中島みゆき 作詞/作曲『バラ色の未来』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『バラ色の未来』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『バラ色の未来』は1994年にリリースされたアルバム《LOVE OR NOTHING》の3曲めです。中島みゆきなのに『バラ色の未来』を唄うとはこれいかに・・・ですが、やはりさすがさすがのヒネった解釈てんこ盛りで、希望と幸福に満ちたバラ色の未来な歌詞を想像すると見事に裏切られるのがいつもながらサイコーですぞ💡
<今より未来のほうが きっと良くなっていくと
教えられたから ただ待っている
星はまたたいて笑う 星はころがって笑う 今夜、月のかげに入る>
なにしろ歌い出しがコレですから、一気に社会風刺感満載でございますな。立ち止まって冷徹に考え直せば、陰謀論者ならずとも<バラ色の未来>なんつ〜シロモノは誰かに操作され仕組まれた虚像、という一面は否定しづらかろうと思います。もちろん<教えられたから ただ待っている>という側にも問題は大アリで、自分に都合良い<星>の存在を期待するだけでナニも行動しないのでは、<星>に笑われて消え去られるのがオチですわな。今(2024年6月末)は東京都知事選挙の阿鼻叫喚wのまっ最中、この曲に込められているメッセージの現実感が不必要なまでに高まってしまうのは東京都民ゆえの事情で御免😅
<だれかが耳うちをしている だれかが誘いをかけてる
あなたも幸せになりたいでしょうと
だれかがあなたの手をとって だれかがあなたの目を閉じて
未来はバラ色ですと言う>
これねぇ、昔からずっっっと言われてきているシャレにならん指摘なのですが、なかなか実感として届かないんですよ〜。人民ひとりひとりの力は弱いので団結せねば権力に太刀打ちできないのですが、団結から外れて抜け駆けすれば<未来はバラ色です>、と手を替え品を替え甘言を弄して切り崩しにかかる権力の狡猾さよ。<あなたも幸せになりたいでしょう>とかなんとか利益を誘導して人心を掌握するのは権力の常、貧しいところに雀の涙の補助金をぶら下げれば投票行動を変えさせられるのですから、まぁ人民なんてちょろいモンなんでしょね〜😑
<わかってる 未来はまだ遥か遠くて届くまでに
まだ何千年もかかると
僕は僕に手紙を書く
僕にあてて手紙を書く>
ここに記されている<未来>とは<バラ色の未来>のことでしょうね。<バラ色の未来>があると信じてただ待っていた昔の僕に、<(バラ色の)未来はまだ遥か遠くて届くまでに まだ何千年もかかる>のだし待っていちゃダメだぞ、と今の主人公は昔の僕に手紙を書きたいのでしょうか。ですが過去の自分を変えることはできず、この手紙は永遠に届かないんですよね〜。後悔先に立たず😓
さて続けて、中島みゆきは情け容赦なくたたみかけてきます。ここの間奏が妙に短いのは、たたみかけるために必要だったのでしょか。
<だれもまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない
これだと言われたらそうかなと思う
しだいにそれじゃなきゃイヤだと思い込むようになって
それがないのがつらくなる>
これはね〜ホントにね〜、全くもってド正論で厳し〜いですわ。将来に来たるべき<バラ色>は他者にお膳立てされるものでは決してなく、<バラ色>を作り上げるのは自分自身に他ならないのでありま〜す。まぁね、自分で彩りから何から何までも決めなければならぬ<バラ色>なんて大変ですし不確かですし、他者にお膳立てされれば楽ですし、それに慣れてお膳立てされた環境を<バラ色>だと思い込むのが幸せへの切符であることもまた確かだったり。この一連、この曲に込められたメッセージのキモだと心得ました。
さて『バラ色の未来』の入ったアルバム《LOVE OR NOTHING》がリリースされたのは1994年10月、それから半年もしない翌1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こります。そうかそうか、<未来はバラ色ですと言う>のは時の権力ばかりではないのでありました。この歌に予言的な意味があったか否かには興味はないですが、人生にはいくらでも<バラ色>の誘惑ってぇヤツは口を開けて待ち構えているんですよね〜。
あの、その、ホレ、この楽器を買えば<未来はバラ色です>とか、このカメラを買えば<未来はバラ色です>とか、このレンズを買えば<未来はバラ色です>とか、この模型を買えば<未来はバラ色です>とか、この工具を買えば<未来はバラ色です>とか、この万年筆を買えば<未来はバラ色です>とか、いやはや、詰まるところ人生の悪魔なんつ〜シロモノは他ならぬ自分が招き寄せているという自業自得。買ったときは<未来はバラ色>なんだけどなぁ、とほほほ😭
なんだか盛大に脱線したような気もしますがw、初心忘るるべからず、思い出そうぜ!
<教えてよ 僕の憧れてたあの頃
バラの色はどんな色だったというのか
僕は僕に手紙を書く
僕にあてて手紙を書く>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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