中島みゆき 作詞/作曲『愛だけを残せ』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
本日2月23日は中島みゆきの誕生日ですよ〜。『愛だけを残せ』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*この編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/397265
『愛だけを残せ』は2009年11月14日公開の映画『ゼロの焦点』の主題歌として書き下ろされ、映画公開の10日前の11月4日に中島みゆきの41枚めのシングルのA面としてリリースされました。なおB面は『闘りゃんせ』。そして2010年発売の37枚めのアルバム《真夜中の動物園》に優しいスローバラードのアルバムバージョンとして収録、2013年発売のシングルコレクションアルバム《十二単 〜Singles 4〜》にはリミックスバージョンで収録、2020年発売のベストアルバム《ここにいるよ》にもリミックスバージョンが収録されました。この結果『愛だけを残せ』のシングルバージョンは2026年現在でもアルバム未収録となっていますが、コレ、うっかり聴けてないのが痛恨💦
この動画のアレンジ元は、リミックスバージョンを踏襲しながらアルバムではか〜なり強〜かった声色を和らげて歌われた、2024年1月19日から2024年5月31日にかけて行われたコンサート『歌会 Vol.1』としました。映画の原作は松本清張の小説『ゼロの焦点』で、紆余曲折を経て1958~1960年に連載されています。それではいつもの妄想怪説を怪陳しますが、この『愛だけを残せ』の歌詞は詩的な表現が得意とする、論理的展開をあえて無視して自由に飛躍するテクニックを存分に使っていますので、ワタクシの芸風な論理的怪析が通じなくて参りましたわ〜w
<愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に 愛だけを残せ>
『愛だけを残せ』は歌い出しからサビを高らかに歌い上げて始まります。ここはアルバムでは中島みゆきが歌っていますが、『歌会 Vol.1』ではバックコーラスが歌っています。このサビはこのままでも充分に意味が通りますが、倒置法を鑑みてわかりやすく再構成すると・・・
「激流のような時の中で 愛だけを残せ・・・壊れない愛を
生命の証に 名さえも残さず 愛だけを残せ」
てな感じでしょうか。<激流のような時>には一介の人間ごときが抗うことなんぞできぬ、自分の名前とか形の決まったナニかとして歴史的に記録されたところで跡形もなく流されてしまう。だからこそ<激流のような時>を泳ぎ抜こうともがき続ける我々のつながりである<愛だけを残せ>、<壊れない>強固な<愛>こそが我々が<激流のような時>に流されずに残り得る<生命の証>なのだ。ま〜、いつもながらほんっっっとに見事なサビだよなぁと嘆息しかないですわよ✨
<やむにやまれぬ人生は綱渡りだ
選ぶつもりで選ばされる手品だ>
<綱渡り>とは危ういバランスの象徴であると同時に、行き先が綱の向こう側と規定されていますね。このような<綱渡り>の性格を、<選ぶつもりで選ばされる手品>とより具体的に言い直しています。確かに確かに、それなりに長く人生を泳いでいると、後から考え直してみると線が一本につながって必然だったのかなぁ、とか運命だったのかなぁ、とか思わされることって少なくないですもんね。若かりしころの想い出がかなりの年月が経ってからつながって、これは最初っから仕組まれていた運命だったのかとすら思えてじ〜んと来たことなど、程度の差こそあれ誰しも経験しているのではないでしょうか。ねぇ、そうですよね?
<闇の中の風のように
突然に愛は居どころを求める>
<突然に>を<闇の中の風のように>と直喩するセンスよ。しかも<闇の中>を使うことで、前段で<綱渡り><手品>と象徴されていた<人生>がより具体的に象徴し直されることとなり、人生の当事者である我々にとっては<人生>ってば<闇の中>なんだよなぁ、とも納得させられてしまいます。なるほど、このような多層的な仕掛けを随所に仕込めてこそ言葉の使い手である優秀な詩人なんでしょうね〜。それにしても、歌い出しで<名さえも残さず><愛だけを残せ>と歌い上げておきながら、その<愛>自体が形ある<居どころを求める>とはいかに。
<弱き者汝の名を名乗れ しなやかに
強き者汝の名を名乗れ ささやかに>
この2行はいかにも詩的なテクニックで、明確な意味を取るのが困難かつ明確化する必要もない、前後と関係しないリズミカルな対語法による挿入句と見えます。ですが同時に<名を名乗れ>とは自己の存在を他に意識させよ、ということに他ならず、しかも<しなやかに><ささやかに>ですから自己の存在を声高には主張するな、というメッセージであるとも読めます。これは冒頭のサビで歌い上げた<名さえも残さず><愛だけを残せ>と異なるメッセージですから、読み手の意識がか〜なり混乱させられる箇所でもあります。
ここはホントに難しくて、<愛>という概念の複雑さを浮かび上がらせていると思います。冒頭のサビで歌い上げたように<名さえも残さず>に<愛>という抽象的な関係性をどんなに残そうとしたところで、その関係性ってばそもそもが個々人という<名>を持つ存在どうしの関係性でありますからして、具体的に形のあるきっかけナシには<愛>なんぞ生まれようがないのであります。すなはち、突然に<愛>が求めた<居どころ>とは個々人という<名>を持つ存在であって、それを<汝の名>で象徴しているのではないでしょうか。
<地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる>
<名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む>(『地上の星』2000年)
人ってばともすれば自己の名を歴史に刻もうとしてしまいますが、<激流のような時>の中ではそんなモンは無力。そのように自己の存在を声高に主張するのではなく、<名さえも残さず><愛だけを残せ>。わざわざ<汝の名>という普段使わない強い表現を使いながら、それを<しなやかに><ささやかに>と和らげる巧みさが輝いてますぞ。
<みんな儚くて みんな愛しくて
振り返ってしまうから
愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に 愛だけを残せ>
<愛>なる概念は決まった形あるナニかではございませんが、同時にナニかとナニかとの関係性があってはじめて生み出され得る概念でもありますから、歌詞の中で<愛>が二面的に語られることはある意味当然の帰結なのではないでしょうか。そして<愛>を生み出すナニかは<みんな儚くて みんな愛しくて>、中島みゆきはそのような<愛>を生み出す存在それぞれに温かな眼差しを注いでいると読もうではありませんか💡 中島みゆきが映画『ゼロの焦点』の台本を読んで監督がサスペンスなストーリーばかりでなくむしろ主人公の女性たちの生き方に眼を向けていることを知ってようやく『愛だけを残せ』作詞作曲の糸口が見出せたとのこと、この怪説とそれなりに符合していてホッとしました。
<形のないものに 誰が
愛なんて つけたのだろう 教えてよ>(『あした』1989年)
さて2番です。
<思いがけない幻に誘われて
思いがけない風向きに運ばれて
偶然の朝 偶然の夜
我々は何も知らされず 踏み出す
縁は不思議 それと知らぬ間に探し合う
縁は不思議 それと知りながら迷い合う>
1番を頑張って読み解いてくると、これらはそのまんまスッと心に沁みてきますね〜。
<みんな哀しくて みんな恋しくて
立ち止まってしまうから
愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に 愛だけを残せ>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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