中島みゆき 作詞/作曲『ピエロ』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『ピエロ』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/372721
『ピエロ』は1979年9月21日にリリースされたシングル《りばいばる/ピエロ》のB面です。『ピエロ』は根津甚八への提供曲で、なんとこちらも同じキャニオン・レコードから同じ1979年9月21日にシングル《ピエロ/まだ浅い別れ》としてリリースされています。根津甚八の方も YouTube に転がっているので聴いてみましたが、さすがさすがの舞台人の歌、語り口がバツグンでございましたぞよ〜👌
<思い出の部屋に 住んでちゃいけない
古くなるほど 酒は甘くなる
えらそうに俺が 言うことでもないけど
出てこいよ さあ 飲みにゆこうぜ>
この『ピエロ』の歌詞の情景描写は単純ですが描かれている人間関係はなかなかシビれますね〜。フラれて手酷く傷ついた心を癒せずに幸せだった<思い出の部屋>という世界に閉じこもってしまっている女性、そしてその女性に片想いし続けていて気が気じゃないと思いつつもチャンスと狙っている<俺>という関係。失恋は立ち直ってこそ人生の糧となり得る経験ですが、立ち直れないままに思い出に浸って心を麻痺させてしまうのは危うい、ということを<古くなるほど 酒は甘くなる>と表現しており、同時にすぐ後に現れる<麻酔>の伏線としています。この中島みゆきの言葉の切れ味、いつもながらですがもぅさすがとしか言いようがないですね〜。片想いの相手が失恋したらチャンスと思うのはごくフツーと思いますがw、それにしても主人公の<俺>ってば、ほんとにホントに優しすぎるオトコですな😅
<かまれた傷には 麻酔が必要
俺でも少しは 抱いててやれるぜ>
コレ、要は「どうした? ハナシ聞こうか?」であわよくば、という単純なネタでしょうが、そこに<酒>と<麻酔>とを掛けるという歌詞のテクニックをしれっとぶっ込むセンスに脱帽ですわよ。
<思い出の船を おまえは降りない
肩にかくれて 誰のために泣く
まるで時計か ゆりかごみたいに
ひとりで俺は さわぎ続ける>
優しすぎる主人公のせいなのか、女性にとっての<思い出>があまりにもよろしかったからでしょうか、主人公の心配も期待も虚しく空回りし続けているようです。<時計>は時間の経過と同時にその無情さも象徴しており、<ゆりかご>は<思い出の船>を揺らす波であると同時に女性の心を動かそうと孤軍奮闘する主人公の心の動き。<ひとりで俺は さわぎ続ける>は、まさに主人公が女性が受けた失恋の痛手をどうにかして癒し忘れさせようと孤軍奮闘している様子。同時に、<時計>と<ゆりかご>とは同じ運動を繰り返す存在で、主人公の心配も期待も虚しく空回りし続けていることも象徴していたりしますね。これぞ題名の『ピエロ』=道化、という、表面はおどけて見せていても内面にはなんとも言いようのない哀しみそして翳りを抱えている存在、癒し手になりたくても果たせない恋の痛みを抱えている存在、ピエロの輪舞から抜け出せない存在でありま〜す💡
<飲んでりゃ おまえも うそだと思うか
指から 鍵を奪って
海に 放り投げても>
この一連は難しいですが、まずは単純にココは倒置法ですから・・・
<指から 鍵を奪って 海に 放り投げても
飲んでりゃ おまえも うそだと思うか>
となり、<鍵>とは<思い出の部屋/船>の鍵。その鍵をおまえの指から奪って海に放り投げるのですから、女性を閉じこもった殻の外に連れ出せて(=出てこいよ)、首尾良く失恋の痛手を癒すことができた(=かまれた傷には 麻酔が必要)、という状況を主人公が仮定というか妄想していると読みます。そして、<うそだと思うか>の「か」は反語ではなく詠嘆をあらわす終助詞「か」と読みます。しかし悲しいかな、その仮定・妄想の中であっても女性がかけられた麻酔のような何かは<かまれた傷>だけに効くワケもなし、主人公が失恋の痛手を癒してくれたということにも効いてしまって<うそだと思>われてしまうんだろうなぁぁぁ=<俺>の片想いは結局は女性に通じないんだろうなぁぁぁ、というな〜んともやるせなく逡巡する主人公の心でありますことよ(詠嘆)。
ここで思い出すのは
<二人だけ この世に残し
死に絶えてしまえばいいと
心ならずも願ってしまうけど
それでもあなたは 私を選ばない>(『この世に二人だけ』1983年)
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。







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