フォト

カテゴリー

« 2026年2月 | トップページ | 2026年4月 »

2026年3月の5件の記事

2026年3月30日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『炎と水』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『炎と水』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*この編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/405080

『炎と水』は、1991年10月23日にリリースされた中島みゆきの19枚めのアルバム《歌でしか言えない》のラストを飾る大曲で、低くドスの効いた声質が大きな魅力である中島みゆきにとって異例に高い音域でサビを堂々と歌い上げていますが、なんとこれまで一度もステージで演奏されたことがない曲でもあります。

そういえば『孤独の肖像』という曲を収録するとき当時(1985年)の中島みゆきには高過ぎて音楽として使えなかった音域があって別バージョン『孤独の肖像』としてリリース、後年(1993年)オリジナルバージョンを『孤独の肖像1st.』としてリリースしたという情報が存在し、オリジナルバージョン『孤独の肖像1st.』の最高音はト音記号真ん中のB(シ)だったりします。

ふりかえって、この1991年リリースの『炎と水』ではどうかと言うと『孤独の肖像1st.』最高音のさらに半音上のC(ド)でサビを歌い上げたうえにB(シ)を伸ばしてサビを歌い終えており、歌い手にとって最高音を半音上げるというのは死活問題ということを考えると、ライヴで歌うにはリスクがあまりにも高過ぎる曲なのだろうなと感じさせられます。人間の肉体ってば消耗品という側面から逃れられることはできないワケで、ステージという常に「表現」と「やり過ぎ」とが車の両輪である場では、歌い手という職業人にとって生命線である声を損なう危険も常に伴っているワケです。まぁ、コレだけをステージで歌っていない理由と決めつけるのはいくらなんでも夢がなさすぎなんですけどねぇぇぇwww

 あなたは炎の大地を歩き 途切れた未来へ注ぎ込む者
  けれども情の深さのあまり 己れを癒せず凍えゆく者

  私は凍った大地を歩き 凍てつく昨日を暖める者
  けれども思いの熱さのあまり 己れを癒せず身を焦がす者


やはり対語法あっての詩作、しかもここでは対語法が重層的に絡み合わされており、なかなかにヤヤこしいです。そして<あなた>は<注ぎ込む者>ですから水を連想させて<>は<暖める者>ですから炎を連想させていますが、困ったことに<注ぎ込む者>の前に<炎の大地>が配されて<暖める者>の前に<凍った大地>が配されているので歌詞をちょっと聞いただけでは判別しづらく、<あなた>と<>のどちらが水なのか炎なのか確証しきれてない状態で歌が進行するようになっています。さらに、この段では対語法を絡み合わると同時に<あなた>も<>も<己れを癒せず>というところでは共通性を持つ存在という設定にもされており、か〜なり脳ミソがかき混ぜられる歌い出しでございますことよ。

 Flame & Aqua なんて遠い者たち
  私たちは互いに誰より遠い
  Flame & Aqua なんて同じ者たち
  いちばん遠い者が いちばん近いの


な〜かなか哲学的に攻めてますよね〜。そっか、な〜るほど、<いちばん遠い者が いちばん近いの>という一節があることで、前段の<あなた>も<>も<己れを癒せず>というところでは共通性を持つ存在、という設定が回収されているのでしたか。いわゆる「対極」を表す比喩は「車の両輪」とか「水と油」とか「光と影」とか「コインの裏表」とか枚挙にいとまがございませんが、一見すると正反対であるかのように見えてもそこに共通性を見出すことは可能だったりしますね〜。「愛」と「憎しみ」も正反対に見えますが、実は相手に対する強い感情がベースにあるという一点で共通性があるわけでして💡
さて短い間奏を挟んで2番です。

 私はあなたを傷つける者 誰よりあなたを傷つける者
  けれども唯一 癒せるすべを それとは知らずに持っている者


「あなたを傷つける私こそが唯一あなたを癒せる」とは相〜当に矛盾に満ちた状況ですが、1番のネジれた歌詞をふまえている聴き手にとっては、案外と素直に「あぁそうなのか」と受け入れてしまえそうです。<あなたを傷つける者>を単純に繰り返さずに<誰よりあなたを傷つける者>と<誰より>を加えていることで<炎と水>の両者が誰よりも近しい関係にあると示しており、このような両者だからこそ互いの影響力がきはめて強く、それが傷つける方向にも癒す方向にもなり得るのでしょうか。なお、歌っているのが女性である中島みゆきですから<あなた>が男性で<>が女性、と解釈するのが普通でしょうが、そうしてしまうとせっかくの歌詞の抽象性を狭めてしまうようで、固定させない方に一票です。

 Flame & Aqua なんて遠い者たち
  私たちは互いに誰より遠い
  Flame & Aqua なんて同じ者たち
  いちばん遠い者が いちばん近い


1番のサビはここまででごく普通の声域でしたが、2番以降はさらにキーを上げて続きます。

 Flame & Aqua 互いから生まれあう
  あなたが いなければ
  私はまだ生まれていないような者


これは強い強い強い。ここで中島みゆきはなんと4度もキーを上げて(開始音のA(ラ)をD(レ)まで上げてます)、ほぼ絶叫とすら思えるほどの歌いっぷりを見せています。<炎と水>はアリストテレスの四元素論の構成要素の2つですが、この元素どうしが<互いから生まれあう>とは、独立しているはずの元素どうしが実はともに必須であったのだ、と詩的に誇張しているわけです。これこそが詩作の妙、すなはち、<炎と水>とのつながりは原初的なつながりであって互いの存在にとってなくてはならぬ最も大切なつながりだったという、壮大な愛の抒情詩として歌い上げられているのですぞ✨
ここで金管アンサンブル的な音色をつかったカッコいい間奏が入り、3番に移ります。

 あなたがあなたになればなるほど
  私が私になればなるほど
  互いは互いが必要になる 誰から教えられることもなく


互いは互いが必要になる>とはいかにも壮大な愛の抒情詩らしい一連であると同時に、これまた哲学的ですな。確かに、<あなたがあなたになればなるほど>そして<私が私になればなるほど>に「らしさ」を突き詰めるということはともすれば他の存在を排除することにもなりかねず、それって実は独善という好ましからざる状態につながりかねない危険性も兼ね備えていますね。「こだわり」というものは何かを突き詰める原動力として必須なのは確かでしょうが、冷静にチトいぢわるく考えてみると「こだわり」とは「そのこだわりは無条件に正しいものとみなす」ことに他ならず、実は判断停止と表裏一体となり得る危険性をはらんでいるのでありました。うむむ、ナニやら壮大な愛の抒情詩から逸脱してきたような気もしますが、歌詞の怪釈は妄想をふくらませてナンボでござる😎

 Flame & Aqua あなたは一途な水
  私たちの行方を指し示す者
  Flame & Aqua 私は揺れる炎
  私たちの行方を照らし出す者
  Flame & Aqua 求めずにいられない
  私たちは
  あまりにひとりでは担い過ぎる炎と水


この一連だけでも、アルバム《歌でしか言えない》のラストを飾るにふさわしい歌詞として完結していると思います。<>が<行方を指し示す者>の象徴として用いられているのは流れる先が基本的に重力によって規定されることでw「水の流れ」が方向性や連続性そして不可逆性などの象徴として生み出されるからで、同時に<一途な>にもかけられていますね。そして<>が<私たちの行方を照らし出す者>の象徴として用いられているのは、炎は明るいですからこれは簡単、そして炎は揺れますから<揺れる>にもかけられるのも明白。

炎と水>は<行方を照らし出す者>と<行方を指し示す者>ですからそれぞれが自己のアイデンティティを確立しているワケで、このような<炎と水>の関係性ならば歪んだ「共依存」関係に陥る危険は少なそうです。なるほど<互いは互いが必要になる>でしょうし、そりゃ〜<求めずにいられない>ですね。このような関係性を示す言葉は「無いものねだり」とか「相互補完」とかこれまた枚挙にいとまがありませんが、人生は<あまりにひとりでは担い過ぎる>ほどに不可解で豊かすぎる、という証左なのではないでしょうか💡

 Flame & Aqua なんて遠い者たち
  私たちは互いに誰より遠い
  Flame & Aqua なんて同じ者たち
  いちばん遠い者が いちばん近い




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2026年3月20日 (金)

日本樂器(現:ヤマハ)の1924年製第拾九號オルガンで、フロール・ペーテルスの「Sixty Short Pieces」から第12曲『エレジー』を

1924(大正14)年製の山葉風琴、全音域にわたって4, 8, 16フィートを備えた13ストップの堂々たる第拾九號で、フロール・ペーテルス/Flor Peeters(1903-1986) 作曲による「Sixty Short Pieces」の第12曲『エレジー』を弾きました。 ストップは8フィート2列と4フィート1列を使っています。

フロール・ペーテルス/Flor Peeters(1903-1986) はベルギーの作曲家、オルガニスト、学術教師でした。彼はベルギーのアントワープ音楽院の院長を務め、1923年から1986年に亡くなるまで聖ロンバウツ大聖堂のオルガニストでした。

この山葉風琴第拾九號には国産リードオルガンでは珍しく楽器の天板を開けて楽音が前に出てくる仕掛けが備えられており、この動画でもちゃんと開けて弾きました。

1909(明治42)年の共益商社楽器店のカタログに<新製第拾九號>と記載があり、説明には
當拾九號形風琴ハ曩(さき)ニ東京音樂學校ノ御考案ニ基キ日本樂器製造株式會社ニ於テ種々工夫ヲ凝シ製造納附セシ處該校(該校=東京音樂學校)ヨリ風琴トシテ此ニ過グルモノナシトノ御讃辭ヲ博シタルモノニシテ音色善美音量壮大製作マタ堅固ナレバ中等已上(中等以上)ノ學校教授用ニハ尤モ適當ノモノニ御座候>と。

(訳)当19号形リードオルガンはさきに東京音楽学校(現:東京藝術大学)の考案にもとづいて日本楽器で種々工夫を凝らして製造納入したところ東京音楽学校よりリードオルガンとしてこれに過ぎるものなしと御賛辞を博したもので、音色善美音量壮大かつ堅固に作られておりますので中等以上の学校教育用には最も適当なもので御座います。

なるほど、確かにこの躯体全体の豊かで多彩な響きっぷりは素晴らしく、なによりもこの個体の音色はおよそ本邦産とは思えず、ひょっとしたらリードが国産ではなく舶来品なのではないかとすら感じさせられました。まともなオルガンはストップ操作の結果、単純に違う音高の複数の音が重なるだけでなく音色自体がちゃぁんと変化するのですが、この第拾九號ではまさにこのような音色変化を実感できました。大正から昭和ヒト桁くらいまで、実は日本では相当なレベルの文化が花開いていたんだなぁと今さらながら思わされましたぞ。

この個体は女子聖学院中学校・高等学校で生徒向けに開放されているもので、ご縁をいただき演奏することができました。御年100歳超えで普段は積極的には弾かれていないようですが、しっかり丁寧に空気を送って音響振動がしみ込むように弾いたところ、ものの10分程度で素晴らしい響きが甦りました。ただそれはあちこちの部材が動き出していることに他ならず、ともすればビビり振動を引き起こしてしまいますが、ご老体ですからそれをも受け入れるのが弾き手としての御作法でございます。



まともに楽器として機能しているリードオルガンは、小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、という足踏みオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2026年3月13日 (金)

YAMAHA F102 1982年製 で、アレンスキーの『アラベスク集, Op.67』から、第4曲を

1982年製 YAMAHA F102 で、アレンスキー『アラベスク集, Op.67』から、第4曲を弾きました。
*楽譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/401887

YAMAHAのF102は高さ121cmのアップライトピアノ、高級木目ピアノとして外装に高級家具等に用いられる美しい縦縞が特徴のサペリ材を使用したモデルです。日本のピアノ製造が元気だった時代ならではのさすがの逸品ですよ〜☝️

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

Arensky/アレンスキーは天才肌の作曲家で、ペテルブルク音楽院ではリムスキー=コルサコフに、モスクワ音楽院ではチャイコフスキーに高く評価されていました(・o・ゞ

2026年3月 6日 (金)

日本樂器(現:ヤマハ)の1924年製第拾九號オルガンで、ビーズリーの「The Vesper Voluntaries Book 4」から第2曲『ゆるやかな楽章』を

1924(大正14)年製の山葉風琴の動画2本め、全音域にわたって4, 8, 16フィートを備えた13ストップの堂々たる第拾九號です。国産リードオルガンでは珍しく楽器の天板を開けて楽音が前に出てくる仕掛けが備えられており、この動画でもちゃんと開けて弾きました。

1909(明治42)年の共益商社楽器店のカタログに<新製第拾九號>と記載があり、説明には
當拾九號形風琴ハ曩(さき)ニ東京音樂學校ノ御考案ニ基キ日本樂器製造株式會社ニ於テ種々工夫ヲ凝シ製造納附セシ處該校(該校=東京音樂學校)ヨリ風琴トシテ此ニ過グルモノナシトノ御讃辭ヲ博シタルモノニシテ音色善美音量壮大製作マタ堅固ナレバ中等已上(中等以上)ノ學校教授用ニハ尤モ適當ノモノニ御座候>と。

(訳)当19号形リードオルガンはさきに東京音楽学校(現:東京藝術大学)の考案にもとづいて日本楽器で種々工夫を凝らして製造納入したところ東京音楽学校よりリードオルガンとしてこれに過ぎるものなしと御賛辞を博したもので、音色善く美しく音量壮大かつ堅固に作られておりますので中等以上の学校教育用には最も適当なもので御座います。

なるほど、確かにこの躯体全体の豊かで多彩な響きっぷりは素晴らしく、なによりもこの個体の音色はおよそ本邦産とは思えず、ひょっとしたらリードが国産ではなく舶来品なのではないかとすら感じさせられました。まともなオルガンはストップ操作の結果、単純に違う音高の複数の音が重なるだけでなく音色自体がちゃぁんと変化するのですが、この第拾九號ではまさにこのような音色変化を実感できました。大正から昭和ヒト桁くらいまで、実は日本では相当なレベルの文化が花開いていたんだなぁと今さらながら思わされましたぞ。

この個体は女子聖学院中学校・高等学校で生徒向けに開放されているもので、ご縁をいただき演奏することができました。御年100歳超えで普段は積極的には弾かれていないようですが、しっかり丁寧に空気を送って音響振動がしみ込むように弾いたところ、ものの10分程度で素晴らしい響きが甦りました。ただそれはあちこちの部材が動き出していることに他ならず、ともすればビビり振動を引き起こしてしまいますが、ご老体ですからそれをも受け入れるのが弾き手としての御作法でございます。

曲はビーズリー/James Charles Beazley(1850-1929)作曲による「The Vesper Voluntaries Book 4」の第2曲『ゆるやかな楽章』です。 ストップは8フィート2列で+16フィート1列で弾きました。
*楽譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/399492

ビーズリー/James Charles Beazley(1850-1929)はイングランド最南部のワイト島(the Isle of Wight)に生まれています。「The Vesper Voluntaries for the Organ, Harmonium, or American Organ」の Book 40 も Beazley の手によるものらしいですが、それ以外の情報は見つけられていません。



まともに楽器として機能しているリードオルガンは、小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、という足踏みオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2026年3月 3日 (火)

日本樂器(現:ヤマハ)の1924年製第拾九號オルガンで、ヘインズの「The Vesper Voluntaries Book 3」から第3曲『プレリュード』を

1924(大正14)年製の山葉風琴、全音域にわたって4, 8, 16フィートを備えた13ストップの堂々たる第拾九號です。国産リードオルガンでは珍しく楽器の天板を開けて楽音が前に出てくる仕掛けが備えられており、この動画でもちゃんと開けて弾きました。

1909(明治42)年の共益商社楽器店のカタログに<新製第拾九號>と記載があり、説明には
當拾九號形風琴ハ曩(さき)ニ東京音樂學校ノ御考案ニ基キ日本樂器製造株式會社ニ於テ種々工夫ヲ凝シ製造納附セシ處該校(該校=東京音樂學校)ヨリ風琴トシテ此ニ過グルモノナシトノ御讃辭ヲ博シタルモノニシテ音色善美音量壮大製作マタ堅固ナレバ中等已上(中等以上)ノ學校教授用ニハ尤モ適當ノモノニ御座候>と。

(訳)当19号形リードオルガンはさきに東京音楽学校(現:東京藝術大学)の考案にもとづいて日本楽器で種々工夫を凝らして製造納入したところ東京音楽学校よりリードオルガンとしてこれに過ぎるものなしと御賛辞を博したもので、音色善く美しく音量壮大かつ堅固に作られておりますので中等以上の学校教育用には最も適当なもので御座います。

なるほど、確かにこの躯体全体の豊かで多彩な響きっぷりは素晴らしく、なによりもこの個体の音色はおよそ本邦産とは思えず、ひょっとしたらリードが国産ではなく舶来品なのではないかとすら感じさせられました。まともなオルガンはストップ操作の結果、単純に違う音高の複数の音が重なるだけでなく音色自体がちゃぁんと変化するのですが、この第拾九號ではまさにこのような音色変化を実感できました。大正から昭和ヒト桁くらいまで、実は日本では相当なレベルの文化が花開いていたんだなぁと今さらながら思わされましたぞ。

この個体は女子聖学院中学校・高等学校で生徒向けに開放されているもので、ご縁をいただき演奏することができました。御年100歳超えで普段は積極的には弾かれていないようですが、しっかり丁寧に空気を送って音響振動がしみ込むように弾いたところ、ものの10分程度で素晴らしい響きが甦りました。ただそれはあちこちの部材が動き出していることに他ならず、ともすればビビり振動を引き起こしてしまいますが、ご老体ですからそれをも受け入れるのが弾き手としての御作法でございます。

曲はヘインズ/William Haynes(1829-1901) 作曲による「The Vesper Voluntaries Book 3」の第3曲『プレリュード』です。 ストップは最初は8フィート2列で、途中から低音域に16フィートを加えて弾きました。
*楽譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/321860

ヘインズ/William Haynes(1829-1901)はイギリスの作曲家・オルガニストで、Malvernの「Great Malvern Priory」のオルガニストを1850年から1893年の43年(!)務めていました。



まともに楽器として機能しているリードオルガンは、小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、という足踏みオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

« 2026年2月 | トップページ | 2026年4月 »

最近の記事

2026年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のコメント

無料ブログはココログ