中島みゆき 作詞/作曲『命のリレー』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『命のリレー』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『命のリレー』は《夜会VOL.13─24時着 0時発》(2004年1月3日~28日/渋谷・Bunkamuraシアターコクーン)のために作られたオリジナル曲です。クライマックスの第7場「転轍」と最後の「舞台挨拶に替えて」で唄われており、2005年にリリースされたアルバム《転生(TEN-SEI)》に収録されたのは夜会の「舞台挨拶に替えて」と同じバージョンで、歌詞も新たに追加されています。なお、アルバム《転生(TEN-SEI)》は《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲から11曲をセレクトしたもので、いわばサウンド・トラック盤ともいえるアルバムです。
中島みゆきの作品群で「転生」がかなり重要な位置を占めていることは、ファン歴の浅いワタクシでも容易に感じ取れています。《夜会VOL.13─24時着 0時発》の「24時着 0時発」のタイトルからして「生まれ直す命」への想いがあふれており、まさに『命のリレー』という世界観ですよね〜💡
<ごらん 夜空を星の線路が
ガラスの笛を吹いて 通過信号を出す
虫も獣も人も魚も
透明なゴール目指す 次の宇宙へと繋ぐ>
およそ形あるものには必ずゴールがあるものですが、簡潔平易ながらまことに雄大なスケールで表現されてますよね〜。ここで人の生き死にに限らず、人生におけるさまざまな「区切り」そして人生に限らずさまざまな「場面転換」もまた「転生」の機会であることにまで意識を向けたいと思います。
<僕の命を 僕は見えない
いつのまに走り始め いつまでを走るのだろう
星も礫も人も木の葉も
ひとつだけ運んでゆく 次のスタートへ繋ぐ>
スタートがあってゴールがあるということ自体は理解できていても、確かにスタート地点もゴールラインも原理的に「点」としては認識できないんですよね〜。「転生」で重要なのは、この<次のスタートへと繋ぐ>という「可能性を意識すること」なのかもしれないのかなぁ・・・とかなんとか。
<本当のことは 無限大にある
すべて失くしても すべては始まる>(『無限・軌道』2004年)
『無限・軌道』も《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲ですが、<本当のことは 無限大にある>とやはり再出発後の「可能性」を強く強く応援してくれているような気がいたします💡
<望みの糸は切れても
救いの糸は切れない
泣き慣れたものは強かろう
敗者復活戦>(『倒木の敗者復活戦』2012年)
この<敗者復活戦>そして<救いの糸は切れない>も同様で、再出発後の「可能性」を高らかに応援していますよね〜。そしてこの『命のリレー』のサビ、個人的な再出発にとどまらずにさまざまな存在が関わり合うことで大きな<願い>を引き継いでゆく、という営みの気高さを謳いあげているようにさえ思わされます。昨今のネット上では結託してdisったり攻撃したりする姿ばかりが異常〜に目につきますが、そんなしょ〜もないことにエネルギー使わないで、協力してイイもの作ろうぜ😤
<この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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