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カテゴリー「音楽>YouTube」の263件の記事

2020年3月25日 (水)

3月28日(土)20時〜20時45分、生配信初体験:On Line / On Live 2020

どうやら「ヤツ」は想像以上にメンドウな相手であるようで、人類の未来図を変える必要があるのだろうなぁ・・・とさえ思っているワタクシです。大量生産大量消費の社会は必ず行き詰まる、という指摘は前世紀半ば過ぎにとっくにされていましたね。「マス」を手に入れた者ばかりが強くなるという、実は弱肉強食となんら変わりのない人間社会の基盤が「ヤツ」に揺さぶられているのではないでしょうか。優しかったり控えめだったりして弱肉強食な経済活動に適応できない人は少なからずいるはずです。そのような人が倒されてしまわないような社会を作り上げられてこその人類の叡智!

その中でワタクシ、ちょっともがいてみます。 Piascore株式会社 の 小池 宏幸 氏 が着想からわずか10日ほどで成し遂げて現在進行ちぅの電撃企画、二週間毎日2コマずつ配信されるネットコンサートOn Line / On Live 2020でナマ配信初体験です(`・ω・´)

ワタクシが出演するのは、3/28土曜日の20時からの45分間です。この記事から小池氏の想いを感じ取っていただき、是非とも YouTubeライブ をご覧になっていただきたくお願いいたします!(*´-`)
2週間の無料オンラインコンサートを10日で実現!? Piascore株式会社小池宏幸氏に聞く「音楽」への想い

配信プラットフォームは、公式YouTubeチャンネル だけでなく、17Live や ニコニコ動画公式 へも広がっています。それぞれが価値観そして人生観を変えはじめるためのキーワードの一つとして <芸術> こそが意味を持っていると思いませんか?

Olol2002

2020年3月 7日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『忘れな草をもう一度』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)

中島みゆきの『忘れな草をもう一度』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『忘れな草をもう一度』は1982(昭和57)年発売の中島みゆき13枚目のシングル《横恋慕》のB面で、実はアルバムには収録されていない曲です。忘れな草は春から夏にかけて咲く青い可憐な花、花言葉は「私を忘れないで」そしてそこから転じて「真実の愛」。3月は卒業や別れの季節でもあり、あちこちで「私を忘れないで」「真実の愛=ずっと一緒だよ」という場面が繰り広げられていることでしょう。この季節の花はなんといっても桜でしょうが、忘れな草も忘れないで・・・って、忘れな草ってホントに地味ですからね〜 ヽ( ̄▽ ̄)ノ

それにしてもこの曲の世界はまことに荒涼としていて、果てのないような淋しさを感じてしまいます。2番の出だしと言ったらもうね(T_T)

 春や夏や秋が あるのは
  しあわせ行きの 駅の客です
  君を乗せた 最後の汽車が
  消えた荒野は 長い冬です


主人公(「僕」なので男性です)の置かれた境遇は<長い冬>のままですが、1番の出だしがこうなっているので、主人公が失ってしまった「君」には春が来たのでしょうか。失ってしまった相手が幸せになってしまった経験は誰にでもあるでしょうが、コレ、ホントにホントにホントに切ないですよね。

 ふいに聞いた 噂によれば
  町はそろそろ 春のようです
  君のいない 広い荒野は
  いつも 今でも 冬というのに


まぁそれにしても、主人公の未練がましさもまたなかなかでw この曲の歌詞は中島みゆきにしてはストレートで読みやすいのがイイのか悪いのか。

 君は今も 咲いていますか
  誰のために 咲いていますか
  僕はここで 生きてゆきます
  未練な手紙になりました


さて・・・一定以上の年齢の方で<しあわせ行きの駅>で思い出されるのは、旧国鉄広尾線の『愛国から幸福ゆき』の切符ではないでしょうか。広尾線は中島みゆきが青春を送った帯広から南に伸びていた渋い渋いローカル線で、広大な十勝平野をトコトコ走る風情はなんとも通好みwでございました。そんなローカル線の一枚の切符が一大ブームとなったのは1974(昭和49)年ごろからとのこと、この区間の切符をいったい何百万人が買い求めたことでしょう。この切符を買っても幸せになれなかったヒトたちが国鉄職員に文句を言ったところ、とんちの利いたその職員、「そりゃ〜、アナタがたの最寄り駅から愛国までの往復切符を一緒にしてなきゃダメですよ、キセルじゃ幸せはやってきませんぜと返したとか返さなかったとかwww

広尾線の廃止は国鉄民営化直前の1987(昭和62)年2月2日、ワタクシ、前年の3月の一浪めの入試直後に広尾線を訪ねてそこそこの記録を撮ることができましたが入試の結果は惨敗で二浪へと道が開かれてしまいました(猛爆)。「愛国→幸福」も「幸福→愛国」も、そのとき使ったなつかしの北海道ワイド周遊券も一緒にしていたのになんたることぞw

2020年3月 2日 (月)

シューマン『幻想小曲集 op.12』から、第3曲『なぜに?/Warum?』を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

シューマン(1810-1856)の『幻想小曲集 op.12』から、第3曲『Warum?/なぜに?』を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

シューマンは現実の世界とファンタジーの世界を行き来していた・・・どころか現実とファンタジーとの区別をつけずに芸術の世界に生きていたように思えてなりません。シューマンの曲は、楽器の指定がナニであってもその楽器にとって「どうにもしっくりこない」ところがそこら中にwありますからね。シューマンの音楽は自身の空想の中でのみ最も美しく鳴り響いていたのでしょう。

昔の楽器の周りに立ちのぼる霊的な雰囲気は現代人の大多数が知らない世界ですし、その楽器を奏でる人間もまた現代人の想像を絶する霊的な能力を備えていたに相違ありますまい。創造者である作曲家にとってイメージの源泉として極めて大切であったのが楽器でありそれを奏でる演奏者であったのは論をまたず、そもそもその世界は霊的な世界ですから、現実とはなんぞや、とかファンタジーとはなんぞや、とかいうむちゃくちゃメンドウなテツガクな世界に突入することに。シューマンは、その「ハマり方」が尋常でなかったのではないでしょうか。

この動画で使っているウィーン式アクションのベーゼンドルファーは1894年製、「霊性を備えた楽器」という意味を十全に残していた時代のお道具ですから、とりわけこの曲のように不思議な曲では威力を存分に発揮してくれます。単純に音色の美しさというだけでなく、多彩に何層にも折り重なった響きの美しさを際立たせてくれるんですよ〜(・ω・ゞ

2020年2月26日 (水)

『栄光の架橋 - ゆず』を、100年ちょい前の大型リードオルガンで

ゆずの『栄光の架橋(2004年)』を、100年ちょい前の1905年に北アメリカのパッカード社で作られた棚付きリードオルガンで弾いてみました。現代の音楽に100年前のリードオルガンをどこまで追随させられるか、どうぞお愉しみくださいませ!(`・ω・´)

リードオルガンやハルモニウム(足踏みオルガン)は19世紀後半から20世紀初頭にかけての音楽の一翼を担ったとも言うべき大切な存在なのですが、当然ながら現代的合理的な設計なんぞされておらず修復の労が「馬鹿馬鹿しいくらいに面倒」だったりします。そのためもあってかとりあえずどんなにごまかしであっても音が出てくれさえすれば良しとされて本来の西洋が全く発揮されていないことが少なからず、マトモな楽器とみなされず「懐かしくてイイ感じ〜」程度で強制終了wされてしまいがちなのがホントに残念でなりません。ですがチト待っていただきたい。19世紀後半から20世紀初頭にかけてはアコースティック全盛の時代で、そんな時代に隆盛を極めていた楽器がマトモでないはずがないことに、そろそろ気づいても良いのではないでしょうか!

同時に、とりわけ古いお道具な世界では「100%理想的な状態」というのが理想論でしかあり得ないことにも感づかれるかと思います。多かれ少なかれ限定された状況で「カタチにして仕上げる」ためにはやはり愚直で泥臭い作業に勝るものはなし、館林の渡邉祐治氏はそこを妥協せずに根本からやってのける希有の大職人です。渡邉氏の手にかかったリードオルガンを弾くたびに、深く正しい理解に基づいた的確な見立てこそが大切なんだなぁ・・・と痛感させられます。

2020年2月21日 (金)

上尾市、聖学院教会の Farrand & Voter 社1891年製リードオルガンで、Ernest A. Dicks(1865-1946) 作曲『Andantino』を

埼玉県上尾市にある聖学院大学のキャンパス内「緑聖伝道所・教会」に新しい聖堂ができたのは2004年とのこと、その際に当時の主任牧師が「教会の名物にする」との意気込みで古いリードオルガンを購入するも一度コンサートを開いたきりでお蔵入り・・・という、ワリとありそうな話がございまして。このオルガンは1891年デトロイトの Farrand & Votey 製の11ストップの堂々たる棚付きリードオルガン、いつものリードオルガン修理の達人、渡邉祐治氏が軽く手を加えただけで例によって化けたというタレコミwがあり、早速拝見して情報拡散のための動画を録るのはワタクシの役目でありま〜す (`・ω・´)

曲は、1909年にグラスゴーで出版された『Twelve Short Voluntaries - for the American Organ or Harmonium』から、第4曲「Andantino」です。作曲の Ernest Alfred Dicks (1865-1946) はイギリスのオルガニスト・作曲家、この当時のオルガニスト件兼作曲家らしく、精力的に作品を出版しております。いかにもオルガンらしく穏やかで滑らかな雰囲気は、この世界ならではの至福の時間ですよ〜 (*´-`)

この楽器の復活コンサートが2020年3月22日(日)14時半〜16時、この聖学院教会・緑聖ホールでございます。演奏は 大宮公園のバッハアカデミーの山田康弘 氏、レクチャーは当然ながら 渡邉祐治 氏です。「昔、学校の教室でブカブカ弾いていたよね〜」な世界とは全く異なる足踏みオルガンの世界、少しずつでも知っていただけたらなぁと思います。

2020年2月 7日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『二隻の舟』(アルバム《10 WINGS》版)ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『二隻の舟』を、いつもの1894年製アンティークベーゼンドルファーで弾きました。

『二隻の舟』は既に1992年のアルバム《EAST ASIA》の中に入っていましたが、1995年に発売されたアルバム《10 WINGS》ではリメイクされて冒頭を飾っています。『二隻の舟』はファン筋には言わずと知れた「夜会」のテーマソング。「夜会」とは、コンサートでもなく、演劇でもなく、ミュージカルでもない「言葉の実験劇場」をコンセプトとして1989年に始められた舞台で、言葉の使い手である中島みゆきにとってライフワークとも言える存在。そのテーマソングですからワタクシごときが軽々しく見解を述べるのもおこがましく思うのですが、まぁ弾いてしまったからには書かないワケにもいきませぬ。

 おまえとわたしは たとえば二隻の舟
  暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
  互いの姿は波に隔てられても
  同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟


この詩は<おまえとわたし>は<二隻>の<>に乗って<暗い海>を渡っている設定。「隻」という漢字は「ひとつの」という意味を持ち、すなわちそれぞれの舟は分かれておらず「二つでひとつ」という、1+1=1の世界が示されています。・・・という解説はそれこそそこら中にあふれていますね。この曲の歌詞の比喩は中島みゆきにしては異常なまでにwわかりやすく、同時に抽象性をも十全に兼ね備えています。それだけに聴き手それぞれにさまざまな感興を呼び起こすのでしょう。

 時は全てを連れてゆくものらしい
  なのにどうして寂しさを置き忘れてゆくの
  いくつになれば人懐かしさを
  うまく捨てられるようになるの


この曲のイントロはこれ。どんなに人生経験を積んでも<寂しさ>や<人懐かしさ>を捨て去るのは不可能ですもんね。だいたい、人間なんつ〜弱い存在は他者との関係が希薄だと不安に陥るwもので、孤独感とは他者から必要とされていないだけで生じるものではなく、他者を必要としないと思い込んでいるはずの「己」にも実はのしかかってくるんだよなぁ・・・と。

 ひとりでも私は生きられるけど
  でもだれかとならば 人生ははるかに違う
  強気で強気で生きてる人ほど
  些細な寂しさでつまずくものよ
『誕生』1992年)

だからこそ、真に心を通わせられる相手/対象が見つけられたヒトは無敵であります。しみじみと「いぃなぁ」と思わせられるような素敵な老夫婦に出会うたびに、「生涯の伴侶」という日本語は表面的な夫婦関係にとどまらず精神的なつながりをも表現しているんだろうなぁ、と思います。ですが、この『二隻の舟』の世界はあくまでも舟が「ふたつ」ですから、ちぃとばかし状況は異なるようです (´・ω・`)

 敢えなくわたしが波に砕ける日には
  どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
  それだけのことでわたしは海をゆけるよ
  たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても


『二隻の舟』とは、心を通わせているとは言えあくまでも他者どうしなのでわかり合えることは絶対にない他者どうしのつながりなのでしょうね。しかしその他者どうしは<互いの姿は波に隔てられても><同じ歌を歌いながらゆく>という、特別な関係の他者なのです。この両者の間には確固たる信頼感がありますが、そこに茫漠たる不安感と静かな覚悟が同居しており、なんとも言い表せぬ心持ちにさせられますね。まぁそもそも人間なんて全てが他者どうしですから、「わかり合う」とはなんぞや、と併せて考えたいかも。

さて、ここで全く別の切り口を提示しておきましょうか。この『二隻の舟』の世界は舞台人にとって「客席」と「舞台」であり、同時に「芸術の神」と「自分」であり、はたまた「自分」と「自分」なんですね〜。神はおのれの心の裡にあり (`・ω・´)

2020年1月24日 (金)

Lee Conklin Reed Organ Museum の Lyon & Healy 社製リードオルガンで、H.D.Hewitt 編曲『Wely’s Celebrated Offertoire』を

2019年の Reed Organ Society gathering が行われた、ミシガン州の小さな村:ハノーヴァーにある Lee Conklin Reed Organ Museum には100台ものリードオルガンが展示されており(日曜午後の4時間のみ;;;)、遠く遠くの日本からはるばる訪ねたよしみで(?)まとめて録画する時間を取らせてもらえました。

ウォルター・ヘンリー・ルイスの『休日の鍵盤愛好家のための曲集 〜あらゆる機会のために〜』(1914年)には小品が36曲おさめられておりますが、実は玉石混淆で弾き手の理解力が問われるのはココだけのハナシw。その中から、H.D.Hewitt 編曲による『Wely’s Celebrated Offertoire』を、シカゴで1887年から1907年にリードオルガンを作っていた Lyon & Healy で作られたリードオルガンで弾きました。

原曲は、Lefébure-Wély(1817-1869)の足鍵盤付きオルガンのために書かれた『Six Grands Offertoires pour l'Orgue, op.35』の第4曲ト長調で22ページに渡る大曲ですが、編曲者の H.D.Hewitt はこれをニ長調に移調して見開き2ページで収まるようにまるっとw簡略化しています。

オリジナル至上主義はそれはそれで意味がありますし、基本的にワタクシもその立場に立っておりますが、それだけが音楽の世界であると考えてしまってはそれは傲慢以外のナニモノでもありませんね。市井の人々の間にかつてあふれていた音楽はとにかく自由なものでちょっとした集会所のスクエアピアノやリードオルガンそしてハルモニウムの周りに生まれていたわけですし、そのような普通の人々のための曲集では長い曲をバッサリ切り詰めたり調号の少なく読みやすい調性に移調したりしてあるのがごく普通のことでした。考えてみれば、現代でも全く同じなんですけどね〜(・o・ゞ

2020年1月10日 (金)

Lee Conklin Reed Organ Museum の Taber Organ 社1890年ごろのリードオルガンで、Lemmens『オルガン教本』で足鍵盤なしのオルガンのために編まれた第1部所収の『13 pièces diverses』第6曲『Sortie』を

2019年の Reed Organ Society gathering が行われた、ミシガン州の小さな村:ハノーヴァーにある Lee Conklin Reed Organ Museum には100台ものリードオルガンが展示されており(日曜午後の4時間のみ;;;)、遠く遠くの日本からはるばる訪ねたよしみで(?)まとめて録画する時間を取らせてもらえました。

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻には小品が70曲おさめられており、なかなか感じ良くリードオルガン用に編集されているように思えます。その中の第8番、Jaak Nicolaas Lemmens(1823-1881) 作曲の『Alla Marcia』を、マサチューセッツ州はウォーチェスターの Taber Organ & Co. で作られたリードオルガンで弾きました。

この『Alla Marcia』のオリジナルは Lemmens が1862年に上梓した『オルガン教本』で足鍵盤なしのオルガンのために編まれた第1部所収の『13 pièces diverses』の第6曲め『Sortie』です。アーチャーはオリジナルの題名を『Alla Marcia』と変え、曲も後半部分をカットしていますが、気軽な普通の曲集ではそれが当たり前。現代となにも変わることはないのでありま〜す。

2020年1月 7日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『India Goose』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『India Goose』を、いつもの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

『India Goose』は2014年10月に発売されたアルバム《問題集》のラストを飾る曲、このアルバム《問題集》の2曲めはNHKの朝ドラ『マッサン』の主題歌の『麦の歌』で、覚えている方も少なくないのではないでしょうか。そして『India Goose』は翌月公開だった《夜会 VOL.18「橋の下のアルカディア」》のラストを締めくくる大曲でもあります。中島みゆきは《夜会 VOL.18「橋の下のアルカディア」》について、「今回は、テーマが"捨てる"なんです。"捨てる" "捨てられる"。その両方ですね」と語ったとのこと。何かを得るためには何かを失わなければならぬというのが冷厳な現実とはわかっているつもりですが、いざ自分の身に突きつけられると正面から向き合うのは至難の業。ワタクシのような凡人はどうしても逃げやごまかしに走りがちですが、なぁにかまいませんや。それでも死ぬまで生きていかねばならぬのが人生ですからね。今年こそ断捨離しなきゃと思って何年経ったことやらw

さて India Goose ってなんじゃらほい、と検索してもこの曲ばかりが出てくるのですがそれもそのはず、単に「インド」「雁または鵞鳥」と名詞が2つ並んでいるだけですからね。インド雁の学名は ‘Anser Indicus’ で Anser は「」、Indicus は「インドの」という意味なので英訳が Indian Goose となり、日本人向けwだし India Goose で・・・とゆ成り立ちと邪推できます。ちなみに英語ではインド雁のことを "Bar-headed goose" と言いまして、そりゃ検索に「インド雁」が出てこないのも当然でしょう。

さて、インド雁はモンゴル高原で繁殖して冬は越冬のためにインドで過ごします。その長い長〜い飛行の間には、そう、チベット高原とヒマラヤ山脈があるんですね〜 (`・ω・´)

1953年、ヒラリーとテムジンが世界で初めてエベレストに登頂しました。この時の登山隊の一人が「エベレストを越えていく雁を見た」と語ったとのこと(ヒマラヤじゃないの? と突っ込みたくもなりますがw)。8000mの高さでは気圧は平地の3分の1程度で、当然酸素の絶対量もそれに応じて少ないわけです。加えて空気の密度が低いので羽ばたいて揚力を得るのは困難を極めます。そのため空気の密度が高い夜に飛ぶことも多いとか。そう言えば、木曽御嶽山の噴火での救出作業のとき、高度3000mでホバリングできた日本のヘリコプター操縦技術が世界で神とあがめられたとかなんとか。

渡り鳥は年に2度の決死の旅を生涯続ける存在で「覚悟の象徴」とされるのは当然でしょう。それに加えてインド雁の渡りは薄い空気の中を何日も飛び続ける過酷なものですが、そこには「悲壮な決意」だけでなく「無限の勇気」をも感じますね。この唄もまことに強いこと強いこと。

 次の次の北風が吹けば 次の峰を越えてゆける
  ひとつひとつ北風を待って 羽ばたきをやめない


導入としてまことに簡潔な場面説明。インド雁の生態を知らない聴き手(ワタクシもそうでした;;;)にとっても峰を越す渡り鳥のことを詠んでいることがわかります。不特定多数に届けさせるためには一読しておおむねの意味が取れることと深読みしようと思えばできるという両側面を備えていないとならん、という好例と思います。

 さみしい心先頭を飛んで 弱い心 中にかばって
  信じる心いちばん後から 歌いながら飛ぶよ


強い強いこの詩の中でのこの2行、とりわけ美しく印象的と感じるのはワタクシだけでしょうか。中島みゆきはここで声音と語り方を優しげな雰囲気に変えていますが、いやホンマ、見事の一言に尽きます。えてして狭い世界に閉じこもりがちなクラシック音楽な方々も、このような総合力に驚ける程度の判断力を備えてほしいモノです。そして<歌いながら飛ぶよ>で締めるとは、なんというセンスでしょう!

 ほら次の雪風にあおられて
  小さな小さな鳥の列が なぎ払われる
  小さな小さな鳥の列が 組み直される
  飛びたて 飛びたて 戻る場所はもうない
  飛びたて 飛びたて 夜の中へ


この5行こそがサビですが、普通は偶数行数で構成されるところをあえて破格の奇数行にしているのが興味深いですね。また<なぎ払われる>→<組み直される>という行動が暗示するインド雁の不屈の魂はそれが<小さな小さな鳥の列>であることでさらに強い印象になっているように思えます。そう言えば、中島みゆきの「不屈の魂」に対する応援歌はまことに勇ましく力強く、そして愛情にあふれていますね。

 望みの糸は切れても  救いの糸は切れない
  泣き慣れた者は強かろう  敗者復活戦
『倒木の敗者復活戦』(2012年)

 その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
  おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
『宙船』(2006年)

 暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
  光ってるのは傷ついて はがれかけた鱗が揺れるから
  いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
  やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく
『ファイト!』(1983年)

さて第二番、ここでようやっと「逆風」というキーワードが出てきます。冷静に考えるとヒマラヤをインドに向けて越えるときは北風では逆風にならないのですが、まぁそこはイメ〜ジっつことで。消されるかな (((( ;゚Д゚)))

 強い鳥は雪が来る前に 既に峰を越えて行った
  薄い羽根を持つ鳥たちは 逆風を見上げる
  いつの風か約束はされない いちばん強い逆風だけが
  高く高く峰を越えるだろう 羽ばたきはやまない


空気の密度の低い超高度を翔る<小さな小さな鳥>たちですから、逆風を巧みに使わないと<高く高く峰を越える>のは困難。ですが、あくまでも逆風ですから先に進めないというリスクと向かい合わせ(隣り合わせではナイw)なんですよね〜。弱く小さき者たちであるからこそ宿命に立ち向かわざるを得ない場面に頻繁に遭遇するものでして、まぁ、なんつ〜か、やるっきゃないんですわな。とほほ。

 負けんもんね  負けんもんね
  負けとる場合じゃないんだもんね
『負けんもんね』(2010年)

 

2019年12月30日 (月)

ユージン・セイヤーの『礼拝のための前奏曲 へ長調』を、1905(明治38)年ヤマハ製リードオルガンで

Eugene Thayer/ユージン・セイヤー(1824-1896)は、アメリカのオルガニスト・作曲家。1870年に『The Art of Organ Playing』5分冊を刊行し、さらに1874年から1877年まで『Organist’s Quarterly Journal』を刊行しています。この動画で弾いている『Service Prelude in F(礼拝のための前奏曲 へ長調)は、『The Art of Organ Playing』の補遺として自身を含む種々の作曲家の作品を集めて3分冊で刊行された『Organ Music for Church Service』の第1巻の第9番です。このような実用のための曲集はそれこそ星の数ほど出版されており、まことに深く複雑な世界でありま〜す (*´-`)

弾いている楽器は、おなじみ渡邉祐治氏による丁寧な修復を経てよみがえった1905(明治38)年ヤマハ製リードオルガンです。このリードオルガンが作られた5年前の1900年にようやくヤマハはアップライトピアノ第1号機を完成させたばかりで、まだまだ時代はリードオルガンの時代でした。この明治のリードオルガン、一種独特な低音の重く深い響きにシビれますよ〜(・ω・ゞ
・渡邉祐治氏YouTube:https://www.youtube.com/channel/UC6wktpotX7LAsEq-4diaaIA
・調律師「才気堂」:http://saikido.blog.jp/


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