中島みゆき 作詞/作曲『はじめまして』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)
中島みゆきの『はじめまして』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『はじめまして』は1984年にリリースされたアルバム《はじめまして》の最後を飾る一曲です。このアルバム《はじめまして》は、中島みゆきが自らの理想とするサウンドをとことん追求しそして迷走したいわゆる「ご乱心時代」初期の産みの苦しみの結果の渾身のアルバムとのこと。
アルバムが《はじめまして》かつ最後の曲が『はじめまして』とはコレいかにですが、この曲の歌詞は中島みゆきではないほどにwストレートかつ前向きな歌詞なんですよね〜。前のアルバム《予感》からこのアルバム《はじめまして》まで一年半の間が空いておりいかにも産みの苦しみ、そして次のアルバム《御色なおし》はわずか半年後のリリースとなっています。なるほど、アルバム《はじめまして》は新生中島みゆき、乞うご期待だわよっ、というメッセージがてんこ盛りなのでしょうね〜。
<新しい服を着る 季節のように
今来た道を 忘れてしまう>
新緑の今の季節にぴったりのフレーズで、春は年度替わりで別れと出会いの季節、というのも決まり文句ですな。
<枯れた枝 落とすように
悲しい人を 他人のように忘れてしまう>
もうね、こういうフレーズが出てきてこその中島みゆきで、この期待を裏切らず何の衒いもない対語法はもはや心地よさすら感じます。<悲しい人>とは自分にとっての<悲しい人>で、字句通りに<忘れてしまう>ではなく、一歩ヒネって、悲しい部分なんて誰にだってあるに決まってるから切り替えていきましょ、と捉える方が季節がわりで始まるこの詞にふさわしい気がします。
<シカタナイ シカタナイ そんなことばを
覚えるために 生まれて来たの>
2番はこう始まります。この全体的にストレートに前向きなこの曲にど〜して<シカタナイ>をぶっ込んでくるのかに妄想をハタラかせたくなるのが中島みゆき読みのサガwwwでござる。歌詞ですから1番と関連づけるのは必ずしも的確とは思いませんが、1番の<他人のように忘れてしまう>が字句通りにハイ、サヨナラ、もう他人〜ではなく、あ〜も〜、まったく〜、と思いつつもやっぱり忘れたくないのではないでしょうか。
こういう感覚があらゆる人づきあいにつきものなのは、少しでも人生を送れば邪魔くさいくらいにwご存じでしょう。この<シカタナイ>な感覚は別に後ろ向きでもなんでもなく、明るい未来(言い過ぎ?)のためになくてはならない感覚とまで言いたくなるのは、やはりメンドくさいオジさんな証拠かしらんwww。まぁ中島みゆきですから当〜然恋愛が基本でしょけどね〜。
<少しだけ 少しだけ 私のことを
愛せる人もいると思いたい>
どんなに順風満帆に見えても自己肯定感に満ちていても、期待はずれのない人生を送れる人なんで皆無でしょう。期待が大きければ失望もそれだけ大きい、とは使い古されたフレーズですが、さまざまな経験を積んだ結果として期待を<少しだけ>にしておくというのは心の平安のためにきわめて有効、です、よね?
やはり思い出すのは・・・
<まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ>(1976年『時代』)
『はじめまして』は、他者との関係性をうたっている形こそ取ってはいますが、実は今までの自分と訣別して生まれ変わるわよっ、という自らの心持ちを<はじめまして 明日(のわたし、そしてあなた!)>という言葉に託しているのではないでしょうか。このどストレートに明るく前向きな調子はカラ元気な感じがしないでもないですがw、不安と期待がないまぜになった年度替わり、別れと出会いの季節、春ですね〜(*´-`)
<はじめまして 明日
はじめまして 明日
あんたと一度 つきあわせてよ>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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