中島みゆき 作詞/作曲『愛よりも』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)
中島みゆきの『愛よりも』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。
『愛よりも』は、1988年発売のアルバム《グッバイ ガール》に収録されています。《グッバイ ガール》はちょうど音楽業界がLPからCDへとそれこそ雪崩をうったかのように総転換したタイミングで、LPはプレミア価格になってしまっているというイワクツキのアルバムでもありま〜す。え? ワタクシ? 数年ちょい前でしたが、うっかりほぼ新品同様のLP盤を手に入れてしまいましたよ〜。とほほほwww
閑話休題、この詩、ちょっと一筋縄では行かぬ強さそして厳しさを感じさせられます。ナニしろ、出だしからしてこうですからね〜。1番をどうぞ。
<人よ信じるな けして信じるな
見えないものを
人よ欲しがるな けして欲しがるな
見果てぬものを
形あるものさえも あやういのに
愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
愛さえも夢さえも 粉々になるよ>
人間社会なんつ〜シロモノは生き馬の目を抜くがごとき権謀術数に満ちておるのはみなさまよ〜くご存知の通りでございまして、いわゆる<愛>として象徴される<見えないもの>を撹乱しようと手ぐすねひいて待ち構えているんですよね〜。ですが、ちょ〜っと待っていただきたい。それならば<形あるもの>って一体全体ナンなんざんしょ???
立場や条件が変われば解釈が変わる・・・なんつ〜のは政治屋連中の手のひら返しを思い出すwまでもなく、これまたみなさまよ〜くご存知の通りでございまして、っつ〜コトは、実は、我々が信じている<形あるもの>こそが<見えないもの>であったり<見果てぬもの>であったりするのではないでしょうか。さぁさぁ、ワカラナクなってまいりましたw
2番をどうぞ。
<嘘をつきなさい ものを盗りなさい
悪人になり
傷をつけなさい 春を売りなさい
悪人になり
救いなど待つよりも 罪は軽い
愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
愛さえも夢さえも 粉々になるよ>
期待を裏切らぬ中島みゆきらしい毒な表現ですよね〜。ココでカギなのかなぁと思うのは<救いなど待つよりも 罪は軽い>の一節。<形あるもの>をよりどころとして待ちの姿勢で<救い>を願ったところで、そんなモンは所詮は<見果てぬ>夢なのではないでしょうか。1番で<信じるな>そして<欲しがるな>と喝破したにもかかわらず、2番では信じさせる側そして欲しがらせる側という<悪人>になりなさいと説く中島みゆき、わからんでもないですが、どないせぇっちゅ〜んじゃとwww
つまりは、ナニも考えず判断もしないままに漫然と生を送っていながら口だけは一丁前に「救いがねぇ」と文句ばかり垂れるような存在ではなく、たとえそれが世間から悪とされるようなことであっても自分が今信じるナニかに向かって突き進め、というめっちゃ厳しいエールなのではないだろうかなと。まぁコレってナニげにワタクシ自身にめっちゃ突き刺さってくるというのは内緒ヨwww
3番をどうぞ。
<星を追いかけて 月を追いかけて
どこまでも行け
黄金(かね)を追いかけて 過去を追いかけて
どこまでも行け
裏切らぬものだけを 慕って行け
愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
愛さえも夢さえも 粉々になるよ>
<星>そして<月>とは、1番の<見えないもの>そして<見果てぬもの>の隠喩でしょうね。さすれば、<黄金(かね)>そして<過去>とは、1番の<形あるもの>の隠喩でしょう。それらを追いかけてどこまでも行くときに慕うべき<裏切らぬもの>というのは、結局のところは世間一般的に正しかったり常識的だったり道徳的だったりする滅菌消毒された正論的存在な定型文w(書いててムシズが走るぞw)なんかではなく、それぞれが引き起こす間違いや過ちというそのひと独自の体験を支える矛盾に満ちたナニかなのではないでしょうか。
このように考えてみると実は、ナニも考えず判断もしないままに漫然と生を送るというのは案外と難しいような気がしますね〜。ただ現代ってホントにヨく仕組まれていて、全てを他人の判断に任せて自分にとって都合の良い「真実」だけを見ていても一生を過ごせるんですよね〜。所詮は一人で生まれてきた弱い人間ですから<人恋しさ>から逃れるのはなかなか難しいワケで、そこにつけ込まれると弱い自分なんぞ簡単に見失わさせられてしまうのでしょう。それにしても、この現代の状況を35年も昔の1988年に予見していたかのような詩を書いた中島みゆきが凄まじいのか、人間が懲りない存在なのか、まぁ両方なんでしょうね(*´-`)
<愛よりも夢よりも 人恋しさに誘われて
愛さえも夢さえも 粉々になるよ>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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