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2022年12月の13件の記事

2022年12月25日 (日)

吉松隆「プレイアデス舞曲集 第5巻 op.51(1992)」第6曲『真夜中のノエル』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

吉松隆の素敵なピアノ曲集「プレイアデス舞曲集」の第5巻 op.51 は1992年の出版、その第6曲『真夜中のノエル』をいつもの1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。この『真夜中のノエル』は数ある「プレイアデス舞曲集」の中でも非常に有名で、いかにも冷たく張り詰めた冬の夜の空気が美しく描かれていますよ〜。

この曲は冬の夜中の情景描写であると同時に、真夜中の夢であるとか、温かく幸せなクリスマスの団らんであるとか、はたまたプレゼントへの期待感であるとか、個々人それぞれのイメージによってさまざまな姿を見せてくれるような気がします。コレって音楽というきわめて抽象的な世界だからこそ起こりうる、多様性バンザイな方向ですね。

さて、皆さん、どのようなクリスマスをお過ごしでしょうか? メリークリスマス(*´-`)

2022年12月24日 (土)

笠懸野/志なの屋

さて、1900年製リードオルガン&1936年製スタインウェイアップライト演奏/体験day はつつがなくしぅりょう、上州では当たり前らしい大根そば狙いできっちり捕捉😎

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なんとも上品な店ですが量は十二分、昼メシの440g焼そばに加えてのこの量はさすがにアセりました。大根の量も極めて上品でしかも舌触り良く茹でてあってガリガリした大根とそばのコラボと言うワケではなかったのはチト計算外だったかも👀

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お味もまたまたきはめて上品で案外とツルッと胃袋に入ったのですが・・・ナニやらちょっとずつ膨れてきてるかも🤣

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笠懸野/あらいやきそば支店

クリスマスイブとは無関係に、 1900年製リードオルガン&1936年製スタインウェイアップライト演奏/体験day の案内役で上州まで。我が安定の雨男ぶりが最近鳴りを潜めていておかしいなぁと思っていたのですが、なんとまぁまさかの雪になって呆れるやらホッとするやらw

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いつもの渡邉祐治さんとの待ち合わせの新桐生駅周辺にメシ処があると思いきやな〜んもなく、会場の 笠懸野文化ホール パル への道すがら頼みのGoogleマップで見つけましたぜのいかにも渋そうな焼きそばの店。

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焼そばの名店らしく、しかも440gで350円という衝撃のコスパ。色が濃いのにあっさりでしかも全く油っこくなく、それでもなかなか減らないコトにこれまた笑撃でございました🤣

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地元民のハナシでも安定の美味しさの名店とのことで、またもやワタクシの引きの強さが立証された模様😎

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Henry Coleman(1865-1935) 「10 Voluntaries, Book 1」の第9曲『Prelude for Christmas』を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

さぁ全国的にきょ〜れつな寒波に見舞われておりますが、本日はクリスマスイヴ🎄

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、Henry Coleman(1888-1965) による「10 Voluntaries, Book 1」の第9曲『クリスマスのためのプレリュード/Prelude for Christmas』を弾きました。このベル社のリードオルガンは長い(=低い)16フィートのストップが低音側だけでなく全音域にわたって使えるのが特徴、この曲は派手派手しさ全開ですので8フィートと4フィートと16フィートを重ね、ラストはさらに Full Organ(=全部乗せw)にしています。

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。



言い古されたハコモノ行政の問題、自治体関連のハコモノに納入された楽器はえてして担当が変わるたびに疎まれる存在となり、売りつけたw業者の方も面倒なので売ったらほったらかし、いつしか見て見ぬ振りをされて人知れず朽ち果てる・・・という残念な現実があるようで。まぁこれは行政に限らず、同じように放置されて朽ちるに任せられている楽器は決して少なくないようです。「童謡ふるさと館」の鍵盤楽器たちも似たような状況でしたが、運良く識者に再発見されて2018年前半に2台がなんとか復活を遂げました (`・ω・´)

2022年12月21日 (水)

Alfred Rawlings(1860-1924)『The Vesper Voluntaries, Book 28』の第4曲「Ave Maria」を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、Alfred Rawlings (1860-1924) による『The Vesper Voluntaries, Book 28』の第4曲「Ave Maria」を弾きました。このベル社のリードオルガンは長い(=低い)16フィートのストップが低音側だけでなく全音域にわたって使えるのが特徴です。これを効果的に活かすべく8フィートと16フィートを重ねて、中間部は低音部のみ16フィートを抜きました。

Alfred Rawlings という作曲家の名前は手鍵盤のためのオルガン曲集にはけっこうな頻度で登場しますが、人物についての情報はまるでないにもかかわらずペンネームをやたらと使っていたという、さらにナゾな情報が出てきて困るやら呆れるやらw。この時代は世の中に存在する音のうち蓄音機以外のほぼ全てが生音であり、生楽器の需要は現代とは考えられないほど多かったのでした。ということは、この時代は Rawlings のような「普通の」音楽家がそれこそそこら中で活躍していた時代で、機械に人間が使い倒されるばかりの現代とは違って人それぞれが個性的な能力に応じて幅広く活躍できた時代だったんですね〜 (*´-`)




このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2022年12月19日 (月)

APOLLOの A350 アップライトピアノで、ブルクミュラー「やさしく段階的な25の練習曲, op.100」から第14曲『スティリアの女/La Styrienne』を

1975年製の APOLLO A350 アップライトピアノでブルクミュラー「やさしく段階的な25の練習曲, op.100」から第14曲『スティリアの女/La Styrienne』を弾きました。

例によっての ピアピット のピアノですが、ほぼほぼ手を加えていない状態でヒビが入った塗装をどうするかも決めていないという、昭和50年当時の日本の元気そのままの状態とも申しましょうかwww

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

ブルクミュラーは1806年生まれで1832年以降パリに居住しておりました・・・ということは、実はショパンやリストより数歳年上であって同じ時期にパリで活動していたという事実。そしてこの練習曲が「op.100」ということはこの作品の前に少なくとも99曲を出版しているワケでして、初歩の練習曲の作曲家だけでないブルクミュラーにも興味を持ってほしいなぁと思います(・o・ゞ

2022年12月16日 (金)

マイクアンプ入りアクティブ・ケーブル作成の巻

ここしばらく演奏活動が近年になくたてこんでしまっていて(ホイホイ受けていたらエラいコトに🤣)自分らしくなかったwのですが、よ〜やっとひと段落。それはそれで呑みなお誘いをホイホイ受けるようになってコレまた充実千万www。自分らしくユルんだ日々も戻ってきて、数年来の懸案の録音環境の怪良に着手。少々神経使う細かい作業でしたが、首尾よく成功したのでチト自慢をば😎

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YouTubeなどの音は古いハイレゾレコーダーの KORG MR-2 で録っているのですが、クラヴィコードの音量があまりにも低いので、いつもながらのshinさんのPA工作室のネタをパクってこの記事のように録音時にマイクアンプ的なナニかをマイクにかませておりましてな。コレ、非常に使い勝手がヨいので外にも持ち出していたのですが、回路がこんな感じでムキだしでいかにもコワいのに3年近くそのままでw

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しかも、マイクスタンドに取り付けるとこ〜なってしなるわしなるわ、曲の最初と最後でマイクの角度が変わりそうでこれでは流石に奇々怪々www

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そこで、かのshinさんのblogに倣ってマイクケーブルのジャック内部に仕込むコトに。電気工作のハンダ付は好きなのですが、数年に一度のペースでしかヤラないせいでミスったときにチェックする経験が圧倒的に不足しております故、とにかく配線ミスしないように確認に確認を重ねるのが永遠の初級者のキモ(最初に部品位置ミスって配線を複雑にしてゴマかしたのはココだけのハナシw)

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コレでフツーな2mのXLRケーブルの姿をしている、ゲイン+8dB程度のコンデンサマイク用アクティブ・ケーブルができましたとさ🎉

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コレをXLRアダプタに詰め込むのにも成功しましたぜ

2022年12月15日 (木)

Henry Coleman(1865-1935) 『10 Voluntaries, Book 1』の第3曲「Andante」を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、Henry Coleman(1865-1935) による『10 Voluntaries, Book 1』の第3曲「Andante」を弾きました。このベル社のリードオルガンは長い(=低い)16フィートのストップが低音側だけでなく全音域にわたって使えるのが特徴です。

Henry Coleman は例によっての教会づきのオルガニスト、手鍵盤のためのオルガン曲集をそこそこ書いているようですが情報が少なく往生します。この時代は世の中に存在する音のうち蓄音機以外のほぼ全てが生音であり、生楽器の需要は現代とは考えられないほど多かったのでした。ということは、この時代は Coleman のような「普通の」音楽家がそれこそそこら中で活躍していた時代で、機械に人間が使い倒されるばかりの現代とは違って人それぞれが個性的な能力に応じて幅広く活躍できた時代だったんですね〜 (*´-`)

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。



言い古されたハコモノ行政の問題、自治体関連のハコモノに納入された楽器はえてして担当が変わるたびに疎まれる存在となり、売りつけたw業者の方も面倒なので売ったらほったらかし、いつしか見て見ぬ振りをされて人知れず朽ち果てる・・・という残念な現実があるようで。まぁこれは行政に限らず、同じように放置されて朽ちるに任せられている楽器は決して少なくないようです。「童謡ふるさと館」の鍵盤楽器たちも似たような状況でしたが、運良く識者に再発見されて2018年前半に2台がなんとか復活を遂げました (`・ω・´)

2022年12月12日 (月)

BELTON(ベルトーン)の No.165 グランドピアノで、チャイコフスキー『中級程度の12の小品, op.40』から第2曲「悲しき歌」を

BELTON(ベルトーン)の No.165 グランドピアノでチャイコフスキー『中級程度の12の小品, op.40』から第2曲「悲しき歌」を弾きました。例によってのピアピットの気合いイレ過ぎなオーバーホールですぜ(*´-`)

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

BELTON(ベルトーン)は古き佳き時代の国産ピアノ、日本のピアノ製作のメッカであった浜松の冨士楽器/ベルトーンピアノ研究所で作られており、グランドピアノは比較的珍しい部類に入ります。このベルトーンという名称は芸大教授でピアニストであったレオニード・クロイツァー/Leonid Kreutzer(1884-1953)氏の発想によるもので、このピアノの鋳物フレームには<MANUFACTURED SINCE 1937>と鋳込んであります。なお、BELTONという綴りから「ベルトン」と表記されることも少なくないですが、最後期の従業員から直接「ベルトーンだった」という証言が得られていますぜ。

2022年12月 9日 (金)

J. E. Newell(1843-?)『The Vesper Voluntaries, Book 27』の第12曲「Slow Movement」を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、Joseph Edward Newell (1843-?) による『The Vesper Voluntaries, Book 27』の第12曲「Slow Movement」を弾きました。このベル社のリードオルガンは長い(=低い)16フィートのストップが低音側だけでなく全音域にわたって使えるのが特徴です。

J.E.Newell という作曲家の名前は手鍵盤のためのオルガン曲集にはかなりの頻度で登場しますが、非常に情報が少なく往生します(没年がわからないというのが象徴的な気もしますね〜)この時代は世の中に存在する音のうち蓄音機以外のほぼ全てが生音であり、生楽器の需要は現代とは考えられないほど多かったのでした。ということは、この時代は Newell のような「普通の」音楽家がそれこそそこら中で活躍していた時代で、機械に人間が使い倒されるばかりの現代とは違って人それぞれが個性的な能力に応じて幅広く活躍できた時代だったんですね〜 (*´-`)

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。



言い古されたハコモノ行政の問題、自治体関連のハコモノに納入された楽器はえてして担当が変わるたびに疎まれる存在となり、売りつけたw業者の方も面倒なので売ったらほったらかし、いつしか見て見ぬ振りをされて人知れず朽ち果てる・・・という残念な現実があるようで。まぁこれは行政に限らず、同じように放置されて朽ちるに任せられている楽器は決して少なくないようです。「童謡ふるさと館」の鍵盤楽器たちも似たような状況でしたが、運良く識者に再発見されて2018年前半に2台がなんとか復活を遂げました (`・ω・´)

2022年12月 6日 (火)

ゴダール『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』を、1885年製プレイエル No.4 アップライトピアノ(85鍵)で

1885年製の PLEYEL No.4 アップライトピアノで、ゴダール『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』を弾きました。この曲は作品番号からして1879-1879年の出版と推測でき、まさに楽器の時代とぴったりの曲です。

この曲名、キチンと訳すれば『牧歌的夢想曲』やら『田園風夢想曲』やらやらwになりましょうが、う〜ん、コレじゃ〜このせっかくの優しく穏やかな夢の世界を一気に興醒めさせちまうんですよね〜。「田園への想い」でもイイかなぁとは思ったのですが、これでは修飾関係が違ってくるのでボツ・・・とかいろいろ苦心惨憺した結果、なんとか絞り出せましたよ。『田園に想ふ』に決っ定〜 (`・ω・´)!

ゴダールは多作家の天才として鳴らし、かつては『ジョスランの子守唄』という誰もが知る通俗名曲の作曲者として知られていました。この『ジョスランの子守唄』は、オペラ『Jocelyn, op.100』の中の一曲で、戦前にはフツーに蓄音機で聴かれていたんですよ〜、YouTubeにも昭和6年吹込で藤原義江が近藤朔風の詩に乗せて歌っている音源が上がっています。この『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』の検索を軽〜くかけてみたのですが、あろうことかネット上には音源がなさそうな疑惑が浮上してきまして、そんなことがあってイイのかと。この手の「埋もれた」曲にはだいたい理由がありまして、展開技術は上手なのでしょうが霊感に乏しいがためにそこから抜け出せずに紋切り型に終始して数分で飽きるとか、そうでなくても「また聴こう」と思ってもらえにくいとか。この曲はそんなモンじゃなく、ちゃぁんと一歩も二歩も抜け出している気がするンですけどね〜。

PLEYEL No.4 はアップライトの最高機種で、この個体は作られてから135年経つのにかなりオリジナルの状態が保たれている奇跡的な楽器でした。購入者の意向もあって変に修復せずにできる限りオリジナルを活かして再調整のみで状態を整えることにこだわりのピアピットがアツく燃えまして、弦も張り替えずに張力を下げて A=430Hz 程度にしています。19世紀後半のピアノですが機構がショパンの時代とあまり変わっておらず、迫力ある低音そしておそろしく反応の良い共鳴箱が凄まじい逸品です。まぁそれにしても再調整という作業はお年寄りwにはか〜なり酷だったでしょうからこの状態でしばらく様子見、これからどのように落ち着いていくのか楽しみです。

*ピアノ工房ピアピット(千葉県印西市)
ピアノは本気で直せば古いピアノでも必ずよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

2022年12月 4日 (日)

農工大ピアノ部レッスン会そして嬉しいサプライズ

本日12/4は農工大ピアノ部の若者たちの冬のコンサートのためのレッスンな1日、6人ぶっ続けでも疲れないのはやはり慣れているんでしょね〜☝️

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で、なんとサプライズ、現役大学生は35年も年下ですが、こんなオジさんの誕生日にお祝いのケーキがががが😳

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ごちそうさまでしたっっっ😭

2022年12月 2日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『傷ついた翼』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)

本日12/2はワタクシの56歳の生誕記念日でございまして、別にナニも出ませんがw、いつもながら中島みゆきの『傷ついた翼』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『傷ついた翼』は中島みゆき2枚目のシングル《時代》のB面の曲で、『時代』の知名度があまりにもあまりにもw高くてワリを食ってしまっている曲とも言えそうな。ですが実は『傷ついた翼』は1975年5月18日の「第9回ポピュラーソングコンテスト本選会」(いわゆる「ポプコン」ですね)で入賞してプロデビューするきっかけになった記念すべき作品なんですぞ。この流れでは当然ポプコンのライヴレコードが発売されて『傷ついた翼』がシングル盤A面でリリースされるはずだったのですが、なんらかの事情(目論見でしょうね〜w)『傷ついた翼』のシングルカットは見送られてデビューシングルは『アザミ嬢のララバイ』となったという。

ポプコン一週間後、1975年5月25日付の十勝毎日新聞の記事の中で、中島みゆきはこう語っています。

<他人に評価されたい、注目されたいという気持ちが、あたしのどこかにあったみたい。そんな自分の気持ちに嫌気がさしてきたから、しばらく歌を作るのをやめていたんです。行き詰ったんですね、ひとなみに。だから本当に素直な気持ちになって作ったのがこれなんですよ。>

そりゃぁね、人前で歌を歌うコンクールに出るってぇコトは<他人に評価されたい、注目されたい>以外のナニモノでもないワケで、この葛藤は実に古典的な誰もが通る道ですわな。この記事が当時の中島みゆきの本心を忠実に反映させているかどうかはともかくとしてw、最初期の中島みゆきも<ひとなみ>な一面をちゃぁんと備えていたということ、なんだかホッとしませんかの?(*´-`)

 時は流れゆき 思い出の船は港をはなれ
  通りすぎてゆく人達も 今はやさしく見える
  そんなある日 想い出すわ あの愛の翼


この出だし、結果的に一緒にシングルカットされた『時代』の世界観とま〜るで一緒ですよね〜。これこそがプロデューシングの妙、現代のようなキャッチーさでなくじっくり聴かせようという方向、まことに好ましいと思います。

 そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
  あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
『時代』1975年)

あるタイミングでは気づけなかったことが何年も経ってから「そ〜だったのか!」と気づくことは誰しも経験あるかと思います。さらに時間が経つとそれがナニやらむず痒いような甘酸っぱい感覚でよみがえってくることもまた誰しも経験あるのではないでしょうか。自らの青春時代を懐かしむとき、ヒトは独特な感覚を抱きますよね〜。

 そうね あの頃は悲しくて だれの言葉も聞かず
  愛の翼にも気づかずに つきとばしてきたのよ
  何も言わぬひとみの色 今見える
  愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ


2番に相当する一連です。も〜、思い当たるフシが多すぎてそこら中がむず痒くなりますけどw、ホント、当事者であるときはあり得ないくらいにな〜んにも気づかないモンですよね〜。中島みゆきの詩には「応援ソング」的な方向が一種はっきりと感じさせられますが、その萌芽はココにあったのでしょうか。

 傷ついた翼思うたび 胸ははげしく痛む
  遅すぎなければ この想いのせて もう一度飛んで
  泣いているわ 愛の翼 今見える


>が象徴するナニか、それは誰かが決めつけるモノではなく、それぞれが想い出の中に秘めているナニかですよね。いみじくも「後悔先に立たず」と申しますが、<遅すぎなければ>と語っている以上は自分がヤラかしてしまったナニかが遅すぎることは本人が一番わかっていることでしょう。それでも<もう一度飛んで>みたいと思いたくなるのもまた無理もないこと、夢を果たせるヒトはほんの一握りですが、甘酸っぱい感傷を抱きながらその夢を追い続ける、いや、想い続けることは、それなりに人生を歩み続ける支えになるような気がいたします。中島みゆきは世間一般から見れば断然「夢を叶えられた存在」ですが、そのような存在が市井の名もない存在に心を砕くような歌詞を書いて反発でなく共感を得られていること、やはり詩と音楽の力がズバ抜けている証左ではないでしょうか。冷静に見直せば一般的なことがらをフツーに語っているに過ぎないとすら思える中島みゆきの歌詞、しかしそれは聴き手それぞれにとっては自分一人にとって投げかけられたメッセージになるんですね〜。デビューから40年以上もポップスの世界の先頭を走り続けている実力、やはりハンパなく恐るべしです。

 愛は一人一人になって やっとこの手に届いたの
  飛んでいてねあなたの空で 私きっとすぐに行くわ




この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

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