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中島みゆきの『粉雪は忘れ薬』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『粉雪は忘れ薬』は2000年にリリースされたアルバム《短篇集》の一曲で、このアルバム《短篇集》発売一週間後から上演が始まった『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』でラストを飾っている堂々たるバラードです。『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』の舞台では、凍原でもはや還ってこない主人公の女(=谷山浩子)を想い続け帰りを待ち続ける犬(=中島みゆき)が唄っています。 #短篇集 #粉雪は忘れ薬 #中島みゆき
中島みゆきが青春を過ごしたのは北海道は帯広、パサパサに乾いて音も無く降り続ける粉雪で景色が見る見るうちに変わってしまう経験はごく普通のことだったでしょう。雪は夢のように穏やかな姿にとどまりませんで、北海道の地吹雪の凄まじさたるや、雪が上からも横からも下からも吹きつけてくるんですよ〜。ワタクシ、実は何度かマトモに巻き込まれたことがありまして、それこそ自分の目の前に伸ばした腕が途中で白い闇に消えてしまうほどで、これぞ「ホワイトアウト」でした。そりゃ、地吹雪のときにうかつに戸外に出たら、通い慣れた道でも迷ってしまって簡単に凍死しますぜよ。
<忘れなけりゃならないことを
忘れながら人は生きるよ
無理して笑っても 無理してふざけても
意地悪な風 意地悪な雨>
人間稼業を続けていれば、それなりに出会いも別れも経験するもんですな。まぁなんともさまざまな人と関わってきたなぁ、とあらためて気づいたりして。その全てを忘れて無かったこととしてしまえれば人生ラクなのでしょうけど、ひとの心とはなんとも甘くなく<意地悪な>雨風に満ちていますな。
<忘れさせて優しい日々を
忘れさせて楽しい人を
足音? 車の停まる音?
間違えながら待ってしまうから>
関わりが深かったからこそ忘れたい、無かったことにしたい、という経験は誰しもいくつか心に秘めているのではないでしょうか。この「未練」やら「後悔」とかいう感情ってば、なんとも御し難いですよね〜。<優しい日々>しかり<楽しい人>しかり、大切な関わりがあったひとは単なる<足音>でも<車の停まる音>であっても特別でしたもんね。
<粉雪は忘れ薬
すべての悲しみ消してくれるよ
粉雪は忘れ薬
すべての心の上に積もるよ>
なんという美しい表現・・・と感じるだけでなく、雪国の人たちにとって雪は厄介極まりない存在であることを忘れないでおきたいと思います。あっという間に全ての人間活動を停止させてしまう恐ろしい存在、かと思うと雪晴れの輝きに我を忘れさせられたりして、雪ってば<すべて>を雪色にしてしまう現象なのでありま〜す。なるほど、それをひとの心に拡張して<すべての悲しみ>を雪色に<消して>、<すべての心の上に積もって>雪色にするのが<粉雪>であって、それを<忘れ薬>とする切れ味、安定の中島みゆきでございます。そういえば、パウダースノーよりももっと細かくサラっっっサラな雪を「アスピリンスノー」って言うのでしたっけ。もはや死語な気もしますけどw
<忘れさせて 古い約束
忘れさせて 古い口癖
覚えておこうとしないのに
何かのはずみ 思い出して泣ける>
そうそうそう、<何かのはずみ>でなつかしきひとを思い出してじんわりくるこの切なさたるや、もう「未練」という言葉さえ甘く思えてしまうようなあふれる想いですよね〜。<古い約束>はともかくとして、ここではさらりと<思い出して泣ける>と流していますが、いやいやいや、<古い口癖>がよみがえってくるのはか〜なり危険であります。
<バスは雨で遅れてる
店は歌が 止まってる
ふっと聞こえる 口ぐせも
変わらないみたいね それがつらいわ>(『バス通り』1981年)
素敵な思い出であればあるほど逆にそれが思い出にすぎないことに気づいて<つらい>という感覚が沸き起こってきたりもします。そのきっかけは案外とどうってことのない<些細なこと>だったりして、それがまたたまらない心もちにさせられますな。どないせいっちゅ〜んじゃ。
<粉雪は忘れ薬
些細なことほど効き目が悪い>
ここに起承転結の「転」を「そう来やがったか〜」と言う絶妙〜なユーモア込みでぶっ込んでくるのも中島みゆきの心憎さなんでしょうね。北海道の<粉雪>は格別に軽いですから、せっかく真っ白になった雪景色がちょっとした陽射しやらちょっとした風やらで現実に戻ってしまうこともあったりしてwww
<思い出すなら 幸せな記憶だけを 楽しかった記憶だけを
辿れたらいいけれど>(『記憶』2000年)
<忘れてしまったのは 幸せな記憶ばかり 嬉しかった記憶ばかり
そうであってほしいけれど>(『記憶』2000年)
『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』では、『粉雪は忘れ薬』がラストでその少し前に『記憶』が歌われました(なお、翌々年2002年の『夜会VOL.12 ウィンター・ガーデン』では『記憶』がラストのカーテンコール)。この<思い出すなら>もなるほどですし、<忘れてしまったのは>も両方ともナルホドですね。自分の心のうちであるのに、どうにもこうにも意のままにならぬのが思い出、<忘れ薬>が欲しいような欲しくないような。
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
DIAPASON(ディアパソン)の1983年製 D-132CE でブルッフ「6つの小品 op.12」から、第2曲を弾きました。例によってのピアピットの楽器ですぜ(*´-`)
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
DIAPASON(ディアパソン)はよく知られた国産ピアノで、天才技術者の誉れ高い大橋幡岩氏の高い志を実現すべく製造されたのが始まりです。この動画の楽器は1983年製ですので浜楽商事が販売していた時代の製品、外装の白色を再塗装しただけで中身には手をつけていないので、使い込まれたそこそこの状態のディアパソンの音色の一例としてお聴きくださいませ。
ブルッフは今では『ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調』程度でしか知られていないですが、魅力的なメロディーの小品など様々な作品を精力的に出版していたドイツの中堅作曲家です。高さ132cmで使い込まれたアップライトピアノですが、粘りのある低音はこのような楽器の特徴かもしれませんよ〜(・o・ゞ
昨年2023年8月末に「八ヶ岳リードオルガン美術館」所蔵のアメリカはキンボール社の名器、おそらく20世紀初頭に作られた豪華棚付きリードオルガン(9ストップ)を使わせていただきました。「八ヶ岳リードオルガン美術館」は小海線の甲斐小泉駅からワリと急な坂道を20分ほど登った別荘地の一角にある瀟洒な建物で、所狭しとリードオルガンやらハルモニウムやらが並んでいて試奏もできる素敵な場所です。ココはけっこう前から気になっていたのですが、コレほど大切な場所をなんとなく後回しにしていた自分ってばほんっっっと見る目がないなぁ💦
「Le trésor des chapelles」は1864〜1865年になんと30冊も刊行された、小さめのオルガンまたはハルモニウムのための曲集です。当時、教会が増えてオルガン奏楽者の需要が高まっていたにも関わらずそのために必要な安価で難しくない曲集はまだまだ足りていなかったようで、それを解消するべく一挙に30冊もの作品集を刊行した見識、素晴らしいと思います。30冊全てが作曲家でありオルガニストでもある作者の手による作品集で、実用的にも文句なかったことでしょう。
「Le trésor des chapelles」の第24巻は Édouard Schluty(1826-1866) なる作曲者による曲集で Morceaux religieux, op.25 と題されていおり、この動画はその一曲目の Offertoire です。Édouard Schluty は、フランス南部アルザス地方のPézenas/ペズナの教会のオルガニストを1851年から1866年に短い生涯を終えるまで努めており、その作品が弟の Jean Joseph Schluty(1829-1920) が1828年に寄稿した作品の中に1曲引用されています。Édouard Schluty はこの第24巻を見る限り美しい作品を生み出せる霊感に恵まれた作曲家に思え、弟がその早すぎる死を悼んで1曲引用した・・・というのはいかにもありそうに思えます。
このキンボール社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。
明けましておめでとうございます。
早くも今年の1/250が過ぎ去ってしまいましたがwww、NATORI(ナトリ)1993年製 NA30 で J.P.E.ハートマン「エチュードとノヴェレッテン op.65」から、第5曲を弾きました。例によっての @ピアピット の販売品ですぜ(*´-`)
NATORI(ナトリ)は埼玉は大宮の調律師、名取 一(はじめ)のブランドです。名取 一は東洋ピアノでピアノ製造を学んでおり、このNATORIピアノも東洋ピアノ(=アポロ)によるOEM生産とは言え、調律師が自社ブランドを立ち上げられるというのはハンパなく活気にあふれた時代だったのですね〜。このNA30は奥行186cm、さすがは中堅メーカーのアポロの安定した生産力で、現代のピアノの方向と全く異なる密度の高い音色を感じさせられます。引取り品で思いのほか状態が良かったので、現状品として格安早い者勝ちで提供しています😉
*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html
J.P.E.ハートマンはデンマークの作曲界の一大権威、シューマンが自らの「新音楽雑誌」で彼の作品について言及しており、ドイツの音楽界でも一目置かれていた人でした。このop.65は1866年にコペンハーゲンで出版されています。
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