中島みゆき 作詞/作曲『雨が空を捨てる日は』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『雨が空を捨てる日は』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/320082
『雨が空を捨てる日は』は1976年6月にリリースされた研ナオコのシングル《LA-LA-LA/雨が空を捨てる日は》B面に収録された、中島みゆき作詞作曲の提供曲です。そして同年1976年10月にさっそく中島みゆき本人のアルバム第2作め《みんな去ってしまった》の第1曲に収録、さらには翌1977年にちあきなおみのアルバム《ルージュ》でカバーされているという、当時なかなかウケを取れていた曲なようです。めっちゃ演歌な湿っぽい出だしからのこのなんともうすら寒いどんよりした雰囲気、さすがさすがの初期の中島みゆきでありますナ🧐
実は今回の動画で1894年製ベーゼンドルファーで弾く中島みゆきシリーズが第99曲めとなり、来月ついに100曲めをアップできる予定です。来月は2月、ナニがある月なのか、みなさん当〜然ご存知ですよね〜。2016年11月に『愛される花、愛されぬ花』をアップしてから8年、嬉しいことに楽譜が欲しいという声がときどき届きまして、この100曲めの機会を逃すワケにゃいかんとくっっっそ重い腰を上げようとw。ピアノ用編曲をネット上販売するにあたっての著作権処理は特に難しくないことも判明、まぁナメクジの歩みでのんびり行こうと思ってます。どうぞよしなに🐌🐌🐌
<雨が空を捨てる日は
忘れた昔が 戸を叩く
忘れられない 優しさで
車が着いたと 夢を告げる>
これぞ詩作そして思索の妙、着想としてざっと平たく書けば「雨の日はなにやら昔を思い出して切なくなるものよ」てな感興なのでしょうが、デキる詩人の手にかかるとこうも素敵で美しい表現になっちまうんですね〜。まぁ若かりし中島美雪嬢(本名ね)にも、昨年2024年11月13日に亡くなった谷川俊太郎の詩に打ちのめされた大切な経験があるワケで、古今東西を問わずいつの世でもレベルを知る人材たちの切磋琢磨たるや、すさまじいものなのでしょうね。
<忘れる筈もない。実は私には、谷川俊太郎という名を聞いただけで土下座したくなるような思い出があったのだ。>(雑誌「鳩よ!」1991年3月号)
中島美雪嬢は1972年『あたし時々おもうの』で第2回全国フォーク音楽祭全国大会で優秀賞を受賞し、この曲でプロデビューするてはずになっていましたが、全国大会の課題として出された谷川俊太郎の詩『私が歌う理由』に衝撃を受けてしまった美雪嬢はデビューを思いとどまったのでした。1970年代初頭のフォーク界で実力で勝ち取ったプロデビューのハナシを白紙にできるなんて、ちょっとやそっとのキモの座り方じゃないですわよ。そう言えば、18歳にしてショパンコンクールで優勝したのに8年も表舞台に出てこなかったポリーニという大ピアニストもおりましたが、昨年2024年3月23日に亡くなってしまいました。
<空は風色 ため息模様
人待ち顔の 店じまい>
雨の日に昔を思い出してそれにひたっている主人公でしょうが、思い出にひたって<ため息>ばかりついているワケにもいかず、名残惜しくも<人待ち顔の 店じまい>と相ならざるを得ないんですよね。まぁ思い出ってぇシロモノはどのような思い出であっても、美しいと同時に寂しいもの、と相場は決まっているのでありま〜す✨
<雨が空を 見限って
あたしの心に のり換える>
『雨が空を捨てる日は』のキーワードは当然ながら<雨>で、それはあくまでも感情を持たぬ自然界の降水現象wに過ぎませんが、中島みゆきの歌詞にはホントに多種多様な<雨>が登場しますね。本来こころがないハズの事物であってもひとのこころを通すことで象徴として再解釈されて鑑賞者の心を動かすワケで、それができてこその芸術家の存在価値。詩人ってすごいですよね〜。
<雨が空を捨てる日は
直しあきらめる 首飾り
ひとつ ふたつと つなげても
必ず終わりが 見当たらない>
ここに谷川俊太郎の『私が歌う理由』の影響を感じてしまうワタクシでございましてな。なにしろ・・・
<私が歌うわけは
いっぴきの仔猫
ずぶぬれで死んでゆく
いっぴきの仔猫>(谷川俊太郎『私が歌う理由』冒頭)
出だしの二行がちょっと不思議な形になっており、一行め最後の「は」という係助詞に「対照」という「なにかを提示することで、そのなにかから連想できる潜在的な別の意味合いを想起させる」という役割を与えています。一見すると関係がない一行めと二行めとで読み手は一瞬「?」となりますが、それに続く二行がその感覚的な種明かしになっている、という構造が同じなんですね〜💡
<空は風色 ため息模様
人待ち顔の 店じまい>
雨の日に昔を思い出してそれにひたっている主人公でしょうが、思い出し続けたって忘れられなくたってどこかで<終わり>を作らなければならない。それはわかっていても、わかっていてもですよ、あ〜、も〜、そんなの、無理に決まってるんです。<首飾り>は切れてしまえば使えないですし、直してしまえば<終わり>がないワケでして。そんな未練たっぷりな主人公の心はまさに<人待ち顔の 店じまい>ですね。いやはや中島みゆきの言葉の力、冴え渡ってますわ。
<雨が空を 見限って
あたしの心に 降りしきる>
今度の<雨>は<あたしの心に のり換える>のではなく<あたしの心に 降りしきる>とは、これまた詩ならでは。雨模様の空から昔を思い出した主人公は、結局泣きたくなってしまったのでしょうね。<雨>は空を見限ることができたようですが、主人公の心のうちはま〜だまだ未練たっぷりなようです。同時に、例によってですが、最初期の中島みゆきだからと言って恋心の未練のみに感覚を限定させてしまうのは、詩の鑑賞としてはチトもったいない。個々人それぞれが歩んできた人生に照らし合わせて一緒に心に降りしきる雨を感じてじんわりしたいものです。
そう言えば、この『雨が空を捨てる日は』は、アルバム《みんな去ってしまった》の第1曲でしたっけ😭
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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