中島みゆき 作詞/作曲『野ウサギのように』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『野ウサギのように』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『野ウサギのように』は1988年にリリースされたアルバム《グッバイ・ガール》の最初の曲です。このアルバム《グッバイ・ガール》は全曲のアレンジを瀬尾一三が手掛けた第1作目で、現在2024年に至るまでアレンジャーはず〜っと変わらずというところ、か〜なり意味のあるアルバムなんでしょね。1980年代半ばから新たな音楽の可能性を模索してきた中島みゆきですが(いわゆる「御乱心の時代」ですね)、瀬尾一三と出会ったこともあってこの時代は終焉を迎えた、というのが一般的理解だそうです。なお、このアルバム《グッバイ・ガール》はCD時代になってからのLPアルバムのラストなのでプレス枚数が少なく、中古市場では高値で取引されているとかいろいろと余計なハナシもございまして。ちょっと値が下がったタイミングで某ヤフオクでウッカリ落札してしまった(美品でバンザイ)というのもココだけのハナシ✌️
<いい男は いくらでもいるから
そばにいてよね いつでもいてよね
誰にだって いいとこはあるから
とかく ほろりと ほだされたりするわ>
<いい男は いくらでもいる>のに、その時々でいつも<そばにいてよね いつでもいてよね>と願う女心、な〜かなかオトコのコにとってはムツカシござる。それでも<いいとこ>を見せるのが上手で女子を<ほろりと>その気にさせやがるオトコもちゃぁんといるワケで、まっっっことにケシカランですな😑
<思いも寄らぬ女になって
変わったねって 哄われるだけ
野ウサギのように 髪の色まで変わり
みんな あんたのせいだからね>
1988年ごろは髪の毛を染めていたのはせいぜい悪役女子レスラーぐらいしかおらず、不良というイメージが定着しかけていた程度だったような感じがします。確か茶髪も1990年代半ばごろから流行り始めたような気がしますが、そのような時代に<髪の色まで変わり>という表現を使うのはか〜なり強い印象(というかかなりの違和感)を持たれたのではないでしょうか。まぁ野ウサギの体毛は夏は茶色で冬には白く生え変わるというのが一般常識だった時代でしょうから、この違和感はウマいこと中和されたのだろなぁ・・・と思いつつ、<みんな あんたのせいだからね>に全部持っていかれるのでありましたwww
<あたしの言うことは 男次第
ほらね 昨日と今とで もう違う>
イヤ、だから、それ、ダマされてるってば💦
それがわかっていてもくっついてしまうのが男女の仲で、あれれと思う間もなく離れてしまうのもまた男女の仲なのかなぁ。これってステディがいないワケでとっても不安定なのですが、主人公はそれに気づいているからこそ・・・
<悪気のない人は みんな好きよ
“好き”と“嫌い”の間がないのよ>
と自分の判断をことさらに正当化してしまうのでしょうね。第三者から見たらま〜るで正当化なんかできてないのですが、コレ、やはり、強がりのなせる一種の自己洗脳wでありま〜す。
<見そこなった愛を 逃げだして
また新しい烙印が 増える
野に棲む者は 一人に弱い
蜃気楼(きつねのもり)へ 駈け寄りたがる>
男女の仲での切ったはった、これすなはち<烙印>ですが、男女の仲にしても人間社会にしてもそこに棲む者が一人に弱いのは誰でもわかっていること。キツネがウサギを狩ることはイメージとしてまだ現代でもそれなりに普通と思いますが、「蜃気楼」の別称が「狐の森」であることを教養として知っている人材は1988年当時ですらかなりの少数派だったのではないでしょうか。「蜃気楼」とは密度の異なる空気層の間での光の屈折で「そこにないものが見える」という現象ですが、それを「安定した愛が見える」と錯覚する意味にかけるのはさすがの中島みゆきのセンス。安定した愛を求めて主人公の野ウサギ(女性)が蜃気楼に駆け寄ってもそこには安定した愛なんぞなく、しかも蜃気楼の正体は狐の森ですから、野ウサギがキツネに狩られてしまうのは当然の成り行きですな。多重構造な掛け言葉の切れ味、恐るべし😳
この曲では中島みゆきのはすっぱな歌いっぷりが野ウサギ(女性)の不安定なふらふら感を倍化させており、実はこのアルバム《グッバイ・ガール》の次の曲が『ふらふら』なのが関係ありやなしや。多かれ少なかれパートナー次第で男も女も変わりますが、やはり中島みゆきの歌詞では強がっているオンナが恨み節をサラッとつぶやくコレですよね〜。
<みんな あんたのせいだからね>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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