中島みゆき 作詞/作曲『五月の陽ざし』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『五月の陽ざし』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/340071
『五月の陽ざし』は2006年にリリースされたアルバム《ララバイSINGER》の真ん中少し後に収録されています。アルバム《ララバイSINGER》は、オフィシャルに<原点に立ち返り、中島みゆき自身の中にあり、またファンが求める"中島みゆきの王道"を素直に表現したアルバムです。>と謳われていますが、<原点>とか<王道>とか、ま〜たいろんな解釈を許す表現ですな〜。この『五月の陽ざし』はか〜なり地味ですがめっちゃ丁寧に作られている印象があり、中島みゆきだからと言って全てがメッセージ性が高く強い曲である必要はないよね〜、とも今さらながら思わされます。
<遠い日の あなたの贈り物
まだ開けてみることもなかった
リボンを見ただけで 何か重い気がしてしまったんです
贈り物は 難しいものです
喜ぶかと 迷惑だろうかと
その代わりに何か望んでると 疑われたら悲しい
難しい意味なのかと 怖じ気づいて放り出して
長い年月が過ぎて 理由も忘れてほどいてる
色の褪せたリボン
小箱には 綿にくるまれて
ドングリが きょとんと光ってた>
やはりやはりの中島みゆきの歌詞、歌詞自体は極めてストレートで単純でありながら、変にネジくれた性格な主人公がぶっ込まれていますなw。現代の「コミュ障」のはしりと言うべきか、このネジくれまくった受け止め方ではさぞかし生きづらかろうに。それでもやはり巧みな中島みゆきの詩作で、ネジくれた主人公の面倒くささを前面に出すことなく、温かい雰囲気に包まれてじんわりと切ない心持ちにさせられますね〜。そう、中島みゆきの歌詞だからと言って全てが<重い>ワケでもなく、<難しいもの>でもなく、それもまた<原点>であり<王道>なのでしょう。まぁ歌詞を穿って小難しく考えたくなるのはみゆきファンの愉しいサガwでござるが😛
<遠い日の あなたの贈り物
まだ開けてみることもなかった
植えてみようかとも思ったけれど すでに時は過ぎたね
黙ったまま逃げ帰った 話しづらくなっていった
五月の陽ざしの中で
あの素直な笑顔の人を思い出してみます
「ありがとう」でよかったのにね
ドングリまで気の毒なことをしました>
<すでに時は過ぎたね>が「どんぐりを植えるには」と「あなたとのつながりを戻すには」との掛け言葉になっているところが詩作のテクニックで、これまた地味に「ふ〜む」と思わされます。そして、
<あの素直な笑顔の人を思い出してみます>
の<あの素直な笑顔の人>も、ひょっとしたら<贈り物>をくれた<素直な笑顔>な相手だけでなく、<素直な笑顔>を相手に伝えられていた<贈り物>をもらう前の自分のことでもありそうな。相手を<贈り物>をくれるほどの気持ちにさせられた主人公ってば、さぞかし魅力的だったのではないでしょうか(ドングリだったけどw)。オチのつけ方もな〜んだか「とほほ」な感じで佳きです🤗
<「ありがとう」でよかったのにね
ドングリまで気の毒なことをしました>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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