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カテゴリー「音楽>中島みゆき」の79件の記事

2023年1月29日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『銀の龍の背に乗って』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『銀の龍の背に乗って』はドラマ『Dr. コトー診療所』(第一期:2003年7月3日〜9月11日。第二期:2006年10月12日〜12月21日)の主題歌として書き下ろされ、同年2003年にリリースされたシングル《銀の龍の背に乗って》の一曲(B面は『恋文』)です。ドラマ『Dr.コトー診療所』は南国の離島で地域医療に日夜挑む青年医師の物語で、この主題歌『銀の龍の背に乗って』では青年医師の苦悩そして決意が壮大に唄われています。昨年2022年12月16日にこの『Dr.コトー診療所』の続編が劇場版としてなんと16年の時を経て封切られてただいま絶賛上映中、ひさびさにこの曲を耳にした方も少なくないのではないでしょうか。

 あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
  まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている


ドラマは具体的なできごとを描きますが、詞や音楽は抽象的だからこそ受け手の心のあり方によって姿を変えてくれますね。誰かが傷んでいるのがわかっているのに自分は力及ばず駆けつけられぬ、というもどかしさは、『Dr.コトー診療所』の内容にてらせば、よそ者である青年医師の心のうちとか、充分な医療支援を受けさせられない離島の現状とか、誤解曲解を正しきれない現実とか、強大な自然を目の当たりにした無力感とかが想起されるのでしょうか。まぁ人生の荒波やら不条理やらは多かれ少なかれ自らの「力及ばず」がきっかけとなるモンでしょうから、皆さんこの一節から自分のさまざまな体験を想起して頷かせられるところ大なのではないでしょうか。

 急げ悲しみ 翼に変われ
  急げ傷跡 羅針盤になれ


「力及ばず」は悔しくつらい体験ですが、その結果として<悲しみ>そして<傷跡>は案外と奮起する方向を決める原動力となるものでして、それが<>であり<羅針盤>なんでしょね。<>がなくては移動できませんし同時に<羅針盤>がなくては進む方向が示せないワケで、この暗喩、さすがというべきか相変わらずというべきか、ほんっっっと冴えてますわ〜。

ここまでが1番の前段、これからが後段です。

 夢が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけだった昨日
  明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
  銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
  銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


震えて待ってるだけだった昨日>とは<この非力を嘆いている>かつての自分ですが、いよいよ<夢が迎えに>きてくれて<悲しみ>が<>に変わり<傷跡>が<羅針盤>になって、曲もそれに合わせて嬰へ短調から嬰ヘ長調に転調させてグッと前向きになっています。コレはまぁ常套手段なのですが、それに止まることなくわずか2行=8小節でサビの<銀の龍の背に乗って…>を嬰ヘ長調の平行短調である嬰ニ短調にグイッと寄せているテクがなんともニクいです。

「長調は明るい、短調は暗い」という紋切り型二元論wがそこいらでよく語られますが、こんなに単純にしたら理解できるものも理解できなくなるのではないかしらんねぃ・・・とかねがね思っているワタクシでして。このサビの<銀の龍の背に乗って…>では、長調から短調にグイッと寄ることで中島みゆきのドスの効いた声質も相まって決意表明としてむっちゃ力強い表現となっていると感じます。そりゃ〜暗めであることで力強さをより感じさせているのも確かなのですが、「短調は暗い」というテストの回答で止まってしまってはチト感心しませんね〜(・x・ゞ

 銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
  銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


自らの翼で羽ばたいてではなくいつの間にか<銀の龍の背に乗って>になっているトコに突っ込むのは野暮の極みとしてwww、このサビの2行のカッコよさたるや、中島みゆきには素晴らしき「応援ソング」が数多いですがその中でも白眉とさえ思わされます。TVドラマの製作発表の際の中島みゆきからのこのコメントもむべなるかな!

 この作品なら多感な少年のみならず、多感な大人のみなさんにこそきっと何かを共感していただけるのではないかと確信いたしまして新しい曲が生まれました。放送を楽しみにしております



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2023年1月 1日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『最後の女神』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

謹賀新年のタイミングで別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『最後の女神』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。今年もよろしくお願いします(*´-`)

『最後の女神』は1993年にリリースされた両A面シングル《時代/最後の女神》の一曲で、カップリングされた名曲の誉れ高い『時代』はリメイク版です。リメイク版『時代』とカップリングされている曲ということで、今回の『最後の女神』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面『傷ついた翼』の次に弾く曲として一応は意味があるwんですね〜。

そして、この『最後の女神』は、TBS系報道番組「筑紫哲也NEWS23」の1993年10月~1994年3月のエンディング曲として書き下ろされています。1993年11月10日の放送では、筑紫哲也と対談して『最後の女神』の創作意図を語っています。

 願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの。
  そういうところからできごとは起こってくるんです。そのおおもとの
  ところの歌にしたいな、って願いで作ったんですけどね
(1993年11月10日「筑紫哲也NEWS23」中島みゆき)

報道番組とは日々新しいできごとを伝えるのが使命ですが、そのような番組であってもエンディング曲を日々新しくするのは現実的ではないワケでw。それならば、その<おおもと>となる<人間の心の熱みたいなもの>を曲にしよう・・・と。いかにも根源性や普遍性を歌にすることが多い中島みゆきらしい着想だなぁと思います。

 いちばん最後に見た夢だけを
  人は覚えているのだろう
  幼い日に見た夢を 思い出してみないか


『最後の女神』はこんな緩やかなイントロで始まります。「三つ子の魂百まで」と申しますが、日々をコナすだけで精一杯になりがちなせわしない日常、その中で回帰できるような自らの魂のよりどころってなんなのでしょうね。

 あぁ あれは壊れたオモチャ
  いつもいつも好きだったのに
  僕には直せなかった
  夢の中で今も泣いてる


こ、これはなんとも切ないですわ〜。誰でも夢は持っていたでしょうが、それを正しく認識して的確に育んで「業」として生き抜いていけるヒトがどれほど稀であるか。フツーの「デキる人材」がこんなことを言ったところで「おまえが言うな」で終わってしまうでしょうが、中島みゆきの詩ではなにやら共感を覚えさせられてしまいます。さすがはポップス界でトップを駆け続けている稀な人材だからこその有無を言わせぬ説得力でありま〜す。

 まだ見ぬ陸を信じて
  何故に鳥は海をゆけるの
  約束を載せた紙は風の中
  受けとめてくれる人がいるだろうか


ひとりひとりは独自の人生を歩むわけで、その目的地がどこにあるかなんて誰にもわからない・・・というのはもはや言い古され尽くしたw古典的な感覚でしょう。その、いわば憧れに満ちながらも言いようのない不安な感覚は誰でも抱いているでしょうが、それをこのように美しく表現してしまうのが中島みゆきなんでしょうね。そういえば、

 、 人生は素人につき『人生の素人』2017年)

こんなアジな表現もしてましたっけ(*´-`)

 心は変わる誰もが変わる
  変わりゆけ変わりゆけ もっと好きになれ


心は変わる誰もが変わる>と中島みゆきに言われたら、安定の「心変わり→フラれる」に決まってるじゃ〜ん、と誰もが思うところでこう来るとはなんともニクく、起承転結の「転」としてさすがですな。冷静に考えれば、この曲、報道番組のエンディングなんですけどwww

 あぁ あれは最後の女神
  まぎれもなく君を待ってる


あれ>という指示代名詞は、指示する語がない場合にはなにやら漠然とした存在を指し示す語として使われ、という文法的な怪説がピッタリくるような。漠然とした存在であるのに同時に<まぎれもなく>なところが<最後の女神>たる所以かと。なるほど、中島みゆき本人の言うところの<願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの>の暗喩として秀逸な言葉の選択だなぁと感じ入ります。

 あぁ あれは最後の女神
  天使たちが歌いやめても




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年12月 2日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『傷ついた翼』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

本日12/2はワタクシの56歳の生誕記念日でございまして、別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『傷ついた翼』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『傷ついた翼』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面の曲で、『時代』の知名度があまりにもあまりにもw高くてワリを食ってしまっている曲とも言えそうな。ですが実は『傷ついた翼』は1975年5月18日の「第9回ポピュラーソングコンテスト本選会」(いわゆる「ポプコン」ですね)で入賞してプロデビューするきっかけになった記念すべき作品なんですぞ。この流れでは当然ポプコンのライヴレコードが発売されて『傷ついた翼』がシングル盤A面でリリースされるはずだったのですが、なんらかの事情(目論見でしょうね〜w)『傷ついた翼』のシングルカットは見送られてデビューシングルは『アザミ嬢のララバイ』となったという。

ポプコン一週間後、1975年5月25日付の十勝毎日新聞の記事の中で、中島みゆきはこう語っています。

<他人に評価されたい、注目されたいという気持ちが、あたしのどこかにあったみたい。そんな自分の気持ちに嫌気がさしてきたから、しばらく歌を作るのをやめていたんです。行き詰ったんですね、ひとなみに。だから本当に素直な気持ちになって作ったのがこれなんですよ。>

そりゃぁね、人前で歌を歌うコンクールに出るってぇコトは<他人に評価されたい、注目されたい>以外のナニモノでもないワケで、この葛藤は実に古典的な誰もが通る道ですわな。この記事が当時の中島みゆきの本心を忠実に反映させているかどうかはともかくとしてw、最初期の中島みゆきも<ひとなみ>な一面をちゃぁんと備えていたということ、なんだかホッとしませんかの?(*´-`)

 時は流れゆき 思い出の船は港をはなれ
  通りすぎてゆく人達も 今はやさしく見える
  そんなある日 想い出すわ あの愛の翼


この出だし、結果的に一緒にシングルカットされた『時代』の世界観とま〜るで一緒ですよね〜。これこそがプロデューシングの妙、現代のようなキャッチーさでなくじっくり聴かせようという方向、まことに好ましいと思います。

 そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
  あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
『時代』1975年)

あるタイミングでは気づけなかったことが何年も経ってから「そ〜だったのか!」と気づくことは誰しも経験あるかと思います。さらに時間が経つとそれがナニやらむず痒いような甘酸っぱい感覚でよみがえってくることもまた誰しも経験あるのではないでしょうか。自らの青春時代を懐かしむとき、ヒトは独特な感覚を抱きますよね〜。

 そうね あの頃は悲しくて だれの言葉も聞かず
  愛の翼にも気づかずに つきとばしてきたのよ
  何も言わぬひとみの色 今見える
  愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ


2番に相当する一連です。も〜、思い当たるフシが多すぎてそこら中がむず痒くなりますけどw、ホント、当事者であるときはあり得ないくらいにな〜んにも気づかないモンですよね〜。中島みゆきの詩には「応援ソング」的な方向が一種はっきりと感じさせられますが、その萌芽はココにあったのでしょうか。

 傷ついた翼思うたび 胸ははげしく痛む
  遅すぎなければ この想いのせて もう一度飛んで
  泣いているわ 愛の翼 今見える


>が象徴するナニか、それは誰かが決めつけるモノではなく、それぞれが想い出の中に秘めているナニかですよね。いみじくも「後悔先に立たず」と申しますが、<遅すぎなければ>と語っている以上は自分がヤラかしてしまったナニかが遅すぎることは本人が一番わかっていることでしょう。それでも<もう一度飛んで>みたいと思いたくなるのもまた無理もないこと、夢を果たせるヒトはほんの一握りですが、甘酸っぱい感傷を抱きながらその夢を追い続ける、いや、想い続けることは、それなりに人生を歩み続ける支えになるような気がいたします。中島みゆきは世間一般から見れば断然「夢を叶えられた存在」ですが、そのような存在が市井の名もない存在に心を砕くような歌詞を書いて反発でなく共感を得られていること、やはり詩と音楽の力がズバ抜けている証左ではないでしょうか。冷静に見直せば一般的なことがらをフツーに語っているに過ぎないとすら思える中島みゆきの歌詞、しかしそれは聴き手それぞれにとっては自分一人にとって投げかけられたメッセージになるんですね〜。デビューから40年以上もポップスの世界の先頭を走り続けている実力、やはりハンパなく恐るべしです。

 愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年10月31日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『旅人のうた』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『旅人のうた』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『旅人のうた』は、前年1994年に放送された日本テレビ系ドラマ『家なき子』の続編『家なき子2』の主題歌として書き下ろされ、1995年発売のシングル《旅人のうた》として発売されました。このシングルもオリコンシングルチャートで好成績を収め、中島みゆき4作目の1位獲得、そして前作に引き続きオリコンで3作目のミリオンセラーとなりました。

さらに『旅人のうた』は1996年発売のアルバム《パラダイス・カフェ》の斬り込み隊長として収録されていますが、これはシングルとは違うバージョンになっています。この動画ではシングル版を弾いていまして、重くも力強い推進感のある「ざっざかざっざか」したベースが心地よいです。ですが、コレ、ピアノの左手で弾こうとするとウマいこと手のひらの力が抜けていないとツリそうになるんですよ〜〜〜(・x・ゞ

 男には男のふるさとがあるという
  女には女のふるさとがあるという
  なにも持たないのは さすらう者ばかり
  どこへ帰るのかもわからない者ばかり
  愛よ伝われ ひとりさすらう旅人にも
  愛よ伝われ ここへ帰れと


ドラマ『家なき子2』の主題歌をこのように始めること、なるほど。「家なき子」には帰れるふるさとはないわけで、確かに<さすらう者>なんですよね〜。「家なき子」の置かれた状況はかくも過酷ですが、そこに差し伸べられる手は、やはり<>なのであります。そしてハタと思い当たるのは・・・たとえ<ふるさと>のような帰る物理的存在があったとしても、心のよりところがなくては人は迷いさすらい寂しいままなんだよなぁ、ということ。コレ、現代人の孤独として言い古されているのは百も承知で、昨今SNSでちょっとしたきっかけで過度に攻撃的になってしまう輩の激増を嘆かざるを得ません。

さて2番。

 西には西だけの正しさがあるという
  東には東の正しさがあるという
  なにも知らないのは さすらう者ばかり
  日ごと夜ごと変わる風向きにまどうだけ
  風に追われて消えかける歌を僕は聞く
  風をくぐって僕は応える


時と場合そして置かれた立場などによって<正しさ>何てぇシロモノは簡単に正反対になるということ、一度社会を知るとイヤというほど直面させられますよね。それでも人は<風に追われて消えかける>ような<正しさ>を求めるという、ホントに因果な存在だと思わされますわ。同時に、自分の見聞そして論理こそが正しいと臆面もなく言い放つ輩が激増している昨今のSNSであることよw

そして、嬰ト短調の力強さから嬰ハ長調に転調して歌い上げられるのがこのサビ、題名の『旅人のうた』の公式英訳が "TRAVELLERS SONG" ではなく "WANDERERS SONG" とされているのが納得ですね。それにしても、この転調ってばまことにドラマチックでたまらんですぜ〜(*´-`)

 あの日々は消えてもまだ夢は消えない
  君よ歌ってくれ僕に歌ってくれ
  忘れない忘れないものも ここにあるよと




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年10月 7日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『空と君のあいだに』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『空と君のあいだに』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『空と君のあいだに』は、1994年発売のアルバム《LOVE OR NOTHING》の斬り込み隊長です。もともとは同年放送された日本テレビ系ドラマ『家なき子』の主題歌として書き下ろされ、このドラマの大ヒットの影響もあってかシングル《空と君のあいだに/ファイト!》は中島みゆき最大の売上枚数を叩き出しました。このドラマ『家なき子』は、主人公の少女を演ずる安達祐美の「同情するなら、金をくれ!」のセリフそして内容のかなりのエグさから、それこそ一世を風靡したと言っても過言ではないでしょう。

とはいえ、楽興製作のタイミングではよく知られるフツーの『家なき子』のストーリーの引き写しと主人公の少女が犬を連れている、という大雑把な情報だけ与えられていて、それに基づいて犬の視線の歌として作られたそ〜な。ですが『空と君のあいだに』の歌詞に入っている<>は犬ではない、とも後年中島みゆき本人がもらしているそうで。なんでも犬が飼い主を見上げたら空は飼い主の向こうに見えるから、その両者のあいだにいろんなことが起こるよね・・・って、ソレ、人間関係森羅万象全部じゃ〜ございませんこと?www

とかなんとか、そもそも、中島みゆき本人の解説だって(だからこそ、かもw)本心かどうかなんてわかりゃしないwワケでして、より一層妄想がふくらむんですよね〜。

 君が涙のときには 僕はポプラの枝になる
  孤独な人につけこむようなことは言えなくて
  君を泣かせたあいつの正体を僕は知ってた
  ひきとめた僕を君は振りはらった遠い夜


1番はこのように始まります。なんつ〜か、も〜安定の中島みゆき風味ですよね〜。この曲の歌詞、いろんな妄想をしてもイイとは思うのですけど、深読みせずに単純に味わった方が静かにしんみりできそうな気がします。そして2番の始まりは

 君の心がわかる、とたやすく誓える男に
  なぜ女はついてゆくのだろう そして泣くのだろう
  君がすさんだ瞳で強がるのがとても痛い
  憎むことでいつまでもあいつに縛られないで


ん〜、これまた安定の「見守る愛」ですよね〜。最後の<憎むことでいつまでもあいつに縛られないで>という着眼点、やはりさすがの中島みゆきでありま〜す。こういうアジな着眼点、ワタクシ大好きなんですよ〜(*´-`)

 空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
  君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる


「家なき子」ですから、<>という主人公の周りには理不尽なできごとばかり、その主人公を寂しくしかしずっと見つめ続ける<僕>の心の強さはいかばかりでしょう。中島みゆきは「家なき子」だから主題歌は逆に明るい調子にした、とどこぞで触れています。それなのにこのサビの部分の調性が暗く沈みやすい嬰へ短調であるのはクラシック音楽的にもフツーに的確な手法。イ長調で始めてサビを平行短調である嬰へ短調にするという王道ですから覚えやすく、シングル盤がミリオンセラーになったのも納得ですわ〜。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年9月 7日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『かもめの歌』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『かもめの歌』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『かもめの歌』は、1993年発売のアルバム《時代 -Time goes around-》のラストに収録されています。もともとはフランスで活躍する歌手・バトリシア・カースの3rdアルバム《永遠に愛する人へ/je te disvous》の日本盤のボーナストラックのために書き下ろされた曲で、中島みゆき初の海外アーティストへの書き下ろし曲だったりします。

『かもめの歌』は重々しい3拍子で始まるのですが、歌が入ってきたときに異様に引きずるようにリズムが軋みます。ワタクシ中島みゆきはそれなりに聴いていますが、このような歌い方をしている曲はちょっと他に見当たらず、いつもの独特な節回しとも違うのでこりゃ困ったなぁ・・・と。まぁコレ何日かで怪決できたのですが、伴奏が3拍子で歌が2拍子としやがっているせいでリズムが軋んで、基本が3拍子という前進しやすい性格を2拍子の歌がムリヤリ引き戻すような効果を生んでいるんですね〜〜〜。実はアルバムでは少なからず混乱していたりしてますが、それが狙いなのかそうでないのかは判断不能です。・・・イヤ、コレ、ど〜やってピアノソロで弾きゃぁイイのよ!!www

1番です
 いつかひとりになった時に
  この歌を思い出しなさい
  どんななぐさめも追いつかない
  ひとりの時に歌いなさい
  おまえより多くあきらめた人の
  吐息をつづって風よ吹け
  おまえより多く泣いた人の
  涙をつづって雨よ降れ


「人は独りで生まれて独りで死ぬ」とは、めんどくさい連中にもそうでもない連中にもw古来ワリと言い古されていようかと思います。そのときに残った「何か」こそが自分が生きた証・・・ともめんどくさく説かれますが、ん〜、ワタクシそれなりに半世紀以上人生を歩んでいますが「あんときにこうしときゃ/しとかなきゃヨかった」という後悔ぐらいしか残ってないんですよね〜。とほほほ。

それでも世間はむっちゃ広いワケで、<おまえより多くあきらめた人>も必ずいるでしょうし、<おまえより多く泣いた人>もいくらでもいることでしょう。そしてそのような状況にならざるを得ない人たちが昨今の世間の混乱でどれほど増えてしまったことでしょう。政治に分断され、疫病に分断され、戦争に分断され、庶民はそれこそ踏んだり蹴ったりですが、そこにいささかなりともうるおいを差し出せるのは他でもない芸術ではないでしょうか。それを自らの歌で体現するのが歌手でして、中島みゆきがその頂点の一つであることは他でもない数字が証明していますね。

「音楽の力」とかなんとか言って安っぽく感動を誘いたがる風潮は以前からありますが、そんなのとは一線を画して(当然かw)この歌はここにあるだけでゆるぎなく広く聴き手を抱擁する力があるように思います。

 あらゆる藝術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。>(夏目漱石『草枕』1907(M40)年)

そしてサビの表現、好きなんですよ〜。

 生まれつきのかもめはいない
  あれは其処で笑ってる女
  心だけが身体をぬけて
  空へ空へと昇るよ


思い出すのも難しいほどにさまざまな経験をしたことで、煩悩の象徴である<身体>から解き放たれた<>だけで<イツモシヅカニワラッテヰル(宮澤賢治『雨ニモマケズ』1931年)ことがもしもできたとしたら、なんと嬉しいことでしょうか(反語w)。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年8月 7日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『Maybe』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『Maybe』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『Maybe』は、1991年発売のアルバム《歌でしか言えない》に収録されています。この曲はその前年1990年の『夜会』で最初にお披露目されたときには「都会で働く孤独な女性が強がっている」という場面で歌われていました。なお翌年の『邯鄲 夜会1991』(幻冬舎文庫)のシナリオによると、このシーンは<ここまでのストーリーが、急速に早送りのように総括されます>との由。なるほどラストから2曲めですもんね〜。『夜会』は1989年に始まっていますので1990年は第2作め、そして『Maybe』は1995年に発売された『夜会』の曲を集めたアルバム《10 WINGS》にも収録されており《歌でしか言えない》《10 WINGS》とではま〜るでアレンジが異なっています。どちらも魅力があって捨て難いのですが、今回は強がりを全面に押し出したアレンジの《10 WINGS》の方を採用(?)しました。

1番です
 雲の流れは西から東 4つの季節をつないでゆく
  今日も地上に吹きつける風は 左から右 右から左
  1秒毎に気が変わる 予測のつかない癇癪持ち
  1つのビルの角を曲がる度に意外な向きで吹きつけて来る
  私は唇かみしめて胸をそらして歩いてゆく
  なんでもないわ 私は大丈夫 どこにも隙がない
  なんでもないわ 私は大丈夫 なんでもないわ どこにも隙がない
  Maybe 夢見れば Maybe 人生は
  Maybe つらい思いが多くなるけれど
  Maybe 夢見ずに Maybe いられない
  Maybe もしかしたら


情景描写が非常にわかりやすくて、これなら『夜会』の内容を知らなくてもな〜んか「都会で働く孤独な女性が強がっている」という感じが伝わってきますね〜。<>がポイントの一つでして、まぁ単純な<>ではなく「逆風」であるのも簡単にわかりますね。コレ、仕事に対する逆風であるばかりでなくて人生を送る上で必ず立ちはだかってくる「予想外の展開」なんだよなぁ・・・と思ってしまったソコのアナタ、もはや面倒っちぃオトナになってますネ(・o・ゞ

それにしても、サビの

 Maybe 夢見れば Maybe 人生は
  Maybe つらい思いが多くなるけれど
  Maybe 夢見ずに Maybe いられない
  Maybe もしかしたら


って、たまらないですね〜。<Maybe>を執拗に挟み込むという歌唱に特有なレトリック、そして倒置と省略技法が盛り込まれており、つまりは

 人生は 夢みれば つらい思いが多くなるけれど
  もしかしたらと 夢見ずに いられない


がメインで伝えたいことなんだろうなぁと。そうなのです、「夢」なんかに関心なくてただただ日々を過ごしてしまいたい人も実は決して少なくないのが現実社会ですが、そのような人たちでも、否、そのような人たちだからこそ「逆風」には人一倍さらされたくなく、それこそが「夢」というか「切なる願い」なのではないでしょうか。大それた「夢」ではなく、日々のちょっとしたほんのささやかな幸せを願いつつ社会にその存在を一切知られずに一生を送る圧倒的多数の人たちを直撃したのは、昨今流行りのこの国の政治不信でもなんでもなく、遠く離れた国の争いに端を発した物流の停滞に伴う大〜幅な物価高です。夢見ればつらい思いが多くなるのはある意味予測できる逆風ですけれど、夢見てないのに逆風にさらされるのってむっちゃくちゃに理不尽ですぞ。あ、ハナシがそれました。

2番です
 弱気になった人たちは 強いビル風に飛ばされる
  私は髪をきつく結いあげて大きなバッグを持ち直す
  思い出なんか何ひとつ私を助けちゃくれないわ
  私をいつも守ってくれるのはパウダールームの自己暗示
  感情的な顔にならないで 誰にも弱味を知られないで
  なんでもないわ 私は大丈夫 どこにも隙がない
  なんでもないわ 私は大丈夫 なんでもないわ どこにも隙がない
  Maybe 夢見れば Maybe 人生は
  Maybe つらい思いが多くなるけれど
  Maybe 夢見ずに Maybe いられない
  Maybe もしかしたら


どんな頑丈な鎧を着ていても、どんなに強い人であっても、その裏側には必ずや弱い自分を隠しているのであります。コロナ禍があってもなくても戦争があってもなくても人生には逆風がついてまわりますが、それに飛ばされないためにはやはり個々人のささやかな自分だけの満足感が必要不可欠なのではないでしょうか。強い自分も弱い自分も、正直な自分も嘘つく自分も、嬉しい自分も悲しい自分も、それらがどんなに矛盾だらけであっても全てが自分そのものですね。それは自分こそが最も痛切に感じているモノで、そりゃ〜偽りたくなるのも当〜然ですよね〜。

 思い出なんか何ひとつ私を助けちゃくれないわ
  私をいつも守ってくれるのはパウダールームの自己暗示


思い出に浸っていても逆風は止みませんし先送りになってしまうのがオチでしょうが、自分だけの密かな「推し」の存在があれば、それこそが心を支えてくれるのではないでしょうか。こうなってくると「推し」が夢か現実か思い出かなんて些細なことなのかも知れないとさえ思います。いやはや、この2行、ワタクシ的には『Maybe』の最大のポイントなんですね〜(*´-`)



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年6月30日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『愛よりも』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『愛よりも』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『愛よりも』は、1988年発売のアルバム《グッバイ ガール》に収録されています。《グッバイ ガール》はちょうど音楽業界がLPからCDへとそれこそ雪崩をうったかのように総転換したタイミングで、LPはプレミア価格になってしまっているというイワクツキのアルバムでもありま〜す。え? ワタクシ? 数年ちょい前でしたが、うっかりほぼ新品同様のLP盤を手に入れてしまいましたよ〜。とほほほwww

閑話休題、この詩、ちょっと一筋縄では行かぬ強さそして厳しさを感じさせられます。ナニしろ、出だしからしてこうですからね〜。1番をどうぞ。

 人よ信じるな けして信じるな
  見えないものを
  人よ欲しがるな けして欲しがるな
  見果てぬものを
   形あるものさえも あやういのに
    愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
    愛さえも夢さえも 粉々になるよ


人間社会なんつ〜シロモノは生き馬の目を抜くがごとき権謀術数に満ちておるのはみなさまよ〜くご存知の通りでございまして、いわゆる<>として象徴される<見えないもの>を撹乱しようと手ぐすねひいて待ち構えているんですよね〜。ですが、ちょ〜っと待っていただきたい。それならば<形あるもの>って一体全体ナンなんざんしょ???

立場や条件が変われば解釈が変わる・・・なんつ〜のは政治屋連中の手のひら返しを思い出すwまでもなく、これまたみなさまよ〜くご存知の通りでございまして、っつ〜コトは、実は、我々が信じている<形あるもの>こそが<見えないもの>であったり<見果てぬもの>であったりするのではないでしょうか。さぁさぁ、ワカラナクなってまいりましたw

2番をどうぞ。

 嘘をつきなさい ものを盗りなさい
  悪人になり
  傷をつけなさい 春を売りなさい
  悪人になり
   救いなど待つよりも 罪は軽い
    愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
    愛さえも夢さえも 粉々になるよ


期待を裏切らぬ中島みゆきらしい毒な表現ですよね〜。ココでカギなのかなぁと思うのは<救いなど待つよりも 罪は軽い>の一節。<形あるもの>をよりどころとして待ちの姿勢で<救い>を願ったところで、そんなモンは所詮は<見果てぬ>夢なのではないでしょうか。1番で<信じるな>そして<欲しがるな>と喝破したにもかかわらず、2番では信じさせる側そして欲しがらせる側という<悪人>になりなさいと説く中島みゆき、わからんでもないですが、どないせぇっちゅ〜んじゃとwww

つまりは、ナニも考えず判断もしないままに漫然と生を送っていながら口だけは一丁前に「救いがねぇ」と文句ばかり垂れるような存在ではなく、たとえそれが世間から悪とされるようなことであっても自分が今信じるナニかに向かって突き進め、というめっちゃ厳しいエールなのではないだろうかなと。まぁコレってナニげにワタクシ自身にめっちゃ突き刺さってくるというのは内緒ヨwww

3番をどうぞ。

 星を追いかけて 月を追いかけて
  どこまでも行け
  黄金(かね)を追いかけて 過去を追いかけて
  どこまでも行け
   裏切らぬものだけを 慕って行け
    愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
    愛さえも夢さえも 粉々になるよ


>そして<>とは、1番の<見えないもの>そして<見果てぬもの>の隠喩でしょうね。さすれば、<黄金(かね)>そして<過去>とは、1番の<形あるもの>の隠喩でしょう。それらを追いかけてどこまでも行くときに慕うべき<裏切らぬもの>というのは、結局のところは世間一般的に正しかったり常識的だったり道徳的だったりする滅菌消毒された正論的存在な定型文w(書いててムシズが走るぞw)なんかではなく、それぞれが引き起こす間違いや過ちというそのひと独自の体験を支える矛盾に満ちたナニかなのではないでしょうか。

このように考えてみると実は、ナニも考えず判断もしないままに漫然と生を送るというのは案外と難しいような気がしますね〜。ただ現代ってホントにヨく仕組まれていて、全てを他人の判断に任せて自分にとって都合の良い「真実」だけを見ていても一生を過ごせるんですよね〜。所詮は一人で生まれてきた弱い人間ですから<人恋しさ>から逃れるのはなかなか難しいワケで、そこにつけ込まれると弱い自分なんぞ簡単に見失わさせられてしまうのでしょう。それにしても、この現代の状況を35年も昔の1988年に予見していたかのような詩を書いた中島みゆきが凄まじいのか、人間が懲りない存在なのか、まぁ両方なんでしょうね(*´-`)

 愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われ
  愛さえも夢さえも 粉々になるよ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年5月30日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『熱病』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『熱病』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

『熱病』は、1985年発売のアルバム《miss M.》に収録されています。《miss M.》はいわゆる中島みゆきの「ご乱心期」のアルバムですが、少し落ち着きも見られる存在なのかなぁとは思っています。この歌詞は論理的に考えると支離滅裂であるかのように思えますがテクニックとしては比較的簡単で、若さそして青春という「期待と不安に満ちていて、だからこその危うい輝きに満ちた一時期」のことを、それに連関する言葉を紡ぐことで象徴的に謳っているのではないだろうかと。

青春の危うい魅力については古来それこそ星の数よりまだ多いwほどの表現がされていますが、単純に過ぎ去った昔を懐かしむというばかりではなく、果たせなかった夢に対して何やらチクチクするようななんとも言えない感覚が入り込むことが多いような印象があります。後悔とはちょ〜っと違うのがまたフクザツなんですよね〜。

コレは2番ですが、前半が鋭く美しく冴えわたっていると思いませんかの?

 僕たちは熱病だった 知恵が身につく寸前だった
  熱の中でみんな白紙のテスト用紙で空を飛んでいた
  僕たちは氷の海へ 上着のままで飛び込んでいた
  ずるくなって腐りきるより阿呆のままで昇天したかった
  でも Ha Ha Ha 春は扉の外で
  でも Ha Ha Ha 春は誘いをかける
  教えて教えて 秘密を教えて  いっそ熱病




ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。

2022年4月23日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『Nobody is Right』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『Nobody is Right』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『Nobody is Right』は、2007年発売のアルバム《I Love You, 答えてくれ》に収録されています。この曲の歌詞はこの動画の前にアップした『ひまわり "SUNWARD"』とセットにしたくなるような意味を持っておりまして、これまた今現在ウクライナとロシアの間で繰り広げられている戦火そして双方政府による情報戦、さらにはその情報戦に踊らされて自分だけは他者と違って視野が広く聡明かつ冷静であるとアピールしたがりな知ったかぶりの数限りない烏合のネット民の虚しさを見透かしているように思えます。
*『ひまわり "SUNWARD"』
 https://bergheil.air-nifty.com/blog/2022/03/post-e5c335.html

我々日本人にとって、国境が入り組んで時代によって国境線が頻繁に変わり、さまざまな民族の混在そして混血が当たり前である世界を実感を持ってイメージすることは相当に困難なはずなのに、たかだか侵攻が始まって一ヶ月ちょいの間にたまたまネットで目にした程度の情報で精査できた気になってきいた風な口を叩くなんて恥知らずと言わずして何と言う。それに止まらず、どこぞで「ウクライナに味方するようなプーチンを悪く言うような情報を選びたがる自分には注意しなければと思う」とかほざく御高説を複数拝見いたしまして、その十重二十重にネジくれた醜悪な自己愛に満ちたうぬぼれを目の当たりにした気がしてそっと閉じましたわぃ。ネット上の言論なんぞ欺瞞や偽善に満ちているというのはこの25年間思い知らされていますが、今回もまたまたま〜たまた同じですわ。

中島みゆきはこの『Nobody Is Right』を発表した2007年、インタビュー記事でこのように語ってます。

 物を求める戦争なら、いつか収まる。でも、相手が心から正しいと思っていることを否定する争いに終わりはない
  (2007年10月17日「東京新聞」

これは狭い意味の戦争のみならず、およそ人間社会にいる限り必ずついてまわる行き違い・誤解・勘違いもろもろ全てに当てはまるのではないでしょうか。人間関係そして人間社会とはお互いの立場の数だけ異なる論理なくしては成り立たないものでして、そこに自らの信じる狭量な正義のみを振りかざして悦にいる輩のなんと多いことでしょう。

 もしもあなたが全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
  世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり


たいていの人は、程度の差こそあれ、思春期を迎えて自我を形成し始めて身の周りの小さな社会とぶつかりつつ(揉まれて、の方がイイかなw)、その中で少しずつ自らを育んでいくものではないでしょうか。そんな初期のころ、世間の不合理やら不条理やらにいちいち憤って「世の中間違っとる!」と感じる段階があること自体は、至極まっとうと思います。いつしかそれを隠しながら生きる悪知恵を身につけて(「堕落」とも言われますがねwww)世間さまに馴染むことがオトナのたしなみの一つでしょうが、まぁ、なかなか、難しい、です、よ、ね〜。

 つらいだろうね その一日は
  嫌いな人しか 出会えない
  寒いだろうね その一生は
  軽蔑だけしか いだけない


ここの指摘がさすがは中島みゆきで、どんなに自分が最高の存在であるという尊大な人物でもこのような感覚は持たないのではないでしょうか。まぁ逆もまた真でもあり、尊大で傲慢不遜な人物であるからこそ、このような感覚にはなり得ないのでしょうけど。「孤高の存在」になればなるほど孤独なものである、という文学的な表現もありましょうが、それこそ自分に酔っているだけのうぬぼれですナw

 正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ

人はそれぞれ全く異なる存在であり、しかも自分の中ですら論理的に整合した姿勢でいられるのは極めて難しいこと、誰もが(認めたくはナイでしょうが)わかっているのではないでしょうか。それならばそれぞれの<正しさが相容れない>のが当ったり前な当然で、それぞれの<正しさが相容れない>という現実を認めない姿勢こそが、真の「相容れなさ」を生み出す元凶であります。

 争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
  その正しさは気分がいいか
  正しさの勝利が気分いいんじゃないのか


大義がありさえすれば他を打ちのめしてもいいのでしょうか、大義がありさえすれば他は我に屈服すべきと主張してもいいのでしょうか、そのような大義とはいったいなんなのでしょうか。にわかに過ぎぬ大義を振りかざして悦に入る烏合のネット民ども、うるさ過ぎますな。

 Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, 正しさは
  Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, 道具じゃない




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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