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カテゴリー「音楽>YouTube」の401件の記事

2022年5月21日 (土)

デュフリー《クラヴサン曲集第1集》所収「組曲第1番」から『Rondeau/ロンドー』を、フレンチクラヴサンで

高円寺北口から10分程度の閑静な住宅地のど真ん中にある「ソフィアザール高円寺バロック」所蔵のフレンチクラヴサンを使った、デュフリー(1715-1789)《クラヴサン組曲第1集》の《組曲第1番》から、ロンドー。組曲第1番にはロンドーが2つありますが、その2つめです。2022年5月28日に行う演奏会 バロック方面より風来たる ACT.4 のネタバレ(宣伝ともいう)動画だったりしますがw
くれぐれも「バロック方面から風来坊ぢゃないっすよ(・ω・ゞ

 

20220528_leaflet_cembalo


ここ「ソフィアザール高円寺バロック」のクラヴサンは多彩極まりない才人の永野光太郎氏が2018年末に納入した楽器でようやく3年半経った程度ですが、音響振動に対する反応が抜群に良く、いわゆるエージングが進むわ進むわでいつも仰天させられています。使い倒されるわけではない楽器でそれは非常に好ましいこと、そして反応が良いということはしばらくお休みしていてもとにかく「目覚める」のが抜群に速いワケで、あっという間に豪快な鳴りが戻ってくるのがたまりませんですわ〜 (`・ω・´)

・永野光太郎オフィシャルサイト
  https://oratokoratok.jimdo.com
・永野光太郎(Keyboard)&對馬佳祐(Violin)YouTubeチャンネル
  https://www.youtube.com/channel/UClZJOmnOvq_VoBxW9G1e5Tw

この動画で弾いているクラヴサンのモデルはパスカル・タスカンが1769年に製作した楽器でデュフリー晩年というタイミングの楽器、実はJ.S.バッハが亡くなったあとに作られているんですね〜。この時代のパリは既にジルバーマンタイプのピアノやスクエアピアノなど最初期のピアノが少なからず存在していまして、4年前の1765年は齡9歳の神童モーツァルトの手による『ヴァイオリンの助奏を伴うクラヴサンのためのソナタ』が op.1(K.6 & K.7) そして op.2(K.8 & K.9) として父レオポルドの手で出版されていたりします。

デュフリーの《クラヴサン組曲第1集》の出版は1744年でモーツァルトが生まれる前、デュフリーの生きたパリはなんとも複雑な時代で、語り出すとエラいこっちゃなのでまぁこの辺でヽ( ̄▽ ̄)ノ

 

2022年5月 3日 (火)

LESTER/レスター No.200 1958年製(PIAPIT修復)で、デオダ・ド・セヴラック『休暇の日々から』第1集から「おばあさまが撫でてくれる」を

昨日(5/2)ピアピットでしぅろくした、LESTER/レスター No.200 1958年製 です。中身が新品状態なまでのオーバーホール完了、象牙白鍵の漂白はこれからですね〜。あたしゃ漂白しない方が好きですけど🤭

レスターピアノは、浜松の大和(だいわ)楽器製造株式会社で作られていたピアノです。このNo.200は昭和33年製、この頃は浜松にピアノ製造会社がた〜くさんあって盛り上がっていた時代でした。日本のメーカーのピアノはともすれば批判されやすいですが、そりゃ〜50年とか昔に作られたピアノで10年以上放置されていたなんてザラですから、マトモに再整備された状態を知らずに頭ごなしに批判するのはいかがなモンかと。このレスター、ちょっと驚くほどの能力を秘めていてビックリでした。

象牙の移動に厳しい制限が課されるようになって白鍵の象牙を剥がして貼り替えてまで海外に輸出するのは現実的でなくなり、このような国内高級モデルはま〜だまだ残っています。古くなると手放してしまう方が多いのは無理もないですが、こういうピアノこそ実は日本の財産なのではないでしょうか。

曲は、デオダ・ド・セヴラック(1872-1921)の『休暇の日々から』第1集のメインとなる組曲『お城で、そして公園で』から、第1曲「おばあさまが撫でてくれる」です。

デオダ・ド・セヴラックは南フランス出身の作曲家で、音楽の学習こそパリで行いましたが、都会風な雰囲気にイマイチなじめなかったのでしょうか、故郷の村にひっこんで教会でオルガンを弾いていたとされています。ドビュッシーに「土の薫りのする素敵な音楽」と評されたところにその傾向の一端が現れているのでしょうね。デオダ・ド・セヴラックは当代一流の名手に師事していて作品はどれもこれも地味に複雑だったりしますが、その中でこの『休暇の日々から第1集』は優しく素直なくつろぎがふんだんに聴こえてきますよ〜☝️

2022年4月23日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『Nobody is Right』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『Nobody is Right』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『Nobody is Right』は、2007年発売のアルバム《I Love You, 答えてくれ》に収録されています。この曲の歌詞はこの動画の前にアップした『ひまわり "SUNWARD"』とセットにしたくなるような意味を持っておりまして、これまた今現在ウクライナとロシアの間で繰り広げられている戦火そして双方政府による情報戦、さらにはその情報戦に踊らされて自分だけは他者と違って視野が広く聡明かつ冷静であるとアピールしたがりな知ったかぶりの数限りない烏合のネット民の虚しさを見透かしているように思えます。
*『ひまわり "SUNWARD"』
 https://bergheil.air-nifty.com/blog/2022/03/post-e5c335.html

我々日本人にとって、国境が入り組んで時代によって国境線が頻繁に変わり、さまざまな民族の混在そして混血が当たり前である世界を実感を持ってイメージすることは相当に困難なはずなのに、たかだか侵攻が始まって一ヶ月ちょいの間にたまたまネットで目にした程度の情報で精査できた気になってきいた風な口を叩くなんて恥知らずと言わずして何と言う。それに止まらず、どこぞで「ウクライナに味方するようなプーチンを悪く言うような情報を選びたがる自分には注意しなければと思う」とかほざく御高説を複数拝見いたしまして、その十重二十重にネジくれた醜悪な自己愛に満ちたうぬぼれを目の当たりにした気がしてそっと閉じましたわぃ。ネット上の言論なんぞ欺瞞や偽善に満ちているというのはこの25年間思い知らされていますが、今回もまたまたま〜たまた同じですわ。

中島みゆきはこの『Nobody Is Right』を発表した2007年、インタビュー記事でこのように語ってます。

 物を求める戦争なら、いつか収まる。でも、相手が心から正しいと思っていることを否定する争いに終わりはない
  (2007年10月17日「東京新聞」

これは狭い意味の戦争のみならず、およそ人間社会にいる限り必ずついてまわる行き違い・誤解・勘違いもろもろ全てに当てはまるのではないでしょうか。人間関係そして人間社会とはお互いの立場の数だけ異なる論理なくしては成り立たないものでして、そこに自らの信じる狭量な正義のみを振りかざして悦にいる輩のなんと多いことでしょう。

 もしもあなたが全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
  世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり


たいていの人は、程度の差こそあれ、思春期を迎えて自我を形成し始めて身の周りの小さな社会とぶつかりつつ(揉まれて、の方がイイかなw)、その中で少しずつ自らを育んでいくものではないでしょうか。そんな初期のころ、世間の不合理やら不条理やらにいちいち憤って「世の中間違っとる!」と感じる段階があること自体は、至極まっとうと思います。いつしかそれを隠しながら生きる悪知恵を身につけて(「堕落」とも言われますがねwww)世間さまに馴染むことがオトナのたしなみの一つでしょうが、まぁ、なかなか、難しい、です、よ、ね〜。

 つらいだろうね その一日は
  嫌いな人しか 出会えない
  寒いだろうね その一生は
  軽蔑だけしか いだけない


ここの指摘がさすがは中島みゆきで、どんなに自分が最高の存在であるという尊大な人物でもこのような感覚は持たないのではないでしょうか。まぁ逆もまた真でもあり、尊大で傲慢不遜な人物であるからこそ、このような感覚にはなり得ないのでしょうけど。「孤高の存在」になればなるほど孤独なものである、という文学的な表現もありましょうが、それこそ自分に酔っているだけのうぬぼれですナw

 正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ

人はそれぞれ全く異なる存在であり、しかも自分の中ですら論理的に整合した姿勢でいられるのは極めて難しいこと、誰もが(認めたくはナイでしょうが)わかっているのではないでしょうか。それならばそれぞれの<正しさが相容れない>のが当ったり前な当然で、それぞれの<正しさが相容れない>という現実を認めない姿勢こそが、真の「相容れなさ」を生み出す元凶であります。

 争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
  その正しさは気分がいいか
  正しさの勝利が気分いいんじゃないのか


大義がありさえすれば他を打ちのめしてもいいのでしょうか、大義がありさえすれば他は我に屈服すべきと主張してもいいのでしょうか、そのような大義とはいったいなんなのでしょうか。にわかに過ぎぬ大義を振りかざして悦に入る烏合のネット民ども、うるさ過ぎますな。

 Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, 正しさは
  Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, 道具じゃない




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年3月30日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『ひまわり "SUNWARD"』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『ひまわり "SUNWARD"』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『ひまわり "SUNWARD"』は、1994年発売のアルバム《LOVE OR NOTHING》に収録されています。この曲の歌詞はまことに示唆に富んでいまして、今現在ウクライナとロシアの間で繰り広げられている戦火そして双方政府による情報戦、さらにはその情報戦に踊らされて自分だけは他者と違って視野が広く聡明かつ冷静であるとアピールしたがりな知ったかぶりの数限りない烏合のネット民の虚しさを見透かしているように思えます。

我々日本人にとって、国境が入り組んで時代によって国境線が頻繁に変わり、さまざまな民族の混在そして混血が当たり前である世界を実感を持ってイメージすることは相当に困難なはずなのに、たかだか侵攻が始まって一ヶ月ちょいの間にたまたまネットで目にした程度の情報で精査できた気になってきいた風な口を叩くなんて恥知らずと言わずして何と言う。それに止まらず、どこぞで「ウクライナに味方するようなプーチンを悪く言うような情報を選びたがる自分には注意しなければと思う」とかほざく御高説を複数拝見いたしまして、その十重二十重にネジくれた醜悪な自己愛に満ちたうぬぼれを目の当たりにした気がしてそっと閉じましたわぃ。ネット上の言論なんぞ欺瞞や偽善に満ちているというのはこの25年間思い知らされていますが、今回もまたまたま〜たまた同じですわ。

『ひまわり "SUNWARD"』所収のアルバム《LOVE OR NOTHING》が発売された1994年は激しく悲惨なユーゴスラビア内戦の真っただ中というタイミングですが、特にユーゴスラビア内戦を題材にした唄というワケではなさそうに思われます。バルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていたと世界史で習った記憶がある方も少なくないでしょうし、第一次世界大戦はそのバルカン半島のサラエボでの一発の銃弾をきっかけとして始まったのでしたよね。「sunward」とは「太陽に向かって」とか「太陽を向いて」とかいう意味です(forward の for が sun に置き換わっただけですネ)が、太陽の方角を向いているその裏側にはもれなく「影」がついてくるのが現実でありま〜す。

さて不肖ワタクシ、2003年9月にユーゴスラビア内戦の大激戦地、ボスニア・ヘルツェゴビナの Mostar を訪れておりまして、戦火が収まってから10年近く経つのにそのまま残る破壊された建物の凄まじさと「地雷あり立入禁止」の黄色いテープとともに、それでも日々を普通に生きるたくましい現地の人々の姿にいたく感動させられました。そのときに撮った1枚、左奥に見えるピカピカの建物は、EUの支援で修復されたばかりの建物です。

18. Sep. 2003. - Mostar, Bosna i Hercegovina
030918084146

隣人はおろか親子が敵味方に分かれて殺し合わねばならぬ場合すらあり得るのが陸続きの国境地帯の現実なのでしょうが、この程度のヌルい言葉では到底言い尽くせぬ複雑さを肌で感じさせられました。戦争を知らぬ世代であり陸続きの現実を知らぬ日本人として、本当に Mostar を訪れてよかったと思います。下の写真のような民族融和への希望が込められたサインも見られ、いやがおうでも Mostar という街の難しさを感じざるを得ませんでした。このサインに描かれている「スタリ・モスト/古い橋」はクロアチア軍に破壊されましたが2004年に再建され、翌2005年に「モスタル旧市街の古い橋の地区」という名で、ユネスコの世界遺産に登録されています。登録に際しては歴史的価値だけでなく内戦からの再建を経ることによって多民族・多文化の共生や和解の象徴となったことも加味され、「負の遺産」という側面もあるとのことです。

17. Sep. 2003. - Mostar, Bosna i Hercegovina
030917153501

1番をどうぞ。

 あの遠くはりめぐらせた 妙な柵のそこかしこから
  今日も銃声は鳴り響く 夜明け前から
  目を覚まされた鳥たちが 燃え立つように舞い上がる
  その音に驚かされて 赤ん坊が泣く
    たとえ どんな名前で呼ばれるときも
    花は香り続けるだろう
    たとえ どんな名前の人の庭でも
    花は香り続けるだろう


2番です。

 私の中の父の血と 私の中の母の血と
  どちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく
    たとえ どんな名前で呼ばれるときも
    花は香り続けるだろう
    たとえ どんな名前の人の庭でも
    花は香り続けるだろう>


そして3番!

 あのひまわりに訊きにゆけ あのひまわりに訊きにゆけ
  どこにでも降り注ぎうるものはないかと
  だれにでも降り注ぐ愛はないかと
    たとえ どんな名前で呼ばれるときも
    花は香り続けるだろう
    たとえ どんな名前の人の庭でも
    花は香り続けるだろう
    たとえ どんな名前で呼ばれるときも
    花は香り続けるだろう
    たとえ どんな名前の人の庭でも
    花は香り続けるだろう


ウクライナの国花がひまわりであること、さすがに偶然でしょうが、慄然とさせられましたよ〜。歴史は繰り返すと申しますが、なんという人の愚かさでしょうか。妙な柵のそこかしこから鳴り響く銃声>は現実にウクライナで聞こえているだけでなく、我々が見ているネット空間のそこかしこからも鳴り響いているのであります。

 正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ『Nobody is Right』2007年)

人はそれぞれ全く異なる存在であり、しかも自分の中ですら論理的に整合した姿勢でいられるのは極めて難しいこと、誰もが(認めたくはナイでしょうが)わかっているのではないでしょうか。それならばそれぞれの<正しさが相容れない>のが当ったり前な当然で、それぞれの<正しさが相容れない>という現実を認めない姿勢こそが、真の「相容れなさ」を生み出す元凶であります。
*『Nobody is Right』
  https://bergheil.air-nifty.com/blog/2022/04/post-e5c9c7.html

 争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
  その正しさは気分がいいか
  正しさの勝利が気分いいんじゃないのか
『Nobody is Right』2007年)

大義がありさえすれば他を打ちのめしてもいいのでしょうか、大義がありさえすれば他は我に屈服すべきと主張してもいいのでしょうか、そのような大義とはいったいなんなのでしょうか。にわかに過ぎぬ大義を振りかざして悦に入る烏合のネット民ども、うるさ過ぎますな。

 たとえ どんな名前で呼ばれるときも
  花は香り続けるだろう
  たとえ どんな名前の人の庭でも
  花は香り続けるだろう




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年3月 6日 (日)

中国産FEURICH(PIAPIT入荷)で、ライネッケ『家庭の音楽, op.77』から、第10曲『嘆き』を

ひさびさに印西市のピアピットの動画収録のおしごと〜(*´-`)

2015年ころに新品で入手するもしばらく弾いていなかった方から、活かしてください〜、とのことで入庫したフォイリッヒ/FEURICHMod.122 - Universal(サイレント付)です。古典的な味わいこそございませんが、軽〜く手を入れて調律後小一時間弾き込んだだけでスッキリした音色と豊かな響きが出てきて一驚。あらためて、ここ10年くらいの中国産の進化のスピードってユメ侮ってはならないという。実は、遥か昔の<脱亜入欧>の意識から抜け出せぬまま根拠なくアジアの国々を蔑視するの一部日本人の姿勢こそ、蔑視すべきなんですよね〜。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

曲は、Carl Reinecke(1824−1910)の『家庭の音楽 Hausmusik, op.77』から、第10曲『嘆き/Klage』です。ライネッケは19世紀末から20世紀初頭にかけてそれこそ星の数ほど輩出された作曲家の一翼を担う中堅作曲家で、作品番号にして300に及ぶ作品を出版しており、『さまざまな作曲家のピアノ協奏曲のためのカデンツァ集, op.87』と『フルート協奏曲, op.283』そして『フルートソナタ, op.167』がそこそこ有名かと思います。『家庭の音楽 Hausmusik, op.77』は、この時代にさまざまな作曲家がこぞって作曲した親しみやすい佳曲集の一つです。

2022年2月23日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『流星』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

中島みゆきの『流星』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

本日2月23日は中島みゆきの誕生日、しかも1952年生まれで今年は2022年ですから、なんとなんと70歳の大台に乗ってしまったという。ファンにとっては永遠に歳を取らない歌姫であっても、そしてファンならずとも、現実のこの数字はなかなかに衝撃的な数字ですよね〜。2020年1月12日にスタートした『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』はあちこちをまわるコンサートツアーとしては最後となる予定でしたが、新型コロナウイルスの感染急拡大を受けて8公演のみで惜しくも中断。しかもこのラスト・ツアーの再開はないことが発表されて、このラスト・ツアーは“幻のラスト・ツアー”となってしまいました。まぁ〜、なんというドラマティックな幕切れであったことでしょう(ホントに幕切れだったかわからんですけどね)

『流星』は、この『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』の前半で歌われており、もともと1994年発売のアルバム《LOVE OR NOTHING》に収録されています。深夜のサービスエリアという舞台装置ということで、コンサートツアーで夜行バスを使っての移動中のちょっとした出会いをつづった作品だろうと言われています。中島みゆきがコンサートツアーを始めたのは1976年のこと、そして1986年に初の書き下ろし小説集『女歌ーおんなうたー』を上梓しており、この中の『23:00熊本発鹿児島行き急行バス』という作品に、コンサートツアー中のわちゃわちゃ具合が愉しく活き活きと描かれていますぜ。

 バスがとまった気配に気づき そっとまぶたをあけてみると
  ここは山頂のサービスエリア 次の町まであと何百キロ

マニアなら<山頂のサービスエリア>かつ<次の町まであと何百キロ>でかなり場所を特定できてしまうのでしょうが、まぁ、コレ、現実を下敷きにした(かどうかもわからぬw)舞台装置ですからね〜。熊本から鹿児島までは170キロ程度で移動時間は3時間程度ですから、少なくとも『23:00熊本発鹿児島行き急行バス』の舞台装置ではナイだろうなぁと。しかも九州自動車道の熊本ー鹿児島の開通は案外と遅く、1986年出版のこの『23:00熊本発鹿児島行き急行バス』には<バスが国道脇の広場に停車>とか<急行バスは国道をひた走る>とかいう描写が見られて高速道路開通以前の移動だということが確認できます(だからなにw)

 埃まみれの長距離トラックが鼻先ならべる闇の中
  自販機のコーヒーは甘ったるいけど 暖まるならそれでいい

ワタクシ夜行バスは偏愛wしておりまして(安いからwww)、この情景は頻繁に目にしています。甘ったるい<自販機のコーヒー>は、缶コーヒーならば昭和の象徴の一つとも言えそうなUCC缶コーヒーでしょうが、少し安い「販売機の中で豆を引いて抽出して紙コップに注ぎ入れる」という形式のコーヒーとココアの自販機もありまして、これかもしれないなぁと。「砂糖増量」と「クリーム増量」のボタンがあって、ごく稀なお出かけで買わせてもらえるときには必ず両方とも増量にしていた幼きワタクシでありました。なお、UCCが世界初の缶コーヒー「UCCコーヒーミルク入り」を発売したのは1969(昭和44)年4月で、値段は喫茶店のコーヒーとほぼ同じの1本70円であったとのこと。考えてみれば、50年以上経つのに値段が5割増ちょいってスゴいことですよね〜。

 どこまで行くの 何しているの
  歌を歌っているんです
  そうかい、おいらは歌は知らねえな 演歌じゃねえんだろ、そのなりじゃあな

いやいやいや、演歌歌手だって夜行バスでは舞台衣装ぢゃないでしょうし、歌を知らなくたって中島みゆきの歌はフツーにみんな何曲か知ってるでしょうねん。その上でのごくごく他愛もない会話なのがサービスエリアでたまたま出会った旅人らしさで、舞台装置の補強としてまことに的確なんでしょね。

 香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖ヶ浦

もう、このナンバープレートの地名の並び、いかにもホントに長距離トラックな雰囲気満載でひそかに大ウケしてましてな。「袖ヶ浦」は東京湾アクアラインの千葉県側付け根、木更津のすぐ北隣のなにげに大きな市で、実は市政施行以前は袖「ヶ」浦町で今は袖「ケ」浦市というのがど〜でもいいトリビアw

 流れる星よ いつか最後にどこへたどりつこうというのだろうか

トラックの運ちゃんのイメージとして「荒っぽく見えるが人情深い」というのが市民権を得ている気がしますが、その原型はおそらく菅原文太主演の『トラック野郎』という1975年から1979年にかけて公開された映画シリーズでしょう。そもそも主人公が乗るトラックが「一番星号」ですし(「流星号」でないのが惜しいw)、この大ヒットで車体を電飾で飾りたてたデコトラが増えたワケですし、中島みゆきがコンサートツアーを始めたのが1976年であることもこれまた時期がぴったりなんですよね〜。

 風の中のすばる
  砂の中の銀河『地上の星』2000年)

長距離トラックの運ちゃんたちも、また『地上の星』でありま〜す(*´-`)

 地平のはしから地平のはしまで
  皆、流星のひと走り
  ほら 流星がまたひとつ 君は願いを言えたかい

中島みゆきにしてはまっっったくヒネりがないオチですが、採譜するために何度も何度も聴いていたらこのヒネりの無さが逆にホロリと来るのに驚きましてな。小説集『女歌ーおんなうたー』の『23:00熊本発鹿児島行き急行バス』にこんなくだりがあって・・・

 トイレはさっき行ったからいいけど外の空気でも吸おうかなとみゆきもバスを降りて、夜空を見上げる。ひんやりした夜気とキラキラ満天の星に深呼吸。その時、すういときれいな光が真上の空を大きく流れた。『23:00熊本発鹿児島行き急行バス』1986年)

なんでも、みゆき嬢は一度も流れ星に願いを言えた試しがないんだとか。あたしゃそれ以前に流れ星を見たことが数回あるかないかなので、そもそも流れ星の神秘性を語る資格がナイんですわ。満天の星空はそれこそ数え切れないほど見たことがあるというのに、ツキがないのか、はたまた気づいていないだけなのか。真相は・・・おそらく後者www



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2022年2月19日 (土)

マルセル・モイーズ『Tone Development through Interpretation』第79番を、100年前のフルートClaude RoveとLouis Lotそして1905年製プレイエルで

ベーム式フルートの押しも押されもせぬ名器である、19世紀後半のClaude Rive、20世紀初頭のLouis Lot、そして1905年製のPleyel、という同時代の楽器を使った夢の協演です。
(1st. 石井孝治 / 2nd. 素来聡子 / Piano 筒井一貴)

「昔の楽器は現代の楽器とは違って・・・云々」とは普通は言われますが、我々現代人は現代に頭のてっぺんからつま先まで漬かっているワケで、現代の価値観を通した「曲解」になってしまうのは当然のこと。そしてそれを嘆いて「世の中は間違っている!」と憤慨されることもまた少なからず。考えてみれば、他の世界でも「新品vs中古」という相容れない対立wなんていくらでもありますよね〜。

ワタクシがワリと過激(いやフツ〜w)な「中古派w」なのはみなさまご存知とは思いますが、共演しているフルート教室ファルべのお二方が奏でる100年前のベーム式フルートもまた過激(いやフツ〜w)に当時の価値観を我々に投げかけてきて最っ高なんですね〜。そりゃもぅ高崎のアトリエミストラルで動画収録をしないワケには行きませんで、ひたすらに温かく美しい世界となりました(*´-`)

*フルート教室ファルべ:石井孝治&素来聡子
http://www.flutefarbe.com/

曲は、Donizetti(1797-1848)のオペラ『Don Pasquale』から第3幕の美しい二重唱「Notturno」です。これまたフルートの世界では忘れることは許されぬマルセル・モイーズ(1889-1984)による、さまざまなオーケストラのフレーズやオペラのフレーズなどからフルートの表現を学ぶための『Tone Development through Interpretation』という曲集がございまして、それに第79番として所収されているデュエットです。



多種多様な情報がタダで手に入る現代、100年前の楽器を使う奏者こそ増えましたが、昔の楽器を使いさえすれば自動的に他人と異なる豊かな音楽表現がくっついてくるほど甘い世界ではございません。昔の楽器は現代の楽器と比べればある意味「不便」ですし、物理的に「限界が早い」のも当然のこと。それをも正面から受け入れて昔の楽器ならではの芸風で演奏できる奏者はごくごくごくごくw少数派で(実は受け入れた方が圧倒的に演奏しやすいことを知らぬ演奏者が圧倒的多数)、そんなお二人と共演できるのは何という光栄☺️
(現代風味で演奏したら昔の楽器を使う意味なんぞ全くないのですが、現代人は現代の人類wですから、ある意味当〜然の帰結ではあります😞)

2022年2月12日 (土)

BELTONのアップライトピアノFU33W(1976年製)で、ゲール『ポピー, opp.86-91』から、第4曲『Valse-Berceuse, op .89』を

1900年にアムステルダムで出版された、Henri van Gael(1846-1918)による『Pavots, Opp.86-91』の第4曲め『Valse-Berceuse, Op.89』を、昭和51年(=1976年)納入調律という調律カードが入ったBELTONのアップライトピアノFU33W(Serial No. 303xx)で弾きました。

このピアノ、形式が「FU33」でウォルナット仕上げなので「W」が付けられているんだろうなぁと推測。この個体は某教会の所有で、調律カードによると2002年までは数年おきに手を加えられていたようですがそれから20年近く放置されていた由。そのワリには状態がまともで調律しただけでそれなりに豊かな響きが蘇ったのが僥倖で、2022年2月11日にごく小規模で行ったミニコンサートの実況録画でございます(*´-`)

BELTONは古き佳き時代の国産ピアノ、日本のピアノ製作のメッカであった浜松の冨士楽器/ベルトーンピアノ研究所で作られています。このベルトーンという名称は芸大教授でピアニストであったレオニード・クロイツァー/Leonid Kreutzer(1884-1953)氏によるもので、ピアノの鋳物フレームには誇らしげに<"BELTON" NAMED BY PROF. LEONID KREUTZER>と鋳込んであります。また、古い時代のBELTONの鋳物フレームで<MANUFACTURED SINCE 1937>と鋳込んである写真が複数転がっております。BELTONは「国産ピアノの中でとりわけ音色が良い」という定評はあるようですが、かたや「修復にエラく手がかかる」という評価もあるようで、まぁありがちなバラつきなんだろなぁというのがワタクシ個人の見怪でございます。とりわけ、楽器ってぇシロモノはもともとの質よりもナニよりも「履歴の個体差」の方が圧倒的にモノを言いますからね〜。

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作曲のHenri van Gael(1846-1918)は、現代では発表会でしばしば弾かれていた『蝶々』という作品の作曲者としてのみ知られているといっても過言でないですが、実は19世紀後半のあまたの作曲家の例にたがわず大変な多作家で作品も相当に売れていたようです。『Valse-Berceuse, Op.89』は、op.86からop.91まで6つの作品番号にわたる『Pavots』という連作の第4曲めです。「pavot」とは仏蘭西弁で「ケシ」すなはち「ポピー」のこと、ポピーの花を窓辺に飾る習慣はあちらではワリと普通のようでして、要は「色とりどりの作品集」的な意味合いの連作なんだろうなぁと。なるほど、これら連作はどれも親しみやすく手軽な小品で、音楽といえば生楽器の演奏以外には存在し得なかった時代の日常の音楽作品として誰もが親しんでいたのでしょうね〜。

Gael_pavots

なお Henri van Gael はベルギー人でオランダ語系の名前だそうで、カタカナ表記にするときは、なんと「アンリ・ヴァン・ハール」が適切な由。日本人にとっては不要なマメ知識w

2022年1月30日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『エレーン』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

早くも今年(2022年)の1/12が過ぎ去ろうとしていますが、中島みゆきの『エレーン』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。後奏部で同じコード進行の別のメロを重ねるという複旋律音楽な技法を使っているのがな〜かなか興味深かったりしますぜ。

『エレーン』は1980年発売のアルバム、有名な問題作の《生きていてもいいですか》に収録されています。《生きていてもいいですか》は歌というより嗚咽を伴う慟哭そのものの『うらみ・ます』に始まり、叫ぶ力も無くなり強烈な淋しさと無力感そして孤独へと向かう『エレーン』そしてさらに救いのない『異国』に終わるという、中島みゆきみずから<真っ暗けの極致>というアルバムです。黒一色に白抜き縦書きで《生きていてもいいですか》というジャケットのインパクトたるや、もうたまらんですよ〜。

『エレーン』は実体験が下敷きであると中島みゆき本人が語っています。タレントとは生活が尋常でなく不規則なワケで、外人(1970年代だから「ガイジン」で無問題)向けマンションに暮らしていた中島みゆき、共用の洗濯室で時折顔を合わせる自称モデル嬢のヘレンとの交流。ヘレンは当時増加の傾向にあった外人娼婦の中でもかなり有名だった一人で、ある日何者かによって殺害され、全裸で遺棄されたといいます。

 風にとけていったおまえが残していったものといえば
  おそらく誰も着そうにもない
  安い生地のドレスが鞄にひとつと

  みんなたぶん一晩で忘れたいと思うような悪い噂
  どこにもおまえを知っていたと
  口に出せない奴らが流す悪口


ヘレンは華やかで生き生きとしていてドレスもたくさん持っていたにもかかわらず、それらはほとんどゴミにするしかない紛い物でした。娼婦の周りにはトラブルがつきものなのも、そりゃまぁ当然ですよね。

 みんなおまえを忘れて忘れようとして幾月流れて
  突然なにも知らぬ子供が
  ひき出しの裏からなにかをみつけ

  それはおまえの生まれた国の金に替えたわずかなあぶく銭
  その時 口をきかぬおまえの淋しさが
  突然私にも聞こえる


異国の地で娼婦として生きたヘレン、ビザの書き換えのために何度も帰国していたそうで、その郷愁がいかほどだったかはあずかり知ることはできませんが、外見が華やかであればあるほど心の底の淋しさは暗く深くなるのでしょう。

 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
  エレーン その答を誰もが知ってるから 誰も問えない


絞り出すように歌われ、このアルバムのタイトルも入っているこの二行が『エレーン』のサビですが、ヘレンの境遇を知るとさらに強烈な淋しさに打たれますね〜。アルバム《生きていてもいいですか》の発売は1980年、このタイミングはまさにバブル前夜で、中島みゆきは数年後(1983年ごろからとされています)に流行語にまでなる「ジャパゆきさん」という主にフィリピンからの出稼ぎ女性たちが定着する少し前のタイミングを垣間見ていたんですね。同時に、1970年代後半にすでに警察当局が外人娼婦増加の傾向を掴んでいたというのもなかなか興味深いです。

 流れて来る噂はどれもみんな本当のことかもしれない
  おまえは たちの悪い女で
  死んでいって良かった奴かもしれない

  けれどどんな噂より
  けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は
  笑わずにはいられない淋しさだけは真実だったと思う


歌詞に<真実>というムズカシイ単語をここまで違和感なくぶっこめる人材は少ないでしょうね。状況が酷くなりすぎるともはや笑うしかない・・・ということを知識として知っていても実体験としてピンと来ない方々も少なからずと思います。それはホントに喜ばしいことでして、ここで「オマエは本当の苦しさを知らない未熟者だ」とかなんとかマウント取る輩はてめーの方こそ未熟者ですナw

 今夜雨は冷たい
  行く先もなしにおまえがいつまでも
  灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
  ひとつずつ のぞいてる

  今夜雨は冷たい


娼婦はあくまでも日陰者で暖かで和やかな屋内に入ることは決してかなわない存在、そしてエレーンの置かれた屋外には中島みゆきの舞台装置に欠かせない降りしきる冷たい雨。このエレーンの行動は他でもなく徒労で、日陰者が置かれる淋しく虚しい境遇の象徴として秀逸と思います。そしてリフレインの<今夜雨は冷たい>がグ〜ッと来ますな。

 街は回ってゆく 人1人消えた日も
  何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
『永久欠番』1991年)

大多数の市井の人々の存在なんつ〜のは、いろいろとキレイごとは並べられますけれど、案外とこんなモン。まして1970年代後半の外人娼婦なんて、そもそも「いてはならない/消えねばならぬ存在」だったんですよね。ある日の夜明け前に洗濯室でヘレンを久しぶりに見かけて声をかけた中島みゆき、珍しく沈んだ様子にどうかしたのかと訊ねたところ・・・普段と違う異様なまでに強い目をして「これがあたしの、ふつうの顔なのよ」と返されてきたそうな。ヘレンが殺害されたのはそのほどなく後で、情報もなく迷宮入りになった由。

 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
  エレーン その答を誰もが知ってるから 誰も問えない




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2021年12月31日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『百九番目の除夜の鐘』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

いよいよ本年(2021年)もおしせまりまして、中島みゆきの『百九番目の除夜の鐘』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。イヤ実は年越しの除夜の鐘に間に合わなさそうで名実ともに『百九番目の除夜の鐘』になりかねなかったのですが・・・間に合ってヨかったんだかワルかったんだかwww

『百九番目の除夜の鐘』は、2008年11月から2009年2月にかけて上演された《夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』》のために書き下ろされた曲で、2009年発売のアルバム《DRAMA!》に収録されています。このアルバム《DRAMA!》は、ミュージカル『SEMPO 〜日本のシンドラー 杉原千畝物語〜』に提供した曲から選んだ前半6曲と、夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』(2008年 - 2009年)、夜会 VOL.16『〜夜物語〜本家・今晩屋』(2009年)で歌われた書き下ろし曲から選んだ後半7曲との計13曲からなっています。

 百九番目の除夜の鐘 鳴り始めたならどうなろうか
  百九番目の除夜の鐘 鳴り止まなければどうなろうか

除夜の鐘というのは108という煩悩の数だけ鐘を撞くといわれていますが、由来や意味合いをニワカで調べ始めたらそれらしい説が複数あるようで、こりゃ年が明けちまいます。旧年中に107回撞いて残りの1回を年明けに撞くというのを昔どこぞで耳にしまして、調べたところ107番目が「最後の宣命」で108番目を「最初の警策」というとか。「最初の警策」は新年の最初に煩悩にまどわされないようにつかれるそうで、う〜ん、それだったら煩悩は107なんぢゃないのかなぁとかなんとかツッコミたくなったのですが、そっっっか、年明けに撞かれる108番目が煩悩の一つめなのか。それじゃ〜『百九番目の除夜の鐘』という概念は次の除夜の鐘の1番目、という怪釈もできそうですが、まぁ流石にそりゃないか〜w

 このまま明日になりもせず このまま来生になりもせず
  百と八つの悲しみが いつまでたっても止みもせず

「ゆく年」と「くる年」とが「除夜の鐘」で切り分けられるのが既定路線であっても、その境界領域近傍に怪しいナニかがうごめいていてナニかしら悪さを仕掛けてくるのが中島みゆき的な世界。自らが抱えていた<百と八つの悲しみ>が帳消しにされず<明日>や<来世>に持ち越されてしまうのはご勘弁願いたいのはヤマヤマですが、実はその「持ち越し」こそが輪廻転生の本質なんでしょうね。それにしても百九番目の除夜の鐘で不安定な時空から出られないとなると、か〜なりコワいですね〜。そもそも『百九番目の除夜の鐘』という着想自体が「向こう側」で、なんともタマらないとも。

 裏切り前の1日へ
  誓いを戻せ除夜の鐘

あぁ、ナルホド、そういう観点もあるんだなぁと。コレ、失恋前後、コロナ前後、東京大運動会前後(覚えてます?)、行く年来る年、それぞれの立場やら環境やらに応じて何が連想されるかが全く違うワケで、これこそが抽象化による解釈の多様化であって詩の醍醐味なんでしょうね。音楽でも言葉がない器楽だとさらに抽象化されていますが、それだとあまりにもよりどころがなくて多様化どころの騒ぎではなくなってしまうという。言葉を使わぬ器楽はなかなかに大変なのでありま〜す(*´-`)

 前の生から次の生 今居る生へ
  浮橋に誓いをつなげ除夜の鐘

既定路線が安心安定なのは確かですが、境界領域の<浮橋>的な危うさ怪しさこそが偶然性に基づくまさかの多様性を生んでいるのだろうなぁと。コロナに振り回されっぱなしなこの2年間、この<浮橋>の対岸はまだまだ見えそうになくまたまたヤヤこしい雰囲気になっていますが、そこそこの活動ならば状況を理解していればまぁできないワケでもないんですよね〜。もうじき明ける新年に・・・

 浮橋に誓いをつなげ除夜の鐘



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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