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2024年4月の21件の記事

2024年4月26日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『俱に』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『俱に(ともに)』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)

『俱に』は2023年にリリースされたアルバム《世界が違って見える日》の最初の曲です。もとは2022年10月10日〜12月19日に放送されたフジテレビ系ドラマ『PICU 小児集中治療室』の主題歌で、「生きるとは」「命とは」「家族とは」という普遍的な問いに向き合ったドラマの世界観を支えています。そして同時に、コロナ禍の中を果敢に辛抱強く生きてきた人々の心に寄り添う「愛」と「勇気」の歌、という意味も込められている・・・とのことです。
『俱に』の漢字は旧字体で「倶に」ではないんですよ〜😳)

 手すりのない橋を 全力で走る
  怖いのは 足元の深い峡谷を見るせいだ
  透きとおった道を 全力で走る
  硝子かも 氷かも 疑いが足をすくませる

『俱に(ともに)』という寄り添うタイトルでありながらこのような孤独で不安な書き出し、作詞のテクニックとしては常套手段なのでしょうが、<手すりのない橋>と<透きとおった道>という、えも言われぬ不安を掻き立てる情景の選択ってば毎度ながらこれぞ中島みゆきでウナらされますわ〜。中島みゆきにとっても前のアルバム《CONTRALTO》からコロナ禍もあってか3年あまりの空白を経てのアルバム《世界が違って見える日》のリリース、その口開けの曲として誰もが感じているであろう不安感でアルバムを始めるのは、必然でもあったのでしょうか。

 つんのめって 出遅れて 日は沈む 雨は横なぐりだ

そう、凡人は全力で走ろうとは思っていても不安だからな〜かなか走れないんですよね〜。そうこうしているうちに状況は悪くなるばかり、な〜んとも思い当たるフシがありすぎです。そういえば、『とろ』にはこんなシーンが。

 とろ何とかならないか
  考え考え日が暮れる『とろ』2006年)

先送りしてしまうヒトって考えるだけで手ェ動かさないから全っっっ然進まないんだよね〜、って言われますが、はいはい、ご無理ごもっとも。だ〜って、ど〜やって手を動かすかを考えなきゃならないんですから、そこを解決しないままにそんなありがたいご指摘されてもな〜んにもならないんですわ😅

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  過ぎた日々の峡谷を のぞき込むヒマはもうない


それなりに長く人間稼業を続けていれば過去の栄光とか過去のヤラかしとかいくらでも。それを振り返ること自体は仕方のないことと思いますが、振り返ってばかりで先を見ないのもどうなのよと。いや、そりゃ、まぁ、その分先に進めというのは至極真っ当なご正論でご無理ごもっともでございますが、あぁぁ耳が痛い痛すぎるw

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火


これぞ中島みゆきの真骨頂(こればっかw)。「寄り添う」というのは物質的なつながりのみならず、精神的なつながりなんですよね。人生において俱(とも)に在る誰かが確かにいるという感覚のありがたさ、我々がコロナ禍で人と人との物理的なつながりを意識的に避けねばならなくなったという体験をさざるを得なかっただけに、本っっっ当〜にはかり知れないものがあると思います。人生はしばしば大海原に例えられますが、昔、羅針盤の発明以前には見渡す限り海しか見えない大海原での唯一のよりどころは昼は太陽であり夜は星。外洋から戻ってきて初めて陸地が見えるところには灯台が設置されることが多いのですが、その<灯火>が見えたときの船乗りの安堵感もはかり知れなかったことでしょう。

『俱に』アルバム《世界が違って見える日》に先立って『銀の龍の背に乗って』と両A面シングルとしてリリースされていますが、そう言えば!

 急げ悲しみ 翼に変われ
  急げ傷跡 羅針盤になれ
『銀の龍の背に乗って』2003年)

ふ〜む、シングル盤で<灯火>と<羅針盤>を対にさせるという深謀遠慮、中島みゆきならヤリかねないですねん💡

 身代わりは要らない 背負わなくてもいい
  手を引いてこちらへと 示してほしいわけでもない
  君は走っている ぜったい走ってる
  確かめるすべもない 遠い遠い距離の彼方で
  独りずつ 独りずつ 僕たちは 全力で共鳴する
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火


この2番、やはり物質的なつながりでなく精神的なつながりあってこその人生ですよね。ここで思い返すのは、毎度のことながら『二隻の舟』の世界観。たとえ物理的物質的に隔たっていたとしても、俱に走り続け走り継ごうとする全ての存在に対してそれぞれの意志を鼓舞しているのでしょう。いやはや、めっっっちゃカッコいいですわ〜。

 おまえとわたしは たとえば二隻の舟
  暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
  互いの姿は波に隔てられても
  同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟
『二隻の舟』1992年)

 敢えなくわたしが波に砕ける日には
  どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
  それだけのことでわたしは海をゆけるよ
  たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても
『二隻の舟』1992年)

コロナ禍その他もろもろの難題山積で人間の存在自体が<風前の灯火>とすら感じさせられるような今、それでも生きねばならぬという怖さ、そして生き抜けられるだろうかという疑いに満ちた我々にとって、真に心を通わせられる相手/対象を見出せることこそが生きる望みそして喜びなのではないでしょうか。まぁそれはそれで、確固たる信頼感とともに茫漠たる不安感と静かな覚悟とを同居させるというなんとも言い表せぬ心持ちでもあるのですが、あらゆるヒトにとって人生は初めて体験することの連続なんですよね〜。願わくば、今が人類の<風前の灯火>でないことを切に切に祈ります。

 俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  風前の灯火だとしても 消えるまできっちり点っていたい
  俱に走りだそう 俱に走り継ごう
  生きる互いの気配が ただ一つの灯火




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

2024年4月19日 (金)

1932年製のSCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design で、ノリス「3つのピアノ曲, op.34」から、第1曲『Remembrance/追憶』を

1929年製の SCHILLER/シラー Style H: Hepplewhite Design で、ノリスの「3つのピアノ曲, op.34」から、第1曲『Remembrance/追憶』を弾きました。

例によっての渡辺順一さんのピアピットによる徹底的なオーバーホール品です。ボロボロガタガタだったのをとにかく新品当時に戻すべく、徹底的に観察してガッツリ手を加えてのオーバーホールでじっくりと一年、寸法資料はおろか SCHILLER/シラー社が求めていた楽器としての方向性もナニもかも誰も知らないワケで、無数の部品をイイ感じで機能させるための詳細な観察そしてバランス調整は想像を絶する世界だなぁと思わされました。いやはや、どんな分野でも、多面的重層的に理解している技術者たちってばホントに凄まじい存在ですね〜😳

SCHILLER/シラーは米国イリノイ州はオレゴンのメーカー、1890年頃から1936年まで独立経営でその後 Cable Company と合併し、SCHILLERブランドはそのラインナップの中で最高級品とされてさまざまなスタイルによる「アートケース・ピアノ」を数多く生産していました。なお小さな機種ばかりということもあり、SCHILLERブランドはあくまでも家庭用の最高級品という位置づけであったようです。ネット上で合併前1929年のカタログが発見でき、細部は異なりますが奥行5フィート2インチ(=158cm弱)のStyle H, Hepplewhite Design であろうと判断しました。

この1929年のカタログでは「音響業界がラジオや蓄音機のおかげで著しく発展しているのにピアノ業界は旧態依然としており、唯一、Schiller社だけが例外的に最先端の知見を援用している」という主張をしています。

<最新のラジオや蓄音機の開発でこのような顕著な発展をもたらしたものと同じ原理が Schiller Super Grand の発音部分にも援用されています。
 他社のグランドピアノとは異なり、シラー社のグランドピアノの響板の振動部分はケースから独立しています。 (ラジオのスピーカーユニットの振動板にも同じアイデアが見られます。)
 その結果、信じられないほどの深みと歌唱力を備えた音色が生まれました。響板がケースとの接触から解放されて振動することで、わずかなタッチに瞬時に反応すると同時に持続的な共鳴が得られています。>(Schiller社カタログ、1929年)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

ノリス/Albert Locke Norris(1867−1940)はアメリカのオルガニストそして作曲家です。このop.34-1はボストンの Arthur P. Schmidt社から1915年に出版されており、Schiller社のピアノとほぼ同じ時代の作品ですよ〜👌

2024年4月16日 (火)

天王寺駅北、阪和商店街

昨今「裏天王寺」とか言われてウケを取っているのがこの一角。天王寺駅は一大ターミナル駅ですが、北側のアーケード街にはなかなかの雰囲気が残っているんですよね〜。

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この古いアーケード街な雰囲気の中に新旧のお楽しみどころがごちゃごちゃとひしめいている感じ、さまざまな客層が集まりそうで元気なのも納得👌

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山王/助六

西成の朝メシ3軒めにしようと意気込んで訪ねたのですが・・・

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まさかまさかで第3火曜日定休、と貼り増されていてノケゾリましたわ〜💦

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まぁ悔いが残ればまた訪ねたくもなるから、それはそれでまぁ良きかと😅

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動物園前商店街

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西成の商店街といえば、動物園前商店街ですね。

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今ではか〜なりシャッター街と化していますが、若者ノリの新しい(滅菌消毒されたw)ディープさを追求したテナントもちょこちょことあって、それはそれで悪くないのかなぁとかなんとか。

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見上げると「ディープ大阪ストリート」ののぼり、これが時代の移り変わりそして生き残り戦略なのは確かですが、お好み焼屋のおかんの寂しげな語りがよみがえってきてなんとも切なく。

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西成/大寅食堂

関西の玉子焼きは出汁巻き、これがなんとも優しくてイイお味なんですよね〜😝

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西成らしさはやはり最安の豚汁定食500円でなけりゃね〜。

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500円でコレなら松屋の朝定食の方が、と申されるのは、いや、まぁ、そりゃ正しいっちゃ正しいですが、ヤボの極みw。西成は日雇労務者の街から観光地に変わってしまったことをココでも実感できましたとさ。

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西成/きらく

昔の大迫力の雰囲気はほぼ消えてしまったとは言え、ところどころにその片鱗が残っているのが現代の西成。

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その中でもか〜なりディープなたたずまいを誇るのがココ。ホルモン煮込みをそばorうどんor中華そばに乗っけるだけなので一瞬で着丼💪

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450円では昔の日雇労務者には全く手が届かない金額だよなぁ・・・と時代が完全に変わってしまったことを述懐しつつ、このホルモンのなんとも味わい深いこと。

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主にフワ(肺ですね)らしきガッツリ煮込まれてしかも硬くなっていない内臓は、日雇労務者たちにとって欠くことのできないエネルギー源だったのでしょうね。

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2024年4月15日 (月)

新今宮、ホテル東洋

なんばの豪華ホテルも決して悪くないですが、やっぱりワタクシはこっちの方が好みでござる。けっこう昔にたまに重宝していた、いわゆる「ドヤ」をイイ感じに塗り直したwであろう西成の安宿でござい。Booking.com 経由が安くて、予約時のレートで US$10.51(=1611円)でやったぜ。

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今となってはすっっっかりインターナショナルなゲストハウスに様変わり、な〜かなか活気に満ちていましたよ〜。

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3畳エアコンなしの簡易宿泊所でこれまた外国人ばかり(案外と欧米系多し😳)ではありますが、マナーは上々(足音はヤカましかったw)で小ぎれいならば無問題。

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扇風機とあんかが備え付けで無料なのもポイント高し、しかもフロント前には無料のウォーターサーバー、さらに驚くべきは無料Wi-Fiの存在。さぁすが、インターナショナルな方向性で成功しているところは知恵が違いますわ〜。

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西成/甘すぎてすみません

なんばの豪華ホテルのような方向性も決して嫌いではないですが、やっぱりワタクシはこっちの方が好みでござるw

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西成の動物園前商店街のど真ん中、昔ながらの風情そのまんまのお好み焼屋さん「甘すぎてすみません」

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おかんの髪型といいちこ&二階堂の瓶の風情は、まことに昭和の古き良き大阪。味つけが甘すぎることもなく、単なるシャレっ気でつけた屋号だとかw

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「このへんも寂しくなったわぁ、昔ながらの店がここ5年くらいでごっそりなくなってもうた。今では労務者の街でのうて観光地やからなぁ。」というおかんの語りがまっっっこと切なくて😭

スイスホテル大阪難波

スペースクリストーフォリ堺の次回演奏者という待遇のおかげで、なんとなんと豪華(に見えるw)ホテルの体験wができました✨✨✨

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朝食バイキングも充実度ハンパなしで大行列でしたが、宿泊客はまぁ仕方ないとしても従業員ですら日本人はほぼ見かけられず、これぞ現代日本の凋落なんだなぁと思わざるを得ませんでした😮‍💨

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宿泊客にほとんど日本人がいないのであれば、英語が話せない日本人が従業員として雇ってもらえなくなるのは当然なんだろうなぁと。日本人が安くて従順な労働力としか見られなくなる時代を感じました😮‍💨

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2024年4月14日 (日)

スペースクリストーフォリ堺、25周年コンサート

南海電車の堺駅から北野田駅までのバス(45分ちょいかかるのですが)が宿院を通っておりまして、本日のお目当てのスペースクリストーフォリ堺まで40分弱かけての〜んびりと🐌

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演奏者の小林道夫先生は91歳にしてなんとも若々しく、そして新進気鋭の川口成彦さんが若々しいのはまぁ当然w
この演奏会のために山本宣夫さんが修復に奮闘された1805年製のウィーン式フォルテピアノ、美しく鳴っていましたよ〜✨

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というワケで、今年秋のスペースクリストーフォリ堺のコンサートは不肖/不詳ワタクシが仰せつかりました。楽器は泣く子もだまる山本宣夫さんの1726年製クリストーフォリピアノの完全複製、そしてモーツァルトの旅行用クラヴィコードでございます。日程未定ですので、続報お待ちくださいませ〜。

宿院/とん助

阪堺電車で宿院(しゅくいん)まで、お目当てはかろうじて生き残っている「銀ツバサ食堂」でしたが、日曜のせいかお休みで残念無念💦

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しかして、すぐ近くの「洋食専門 とん助」に転進。いかにも地元に愛されている洋食堂で、ご主人の「いらっしゃ〜い!!」の声のデカいことデカいこと。

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サービスランチのこの充実ぶりはさすが大阪ですねん✨

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阪堺電車、新今宮駅前駅

大阪の南側には古い雰囲気がまだまだ随所に残っていて、阪堺電車(はんかいでんしゃ)もその一つですよね〜。

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ガラが悪い地域と言われてきたこのあたりですが、現代ではずいぶんと薄められてきて「ディープスポット」という認識である種の「見どころ」となっているようで😉

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2024年4月12日 (金)

1968年製の YAMAHA U5 カスタム塗装仕上で、クラック「子ども時代の情景, op.62」から第7曲『海の上の小さな舟』を

1968年製の YAMAHA U5 カスタム塗装仕上で、クラックの「子ども時代の情景, op.62」から第7曲『海の上の小さな舟』を弾きました。

1968年は昭和43年ですからピアノ業界に限らず日本全体が活気に満ちており、ヤマハとカワイがゴリゴリにシノギを削っていた時代です。そんな時代にしっかり作られた個体ですが、さすがに45年も経てばオーバーホールするのが望ましく、さらに #ピアピット お得意の茶色系のカスタム塗装仕上ですよ〜(*´-`)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

クラック/Theodor Kullak(1818−1882)はポーランドに生まれ、ベルリン周辺で活躍しました。クラックの音楽学校はドイツ全土で最大の私立音楽学校であり、主にピアニストの養成に特化して名だたる名ピアニストを輩出しています。例えば、グリュンフェルト、モシュコウスキー、ニコライ・ルービンシュタイン、クサヴァー・シャルヴェンカなどそうそうたるメンバーですよね〜。

2024年4月11日 (木)

KERN Switar 13mm F0.9 Dマウント & PENTAX Q@青山霊園

昨日のF0.9開放撮影に味をしめて、薄曇りかなぁということで青山霊園までちょっと盛りを過ぎた桜詣ででござい😎

青山霊園は実は初訪問、お寺の裏手に隠れるようにひっそりと暗い日本の墓地のイメージと全く異なる西洋的な明るくひらけた雰囲気は秀逸、桜を明るくにじませるには絶好のロケーションだったような✨

f0.9 1/5000sec. (ISO125) 2024.4.11.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 13mm F0.9
Imgp7404s

f0.9 1/1600sec. (ISO125) 2024.4.11.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 13mm F0.9
Imgp7415s

KERN Switar 13mm F0.9(D-mount) & PENTAX Q
Img_8953s

2024年4月10日 (水)

KERN Switar 13mm F0.9 Dマウント & PENTAX Q@水元公園さくら土手

昨日は大雨に強風と荒れまくったので桜は全滅だろうなと思いつつ、穏やかな晴天だったので某業務スーパーまで買い出しついでに水元公園のさくら土手に寫眞機持って通りすがったところ、あ〜らビックリ😳
いつも通り8mmムービー用鏡玉、ひさびさにくっっっそ明るい KERN Switar 13mm F0.9 を絞り全開で。

f0.9 1/5000sec. (ISO125) 2024.4.10.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 13mm F0.9
Imgp7356s

f0.9 1/8000sec. (ISO125) 2024.4.10.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 13mm F0.9
Imgp7379s

f0.9 1/500sec. (ISO125) 2024.4.10.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 13mm F0.9
Imgp7383s

この鏡玉を光が存分にある状態で開放で撮ったのは確か初めて、こ〜んなに繊細だったっけ、と思わせられるような線の細さにオドロキでございました

KERN Switar 13mm F0.9(D-mount) & PENTAX Q
Img_8953s

2024年4月 7日 (日)

MEYER Kino Plasmat 12.5mm F1.5(c.1936) Dマウント & PENTAX Q@野川公園

ナゾな高温と朝晩の冷え込み、そして雨降るわ風吹くわの乱暴な天気なこのごろですが、奇跡的に穏やかに晴れた日曜日(むしろ暑かったですよねw)に野川公園に出撃〜✨

HUGO MEYER 社で1936年ころに作られた、8mmムービーカメラ(8mmビデオではナイですぞ)用の超〜クセ玉 Kino Plasmat 12.5mm F1.5 を、これまた微妙に古い PENTAX Q に装着して持ち出しました。この鏡玉、絞りを開けるとクセが際立つのでf1.5開放で、まぁボケ玉を活かすための表現手法がま〜るで思い浮かばないので苦し紛れなのですが💦

f1.5 1/2500sec. (ISO125) 2024.4.7.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: MEYER Kino Plasmat 12.5mm F1.5(c.1936)
Imgp7277s

f1.5 1/3200sec. (ISO125) 2024.4.7.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: MEYER Kino Plasmat 12.5mm F1.5(c.1936)
Imgp7287s

MEYER Kino Plasmat 12.5mm F1.5(c.1936) & PENTAX Q
10265418_566310786820997_2279969802

KERN Switar 12.5mm F1.5 Dマウント & PENTAX Q@野川公園

ナゾな高温と朝晩の冷え込み、そして雨降るわ風吹くわの乱暴な天気なこのごろですが、奇跡的に穏やかに晴れた日曜日(むしろ暑かったですよねw)に野川公園に出撃〜✨

KERN社の、8mmムービーカメラ(8mmビデオではナイですぞ)用の鏡玉 Switar 12.5mm F1.5 を、これまた微妙に古い PENTAX Q に装着して持ち出しました。Macro-Switarは四半世紀も昔から名玉のほまれ高い玉ですが、な〜んのなんのSwitarもイカしますぞ😎

f5.6 1/640sec. (ISO125) 2024.4.7.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 12.5mm F1.5
Imgp7228s

f5.6 1/200sec. (ISO125) 2024.4.7.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 12.5mm F1.5
Imgp7234s

f5.6 1/320sec. (ISO125) 2024.4.7.
 Camera: PENTAX Q
 Lens: KERN Switar 12.5mm F1.5
Imgp7250s

KERN Switar 12.5mm F1.5 & PENTAX Q
Img_7445

2024年4月 6日 (土)

1932年製のSCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design で、ラフマニノフ「7つのサロン風小品, op.10」から第6曲『ロマンス』を

SCHILLER/シラー Style H, Hepplewhite Design 1932年製 で、ラフマニノフ「7つのサロン風小品, op.10」から第6曲『ロマンス』を弾きました。

例によっての渡辺順一さんのピアピットによる徹底的なオーバーホール品です。ボロボロガタガタだったのをとにかく新品当時に戻すべく、徹底的に観察してガッツリ手を加えてのオーバーホールでじっくりと一年、寸法資料はおろか SCHILLER/シラー社が求めていた楽器としての方向性もナニもかも誰も知らないワケで、無数の部品をイイ感じで機能させるための詳細な観察そしてバランス調整は想像を絶する世界だなぁと思わされました。いやはや、どんな分野でも、多面的重層的に理解している技術者たちってばホントに凄まじい存在ですね〜😳

SCHILLER/シラーは米国イリノイ州はオレゴンのメーカー、1890年頃から1936年まで独立経営でその後 Cable Company と合併し、SCHILLERブランドは最高級品という位置づけとされてさまざまなスタイルによる「アートケース・ピアノ」も数多く生産していました。ネット上で合併前1929年のカタログが発見でき、細部は異なりますが奥行5フィート2インチ(=158cm弱)のStyle H, Hepplewhite Design であろうと判断しました。

この1929年のカタログでSCHILLER/シラー社は「音響業界がラジオや蓄音機のおかげで著しく発展しているのにピアノ業界は半世紀昔のまま旧態依然としており、唯一、我が社だけが例外的に最先端の知見を援用している」という宣伝をしています。

 <最新のラジオや蓄音機の開発で顕著な発展をもたらしたものと同じ原理が Schiller Super Grand の発音部分にも援用されています。
  他社のグランドピアノとは異なり、シラー社のグランドピアノの響板の振動部分はケースから独立しています。 (ラジオのスピーカーユニットの振動板にも同じアイデアが見られます。)
  その結果、信じられないほどの深みと歌唱力を備えた音色が生まれました。響板がケースとの接触から解放されて振動することで、わずかなタッチに瞬時に反応すると同時に持続的な共鳴が得られています。>
(Schiller社カタログ、1929年)


*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

・Sergei Rachmaninoff(1873−1943)作曲
「7つのサロン風小品, op.10」から第6曲『ロマンス』
言わずと知れた大ラフマニノフ、とかく超絶技巧な一面ばかりに耳が向けられがちですが、実は歌唱的な伸びやかさそして陰影に富んだ複雑な響きの移り変わりの美しさもこたえられないですね〜。このSchiller社のピアノは繊細に響く弱音のふくよかさが絶品で、この曲の魅力を十全に伝えてくれている気がします👌

2024年4月 3日 (水)

松本記念音楽迎賓館、春雨にけぶる五分咲きの桜

ひさびさに楽器怪説なおしごとで世田谷は岡本の松本記念音楽迎賓館に出撃なれど、安定の雨男は御健在な〜り🤣

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まぁ逆に屋内と屋外の明るさが少なくなってくれて、屋内のチェンバロ&グランドピアノと屋外の桜がイイ感じに合わせられましたぞ✨✨✨

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で、宣伝宣伝。
ちょっと前に ピアピット で収録していた番組がいよいよテレ東の「お直しJAPAN」で今度の日曜4月7日(日)18:30〜のどこかのコマでオンエアです。渡辺順一さんの技が20分くらい放送〜✨

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

ワタクシもちょっとだけ顔出し&演奏で賑やかしてるハズなので、まぁお楽しみくださいましね〜☝️

2024年4月 2日 (火)

1986年製のATLAS AL30-A で、リンコ「3つのバガテル, op.13」から第2曲を

1986年製の ATLAS AL30-A で、リンコの「3つのバガテル, op.13」から、第2曲を弾きました。

アトラスは1960年代から1970年代にかけての押しも押されもせぬド中堅ピアノメーカー、1980年代にはピアノ業界への逆風にマトモにさらされていましたがさすがの生産経験の蓄積、クリーニングと再調整で落ち着いた鳴りが甦っています。カスタム塗装は光が当たるとバッチリ立体的に見えるという凝りすぎネタwですが、動画ではよくわからんのが悔しいです😅

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

リンコ/Ernst Fredrik Linko(1889−1960)はフィンランドのピアニストそして作曲家、シベリウスアカデミーのピアノ教授として長く働き、1936年から1959年まで同アカデミーの所長を務めていました。この作品、いかにも北欧な透明感とちょっと不思議な近代的な雰囲気がイイ感じで融合してますよ〜👌

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