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こんなトコにやって来ました😎
これからしばらくヨーロッパ行脚、今回は台北桃園空港経由でパリに飛ぶのですが、乗り継ぎ時間が6時間で出入国を伴うワケですから台北市内に出ても1時間いられるかどうかwなので、空港からタクシーで20分400台湾ドル(=2000円弱)のローカル夜市を襲撃〜😋
観光客は全く見かけず地元民ばかり、いかにも台湾のフツーの生活がここに。もちろん現代ですから歩きスマホや歩きゲーム機もイヤホン姿も少なくないのですが、小さな子供連れがめっちゃ昭和なアナログゲームに興ずる姿にはやはり「にんげん」を感じますね👌
十文字に広がる夜市全体を観察してもまぁ15分程度、客の入りは見事にバラバラでしばし迷うも、安定の集客力とみえたココに突入。果たして大正解でございました✌️
実はココにも強く惹かれたのですが、これからパリまで15時間ですしそれなりの長旅になるので撤退でござったw
1968年製の EASTEIN/イースタイン No.150 で、イリインスキー「幼き女の子の一日, op.19」から第2曲『ワルツ』を弾きました。
EASTEIN/イースタインは宇都宮の工場で生産したピアノを東京銀座に本社を置く『東京ピアノ工業』が販売していたブランドで、戦後の関東ピアノ工業会の一大勢力でありました。玉石混淆な日本のメーカーの中で「木工加工から部品製造、組立までを自社で」という方針のもと、こだわり抜いた独特な音色の美しさに定評があるメーカーでした。この150型は《限度を1坪》として間口147cm×奥行158cmで設計され、1959(昭和34)年の発表以来、大変に売れていたようです。
なお、イースタインの150型について徹底的に調べた方がいらっしゃり、FUKUYAMA & SONS との関連についても触れられています。
https://niga2.sytes.net/wordpress/?p=419
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2
イリインスキー/Alexander Ilyinsky(1859-1920) はロシアの作曲家で、20歳でベルリンに留学して専門教育を受けています。『幼き女の子の一日, op.19』は24曲からなる比較的平易な小品集で、小じゃれた佳品の数々がなかなか魅力的ですよ〜(・o・ゞ
FUKUYAMA & SONS に OEM 提供していた同型の動画もどうぞ😉
1971年製 YAMAHA U3F で、アウリス・レイヴィツカの『即興曲 ニ長調』を弾きました。
ピアノ修理工房はこだわりがハンパないとこが少なくないですが、このピアノを偏執的探究心のカタマリ(褒め言葉w)をもってして仕上げた埼玉は春日部の「シオンピアノ工房」のこだわりの方向性、包括的理論的論理的かつ極めて明快なところがまことに小気味良いです。無論、技術的にも安定安心最優秀レベルなのは言わずもがな。まさかこのテのピアノがこんなにもイイ感じになるのか〜?! というピアノを見せつけられるのが毎回めっちゃ新鮮✨ 今回のオーバーホール品はこだわりの材料でとことん突き詰めるという方向ではございませんが、それでもここまで追い込んでしまわずにはいられないのがさすがの変態工房(褒め言葉www)。
アップライトピアノって、アクション動作の原理からして少し雑に弾く方が表現がしやすい一面があるとワタクシ思っているのですが、このシオンピアノ工房特別仕様の「グランドピアノテイストオプション」のアップライトピアノは全くそうではなくてヤラレました。鍵盤の底に指が進むに従って注意力をガッツリ鋭敏にせねばならぬ、というグランドピアノな感覚で弾かないと弾く感触も音色も表現もまるでダメになってしまうという、弾き手にとってか〜なり厳しい楽器になりやがっていました😅
この「グランドピアノテイストオプション」は物理的にまことに明快な方向なのですが、徹底に徹底を重ねたアクション調整技術を持たぬ技術者には方法を知ったところで手も足も出せないオプションであることも理解。ローマは一日にして成らずで、職人魂という良質で厳密な手作業の積み重ねのみが良い技術者を生み出すんだなぁと改めて感じ入りました。
*シオンピアノ工房
http://zionpiano.starfree.jp/
チェコ東部モラヴィアの作曲家ヤナーチェクによる『草かげの小径にて 第一集』から第1曲「われらの夕べ」を、戦前日本のH.Matsumoto/エチ松本ピアノ 十號 で弾きました。
H.Matsumoto/エチ松本ピアノは、日本のピアノ製作の先駆者である松本新吉の長男である広(ひろし)の個人経営として、月島で関東大震災の翌年から東京大空襲で全焼させられるまで製造されていました。H.Matsumoto/エチ松本ピアノは当時高まっていたピアノの需要に応えるための大量生産であり、新吉と六男:新治による音づくりの信念である「スヰートトーン」とは異なる方向ですが、このような「量」と「質」のせめぎ合いはどんな時代でも避けられないんですよね〜🧐
*「エチ松本」はカタログの表記そのままで、「エイチ松本」ではございませんぞ!
例によってのピアノ工房ピアピットの入荷品、修復後しばらく放置されていたフシがありますが悪くない状態で、修復前の音を録ってみました。
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2
動画内にも載せているこのエチ松本ピアノカタログ(印刷年不詳)には高さ4フィート2インチ(=127cm)の「十號」と「十一號」が併記(ステッカーによる修正)されており、「十號」は85鍵で「十一號」は88鍵となっています。この現物は高さ実測125cmですが、まぁ「十號」と判断して差し支えなかろうと思います。
*資料提供:三浦啓市
DIAPASON/ディアパソンの1957年製 No.125 アップライトピアノで、キスラー『3つのレントラー, op.81』から、第1曲 変イ長調を弾きました。例によってのピアピットによる内部のみクリーニング品ですぜ(*´-`)
DIAPASON/ディアパソンはご存知のよく知られた国産ピアノで、天才技術者の誉れ高い大橋幡岩氏の高い志を実現すべく製造されたのが始まりです。この動画の個体は1957年製、製造の浜松楽器工業の社長が1956年に死去して大橋幡岩氏も1957年末に辞職したというタイミングの楽器で、浜松楽器工業がカワイの傘下に入る1年前、大橋幡岩氏が直接に関わっていた最後期の製品と思われます。
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2
キスラー/Cyrill Kistler(1848-1907)はミュンヘンの音楽学校でオルガンと作曲を学び、作曲家そして音楽理論の教師として名を馳せました。リヒャルト・シュトラウスと並び称され、ワーグナーがキスラーのことを「唯一のふさわしい後継者」と称するなど名声を博していたという記載も一応はありますが、今では忘れ去られていますね〜。キスラーは1889年に Würzburg でオペラ『Eulenspiegel/オイレンシュピーゲル』を初演しますが、実はコレはリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のきっかけだったりするんですよ〜👌
2024年11月10日、大阪は堺の『スペースクリストーフォリ堺』主催公演の大役を仰せつかりましてな💪
現代的な合理化を一切廃して多少の弾きづらさなどなどは意に関せず、といういさぎよ過ぎるほどの完全オリジナル主義な修復方針にこだわり抜く山本宣夫氏の本拠が『スペースクリストーフォリ堺』、山本宣夫氏はココで25年前の1999年に1726年製クリストーフォリピアノの奇跡的な完全複製楽器を作り上げたのでした(なお、浜松市楽器博物館の有名なのとは別の個体です👌)。この奇跡の一部がこの記事↓です。
*山本宣夫氏のインタビュー
ホンモノの熱意というのは神がかりのように運を引き寄せるのだと納得させられます。運も実力のうち!
https://phoenixhall.jp/interview/2004/06/01/747/
20年前まではこの山本宣夫氏の1726年製クリストーフォリピアノでの活動をワリと頑張っていたワタクシ、昨年2023年豊中市での「とよなかクリエイティブ・ガーデン」でのひさびさの再会を機に加齢なw復活、月並みな表現ですが、過ぎ去りし青春時代に一瞬でタイムスリップしましたよ〜😭
「最初のピアノはチェンバロの躯体に弦を叩く機構を取り付けただけの不完全なシロモノだった」と憶測するだけなら知識があろうがなかろうが容易ですが、いまだにピアノの専門家な方々ですら案外とこの程度の認識でとどまっているコトが少なからずなようで歯がゆいです。例によってと言うべきかw史実は全く異なっており、Cristofori のピアノはチェンバロよりはるかに複雑強靭に組まれていて、しかもこの1726年製の個体の打弦機構(アクション)はウナるしかないほどに洗練されています。
*打弦機構の動画をどうぞ〜✨✨✨
そして、これまた特殊な「ダブル・ベントサイド構造」のために複雑強靭な躯体を持ちながら響板は雑な表現を許してもらえれば柔らかく「浮いた」ように仕組まれており、Cristofori のピアノで弾く柔らかいピアニシモは特筆すべき美しさなのです。そのためCristofori のピアノとクラヴィコードとの親和性が極めて高く、比較的小規模な会場でこの2台を演奏するというのは我がスタイルとして確立できたような気がいたします✌️
この山本宣夫氏による複製楽器は「未完成かつ不完全なシロモノ」という根拠のない憶測を吹っ飛ばすに足る驚くべき出来栄えで、やはりピアノという楽器は Cristofori という「真の天才による偉大な発明」だったのだろうなぁと思わされます。願わくば、この動画でその魔力のごく一部でも伝われば幸いです。
PEASE/ピーズ は米国はニューヨークのメーカーです(pease は「平和」でなく「えんどう豆」ですぞ)。1844年 Chauncey D. Pease により創業、1873年に Gustavus W. Kindstrom と協業して “Pease & Kindstrom” となりましたがこの協業は翌年に解消、あらためて “Pease & Company” として再編されています。この個体は “Pease & Company” になってからのもので、スタイルからしておそらくは1900年前後の製造ではなかろうかなぁと推測しています。
なお、これは鶴見で戦後から頑張ってきた「大塚ピアノ社」がその昔貸しピアノとして活用していた個体です。1922年からの国産の名ブランドである「PRIMATONE/プリマトン」発売元であった横浜元町の「大塚ピアノ商会」で修行した先代:大塚功作氏が鶴見で「大塚ピアノ社」として独立した頃からの生き残りで、2024年秋の店じまいでピアピットが引き取りました🫡
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2
ノリス/Albert Locke Norris(1867−1940)はアメリカのオルガニストそして作曲家です。このop.34-1はボストンの Arthur P. Schmidt社から1915年に出版されており、Pease社のピアノとほぼ同じ時代の作品ですよ〜👌
1964年製 KAWAI No.K50 で、クレーヴェ「7つのピアノ曲, op.1」から第6曲『田園曲』を弾きました。
KAWAIのK-50には新旧モデルがありまして、フレームの表記が旧モデルは「No.K50」で高さ130cm、新モデルは「K-50」で高さ125cmです。この個体は旧モデルで購入後数年は定期的に調律されるもその後50年以上放置、それでもさすがの量産以前のカワイで、クリーニングと再調整のみで幅広〜く豊かな響きそして軽い鍵盤の動きになりました。塗装もしっかりしていて、美しい艶になりました👌
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
Halfdan Cleve/ハルフダン・クレーヴェ(1879−1951)は、ノルウェーのピアニストで作曲家。オルガニストであった父親からかなりのスパルタ教育を受け、神童の名をほしいままにしていたとのこと。ベルリンでかのシャルヴェンカ兄弟に師事しており、数多くのピアノ曲を作曲しています。
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