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2022年12月 2日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『傷ついた翼』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

本日12/2はワタクシの56歳の生誕記念日でございまして、別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『傷ついた翼』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『傷ついた翼』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面の曲で、『時代』の知名度があまりにもあまりにもw高くてワリを食ってしまっている曲とも言えそうな。ですが実は『傷ついた翼』は1975年5月18日の「第9回ポピュラーソングコンテスト本選会」(いわゆる「ポプコン」ですね)で入賞してプロデビューするきっかけになった記念すべき作品なんですぞ。この流れでは当然ポプコンのライヴレコードが発売されて『傷ついた翼』がシングル盤A面でリリースされるはずだったのですが、なんらかの事情(目論見でしょうね〜w)『傷ついた翼』のシングルカットは見送られてデビューシングルは『アザミ嬢のララバイ』となったという。

ポプコン一週間後、1975年5月25日付の十勝毎日新聞の記事の中で、中島みゆきはこう語っています。

<他人に評価されたい、注目されたいという気持ちが、あたしのどこかにあったみたい。そんな自分の気持ちに嫌気がさしてきたから、しばらく歌を作るのをやめていたんです。行き詰ったんですね、ひとなみに。だから本当に素直な気持ちになって作ったのがこれなんですよ。>

そりゃぁね、人前で歌を歌うコンクールに出るってぇコトは<他人に評価されたい、注目されたい>以外のナニモノでもないワケで、この葛藤は実に古典的な誰もが通る道ですわな。この記事が当時の中島みゆきの本心を忠実に反映させているかどうかはともかくとしてw、最初期の中島みゆきも<ひとなみ>な一面をちゃぁんと備えていたということ、なんだかホッとしませんかの?(*´-`)

 時は流れゆき 思い出の船は港をはなれ
  通りすぎてゆく人達も 今はやさしく見える
  そんなある日 想い出すわ あの愛の翼


この出だし、結果的に一緒にシングルカットされた『時代』の世界観とま〜るで一緒ですよね〜。これこそがプロデューシングの妙、現代のようなキャッチーさでなくじっくり聴かせようという方向、まことに好ましいと思います。

 そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
  あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
『時代』1975年)

あるタイミングでは気づけなかったことが何年も経ってから「そ〜だったのか!」と気づくことは誰しも経験あるかと思います。さらに時間が経つとそれがナニやらむず痒いような甘酸っぱい感覚でよみがえってくることもまた誰しも経験あるのではないでしょうか。自らの青春時代を懐かしむとき、ヒトは独特な感覚を抱きますよね〜。

 そうね あの頃は悲しくて だれの言葉も聞かず
  愛の翼にも気づかずに つきとばしてきたのよ
  何も言わぬひとみの色 今見える
  愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ


2番に相当する一連です。も〜、思い当たるフシが多すぎてそこら中がむず痒くなりますけどw、ホント、当事者であるときはあり得ないくらいにな〜んにも気づかないモンですよね〜。中島みゆきの詩には「応援ソング」的な方向が一種はっきりと感じさせられますが、その萌芽はココにあったのでしょうか。

 傷ついた翼思うたび 胸ははげしく痛む
  遅すぎなければ この想いのせて もう一度飛んで
  泣いているわ 愛の翼 今見える


>が象徴するナニか、それは誰かが決めつけるモノではなく、それぞれが想い出の中に秘めているナニかですよね。いみじくも「後悔先に立たず」と申しますが、<遅すぎなければ>と語っている以上は自分がヤラかしてしまったナニかが遅すぎることは本人が一番わかっていることでしょう。それでも<もう一度飛んで>みたいと思いたくなるのもまた無理もないこと、夢を果たせるヒトはほんの一握りですが、甘酸っぱい感傷を抱きながらその夢を追い続ける、いや、想い続けることは、それなりに人生を歩み続ける支えになるような気がいたします。中島みゆきは世間一般から見れば断然「夢を叶えられた存在」ですが、そのような存在が市井の名もない存在に心を砕くような歌詞を書いて反発でなく共感を得られていること、やはり詩と音楽の力がズバ抜けている証左ではないでしょうか。冷静に見直せば一般的なことがらをフツーに語っているに過ぎないとすら思える中島みゆきの歌詞、しかしそれは聴き手それぞれにとっては自分一人にとって投げかけられたメッセージになるんですね〜。デビューから40年以上もポップスの世界の先頭を走り続けている実力、やはりハンパなく恐るべしです。

 愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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