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カテゴリー「音楽>YouTube」の312件の記事

2020年12月 2日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『雪傘』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『雪傘』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『雪傘』は2008年に発売された工藤静香のシングル《NIGHT WING/雪傘》のための1曲です。静かに独りつぶやくような淋しく切なくまことに哀しい唄で、中島みゆきは2010年発売の自身のアルバム《真夜中の動物園》でセルフコピーしています。『雪傘』《真夜中の動物園》ではラスト『愛だけを残せ』の前に置かれていますが、アルバムのラストへの道しるべとして秀逸な一曲と思います。この曲も転調の妙が素晴らしく、まずイントロがロ短調なのに一瞬でロ長調に変わる唄い出しが光ります。そこからニ長調に移るのはまぁ普通なのですが、ラストのラスト、ニ長調で万感の想いを込めて語り終わった刹那、後奏で「ふっ」とヘ長調にすべりこむのがもぅキュン死ですよ〜〜〜〜。

最初から最後まで人類が厄介な疫病の前に屈したこの2020年、こんなやるせない状況を自分の誕生日に語るためにふさわしい曲だと思って選曲したのですが、耳コピしていても弾く稽古をしていても沸き上がってくる無念さを抑えるのがことのほか難しく、たびたび中断を余儀なくされました。詩がしっくりきてしまうというのはなかなかに怖いことでしたが、それでもなにやら救われる感じにしてもらえるのは中島みゆきの力なのでしょうか、詩の力なのでしょうか、音楽の力なのでしょうか。是非ともこの『雪傘』『荒野より』とを併せて味わっていただければと思います。

 迷惑でなければ傍にいて  車を拾うまで雪の中
  これきりと心で決めている私の  最後のわがまま聞いてね
  灯り溢れる窓からは  疑いもしない歌がこぼれ来る
  「Happy Birthday 今日の主役は何処?」
  誰かが気づいて探しに来るまで
  雪傘の柄に指を添えて
  思い出を返しましょう


『雪傘』の1番です。雪の降る日、相手の誕生会にそっと別れを告げにきた主人公。限りない哀しみに満ちているのは確かですが、同時になんとも静かで美しい情景ですね。あくまでもひとときの情景に過ぎないのですがさまざまな感興を呼び起こしてくれますし、最後の<雪傘の柄に指を添えて 思い出を返しましょう>のまぁなんとも美しいこと。この情景からして<雪傘>とは相手が主人公にさしかけている傘のことで、その柄に指を添えるということは相手の手に指を添えているひとときに他ならないんですね。ちょ〜っとウルウル来ませんこと?

 足跡消しながら後ずさる  雪の上逃げる小ギツネみたいに
  小枝の代わりに嘘を抱いて  思い出消しながら遠ざかりましょう

  「Happy Birthday」
  今日を祝う人が居てくれたのなら  安心できるわ
  いつまで1人ずつなんて良くないことだわ  心配したのよ
  雪傘の柄に指を添えて
  ゆく時を聞いている


2番です。部屋の中にはすでに相手の誕生日を祝う人が居るのでしょう。それに対して<安心できるわ>と語るのは、主人公が最後まで相手を優しく思い遣る気持ち、否、精一杯の強がりなのでしょうね。<小枝の代わりに嘘を抱いて 思い出消しながら遠ざかりましょう>ですから、<思い出を消す>のも<安心できるわ>も、そして相手に別れを告げることも、全て主人公の嘘。そりゃまぁ当然のことで、このような状況で未練がなかろうハズがございませんわ。

 ありとあらゆる悲しいことから
  あなたが守ってくれていたんだね
  当たり前のように暮らした  あの頃
  アリガトって伝え忘れたね


3番、まさに起承転結の「転」のお手本のような一連ですね。大切ななにかこそ失ってはじめて存在の大きさを知る、というのは古来言い古されてきた真理ではありますが、それをこんなに短い一節に込められるとは。静かな静かな『雪傘』ですが、この短い一節に込められた激情たるや、まさに万感の想いというにも足りぬ、ほとばしり出る強い強い想いであります。

 「Happy Birthday」
  今日を祝う人が居てくれたのなら  安心できるわ
  いつまで1人ずつなんて良くないことだわ  心配したのよ
  雪傘の柄に指を添えて
  ゆく時を聞いている
  思い出全部  アリガト


厄介な疫病のために人類が失ったものは計り知れず、それはあらゆる人が人生を根本からひっくり返されてしまったほどの衝撃で、今なおとどまるところを知らないですね。既に指摘されていることではありますが、これって実は、従来いわゆる「人類の繁栄」とされてきたシロモノがきわめて脆弱だったことが明るみに出たということではないでしょうか。いわゆる「人類の繁栄」とは基本的に経済的物質的な繁栄だった(過去形にしますぞ)と思いますが、そのような「目に見えやすい何か」は多分に表面的な存在であって儚いものだというのもず〜〜〜っと指摘され続けていますよね。

 かんじんなことは、目に見えないんだよ(サン・テグジュペリ『星の王子さま』1943年/内藤濯訳)

まことに僭越ではありますが、今般の厄介な疫病によって断ち切られてしまった全てのつながりそして「目に見えない大切な何か」のために、この演奏を贈りたいと思います。

 思い出全部  アリガト



もう一本、この厄介な疫病による混乱当初に出演したオンラインコンサート『OLOL2020』で、「目に見えない大切な何か」について中島みゆきの詩と音楽を借りて語りました。併せてご覧くださればと思います。

2020年10月30日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『荒野より』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『荒野より』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『荒野より』は2011年に発売されたアルバム《荒野より》の口開けの曲です。アルバムの1曲めにふさわしい、前向きな推進力と堂々たる決意表明とを併せ持った歌詞なのですが、コレ、音楽的に両立させるのはなかなか厄介でして。ここでポイントになるのは強〜烈に揺るぎないテンポ設定で、これぞスタジオミュージシャンたちの面目躍如。CDで聴ける決してスピード感を前面に出さずに完璧にメトロノーム的なテンポ設定は見事の一言で、少しでもスピードが速くても遅くても速くなっても遅くなってもこの揺るぎなく堂々と厳しくたゆまず進み続ける雰囲気はにじみ出なくなってしまいます。コレって〜、ユルく揺らぎだらけな音楽ばかりやっているワタクシにとって〜、めっちゃ鬼門なんですね〜ヽ( ̄▽ ̄)ノ

 僕は走っているだろう  君と走っているだろう
  あいだにどんな距離があっても
  僕は笑っているだろう  君と笑っているだろう
  あいだにどんな時が流れても


サビへの導入のこの部分、加速度的に社会的分断が進んでいるところに厄介な疫病が蔓延している2020年現在の我々にズバッと刺さってきますね〜。会いたい人に会えず、仲間と集まろうとしても集まれず、というこの状況がいつまで続くか見当もつかない現在、人と人との間にあるのはつながりではなく、果てしない<距離>と<>ばかりになってしまいました。それでも<>は<>と共に走り共に笑っているという、この姿はまことに美しく気高いですね。中島みゆきの音楽は毒なばかりwでなく、強い強いメッセージなのです。

 望みは何かと訊かれたら  君がこの星に居てくれることだ
  力は何かと訊かれたら  君を想えば立ち直れることだ


『荒野より』の出だしはこのように始まります。<君がこの星に居てくれる>だけが望みで、<君を想う>だけで力が湧いてくるとは、なんといういさぎよさでしょうか。果てしない距離と時が間に立ちふさがっていても、このように強い信頼そして愛があればこその人間の強さではないでしょうか。ただ単純に「強い」だけではそれよりも強い何かに脆くも負けてしまいますが、真に意識を共有できる対象の象徴たる<>がいれば、そこに「粘り」という不思議な助太刀が現れるのでしょうね。はて、みなさんにとって、<>とは? 人とは必ずしも限らないですよね〜。

 朝陽の昇らぬ日は来ても  君の声を疑う日はないだろう
  誓いは嵐にちぎれても  君の声を忘れる日はないだろう


2番はこのように始まります。君の声>に対する無限の信頼そして愛、この閉塞しきって人間が我を失ってしまっている今を生き抜かねばならぬ我々に向けられた輝かしいメッセージですよね〜。我々に生命がある限りこの厄介な疫病から逃れるすべはございませんで、そのため少しでも他者とのつながりを薄くしなければならぬ・・・というそもそもの人間活動を否定されている現在の状況、まさに<朝陽の昇らぬ日>であり<誓いが嵐にちぎれた>状況であるように思えます。それでも疑わないのは<君の声>で、忘れないのも<君の声>。<君の声>とはこのように信頼できる存在の象徴であって、その存在さえあれば人は無敵になれるのではないでしょうか。ここで思い出すのは、やはり『二隻の舟』の一節。

 おまえとわたしは たとえば二隻の舟
  暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
  互いの姿は波に隔てられても
  同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟
『二隻の舟』1992年)

世の中が<荒野>となってしまった現在、一人の人間としてどのように敵(=疫病だけではなく、疫病に惑わされて我を失ってしまっている世間の姿)に屈せずに自らの尊厳を守り続けられるのかが問われていると思います。厳しいと言えばあまりにもあんまりにも厳しいのですが、その厳しい環境の居心地を少しでもわずかでも良くできるのは、ひたすらに藝術であります。我田引水とおっしゃらないでネw

 あらゆる藝術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(夏目漱石『草枕』1907(M40)年)

『荒野より』は、現在を生きる我々へ中島みゆきそして藝術が向けてくれた、強く厳しく愛にあふれる応援歌です (`・ω・´)

 荒野より君に告ぐ  僕の為に立ち停まるな
  荒野より君を呼ぶ  後悔など何もない


2020年10月26日 (月)

Samuel Jackson (1818-1885)『38 Voluntaries, op.122』の第4巻の第4曲を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使った動画4発めです。10/14の上州行脚はなかなか効率良かった模様(^^)v

イングランドからアメリカに移ったオルガニスト、Samuel Jackson (1818-1885) による4巻からなる『38 Voluntaries, op.122』の第4巻の第4曲を弾きました。このベル社のリードオルガンは長い(=低い)16フィートのストップが低音側だけでなく全音域にわたって使えるのが特徴で、この曲では16+8+4フィートで豪華に鳴らしてみました(・o・ゞ

Jackson は7歳でアメリカに渡り、今でも続いている大手出版社シャーマーの校正係として結構長い間勤めていました。なお。この『38 Voluntaries, op.122』はシャーマーから出版されています。この時代は世の中に存在する音のうち蓄音機以外のほぼ全てが生音であり、生楽器の需要は現代とは考えられないほど多かったのでした。ということは、この時代は Jackson のような「普通の」音楽家がそれこそそこら中で活躍していた時代で、機械に人間が使い倒されるばかりの現代とは違って人それぞれが個性的な能力に応じて幅広く活躍できた時代だったんですね〜 (*´-`)

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2020年10月20日 (火)

Salomé (1834-1896) 『Pendant l’office』を構成する「8 Offices ordinaires」の中の第2「8 Offertoires」の第1曲を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、パリの作曲家、Théodore César Salomé (1834-1896) の『Pendant l’office』を構成する「8 Offices ordinaires」の中の第2「8 Offertoires」の第1曲を弾きました。かなりヤヤこしい構成ですんません(・o・ゞ

Pendant l’office』は100曲からなるハルモニウムや小型オルガンのための小品集で、大きく2つのセット「8 Offices ordinaires」と「2 Offices funèbres」がメインとして構成されています。

・前半に「8 Offices ordinaires」が、それぞれ8曲からなる5つのセットPréludes d'entrée」「Offertoires」「Elévations」「Communions」「Sorties」で合計8×5=40曲
 それに加えてそれぞれ5曲からなる小品集ハ長調、ニ長調、変ホ長調、へ長調、ト短調、ハ短調、ニ短調、ホ短調、が8集で合計5×8=40曲

・後半も「2 Offices funèbres」が、それぞれ2曲からなる5つのセット「Préludes d'entrée」「Offertoires」「Elévations」「Communions」「Sorties」で合計2×5=10曲
 それに加えて3曲からなる小品集イ短調、2曲からなる小品集ホ短調、3曲からなる小品集ト短調、2曲からなる小品集ニ短調で合計3+2+3+2=10曲

その結果、40曲+40曲+10曲+10曲で100曲、めでたしめでたし (*´-`)

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた遊び程度の楽器、というリードオルガンのイメージ(ですよね?w)とは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2020年10月17日 (土)

Eugene Thayer(1824-1896)『礼拝のための前奏曲 へ長調』を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」では、カナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)が入館料(200円)だけで弾き放題です。自治体関連のハコモノに納入された少し珍しい楽器はえてして担当が変わるたびに疎まれる存在となり、いつしか見て見ぬ振りをされて人知れず朽ち果てる・・・という残念な現実があります。「童謡ふるさと館」の鍵盤楽器たちも似たような状況でしたが、運良く識者に再発見されて2018年前半に2台がなんとか復活を遂げました。

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

Eugene Thayer/ユージン・セイヤー(1824-1896)は、アメリカのオルガニスト・作曲家。1870年に『The Art of Organ Playing』5分冊を刊行し、さらに1874年から1877年まで『Organist’s Quarterly Journal』を刊行しています。この動画で弾いている『Service Prelude in F(礼拝のための前奏曲 へ長調)』は、『The Art of Organ Playing』の補遺として自身を含む種々の作曲家の作品を集めて3分冊で刊行された『Organ Music for Church Service』の第1巻の第9番です。

2020年10月15日 (木)

Waňaus (1837-1893)『ハルモニウム教本 op.20』第2章「三声のための小練習曲集」から第20曲「コラール ロ長調」を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

昨日(10/14)ひさびさに出向いた、わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、ボヘミアの作曲家、Johann Waňaus(1837-1893) の『ハルモニウム教本 op.20』の第2章「三声のための小練習曲集」から第20曲「コラール ロ長調」を弾きました。この『ハルモニウム教本 op.20』は1879年にドイツの Braunschweig の Henry Litolff’s Verlag から出版されていますが、残念ながら作曲者の Waňaus(ワニャウス)についての詳細情報は生没年しか見つけられず。『ハルモニウム教本 op.20』所収の曲はあくまでも教則本用なので大半が非常に短いのですが、このロ長調のコラールは比較的充実しています。

Waňaus は Smetana の『売られた花嫁』の旋律を用いたハルモニウム編曲, op.24 (Prague, Urbánek, 1883) など、ハルモニウムのための曲を数多く書いており、また『子どもの頃から, op.17』など2台ピアノ用のオリジナル曲を少なくとも4曲書いていることはかろうじて突き止めました。ちょっとおもしろそうなのは『スメタナの主題による三重奏曲, op.30』で、なんと編成が、ヴァイオリン&ピアノ&ハルモニウムという(・o・ゞ

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

言い古されたハコモノ行政の問題、自治体関連のハコモノに納入された楽器はえてして担当が変わるたびに疎まれる存在となり、売りつけたw業者の方も面倒なので売ったらほったらかし、いつしか見て見ぬ振りをされて人知れず朽ち果てる・・・という残念な現実があるようで。まぁこれは行政に限らず、同じように放置されて朽ちるに任されている楽器は決して少なくないようです。「童謡ふるさと館」の鍵盤楽器たちも似たような状況でしたが、運良く識者に再発見されて2018年前半に2台がなんとか復活を遂げました。この機会に音色を紹介できることを光栄に思います! (`・ω・´)

2020年10月 3日 (土)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第10番 op.14-2』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第10番 op.14-2』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

ベートーヴェンのピアノソナタ op.14 の2曲セットであるこの第9番と第10番は比較的易しいとされておりますが、なんのなんの、そうは問屋がおろしませんぞ。初期ピアノソナタの例に漏れずに少ない音数で J.S.Bach のフーガとは全く異なる多声部な構造があるのですから、演奏者は逃げも隠れもできません。この楽章の指定は Andante で2/2拍子、というなかなか悩ましい指定になっています。Andante は日本語の音楽事典では「歩くような速さで」と書かれていてそれ自体は悪くない見識だと思うのですが、受け取る人間の方が Andante を「ゆっくり」であると認識してしまうところに悩ましさの源泉があるような気がします。Andante はメトロノーム的スピード表記では Moderato よりゆっくりな位置に置かれていますが、これって Andante に「ゆっくりめ」という先入観を与える元凶である気がしてなりません。

Andante は伊太利亜弁ですから、伊太利亜弁でどのようなニュアンスである/あったのかを知るのは意味あることと思います。Andante の元となった動詞の「Andare」は「前に進む」というニュアンスを持ち、「andante」には「ごく普通」とか「まあまあ」という感じですが「moderato」という「イイ感じの普通」よりわずかに劣ったニュアンスが含まれるとのことです。とすると、「まぁまぁちょうど良い感じであくまでも前に進む感じを忘れずに」のようなテンポ感が求められているのではないかなぁとかなんとか (*´-`)

なんのこっちゃ〜とお思いかも知れません(自分でもそう思いますわw)が、そもそもテンポにしてもその他もろもろにしても表現意図と独立して存在するものではなく、てめぇがどんな Andante にしたいのかを抜きにして決められるシロモノではございません。表現意図と乖離した「お勉強」なんてまるっきり有害無益、表現意図さえしっかりしていれば自分に都合の良いお勉強をすりゃ充分・・・というのは極論ではありますが、稀代の大作曲家たちの作品を自分のレベルにまで引きずり落として楽しもうとしているのですから、所詮はそんなモンかと。とほほ ヽ( ̄▽ ̄)ノ

2020年10月 1日 (木)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第9番 op.14-1』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第9番 op.14-1』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

ベートーヴェンのピアノソナタ op.14 の2曲セットであるこの第9番と第10番は比較的易しいとされておりますが、なんのなんの、そうは問屋がおろしませんぞ。初期ピアノソナタの例に漏れずに少ない音数で J.S.Bach のフーガとは全く異なる多声部な構造があるのですから、演奏者は逃げも隠れもできません。この Allegretto で落ち着いているかに見える第2楽章ですら、かなりきっちりと独立した司令が出せないと手も足も出ないんですね〜 (*´-`)

長い長い時間の淘汰を乗り越えてきた「古典」という人類の財産は、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」を備えていますが、同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えています。このような楽章を「それっぽくできるかどうか」こそが音楽の理解力の試金石なのであって、指がまわるとか音がそろえられるとかは理解した音楽を楽器で奏でるための「方便」にすぎないのでありま〜す(`・ω・´)

ベートーヴェンの時代のピアノのアクションはウィーン式アクションとイギリス式アクションに大別できてイギリス式アクションが現代のピアノと直結しているのですが、実はベートーヴェン自身はウィーン式アクションのピアノの方を好んでいたのです。この1894年製ベーゼンドルファーとベートーヴェンがまだ生きていた1820年代のウィーン式ピアノを同じ空間で弾き比べる機会があったのですが、なんと音も響きもそっくりでノケぞりました。さすがは時間が止まっているウィーンの楽器、いわゆる「ウィンナトーン」ってぇシロモノはシェーンベルク(1874-1951)が生まれ育った時代まであまり変わっていなかったんですね〜(・ω・ゞ

2020年9月29日 (火)

W.HOFFMANN プロフェッショナル WH114Pで、フィビヒ/『気分、印象そして追憶』から、op.47-138を

ベヒシュタインのセカンドブランド、ホフマンはチェコのベヒシュアイン・ヨーロッパで作られています。そのプロフェッショナルモデルWH114Pを、千歳烏山のベヒシュタイン・ジャパンで録りました。114cmはアップライトピアノでもかなり小さなタイプです。このような小さなアップライトピアノは入念な設計だけでなく製造工程でもしっかり気を遣わないとバランス良い楽器は産み出せない印象がありますが、さすがはベヒシュタインのブランド、現代的な楽器として適度にまとめられていました。

フィビヒ/『気分、印象そして追憶』から、op.47-138 Andantino
フィビヒはチェコの作曲家で、最近ようやく名前を耳にするようになってきました。376曲もの一大小品集『気分、印象そして追憶』の中から、牧歌的な雰囲気あふれる曲を選んでみました。

  *ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)のチャンネルです
  ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
  http://www.piapit.com/repair.html

2020年9月28日 (月)

Hugh Blair の「12 Short Voluntaries for the Organ, American Organ or Harmonium」から、『Introductory Voluntary』を、100年前の大型リードオルガンで

イギリスのオルガニストそして作曲家の Hugh Blair(1864-1932)が1909年に出版した「12 Short Voluntaries for the Organ, American Organ or Harmonium」から、『Introductory Voluntary』を、ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで弾きました。

Hugh Blair はイギリスの Worcester(ウスター、ウスターソースのウスターです^^)の聖職者の家の生まれ、同郷の Elgar と親交があり、まだまだ無名だった頃の Elgar のオルガンソナタの初演者だったりします。この時代はまだまださまざまな鍵盤楽器が時と場合に応じて「普通の楽器」だった時代で、小さなオルガンのための作品集が星の数よりまだ多いwほどの作品が日々生み出されて出版されていたんですね〜。ということは玉石混交で石の方が多くなることもまた事実だったりして、ネット上の中古楽譜探索は常にバクチでありま〜す (`・ω・´)

「豊かさ」とは価格の軸だけでなく、多様性という軸でも考えて欲しいなぁといつも思います。初めての土地の食堂に入って見たことのないメニューを見たら、それを発注したくなりませんか? とは言え、チェコ語しか書いてないメニューで知らない単語のスープを発注したらナンの変哲もないクラムチャウダーが出てきた経験もございますのでコレもバクチな気もしますがw ヽ( ̄▽ ̄)ノ

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