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2025年4月の7件の記事

2025年4月28日 (月)

中島みゆき 作詞/作曲『LADY JANE』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『LADY JANE』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/334211

『LADY JANE』は2015年11月にリリースされたアルバム《組曲(Suite)》のトリを飾る大切な曲です。「LADY JANE」とは大木雄高(おおきゆたか)氏(79)経営の下北沢のジャズバー「レディ・ジェーン」のことで、「シモキタ」という演劇や音楽の街の伝統の象徴ともいうべき存在、残念ながらついこないだ2025年4月13日を最後に閉店の憂き目にあってしまいました。入居する建物の契約更新が認められなかったのが閉店の理由ですが、住民にロクに説明せず大手ゼネコンが行政と結託して勝手に作っていくような再開発に猛反対する斬り込み隊長的存在がマスターの大木氏でして、こりゃ再開発推進側地主の意図に決まっとるサと容易に推測できますわな😤

下北沢の再開発が始まったのが2003年のこと、小田急下北沢駅が2013年3月23日に地下化されて古き佳き姿が加速度的に消えてきたタイミングの2015年秋に中島みゆきのアルバム《組曲(Suite)》が発売され、その2015年は「レディ・ジェーン」の40周年、しかも中島みゆきのデビュー40周年でもありました。そのようなアルバムのトリを飾る曲が『LADY JANE』であるというコト、さらには昨年2024年に東京・大阪で全16公演行われた中島みゆきの《歌会 VOL.1》でも『LADY JANE』が歌われたワケで、これには単なる行きつけのバーへの感謝を超越した大っっっ変に重い意味があるはずですよね〜。街をつくり上げ支えてきた市井の生活者の声を代弁して強大な大手ゼネコンそして行政と斗う闘士としての「レディ・ジェーン」の姿は、中島みゆきが昔っから発信している「名も無き存在へのエール」としっかりシンクロしていますし💡

シモキタの再開発の過程をホンの少し知るだけでも、店の様子をなにげなくも生き生きと描写する中にチラリとぶっ込まれている再開発の多面性を指摘する一言がまことに心に響きます。同時に下北沢の再開発を全く知らぬ聴き手に対してもちゃぁんと詩として意味をなすように平易に仕組まれているところ、さすがは言葉の使い手のプロ中のプロが編み出した歌詞であります。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


のっけから謎かけのように始まるのは、空想の世界に誘ってくれる意味もあるのでしょうか。時間帯を物理的に考えると明るくなる前で、すなはち夜明け前の時間帯。明け方までダラダラと飲むのはジャズバーならではでしょうが、あたしにゃムリですw

それにしても<日常な町角>の<>の用法が難解ですね〜。困ったときの英訳で、この部分は<Daily life would hit you otherwise>となっています。な〜るほどなるほど、「暗いうちに店を出ないと日常にヤラれちまいますヨ」ってぇ意味なんですね。「日常」とはナニも考えなくても過ごせるルーチンワークと捉えられ、その対語として「非日常」があるのは自明。

 LADY JANE どしゃ降りの夜なら
  LADY JANE 古い看板が合います 色もない文字です


ふむ、「日常」と「非日常」とを隔てる結界が<LADY JANE>の<古い看板>そして<色もない文字>、という図式ですな。いいぞいいぞ。

 愛を伝えようとする二人連れが ただジャズを聴いている
  愛が底をついた二人連れも ただ聴いている


いやはや、詩人の思索のフィルターを通ると「二人連れの若者も熟年もジャズを聴いている」という状況説明wがこうも美しくなってしまうんですな。それにしても<愛が底をついた>ってぇ表現、いかにも酸いも甘いもひっくるめて年輪を重ねてきた雰囲気ですな。

 時流につれて客は変わる
  それもいいじゃないの この町は 乗り継ぎ人の町


下北沢は決して大きな駅でも町でもないですが乗継駅として重要ですね。ひっきりなしに乗継客が行き交う町であることは変わりませんが、<時流につれて>変化していくのは当然のこと。同時に<乗り継ぎ>は単なる路線間の乗継のみならず、古いナニかと新しいナニかとの移り変わりでもあり、ある考え方と別の考え方との乗り換えでもあり、そして、過去と未来の乗り継ぎ地点とは現代に他ならないことも頭に留めておきたいです💡

 LADY JANE大好きな男が
  LADY JANE この近くにいるの たぶんここは知らないけど


ラストで歌い出しのフレーズをリフレインして片想いな歌詞をぶっ込んでくるところ、もう安定の中島みゆきですな。ここでホッとしてしまうのがイイのか悪いのかw

 LADY JANE 脛に傷ありそうな
  LADY JANE マスターはいつも怒ってる 何かを怒ってる


さぁ、2番でメンドくさそうなマスターの登場でござい。ジャズバーのマスターなんつ〜のは偏屈なオヤジと相場は決まっとるwですが、シモキタ再開発と斗う闘士としての<LADY JANE>大木氏を知ってしまうと、そりゃもう、ナニに怒っているかは自明ね。

 LADY JANE 昔の映画より
  LADY JANE 明日の芝居のポスターが 何故か古びている


こんなことがあっても不思議じゃない空間ってあるよね〜、と単純に読んでも店内の描写として成り立ちますが、ち〜ょっとヒネりたい一節。<>と<明日>とを対比して<明日>の方が<何故か古びている>と指摘する一節ですから、当〜然シモキタの再開発とからめたくなりますぞ。

かつてシモキタは雑多な芸術が巣食っていた猥雑と言っても過言ではない一帯で、新しいナニかが次々と生まれて輝いていたはずです。対して現代の再開発が区画整理して大っきなビルを建てる、という方向ばかりなのはワリと簡単に観察できます。ゼネコンや行政が建設効率ばかりを重視せざるを得ない結果ですから没個性になるのは理の当然、建設費用を回収するための高いテナント料がために昔からの商店が「結果的に」排除されて大手資本のチェーン店ばかりが入居すれば没個性になるのもこれまた理の当然でございましょう。

高度経済成長にしろバブルにしろ過去のあだ花、もはやそんな夢物語はありえないと突きつけられ続けているのが現代なはずです。それなのにあ〜も変わらず旧態依然とした効率重視の大艦巨砲主義を振りかざしているワケで、再開発して建物だけを新しくしたところで新しさのカケラもなく<古びて>見えるのは、<何故か>どころか当っっったり前のことではございませんか。こんなことは50年以上も前から指摘されているワケで、再開発の際に「地域らしさ」とはなんぞやと検討する協議会こそ設置されますが、それが逆に再開発に対する「免罪符」であることもまた現実です。推進側の意図に反する答申を出したが最後、次の仕事はもらえなくなる=カネが稼げなくなるワケですからね〜😤

 座り心地が良いとは言いかねる 席はまるで船の底
  常に灯りは霞んでいる 煙草のるつぼ


これまた店内の描写であると同時に、再開発前の雑多で猥雑なシモキタの雰囲気を象徴させていると読みます。シモキタに限らず、行政が巨額の予算を組んでまで再開発したくなるところは、安全にも治安にもいささか問題を抱えているのは確か。何事にも滅菌消毒されたような清潔さが求められる現代ですから、それをキレイに整え直さねばならぬという意見が「民意」とされるのもまた現実でしょう。

 時流につれて町は変わる
  迷い子になる程変わっちまっても この店はあるのかな


現代とは万事効率が求められる時代であります。効率化とはつまるところ標準化・規格化ですから、没個性になる必然がございます。そりゃ〜<変わっちまって><迷い子になる>のもむべなるかな。いやホンマ、<LADY JANE>が2025年4月13日に閉店させられてしまったことが残念というか象徴的に感じられてなりません。

 酔いつぶれて寝ていたような片隅の 客がふいとピアノに着く
  静かに遠ざかるレコードから 引き継いで弾く


かつては人間関係が親密で、部外者にはワケわからぬ「不文律」やら「以心伝心」などなど「暗黙の了解」とかいう不思議かつメンドウな空気がありました。客が店のピアノを弾くのならレコードはどんな名演であろうが邪魔なワケで、マスターがボリュームを絞るのは基本中の基本ですね。このような空気感、果たして昨今なにかとヤヤこしいストリートピアノ界隈では如何?

 時流につれて国は変わる
  言葉も通じない国になっても この店は残ってね


な〜んか穏やかでない歌詞でもありますが、これまた<>を「国のあり方」転じて「立場」そして「世代」とでも捉え直せば、言葉も通じない>状態とは「利害が対立する立場」とか「世代交代」のために「話が通じなくなってしまう」状態の象徴ですよね〜。昔ながらのふんわりしたユルい共通理解が通じない相手や世代が主流になっても<この店=LADY JANEは残ってね>という、まぁ古い世代の戯言なのかもしれません。

 LADY JANE 私は一人です
  LADY JANE 歩いて帰れる程度の お酒を作ってね


おぉ、そういえば、<愛を伝えようとする二人連れ>と<愛が底をついた二人連れ>がいましたっけ。主人公が自力で歩いて帰らねばならぬのはチト不条理ですが、これでこそ中島みゆきの歌詞でござろうよ。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


ここまでシモキタの再開発とからめたら、この歌い出しのリフレインの意味合いが全く変わってくるのではないでしょうか。<>とは「ずっと変わらず昔のままであって欲しいと願う LADY JANE」そして「シモキタ」であり、<暗いうち>の拡大怪釈として「再開発前のシモキタ」であり、<日常な町角>の拡大怪釈としては「再開発後の下北沢」なのかなぁ💡

このように考えてみると、「まちかど」の「まち」という漢字に中島みゆきが「町」という、「街」に比べれば現代的無機質なイメージ(と思うんですよ〜)の漢字をわざわざ使った意味が見えてくるような気がいたします。

 LADY JANE 店を出るなら まだ
  LADY JANE 暗いうちがおすすめです 日常な町角


・・・古き佳きシモキタの思い出に浸りたいときは、せめて明るい昼でなく暗くなった夜にね。現代の現実の前では古き佳き思い出なんてかき消されてしまいますよ。LADY JANE そして古き佳きシモキタよ、永遠に!



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2025年4月25日 (金)

1973年製 BROTHER GU-131(細幅鍵盤)巻線交換&再調整で、コピュロフの『無言歌 op.13bis No.2』を

いつものピアピットによる巻線交換&再調整の1973年製 BROTHER GU-131(細幅鍵盤)で、コピュロフの『無言歌 op.13bis No.2』を弾きました。
*楽譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/331666

1950年代に名古屋の安井ミシン兄弟商会が木工技術を活かしてブラザー楽器株式会社として自社工場で足踏みオルガン製造を開始、やがてアトラスに製造を委託してピアノ業界に参入しました(アトラス製のBROTHER銘のチェンバロもカタログに載っていて一驚😳)。なお、安井ミシン兄弟商会はのちのあの有名なブラザー工業株式会社ですぞ。

この個体の少し後の1976年のBROTHERのカタログには高さ133cmの GU-132 というおそらく同じモデルが載っていて<1オクターブ154mm(普通タイプ164.9mm)>とも明記、作曲家の中田喜直氏による推薦文も載っていますが、ナゼか「鍵盤の幅が細い」という表記が一切存在しないことがいささか不思議で、ナ〜ニかオトナの事情があったのかなぁぁぁとも感じさせられます。

細幅鍵盤にするだけでは楽器自体の音色は変わるハズないですが、鍵盤の操作がラクになって奏者ができるコトが増えます。その結果、音色を豊かにできたり多彩にできたり弾ける曲が増えたりできるのですから、普及させなくちゃと思います✨
*所有者:Kurze Finger 氏の奮闘記
https://musil0723.sakura.ne.jp/dufyfan/2023/02/04/rescue-the-narrowerkeyboards-of-brother/

コピュロフ/Aleksandr Kopylov(1854-1911)は、宮廷聖歌隊で聖歌隊員およびヴァイオリニストとして学び、人生の大半をそこで教えていました。ロシアの主要な音楽院のいずれにも入学していませんが、リムスキー=コルサコフとリャードフに個人的に作曲を師事しています。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

2025年4月21日 (月)

1987年製 YAMAHA G2A で、レビコフの「色づく木の葉, op.29」から第3曲を

1987年製 YAMAHA G2A で、レビコフの「色づく木の葉, op.29」から第3曲を弾きました。
*楽譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/333045

個人のピアノ修理工房はこだわりがハンパないとこが少なくないですが、このピアノを偏執的探究心のカタマリ(褒め言葉w)をもってして仕上げた埼玉は春日部の「シオンピアノ工房」のこだわりの方向性、包括的理論的論理的かつ極めて明快なところがまことに小気味良いです。無論、技術的にも安定安心最優秀レベルなのは言わずもがな。まさかこのテのピアノがこんなにもイイ感じになるのか〜?! というピアノを見せつけられるのが毎回めっちゃ新鮮です✨ 今回の個体は部品交換した結果ナニやら調子がイマイチになってしまったものを全絃交換して徹底して再調整したもので、やっぱりここまで追い込んでしまわずにはいられないのがさすがの変態工房(褒め言葉www)

*シオンピアノ工房
http://zionpiano.starfree.jp/

ピアノのアクションの動作を語るときって案外と鍵盤を押し下げる際の「重い軽い」程度でしか表現されませんが、人間の感覚がその程度の単純さで収まるハズもないワケでして。きはめて基本的なハナシ、鍵盤を押し下げたら機械仕掛けで戻ってきてもらわなければならぬワケですし、そこは弾き手がどんなに頑張ったところで絶対に操作ができないところですよね〜。このシオンピアノ工房では理想としている「スタインウェイ風味」に近づけるべくここにも細心の注意が払われているとのことです。意識しないで弾いたらナンのこともないフツーの動きなのですが、これまた鍵盤の底に指が進むに従って注意力をガッツリ鋭敏にしようと意識すると、あ〜ら不思議、音色も響きの幅もはっきりと多彩に拡がります。

・・・というコトは、逆に、常に鋭敏で良い感覚で解像度高く鍵盤をコントロールし続けないとフツーの楽器・音色・表現などなどで止まってしまうという、これまた弾き手にとってか〜なり厳しい楽器になりやがっているwということでしてな😅 まぁこの方向で徹底に徹底を重ねたアクション調整をしてもらったら、弾き手にもそれを使いこなそうという意識が必要なのは当〜然のこと、これは技術者からの挑戦状だったのかも😎

2025年4月18日 (金)

ピアピットでオーバーホールした1902年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で、シューベルトの即興曲 D935-2 を

いつものピアピットでがっつりオーバーホールした 1902年製 ウィーン式アクションのBösendorfer 167cm で弾いた、シューベルト(1797-1828) の即興曲遺作第2番、D935-2 です。な〜んとなんとこの個体はワタクシ所有の1894年製(中島みゆきばかり弾いてますがw)と全く同型なのが僥倖でござるよ✨✨✨

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

輸入する際に白鍵の象牙が剥がされてしまうのはもはや仕方のないこと。全体的な動作自体は良好でハンマーフェルト外側に巻いてある革も良い状態で残っていたのでそれもオリジナルのまま活かし、可能な限りオリジナルを残す方向でオーバーホールを行っています💪

外側に革が巻いてありますからフェルトに針を刺して行う整音はその革を剥がさなければ不可能ですが、革の状態が良く音質もいかにも独特な美しい音色が残っていたのでそのまま整音せずに温存しています。絃はポレロ製をおごって消耗部品を交換するもむやみに交換はしなかった結果でしょうか、オリジナルのままの発音が明瞭かつ伸びのある音色がよみがえり、それに加えて華やかな音色に仕上がった印象です。たくさん弾いて革が固くつぶれて音質が硬く伸びなくなるまではこのままでイケますね〜。

シューベルトが活躍していた1820年代のウィーン式6オクターヴの楽器と基本的な方向性は全く変わっておらず、いわゆる「ウィンナトーン」という概念は不変だったのだろうなと思わされます。やはりウィーンは超〜保守的だったんでしょうね。



*1820年ごろのウィーン式6オクターヴで同じ曲をどうぞ

2025年4月10日 (木)

明るい木目の1969年製 YAMAHA U7 で、エルガーの『Adieu/永遠(とわ)の別れ』を

明るい木目の1969年製 YAMAHA U7 で、エルガーの『Adieu/永遠(とわ)の別れ』を弾きました。

YAMAHA U7 は高度経済成長期ど真ん中の時代に「最高のモノを造る」という意気込み満載でYAMAHAが世に問うた逸品、目を惹くような派手さは必ずしもないですが、やはり他のピアノと造りこみが違いますね〜。これについている外付け譜面台はエンシュウの商品でなかなかカッコいいのですが、最近エンシュウはめっっっちゃ忙しくて譜面台を作っている余裕がま〜るでナイそうなのが残念💦

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

エルガー(1857-1934)のピアノ曲は最近弾かれることが増えてきたような気がします。原題は仏蘭西弁で別れを告げる『Adieu』で、この単語、単純な「さようなら」ではなくもはや二度と会えないかも知れないというニュアンスが含まれるので、邦題は『永遠(とわ)の別れ』としてみました。

 

2025年4月 8日 (火)

世田谷、北沢川緑道

東京のソメイヨシノは盛りを過ぎた模様ですが、ひさびさに出土した おふらんす1958年製の Angenieux 12.5mm F1.8 TYPE J11(D) を稼働させましたぞ。

f1.8 1/1000sec. (ISO250) 2025.4.8.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: Angenieux 12.5mm F1.8 TYPE J11
Imgp8060s

この鏡玉は絞っても周辺が甘いままなのですが、それなりの面白さは兼ね備えていますぜ。

f5.6 1/500sec. (ISO250) 2025.4.8.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: Angenieux 12.5mm F1.8 TYPE J11
Imgp8016s

Angenieux 12.5mm F1.8 TYPE J11(1958, D-mount) & PENTAX Q
Img_9219s

2025年4月 7日 (月)

北茨城春模様

ひさびさに いわきアリオス の楽器弾き込みおしごと隊結成なるも、隊員1名の風邪が抜け切らずに隊長との2人旅と相成りましてな🤣

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いつもよりスムーズに東京を脱出できたので、チト寄り道して奥久慈の国道経由で北茨城の春をiPhoneで堪能。

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奥久慈の国道349号線沿いはちょうどお花見日和、桜の古木あり、キラキラに光る菜の花畑あり、桃色全開の桃の木あり、ただ隊長の花粉症はまことにお気の毒💦

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隊長お気に入りの山間の茅葺き屋根の温泉は残念ながら本日休業で、入り口の桜も標高が高いせいか三分咲き。

Img_1209s

山から海にくだる途中の対岸の桜が絶景、あくまでも目的は楽器の弾き込み(写真ナシで御免w)なので、iPhoneだけでよかったよかったwww

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