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2021年9月の14件の記事

2021年9月30日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『あたいの夏休み』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

行く夏を惜しむどころか今年の3/4が過ぎ去ろうとしている9月末、中島みゆきの『あたいの夏休み』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。

クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜。

『あたいの夏休み』は1986年6月発売のシングルA面、そして同年11月に発売されたアルバム《36.5℃》に、ミックス違いのバージョンで収録されています。シングル発売前3ヶ月にわたったコンサートツアー「五番目の季節」で新曲として歌われたのが初出である由。

当時ワタクシが入り浸って製作に勤しんでいたw鉄道模型店にこの曲のシングル版がカセットテープでそれこそエンドレスでかかっておりまして、この『あたいの夏休み』はそれこそ隅々まで聴き慣れているというね。聞き慣れすぎていることはアレンジには邪魔で、「なぁんか違う〜」という感覚をもみ消すwのがいささか大変でした。アレンジって要はベツモノに仕立て直すことですから「なぁんか違う〜」のが当たり前なんですけどね〜(・o・ゞ

 短パンをはいた付け焼き刃レディたちが
  腕を組んでチンピラにぶらさがって歩く
  ここは別荘地 盛り場じゃないのよと
  レースのカーテンの陰 ささやく声


「高原の原宿」と呼ばれて首都圏の若者たちに爆発的な人気を誇った清里(きよさと)のペンションブームは1978年に始まっており、まぁそれを知る人はすでに熟年世代でしょうが、そのイメージはまさに「爽やかな高原にたたずむパステルカラーの瀟洒なペンション」であり、そこに欠かせない舞台装置は、まさにレースのカーテンでありました。そして1981年10月から倉本聰による『北の国から』の放映が始まって本州の高原と異なる富良野・美瑛の雄大な丘の風景が全国的に知られるようになり、次第に日本人の心の中に高原リゾートに反応する気質が育まれていったのではないかなぁと思っています。

そして満を持した1983年の「東京ディズニーランド」開園が日本に与えたインパクトは絶大で、これがきっかけとなって日本人の暮らし方は新しい地平を見出した感があります。同年に「長崎オランダ村」「リトルワールド」「日光江戸村」がオープンするなどテーマパークが一気に注目を集めるようになり、それらのイメージがあらゆる業態のサービスをくつがえして日本人の暮らしを激変させていったと言っても過言ではないと思います。重なるときは重なるモンで、任天堂がファミコンを発売したのも1983年、そういえばつくば万博は1985年でしたね〜。

社会が一気に変化するタイミングでは少なからず滑稽な現象が見られるモンでして、ナルホド、いつの世でも「ブーム」というシロモノは踊らされる人たちが浪費したお金で支えられているんだなぁと。あ、モチロン、それは決して悪いコトではなくって、人間活動としてはむしろ健全なんだろうなぁとも思ってますぜ。『あたいの夏休み』の主人公は<付け焼き刃>な滑稽さを冷笑的に見つつも、なんだかんだ言って自分は滑稽でなく華やかな場の一員になりたくて別荘地にやって来てるワケで、やっぱりウラヤマシくてしょ〜がないんですよね〜〜〜(・x・ゞ

 お金貯めて3日泊まるのが夏休み
  週刊誌読んでやって来れば 数珠つなぎ
  さめたスープ 放り投げるように 飲まされて
  二段ベッドでも あたいの夏休み


この一連はブームに人一倍憧れつつもさまざまな事情wで乗り切れない、という鬱屈とした感覚そのものですな。一見すると毒をはらんだ社会風刺のように見えますが、実は主人公の心のうちは風刺される側なのでありま〜す。この時代は夏の曲といえばこんな感じで爽やかな夏で売るのが当然でしたが、

 <フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!
  夏の扉を開けて
  私をどこか連れていって
(松田聖子『夏の扉』1981年)

ここにめっっっちゃ庶民的で鬱陶しく屈折した夏の主人公(「あたい」という一人称も最っ高〜に効いてるしw)をぶっ込んできた中島みゆきってば、も〜オモシロすぎますwww

 貴賓室のドアは金文字の VIP
  のぞきこんでつまみ出されてる夏休み
  あたいだって町じゃ 捨てたもんじゃないのよと
  慣れた酒を飲んで 酔う 十把ひとからげ


最初の<貴賓室のドアは金文字の VIP>って、詩的に見えて中身のない言葉の中でも最右翼に位置するようなめっちゃおバカなひとことだと思うんですが、この時代のいかにも取ってつけたようなハリボテ感を表現するのにウマく一役買ってますね。別荘地の華やかな舞台に立つことなんて見果てぬ夢なのは主人公には先刻承知でしょうが、やっぱりウラヤマシくてしょ〜がないんですよね〜〜〜(・x・ゞ

 だけど あたいちょっと この夏は 違うのよね
  ゆうべ買った 土産物屋のコースター
  安物だけど 自分用じゃないもんね
  ちょっと わけありで 今年の夏休み


自家用車で高原の別荘地(「リゾート」という概念が知られるためにはもう少し、数年後のバブルを待つタイミングですナ)アベック(死語)で出かけてしっぽり、というのが当時の若者の憧れのゴールでしたが(でしたよね!?www)、惜しくもちょ〜っと届いていない主人公。ユーミンのコンサートが派手でゴージャスな方向になり始めたのが1979年ごろからとか、世の中が華やかな方向に動き始めている中で主人公がようやく買えたのが従来型の安い観光地土産、というのが哀れと同時にひときわ共感を覚えます。そうそう、「アベック」が「カップル」に変化するきっかけ、1978〜1981年に少年マガジンに連載されていた『翔んだカップル』が重要なんじゃないかなぁと思いますが、どうなんでしょね?

 悲しいのは ドレスが古くなること
  悲しいのは カレーばかり続くこと
  だけど もっと悲しいことは ひとり泣き
  だから あたいきっと勝ってる夏休み


「別荘地アベックなお前らはいっときのかりそめで、あたいは町に帰ればイイ人がいるんだもんね〜」という主人公、華やかな舞台に乗れなかったことへの精一杯の強がりなのでしょうが、庶民のささやかな楽しみなんてそんなモン。それにしても、中島みゆきの数ある詩の中で、つき合い始めでこっそりニヤニヤしている主人公って他にいたかなぁ・・・と思えるほどレアではございませんか。イジけて自虐的なばかりでなくちっぽけな幸せをそっとかみしめるこの主人公、なんだかイイ感じと思いません?



ここで使っているクラヴィコードは筒井本人の所有、モーツァルトが7歳のとき(1763年)にアウグスブルクのシュタインの工房で父親のレオポルドに買ってもらって以後終生愛用した、旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。旅行用クラヴィコードは、18世紀の旅の空に生きる演奏家や作曲家によく使われていました。このモーツァルトが使っていた旅行用クラヴィコードはたった1m程度の幅しかありませんが意外と重く丈夫で、音域はなんと4オクターヴ半もあったのでした。

2021年9月27日 (月)

ゴダール『20の小品, op.58』から第2曲「バラード」を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

ゴダール(1849-1895)の『20の小品, op.58』から第2曲「バラード」を、高崎の アトリエミストラル の1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。

ゴダールは多作家の天才として鳴らし、かつては『ジョスランの子守唄』という誰もが知る通俗名曲の作曲者として知られていましたが、今では何曲かのフルート曲の作曲者としてそこそこ知られている程度の作曲家ではないでしょうか。この『ジョスランの子守唄』は、オペラ『Jocelyn, op.100』の中の一曲で、戦前にはフツーに蓄音機で聴かれていたんですよ〜、YouTubeにも昭和6年吹込で藤原義江が近藤朔風の詩に乗せて歌っている音源が上がっています。

『20の小品, op.58』は1881年の作曲です。よくある手ごろな小品集ではありますがどの曲も粒揃いで素敵な魅力に溢れており、この時代の作品集として秀逸なのではないかなぁとさえ思ってます。この第2曲「バラード」は音が少なく長さもたったの2ページですが、名に恥じない物語性をきっちり備えていますよ〜。



19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケで、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代で、この時代の独特な空気感は現代の明晰なピアノで弾いてしまうと雲散霧消してしまいがちなのですが、この アトリエミストラル の1905年製プレイエルは的確に手を加えられて適度に弾かれているためでしょうか、霊的な雰囲気を蘇らせることが充分に可能なのでありま〜す (`・ω・´)

2021年9月23日 (木)

モーツァルト『6つのウィーンソナチネ』から第1番第1楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト作曲とされる「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章を、モーツァルトが7歳のときにモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。ナゼかこの動画のときだけ撮影アプリがバグって派手なフリッカーが発生してしまったのが残念至極!

モーツァルト没後の19世紀初頭(1805年とされています)のウィーンで、モーツァルト作曲によるクラヴィーアソロ用の「6つのウィーンソナチネ」なる楽譜が Artaria 社の Plate 1644-1645 として2分冊で出版されました。手頃で親しみやすい曲集でかなりの好評を博したようで現代でもさまざまな楽器用に編曲されていますが、この手の作品は成り立ちが怪しいものが少なからずなのもまた事実。オリジナルはケッヘル目録第6版でK.439b の「3本のバセットホルンまたはバセットホルンとファゴットのための5つのディヴェルティメント, K.Anh.229(439b)」とされていますが、なんとなんと、この「6つのウィーンソナチネ」では編集者によって5つの曲も楽章もバラバラにして6曲に再構成されていたりします。

この動画で弾いている「6つのウィーンソナチネ」第1番から第1楽章はもとは「ディヴェルティメント第4番」の第1楽章で、再現部に絶妙なカットが入れられてクラヴィーアソロ用として編曲されています。この「6つのウィーンソナチネ」の編曲者は知られていませんが、再構成の見事な手腕とあわせて考えるとかなりの実力者だったのではないかなぁと思わざるを得ませんね〜。



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

モーツァルト『K.2』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年1月にザルツブルク(?)にて作曲、とされる当時6歳になるかならないかのモーツァルト(誕生日が1月27日ですからね〜)による「ヘ長調の小品 K.2」を、その1年半後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「ヘ長調の小品 K.2」は一般的には「メヌエット K.2」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問があるんだけど・・・まぁいっかw。この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に書きつけたものと一応はされていますがこの曲のページ(とあとK.5の1ページ)は後年に誰かに贈られて失われており、唯一1828年に発行された資料にのみ記載がある、という厳密にはちょ〜っとだけ悩ましいシロモノだったりします。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月22日 (水)

モーツァルト『ソナタ K.7』第3楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年11月30日にパリにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「メヌエット ニ長調」を、その少し前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「メヌエット ニ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第2曲の第3楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.7」が与えられております。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月21日 (火)

モーツァルト『ロンドン・スケッチブック, K.15』から第1〜6曲を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

モーツァルト一家のいわゆる「西方大旅行」中のロンドンにて、当時8歳のヴォルフガングが父レオポルドから与えられた楽譜スケッチ帳に自らの手で書きつけた「ロンドン・スケッチブック」から第1〜6曲を、1年ほど前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。この「ロンドン・スケッチブック」の時期は1764年の後半と推測され、これら最初の6曲はさまざまなスタイルを自在に使い分けていて、8歳半にしてさすがは神童の名に恥じない素晴らしい能力ですよ〜。

モーツァルト一家がロンドンに着いたのは1764年4月23日、今までにないほどの熱狂的な歓迎を受けたのでした。ですが当時のロンドンの環境は産業革命最初期(七年戦争が終結、パリ条約が前年の1763年ですよ〜)で劣悪で、父レオポルトが「これほどたくさんの蒸気・煙・埃それに霧が出る人口稠密な都会」という表現をしています。なお、ワットによる蒸気機関の効率化はわずか数年後だったりしますね。

このような環境の中で用心深い父レオポルドは家族の健康に充分以上なほどの注意を払っていたのですが、あろうことか自身が8月初めに重病にかかってしまい、一家は9月末ごろまでロンドン郊外のチェルシーに移ります。ここには鍵盤楽器がなかったためにヴォルフガングはこの楽譜スケッチ帳でいろいろと作曲を試みていた・・・というのが通説ですが、一家は旅行用クラヴィコードを1年前から携えていましたからこの説は怪しいとワタクシにらんでいたりします(・x・ゞ

鍵盤に触れられなくて頭の中だけで作ったから妙に弾きにくかったり演奏不能だったりする箇所が少なくないという解説もほぼ例外なく目にしますが、人類の歴史に燦然と輝くほどの天才少年の頭の中です。凡人には弾けなくても彼は弾けたかもwしれませんし、そもそもスケッチ帳で完成させることを念頭に置いていないワケですから鍵盤楽器だけを念頭に置いていたと限定してしまうのも無理があると思いませんかの? まぁ同時にこの楽譜スケッチ帳には一家所有の旅行用クラヴィコードの音域を下に超える曲があるのも事実ですが当時の鍵盤楽器の最大音域にはきっちり収まっているワケで、音域が合わないからと言って「旅行用クラヴィコードは手元になかった」と結論づけられるほどのハナシではないでしょうよと。だいたい、この時代の音楽家たるもの、鍵盤楽器の音域がアタマの中に入っていないワケないでしょ〜にw。

「弾きにくさ」も、ヴォルフガング君はいたずら好きですし弾けて弾けて楽しくてしょうがない少年だったでしょうし、突飛な音形をぶっこんで見たというイタズラも無数にあったのではないでしょうかね〜(^^)b

第1〜3曲


第4〜6曲


ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月20日 (月)

モーツァルト『K.4』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年5月11日にザルツブルクにて作曲、とされる当時6歳のモーツァルトによる「ヘ長調の小品 K.4」を、その1年ちょい後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に<1762年5月11日>の日付とともに書きつけており、このタイミングはザルツブルクの自宅だよね、という判断というワケです。この「ヘ長調の小品 K.4」は一般的には「メヌエット K.4」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めつけてしまうのはちぃとばかし疑問なんだけどなぁ・・・形はメヌエットなのでまぁいっかw。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20代前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月18日 (土)

モーツァルト『ソナタ K.6』第2楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年10月にブリュッセルにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「アンダンテ へ長調」を、その直前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「アンダンテ へ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第1曲の第2楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.6」が与えられており、7歳の天才少年の作品としてまことに堂々としたアンダンテ楽章であるように感じます。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月16日 (木)

モーツァルト『K.5』(いわゆる「メヌエット へ長調」)を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1762年6月5日にザルツブルクにて作曲、とされる当時6歳のモーツァルトによる「ヘ長調の小品 K.5」を、その1年後の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。

この「ヘ長調の小品 K.5」は一般的には「メヌエット K.5」とされていますが、この時代の小品のほとんどはタイトルや速度表記がつけられていないので「メヌエット」と決めてしまうのはちぃとばかしどぉなのかなぁ・・・まぁいっかw。この曲はもともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳に書きつけたものと一応はされていますがこの曲のページ(とあとK.2の1ページ)は後年に誰かに贈られて失われており、唯一1828年に発行された資料にのみ記載がある、という厳密にはちょっとだけ悩ましいシロモノだったりします。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。ザルツブルクのモーツァルト家にフォルテピアノが入ったのはようやく1780年ころ、なんとヴォルフガング20前半というけっこう遅いタイミングだったことはなかなかに衝撃的ですぞ(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月14日 (火)

モーツァルト『ソナタ K.6』第3楽章を、モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

1763年10月にブリュッセルにて作曲、とされる当時7歳のモーツァルトによる「メヌエット ハ長調」を、その直前の8月にアウグスブルクでモーツァルト家が入手した旅行用クラヴィコードの完全複製で弾きました。
(ここしばらくこの楽器で中島みゆきばっかりうpしてるので関係各所から批難GoGoだったりwww)

この「メヌエット ハ長調」は、もともと父レオポルドが姉ナンネルの楽譜帳にヴォルフガングが作曲したと注釈をつけて鍵盤楽器のソロとして書きつけたもので、1764年3月に「作品1」としてパリで自費出版した『クラヴィーアのためのソナタ。 ヴァイオリンの助奏による演奏も可』2曲セット第1曲の第3楽章として使われています。この作品はケッヘル番号として「K.6」が与えられており、神童時代の作品としてなんとなく耳にしたことのある方も少なくないのではないでしょうか。

神童時代(なんとな〜く12歳ぐらいまでかなぁ)の幼きヴォルフガング周辺の鍵盤楽器に「ピアノ」という楽器は含まれていなかったというのは資料に裏づけられた史実ですが、どうも見落とされがちなのが残念でなりません。実はこの時代のヴォルフガングに関係する資料で「ピアノ」という新しい鍵盤楽器とのつながりを示すものは皆無で、当時の状況を勘案すれば見た可能性ありという見解は推測以外のナニモノでもないんですよ〜。ピアノ以外ならナニ? と言われれば、そりゃもぅチェンバロであり、オルガンであり、そしてクラヴィコードでありま〜す。そしてチェンバロもオルガンも当時の馬車の旅で運ぶのは全く現実的でなく、旅の友としての鍵盤楽器は旅行用に特化して小さく頑丈に設計されたクラヴィコードだったのでした(・o・ゞ



ここで使っている楽器は筒井本人の所有、モーツァルト家の3年半に及ぶ「西方大旅行」の最初(1763年8月、ヴォルフガング7歳)にアウグスブルクのシュタインの工房で父レオポルドが入手した旅行用クラヴィコード(現在、ブダペスト、ハンガリー国立博物館所蔵)の忠実な複製です。

2021年9月13日 (月)

オクターヴチェンバロ導入の巻

本日(9/13)、ヤミ物資の受け取りに分倍河原駅まで隠密行動w

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万能の才人、永野光太郎氏 からの貸し出し品、チト大きくて fragile なシロモノなので、時間がかかっても混まない経路を優先して無事に帰宅。モンダイは置き場所で・・・エラいこっちゃ💦

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これで、どの楽器を弾くときにも最初に力仕事が必須になったワケで、弾きこもりでナマりにナマったカラダが少しでも怪復するや否や🤣

2021年9月10日 (金)

マスネー(マスネ)『Valse très lente/いともゆるやかなワルツ』を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

マスネー(1842-1912)の『Valse très lente/いともゆるやかなワルツ』を1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。この曲の出版は1901年、まさに楽器と作品とがどんぴしゃで、興味深く弾くことができました(^^)v

この曲名、直訳すれば『とても遅いワルツ』になりましょうが、う〜ん、これじゃ〜このせっかくの小粋で優しくおふら〜んすな世界を一気に興醒めさせちまうんですよね〜。まぁ簡単に考えて『きわめてゆるやかなワルツ』でもイイかなとも思いましたが、もちっとヒネってみた結果、なんとか出てきましたよ。『 い と も ゆ る や か な ワ ル ツ 』に決っ定〜 (`・ω・´)!

マスネーはオペラで大成功し、当時もっとも有名な作曲家の一人でした。その作品群はとにもかくにも軽妙洒脱かつ美しいメロディーの宝庫ですが、現代ではごく限られた作品しか顧みられていないのがチト残念なような。ヴァイオリン用として誰もに知られる通俗名曲『タイスの瞑想曲』はオペラ『タイス』の中の一曲ですが、これがあまりにも突出して知られ過ぎているという一面もあるのかなぁとかなんとかw。

この『Valse très lente/いともゆるやかなワルツ』を検索してみるとオーケストラ編曲が出てきまして、こ〜れがまた美しく魅惑的に仕上がっていましてな。マスネーの色彩的な魅力が十全に愉しめる名編曲と思います。併せてど〜ぞ。

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケで、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代で、この時代の独特な空気感は現代の明晰なピアノで弾いてしまうと雲散霧消してしまいがちなのですが、この アトリエミストラル の1905年製プレイエルは的確に手を加えられて適度に弾かれているためでしょうか、霊的な雰囲気を蘇らせることが充分に可能なのでありま〜す (`・ω・´)

2021年9月 7日 (火)

ゴダール『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

Godard/ゴダール(1849-1895)の『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』を1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。

この曲名、キチンと訳すれば『牧歌的夢想曲』やら『田園風夢想曲』やらやらwになりましょうが、う〜ん、コレじゃ〜このせっかくの優しく穏やかな夢の世界を一気に興醒めさせちまうんですよね〜。「田園への想い」でもイイかなぁとは思ったのですが、これでは修飾関係が違ってくるのでボツ・・・とかいろいろ苦心惨憺した結果、なんとか絞り出せましたよ。『 田 園 に 想 ふ 』に決っ定〜 (`・ω・´)!

Godard/ゴダールは多作家の天才として鳴らし、かつては『ジョスランの子守唄』という誰もが知る通俗名曲の作曲者として知られていましたが、今ではフルート曲の作曲者としてそこそこ知られている程度の作曲家ではないでしょうか。この『ジョスランの子守唄』は、オペラ『Jocelyn, op.100』の中の一曲で、戦前にはフツーに蓄音機で聴かれていたんですよ〜。YouTubeにも昭和6年吹込で藤原義江が近藤朔風の詩に乗せて歌っている音源が上がっています。

この『Rêverie pastorale/田園に想ふ, op.43』の検索を軽〜くかけてみたのですが、あろうことかネット上には音源がなさそうな疑惑が浮上してきまして、そんなことがあってイイのかと。この手の「埋もれた」曲にはだいたい理由がありまして、展開技術は上手なのでしょうが霊感に乏しいがためにそこから抜け出せずに紋切り型に終始して数分で飽きるとか、そうでなくても「また聴こう」と思ってもらえにくいとか。この曲はそんなモンじゃなく、ちゃぁんと一歩も二歩も抜け出している気がするンですけどね〜。

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケで、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代で、この時代の独特な空気感は現代の明晰なピアノで弾いてしまうと雲散霧消してしまいがちなのですが、この アトリエミストラル の1905年製プレイエルは的確に手を加えられて適度に弾かれているためでしょうか、霊的な雰囲気を蘇らせることが充分に可能なのでありま〜す (`・ω・´)

 

2021年9月 4日 (土)

レナルド・アーン『Première valses/最初の円舞曲集』から第5曲を、1905年製プレイエル3bisピアノ(85鍵)で

レナルド・アーン(1874-1947)の『Première valses/最初の円舞曲集』から第5曲を、高崎のアトリエミストラル の1905年製85鍵のプレイエル 3bis(トロワビス)型ヴィンテージピアノで弾きました。

アーンは歌曲方面で渋い人気wを博していますが、ピアノ曲を書いていないワケはございませんでして。この『Première valses』は1898年の出版ですからこのプレイエル3bis と同世代、古典的な和声を使っていながら随所にこの時代のおふらんすな響きに満ちており、やはりこのような魅力は同世代のピアノで魅力百倍。この第5番には、献呈先に代えて「à l’Ombre rêveuse de Chopin」という言葉が添えられています。日本語では「ショパンの夢かげに寄せて」とでも書くのでしょうか。なるほどな小ネタあり、あこがれに満ちたしみじみとした語り口あり、素晴らしい佳曲です (*´-`)

19世紀末から20世紀初頭にかけては現代的な科学技術が次々と花開いたタイミングで、ピアノに限らず人間の生活が大変に変化したタイミングでもありました。そしてこの時代に生み出された芸術もまた大きく変化したワケでして、あまたの才能そして魑魅魍魎がそれこそうじゃうじゃと湧いていた時代なんですね〜。この時代はまだまだ「魔力」に満ちていて神秘的なナニかに対する感受性も相当に高かった時代でしょうから、たかが現代日本人がこの時代のピアノを使ったところでそれを強く強く念頭に置いて弾かないと一発で返り討ちされるのが怖く、またオモシロいのでありま〜す (`・ω・´)

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