中島みゆき 作詞/作曲『天鏡』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)
中島みゆきの『天鏡』(てんきょう)を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。
『天鏡』は、2008年初演の《夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』》の終曲として書き下ろされ、翌年2009年に発売されたアルバム《DRAMA!》のラストに収録されています。このアルバム《DRAMA!》は、ミュージカル『SEMPO 〜日本のシンドラー 杉原千畝物語〜』に提供した曲から選んだ前半6曲と、夜会 VOL.15『〜夜物語〜元祖・今晩屋』(2008年 - 2009年)、夜会 VOL.16『〜夜物語〜本家・今晩屋』(2009年)で歌われた書き下ろし曲から選んだ後半7曲との計13曲からなっています。
中国では古来から「鏡」を神霊視しており、帝王の権力を象徴するのが「玉鏡」「金鏡」そして「天鏡」です(そう言えば、我が国の「三種の神器」は原初は「鏡」と「剣」の二種だったそうな!)。鏡には「天下国家を映し出すもの」という意が込められているとのことで、後漢時代(25年〜220年)に広がった「讖緯(しんい)説」という政治的な予言説に、「聖天子が天下を安定させると不思議な力を持った鏡が現れ、天下が乱れれば鏡は失われる」という発想が見られるとか。
<その鏡に映るものは 隠しきれぬ愚かさと
その鏡に映るものは 拭いきれぬ悲しみと
その鏡に映るものは 失くしてから気が付く愛しさ>
『天鏡』はこのように唄い出されます。中島みゆきを聴くほどの人材wなら、これだけで<鏡>とは「人生=ひとの営みを映し出す何か」の暗喩だと気づくことでしょう。そして中島みゆきのライフワークたる「夜会」に一貫して流れる輪廻転生というテーマを知る人ならば、<隠しきれぬ愚かさ>や<拭いきれぬ悲しみ>は、「生まれ変わっても初期化wされない魂の業(ごう)」なんだろうなぁとも感づくことでしょう。
<その鏡を手にすることに焦れ
戦を起こす 心を捨てる
手にする物は 砕け散る道標>
<鏡>という「ひとの営みを映し出す何か」そして「天下国家を映し出すもの」はまことに魅力的であります。それを<手にすること>は。人心を掌握して天下を握ることに他ならないですもんね。ですが、権力とは魔物であることもまた真実でありまして、な〜るほど、ここひと月ばかり(もっと長いかw)でそれこそうじゃうじゃ湧いて出てきたのは政権に群がっている心を捨てた卑しきものどもですし、それに輪をかけて東京大運動会の周辺に群がっているのも心を捨てた卑しきものども。歴史上、日本人がこれほどまでに卑しきものどもの醜悪な姿を見せつけられたことはあるのかしらん、とさえ思わさせられるほどではございませんか。おい、みんな、ここまでコケにされて黙ってるのか。いいかげんに怒ろうぜ (`・ω・´)
<その鏡は 人の手には触れることの叶わぬもの
その鏡は 空の彼方 遥か彼方
涙を湛えた 瞳だ>
そもそも、権力なんてぇシロモノは人々を支配して悦に入りたい連中が勝手に作り出した虚構ではございませんか。まぁ確かに見事に上手に作り上げられていること自体は認めざるを得ませんが、そんな虚構ではなく、<隠しきれぬ愚かさ>に満ちて、<拭いきれぬ悲しみ>に満ちて、<失くしてから気が付く愛しさ>に満ちた自らの生を、<涙を湛えた瞳>で見据えたいではございませんか。さぁ、あなたの鏡はなんですか? そしてあなたの鏡にはナニが映っていますか〜? (*´-`)
<その鏡は 空の彼方 遥か彼方 涙を湛えた 瞳だ>
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