中島みゆき 作詞/作曲『ホームにて』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で
中島みゆきの『ホームにて』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。
『ホームにて』は、1977年のアルバム《あ・り・が・と・う》のB面の2曲めという落ち着いた位置に収録されています。また、有名なシングル《わかれうた》のB面でもありますね〜。《あ・り・が・と・う》は中島みゆきのようやく3作めのオリジナルアルバム、いまだ20歳台半ばの若者が「ふるさと」に対する切ないだけでない心持ちをこれほどまで複雑に唄えるのかと驚かされます。まぁ優れた芸術家は年齢なんぞ無関係におそるべき能力を持っているんだなぁ、と絶望感さえ抱かせてくれますわ〜。
<ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
もう、この唄い出しからして謎に満ちていますね〜。<乗れる人>という不可思議な表現、「故郷に錦を飾る」という古い言葉がありますが、成功者だけが胸を張って故郷に凱旋できた時代の感覚でしょうか。成功できなかった人物は「負け犬」としてさげすまれましたし、昭和の時代には「ご近所に顔向けできない」という表現もごく普通でしたし。このような感覚って現代でも案外と色濃く残っていて古くさい、ふざけんな、という目でみられますが、なんだかんだ言って結局、人よりもナニかしら優れた一面がなければ社会では「使えない」ヤツとみなされてしまって生き抜くのは難しいではございませんか。このような世間を渡りづらいヒトを差別してしまうのは古くさい感覚というだけでなく、はなはだ遺憾ながら残酷な真理を示している感覚のような気がします。まぁこれって裏を返せば、実は弱肉強食な生き物の世界では到底生き抜けなかった「使えない」存在をも許容してくれる、という人間社会の厳しくも不思議な一面をもあらわしているとも言えようかと思います。
<走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる>
なりふり構わず人生を急ぎ走ればふるさとに帰る資格をもてるかもしれない、しかし無情にも、今度の仕事でも芽が出なかったなぁとため息をつく主人公でしょうか。まぁ誰しもこのような感覚は身に覚えがあろうかと思います。我々がふだん目にする人物は成功者ですから、世の中のみんなうまく行っているのにどうして自分だけはうまく行かないのさ、と絶望感にうちひしがれて涙にくれる日々もありますよね〜。それほどでもないにしても、取り立てて取り柄もなく立身出世なんぞ関係なく、静かに人生をやり過ごしたいだけのひとも世の中にはたくさんいるに違いありません。それでも世間様とおつき合いしているとどうしても「成功しなければ失敗」という評価にさらされてしまうワケで、そのような世の中って煩わしいだけでしょう。この主人公、ただ単純にふるさとに帰りたい気持ちがあるだけなのに社会の目にさらされて迷い、諦めざるを得ないひとりなのかも知れませんね。
<ふるさとは 走り続けた ホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして 手のひらに残るのは
白い煙と乗車券>
人生は成功という汽車に乗るためのプラットホーム、失敗を許容してくれて長い目で見てくれるのは一見優しいかのように錯覚させられますが、実はいつまでも失敗や挫折しか経験できないひとを本当に救ってはいないのかもしれません。この一節はまことに美しくさらりと流してしまいそうになりますが、そのようなひとの心に寄り添い共感してくれる珠玉の一節であるように感じました。中島みゆきは取り立てて取り柄もなく目立たない普通の存在に光を当てると言われますし事実そうだとも思いますが(『地上の星』2000年)、本当に目立たない普通の存在は光を当てられて世間の目にさらされたら煩わしいとしか感じないでしょう。この一節を味わってみると、中島みゆきの光の当て方が人目にさらすような当て方とは全く異なることに気づかされます。『ホームにて』のリリースは1977年で中島みゆきはようやく20歳台半ば、人生に対する徒労感や虚無感をみごとに表現したこの一節には慄然とさせられますわ〜。
<涙の数 ため息の数 溜ってゆく空色のキップ
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券>
1968年のいしだあゆみの《ブルー・ライト・ヨコハマ》ではないですが、青白く光る蛍光灯や赤くてもシャープで白熱灯のそれとは全く異なるネオンライトは都会の象徴。ふるさとこそが主人公の失敗や挫折の数々を癒せるのでしょうが、ふるさとという存在は同時に負け犬をさげすむ場所でもありましたね。主人公の傷を癒す場所はいったいどこにあるのでしょうか。
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