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2024年8月の6件の記事

2024年8月31日 (土)

中島みゆき 作詞/作曲『MEGAMI』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『MEGAMI』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『MEGAMI』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の3曲め、A面5曲の真ん中です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、これから現在2024年に至るまで中島みゆきのアレンジャーがず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解です。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されて年々上がり続けているとかいろいろと余計なハナシもございまして。実はワタクシ、ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️

 子供の頃に もらったような
  甘い菓子など 飲み込めなくて
  苦いグラスに 溺れてるおまえを
  今夜もひとり ひろってゆこう


「純粋無垢な子供」と「雑念やら苦しみに満ちた大人」とを対比させる、なんつ〜のは使い古されてカビが生えていますが、だからこそ古今東西の表現者たちが手を替え品を替え使いまくるんですよね〜。それにしても、それをこのように美しい謳い出しの一連として表現してしまう中島みゆきの才覚、恐るべし。

 どのみち短い 眠りなら
  夢かと紛う 夢をみようよ


主人公の立場は女神、全てを包み込んでくれる優しさに満ちた存在と信じたいのはヤマヤマですが、ちょ〜っと待て待て。この歌詞の『MEGAMI』が与えてくれる安らぎはあくまでも<>であって、しかも<どのみち短い>束の間の安らぎにすぎないということか。まぁそれであっても長い人生、束の間の安らぎが与えてくれる「なにか」がどれほど大切であるかは皆さんよ〜っくご存知ですよね。

 おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  己れのための 愛を持たない
  おいでよ
  MEGAMI 受け入れる性
  MEGAMI 暖める性
  みかえり無用の 笑みをあげよう


主人公たる『MEGAMI』の言葉は包み込むように限りなく優しく、これが中島みゆきの歌詞であることが信じがたくすら思えますがw、その限りない優しさは『MEGAMI』の<性=さが>=持って生まれた運命→逃れられない運命であるワケで、この一連に仕込まれた<己れのための 愛を持たない>の一行のなんと寂しさ哀しみに満ちていることでしょうか。包容力やら優しさやらの裏側には共感が存在し、<みかえり無用>でとどまるどころか相手の苦しみをも引き受けてしまうことも少なからずなのであります。この境地に至るまでに主人公はどれほどたくさんの苦しみ悲しみ痛みを引き受けてきたのでしょうか。相談者に共感し過ぎてしまうカウンセラーは、遅かれ早かれ自分の心がヤラれてしまうんですよね〜。

 今日もだれか 哀れな男が
  坂をころげ落ちる
  あたしは すぐ迎えにでかける
  花束を抱いて

  おまえがこんな やさしくすると
  いつまでたっても 帰れない

  遠いふるさとは おちぶれた男の名を
  呼んでなどいないのが ここからは見える
『あぶな坂』1976年)

中島みゆきのファーストアルバムの口開けの『あぶな坂』の2番、この主人公もまた闘いばかりの<哀れな男>に束の間の安らぎを与える存在で、これまた哀しい存在と思えます。その「束の間の安らぎ」が美しくとも醜くとも必須の栄養であること、人生はキビしかりけり。

 あんたの 悪い夢を喰っちまいます
  あんたの 怖い夢を喰っちまいます
  あんたの つらい夢を喰っちまいます
  あんたの 泣いた夢を喰っちまいます
『バクです』2011年)

中国から伝わった伝説の動物:獏(バク)は、日本では悪夢を喰ってくれるとされています。悪夢を喰った獏もまたまことに哀しい存在。

「御乱心の時代」明けのアルバム《グッバイ・ガール》のA面真ん中にこの『MEGAMI』を配した中島みゆきの意図やいかに?



この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年8月29日 (木)

1950年ごろ製造 STEINBERG/スタインベルグで、ボエルマンの『インプロヴィゼーション集, op.28』から、第1曲を

戦後おそらく1950年前後と思われる STEINBERG/スタインベルグ(内山楽器製造)で、ボエルマンの『インプロヴィゼーション集, op.28』から、第1曲を弾きました。例によってのピアピットの入庫品でクリーニングと再調整のみ、な〜かなか味わい深い音色ですよ〜。

STEINBERG/スタインベルクは戦前のドイツはベルリンのメーカーですが、この個体はそれとは縁もゆかりもなく、実は日本で主に下請けとしてピアノを製作していた内山楽器製造が製作していたものです。動画内に載せた品番を消した痕(な〜んとなくNo.350と読めそうな気がしませんか?)からして、他メーカーの鋳物フレームを流用した製品と推測できます。

相互の了解のあるなしに関わらずwww部品の流用は頻繁にあった業界ですし、そもそも鋳物フレームの設計・発注なんぞは知識をごっそり持って資本力がある限られたメーカーしかできなかったワケで、右上のブランド名だけを差し替えれば流用できるようにしている設計にしてあるところもまことに興味深いです。このようなメーカー間の提携・流用関係を知る人はあらかたあの世に行ってしまっていることが残念でなりません。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

参考文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2

Léon Boëllmann/ボエルマン(1862-1897)はオルガン方面で有名なフランスの作曲家で、ご多分にもれずにオルガニストでありピアニストでもありました。この『インプロヴィゼーション集, op.28』は良い感じでおふらんすな洒脱さが随所に光る佳作集ですよ〜(・o・ゞ

2024年8月26日 (月)

戦前1938(昭和13)年製 YAMAHA 平臺3號(=No.3, 209cm)で、ブラームスの『ワルツ集, op.39』から第15番を

戦前1938(昭和13)年製、名品として名高く貴重な 日本樂器(現:YAMAHA)平臺3號(=No.3, 209cm)がいつものピアノ工房ピアピットに入庫、調律があまり乱れていなかったので修復前の状態を記録しておきました。曲はご存知ブラームスの『ワルツ集, op.39』から有名な第15番です。オリジナルでは象牙だった鍵盤が貼り替えられているなど、一度どこかでオーバーホールされた形跡はありますが、ものの30分ほどの音出しで戦前のベヒシュタインがごとき鳴りそして気品がよみがえってきてウナらされましたぞ😳

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

日本樂器(現:YAMAHA)は1921(大正10)年からベヒシュタインと提携、1926(大正15)年にベヒシュタインから技師シュレーゲルを招聘しており、1938(昭和13)年製のこの個体がベヒシュタイン系統の方向性であるのは必然と思います。昭和14年のYAMAHAのカタログに載っている平臺3號はこの個体と全く同じ6本脚、脚のつけ根の浮き彫りまで全く一緒ですので、特注品のセンは極めて薄いと思われます。なお、外装の飾り塗装は持ち主がおそらく戦後に地元の職人に依頼したもの、とのことでした😉

2024年8月16日 (金)

YAMAHA U1E 1967年製 で、モシュコフスキーの『4つの楽興の時, op.84』から、第3曲を

YAMAHA/ヤマハのU1E 1967年製の音です。例によってのピアノ工房ピアピットの品物、いかに安定安心のYAMAHAといえども齢55を超えたご老体ですから、ドック入りさせてある程度手を入れることでまた心地よく弾けるようになりますよ〜。この個体は激しく消耗していたわけではなく、クリーニング&再調整で充分でした。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
https://www.piapit.com/repair.html

モシュコフスキー/Moszkowski(1854-1925)はポーランド出身のユダヤ系ピアニスト、作曲家、指揮者で、有名でカッコいい『15の練習曲/15 Études de virtuositié op.72』の作曲者として知られます。かなりの数のピアノ曲を作曲していますが、数えるほどの曲しか知られていないのがか〜なりもったいない作曲家ですぞ💡

2024年8月 7日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『命のリレー』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『命のリレー』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『命のリレー』《夜会VOL.13─24時着 0時発》(2004年1月3日~28日/渋谷・Bunkamuraシアターコクーン)のために作られたオリジナル曲です。クライマックスの第7場「転轍」と最後の「舞台挨拶に替えて」で唄われており、2005年にリリースされたアルバム《転生(TEN-SEI)》に収録されたのは夜会の「舞台挨拶に替えて」と同じバージョンで、歌詞も新たに追加されています。なお、アルバム《転生(TEN-SEI)》《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲から11曲をセレクトしたもので、いわばサウンド・トラック盤ともいえるアルバムです。

中島みゆきの作品群で「転生」がかなり重要な位置を占めていることは、ファン歴の浅いワタクシでも容易に感じ取れています。《夜会VOL.13─24時着 0時発》の「24時着 0時発」のタイトルからして「生まれ直す命」への想いがあふれており、まさに『命のリレー』という世界観ですよね〜💡

 ごらん 夜空を星の線路が
  ガラスの笛を吹いて 通過信号を出す
  虫も獣も人も魚も
  透明なゴール目指す 次の宇宙へと繋ぐ


およそ形あるものには必ずゴールがあるものですが、簡潔平易ながらまことに雄大なスケールで表現されてますよね〜。ここで人の生き死にに限らず、人生におけるさまざまな「区切り」そして人生に限らずさまざまな「場面転換」もまた「転生」の機会であることにまで意識を向けたいと思います。

 僕の命を 僕は見えない
  いつのまに走り始め いつまでを走るのだろう
  星も礫も人も木の葉も
  ひとつだけ運んでゆく 次のスタートへ繋ぐ


スタートがあってゴールがあるということ自体は理解できていても、確かにスタート地点もゴールラインも原理的に「点」としては認識できないんですよね〜。「転生」で重要なのは、この<次のスタートへと繋ぐ>という「可能性を意識すること」なのかもしれないのかなぁ・・・とかなんとか。

 本当のことは 無限大にある
  すべて失くしても すべては始まる
『無限・軌道』2004年)

『無限・軌道』《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲ですが、<本当のことは 無限大にある>とやはり再出発後の「可能性」を強く強く応援してくれているような気がいたします💡

 望みの糸は切れても
  救いの糸は切れない
  泣き慣れたものは強かろう
  敗者復活戦
『倒木の敗者復活戦』2012年)

この<敗者復活戦>そして<救いの糸は切れない>も同様で、再出発後の「可能性」を高らかに応援していますよね〜。そしてこの『命のリレー』のサビ、個人的な再出発にとどまらずにさまざまな存在が関わり合うことで大きな<願い>を引き継いでゆく、という営みの気高さを謳いあげているようにさえ思わされます。昨今のネット上では結託してdisったり攻撃したりする姿ばかりが異常〜に目につきますが、そんなしょ〜もないことにエネルギー使わないで、協力してイイもの作ろうぜ😤

 この一生だけでは辿り着けないとしても
  命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年8月 2日 (金)

1976年製 Fritz Kuhla/フリッツクーラ 特製50号で、クレーヴェの『エレジー, op.14-2』を

1976年製のFritz Kuhla/フリッツクーラ 特製50号 でクレーヴェの『Elegie, op.14-2』を弾きました。例によっての ピアピット の気合いイレ過ぎなオーバーホールですぜ(*´-`)

Fritz Kuhla/フリッツクーラは、はアポロピアノで有名な東洋ピアノ製造による上位機種で、高品質の木材を使って丁寧な手作業で作られカッチリした「グランドピアノと比べても遜色ない仕上がり」を標榜していた由。その方向が年月経ってカチンコチンになってしまいましたが、ハンマー交換を含めたしっかりしたオーバーホールで生まれ変わりましたよ〜(*´-`)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

作曲のHalfdan Cleve/ハルフダン・クレーヴェ(1879−1951)は、ノルウェーのピアニストで作曲家。オルガニストであった父親からかなりのスパルタ教育を受け、神童の名をほしいままにしていたとのこと。ベルリンでかのシャルヴェンカ兄弟に師事しており、数多くのピアノ曲を作曲しています。

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