中島みゆき 作詞/作曲『御機嫌如何』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)
中島みゆきの『御機嫌如何』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。
『御機嫌如何』は、1987年10月にシングルLPで発売されました(B面は『シュガー』というアジな曲だったり)。そして翌1988年に発売されたアルバム《中島みゆき》に収録されており、1994〜1995年に郵政省「かもめ〜る」のCMソングに使われています。う〜む、一部分を切り取れば暑中見舞いのCMに使えるのは確かですが、実はこの曲、中島みゆき王道wの強がっているのに未練タラタラのオンナの唄なんですよね〜w
この曲、イントロがシャープ5つの嬰ト短調なとこからしれっとフラット4つの異名同音同主平行長調の変イ長調にシフトして歌が入ってくる、という実に魅力的な始まりだったりします。そもそもコレからしてネジくれている雰囲気満載で、題名の『御機嫌如何』にフクザツな意味が込められている暗示となっているのかなぁ、とかなんとか。
<もしも 離れ離れになっても 変わらないと
あれほど誓った ことばが風に溶けてゆく
なさけないものですね あなたを忘れました
女は意外と 立ちなおれるものなのでしょう>
<あなたを忘れました>とわざわざ言葉にするってぇコトは、全っ然忘れてなんかいないってぇことですよね。それと同時に、特別だった存在やら感情やらが「日々の日常」を重ねることで少しずつ少しずつ脇に追いやられていつの間にか<風に溶けてゆく>というのもまた真実なのでしょうか、成り行きなのでしょうか。
<御機嫌如何ですか
私は あいかわらずです>
これって、まぁ便利というかまるで意味もないというか単なる慣用表現なのですが、だからこそ抽象的で読み手の想像力を掻き立てる詩的表現にふさわしいんでしょうね。それにしてもこの文脈で使いやがるwとはさすがやり手の中島みゆきで、読み手のアタマの中は否が応でも「あいかわらずど〜なのよ???」とならざるを得ないんですね〜。
<泣いてる日もあります 笑う日だってあります
氷の女発の 手紙をしたためます
あなたも 私を もう気づかわないでいいわ>
来ました来ました。普通の日常を出してから<氷の女>というさすがのパワーワード。直後に<もう気づかわないでいいわ>と強がって見せるのも、さすがの二重三重のねじくれっぷり。う〜ん、これでこそ中島みゆきでありま〜すw
<そうよ日々の暮らしは 心とは別にゆく
泣きすぎて 血を吐いて 喉でそれでも水を飲む>
そうなんですよ〜。どれほど心(に限らずか)に痛手を受けても、喉は乾くしお腹は減るんですよ〜。このままいなくなってしまいたい、と何も喉に通らないハズなのにねぇ。これがまた自己嫌悪に拍車をかけてさらに落ち込むという経験、ワリと誰もがお持ちではないでしょうか。これもまた<あいかわらず>なんですけど、じょ〜だんじゃないっす (´・ω・`)
<御機嫌如何ですか
私は あいかわらずです
御機嫌如何ですか
私を 覚えていますか>
最後の一連ですが、この心の叫びはまことに強く痛々しいですね。<御機嫌如何ですか 私を 覚えていますか>というのが主人公の本音なのは明白ですが、これまたフクザツですね〜。「忘れないで」という気持ちと同時に「忘れてほしい」という気持ちも垣間見られますし、振り返って自分がどうなのかというのも無茶苦茶微妙〜なのではないでしょうか。そして安定のシメ。この<最後に>の意味もまた、これを最後に未練を断ち切る意思なのでしょうか、やっぱり最後は忘れられない涙なのでしょうか (´・_・`)
<氷の女発の 手紙をしたためます
涙で 濡らした 切手を最後に貼ります>
*1994年「かもめ〜る」CM
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