中島みゆき 作詞/作曲『俱に』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『俱に(ともに)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『俱に』は2023年にリリースされたアルバム《世界が違って見える日》の最初の曲です。もとは2022年10月10日〜12月19日に放送されたフジテレビ系ドラマ『PICU 小児集中治療室』の主題歌で、「生きるとは」「命とは」「家族とは」という普遍的な問いに向き合ったドラマの世界観を支えています。そして同時に、コロナ禍の中を果敢に辛抱強く生きてきた人々の心に寄り添う「愛」と「勇気」の歌、という意味も込められている・・・とのことです。
(『俱に』の漢字は旧字体で「倶に」ではないんですよ〜😳)
<手すりのない橋を 全力で走る
怖いのは 足元の深い峡谷を見るせいだ
透きとおった道を 全力で走る
硝子かも 氷かも 疑いが足をすくませる>
『俱に(ともに)』という寄り添うタイトルでありながらこのような孤独で不安な書き出し、作詞のテクニックとしては常套手段なのでしょうが、<手すりのない橋>と<透きとおった道>という、えも言われぬ不安を掻き立てる情景の選択ってば毎度ながらこれぞ中島みゆきでウナらされますわ〜。中島みゆきにとっても前のアルバム《CONTRALTO》からコロナ禍もあってか3年あまりの空白を経てのアルバム《世界が違って見える日》のリリース、その口開けの曲として誰もが感じているであろう不安感でアルバムを始めるのは、必然でもあったのでしょうか。
<つんのめって 出遅れて 日は沈む 雨は横なぐりだ>
そう、凡人は全力で走ろうとは思っていても不安だからな〜かなか走れないんですよね〜。そうこうしているうちに状況は悪くなるばかり、な〜んとも思い当たるフシがありすぎです。そういえば、『とろ』にはこんなシーンが。
<とろ、何とかならないか
考え考え日が暮れる>(『とろ』2006年)
先送りしてしまうヒトって考えるだけで手ェ動かさないから全っっっ然進まないんだよね〜、って言われますが、はいはい、ご無理ごもっとも。だ〜って、ど〜やって手を動かすかを考えなきゃならないんですから、そこを解決しないままにそんなありがたいご指摘されてもな〜んにもならないんですわ😅
<俱に走りだそう 俱に走り継ごう
過ぎた日々の峡谷を のぞき込むヒマはもうない>
それなりに長く人間稼業を続けていれば過去の栄光とか過去のヤラかしとかいくらでも。それを振り返ること自体は仕方のないことと思いますが、振り返ってばかりで先を見ないのもどうなのよと。いや、そりゃ、まぁ、その分先に進めというのは至極真っ当なご正論でご無理ごもっともでございますが、あぁぁ耳が痛い痛すぎるw
<俱に走りだそう 俱に走り継ごう
生きる互いの気配が ただ一つの灯火>
これぞ中島みゆきの真骨頂(こればっかw)。「寄り添う」というのは物質的なつながりのみならず、精神的なつながりなんですよね。人生において俱(とも)に在る誰かが確かにいるという感覚のありがたさ、我々がコロナ禍で人と人との物理的なつながりを意識的に避けねばならなくなったという体験をさざるを得なかっただけに、本っっっ当〜にはかり知れないものがあると思います。人生はしばしば大海原に例えられますが、昔、羅針盤の発明以前には見渡す限り海しか見えない大海原での唯一のよりどころは昼は太陽であり夜は星。外洋から戻ってきて初めて陸地が見えるところには灯台が設置されることが多いのですが、その<灯火>が見えたときの船乗りの安堵感もはかり知れなかったことでしょう。
『俱に』はアルバム《世界が違って見える日》に先立って『銀の龍の背に乗って』と両A面シングルとしてリリースされていますが、そう言えば!
<急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ>(『銀の龍の背に乗って』2003年)
ふ〜む、シングル盤で<灯火>と<羅針盤>を対にさせるという深謀遠慮、中島みゆきならヤリかねないですねん💡
<身代わりは要らない 背負わなくてもいい
手を引いてこちらへと 示してほしいわけでもない
君は走っている ぜったい走ってる
確かめるすべもない 遠い遠い距離の彼方で
独りずつ 独りずつ 僕たちは 全力で共鳴する
俱に走りだそう 俱に走り継ごう
風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
俱に走りだそう 俱に走り継ごう
生きる互いの気配が ただ一つの灯火>
この2番、やはり物質的なつながりでなく精神的なつながりあってこその人生ですよね。ここで思い返すのは、毎度のことながら『二隻の舟』の世界観。たとえ物理的物質的に隔たっていたとしても、俱に走り続け走り継ごうとする全ての存在に対してそれぞれの意志を鼓舞しているのでしょう。いやはや、めっっっちゃカッコいいですわ〜。
<おまえとわたしは たとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟>(『二隻の舟』1992年)
<敢えなくわたしが波に砕ける日には
どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
それだけのことでわたしは海をゆけるよ
たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても>(『二隻の舟』1992年)
コロナ禍その他もろもろの難題山積で人間の存在自体が<風前の灯火>とすら感じさせられるような今、それでも生きねばならぬという怖さ、そして生き抜けられるだろうかという疑いに満ちた我々にとって、真に心を通わせられる相手/対象を見出せることこそが生きる望みそして喜びなのではないでしょうか。まぁそれはそれで、確固たる信頼感とともに茫漠たる不安感と静かな覚悟とを同居させるというなんとも言い表せぬ心持ちでもあるのですが、あらゆるヒトにとって人生は初めて体験することの連続なんですよね〜。願わくば、今が人類の<風前の灯火>でないことを切に切に祈ります。
<俱に走りだそう 俱に走り継ごう
風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
俱に走りだそう 俱に走り継ごう
生きる互いの気配が ただ一つの灯火>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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