中島みゆき 作詞/作曲『ギヴ・アンド・テイク』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)
中島みゆきの『ギヴ・アンド・テイク』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『ギヴ・アンド・テイク』は2011年11月にリリースされたアルバム《荒野より》の一曲で、『夜会VOL.17 2/2』で主人公とその恋人とのデュエットで短く唄われているオリジナル曲です。2011年といえば3月11日にあの恐ろしい東日本大震災が起きた年、このアルバム《荒野より》にはそれを意識してメッセージが随所に込められているという解釈が少なくなく、それぞれに説得力ある論が展開されていて興味深いです。
<Give & Take 与えられることは
Give & Take 心苦しくて
困ってはいない 望んでもいない そんなふうに言うのは
返せない借りだと恐れてしまうから>
何かしてもらったときにお返ししなきゃ、という気持ちが芽生えるのは普通に素直な感覚だと思います。ただそれを「貸借勘定」のような感覚で捉えてしまうところ、ちぃとばかし厄介な人間関係が透けて見えてきますね〜。
<Give & Take 施し物は
Give & Take 人をみじめにする
気がひけてしまう うつむいてしまう そんなふうに思うのは
返せない借りだと恐れてしまうから>
『ギヴ・アンド・テイク』の歌詞では、このいささか厄介な心持ちが繰り返し投げかけられます。何かを与えられることが借りを作ることであってすなはち相手に優位に立たれることだと感じてしまうとき、いろいろと理由を作ってそれを拒みたくなります。なるほど、わかるわかる。
<Give Take それは違うよ
僕は君から貰える
君が受けとって呉れる ほら僕は貰えている>
ですが、厚意というものは別に見返りを求める気持ちではないですよね。厚意的にナニか手伝うという行動はめっちゃ単純に人間の尊さだと思うのですが、昨今の社会情勢を見聞きするに、その厚意の受け取り側がやたらと恐縮するとか、ことさらにお礼を言いつのるような場面が目につきます。ちょっとしたことでバカみたいに炎上するネット世界を生まれた時からつぶさに観察して育っている世代にとっては、どんなに厚意的な行動であってもそれは「負い目」であって、だからこそ逆にいわゆる「きちんとした対応」ができなければ人生が詰んでしまうほどの重大で恐ろしいことなのかも知れません。
いやはや、まぁ、ねぇ、わからんでもないですよ、人から嫌われるのってそりゃ〜コワいでしょうよ。ですが、考えていただきたい。そのような姿勢って、厚意を与えてくれた相手に対する信頼、ひいては自分が生きている世界に対して信頼がない態度に他ならないのですぞ。与えられた厚意を自らに課せられた借りであるとみなしてしまうのって、言わせてもらえばかなり下卑た根性で、そのような根性が透けて見える人物に幸せなんて訪れ得るでしょうか。
だいたい、個々人が考えて配慮できる程度の「 き ち ん と し た ほ に ゃ ら ら 」なんて、どれほどのモンでもないですってばさ。も〜ちょっと自分に対して優しくなって、お互いにそこそこ甘えられる環境を広げていきたいと思いませんか〜?(*´-`)
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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