オトコのコの夢にあふれた古き佳き時代の雑誌を100年分2万冊(!)ほど所蔵している『夢の図書館』襲撃〜(`・ω・´)
ここには日本の科学技術を培った歴史やら気概やら根性wやらが詰まっており、現代のデジタルを支えているのが他でもないこの時代なんだなぁぁぁ、という感慨が新たに。未整理な資料で部屋が大変なことになっているwのもまことに素晴らしく(*´-`)
雑誌って、一流な著者がそれぞれの時代の最先端を手を替え品を替えwわかりやすくしかしレベルは下げずに惜しみなく伝えるもので、それが次の世代への良質な種蒔きになっていたんですよね〜。ということは、実は昔の技術雑誌を実用に供するのは懐古趣味にとどまらず資料としての価値が極めて高いワケで、いやしくも技術立国を標榜するならばアーカイブとして国家予算をかけて欲しいレベルの偉業ですがな😤
ここは年会費わずか3000円で運営されているので、一人でも多くの賛同者に集まってほしいです。 是非ともご参集くださいませ〜!
夢の図書館: https://www.gijyutu-shounen.co.jp/Library/
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本日(10/14)は鉄道記念日、ということで元鉄道少年でピアノ調律師&リードオルガン修復の渡邉祐治氏と上州行脚。まぁ足尾線のC12蒸気機関車廃止50年で桐生で写真展が開かれているという情報を見つけたのがワタクシだったのは内緒ねw
鉄道少年ちぅのはむちゃくちゃにワガママですよって、別々に予定を立てても一緒に予定を立ててもwロクなことにならないのは必定。逆に、時間もナニも調べずになんとなくの土地勘を持った上でついていきさえすれば充実の1日になるのも必定ですので、ま〜ラクなもんです。桐生駅隣接の写真展会場は地元自治体の会議室だったのですが、いきなり「あら〜、渡邉さ〜ん!」と職員から声をかけられていて、やっぱりそこら中で悪事をハタラいている奴は違うなぁと。
桐生駅から上毛電鉄の西桐生駅までは数百m、この駅の渋さもなかなかなモンでして、やはり先達はあらまほしきことなり。30年前に京王井の頭線を走っていた車両がほぼそのまま走っているのもまた香ばしく。
本日の不善(*´-`)
いかにNゲージ1/150模型製作といえども、少し厚い真鍮板もハンダづけせねばなので家探し怪始。ものの30分で30年ぶりに80Wハンダごてが出土したのは夢か幻か。銅製の太いコテ先が真っ黒に焼けていて、そういえばコテ先が焼けすぎてロクにハンダがノらなかったようなかすかな記憶。そのためにスライダック(なんとコレ、東芝の商標なんだそうで)などの電圧可変装置をかませてコテ先の過熱を防ぐのですが、決して安くないしここで安く済ませるためにはやはり電子工作キット。ありましたありました、秋月電子のロングセラー「トライアック万能調光器キット(20Aタイプ)」600円ナ〜リ (`・ω・´)
検索をかけてみると、あるわあるわいくらでも製作記事がヒット。やはりキットだけではちゃんとはでき上がらないとのことで、ナニを買い足すか慎っ重〜に検討。ケースと電源ケーブルは100均で充分、放熱器やらスイッチやらヒューズやらで結局+1000円もかからなかったのがナニよりも嬉しいことでございました。
例のヤヤこしいヤツらのせいで秋月電子の実店舗は当分の間休業、通信販売が混んでいるので数日遅れるとありましたがナンのこともなく翌日に発送でホッ。部品の点数は少ないのに配線をど〜するかでモタモタしてしまうワタクシですが、な〜に時間は存分に使えるワケで。それでも半日で形になったのはちょっと慣れたのかなぁと。AC100Vを扱うので最初に電源をイレるときにはちょっと怖かったのですが、ヒューズが飛ぶコトもなく難なく完成〜。30年ぶりの模型製作なので腕前がニブったなんてぇナマやさしいハナシではないので、環境整備に心を使うのは非常〜に大切なのでありま〜す (*´-`)
本日の不善(*´-`)
その昔、電化そしてディーゼル化が少しずつ進められていた時代に「暖房車」ちぅ存在がございまして。暖房熱源としての蒸気を各戸に供給するセントラルヒーティングシステムは古くから使われており、鉄道でも蒸気機関車から捨てられるだけの豊富な高圧蒸気を客車の暖房用に使えばエエやん、という発想はごくごく自然なことだったのでしょうね。ですが、時代が進んで客車を引っ張る機関車が一部の区間で電気orディーゼル機関車に変えられると、さぁ困った。暖房用蒸気の発生源がなくなりますから、機関車に蒸気発生装置を積むか、機関車のすぐ後ろに蒸気発生装置を積んだ車両を連結するかの二択を迫られるワケです。
後者のための車輛が「暖房車」と言われるシロモノで、暖房用の高圧蒸気を発生させるだけのために乗務員が重労働を強いられたという、電気暖房が当たり前になった今となってはおよそ想像もできぬ存在だったんですね〜。形式を示す称号は、ヌクい/ヌクめるヤツ ってことで「ヌ」でした(たぶんね)。マヌ34とは、重さが「マ:42.5t以上~47.5t未満」の「ヌ」クいヤツの「3:一般型客車(3〜5)」「4:2軸ボギー車(0〜7)」ちぅ意味になりま〜す。
(1958(昭和33)年5月1日米原のマヌ34たち、wikiから拝借)
昭和24年6月1日に東海道本線浜松電化、同年9月15日のダイヤ改正で戦争で中断されていた特急運転が再開され、そのときの特急『へいわ』の先頭に立ったのが暖房装置未搭載のEF55です。この時期にはEF57も牽引機として使われていた可能性あり、EF57は一応は重油式の蒸気暖房装置を積んでいましたが、重油不足やら故障やらで暖房車のお世話になったことも少なくなかったそうで。マヌ34は同じ年の昭和24年12月中旬に一気に前期型(1〜7)ができているので時代がピッタリ(というかめっちゃピンポイントw)、復活特急『へいわ』の浜松までの冬姿を編成で揃えようと思った若気の至りが30年ちょい昔でございました。特急『へいわ』は決して良くはない状況での国鉄の矜持たる特急列車の復活運行だったようで客車は一般型の寄せ集め、東京ー大阪の所要時間は戦前の超特急『燕』の8時間より1時間多く9時間かかっていました。
(『時刻表』1949(昭和24)年9月)
この時代の初期型原型マヌ34を、あろうことかNゲージの金属製全自作で挑戦怪始、上回りの形だけがどうやらできたところで力尽きて長い長〜い眠りにつかされてしまったかわいそうな我がモデルよ。まぁ、暖房車なしでイイから特急『へいわ』の編成をとりあえず揃えようとは考えなかったワケは、実は『へいわ』は3ヶ月半ときわめて短命な特急で翌1950年1月1日から公募により特急『つばめ』と改称されてしまったので日和ったという。なぁ、なんつ〜か、それなりの分別はあったのかなぁとも思います(^x^;
昔の客車列車で冬に周りから蒸気が出ていたのをなんとなく覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。その蒸気が暖房用の蒸気で、機関車から床下の暖房管を通って車内に導かれていたんですね〜。電気機関車なのにこんな感じで蒸気を吹いていたのは、暖房用の蒸気を焚いていたからだったのでした。
京都駅 1979.3.31.
Camera: FUJICA ST-701 Lens: FUJINON 55mm F1.8
中島みゆきの『忘れな草をもう一度』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。
クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ
『忘れな草をもう一度』は1982(昭和57)年発売の中島みゆき13枚目のシングル《横恋慕》のB面で、実はアルバムには収録されていない曲です。忘れな草は春から夏にかけて咲く青い可憐な花、花言葉は「私を忘れないで」そしてそこから転じて「真実の愛」。3月は卒業や別れの季節でもあり、あちこちで「私を忘れないで」「真実の愛=ずっと一緒だよ」という場面が繰り広げられていることでしょう。この季節の花はなんといっても桜でしょうが、忘れな草も忘れないで・・・って、忘れな草ってホントに地味ですからね〜 ヽ( ̄▽ ̄)ノ
それにしてもこの曲の世界はまことに荒涼としていて、果てのないような淋しさを感じてしまいます。2番の出だしと言ったらもうね(T_T)
<春や夏や秋が あるのは
しあわせ行きの 駅の客です
君を乗せた 最後の汽車が
消えた荒野は 長い冬です>
主人公(「僕」なので男性です)の置かれた境遇は<長い冬>のままですが、1番の出だしがこうなっているので、主人公が失ってしまった「君」には春が来たのでしょうか。失ってしまった相手が幸せになってしまった経験は誰にでもあるでしょうが、コレ、ホントにホントにホントに切ないですよね。
<ふいに聞いた 噂によれば
町はそろそろ 春のようです
君のいない 広い荒野は
いつも 今でも 冬というのに>
まぁそれにしても、主人公の未練がましさもまたなかなかでw この曲の歌詞は中島みゆきにしてはストレートで読みやすいのがイイのか悪いのか。
<君は今も 咲いていますか
誰のために 咲いていますか
僕はここで 生きてゆきます
未練な手紙になりました>
さて・・・一定以上の年齢の方で<しあわせ行きの駅>で思い出されるのは、旧国鉄広尾線の『愛国から幸福ゆき』の切符ではないでしょうか。広尾線は中島みゆきが青春を送った帯広から南に伸びていた渋い渋いローカル線で、広大な十勝平野をトコトコ走る風情はなんとも通好みwでございました。そんなローカル線の一枚の切符が一大ブームとなったのは1974(昭和49)年ごろからとのこと、この区間の切符をいったい何百万人が買い求めたことでしょう。この切符を買っても幸せになれなかったヒトたちが国鉄職員に文句を言ったところ、とんちの利いたその職員、「そりゃ〜、アナタがたの最寄り駅から愛国までの往復切符を一緒にしてなきゃダメですよ、キセルじゃ幸せはやってきませんぜ」と返したとか返さなかったとかwww
広尾線の廃止は国鉄民営化直前の1987(昭和62)年2月2日、ワタクシ、前年の3月の一浪めの入試直後に広尾線を訪ねてそこそこの記録を撮ることができましたが入試の結果は惨敗で二浪へと道が開かれてしまいました(爆)。「愛国→幸福」も「幸福→愛国」も、そのとき使ったなつかしの北海道ワイド周遊券も一緒にしていたのになんたることぞw
国鉄広尾線 大正ー幸福 1986.3.14.
Camera: FUJICA ST-701 Lens: FUJINON 55mm F1.8
帰りの飛行機はトロント空港1:00AM発なので、ドライブな1日。
トロント周辺に何ヶ所か鉄道博物館や動態保存鉄道がある情報は拾えたのですが、平日ゆえことごとくお休みだったのがチト残念でした。まぁ逆に「やってない鉄道な風景」が撮れたので悪くはなかったかも(^o^;;;
最初は「The Waterloo Central Railway」で、訊ねたらコソッと中に入れてもらえてはしゃぐ我々。やっぱり鉄道車両の「鉄のカタマリ」感覚は間近で見るとスゴい迫力で、オトコのコの血がサワぎっぱなしw
デカい鉄のカタマリという意味では船舶の方が圧倒的なのですが、さすがにチト大き過ぎで逆に実感湧かず。やっぱり旧型な鉄道の無骨なメカメカしさってたまらないんですよね〜。古い楽器の無骨な感じとも同じなんですよ〜・・・と無理やりつなげてみるw
さてお次は「The Halton County Radial Railway」でしたが、あらためて公式サイトを見るとやっていなくてホントに残念ですわ〜。
・・・まぁやってたら3ヶ所もまわれなかったのもまた事実なんですがw
そして3ヶ所めは「The South Simcoe Railway」で、これまた古くってカッコいい (*´-`)
鉄道って普段はホームの上と車両の中しか見ていないのですが、それを支える下回りはまさに縁の下の力持ち。人間と比べて撮ってみると一目瞭然ですね。
本日(9/24)は、群馬の山に分け入って行く「わたらせ渓谷鐵道」の神戸(ごうど)駅2kmの『童謡ふるさと館』にてリードオルガンを紹介する本番。ウチは葛飾区なので北千住から東武鉄道、なかなか快適な道程でありま〜す。車窓はいわゆる新興住宅地の最初期の景色で、ある意味「昭和」なのかも(・o・ゞ
北千住からわたらせ渓谷鐵道の入り口の相老(あいおい)までは特急りょうもう号で1時間40分、そして神戸(ごうど)までのんびり43分、コレ、まことに快適な移動ですぜ。8月末に訪ねたときに「線路上にイノシシの子供が出たので減速しました」の車内放送に車内大騒ぎにwなったりして。
神戸(ごうど)駅の構内には、1960年に登場した豪華な特急電車1720系「デラックスロマンスカー(DRC)」の車両を使ったレストランがあり、これがまた微妙に食堂車の雰囲気になっていて昭和な旅情満点。座席上の棚までそのままなのが実にヨいです。
グンマーの入り口はJR高崎線だけではございませんぜ。今、浅草には外国人観光客が大挙して押し寄せているわけで、浅草を起点とした外国人向け日帰りツアーなんて何本も企画できるはず。特急りょうもう号が1時間に1本運転している利点はもっともっと活かせるでしょ・・・と思ってしまうワタクシの大学での専門は観光・レクリエーション計画だったり。・・・黒歴史とも言う(・x・ゞ
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