中島みゆき 作詞/作曲『ひまわり "SUNWARD"』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)
中島みゆきの『ひまわり "SUNWARD"』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。
『ひまわり "SUNWARD"』は、1994年発売のアルバム《LOVE OR NOTHING》に収録されています。この曲の歌詞はまことに示唆に富んでいまして、今現在ウクライナとロシアの間で繰り広げられている戦火そして双方政府による情報戦、さらにはその情報戦に踊らされて自分だけは他者と違って視野が広く聡明かつ冷静であるとアピールしたがりな知ったかぶりの数限りない烏合のネット民の虚しさを見透かしているように思えます。
我々日本人にとって、国境が入り組んで時代によって国境線が頻繁に変わり、さまざまな民族の混在そして混血が当たり前である世界を実感を持ってイメージすることは相当に困難なはずなのに、たかだか侵攻が始まって一ヶ月ちょいの間にたまたまネットで目にした程度の情報で精査できた気になってきいた風な口を叩くなんて恥知らずと言わずして何と言う。それに止まらず、どこぞで「ウクライナに味方するようなプーチンを悪く言うような情報を選びたがる自分には注意しなければと思う」とかほざく御高説を複数拝見いたしまして、その十重二十重にネジくれた醜悪な自己愛に満ちたうぬぼれを目の当たりにした気がしてそっと閉じましたわぃ。ネット上の言論なんぞ欺瞞や偽善に満ちているというのはこの25年間思い知らされていますが、今回もまたまたま〜たまた同じですわ。
『ひまわり "SUNWARD"』所収のアルバム《LOVE OR NOTHING》が発売された1994年は激しく悲惨なユーゴスラビア内戦の真っただ中というタイミングですが、特にユーゴスラビア内戦を題材にした唄というワケではなさそうに思われます。バルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていたと世界史で習った記憶がある方も少なくないでしょうし、第一次世界大戦はそのバルカン半島のサラエボでの一発の銃弾をきっかけとして始まったのでしたよね。「sunward」とは「太陽に向かって」とか「太陽を向いて」とかいう意味です(forward の for が sun に置き換わっただけですネ)が、太陽の方角を向いているその裏側にはもれなく「影」がついてくるのが現実でありま〜す。
さて不肖ワタクシ、2003年9月にユーゴスラビア内戦の大激戦地、ボスニア・ヘルツェゴビナの Mostar を訪れておりまして、戦火が収まってから10年近く経つのにそのまま残る破壊された建物の凄まじさと「地雷あり立入禁止」の黄色いテープとともに、それでも日々を普通に生きるたくましい現地の人々の姿にいたく感動させられました。そのときに撮った1枚、左奥に見えるピカピカの建物は、EUの支援で修復されたばかりの建物です。
18. Sep. 2003. - Mostar, Bosna i Hercegovina
隣人はおろか親子が敵味方に分かれて殺し合わねばならぬ場合すらあり得るのが陸続きの国境地帯の現実なのでしょうが、この程度のヌルい言葉では到底言い尽くせぬ複雑さを肌で感じさせられました。戦争を知らぬ世代であり陸続きの現実を知らぬ日本人として、本当に Mostar を訪れてよかったと思います。下の写真のような民族融和への希望が込められたサインも見られ、いやがおうでも Mostar という街の難しさを感じざるを得ませんでした。このサインに描かれている「スタリ・モスト/古い橋」はクロアチア軍に破壊されましたが2004年に再建され、翌2005年に「モスタル旧市街の古い橋の地区」という名で、ユネスコの世界遺産に登録されています。登録に際しては歴史的価値だけでなく内戦からの再建を経ることによって多民族・多文化の共生や和解の象徴となったことも加味され、「負の遺産」という側面もあるとのことです。
17. Sep. 2003. - Mostar, Bosna i Hercegovina
1番をどうぞ。
<あの遠くはりめぐらせた 妙な柵のそこかしこから
今日も銃声は鳴り響く 夜明け前から
目を覚まされた鳥たちが 燃え立つように舞い上がる
その音に驚かされて 赤ん坊が泣く
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう>
2番です。
<私の中の父の血と 私の中の母の血と
どちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう>
そして3番!
<あのひまわりに訊きにゆけ あのひまわりに訊きにゆけ
どこにでも降り注ぎうるものはないかと
だれにでも降り注ぐ愛はないかと
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう>
ウクライナの国花がひまわりであること、さすがに偶然でしょうが、慄然とさせられましたよ〜。歴史は繰り返すと申しますが、なんという人の愚かさでしょうか。<妙な柵のそこかしこから鳴り響く銃声>は現実にウクライナで聞こえているだけでなく、我々が見ているネット空間のそこかしこからも鳴り響いているのであります。
<正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ>(『Nobody is Right』2007年)
人はそれぞれ全く異なる存在であり、しかも自分の中ですら論理的に整合した姿勢でいられるのは極めて難しいこと、誰もが(認めたくはナイでしょうが)わかっているのではないでしょうか。それならばそれぞれの<正しさが相容れない>のが当ったり前な当然で、それぞれの<正しさが相容れない>という現実を認めない姿勢こそが、真の「相容れなさ」を生み出す元凶であります。
*『Nobody is Right』
https://bergheil.air-nifty.com/blog/2022/04/post-e5c9c7.html
<争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が気分いいんじゃないのか>(『Nobody is Right』2007年)
大義がありさえすれば他を打ちのめしてもいいのでしょうか、大義がありさえすれば他は我に屈服すべきと主張してもいいのでしょうか、そのような大義とはいったいなんなのでしょうか。にわかに過ぎぬ大義を振りかざして悦に入る烏合のネット民ども、うるさ過ぎますな。
<たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
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