中島みゆき 作詞/作曲『あたいの夏休み』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で
行く夏を惜しむどころか今年の3/4が過ぎ去ろうとしている9月末、中島みゆきの『あたいの夏休み』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。
クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜。
『あたいの夏休み』は1986年6月発売のシングルA面、そして同年11月に発売されたアルバム《36.5℃》に、ミックス違いのバージョンで収録されています。シングル発売前3ヶ月にわたったコンサートツアー「五番目の季節」で新曲として歌われたのが初出である由。
当時ワタクシが入り浸って製作に勤しんでいたw鉄道模型店にこの曲のシングル版がカセットテープでそれこそエンドレスでかかっておりまして、この『あたいの夏休み』はそれこそ隅々まで聴き慣れているというね。聞き慣れすぎていることはアレンジには邪魔で、「なぁんか違う〜」という感覚をもみ消すwのがいささか大変でした。アレンジって要はベツモノに仕立て直すことですから「なぁんか違う〜」のが当たり前なんですけどね〜(・o・ゞ
<短パンをはいた付け焼き刃レディたちが
腕を組んでチンピラにぶらさがって歩く
ここは別荘地 盛り場じゃないのよと
レースのカーテンの陰 ささやく声>
「高原の原宿」と呼ばれて首都圏の若者たちに爆発的な人気を誇った清里(きよさと)のペンションブームは1978年に始まっており、まぁそれを知る人はすでに熟年世代でしょうが、そのイメージはまさに「爽やかな高原にたたずむパステルカラーの瀟洒なペンション」であり、そこに欠かせない舞台装置は、まさに<レースのカーテン>でありました。そして1981年10月から倉本聰による『北の国から』の放映が始まって本州の高原と異なる富良野・美瑛の雄大な丘の風景が全国的に知られるようになり、次第に日本人の心の中に高原リゾートに反応する気質が育まれていったのではないかなぁと思っています。
そして満を持した1983年の「東京ディズニーランド」開園が日本に与えたインパクトは絶大で、これがきっかけとなって日本人の暮らし方は新しい地平を見出した感があります。同年に「長崎オランダ村」「リトルワールド」「日光江戸村」がオープンするなどテーマパークが一気に注目を集めるようになり、それらのイメージがあらゆる業態のサービスをくつがえして日本人の暮らしを激変させていったと言っても過言ではないと思います。重なるときは重なるモンで、任天堂がファミコンを発売したのも1983年、そういえばつくば万博は1985年でしたね〜。
社会が一気に変化するタイミングでは少なからず滑稽な現象が見られるモンでして、ナルホド、いつの世でも「ブーム」というシロモノは踊らされる人たちが浪費したお金で支えられているんだなぁと。あ、モチロン、それは決して悪いコトではなくって、人間活動としてはむしろ健全なんだろうなぁとも思ってますぜ。『あたいの夏休み』の主人公は<付け焼き刃>な滑稽さを冷笑的に見つつも、なんだかんだ言って自分は滑稽でなく華やかな場の一員になりたくて別荘地にやって来てるワケで、やっぱりウラヤマシくてしょ〜がないんですよね〜〜〜(・x・ゞ
<お金貯めて3日泊まるのが夏休み
週刊誌読んでやって来れば 数珠つなぎ
さめたスープ 放り投げるように 飲まされて
二段ベッドでも あたいの夏休み>
この一連はブームに人一倍憧れつつもさまざまな事情wで乗り切れない、という鬱屈とした感覚そのものですな。一見すると毒をはらんだ社会風刺のように見えますが、実は主人公の心のうちは風刺される側なのでありま〜す。この時代は夏の曲といえばこんな感じで爽やかな夏で売るのが当然でしたが、
<フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
夏の扉を開けて
私をどこか連れていって>(松田聖子『夏の扉』1981年)
ここにめっっっちゃ庶民的で鬱陶しく屈折した夏の主人公(「あたい」という一人称も最っ高〜に効いてるしw)をぶっ込んできた中島みゆきってば、も〜オモシロすぎますwww
<貴賓室のドアは金文字の VIP
のぞきこんでつまみ出されてる夏休み
あたいだって町じゃ 捨てたもんじゃないのよと
慣れた酒を飲んで 酔う 十把ひとからげ>
最初の<貴賓室のドアは金文字の VIP>って、詩的に見えて中身のない言葉の中でも最右翼に位置するようなめっちゃおバカなひとことだと思うんですが、この時代のいかにも取ってつけたようなハリボテ感を表現するのにウマく一役買ってますね。別荘地の華やかな舞台に立つことなんて見果てぬ夢なのは主人公には先刻承知でしょうが、やっぱりウラヤマシくてしょ〜がないんですよね〜〜〜(・x・ゞ
<だけど あたいちょっと この夏は 違うのよね
ゆうべ買った 土産物屋のコースター
安物だけど 自分用じゃないもんね
ちょっと わけありで 今年の夏休み>
自家用車で高原の別荘地(「リゾート」という概念が知られるためにはもう少し、数年後のバブルを待つタイミングですナ)にアベック(死語)で出かけてしっぽり、というのが当時の若者の憧れのゴールでしたが(でしたよね!?www)、惜しくもちょ〜っと届いていない主人公。ユーミンのコンサートが派手でゴージャスな方向になり始めたのが1979年ごろからとか、世の中が華やかな方向に動き始めている中で主人公がようやく買えたのが従来型の安い観光地土産、というのが哀れと同時にひときわ共感を覚えます。そうそう、「アベック」が「カップル」に変化するきっかけ、1978〜1981年に少年マガジンに連載されていた『翔んだカップル』が重要なんじゃないかなぁと思いますが、どうなんでしょね?
<悲しいのは ドレスが古くなること
悲しいのは カレーばかり続くこと
だけど もっと悲しいことは ひとり泣き
だから あたいきっと勝ってる夏休み>
「別荘地アベックなお前らはいっときのかりそめで、あたいは町に帰ればイイ人がいるんだもんね〜」という主人公、華やかな舞台に乗れなかったことへの精一杯の強がりなのでしょうが、庶民のささやかな楽しみなんてそんなモン。それにしても、中島みゆきの数ある詩の中で、つき合い始めでこっそりニヤニヤしている主人公って他にいたかなぁ・・・と思えるほどレアではございませんか。イジけて自虐的なばかりでなくちっぽけな幸せをそっとかみしめるこの主人公、なんだかイイ感じと思いません?
ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。
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