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2023年1月 1日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『最後の女神』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

謹賀新年のタイミングで別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『最後の女神』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。今年もよろしくお願いします(*´-`)

『最後の女神』は1993年にリリースされた両A面シングル《時代/最後の女神》の一曲で、カップリングされた名曲の誉れ高い『時代』はリメイク版です。リメイク版『時代』とカップリングされている曲ということで、今回の『最後の女神』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面『傷ついた翼』の次に弾く曲として一応は意味があるwんですね〜。

そして、この『最後の女神』は、TBS系報道番組「筑紫哲也NEWS23」の1993年10月~1994年3月のエンディング曲として書き下ろされています。1993年11月10日の放送では、筑紫哲也と対談して『最後の女神』の創作意図を語っています。

 願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの。
  そういうところからできごとは起こってくるんです。そのおおもとの
  ところの歌にしたいな、って願いで作ったんですけどね
(1993年11月10日「筑紫哲也NEWS23」中島みゆき)

報道番組とは日々新しいできごとを伝えるのが使命ですが、そのような番組であってもエンディング曲を日々新しくするのは現実的ではないワケでw。それならば、その<おおもと>となる<人間の心の熱みたいなもの>を曲にしよう・・・と。いかにも根源性や普遍性を歌にすることが多い中島みゆきらしい着想だなぁと思います。

 いちばん最後に見た夢だけを
  人は覚えているのだろう
  幼い日に見た夢を 思い出してみないか


『最後の女神』はこんな緩やかなイントロで始まります。「三つ子の魂百まで」と申しますが、日々をコナすだけで精一杯になりがちなせわしない日常、その中で回帰できるような自らの魂のよりどころってなんなのでしょうね。

 あぁ あれは壊れたオモチャ
  いつもいつも好きだったのに
  僕には直せなかった
  夢の中で今も泣いてる


こ、これはなんとも切ないですわ〜。誰でも夢は持っていたでしょうが、それを正しく認識して的確に育んで「業」として生き抜いていけるヒトがどれほど稀であるか。フツーの「デキる人材」がこんなことを言ったところで「おまえが言うな」で終わってしまうでしょうが、中島みゆきの詩ではなにやら共感を覚えさせられてしまいます。さすがはポップス界でトップを駆け続けている稀な人材だからこその有無を言わせぬ説得力でありま〜す。

 まだ見ぬ陸を信じて
  何故に鳥は海をゆけるの
  約束を載せた紙は風の中
  受けとめてくれる人がいるだろうか


ひとりひとりは独自の人生を歩むわけで、その目的地がどこにあるかなんて誰にもわからない・・・というのはもはや言い古され尽くしたw古典的な感覚でしょう。その、いわば憧れに満ちながらも言いようのない不安な感覚は誰でも抱いているでしょうが、それをこのように美しく表現してしまうのが中島みゆきなんでしょうね。そういえば、

 、 人生は素人につき『人生の素人』2017年)

こんなアジな表現もしてましたっけ(*´-`)

 心は変わる誰もが変わる
  変わりゆけ変わりゆけ もっと好きになれ


心は変わる誰もが変わる>と中島みゆきに言われたら、安定の「心変わり→フラれる」に決まってるじゃ〜ん、と誰もが思うところでこう来るとはなんともニクく、起承転結の「転」としてさすがですな。冷静に考えれば、この曲、報道番組のエンディングなんですけどwww

 あぁ あれは最後の女神
  まぎれもなく君を待ってる


あれ>という指示代名詞は、指示する語がない場合にはなにやら漠然とした存在を指し示す語として使われ、という文法的な怪説がピッタリくるような。漠然とした存在であるのに同時に<まぎれもなく>なところが<最後の女神>たる所以かと。なるほど、中島みゆき本人の言うところの<願いみたいなものとか、私の憧れてる人間の心の熱みたいなもの>の暗喩として秀逸な言葉の選択だなぁと感じ入ります。

 あぁ あれは最後の女神
  天使たちが歌いやめても




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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