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2021年6月の6件の記事

2021年6月29日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『命の別名』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『命の別名』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『命の別名』は、1998年初めに放送されたTBS系ドラマ「聖者の行進」(1998年1月9日~3月27日)の第5話から主題歌として新しく作曲されました。このドラマの主題歌は最初は1992年発売のアルバム《EAST ASIA》の『糸』で、第5話から『命の別名』に変更、そして再度第10話とラストの第11話で『糸』に戻っています。この2曲は1998年2月4日に発売されたシングル《命の別名/糸》で両面A面という対等な位置づけで収録されています。ドラマの第5話はこのシングル発売直後の2月6日であり、ネットが一般的でなかった時代の売り方としてナルホドでもあります。

シングル盤発売の翌月にアルバム《わたしの子供になりなさい》が発売され、第3曲めに『命の別名』が収録されました。これはなんとシングル盤そしてドラマ主題歌の優しい口調のアレンジ(それがまた表現として強いのですが(^o^;)と全く異なり、かなり直接的攻撃的に「がなる」アレンジに変えられています。ドラマ『聖者の行進』は、知的障害者といういわゆる「社会的弱者」に焦点を当てた相当に重い問題作だったそうで、そのための書き下ろし曲が重くなるのもまた必定かと。ただいくら重い内容であってもデレビドラマの主題歌で「がなる」アレンジを採用するのは戦略上不利・・・という判断が働いたかどうかはわかりませんし、それを知ったところでナンにもなりゃしませんがw。メッセージの多面性重層性を重視する中島みゆきですから、おそらくどちらのアレンジも「本心」なんでしょうけどね〜 (*´-`)

 知らない言葉を覚えるたびに
  僕らは大人に近くなる
  けれど最後まで覚えられない
  言葉もきっとある


『命の別名』の始まりはこの一節。ドラマの題材こそ知的障害者ですが、この多面的かつ複雑怪奇な人間社会には完全無欠の存在なんで原理的にあり得ないことでして、全てのひとは程度の差こそあれ、必ず障害を抱えているのでありま〜す。現代日本人は「障害」を「障碍」と書き換えたがりますが、まるっきり偽善であり屁理屈であり、たいがいにせぇやと思いますわ。このように得意不得意(言い換えましたw)を抱えた自分という存在が自分の不得意にかかわらぬことだけを選びさえすれば人生を順風満帆に過ごせるかというと、そうは問屋がおろしませんで。得意なことを選び出すためには不得意なことも同じように知らねばならず、その過程は例外なく痛くて苦しくて哀しくて悔しいですもん。

 何かの足しにもなれずに生きて
  何にもなれずに消えてゆく
  僕がいることを喜ぶ人が
  どこかにいてほしい


とは言え、世の中はまことに不条理なモノで、ごくごく少数の世に出られる存在以外はいわゆる「世間」からは一瞥もくれられずに消えていきます。それにしても、別にネットやらマスコミやら大きなコンサート会場やらスタジアムやらの中だけが「世間」であるワケでもなし、範囲をどのように限定して充実感を得るかはこの発信手段がとんでもなく多様化した現代、相〜当〜に大切なのでしょう。「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」でもございますが、それにしてもココにも厳然と不条理が存在したりして・・・無い物ねだりは人の常w

 石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
  僕と生きてくれ


すでに1年半もコロナ禍が続いているワケで、人と関わるのは疲れますし傷つきますし面倒ですし、ホントにいいことがあるのかいな? とさえ思わされる毎日。とにかく自分も含めて日本人ってぇヤツらの救いようのない陰険さはどうしたもんかと絶望しますわ。まぁ生きるということは他人に迷惑をかけることに他ならないですけれど、それにしてもこの日本人な世間、ちぃとばかし酷すぎやしませんかね?

 くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
  君にも僕にも すべての人にも
  命に付く名前を「心」と呼ぶ
  名もなき君にも 名もなき僕にも


サビとしてホントに素晴らしい一節だと思います。<命に付く名前を「心」と呼ぶ>って、もうね、むちゃくちゃシビれますぞ。この一節のレトリックは単純な倒置法で、読み解きやすくするには・・・

 君にも僕にも すべての人にも
  くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
  名もなき君に 名もなき僕にも
  命に付く名前を「心」と呼ぶ


ですね〜。ひととして生まれて<>を得たからには<くり返す哀しみ>は等しくふりかかり、そこに灯をかざすということはすべてのひとの命を尊重することに他なりません。そして命を尊重するということは、ひとりひとりの「心」を尊重することに他なりません。まぁワタクシは誹謗中傷やら偽善やら権利侵害やら犯罪やらは尊重できず、ま〜だまだ否定してしまいますがね〜。少しは<大人に近く>なったと思いたいのですが、そこはご堪忍くださいませwww

いわゆる「名も無き弱い存在」へのエールが中島みゆきの大きなテーマの一つであるとは、少しでも中島みゆきの詩を聴き込んだひとならば簡単に思いつくでしょう。ただ考えてみれば中島みゆきって社会的成功者の中でもひときわ抜きん出た存在ですから、そんなところから単純にエールを送られても「な〜に言ってやんでぇ」と逆に反発されても無理からぬこと。それが全くそのように思われずに40年以上にわたってトップアーティストとして支持され続けているところ、こればかりは努力を伴った才能としか言いようがないなぁと。

不特定多数を相手にして言葉という比較的具体性の高い手段でメッセージを送るのって、SNSの炎上を例に挙げるまでもなく大変に難しいことですよね。そこで「詩」という抽象性の高い手段で解釈に幅を持たせるところまでは誰でも考えられるかと思いますが。例によって抽象性と具体性のサジ加減ってすんごく難しいこと。そこを割り切って単純かつワンパターンな具体性で大成功しているのが坂道シリーズなアイドルグループであったり現代アニメであったり、もはや中島みゆきであってもこの趨勢に抗い続けるのは難しいんだろうなぁ・・・と最近少し淋しいです。新しいものは古くなって飽きられるのも早いはずなんですけどね〜。

 まわるまわるよ 時代は回る(『時代』1975年)

2021年6月20日 (日)

リードオルガンとピアノの弾き比べ実践の巻♪(リードオルガンを聞く会/アトリエミストラル@高崎)

2021年6月18日、高崎のアトリエミストラルの定例『リードオルガンを聴く会』に参加、ゲストとして小ネタを披露いたしました(サムネが「特別ゲスト」となってますが、特別フツーのゲストの意味ネw)

前日に誘われて「とりあえずおしゃべりを交えつつ弾きゃぁいいかぁ」と軽く考えていた(すみませんw)のですが、せっかくリードオルガンとピアノと両方使える場所なのですから、双方の特性の違いを活かした弾き分けネタを開陳しなければ自分が出向いた意味がないワケでして。基本的にはどう「工夫」すりゃイイかという「弾く人」に対しての動画ですが、実はそれを知ることで「聴く人」もより楽しくなれる(かもしれない)んですよ〜 (*´-`)

管楽器であるリードオルガンと打弦楽器であるピアノが全く異なる芸風であることを知識として認識している方は少なくないですが、いざ実際に楽器と対峙してみると結局理解の浅さが露呈していることがなんと多いことか(・x・ゞ

まぁ難しく言えば、実例に即したレガートとアーティキュレイションの表現法って感じでしょうか。実例はライネッケの『おばあちゃんのおはなし op.77-1』の出だしの数小節、ぶっつけの即興でヤったwのですが、さすがの編集でイイ感じの10分ちょいにまとめていただけて大感謝です。

2021年6月16日 (水)

ライネッケ『Hausmusik op.77』から第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

一昨日リードオルガンでアップした、ライネッケ(1824-1910) の『Hausmusik op.77』の第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」のオリジナルを、ライネッケが生きている時代に作られた1894年製ベーゼンドルファーで弾きました。

リードオルガンでは左手をばっちりレガ〜〜〜トで弾いて右手はポルタート気味に弾くことで旋律と伴奏とを別の楽器であるかのように弾き分けることができます。とゆ〜か、いかにリードオルガンが足踏みペダルの操作次第で「息の強弱」がつけられると言っても声部ごとに息の送り方が変えられるワケではございませんから、声部ごとに弾き方を変えてやらないと声部の表情と無関係な大小がつくばかりになってしまって、結局は音楽を損なってしまうのでありま〜す。この曲のような単純な曲こそ「声部ごとの弾き分け」ができているか否かの試金石であり、実はな〜かなかコワいんですね〜。

そして、ピアノの場合はリードオルガンの同じレガ〜〜〜トは原理的に不可能ですから、違う工夫が必要になります。ピアノという楽器は声部ごとの弾き分けは大小を弾き分けることで可能性を高められる楽器ですが、実は大小による表現ばかりではナゼか一生懸命さばかりが伝わってしまったりして、チト悩ましいですんね〜。要はピアノの表現として有効そうなネタを総動員しないとど〜しよ〜もないのですが、和声感あり、響きの拡がりの加減あり、リードオルガンより少し精密な右手のポルタート感あり、拍節感あり、も〜どないせぇっちゅ〜んじゃとw

鍵盤楽器ってぇヤツは楽器としては根本的に欠陥だらけで、このような不備だらけの楽器で合奏やオーケストラのような拡がりや響きの多様性を出そうと苦心惨憺することこそに逆説的な鍵盤楽器の存在意義があるのだろうなぁと思っています。「デキる楽器」では当たり前で深く考える必要がないようなポイントを「デキない楽器」でできるようになろうと苦心惨憺することが深く考えることに直結するのでしょうね。おそらく、たぶん、きっと (*´-`)



・リードオルガンによる『Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし』

2021年6月13日 (日)

ライネッケ『Hausmusik op.77』から第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」を、100年前の大型リードオルガンで

ひさびさにハードディスクの整理をしてみたところ2019年12月に録った動画が出土して、チト慌てましてなw

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻には小品が70曲おさめられており、なかなか感じ良くリードオルガン用に編集されているように思えます。その中の第67番、Reinecke作曲という表記の『Improvisation』を、ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで弾きました。

Reinecke/ライネッケ(1824-1910) は独逸中堅の作曲家で例によって多作家、ピアノの大ヴィルトゥオーゾでもありがっつり弾かせる作品が少なくなく、さまざまなピアノ協奏曲用のカデンツァを数多く書いていたりしますが、現在はなんとかフルート協奏曲の作曲者としての知名度にとどまっているようです。この『Improvisation』のオリジナルは、ピアノのための『Hausmusik op.77』の第1曲「Grossmutter erzählt/おばあちゃんのおはなし」です。『Hausmusik op.77』はピアノのための18曲のやさしい小品集で、さまざまなスタイルに親しむための教育的な曲集だったりします。

この動画で弾いている大型棚つきリードオルガンは100年ちょい昔の北米にはごくごく普通にあった楽器です。見た目はパイプオルガンに匹敵するくらいに派手ですが、実は普通の箱型のリードオルガンの上に豪華な装飾棚(しかも意外と軽いw)を載せているだけなので、構造や機能自体は普通のリードオルガンと一緒と考えて差し支えないのでした。見た目で身構える必要は全〜然ないんですよ〜(・o・ゞ

2021年6月 7日 (月)

バロック方面より風来たる ACT.3@ソフィアザールバロック高円寺、盛況御礼&実況録画

6月5日にソフィアザール高円寺バロックで行った<バロック方面より風来たる act.3>は、イイ感じに密でなく終演いたしました。みなさま、ありがとうございました!

なにやら大規模なイベントがやりづらい世間になってしまいましたが、幸か幸かwワタクシは大規模なイベントとは無縁でございまして。まぁそれでもな〜んとなく演奏会は控えようかなぁと思ってしまうのは、案外と世間体を気にする自分でもあったようななかったようなwww。

演奏会実況録画、前半に弾いたゲオルグ・ベーム(1661-1733)の《組曲 へ短調》から、アルマンドです。ここ「ソフィアザール高円寺バロック」のクラヴサンは多彩極まりない才人の 永野光太郎氏 が2018年末に納入した楽器でようやく2年半経った程度ですが、音響振動に対する反応が抜群に良く、いわゆるエージングが進むわ進むわでいつも仰天させられています。使い倒されるわけではない楽器でそれは非常に好ましいこと、そして反応が良いということはしばらくお休みしていてもとにかく「目覚める」のが抜群に速いワケで、あっという間に豪快な鳴りが戻ってくるのがたまりませんですわ〜 (`・ω・´)

昨今はさまざまな分野wで「ほにゃらら警察」な活動がかまびすしい世の中に成り果てましたが、いやはや、フレンチクラヴサンでド独逸なベームの組曲を弾くなんつ〜のは格好の標的になりかねませんな。確かに1990年代くらいまでは「とりあえず大は小を兼ねるで汎用性が高そうな楽器」として種々オトナの事情wで18世紀フレンチクラヴサンがなんでもかんでもw使われていましたが、そんな時代はとっくに過ぎ去っております。それを理解した上でホールは所蔵する楽器の方向性を考えるワケですが、さまざまな使い方に対応する必要があるのであれば、実は昔のような考え方って案外と意味があるんですよ〜。まぁバロックな組曲って一応はおふらんすな舞曲の集合体でありますからして、理論的よりどころとしてはこんな雰囲気wでヽ( ̄▽ ̄)ノ

・永野光太郎オフィシャルサイト
  https://oratokoratok.jimdo.com
・永野光太郎(Keyboard)&對馬佳祐(Violin)YouTubeチャンネル
  https://www.youtube.com/channel/UClZJOmnOvq_VoBxW9G1e5Tw

2021年6月 1日 (火)

Georg Böhm の『組曲 変ホ長調』から「第3曲 サラバンド/Sarabande」を、超低音16フィート付のジャーマンチェンバロで

いわき市の「いわきアリオス」所蔵、16フィート弦という超低音弦を搭載した珍しいチェンバロ(製作:Matthias KRAMER)で弾いた、G.ベームの『組曲 変ホ長調』から「第3曲 サラバンド/Sarabande」です。ここでは両手とも下鍵盤で8フィート2本と16フィートとを重ねています。このサラバンドの力強い方向性を超低音の16フィート弦でがっつり増強させつつ変ホ長調の華やかさを両立させよう、という目論見です。

この16フィート弦つきのチェンバロに取り組んだ経験がある人物は、古楽器界でマニアックな方面でもいまだにごくごく少数派。まぁ記録が残っている楽器もきはめて数少ないので「キワモノ扱い」されるのもまた仕方ないこと。ですが、文化・芸術を醸成するにあたっては多様性こそが命。このような珍しい楽器をしかも弾き込みができる機会があれば率先して出向くのがワタクシの立場でありま〜す (`・ω・´)シャキーン

ん? キワモノ大好きなだけでしょ、という突っ込みはその通りですがナニか?ヽ( ̄▽ ̄)ノ

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