはできない。だから、未来を怖れる必要はない」と、歌いたいと思います。>アルバム《世界が違って見える日》作者註2)

いやはや簡潔明瞭、これを作詞作曲者本人に語られてしまっては、ワタクシごときがナニ言っても蛇足にしかならないです。3番の歌詞がこれまた示唆に富んでおり、そのまま引用いたします。あなたの京(みやこ)はどこに?

 樹々は歌う 水は歌う なのに人は なのに人は
  欲の轍に轍を重ね 自らを埋ずめてゆくの
  夢の京(みやこ)へ帰ろう もう無い国へ帰ろう
  時は戻らない 夢は戻れる 怖れることはない
  怖れることはない




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年6月29日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『バス通り』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『バス通り』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『バス通り』は1981年にリリースされたアルバム《臨月》の一曲で、B面のトップを飾っています。爽やかな曲調でいかにもこの時代なの歌詞は未練タラタラのオンナの独り語り・・・という、さぁすが失恋ソングの女王っぷりを如何なく発揮している秀作と思います。この『バス通り』の歌詞ってば語感がやたらと美しく、失恋のほろ苦さがより一層際立っているような気がするんですね〜。

 昔の女を だれかと噂するのなら
  辺りの景色に気をつけてからするものよ


爽やかなイントロからこの穏やかならざる歌い出しで一瞬で聴き手の期待感をガッツリつかむのがさすが、B面のトップを飾っているのもナルホドであります。

 まさかすぐ後ろの ウィンドウのかげで
  いま言われている 私が
  涙を流して すわっていることなんて
  あなたは 夢にも思っていないみたいね


も〜なんと言うかね、期待を裏切らない安定の失恋シチュエーションですな。この中島みゆきの場面設定の妙、偶然を装っているにしても、マジひでぇやwww

 バスは雨で遅れてる
  店は歌が 止まってる
  ふっと聞こえる 口ぐせも
  変わらないみたいね それがつらいわ


ここで情景がはっきりしますね〜。バス停の横の喫茶店、主人公は店の中、主人公をフッたオトコが今の彼女と遅れているバスを待ちながら主人公の噂話をしているのが店のBGMが止まっているせいで丸聞こえ・・・ですか、う〜む。

 時計をさがして あなたが店をのぞくまで
  私は無理して 笑顔になろうとしてる


そう、1981年当時には携帯電話なんぞ影も形も存在せず、腕時計かそのへんの店をのぞいて時間を知るという時代でした。この表現、店をのぞいて欲しい気持ちとなかなか笑顔になれない気持ち、という主人公の未練と寂しさがないまぜになってなんとも複雑な心持ちですね〜。

さて2番。

 古びた時計は 今でも 昔のように
  あなた待ちわびて 十時の歌を歌いだす


次第にフラれた時のシチュエーションが鮮明になってきました。彼はひょっとしたら九時の待ち合わせに来なかったのかも知れないですな。

 小指をすべらせて ウィンドウをたたく
  ねえ 一年半遅刻よ
  あの日はふたりの時計が違ってたのよね
  あなたはほんとは待っていてくれたのよね


フラれたのは一年半前のこと。喫茶店の中と外で内側からしかも小指でウィンドウを叩いても外側に聞こえるハズもなし、時計の合わせ違いというシチュエーションを無理やり作ってしまう主人公、これは哀しいぞ切ないぞ。

 バスは雨で遅れてる
  店は歌が流れだす
  雨を片手でよけながら
  二人ひとつの上着 かけだしてゆく


遅れていたバスが見えたのでしょうね。ふたりがいかにも仲が良さそうにバス停に駆け出す様子で、一年半前の「あの日」への想いに耽っていた主人公に現実が突きつけられた瞬間。情景が目に浮かぶような寂しくも美しい一節ではございませんか。

 ため息みたいな 時計の歌を 聴きながら
  私は ガラスの指輪をしずかに落とす


「ガラス」で「落とす」ものと言えば、なんといってもシンデレラの靴であります。シンデレラの靴は自分を探してもらう手がかりのために落とされた存在ですが、この『バス通り』で最後に主人公が落とすのが<ガラスの指輪>とはこれまた切ない。指輪とはつながりの象徴で、<時計の歌>が<ため息>に聴こえてしまう主人公の静かな諦めの気持ちが二重にせまってきますね。それにしてもなんてことのないフツーの言葉からこのような美しい情景を紡ぎ出せるのは、やはり才能のきらめきでしょう。それだけに哀しさ切なさが一層際立つ、B面の佳曲としての存在感バツグンですね〜。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年5月30日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『ギヴ・アンド・テイク』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『ギヴ・アンド・テイク』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『ギヴ・アンド・テイク』は2011年11月にリリースされたアルバム《荒野より》の一曲で、『夜会VOL.17 2/2』で主人公とその恋人とのデュエットで短く唄われているオリジナル曲です。2011年といえば3月11日にあの恐ろしい東日本大震災が起きた年、このアルバム《荒野より》にはそれを意識してメッセージが随所に込められているという解釈が少なくなく、それぞれに説得力ある論が展開されていて興味深いです。

 Give & Take 与えられることは
  Give & Take 心苦しくて
  困ってはいない 望んでもいない そんなふうに言うのは
  返せない借りだと恐れてしまうから

何かしてもらったときにお返ししなきゃ、という気持ちが芽生えるのは普通に素直な感覚だと思います。ただそれを「貸借勘定」のような感覚で捉えてしまうところ、ちぃとばかし厄介な人間関係が透けて見えてきますね〜。

 Give & Take 施し物は
  Give & Take 人をみじめにする
  気がひけてしまう うつむいてしまう そんなふうに思うのは
  返せない借りだと恐れてしまうから


『ギヴ・アンド・テイク』の歌詞では、このいささか厄介な心持ちが繰り返し投げかけられます。何かを与えられることが借りを作ることであってすなはち相手に優位に立たれることだと感じてしまうとき、いろいろと理由を作ってそれを拒みたくなります。なるほど、わかるわかる。

 Give Take それは違うよ
  僕は君から貰える
  君が受けとって呉れる ほら僕は貰えている


ですが、厚意というものは別に見返りを求める気持ちではないですよね。厚意的にナニか手伝うという行動はめっちゃ単純に人間の尊さだと思うのですが、昨今の社会情勢を見聞きするに、その厚意の受け取り側がやたらと恐縮するとか、ことさらにお礼を言いつのるような場面が目につきます。ちょっとしたことでバカみたいに炎上するネット世界を生まれた時からつぶさに観察して育っている世代にとっては、どんなに厚意的な行動であってもそれは「負い目」であって、だからこそ逆にいわゆる「きちんとした対応」ができなければ人生が詰んでしまうほどの重大で恐ろしいことなのかも知れません。

いやはや、まぁ、ねぇ、わからんでもないですよ、人から嫌われるのってそりゃ〜コワいでしょうよ。ですが、考えていただきたい。そのような姿勢って、厚意を与えてくれた相手に対する信頼、ひいては自分が生きている世界に対して信頼がない態度に他ならないのですぞ。与えられた厚意を自らに課せられた借りであるとみなしてしまうのって、言わせてもらえばかなり下卑た根性で、そのような根性が透けて見える人物に幸せなんて訪れ得るでしょうか。

だいたい、個々人が考えて配慮できる程度の「 き ち ん と し た ほ に ゃ ら ら 」なんて、どれほどのモンでもないですってばさ。も〜ちょっと自分に対して優しくなって、お互いにそこそこ甘えられる環境を広げていきたいと思いませんか〜?(*´-`)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年4月30日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『はじめまして』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『はじめまして』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『はじめまして』は1984年にリリースされたアルバム《はじめまして》の最後を飾る一曲です。このアルバム《はじめまして》は、中島みゆきが自らの理想とするサウンドをとことん追求しそして迷走したいわゆる「ご乱心時代」初期の産みの苦しみの結果の渾身のアルバムとのこと。

アルバムが《はじめまして》かつ最後の曲が『はじめまして』とはコレいかにですが、この曲の歌詞は中島みゆきではないほどにwストレートかつ前向きな歌詞なんですよね〜。前のアルバム《予感》からこのアルバム《はじめまして》まで一年半の間が空いておりいかにも産みの苦しみ、そして次のアルバム《御色なおし》はわずか半年後のリリースとなっています。なるほど、アルバム《はじめまして》は新生中島みゆき、乞うご期待だわよっ、というメッセージがてんこ盛りなのでしょうね〜。

 新しい服を着る 季節のように
  今来た道を 忘れてしまう


新緑の今の季節にぴったりのフレーズで、春は年度替わりで別れと出会いの季節、というのも決まり文句ですな。

 枯れた枝 落とすように
  悲しい人を 他人のように忘れてしまう


もうね、こういうフレーズが出てきてこその中島みゆきで、この期待を裏切らず何の衒いもない対語法はもはや心地よさすら感じます。<悲しい人>とは自分にとっての<悲しい人>で、字句通りに<忘れてしまう>ではなく、一歩ヒネって、悲しい部分なんて誰にだってあるに決まってるから切り替えていきましょ、と捉える方が季節がわりで始まるこの詞にふさわしい気がします。

 シカタナイ シカタナイ そんなことばを
  覚えるために 生まれて来たの


2番はこう始まります。この全体的にストレートに前向きなこの曲にど〜して<シカタナイ>をぶっ込んでくるのかに妄想をハタラかせたくなるのが中島みゆき読みのサガwwwでござる。歌詞ですから1番と関連づけるのは必ずしも的確とは思いませんが、1番の<他人のように忘れてしまう>が字句通りにハイ、サヨナラ、もう他人〜ではなく、あ〜も〜、まったく〜、と思いつつもやっぱり忘れたくないのではないでしょうか。

こういう感覚があらゆる人づきあいにつきものなのは、少しでも人生を送れば邪魔くさいくらいにwご存じでしょう。この<シカタナイ>な感覚は別に後ろ向きでもなんでもなく、明るい未来(言い過ぎ?)のためになくてはならない感覚とまで言いたくなるのは、やはりメンドくさいオジさんな証拠かしらんwww。まぁ中島みゆきですから当〜然恋愛が基本でしょけどね〜。

 少しだけ 少しだけ 私のことを
  愛せる人もいると思いたい


どんなに順風満帆に見えても自己肯定感に満ちていても、期待はずれのない人生を送れる人なんで皆無でしょう。期待が大きければ失望もそれだけ大きい、とは使い古されたフレーズですが、さまざまな経験を積んだ結果として期待を<少しだけ>にしておくというのは心の平安のためにきわめて有効、です、よね?

やはり思い出すのは・・・

 まわるまわるよ 時代はまわる
  喜び悲しみくり返し
  今日は別れた恋人たちも
  生まれ変わって めぐりあうよ
(1976年『時代』

『はじめまして』は、他者との関係性をうたっている形こそ取ってはいますが、実は今までの自分と訣別して生まれ変わるわよっ、という自らの心持ちを<はじめまして 明日(のわたし、そしてあなた!)>という言葉に託しているのではないでしょうか。このどストレートに明るく前向きな調子はカラ元気な感じがしないでもないですがw、不安と期待がないまぜになった年度替わり、別れと出会いの季節、春ですね〜(*´-`)

 はじめまして 明日
  はじめまして 明日
  あんたと一度 つきあわせてよ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年3月31日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『地上の星』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『地上の星』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『地上の星』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の斬り込み隊長にふさわしくめっっっちゃカッコ良い一曲です。このアルバム《短篇集》に先だって『地上の星』そして『ヘッドライト・テールライト』NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌としてオンエアされ、2曲ともアルバム《短篇集》のみに収録される予定だったところ、ファンからの要望で急遽この2曲をシングル盤として発売したとのことです。

NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』のプロデューサーが中島みゆきファンでもあり、『命の別名』(1998年)の<名もなき君にも 名もなき僕にも>というフレーズが無名の人々の活躍を取り上げる『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主旨と合致していたことから主題歌とエンディング曲を依頼した、という経緯がありまして。『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の人気も手伝って『地上の星』は驚異的なロングヒットとなり、中島みゆきは2002年大晦日の「第53回NHK紅白歌合戦」にデビュー27年目にして初出場、その後の2003年1月20日付オリコン・シングルチャートで『地上の星』は発売後130週目にして第1位を獲得しました。

『地上の星』の歌詞は中島みゆきにしてはきはめて単純ですが、やはりさすがのテクニックが随所に光っていますぞ。

 風の中のすばる
  砂の中の銀河
 <草原のペガサス
  街角のヴィーナス
 <崖の上のジュピター
  水底のシリウス


すばる>も<銀河>も本来は星の集合体として光り輝く存在なのに<風の中><砂の中>にかき消され埋もれる存在とされ、<ペガサス>も<ヴィーナス>も本来は神話の主人公として光り輝く存在なのに<草原><街角>という普通の風景に溶け込む存在とされ、<ジュピター>も<シリウス>も本来は天空にひときわ明るく光り輝く存在なのに<崖の上><水底>という見失われがちな場所に置かれる存在とされています。この発想、無名の人々の活躍への賛歌としてまさにコロンブスの卵ですよね〜。それに加えて・・・

 <みんな何処へ行った 見守られることもなく
 <みんな何処へ行った 見送られることもなく

ですから、そもそも見失われがちな存在がさらに影が薄くさせられ、もうなんともはや。

 <地上にある星を誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる
 <名立たるものを追って 輝くものを追って
  人は氷ばかり掴む

それにしてもいつも思うのは、中島みゆきという存在自体は<地上の星>なんてハズもなく何十年もトップを走っている天空の星であるのに、このような歌詞を「お前が言うな」とならずに抵抗なく読ませてくれるということ。これがTwitterとかの短い文字だけだとまた違ってくるwのでしょうが、歌詞と音楽というともに抽象度が高い媒体をハンパない巧みさで操れる中島みゆきという人物だからこそにじみ出せる説得力なんだろうなと。

 つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
  つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年2月23日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『ヘッドライト・テールライト』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

本日(2/23)は中島みゆきの71歳の誕生日、名曲の誉れ高くしっとりと心に染みる美しさ極まる『ヘッドライト・テールライト』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『ヘッドライト・テールライト』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の最後を飾る、美しく心に染みわたる珠玉の一曲です。このアルバム《短篇集》に先だって『地上の星』そして『ヘッドライト・テールライト』NHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌としてオンエアされ、2曲ともアルバム《短篇集》のみに収録される予定だったところ、ファンからの要望で急遽この2曲をシングル盤として発売したとのことです。

 語り継ぐ人もなく
  吹きすさぶ風の中へ
  紛れ散らばる星の名は
  忘れられても


唄い出しはこんな感じでして、ごくごく少数の世に出られる存在以外のいわゆる「世間」から一瞥もくれられずに消えていく普通の人生を詠じていますね。なるほど『地上の星』と対になっている曲で、しかもちゃぁんとココに<>の一語を入れているところ、統一感を与えるための常套手段とはいえ、なんともニクいですわ〜。

 宇宙の掌の中
  人は 永久欠番
『永久欠番』1991年)

いわゆる「名も無き存在」へのエールが中島みゆきの大きなテーマの一つであるとは、少しでも聴き込んだひとならば簡単に思いつくでしょう。この手のエールはそれこそ枚挙にいとまがございませぬ。

 足跡は 降る雨と
  降る時の中へ消えて
  称える歌は
  英雄のために過ぎても


やはり中島みゆきの詞には<>が入らないとですね〜。一個人の力でもどうしようもできないような無力感を表現するには、やはり<>でなくっちゃ。

 地上にある星を誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる
『地上の星』2000年)

>が輝くのは<>であり、<>にのぼって注目されるのは<英雄>に他ならず、地上(むしろ「地べた」が適切か)を這いつくばる「名も無き存在」の<足跡>は<降る雨と 降る時の中へ消えて>しまうという、まっこと的確としか言いようのない例えではございませぬか。そう言えば、中島みゆき、こんな表現もしてましたっけね。

 どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
  人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
  だれか思い出すだろうか
  ここに生きてた私を
『永久欠番』1991年)

時による淘汰はめっちゃくちゃ残酷で、ひととき光り輝いた存在があっという間に色褪せてしまうことのなんと多いことでしょうか。まして、光り輝かなかった存在なんぞ誰も思い出してくれようハズがございません。あぁ人生は虚しいw

 行く先を照らすのは
  まだ咲かぬ見果てぬ夢
  遥か後ろを照らすのは
  あどけない夢

  ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
  ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない


1番2番で<ヘッドライト・テールライト>を説明せずにサビとして繰り出しておいて3番で答え合わせをする・・・というアイディア、「あぁなるほど!」と誰もが得心するでしょう。夢があってこその人生というといささか重いでしょうが、なぁに、大それた夢である必要なんぞなく、自分そして近しい人たちにとってのささやかな幸せこそが<あどけない夢>なのかも知れません。このようなほんのささやかな幸せさえもがじわじわと奪われようとしている現在、せめて庶民のささやかな幸せが<見果てぬ夢>となってしまわないことを切に祈ります。

 ファイト!  闘う君の唄を
  闘わない奴等が笑うだろう
  ファイト!  冷たい水の中を
  ふるえながらのぼってゆけ
『ファイト!』1983年)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年1月29日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『銀の龍の背に乗って』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『銀の龍の背に乗って』はドラマ『Dr. コトー診療所』(第一期:2003年7月3日〜9月11日。第二期:2006年10月12日〜12月21日)の主題歌として書き下ろされ、同年2003年にリリースされたシングル《銀の龍の背に乗って》の一曲(B面は『恋文』)です。ドラマ『Dr.コトー診療所』は南国の離島で地域医療に日夜挑む青年医師の物語で、この主題歌『銀の龍の背に乗って』では青年医師の苦悩そして決意が壮大に唄われています。昨年2022年12月16日にこの『Dr.コトー診療所』の続編が劇場版としてなんと16年の時を経て封切られてただいま絶賛上映中、ひさびさにこの曲を耳にした方も少なくないのではないでしょうか。

 あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
  まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている


ドラマは具体的なできごとを描きますが、詞や音楽は抽象的だからこそ受け手の心のあり方によって姿を変えてくれますね。誰かが傷んでいるのがわかっているのに自分は力及ばず駆けつけられぬ、というもどかしさは、『Dr.コトー診療所』の内容にてらせば、よそ者である青年医師の心のうちとか、充分な医療支援を受けさせられない離島の現状とか、誤解曲解を正しきれない現実とか、強大な自然を目の当たりにした無力感とかが想起されるのでしょうか。まぁ人生の荒波やら不条理やらは多かれ少なかれ自らの「力及ばず」がきっかけとなるモンでしょうから、皆さんこの一節から自分のさまざまな体験を想起して頷かせられるところ大なのではないでしょうか。

 急げ悲しみ 翼に変われ
  急げ傷跡 羅針盤になれ


「力及ばず」は悔しくつらい体験ですが、その結果として<悲しみ>そして<傷跡>は案外と奮起する方向を決める原動力となるものでして、それが<>であり<羅針盤>なんでしょね。<>がなくては移動できませんし同時に<羅針盤>がなくては進む方向が示せないワケで、この暗喩、さすがというべきか相変わらずというべきか、ほんっっっと冴えてますわ〜。

ここまでが1番の前段、これからが後段です。

 夢が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけだった昨日
  明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
  銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
  銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


震えて待ってるだけだった昨日>とは<この非力を嘆いている>かつての自分ですが、いよいよ<夢が迎えに>きてくれて<悲しみ>が<>に変わり<傷跡>が<羅針盤>になって、曲もそれに合わせて嬰へ短調から嬰ヘ長調に転調させてグッと前向きになっています。コレはまぁ常套手段なのですが、それに止まることなくわずか2行=8小節でサビの<銀の龍の背に乗って…>を嬰ヘ長調の平行短調である嬰ニ短調にグイッと寄せているテクがなんともニクいです。

「長調は明るい、短調は暗い」という紋切り型二元論wがそこいらでよく語られますが、こんなに単純にしたら理解できるものも理解できなくなるのではないかしらんねぃ・・・とかねがね思っているワタクシでして。このサビの<銀の龍の背に乗って…>では、長調から短調にグイッと寄ることで中島みゆきのドスの効いた声質も相まって決意表明としてむっちゃ力強い表現となっていると感じます。そりゃ〜暗めであることで力強さをより感じさせているのも確かなのですが、「短調は暗い」というテストの回答で止まってしまってはチト感心しませんね〜(・x・ゞ

 銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
  銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


自らの翼で羽ばたいてではなくいつの間にか<銀の龍の背に乗って>になっているトコに突っ込むのは野暮の極みとしてwww、このサビの2行のカッコよさたるや、中島みゆきには素晴らしき「応援ソング」が数多いですがその中でも白眉とさえ思わされます。TVドラマの製作発表の際の中島みゆきからのこのコメントもむべなるかな!

 この作品なら多感な少年のみならず、多感な大人のみなさんにこそきっと何かを共感していただけるのではないかと確信いたしまして新しい曲が生まれました。放送を楽しみにしております



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年1月 1日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『最後の女神』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

謹賀新年のタイミングで別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『最後の女神』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。今年もよろしくお願いします(*´-`)

『最後の女神』は1993年にリリースされた両A面シングル《時代/最後の女神》の一曲で、カップリングされた名曲の誉れ高い『時代』はリメイク版です。リメイク版『時代』とカップリングされている曲ということで、今回の『最後の女神』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面『傷ついた翼』の次に弾く曲として一応は意味があるwんですね〜。

そして、この『最後の女神』は、TBS系報道番組「筑紫哲也NEWS23」の1993年10月~1994年3月のエンディング曲として書き下ろされています。1993年11月10日の放送では、筑紫哲也と対談して『最後の女神』の創作意図を語っています。

 願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの。
  そういうところからできごとは起こってくるんです。そのおおもとの
  ところの歌にしたいな、って願いで作ったんですけどね
(1993年11月10日「筑紫哲也NEWS23」中島みゆき)

報道番組とは日々新しいできごとを伝えるのが使命ですが、そのような番組であってもエンディング曲を日々新しくするのは現実的ではないワケでw。それならば、その<おおもと>となる<人間の心の熱みたいなもの>を曲にしよう・・・と。いかにも根源性や普遍性を歌にすることが多い中島みゆきらしい着想だなぁと思います。

 いちばん最後に見た夢だけを
  人は覚えているのだろう
  幼い日に見た夢を 思い出してみないか


『最後の女神』はこんな緩やかなイントロで始まります。「三つ子の魂百まで」と申しますが、日々をコナすだけで精一杯になりがちなせわしない日常、その中で回帰できるような自らの魂のよりどころってなんなのでしょうね。

 あぁ あれは壊れたオモチャ
  いつもいつも好きだったのに
  僕には直せなかった
  夢の中で今も泣いてる


こ、これはなんとも切ないですわ〜。誰でも夢は持っていたでしょうが、それを正しく認識して的確に育んで「業」として生き抜いていけるヒトがどれほど稀であるか。フツーの「デキる人材」がこんなことを言ったところで「おまえが言うな」で終わってしまうでしょうが、中島みゆきの詩ではなにやら共感を覚えさせられてしまいます。さすがはポップス界でトップを駆け続けている稀な人材だからこその有無を言わせぬ説得力でありま〜す。

 まだ見ぬ陸を信じて
  何故に鳥は海をゆけるの
  約束を載せた紙は風の中
  受けとめてくれる人がいるだろうか


ひとりひとりは独自の人生を歩むわけで、その目的地がどこにあるかなんて誰にもわからない・・・というのはもはや言い古され尽くしたw古典的な感覚でしょう。その、いわば憧れに満ちながらも言いようのない不安な感覚は誰でも抱いているでしょうが、それをこのように美しく表現してしまうのが中島みゆきなんでしょうね。そういえば、

 、 人生は素人につき『人生の素人』2017年)

こんなアジな表現もしてましたっけ(*´-`)

 心は変わる誰もが変わる
  変わりゆけ変わりゆけ もっと好きになれ


心は変わる誰もが変わる>と中島みゆきに言われたら、安定の「心変わり→フラれる」に決まってるじゃ〜ん、と誰もが思うところでこう来るとはなんともニクく、起承転結の「転」としてさすがですな。冷静に考えれば、この曲、報道番組のエンディングなんですけどwww

 あぁ あれは最後の女神
  まぎれもなく君を待ってる


あれ>という指示代名詞は、指示する語がない場合にはなにやら漠然とした存在を指し示す語として使われ、という文法的な怪説がピッタリくるような。漠然とした存在であるのに同時に<まぎれもなく>なところが<最後の女神>たる所以かと。なるほど、中島みゆき本人の言うところの<願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの>の暗喩として秀逸な言葉の選択だなぁと感じ入ります。

 あぁ あれは最後の女神
  天使たちが歌いやめても




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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