1950年ごろ製造 ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンで、カリンニコフの『悲しき歌』を
戦後おそらく1950年前後と思われる アレキサンダー ヘルマン(福山ピアノ社、Material Made in Germany)で、カリンニコフの『悲しき歌』を弾きました。
ALEXANDER HERRMANN/アレキサンダー ヘルマンは20世紀初頭創業のドイツは Sangerhausen(ザンガーハウゼン、旧東ドイツ地域)のメーカーですが、この個体は銘板に「Material Made in Germany」と明記されていまして、実は日本の福山ピアノ社がドイツの本家から部品を輸入して日本で製作していたブランドのようです。まぁこの銘板そのものは英語表記でかつ動詞の「made」まで大文字始まりの「Made」になっているので、日本の職人お得意のコピー技術で本家をマネた可能性大と思いますけどね〜w
フツーに考えればこれはいわゆる「ニセモノ」とか「パチモン」とかで終わってしまいそうなシロモノですが、ちょ〜っと待っていただきたい。少なくともこの個体は曲を弾いた際の余韻がおよそ日本のピアノ製作伝統からかけ離れているとさえ思わせられるような繊細さを持ち合わせていてビックリ、福山ピアノ社が直接指導を受けたうえでその通り真面目に製作していた可能性すら想像できそうな素晴らしさでした😳
動画内にも載せましたが、この福山ピアノ社カタログの ALEXANDER HERRMANN の項に<独逸最堅牢アレキサンダーヘルマンスケールにより製作せる最高級品><独逸ローイスレンナー会社へ特別注文せる世界的内部弊社直輸入製作品>という表現があり、また福山ピアノ社は1946年に国際水準到達を目標に10年計画を立ててブリュートナーの徹底的な研究・分析に着手したとのことで、あながち伊達や酔狂による誇大広告でもなさそうに思えます(同時に誇大広告華やかなりし時代でもあるので、ナンとも判断しづらいのもホンネw)。
*資料提供:三浦啓市
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
基礎文献:三浦啓市『日本のピアノメーカーとブランド』
https://www.ankasha.com/books/books2
Vasily Kalinnikov(1866−1901)はロシアの薄命の作曲家です。モスクワ音楽院に入学するも学費が払えず退学、さらにチャイコフスキーに認められるも結核のため南部への転地療養を余儀なくさせられて35歳を目前にして亡くなる・・・というのはなかなかに悲劇的な人生であります。この『悲しき歌』はいかにもロシア民謡な雰囲気を濃厚に備えた佳作ですぞ✨
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