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カテゴリー「音楽>YouTube」の288件の記事

2020年7月13日 (月)

クレメンティ『ソナチネ op.36-4』から第2楽章を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、クレメンティ(1752-1832)の『ソナチネ op.36-4』から第2楽章を弾きました。

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻には小品が70曲おさめられており、なかなか感じ良くリードオルガン用に編集されているように思えます。クレメンティの『ソナチネ op.36-4』の第2楽章をオリジナルの変ロ長調から変イ長調に移調して、オルガンで演奏するために効果的な変更を随所に行っているのがこの動画で弾いている第28番『Andante con espressione』です。

修復は例によって達人の渡邉祐治氏。腕の立つ職人たちが寄ってたかってきっちり作っていた昔の品物はやたらと長持ちするものですが、それをその通りに愚直なまでに丁寧に時間をかけて修復する根気は本邦随一とさえ思わされ圧倒させられます。

・リードオルガン修復:渡邉祐治
https://www.youtube.com/channel/UCSiix1iGPuO6XR54th_BjHw

2020年7月10日 (金)

R.D.Klaafman作曲(?)による『Communion』を「おぶせミュージアム・中島千波館」のヤマハ1923年製リードオルガンで

R.D.Klaafman作曲(?)による『Communion』を、YAMAHAの1923年製リードオルガンで弾きました。納品に立ち会って動画を録らないワタクシではございませんで (`・ω・´)

このリードオルガンは栗で全国的に有名な長野県小布施(おぶせ)町の「おぶせミュージアム・中島千波館」に2020年7月に納入された楽器で、例によって群馬県館林の渡邉祐治さんによって完全修復、見事によみがえっています。世の中にあまたある「大切な品物だから鍵をかけてしまっておく」という、管理側の都合ばかりを優先させて楽器としての意味を全く無視する姿勢ではなく、流行りのストリートピアノがごとく自由に音を出してもらって愉しんでほしい、というおぶせミュージアムの姿勢はまことに素晴らしく尊いと思います (`・ω・´)

この曲の作曲者の R.D.Klaafman は記録がほとんど残っていない作曲家で、唯一、1900年ごろにロンドンのナイチンゲール社が出版した『St. Paul’s Voluntaries for American Organ or Harmonium』4分冊の第2巻の作曲者としてのみ記録が残っているようです。ワタクシ、たまたまこのナイチンゲール社の第2巻を入手したのですが、なんと「Copyright, MDCCCXCIX, by Frank Dean & Co.」と別の出版社による1899年の著作権表記があります。なお、この動画の『Communion』は第2巻の第5曲です。

この R.D.Klaafman で検索をかけてみると、YouTube上に Peter Tyor 氏が『Communion』の次の第6曲『Pastorale』を上げた動画で興味深い説を展開しているのを発見できました。R.D.Klaafman という綴りはオランダ系に感じられますが、コレ、イギリス人オルガニストでやはり教会系のオルガン曲やピアノ曲を出版していた Frank Adlam(1785-1929) のアナグラムであり、おそらくは筆名であろうと。

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な〜るほど『St. Paul’s Voluntaries for American Organ or Harmonium』は、第2巻以外の3巻が全て Frank Adlam(1785-1929) の作曲、といういかにも不自然な姿ですし、なにやらイギリスらしい「この程度がわからないようぢゃネ、ふふふ」といういぢわるさwも感じられて、かなりの説得力を感じます。お説採用!(*´-`)



*参考 - Peter Tylor 氏による動画
“R. D. Klaafman (Frank Adlam), "Pastorale" - pipe organ, St Mewan Church” by Peter Tylor

2020年7月 7日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『悪女(シングル版)』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『悪女』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『悪女』は1981年10月発売のシングルA面、オリコン週間ヒットチャート第1位を飾ったまさに大衆的名曲です。どクラシックガチガチだったワタクシですら唄い出しの「んまぁりこのへぇやへぇ〜(チャカチャ~ン)、んでぇんわをかぁけてぇ〜(チャカチャ~ン)、」という独特の語り口が耳にこびりついているほど、それこそそこら中でかかっていましたモンね〜。『悪女』は1982年3月発売のアルバム《寒水魚》の冒頭にも収録されていますが、耳になじんだアレンジとちがって無理矢理悪ぶっている作りモノっぽさが耳について、ま〜る〜で〜聞いてられないんですよ〜。げに刷り込みとは恐ろしきものなり ( ̄ー ̄)

 マリコの部屋へ 電話をかけて
  男と遊んでる芝居 続けてきたけれど


う〜む、『悪女』というタイトルのワリには、この唄い出しからしていつものフラれて捨てられる中島みゆきのオンナじゃないですか〜σ^_^;

 帰れるあての あなたの部屋も
  受話器をはずしたままね 話し中


この感覚は現代のケ〜タイ時代には完っ全に滅んでしまいましたね〜。つ〜か、現代は音声通話すらしないでラインするんでしょね。あたしゃラインはしないから知らんけどw

 悪女になるなら 月夜はおよしよ
  素直になりすぎる
  隠しておいた言葉が ほろり
  こぼれてしまう 「行かないで」


これぞ有名な、あまりにも有名なサビ。中島みゆきの主人公のフラれ方パターンのひとつで「精一杯強がってみせるけど本音は・・・」ですね。『御機嫌如何』(1987年)が典型的でしょうか。

 涙も捨てて 情も捨てて
  あなたが早く私に 愛想を尽かすまで
  あなたの隠す あの娘のもとへ
  あなたを早く 渡してしまうまで


サビの部分で「ん?」と思った聴き手は2番のココでようやっと腑に落ちるようになっていますが、大ヒット曲の悲しさ、2番のココまでちゃんと歌詞を味わってもらえることは少なかったでしょうw。ワタクシも当〜然そのクチでして、そもそも歌詞に2番があったことすら気づいていなかったのでした。まぁコアなファンでなく流行りモンに乗っかる一般人wは、そもそもそんなもんですわな。

それにしてもこの『悪女』って、耳に残りやすく覚えやすい単純さと飽きさせない複雑さとが絶妙にブレンドされたメジャーちぅのメジャーだったんだなぁとあらためて感じさせられました。シングル販売80万枚オーバーの実力は伊達ぢゃなく、有名になってかつ記憶に残る作品にはやはりそれなりの必然性があるのでしょう。時間の淘汰とは残酷なモンで、「知られざる名作」なんつ〜のが常に探されて提案され続けておりますが、結局のところ残念ながらその圧倒的多数が「マニアックな作品」やら何やらの域を脱することができないワケで。そもそも「発掘されて提案されて主張されている」時点で何百周も遅れをとっているのが冷厳な事実で、そんな無理な主張せずに人それぞれの趣向が異なることを再確認しさえすれば、四海波静か(・x・ゞ

2020年7月 4日 (土)

デオダ・ド・セヴラック (1872-1921)『スコラ的小組曲〜ラングドックのカリヨンの主題による』から第4曲「メランコリックなカンティレーヌ」を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、デオダ・ド・セヴラック(1872-1921)の『スコラ的小組曲〜ラングドックのカリヨンの主題による』から第4曲「メランコリックなカンティレーヌ」を弾きました。

デオダ・ド・セヴラックは南フランス出身の作曲家で、音楽の学習こそパリで行いましたが、都会風な雰囲気にイマイチなじめなかったのでしょうか、故郷の村にひっこんで教会でオルガンを弾いていたとされています。ドビュッシーに「土の薫りのする素敵な音楽」と評されたところにその傾向の一端が現れているのでしょうね。

『スコラ的小組曲』は5曲からなる基本手鍵盤のみのオルガンのために書かれた曲で副題に「〜ラングドックのカリヨンの主題による」とあって、span style="color: #ff0000;">ラングドックのとある鐘の旋律を主題の元ネタとして曲を作り上げています。いずれもヘ短調のなにやら物憂げな雰囲気に満ちており、さらにこの第4曲は「メランコリックな」と形容されているだけに雰囲気満点であります。ですが、決して陰鬱にならないところがやはり南寄りの音楽なんだろうなぁ・・・とかなんとか。

セヴラックは作曲をダンディ、オルガンをギルマン、という当代一流の名手に師事しておりまして、どれもこれもなかなかどうして地味に複雑だったりします。できればそんなところばかりでなく。このセブラック節全開の雰囲気が伝わりますように(・o・ゞ

2020年7月 3日 (金)

シューベルト『3つのピアノ小品 D459A』から第1曲「Adagio」を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、シューベルト(1797-1828)の『3つのピアノ小品 D459A』から第1曲 Adagio を弾きました。

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻には小品が70曲おさめられており、その中の第14番『Adagio』としてこの曲の一部分が所収されています。この楽章の随所に聴かれるシューベルトの「歌」は、いわゆる歌曲の歌心とは一風異なっており、いかにも鍵盤楽器に歌わせたい方向性の「歌」である気がしてならないんですわ。アーチャーがそのように感じたかどうかはともかくwとして、リードオルガン用の小品として良くできた編曲だと思います。

原曲のピアノ曲はシューベルトの遺作の例に漏れずに由来が少々ヤヤこしく、表記が一定しておりません。世間的には五楽章からなる『ピアノソナタ D459』の第3楽章、ということにされることが多い印象がありますが、そもそも五楽章からなる「ソナタ」でしかもスケルツォ楽章が2つ入っているってめっっっちゃ破格ではないですかぃ。シューベルトが自筆譜に『ソナタ』と明記していたのは『D459』の第1楽章と第2楽章のみで、シューベルトの没後に出版されたときには単なる『5つのピアノ曲』として出版されており、それはそれで立派な見識と思います。そのため現代のシューベルトの作品目録には『5つのピアノ曲』の第1曲と第2曲が『ピアノソナタ D459』とされており、残りの3曲は『3つのピアノ曲 D459A』とされております。これ以上いろいろと憶測するのはワタクシにとっては全く意味がないのでこれにてストップさせてくださいませ。

・リードオルガン修復:渡邉祐治
https://www.youtube.com/channel/UCSiix1iGPuO6XR54th_BjHw

2020年6月30日 (火)

シューベルト『Originaltänze D365(op.9)』から第1〜6曲を、1941年製ベーゼンドルファー200で

ひさびさにウチのピアノ以外で収録できました〜(*´-`)
若きシューベルト(と言っても31歳で早すぎる死を迎えているのですが)が1821年ウィーンで出版した舞曲集 op.9(D365)から第1〜6曲を、1941年製ベーゼンドルファー200で弾きました。この楽器は故イェルク・デムス大先生が日本での稽古用として持ってきていた楽器とされており、元はサローネ・クリストフォリ成城、今はサローネ・フォンタナで一般の用に供されています。

この楽器、スタイル自体は戦前のベーゼンドルファー200でかつ響板にあるシリアル番号も1941年製を示しているのにペダルが3本・・・というところから、故デムス大先生がご自分の稽古用として3本ペダルに改造させたのではないかなぁと邪推しています(それ以前に改造されている可能性もモチロンございますがw)。本体の塗装と脚の塗装が動画で見ても明らかに異なるところも、改造されたことを示しているように思えます。それはさておき、故デムス大先生はいわゆる「目利き」の権化のような御方でさまざまな逸話がございますが、さすがはご自身がお使いになるための楽器、素晴らしく優秀な戦前のベーゼンドルファー200です。今では多少暴れたり疲れたりしているところもなきにしもあらずですが、それはまぁ一般の用に供されている楽器ですから、多かれ少なかれ仕方がないところですね〜。

シューベルトの舞曲集は当時流行していた実用音楽の寄せ集め的な作品集と同じ性格でして、全曲を演奏会で通して演奏されるということは念頭に置かれていないと言えます。そもそもこの op.9(D365)はなんと36曲ものドイツ舞曲的な舞曲の集合体でして、さしものワタクシもこれを通して飽きさせずに弾き通す蛮勇は持ち合わしておりませんで。・・・繰り返しをほとんど省けばという考えが何度もアタマをよぎったことも白状しますけどw

この第2曲は1821年11月末に出版された op.9 の初版では『Trauerwalzer/哀しみのワルツ』という標題がつけられています。実はこの曲は出版前に既に詠み人知らずのままにウィーンで大流行しており、そこに目をつけてこの標題をつけたんだろうなぁ・・・と推測できます。さらに、op.9 出版の5年後の1826年、なんとまぁベートーヴェン作曲『Sehnsuchtswalzer/憧れのワルツ』としても出版されてしまったというオチすらございまして。1826年と言えばベートーヴェンもシューベルトもご存命のタイミング、著作権意識が牧歌的でのどかな時代だったという証ですね〜。ココであ〜でこ〜で善し悪しを申し上げるのは野暮というモンでしょうw(・o・ゞ

2020年6月29日 (月)

チャイコフスキー『四季、ピアノによる12の絵画的描写 op.37bis』から6月「舟歌」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

チャイコフスキーの『四季、ピアノによる12の絵画的描写 op.37bis』の6月『舟歌』を、いつもの1894年製ウィーン式アクションのベーゼンドルファーで弾きました。な〜んとか6月中に間に合いました(^o^;

ときは1875年末からのこと、ペテルブルクで出版されていた月刊誌『ヌヴェリスト(短篇作家)』上に各月の風物にマッチした詩を選んでその詩の性格に合わせた曲を1年間続けて掲載するという、なかなかイキなコラボレーションがございました。したがって作曲は1875年12月から翌年の11月にかけてという計算になり、チャイコフスキーは毎月の締切に苦しんでいた・・・というのが定説で証言もあるのですが、なんとなんと実は実は1876年の5月に既に最後の12月までが完成されていたことがわかっています。ですからこの定説はくつがえされ、証言も偽りであった可能性が高いのでありま〜す(・o・ゞ

この12ヶ月分をまとめて出版したのが、この『四季、ピアノによる12の絵画的描写 op.37bis』で、チャイコフスキーの天才的な音楽での情景描写力がいかんなく発揮されている素晴らしい曲集だと思っています。嬉しいというか困ったというか、チャイコフスキー先生ってばさまざまな楽器の音色や表現力を一台のピアノに見事に詰め込みやがりましてw、その結果、極めて高度な色彩豊かな表現力が演奏者に強要されているのです。エラいこっちゃで(^^;;;;;

1876年当時ロシアはまだ旧暦を使っていたので現代の季節感と1ヶ月ずれているとのことですが、そもそも日本人であるワタクシにはペテルブルクの季節感なんぞ皆無なので逆に無問題。「舟歌」とくればクラシック音楽な世界ではヴェネツィアのゴンドラの歌と相場は決まっているwのですが、この曲はロシアの詩人が描いたロシアの風物に対して作られた曲ですから、ヴェネツィアのゴンドラを念頭に置きつつあくまでもロシアの岸辺がイメージされていることぐらいの妄想力はハタラかせたいものですね〜 ヽ( ̄▽ ̄)ノ

2020年6月23日 (火)

Waňaus (1837-1893)『ハルモニウム教本 op.20』第2章「三声のための小練習曲集」から第12曲「コラール ハ短調」を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、ボヘミアの作曲家、Jan Waňaus(1837-1893) の『ハルモニウム教本 op.20』の第2章「三声のための小練習曲集」から第12曲「コラール ハ短調」を弾きました。この『ハルモニウム教本 op.20』は1879年にドイツの Braunschweig の Henry Litolff’s Verlag から出版されていますが、残念ながら作曲者の Waňaus(ワニャウス)についての詳細情報は生没年しか見つけられず。『ハルモニウム教本 op.20』所収の曲はあくまでも教則本用なので大半が非常に短いのですが、このハ短調のコラールは比較的充実しています。

Waňaus は Smetana の『売られた花嫁』の旋律を用いたハルモニウム編曲, op.24 (Prague, Urbánek, 1883) など、ハルモニウムのための曲を数多く書いており、また『子どもの頃から, op.17』など2台ピアノ用のオリジナル曲を少なくとも4曲書いていることはかろうじて突き止めました。ちょっとおもしろそうなのは『スメタナの主題による三重奏曲, op.30』で、なんと編成が、ヴァイオリン&ピアノ&ハルモニウムという。ですが、Waňaus は同じ編成の曲をもう一曲書いており、また、実は19世紀後半にはハルモニウムとピアノの両方を用いたオリジナル曲も編曲もかなりの量が出版されていることを考えれば、編成自体が珍しいワケではなかったことも間違いなさそうです(・o・ゞ

2020年6月19日 (金)

チャイコフスキー『子供のアルバム op.39』から第24曲「教会にて」を、100年前の大型リードオルガン&1894年製ベーゼンドルファーで

ウォルター・ヘンリー・ルイスの『休日の鍵盤愛好家のための曲集 〜あらゆる機会のために〜』(1914年)には小品が36曲おさめられておりますが、実は玉石混淆で弾き手の理解力が問われるのはココだけのハナシw。その中からチャイコフスキーの『In the Church』を、ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで弾きました。

原曲はチャイコフスキーの『子供のアルバム op.39』の最後、第24曲「教会にて」です。この原曲の英訳題名は “In Church” で、編者はナゼか the を付け加えて "In the Church" としていますが他はとくに目立った改変は行っておらず、まぁおそらく伝言ゲームが発動されたにすぎないのかなぁと。

『子供のアルバム op.39』は、当時7歳の甥っ子に捧げられています。この曲集、教会に始まり教会に終わっているのがなるほどで、しかも7歳の子供が出会うであろうさまざまな日常の情景描写はさすがのチャイコフスキー、見事の一言です。この『教会にて』は教会ですから当然ながら徹頭徹尾オルガン的な表現にあふれており、響きの良い楽器で息をあまり使わずに静かに弾くと素晴らしい雰囲気が出ますよ〜(・o・ゞ

にしても、この楽器のてっぺんが顔文字に見えてしまって、しばらくニヤニヤが止められなかったワタクシってば(・x・ゞ



ピアノもリードオルガンも鍵盤楽器ではありますが、当然ながらそもそもの性格が異なりますから得意不得意も向き不向きもございます。そしてそこには弾き手という人間が必ず介在しますから、ハナシがやたらと複雑になりオカルトも介在しやすくなります。この複雑さこそが芸術の愉しさでして、「ピアノだから〜」とか「リードオルガンだから〜」とか単純に割り切ってしまうのはもったいないと思います。複雑な系を単純化することは理解するためにある意味必要ではありますが、その単純化の過程で必ずナニかが抜け落ちることを忘れてはならないでしょう。なかなか厄介な永遠の課題ですよね〜〜〜 (`・ω・´)

2020年6月16日 (火)

服部克久『Le Rhône 〜ル・ローヌ(河)〜』を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

つい先日2020年6月11日に83歳で亡くなった日本の音楽界のサラブレッド、服部克久(1936-2020)のおそらくは代表作の一つ『Le Rhône 〜ル・ローヌ(河)〜』を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。合掌。

本当にデキる方々の仕事量そしてスタイルの使いわけの多彩さってハンパなく、コミックソングの範疇に入りそうな『すごい男の唄(1987年)』も服部克久の作曲だったのにノケぞった覚えがあります。この『Le Rhône』は服部克久のライフワークたる『音楽畑』シリーズ第3集(1986年)所収、インストゥルメンタルな心地良〜く優しい世界観は、自分にとってある意味理想の音楽の姿だったりします。

「なんとなく居心地が良い雰囲気」やら「雰囲気が一変する感じ」やら「敵が潜んでいるかもしれない雰囲気」やらを察知する能力って、数億年にわたって生き物の血に受け継がれてきた能力ですよね。単純に申し上げてそれに気づけなかった鈍クサいやつらは殺られてきたワケで、実は我々は等しくハンパでない感覚の持ち主だったりするのでありま〜す(・ω・ゞ

現代人は幸いにも自然界のマジで厳しい弱肉強食の世界に置かれていませんから、「見えない敵を雰囲気から察知する」という高度な空間能力を発揮せずとも生きのびられます。それならば、敵に襲われる心配なく「なんとなく居心地の良い雰囲気」をのんびりと愉しんでしまってもバチは当たらないかと。人間が「心地良い」と思う感覚って生き物が長い長い進化の過程で積み重ねてきたいわば「肌感覚」という「本能」レベルの感覚、いかにデジタルやらオンラインやらテレワークやらが進化したと言ってもそうそう簡単に置き換えられるようなものではないと思うんですね〜。この動画はあくまでもYouTubeで「ナマ」でないのがめっちゃ自己矛盾(つ〜かアタリマエw)なのですが、これがナマの世界をユルく愉しむきっかけの一つとなれば、こんなに嬉しいことはございません(*´-`)

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