フォト

カテゴリー

« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

2024年12月の5件の記事

2024年12月20日 (金)

YAMAHA U3B 山口正城モデル 1959年製 で、ヘルマン・ネッケの『Nachtfahrt auf dem Königssee/夜のケーニヒス湖上散歩, op.241』を

1959年製の YAMAHA U3B 山口正城モデル で、ネッケの『Nachtfahrt auf dem Königssee/夜のケーニヒス湖上散歩, op.241』を弾きました。例によっての ピアピット のオーバーホールに加えてお得意のカスタム塗装を施したので、オリジナルとは色調が異なっていますよ〜(*´-`)

このデザインは長年根拠なくレーモンドによるデザインとされていましたが、近年YAMAHAが特許庁の意匠登録データなどを精査し直した結果、代表デザイナーを示す「意匠考案者」が工業デザインの重鎮の千葉大教授だった山口正城氏(1903-1959)であったことが再発見されました。なお「意匠考案者」がレーモンドだった機種は、アップライトの一機種だけだった由。

・毎日新聞 2023/3/19
https://mainichi.jp/articles/20230315/k00/00m/040/317000c?fbclid=IwAR2ie2YkxgX8M8xaYgGD6qQrPO5cw7kpsfi47OYWQocs7joepzTgvbSzyUo

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

作曲のヘルマン・ネッケ/Hermann Necke(1850−1912)はドイツの作曲家で運動会の定番曲『クシコス・ポスト』の作曲者としての一面でのみ現代に名を残していると言っても過言ではないでしょう。例によってほぼ完っっっ全に忘れられていますが、この『Nachtfahrt auf dem Königssee/夜のケーニヒス湖上散歩, op.241』は情景描写が秀逸で適度に複雑で聴きやすい曲ですよ〜(・o・ゞ

2024年12月15日 (日)

いわき詣で

Img_9249s

いつも音出し要員としてお手伝いしているいわきアリオスの16フィート弦つきチェンバロで、92歳の矍鑠たるレジェンド小林道夫先生がゴルトベルク変奏曲を弾かれるとあらば、馳せ参じる以外の手はなし🫡

Img_9237s

常磐線下り普通列車には高萩までグリーン車の料金設定があるとは言え、少し前のダイヤ改正で日中は土浦で切り離し折り返しとなった由、それなら早く出れば良いだけなので7時ちょい前(特に早くはないw)に出発。いわき到着が10時47分なので地元民オススメの駅近鮮魚店併設お食事処の開店ちょい前でカ〜ンペキ。冬季限定のどぶ汁定食があったのは僥倖か🤗

Img_9242s

会場のいわきアリオスの小ホールロビーには過去の古楽器公演のチラシの展示がごっそり、当〜然ながらみなさまめ〜っちゃお若くいらして大ウケ🫢

Img_9244s

2024年12月11日 (水)

EMERSON/エマーソン Cabinet Grand 4フィート9.5インチ(147cm) 1900年製 で、ラインホルトの「印象, op.68」から、第10曲『Dämmerung/夕焼け』を

1900年製の EMERSON/エマーソン Cabinet Grand, 4フィート9.5インチ(147cm)で、ラインホルトの「印象, op.68」から、第10曲『Dämmerung/夕焼け』を弾きました。

EMERSON/エマーソン は米国はボストンのメーカーです。1849年に William P. Emerson により W. P. Emerson Piano Company として創業、創業者が1870年代後半に亡くなってから The Emerson Piano Company となりました。かなり成功したメーカーらしくネット上では何種類ものカタログが発見できますが、どれもこの個体の1900年と少〜し異なる時代のカタログで特に前パネルの形状に一致する機種が見当たらずでした。残念😅

なお、これは鶴見で戦後から頑張ってきた「大塚ピアノ社」がその昔貸しピアノとして活用していた個体です。1922年からの国産の名ブランドである「PRIMATONE/プリマトン」発売元であった横浜元町の「大塚ピアノ商会」で修行した先代:大塚功作氏が鶴見で「大塚ピアノ社」として独立した頃からの生き残りで、2024年秋の店じまいでピアピットが引き取りました🫡

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

ラインホルト/Hugo Reinhold(1854−1935)はウィーンで生涯を送った作曲家、ピアニストです。生前はなかなか人気があったようですが、例によって忘れ去られていますね〜(・o・ゞ

2024年12月 9日 (月)

1970年代初頭の GERSHWIN/ガーシュイン G-50W で、ラインホルトの「Suite mignonne/いとしき組曲, op.45」から、第2曲『ロマンス』を

1970年代初頭の GERSHWIN/ガーシュイン G-50W で、ラインホルトの「Suite mignonne/いとしき組曲, op.45」から、第2曲『ロマンス』を弾きました。例によっての @ピアピット の入荷品、長期間放置されていた個体をクリーニングしてしっかり時間をかけて再調整、日本の中堅メーカーの底力でよみがえりましたぞ。

GERSHWINは昭和28年の大岡楽器製作所から脈々と続くブランドで、大岡楽器製作所→白鳥楽器製作所→スワン楽器製造株式会社→ガーシュインピアノ株式会社→東日本ピアノ製造株式会社→株式会社バロックへと受け継がれています。この個体は東日本ピアノ製造株式会社の時代、レンナーハンマーを使った高級モデルですね〜。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

作曲のラインホルト/Hugo Reinhold(1854−1935)はウィーンで生涯を送った作曲家、ピアニストです。生前はなかなか人気があったようですが、例によって忘れ去られていますね〜(・o・ゞ

2024年12月 3日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『杏村から』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『杏村から』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『杏村から』は1977年にリリースされた研ナオコの通算4枚目のアルバム《かもめのように》に収録された、中島みゆき作詞作曲の提供曲です。そして翌1978年の春のツアーで中島みゆき本人が歌い、1981年にシングル《あした天気になれ/杏村から》として発売されています。なんとも美しくじ〜んわり来る情景と心象が渾然一体となったこの雰囲気、さすがさすがの初期の中島みゆきであります。かつてのシングル盤のB面って案外と佳曲が多くて渋〜い存在、な〜んと1982年にカセットテープ(!)で《中島みゆきB面コレクション》なるモノが発売されていたりますね〜😝

 ふられふられて 溜息つけば
  街は夕暮れ 人波模様

初期の中島みゆきですから<ふられふられて>は想い人にフラれたと脊髄反射してしまいますが、まぁ人生長い短いに関わらず、人と関われば思い通りにコトが運ばないことなんぞいくらでもありますネ。やることなすこと裏目に出てしまうときのなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感は誰しも経験あるでしょう。

 子守唄など うたわれたくて
  とぎれとぎれの ひとり唄をうたう

他人なんぞ我関せずな帰宅を急ぐ夕暮れの雑踏の中の主人公、そりゃ〜誰かしらに慰めてもらいたいでしょうがそれも叶わず、<ひとり唄をうたう>というのが都会という<>にあふれる孤独。そう、主人公だけでなく、夕暮れの雑踏を形づくる皆が寂しく孤独なのが都会なんですね。団地住まいで隣人の姿を見たことすらないことが増えてきた、と指摘されるようになったのは1970年代後半よりもう少し後だったようになんとなく記憶していますが、この都会の孤独を美しい唄として託してしまった20代半ばの中島みゆき、恐るべし。

 明日は案外 うまく行くだろう
  慣れてしまえば 慣れたなら

これは単純な倒置法ですね。ひっくり返すとナルホドでありま〜す💡

 <慣れてしまえば 慣れたなら
  明日は案外 うまく行くだろう>

都会の孤独の中で生きていくためには、それに慣れてしまうのが手っ取り早いと言えば手っ取り早いワケで。孤独を感じていても明日は必ずやってきますし、ひとと関わらないワケにもいかず、まぁ孤独な状況に<慣れてしまえば>案外とうまく行ったりするっちゃする感じもしますなw

 杏村から 便りがとどく
  きのう おまえの 誕生日だったよと

孤独を唄っている曲なのになんとも美しく温かい雰囲気の理由がここで解決(なにげにコレも倒置法ですな)。都会に生きる主人公の孤独を癒してくれるのは、やはり<杏村>として隠喩されている「ふるさと」なんですね。誕生日当日ではなく翌日に<便りがとどく>というのは、おまえを決して忘れていないんだよ〜、という温かい眼差しだからこそでしょう。そして、この眼差しは実は「生まれ故郷」という狭い範囲にとどまらず、逆にこの温かい眼差しを投げかけてくれる「なにか」こそが主人公にとってほんとうの心のふるさとであり、生きていくためのよりどころなのではないでしょうか。そのような「なにか」が見つけられたならば、人生は案外と悪くないものになるのでしょうね。

 ふるさとへ 向かう最終に
  乗れる人は 急ぎなさいと
  やさしい やさしい声の 駅長が
  街なかに 叫ぶ『ホームにて』1977年)

な〜るほど、『ホームにて』『杏村から』と同じ1977年で、しかも大ヒットシングル《わかれうた》のB面でしたっけ💡

 町のねずみは 霞を食べて
  夢の端し切れで ねぐらをつくる

町のねずみ>でピンと来るのはイソップ寓話の一つ『田舎のネズミと都会のネズミ』ですが、現代の若者たちもピンと来るのでしょうかね〜。それはともかく、都会の便利さ危険さそして孤独の中であっても、人それぞれささやかな<夢の端し切れ>は抱いていると思います。

 眠りさめれば 別れは遠く
  忘れ忘れの 夕野原が浮かぶ

夢の端し切れ>とともに眠りにつけば、昨晩感じていたなんとも言えないやるせなさ、切なさ、無力感はなんとなく慣れっこになって、日々の生活の中で<忘れ忘れ>になっていくのでしょうか。それにしても、この歌詞のなんとも美しいことよ。

 明日は案外 うまく行くだろう
  慣れてしまえば 慣れたなら

  杏村から 便りがとどく
  きのう おまえの 誕生日だったよと

・・・イヤ実は、昨日の12月2日はワタクシの誕生日だったのよ😛



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のコメント

無料ブログはココログ