中島みゆき 作詞/作曲『海鳴り』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で
中島みゆきの『海鳴り』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。
『海鳴り』は、1978年発売のアルバム《愛していると云ってくれ》に収録されています。《愛していると云ってくれ》は中島みゆきの第4作めのアルバムですが、大ヒット作の『わかれうた』が入っていますし、フラれ歌の女王らしさと2年後の問題作《生きていてもいいですか》の出現を予感させていたかのような『化粧』の不穏な雰囲気とを兼ね備えた、相当にヒネくれて充実wしたアルバムと思います。前作《あ・り・が・と・う》とともにYMO結成直前の坂本龍一が参加していたというのもな〜かなか興味深いところで、めっっっちゃトンがっていたであろう当時の坂本龍一と中島みゆきが一緒に音楽を作っていた現場なんて、ちょ〜っと想像を超えますね〜😳
さて、中島みゆきは帯広で青春期を送っていますが、それ以前幼稚園年長から小学校5年生までは岩内(いわない)で暮らしています。帯広は大平原の街ですが、岩内は積丹半島の南のつけ根で日本海の荒波が打ちつける漁師町。昭和30年代半ばですから海から吹き付ける風の厳しさも冬の雪の厳しさもひとしおだったことでしょう。なお、国鉄岩内線は1962(昭和37)年2月1日に客貨分離されて旅客がディーゼル化されており、中島美雪嬢(本名)って岩内線の近代化をちょうど体験しているんですね〜w
<海鳴りが寂しがる夜は
古い時計が泣いてなだめる>
1978年発売のアルバムの曲ですから、<古い時計>は荘重な柱時計一択ですね。遠く近く聞こえる海鳴りと古い柱時計のカチコチ音そして定時を知らせる鐘の音、これだけで寂しげな情景が浮かび上がってくるではございませんか。
<遠く過ぎて行った者たちの
声を真似して 呼んでみせる>
<海鳴り>とはあくまでも感情のない自然現象にすぎませんから、それが寂しがって聞こえたり<遠く過ぎて行った者たちの声を真似して>聞こえたりするということは、それを聞いている主人公の心こそが寂しく、そして<遠く過ぎて行った者たち>を想っているのであります。アルバム発売当時の中島みゆきはようやく26歳、さすが底知れぬ感性の持ち主ですわ〜😳
<海よ おまえが 泣いてる夜は
遠い 故郷の 歌を歌おう
海よ おまえが 呼んでる夜は
遠い 舟乗りの 歌を歌おう>(『海よ』1976年)
中島みゆきが「海」を唄うことは決して多くはないですが、デビューアルバムにこの曲が入っていることもまた、中島みゆきが「海」に対してなにか特別な感興を抱いているのではないかと思わされます。昭和30年代半ばの岩内は活気にあふれていたでしょうがその自然環境は厳しく、中島みゆきの独特な「翳り」の源泉の一つなのではないでしょうか。
<紅灯の海は優しい 海と名の付くものは優しい>(『紅灯の海』1997年)
<紅灯>とは、まぁ「赤ちょうちん」なのですが、歓楽街とは確かにその活気と表裏一体となった「人生の翳り」にあふれている場所でもあるんですよね。
<覚えてるよ 覚えてるよ
この足元で はしゃいでいたね
覚えてるよ 覚えてるよ
時計だけが 約束を守る>
人間も環境も全てがうつろう万物流転なこの世界ですから、ある程度人生を過ごしてきたヒトなら皆、<約束>とは必ずしも永遠でもないことは何度となく思い知らされますね(そうですよね?)。それらと無関係に無情に一定の時を刻むものは<時計>という存在であり、その存在を<約束を守る>という無情とは真逆の表現に落とし込むこのセンス、むちゃくちゃ冴えてますわ〜。それにしてもこのなんとも寂しい疎外感というか喪失感、いったい何ぞ。
<海鳴りよ 海鳴りよ
今日も また お前と 私が 残ったね>
これぞ寂しさの極致、<海鳴り>は海がある限り鳴り続けるワケで<時計>と同様に永遠の象徴でもあり、主人公もまた永遠に変わらぬことを願いそのように行動しているはずなのに、逆にその結果<海鳴り>と自分独り以外誰一人として残っていないのであります。そのやるせなさを包み込んでくれるのが広い広い「海」であり、その存在を聴感的に伝えてくれる<海鳴り>なのでしょうか。ですが<海鳴り>とはあくまでも感情のない自然現象なんですよね〜。
<見てごらん 今歩いてゆく
あんな ふたりを 昔みたね
そして 今日は 明日は 誰が
私の ねじを 巻いてくれるだろう>
柱時計はゼンマイを巻かなければ止まってしまうことを、現代人は知らねばなりませぬ。主人公が時計のように永遠に変わらぬためには、誰かにネジを巻いてもらわねばならないのです。主人公はかつて<ふたり>であってゼンマイを巻いてもらえていたのは確かなようですが(コレ、想いびとに限らないですね)、そのことで逆に時計とともに独りになってしまったのでしょうか。いやいやいや、どないせぇっちゅ〜んじゃ。
<忘れないで 忘れないで
叫ぶ声は 今も 聞こえてる
忘れないよ 忘れないよ
時計だけが約束を守る>
<忘れないで>と叫んでいたのは主人公のみならず、かつて<ふたり>であったお互いでしょう。しかしそれは彼方に過ぎ去ってしまい、その約束は守られなかったのですね。<海鳴り>は寂しさを慰めてくれるときもありましょうがむしろ寂しさをつのらせてくる存在でもあるわけで、その雰囲気をギターの分散和音による伴奏が見事に表しています。この曲、地味かも知れませんが、まことに沁みますね😭
<海鳴りよ 海鳴りよ
今日も また お前と 私が 残ったね>
ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。
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