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カテゴリー「音楽>中島みゆき」の99件の記事

2024年10月30日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『あどけない話』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『あどけない話』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『あどけない話』は、1991年10月15日~27日にBunkamuraシアターコクーンで行われた、オンシアター自由劇場創立25周年記念公演「ラブミーテンダー」のための書き下ろし曲です。その劇中で歌った吉田日出子のシングル《あどけない話/歌姫》が1992年に発売され、中島みゆき本人は1993年にリリースしたアルバム《時代─Time goes around─》に収録しています。

 おとぎばなしを聞かせるなら
  「ありえないこと」と付け足しておいてよ
  おとぎばなしはみんなずるい
  どこにも日付を書いていない


『あどけない話』というタイトルで<おとぎばなし>ですからまぁフツーは他愛もない夢物語的な『あどけない話』なのでしょうけれど、中島みゆきの歌詞で<ありえないこと>に加えて<おとぎばなしはみんなずるい>とぶっ込まれると俄然怪釈が変わってきますね〜。

 昨日のこと、あさってのこと、おとといのこと
  それとも、いつ?

主人公は想いびとから(コレは既定路線ねw)おとぎばなし>=『あどけない話』=夢物語を聞かせられてそれが現実になることを期待=夢見ていますが、その話には<どこにも日付を書いていない>ワケで、現実になるのがいつなのか、はたまた現実にならないのか、確証が一切無いのでありま〜す。中島みゆきの歌詞にワリと登場する、「今のままで居続けたいし将来にも希望を持ちたいのに、未来に確証が持てないで不安になってしまう主人公」がここにも現れましたぞ👀

 船に乗り風に乗り
  どこまでもどこまでも
  私たち旅をゆく
  信じてる、迷いもなく


何やらことさらに未来をバラ色に(少し前に『バラ色の未来』も出しましたが👌)輝かせて、しかも最後にダメ押しで<信じてる、迷いもなく>ですから、これは主人公の未来に対する不安を打ち消したいがための姿勢だろうなぁと。人間というヤツらが本来的に100%誰もが未来に希望を抱くものなのかは知らんですが、この主人公のように未来に確証が持てなくなってしまうのは、期待していたのに裏切られた経験が少なくないからこそ、なのではないでしょうか💦

 おとぎばなしはみんなずるい
  どこにも日付を書いていない


ほ ら ね 。
人生なんつ〜のは、自分が望んでいるような良い未来はロクに起こらずに悪い未来ばかりが現実に起こりやがる、というモンですよね〜。かと言って・・・

 海鳴りよ 海鳴りよ
  今日も また お前と 私が 残ったね
『海鳴り』1978年)

永遠に変わらぬことを願いそのように行動したところで、逆にその結果変わらぬ自然現象である<海鳴り>と自分独り以外誰一人として残っていなくなったりもしますね。っっったく、な〜んでこうも人生は思い通りにならないんざんしょ😤

 「いつかおまえに見せてあげよう
  沈まない月も翼のある花も」
  終わることない夢のはなし
  いつまでも私 うなずきましょう


あくまでもあどけない空想の産物である<おとぎばなし>ですが、思い通りにならぬ人生に対してそれを積極的に肯定することなく「まぁそんなもんよね〜」とかなんとかうなずきながら生き続けるための方便としての意味、実は大変に大きいのだろうなぁと思わされます。現実逃避と申されるな(いやそうなんですがw)、よりどころがあらずして人生の荒波を泳ぎ切れる人物なんぞなかなかいるもんではございませぬ。<おとぎばなし>はオトナの先送りwとも思いますが、<いつまでも私 うなずきましょう>と人生をヤリ過ごすことができるならば、それはそれで名も知られぬ路傍の一介の石としてまことに立派な生き方でしょうぞ。

 双子のように似ているふたつ
  誓うことと願うことは
  うそじゃないうそじゃない
  でも人は愛すると
  叶おうが無理だろうが、夢を聞かせたくなるわ


ふむ、出だしは倒置法ですな💡
 <誓うことと願うことは 双子のように似ているふたつ

思い通りにならぬ人生において、愛する方は誓って愛される方は願う、という図式を指摘しているのでしょうか。なるほどごもっともでございますが、な〜かなかに冷徹な観点ですな。愛する方が<夢を聞かせたくなる>のはまったくもってその通りで(特にオトコのコってばさw)、愛される方がたとえ<叶おうが無理だろうが>そうあってほしいと願ってうなずくこともまたその通りだろうなと思わされます。愛し愛される間柄は互いにあどけなく<おとぎばなし>を語り合うような関係で、人生のよりどころとして素晴らしく意味のある存在なのでしょう。嗚呼、それにしてもそれにしても、人生は邯鄲の夢のごとし💡

 終わることない夢のはなし
  いつまでも私 うなずきましょう




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年9月21日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『海鳴り』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『海鳴り』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

『海鳴り』は、1978年発売のアルバム《愛していると云ってくれ》に収録されています。《愛していると云ってくれ》は中島みゆきの第4作めのアルバムですが、大ヒット作の『わかれうた』が入っていますし、フラれ歌の女王らしさと2年後の問題作《生きていてもいいですか》の出現を予感させていたかのような『化粧』の不穏な雰囲気とを兼ね備えた、相当にヒネくれて充実wしたアルバムと思います。前作《あ・り・が・と・う》とともにYMO結成直前の坂本龍一が参加していたというのもな〜かなか興味深いところで、めっっっちゃトンがっていたであろう当時の坂本龍一と中島みゆきが一緒に音楽を作っていた現場なんて、ちょ〜っと想像を超えますね〜😳

さて、中島みゆきは帯広で青春期を送っていますが、それ以前幼稚園年長から小学校5年生までは岩内(いわない)で暮らしています。帯広は大平原の街ですが、岩内は積丹半島の南のつけ根で日本海の荒波が打ちつける漁師町。昭和30年代半ばですから海から吹き付ける風の厳しさも冬の雪の厳しさもひとしおだったことでしょう。なお、国鉄岩内線は1962(昭和37)年2月1日に客貨分離されて旅客がディーゼル化されており、中島美雪嬢(本名)って岩内線の近代化をちょうど体験しているんですね〜w

 海鳴りが寂しがる夜は
  古い時計が泣いてなだめる


1978年発売のアルバムの曲ですから、<古い時計>は荘重な柱時計一択ですね。遠く近く聞こえる海鳴りと古い柱時計のカチコチ音そして定時を知らせる鐘の音、これだけで寂しげな情景が浮かび上がってくるではございませんか。

 遠く過ぎて行った者たちの
  声を真似して 呼んでみせる


海鳴り>とはあくまでも感情のない自然現象にすぎませんから、それが寂しがって聞こえたり<遠く過ぎて行った者たちの声を真似して>聞こえたりするということは、それを聞いている主人公の心こそが寂しく、そして<遠く過ぎて行った者たち>を想っているのであります。アルバム発売当時の中島みゆきはようやく26歳、さすが底知れぬ感性の持ち主ですわ〜😳

 海よ おまえが 泣いてる夜は
  遠い 故郷の 歌を歌おう
  海よ おまえが 呼んでる夜は
  遠い 舟乗りの 歌を歌おう
『海よ』1976年)

中島みゆきが「海」を唄うことは決して多くはないですが、デビューアルバムにこの曲が入っていることもまた、中島みゆきが「海」に対してなにか特別な感興を抱いているのではないかと思わされます。昭和30年代半ばの岩内は活気にあふれていたでしょうがその自然環境は厳しく、中島みゆきの独特な「翳り」の源泉の一つなのではないでしょうか。

 紅灯の海は優しい 海と名の付くものは優しい『紅灯の海』1997年)

紅灯>とは、まぁ「赤ちょうちん」なのですが、歓楽街とは確かにその活気と表裏一体となった「人生の翳り」にあふれている場所でもあるんですよね。

 覚えてるよ 覚えてるよ
  この足元で はしゃいでいたね
  覚えてるよ 覚えてるよ
  時計だけが 約束を守る


人間も環境も全てがうつろう万物流転なこの世界ですから、ある程度人生を過ごしてきたヒトなら皆、<約束>とは必ずしも永遠でもないことは何度となく思い知らされますね(そうですよね?)。それらと無関係に無情に一定の時を刻むものは<時計>という存在であり、その存在を<約束を守る>という無情とは真逆の表現に落とし込むこのセンス、むちゃくちゃ冴えてますわ〜。それにしてもこのなんとも寂しい疎外感というか喪失感、いったい何ぞ。

 海鳴りよ 海鳴りよ
  今日も また お前と 私が 残ったね


これぞ寂しさの極致、<海鳴り>は海がある限り鳴り続けるワケで<時計>と同様に永遠の象徴でもあり、主人公もまた永遠に変わらぬことを願いそのように行動しているはずなのに、逆にその結果<海鳴り>と自分独り以外誰一人として残っていないのであります。そのやるせなさを包み込んでくれるのが広い広い「海」であり、その存在を聴感的に伝えてくれる<海鳴り>なのでしょうか。ですが<海鳴り>とはあくまでも感情のない自然現象なんですよね〜。

 見てごらん 今歩いてゆく
  あんな ふたりを 昔みたね
  そして 今日は 明日は 誰が
  私の ねじを 巻いてくれるだろう


柱時計はゼンマイを巻かなければ止まってしまうことを、現代人は知らねばなりませぬ。主人公が時計のように永遠に変わらぬためには、誰かにネジを巻いてもらわねばならないのです。主人公はかつて<ふたり>であってゼンマイを巻いてもらえていたのは確かなようですが(コレ、想いびとに限らないですね)、そのことで逆に時計とともに独りになってしまったのでしょうか。いやいやいや、どないせぇっちゅ〜んじゃ。

 忘れないで 忘れないで
  叫ぶ声は 今も 聞こえてる
  忘れないよ 忘れないよ
  時計だけが約束を守る


忘れないで>と叫んでいたのは主人公のみならず、かつて<ふたり>であったお互いでしょう。しかしそれは彼方に過ぎ去ってしまい、その約束は守られなかったのですね。海鳴り>は寂しさを慰めてくれるときもありましょうがむしろ寂しさをつのらせてくる存在でもあるわけで、その雰囲気をギターの分散和音による伴奏が見事に表しています。この曲、地味かも知れませんが、まことに沁みますね😭

 海鳴りよ 海鳴りよ
  今日も また お前と 私が 残ったね




ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。

2024年8月31日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『MEGAMI』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『MEGAMI』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『MEGAMI』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の3曲め、A面5曲の真ん中です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、これから現在2024年に至るまで中島みゆきのアレンジャーがず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解です。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されて年々上がり続けているとかいろいろと余計なハナシもございまして。実はワタクシ、ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️

 子供の頃に もらったような
  甘い菓子など 飲み込めなくて
  苦いグラスに 溺れてるおまえを
  今夜もひとり ひろってゆこう


「純粋無垢な子供」と「雑念やら苦しみに満ちた大人」とを対比させる、なんつ〜のは使い古されてカビが生えていますが、だからこそ古今東西の表現者たちが手を替え品を替え使いまくるんですよね〜。それにしても、それをこのように美しい謳い出しの一連として表現してしまう中島みゆきの才覚、恐るべし。

 どのみち短い 眠りなら
  夢かと紛う 夢をみようよ


主人公の立場は女神、全てを包み込んでくれる優しさに満ちた存在と信じたいのはヤマヤマですが、ちょ〜っと待て待て。この歌詞の『MEGAMI』が与えてくれる安らぎはあくまでも<>であって、しかも<どのみち短い>束の間の安らぎにすぎないということか。まぁそれであっても長い人生、束の間の安らぎが与えてくれる「なにか」がどれほど大切であるかは皆さんよ〜っくご存知ですよね。

 おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  己れのための 愛を持たない
  おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  みかえり無用の 笑みをあげよう


主人公たる『MEGAMI』の言葉は包み込むように限りなく優しく、これが中島みゆきの歌詞であることが信じがたくすら思えますがw、その限りない優しさは『MEGAMI』の<性=さが>=持って生まれた運命→逃れられない運命であるワケで、この一連に仕込まれた<己れのための 愛を持たない>の一行のなんと寂しさ哀しみに満ちていることでしょうか。包容力やら優しさやらの裏側には共感が存在し、<みかえり無用>でとどまるどころか相手の苦しみをも引き受けてしまうことも少なからずなのであります。この境地に至るまでに主人公はどれほどたくさんの苦しみ悲しみ痛みを引き受けてきたのでしょうか。相談者に共感し過ぎてしまうカウンセラーは、遅かれ早かれ自分の心がヤラれてしまうんですよね〜。

 今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて

  おまえがこんな やさしくすると
  いつまでたっても 帰れない

  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える
『あぶな坂』1976年)

中島みゆきのファーストアルバムの口開けの『あぶな坂』の2番、この主人公もまた闘いばかりの<哀れな男>に束の間の安らぎを与える存在で、これまた哀しい存在と思えます。その「束の間の安らぎ」が美しくとも醜くとも必須の栄養であること、人生はキビしかりけり。

 あんたの 悪い夢を喰っちまいます
  あんたの 怖い夢を喰っちまいます
  あんたの つらい夢を喰っちまいます
  あんたの 泣いた夢を喰っちまいます
『バクです』2011年)

中国から伝わった伝説の動物:獏(バク)は、日本では悪夢を喰ってくれるとされています。悪夢を喰った獏もまたまことに哀しい存在。

「御乱心の時代」明けのアルバム《グッバイ・ガール》のA面真ん中にこの『MEGAMI』を配した中島みゆきの意図やいかに?



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年8月 7日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『命のリレー』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『命のリレー』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『命のリレー』《夜会VOL.13─24時着 0時発》(2004年1月3日~28日/渋谷・Bunkamuraシアターコクーン)のために作られたオリジナル曲です。クライマックスの第7場「転轍」と最後の「舞台挨拶に替えて」で唄われており、2005年にリリースされたアルバム《転生(TEN-SEI)》に収録されたのは夜会の「舞台挨拶に替えて」と同じバージョンで、歌詞も新たに追加されています。なお、アルバム《転生(TEN-SEI)》《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲から11曲をセレクトしたもので、いわばサウンド・トラック盤ともいえるアルバムです。

中島みゆきの作品群で「転生」がかなり重要な位置を占めていることは、ファン歴の浅いワタクシでも容易に感じ取れています。《夜会VOL.13─24時着 0時発》の「24時着 0時発」のタイトルからして「生まれ直す命」への想いがあふれており、まさに『命のリレー』という世界観ですよね〜💡

 ごらん 夜空を星の線路が
  ガラスの笛を吹いて 通過信号を出す
  虫も獣も人も魚も
  透明なゴール目指す 次の宇宙へと繋ぐ


およそ形あるものには必ずゴールがあるものですが、簡潔平易ながらまことに雄大なスケールで表現されてますよね〜。ここで人の生き死にに限らず、人生におけるさまざまな「区切り」そして人生に限らずさまざまな「場面転換」もまた「転生」の機会であることにまで意識を向けたいと思います。

 僕の命を 僕は見えない
  いつのまに走り始め いつまでを走るのだろう
  星も礫も人も木の葉も
  ひとつだけ運んでゆく 次のスタートへ繋ぐ


スタートがあってゴールがあるということ自体は理解できていても、確かにスタート地点もゴールラインも原理的に「点」としては認識できないんですよね〜。「転生」で重要なのは、この<次のスタートへと繋ぐ>という「可能性を意識すること」なのかもしれないのかなぁ・・・とかなんとか。

 本当のことは 無限大にある
  すべて失くしても すべては始まる
『無限・軌道』2004年)

『無限・軌道』《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲ですが、<本当のことは 無限大にある>とやはり再出発後の「可能性」を強く強く応援してくれているような気がいたします💡

 望みの糸は切れても
  救いの糸は切れない
  泣き慣れたものは強かろう
  敗者復活戦
『倒木の敗者復活戦』2012年)

この<敗者復活戦>そして<救いの糸は切れない>も同様で、再出発後の「可能性」を高らかに応援していますよね〜。そしてこの『命のリレー』のサビ、個人的な再出発にとどまらずにさまざまな存在が関わり合うことで大きな<願い>を引き継いでゆく、という営みの気高さを謳いあげているようにさえ思わされます。昨今のネット上では結託してdisったり攻撃したりする姿ばかりが異常〜に目につきますが、そんなしょ〜もないことにエネルギー使わないで、協力してイイもの作ろうぜ😤

 この一生だけでは辿り着けないとしても
  命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年6月29日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『バラ色の未来』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『バラ色の未来』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『バラ色の未来』は1994年にリリースされたアルバム《LOVE OR NOTHING》の3曲めです。中島みゆきなのに『バラ色の未来』を唄うとはこれいかに・・・ですが、やはりさすがさすがのヒネった解釈てんこ盛りで、希望と幸福に満ちたバラ色の未来な歌詞を想像すると見事に裏切られるのがいつもながらサイコーですぞ💡

 今より未来のほうが きっと良くなっていくと
  教えられたから ただ待っている
  星はまたたいて笑う 星はころがって笑う 今夜、月のかげに入る


なにしろ歌い出しがコレですから、一気に社会風刺感満載でございますな。立ち止まって冷徹に考え直せば、陰謀論者ならずとも<バラ色の未来>なんつ〜シロモノは誰かに操作され仕組まれた虚像、という一面は否定しづらかろうと思います。もちろん<教えられたから ただ待っている>という側にも問題は大アリで、自分に都合良い<>の存在を期待するだけでナニも行動しないのでは、<>に笑われて消え去られるのがオチですわな。今(2024年6月末)は東京都知事選挙の阿鼻叫喚wのまっ最中、この曲に込められているメッセージの現実感が不必要なまでに高まってしまうのは東京都民ゆえの事情で御免😅

 だれかが耳うちをしている だれかが誘いをかけてる
  あなたも幸せになりたいでしょうと
  だれかがあなたの手をとって だれかがあなたの目を閉じて
  未来はバラ色ですと言う


これねぇ、昔からずっっっと言われてきているシャレにならん指摘なのですが、なかなか実感として届かないんですよ〜。人民ひとりひとりの力は弱いので団結せねば権力に太刀打ちできないのですが、団結から外れて抜け駆けすれば<未来はバラ色です>、と手を替え品を替え甘言を弄して切り崩しにかかる権力の狡猾さよ。あなたも幸せになりたいでしょう>とかなんとか利益を誘導して人心を掌握するのは権力の常、貧しいところに雀の涙の補助金をぶら下げれば投票行動を変えさせられるのですから、まぁ人民なんてちょろいモンなんでしょね〜😑

 わかってる 未来はまだ遥か遠くて届くまでに
  まだ何千年もかかると
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く


ここに記されている<未来>とは<バラ色の未来>のことでしょうね。<バラ色の未来>があると信じてただ待っていた昔の僕に、<(バラ色の)未来はまだ遥か遠くて届くまでに まだ何千年もかかる>のだし待っていちゃダメだぞ、と今の主人公は昔の僕に手紙を書きたいのでしょうか。ですが過去の自分を変えることはできず、この手紙は永遠に届かないんですよね〜。後悔先に立たず😓

さて続けて、中島みゆきは情け容赦なくたたみかけてきます。ここの間奏が妙に短いのは、たたみかけるために必要だったのでしょか。

 だれもまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない
  これだと言われたらそうかなと思う
  しだいにそれじゃなきゃイヤだと思い込むようになって
  それがないのがつらくなる


これはね〜ホントにね〜、全くもってド正論で厳し〜いですわ。将来に来たるべき<バラ色>は他者にお膳立てされるものでは決してなく、<バラ色>を作り上げるのは自分自身に他ならないのでありま〜す。まぁね、自分で彩りから何から何までも決めなければならぬ<バラ色>なんて大変ですし不確かですし、他者にお膳立てされれば楽ですし、それに慣れてお膳立てされた環境を<バラ色>だと思い込むのが幸せへの切符であることもまた確かだったり。この一連、この曲に込められたメッセージのキモだと心得ました。

さて『バラ色の未来』の入ったアルバム《LOVE OR NOTHING》がリリースされたのは1994年10月、それから半年もしない翌1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こります。そうかそうか、<未来はバラ色ですと言う>のは時の権力ばかりではないのでありました。この歌に予言的な意味があったか否かには興味はないですが、人生にはいくらでも<バラ色>の誘惑ってぇヤツは口を開けて待ち構えているんですよね〜。

あの、その、ホレ、この楽器を買えば<未来はバラ色です>とか、このカメラを買えば<未来はバラ色です>とか、このレンズを買えば<未来はバラ色です>とか、この模型を買えば<未来はバラ色です>とか、この工具を買えば<未来はバラ色です>とか、この万年筆を買えば<未来はバラ色です>とか、いやはや、詰まるところ人生の悪魔なんつ〜シロモノは他ならぬ自分が招き寄せているという自業自得。買ったときは<未来はバラ色>なんだけどなぁ、とほほほ😭

なんだか盛大に脱線したような気もしますがw、初心忘るるべからず、思い出そうぜ!

 教えてよ 僕の憧れてたあの頃
  バラの色はどんな色だったというのか
  僕は僕に手紙を書く
  僕にあてて手紙を書く




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年5月27日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『噂』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『噂』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『噂』は1986年にリリースされたシングル《あたいの夏休み/噂》のB面の曲で、シングルのみでアルバムには入っていないというワリとレアな曲です。世の中には案外と「B面マニア」が根強く存在していまして、そんな方々の中でこの曲もまた知る人ぞ知るクセ曲であるようですぞ〜💡

 答えづらいことを無理に訊くから 嘘をついてしまう ひねくれちまう
  ほら すれ違いざま飛礫のように 堅気女たちの ひそひそ話


主人公はどうやら堅気でないようで、そりゃ〜<答えづらいこと>ばかりでしょうよ。そして「ひとの口に戸は立てられぬ」と申しまして、一度広まってしまった噂は真偽を問わず止められないんですな。堅気でない女の宿命ではあるのでしょうが、それでも恋というヤツは容赦無く人を落とすのでしょう。な〜んという因果。

 悪いことばかり信じるのね 観たがるのは告白
  あなただけは世界じゅうで 刑事じゃないといってよ


イヤなことや悪いことは見なけりゃいい、無視すりゃいい、放っておきゃいい・・・というのはまぁご無理ごもっともではございまするが、これって実は心がか〜なり強くなけりゃできやしないんですよね。ブロックしてるイヤなヤツに対して、見なきゃイイのにそいつが書き込んでるのを見つけるまで検索し続けてしまうとか、誰しも思い当たるフシがあるのではないでしょうか😅💦

 外は5月の雨 噂の季節 枝のように少し あなたが揺れる

五月雨(さみだれ)は「しとしとと降り続く雨のようにダラダラと続いてしまう状況」を表す比喩表現で実は<5月の雨>ではなく梅雨の長雨なのですが、まさか中島みゆきがそれを知らぬハズはなく、一般人に対してわかりやすいイメージを使ったのだろうなぁと。噂がくすぶっていてそれで心が揺れてしまう<あなた>の描写で、これぞ中島みゆきのレトリック。5月の雨>という単語を使って言い知れぬ不安を描き出すという、まぁフツーっちゃフツーなのですが、まことに美しいです

 噂なんて きっかけにすぎない
  どこかで この日を待ち望んでたあなたを知ってる


・・・い〜やちょっと待てぃ。このどんでん返しも中島みゆきらしいっちゃらしいですが、ど〜しようもなく卑怯なダメ男ですやん。堅気でない女の周辺にうごめく男どもなんてぇヤツらはそんなもんだろうなと思いつつ、肝心なところで逃げを打つのは女ではなく男の方、という図式も確かにあるんですよね〜。悪い噂に便乗して別れる口実を作りたがっている卑怯な男、わりとそのへんにフツーに転がっていそうな😑

 私たちの歌を酒場は歌う 気の毒な男と 猫かぶり女
  目撃者は増える 1時間ごと あなたは気にしだす 半時間ごと


酒場で隣り合うワケあり風情な男女の姿、それを横目で気にしつつ興味シンシンな傍観者たち、そして周りを気にするのは男の方ばかりなり。絵に描いたような緊張感ですねん。

 何もなかったと言えば 疑う心に火を注ぐ
  何かあったとからかえば ほらやっぱりとうなずくの


いやはや、コレ、まさに教科書的(ナンの教科書だろw)な疑心暗鬼の構造ですね〜。「疑う」という心はまったくもって始末に追えないシロモノで、疑いを晴らそうとすればするほど「ほらやっぱり隠してる」となりますし、それを面倒と思ってテキトーに肯定とも否定ともつかぬようにしたところで「ほらやっぱりそうなんだ」となるんですわ。疑心暗鬼がいったん発動してしまうと、疑っている方は知ってか知らでか「ほらやっぱり」という疑っている内容の裏づけばかりを欲しがるようになって、真実を知りたいという気持ちがどこかにすっ飛んでしまうんですよね〜。

 外は5月の雨 どこへ行こうか 少し疑ってる男を捨てて

主人公は堅気でない女、そんなことには慣れっこだし自分の方から捨ててやるわよっ・・・と強がってはみたところで、そんなことは心にもないのはバレバレですな。はすっぱで軽いフリをして<どこへ行こうか>とうそぶいてみても未練タラタラ、まぁそれは相手の男にしても似たようなモンなのでしょうね〜。げにヤヤこしきは男女の仲なり😅

 外は5月の雨 どこへ行こうか 疑いたがってる男を捨てて



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年4月26日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『俱に』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『俱に(ともに)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『俱に』は2023年にリリースされたアルバム《世界が違って見える日》の最初の曲です。もとは2022年10月10日〜12月19日に放送されたフジテレビ系ドラマ『PICU 小児集中治療室』の主題歌で、「生きるとは」「命とは」「家族とは」という普遍的な問いに向き合ったドラマの世界観を支えています。そして同時に、コロナ禍の中を果敢に辛抱強く生きてきた人々の心に寄り添う「愛」と「勇気」の歌、という意味も込められている・・・とのことです。
『俱に』の漢字は旧字体で「倶に」ではないんですよ〜😳)

 手すりのない橋を 全力で走る
  怖いのは 足元の深い峡谷を見るせいだ
  透きとおった道を 全力で走る
  硝子かも 氷かも 疑いが足をすくませる

『俱に(ともに)』という寄り添うタイトルでありながらこのような孤独で不安な書き出し、作詞のテクニックとしては常套手段なのでしょうが、<手すりのない橋>と<透きとおった道>という、えも言われぬ不安を掻き立てる情景の選択ってば毎度ながらこれぞ中島みゆきでウナらされますわ〜。中島みゆきにとっても前のアルバム《CONTRALTO》からコロナ禍もあってか3年あまりの空白を経てのアルバム《世界が違って見える日》のリリース、その口開けの曲として誰もが感じているであろう不安感でアルバムを始めるのは、必然でもあったのでしょうか。

 つんのめって 出遅れて 日は沈む 雨は横なぐりだ

そう、凡人は全力で走ろうとは思っていても不安だからな〜かなか走れないんですよね〜。そうこうしているうちに状況は悪くなるばかり、な〜んとも思い当たるフシがありすぎです。そういえば、『とろ』にはこんなシーンが。

 とろ何とかならないか
  考え考え日が暮れる『とろ』2006年)

先送りしてしまうヒトって考えるだけで手ェ動かさないから全っっっ然進まないんだよね〜、って言われますが、はいはい、ご無理ごもっとも。だ〜って、ど〜やって手を動かすかを考えなきゃならないんですから、そこを解決しないままにそんなありがたいご指摘されてもな〜んにもならないんですわ😅

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  過ぎた日々の峡谷を のぞき込むヒマはもうない


それなりに長く人間稼業を続けていれば過去の栄光とか過去のヤラかしとかいくらでも。それを振り返ること自体は仕方のないことと思いますが、振り返ってばかりで先を見ないのもどうなのよと。いや、そりゃ、まぁ、その分先に進めというのは至極真っ当なご正論でご無理ごもっともでございますが、あぁぁ耳が痛い痛すぎるw

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火


これぞ中島みゆきの真骨頂(こればっかw)。「寄り添う」というのは物質的なつながりのみならず、精神的なつながりなんですよね。人生において俱(とも)に在る誰かが確かにいるという感覚のありがたさ、我々がコロナ禍で人と人との物理的なつながりを意識的に避けねばならなくなったという体験をさざるを得なかっただけに、本っっっ当〜にはかり知れないものがあると思います。人生はしばしば大海原に例えられますが、昔、羅針盤の発明以前には見渡す限り海しか見えない大海原での唯一のよりどころは昼は太陽であり夜は星。外洋から戻ってきて初めて陸地が見えるところには灯台が設置されることが多いのですが、その<灯火>が見えたときの船乗りの安堵感もはかり知れなかったことでしょう。

『俱に』アルバム《世界が違って見える日》に先立って『銀の龍の背に乗って』と両A面シングルとしてリリースされていますが、そう言えば!

 急げ悲しみ 翼に変われ
  急げ傷跡 羅針盤になれ
『銀の龍の背に乗って』2003年)

ふ〜む、シングル盤で<灯火>と<羅針盤>を対にさせるという深謀遠慮、中島みゆきならヤリかねないですねん💡

 身代わりは要らない 背負わなくてもいい
  手を引いてこちらへと 示してほしいわけでもない
  君は走っている ぜったい走ってる
  確かめるすべもない 遠い遠い距離の彼方で
  独りずつ 独りずつ 僕たちは 全力で共鳴する
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火


この2番、やはり物質的なつながりでなく精神的なつながりあってこその人生ですよね。ここで思い返すのは、毎度のことながら『二隻の舟』の世界観。たとえ物理的物質的に隔たっていたとしても、俱に走り続け走り継ごうとする全ての存在に対してそれぞれの意志を鼓舞しているのでしょう。いやはや、めっっっちゃカッコいいですわ〜。

 おまえとわたしは たとえば二隻の舟
  暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
  互いの姿は波に隔てられても
  同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟
『二隻の舟』1992年)

 敢えなくわたしが波に砕ける日には
  どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
  それだけのことでわたしは海をゆけるよ
  たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても
『二隻の舟』1992年)

コロナ禍その他もろもろの難題山積で人間の存在自体が<風前の灯火>とすら感じさせられるような今、それでも生きねばならぬという怖さ、そして生き抜けられるだろうかという疑いに満ちた我々にとって、真に心を通わせられる相手/対象を見出せることこそが生きる望みそして喜びなのではないでしょうか。まぁそれはそれで、確固たる信頼感とともに茫漠たる不安感と静かな覚悟とを同居させるというなんとも言い表せぬ心持ちでもあるのですが、あらゆるヒトにとって人生は初めて体験することの連続なんですよね〜。願わくば、今が人類の<風前の灯火>でないことを切に切に祈ります。

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年3月29日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『野ウサギのように』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『野ウサギのように』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『野ウサギのように』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の最初の曲です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、現在2024年に至るまでアレンジャーはず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解だそうです。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されているとかいろいろと余計なハナシもございまして。ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️

 いい男は いくらでもいるから
  そばにいてよね いつでもいてよね
  誰にだって いいとこはあるから
  とかく ほろりと ほだされたりするわ


いい男は いくらでもいる>のに、その時々でいつも<そばにいてよね いつでもいてよね>と願う女心、な〜かなかオトコのコにとってはムツカシござる。それでも<いいとこ>を見せるのが上手で女子を<ほろりと>その気にさせやがるオトコもちゃぁんといるワケで、まっっっことにケシカランですな😑

 思いも寄らぬ女になって
  変わったねって 哄われるだけ
  野ウサギのように 髪の色まで変わり
  みんな あんたのせいだからね


1988年ごろは髪の毛を染めていたのはせいぜい悪役女子レスラーぐらいしかおらず、不良というイメージが定着しかけていた程度だったような感じがします。確か茶髪も1990年代半ばごろから流行り始めたような気がしますが、そのような時代に<髪の色まで変わり>という表現を使うのはか〜なり強い印象(というかかなりの違和感)を持たれたのではないでしょうか。まぁ野ウサギの体毛は夏は茶色で冬には白く生え変わるというのが一般常識だった時代でしょうから、この違和感はウマいこと中和されたのだろなぁ・・・と思いつつ、<みんな あんたのせいだからね>に全部持っていかれるのでありましたwww

 あたしの言うことは 男次第
  ほらね 昨日と今とで もう違う


イヤ、だから、それ、ダマされてるってば💦
それがわかっていてもくっついてしまうのが男女の仲で、あれれと思う間もなく離れてしまうのもまた男女の仲なのかなぁ。これってステディがいないワケでとっても不安定なのですが、主人公はそれに気づいているからこそ・・・

 悪気のない人は みんな好きよ
  “好き”と“嫌い”の間がないのよ


と自分の判断をことさらに正当化してしまうのでしょうね。第三者から見たらま〜るで正当化なんかできてないのですが、コレ、やはり、強がりのなせる一種の自己洗脳wでありま〜す。

 見そこなった愛を 逃げだして
  また新しい烙印が 増える
  野に棲む者は 一人に弱い
  蜃気楼(きつねのもり)へ 駈け寄りたがる


男女の仲での切ったはった、これすなはち<烙印>ですが、男女の仲にしても人間社会にしてもそこに棲む者が一人に弱いのは誰でもわかっていること。キツネがウサギを狩ることはイメージとしてまだ現代でもそれなりに普通と思いますが、「蜃気楼」の別称が「狐の森」であることを教養として知っている人材は1988年当時ですらかなりの少数派だったのではないでしょうか。「蜃気楼」とは密度の異なる空気層の間での光の屈折で「そこにないものが見える」という現象ですが、それを「安定した愛が見える」と錯覚する意味にかけるのはさすがの中島みゆきのセンス。安定した愛を求めて主人公の野ウサギ(女性)が蜃気楼に駆け寄ってもそこには安定した愛なんぞなく、しかも蜃気楼の正体は狐の森ですから、野ウサギがキツネに狩られてしまうのは当然の成り行きですな。多重構造な掛け言葉の切れ味、恐るべし😳

この曲では中島みゆきのはすっぱな歌いっぷりが野ウサギ(女性)の不安定なふらふら感を倍化させており、実はこのアルバム《グッバイ・ガール》の次の曲が『ふらふら』なのが関係ありやなしや。多かれ少なかれパートナー次第で男も女も変わりますが、やはり中島みゆきの歌詞では強がっているオンナが恨み節をサラッとつぶやくコレですよね〜。

 みんな あんたのせいだからね



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年2月23日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『異国』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『異国』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

本日2月23日は中島みゆきの生誕祭、特別な意味のありそうな曲ということで『異国』かなぁとヒラめいてしまったのが運の尽き、いやはや大〜変でございました😅

『異国』は1980年にリリースされたアルバム《生きていてもいいですか》の最後の曲で、この暗く暗すぎる真っ黒なアルバムを締めくくるにふさわしく(?)救いもナニも枯れ果てた絶望の縁を見下ろすがごとき存在です。LPレコードの片面はおおむね23分程度なのですが、そのうち9分もの長さをこの曲が占めるというところからしてナカナカ一筋縄では行かぬ曲。しかも基本的に伴奏がギターソロのみ、かつ、歌はボソボソつぶやくがごとき枯れ具合ですからおよそピアノで弾くにはふさわしくない曲だったりします。それが130年昔のベーゼンドルファーでどのように語らせられるか、いやまぁ、そりゃ原理的に無理筋なんですが、中島みゆき信者なみなさまの歌詞を補う能力に寄りかからせていただきましょうぞ💦

 とめられながらも去る町ならば
  ふるさとと呼ばせてもくれるだろう
  ふりきることを尊びながら
  旅を誘うまつりが聞こえる

  二度と来るなと唾を吐く町
  私がそこで生きてたことさえ
  覚えもないねと町が云うなら
  臨終の際にもそこは異国だ


ふるさと>の対語として<異国>を用いるこの切れ味鋭いセンス、たまらんですね。自分が居場所そして帰る場所を求めるからこそ旅に出るという姿(さすらい人ですね)が人生、というのはまぁ言い古されたネタでしょうが、同時に旅人とは本質的に他所ものであるというのもまた真実なのでしょう。

 遠いふるさとは 落ちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える
『あぶな坂』1976年)

中島みゆきのファーストアルバム《私の声が聞こえますか》(1976年)の口開けの曲の歌詞がコレですから、なかなかに<ふるさと>に対する問題意識は根が深そうですね〜。

 百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り仕度をしつづける


これぞ魂の彷徨、自分の居場所そして帰る場所を求め続けるがゆえに安住の地が永遠に手に入らない、という内容を<あたしを埋める場所などない>と表現するのは絶っっっ品に暗黒であります。何かわからないものを求め続けて彷徨い続けるのが現代人、とは人生をテツガクし始めれば必ずぶち当たる意識で、コレまさに常に探し、常に切望し、常に渇いてしまう人々の苦悩。死が救いとならぬのであれば、いったいナニが救いとなるのでしょうか。

 悪口ひとつも自慢のように
  ふるさとの話はあたたかい
  忘れたふりを装いながらも
  靴をぬぐ場所があけてある ふるさと


どん底に暗い『異国』の歌詞でひときわ温かい救いの光を放っているのがこの一連で、個々人それぞれにとって「居場所」というナニやらよくわからないナニかがどれほどまでに大切かが痛切に感じさせられます。自分が社会の一員となっている、という実感が個々人にとって大きな精神的な支えとなるんですよね〜。

 しがみつくにも足さえみせない
  うらみつくにも袖さえみせない
  泣かれるいわれもないと云うなら
  あの世も地獄もあたしには 異国だ

  町はあたしを死んでも呼ばない
  あたしはふるさとの話に入れない
  くにはどこかときかれるたびに
  まだありませんと うつむく


人間は社会的動物であると述べたのはかのアリストテレス、いかに孤独を好む人物であっても社会から隔絶して生きることはおよそ不可能なワケで、それなのに社会に自分の居場所がないという精神的な孤独を強く感じてしまうと無力感はハンパなし。この限りない無力感を研ぎ澄ますとこんな表現になるんだなぁと思い、同時にこの一連で<異国>と<地獄>が語感上対を成していることに気づいて慄然とします。そして、以下の魂の彷徨を5回繰り返して曲が閉じられます。3回繰り返しは普通にありますが、4回ならず5回の繰り返しはにわかにはナニが起こったのかわからないくらいな異常な繰り返し回数で、常ならぬこの曲の締めくくりに相応しいのでは。

 百年してもあたしは死ねない
  あたしを埋める場所などないから
  百億粒の灰になってもあたし
  帰り仕度をしつづける




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年1月19日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『粉雪は忘れ薬』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『粉雪は忘れ薬』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『粉雪は忘れ薬』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の一曲で、このアルバム《短篇集》発売一週間後から上演が始まった『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』でラストを飾っている堂々たるバラードです。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』の舞台では、凍原でもはや還ってこない主人公の女(=谷山浩子)を想い続け帰りを待ち続ける犬(=中島みゆき)が唄っています。 #短篇集 #粉雪は忘れ薬 #中島みゆき

中島みゆきが青春を過ごしたのは北海道は帯広、パサパサに乾いて音も無く降り続ける粉雪で景色が見る見るうちに変わってしまう経験はごく普通のことだったでしょう。雪は夢のように穏やかな姿にとどまりませんで、北海道の地吹雪の凄まじさたるや、雪が上からも横からも下からも吹きつけてくるんですよ〜。ワタクシ、実は何度かマトモに巻き込まれたことがありまして、それこそ自分の目の前に伸ばした腕が途中で白い闇に消えてしまうほどで、これぞ「ホワイトアウト」でした。そりゃ、地吹雪のときにうかつに戸外に出たら、通い慣れた道でも迷ってしまって簡単に凍死しますぜよ。

 忘れなけりゃならないことを
  忘れながら人は生きるよ
  無理して笑っても 無理してふざけても
  意地悪な風 意地悪な雨


人間稼業を続けていれば、それなりに出会いも別れも経験するもんですな。まぁなんともさまざまな人と関わってきたなぁ、とあらためて気づいたりして。その全てを忘れて無かったこととしてしまえれば人生ラクなのでしょうけど、ひとの心とはなんとも甘くなく<意地悪な>雨風に満ちていますな。

 忘れさせて優しい日々を
  忘れさせて楽しい人を
  足音? 車の停まる音?
  間違えながら待ってしまうから


関わりが深かったからこそ忘れたい、無かったことにしたい、という経験は誰しもいくつか心に秘めているのではないでしょうか。この「未練」やら「後悔」とかいう感情ってば、なんとも御し難いですよね〜。優しい日々>しかり<楽しい人>しかり、大切な関わりがあったひとは単なる<足音>でも<車の停まる音>であっても特別でしたもんね。

 粉雪は忘れ薬
  すべての悲しみ消してくれるよ
  粉雪は忘れ薬
  すべての心の上に積もるよ


なんという美しい表現・・・と感じるだけでなく、雪国の人たちにとって雪は厄介極まりない存在であることを忘れないでおきたいと思います。あっという間に全ての人間活動を停止させてしまう恐ろしい存在、かと思うと雪晴れの輝きに我を忘れさせられたりして、雪ってば<すべて>を雪色にしてしまう現象なのでありま〜す。なるほど、それをひとの心に拡張して<すべての悲しみ>を雪色に<消して>、<すべての心の上に積もって>雪色にするのが<粉雪>であって、それを<忘れ薬>とする切れ味、安定の中島みゆきでございます。そういえば、パウダースノーよりももっと細かくサラっっっサラな雪を「アスピリンスノー」って言うのでしたっけ。もはや死語な気もしますけどw

 忘れさせて 古い約束
  忘れさせて 古い口癖
  覚えておこうとしないのに
  何かのはずみ 思い出して泣ける


そうそうそう、<何かのはずみ>でなつかしきひとを思い出してじんわりくるこの切なさたるや、もう「未練」という言葉さえ甘く思えてしまうようなあふれる想いですよね〜。<古い約束>はともかくとして、ここではさらりと<思い出して泣ける>と流していますが、いやいやいや、<古い口癖>がよみがえってくるのはか〜なり危険であります。

 バスは雨で遅れてる
  店は歌が 止まってる
  ふっと聞こえる 口ぐせも
  変わらないみたいね それがつらいわ
『バス通り』1981年)

素敵な思い出であればあるほど逆にそれが思い出にすぎないことに気づいて<つらい>という感覚が沸き起こってきたりもします。そのきっかけは案外とどうってことのない<些細なこと>だったりして、それがまたたまらない心もちにさせられますな。どないせいっちゅ〜んじゃ。

 粉雪は忘れ薬
  些細なことほど効き目が悪い


ここに起承転結の「転」を「そう来やがったか〜」と言う絶妙〜なユーモア込みでぶっ込んでくるのも中島みゆきの心憎さなんでしょうね。北海道の<粉雪>は格別に軽いですから、せっかく真っ白になった雪景色がちょっとした陽射しやらちょっとした風やらで現実に戻ってしまうこともあったりしてwww

 思い出すなら 幸せな記憶だけを 楽しかった記憶だけを
  辿れたらいいけれど
『記憶』2000年)

 忘れてしまったのは 幸せな記憶ばかり 嬉しかった記憶ばかり
  そうであってほしいけれど
(『記憶』2000年)

『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』では、『粉雪は忘れ薬』がラストでその少し前に『記憶』が歌われました(なお、翌々年2002年の『夜会VOL.12 ウィンター・ガーデン』では『記憶』がラストのカーテンコール)。この<思い出すなら>もなるほどですし、<忘れてしまったのは>も両方ともナルホドですね。自分の心のうちであるのに、どうにもこうにも意のままにならぬのが思い出、<忘れ薬>が欲しいような欲しくないような。



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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