中島みゆき 作詞/作曲『銀の龍の背に乗って』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)
中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
『銀の龍の背に乗って』はドラマ『Dr. コトー診療所』(第一期:2003年7月3日〜9月11日。第二期:2006年10月12日〜12月21日)の主題歌として書き下ろされ、同年2003年にリリースされたシングル《銀の龍の背に乗って》の一曲(B面は『恋文』)です。ドラマ『Dr.コトー診療所』は南国の離島で地域医療に日夜挑む青年医師の物語で、この主題歌『銀の龍の背に乗って』では青年医師の苦悩そして決意が壮大に唄われています。昨年2022年12月16日にこの『Dr.コトー診療所』の続編が劇場版としてなんと16年の時を経て封切られてただいま絶賛上映中、ひさびさにこの曲を耳にした方も少なくないのではないでしょうか。
<あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている>
ドラマは具体的なできごとを描きますが、詞や音楽は抽象的だからこそ受け手の心のあり方によって姿を変えてくれますね。誰かが傷んでいるのがわかっているのに自分は力及ばず駆けつけられぬ、というもどかしさは、『Dr.コトー診療所』の内容にてらせば、よそ者である青年医師の心のうちとか、充分な医療支援を受けさせられない離島の現状とか、誤解曲解を正しきれない現実とか、強大な自然を目の当たりにした無力感とかが想起されるのでしょうか。まぁ人生の荒波やら不条理やらは多かれ少なかれ自らの「力及ばず」がきっかけとなるモンでしょうから、皆さんこの一節から自分のさまざまな体験を想起して頷かせられるところ大なのではないでしょうか。
<急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ>
「力及ばず」は悔しくつらい体験ですが、その結果として<悲しみ>そして<傷跡>は案外と奮起する方向を決める原動力となるものでして、それが<翼>であり<羅針盤>なんでしょね。<翼>がなくては移動できませんし同時に<羅針盤>がなくては進む方向が示せないワケで、この暗喩、さすがというべきか相変わらずというべきか、ほんっっっと冴えてますわ〜。
ここまでが1番の前段、これからが後段です。
<夢が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけだった昨日
明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を>
<震えて待ってるだけだった昨日>とは<この非力を嘆いている>かつての自分ですが、いよいよ<夢が迎えに>きてくれて<悲しみ>が<翼>に変わり<傷跡>が<羅針盤>になって、曲もそれに合わせて嬰へ短調から嬰ヘ長調に転調させてグッと前向きになっています。コレはまぁ常套手段なのですが、それに止まることなくわずか2行=8小節でサビの<銀の龍の背に乗って…>を嬰ヘ長調の平行短調である嬰ニ短調にグイッと寄せているテクがなんともニクいです。
「長調は明るい、短調は暗い」という紋切り型二元論wがそこいらでよく語られますが、こんなに単純にしたら理解できるものも理解できなくなるのではないかしらんねぃ・・・とかねがね思っているワタクシでして。このサビの<銀の龍の背に乗って…>では、長調から短調にグイッと寄ることで中島みゆきのドスの効いた声質も相まって決意表明としてむっちゃ力強い表現となっていると感じます。そりゃ〜暗めであることで力強さをより感じさせているのも確かなのですが、「短調は暗い」というテストの回答で止まってしまってはチト感心しませんね〜(・x・ゞ
<銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を>
自らの翼で羽ばたいてではなくいつの間にか<銀の龍の背に乗って>になっているトコに突っ込むのは野暮の極みとしてwww、このサビの2行のカッコよさたるや、中島みゆきには素晴らしき「応援ソング」が数多いですがその中でも白眉とさえ思わされます。TVドラマの製作発表の際の中島みゆきからのこのコメントもむべなるかな!
<この作品なら多感な少年のみならず、多感な大人のみなさんにこそきっと何かを共感していただけるのではないかと確信いたしまして新しい曲が生まれました。放送を楽しみにしております>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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