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2021年3月の6件の記事

2021年3月31日 (水)

中島みゆき 作詞/作曲『ホームにて』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『ホームにて』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『ホームにて』は、1977年のアルバム《あ・り・が・と・う》のB面の2曲めという落ち着いた位置に収録されています。また、有名なシングル《わかれうた》のB面でもありますね〜。《あ・り・が・と・う》は中島みゆきのようやく3作めのオリジナルアルバム、いまだ20歳台半ばの若者が「ふるさと」に対する切ないだけでない心持ちをこれほどまで複雑に唄えるのかと驚かされます。まぁ優れた芸術家は年齢なんぞ無関係におそるべき能力を持っているんだなぁ、と絶望感さえ抱かせてくれますわ〜。

 ふるさとへ 向かう最終に
  乗れる人は 急ぎなさいと
  やさしい やさしい声の 駅長が
  街なかに 叫ぶ


もう、この唄い出しからして謎に満ちていますね〜。<乗れる人>という不可思議な表現、「故郷に錦を飾る」という古い言葉がありますが、成功者だけが胸を張って故郷に凱旋できた時代の感覚でしょうか。成功できなかった人物は「負け犬」としてさげすまれましたし、昭和の時代には「ご近所に顔向けできない」という表現もごく普通でしたし。このような感覚って現代でも案外と色濃く残っていて古くさい、ふざけんな、という目でみられますが、なんだかんだ言って結局、人よりもナニかしら優れた一面がなければ社会では「使えない」ヤツとみなされてしまって生き抜くのは難しいではございませんか。このような世間を渡りづらいヒトを差別してしまうのは古くさい感覚というだけでなく、はなはだ遺憾ながら残酷な真理を示している感覚のような気がします。まぁこれって裏を返せば、実は弱肉強食な生き物の世界では到底生き抜けなかった「使えない」存在をも許容してくれる、という人間社会の厳しくも不思議な一面をもあらわしているとも言えようかと思います。

 走りだせば 間に合うだろう
  かざり荷物を ふり捨てて
  街に 街に挨拶を
  振り向けば ドアは閉まる

なりふり構わず人生を急ぎ走ればふるさとに帰る資格をもてるかもしれない、しかし無情にも、今度の仕事でも芽が出なかったなぁとため息をつく主人公でしょうか。まぁ誰しもこのような感覚は身に覚えがあろうかと思います。我々がふだん目にする人物は成功者ですから、世の中のみんなうまく行っているのにどうして自分だけはうまく行かないのさ、と絶望感にうちひしがれて涙にくれる日々もありますよね〜。それほどでもないにしても、取り立てて取り柄もなく立身出世なんぞ関係なく、静かに人生をやり過ごしたいだけのひとも世の中にはたくさんいるに違いありません。それでも世間様とおつき合いしているとどうしても「成功しなければ失敗」という評価にさらされてしまうワケで、そのような世の中って煩わしいだけでしょう。この主人公、ただ単純にふるさとに帰りたい気持ちがあるだけなのに社会の目にさらされて迷い、諦めざるを得ないひとりなのかも知れませんね。

 ふるさとは 走り続けた ホームの果て
  叩き続けた 窓ガラスの果て
  そして 手のひらに残るのは
  白い煙と乗車券


人生は成功という汽車に乗るためのプラットホーム、失敗を許容してくれて長い目で見てくれるのは一見優しいかのように錯覚させられますが、実はいつまでも失敗や挫折しか経験できないひとを本当に救ってはいないのかもしれません。この一節はまことに美しくさらりと流してしまいそうになりますが、そのようなひとの心に寄り添い共感してくれる珠玉の一節であるように感じました。中島みゆきは取り立てて取り柄もなく目立たない普通の存在に光を当てると言われますし事実そうだとも思いますが『地上の星』2000年)、本当に目立たない普通の存在は光を当てられて世間の目にさらされたら煩わしいとしか感じないでしょう。この一節を味わってみると、中島みゆきの光の当て方が人目にさらすような当て方とは全く異なることに気づかされます。『ホームにて』のリリースは1977年で中島みゆきはようやく20歳台半ば、人生に対する徒労感や虚無感をみごとに表現したこの一節には慄然とさせられますわ〜。

 涙の数 ため息の数 溜ってゆく空色のキップ
  ネオンライトでは 燃やせない
  ふるさと行きの乗車券


1968年のいしだあゆみの《ブルー・ライト・ヨコハマ》ではないですが、青白く光る蛍光灯や赤くてもシャープで白熱灯のそれとは全く異なるネオンライトは都会の象徴。ふるさとこそが主人公の失敗や挫折の数々を癒せるのでしょうが、ふるさとという存在は同時に負け犬をさげすむ場所でもありましたね。主人公の傷を癒す場所はいったいどこにあるのでしょうか。

2021年3月29日 (月)

薄暮の桜/茅場町

すっかり弾きこもってwますが、ひさびさに茅場町のグランドギャラリー東京に年度末のご挨拶(*´-`)

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すぐ近くの亀島川にかかる霊岸橋のたもとの桜は早くも散り始めてましたとさ。

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薄暮の時間帯でしたが、旧 iPhone SE のカメラはなかなか優秀でございました(*´-`)

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2021年3月27日 (土)

LED電球断線?

二年だったか前にちょいと心配しながら風呂場に導入したLED照明がまさかというかやはりwの断線、どこかでなんとなく見たようなと思って昔の電球を探してみたところ、ありましたありました。少し口金がサビていますが、問題なく点灯してホッ(*´-`)

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昭和48年11月7日購入の60W白熱球、50年昔で140円だったって、今でも値段がほぼ変わってないのにはノケぞりましたわぃ。つ〜か、今ではLED電球が100均で売ってますから恐ろしきデフレ時代な感なきにしもあらず(^x^;

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当時の経済状況を調べてみたところ、昭和48年2月14日から円ドルが変動相場制に移行したという、なかなかヤヤこしいタイミング。さらに昭和48年10月から第1次オイルショックだったので、この電球は父親がとりあえず買っておいてくれたんだろうかなぁ・・・と、ちょっとしみじみ。

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物価の指標としてなかなか有効な国電の初乗りが30円、うどん・そばは150円程度の時代だったということは、当時の物価はだいたいいまの5分の1くらいだったようですね〜。

2021年3月18日 (木)

Mario Tarenghi (1870-1938) 『Song of the Fisherman, op.47-1』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

イタリアのピアニスト&作曲家、Mario Tarénghi (1870-1938) は結構な数のピアノ曲や劇音楽を作曲したようですが、ネット上の資料が乏しくて往生してます。故郷ベルガモの出版社だけでなくドイツの出版社による楽譜がちらちら見つかり、この動画の「Song of the Fisherman, op.47-1」は1909年に例によってニューヨークのシャーマー社から『Four Drawing-Room Pieces』として出版された第1曲めです。ちなみに、2曲めは「A Lullaby」3曲めは「In Fantastic Mood」4曲めは「Improvisation, op.53-1」なのですが、2曲めと3曲めの楽譜が出てこないんですね〜。このシャーマー版楽譜の表紙には、Boston では The Boston Misic Co. そして、Milano と Leipzig では Carisch & Jänishen が出版している旨の記載があり、当時は Tarenghi の作品がしっかりと出版されていたことがうかがえますね〜。

この『Song of the Fisherman, op.47-1』はいかにも舟歌な6/8拍子でメランコリックな歌がまことに好ましく、同じ時代のベーゼンドルファーにぴったりな佳作と思います (*´-`)

2021年3月10日 (水)

上尾市、聖学院教会の Farrand & Votey 社1891年製リードオルガンで、Otto von Booth(1842-1923) 作曲による『Album leaflet No.2』を

埼玉県上尾市にある聖学院大学のキャンパス内「緑聖伝道所・教会」に新しい聖堂ができたのは2004年とのこと、その際に当時の主任牧師が「教会の名物にする」との意気込みで古いリードオルガンを購入するも一度コンサートを開いたきりでお蔵入り・・・という、ワリとありそうな話がございまして。このオルガンは1891年デトロイトの Farrand & Votey 製の11ストップの堂々たる棚付きリードオルガン、いつものリードオルガン修理の達人、渡邉祐治氏が軽く手を加えただけで例によって柔らかく美しい音色を奏でる存在に化けたというのが100年前のリードオルガンあるあるでありま〜す (`・ω・´)

曲は、K.E.Otto von Booth(1842-1923) 作曲による『Album leaflet No.2』です。Karl Edmund Otto von Booth はドイツ生まれでドイツで教育を受け、早くも11歳のときバーミンガムでヴァイオリニストとして活動を始め、14歳でロンドンに定住しました。ヴァイオリニスト、オルガニストそしてピアニストとして活躍しており、さまざまな作品を出版しております。この曲は《Album Leaflets - Six Pieces for the Harmonium or American Organ》としてロンドンで出版されたうちの第2曲めです。

2021年3月 5日 (金)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第12番 op.26』から第3楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第12番 op.26』から第3楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

この op.26 のピアノソナタ、実はソナタ形式の楽章がないんですよね〜。モーツァルトの例の「トルコ行進曲つきソナタ」もソナタ形式の楽章がなく、第1楽章が変奏曲であるという類似点から「ベートーヴェンはモーツァルトのこのソナタを意識して作曲したのであろう」とまとめる論調が散見されますが、いやいやいや待ってくだせぇ、トルコ行進曲つきソナタには葬送行進曲はないですってばさ。まぁ、よしんば「意識して作曲した」のが真実だったとしても、それってどんな作曲家でも珍しいことぢゃございませんで、それがナニか?ですなw

閑話休題、この第3楽章は葬送行進曲で副題として「MARCIA FUNEBRE sulla morte d’un Eroe/ある英雄の死を悼む葬送行進曲」とされており、この「英雄」が誰なのかは気になりますね。ベートーヴェンで英雄といえばナポレオンが最初に浮かびますが、このソナタが作曲されていた時期のナポレオンはまさに破竹の勢いでしたからそのセンはなさそうな気がします。このソナタが出版されたのは1802年、ベートーヴェンは二十代後半から自身の聴力障害を意識したとされており、有名な『ハイリゲンシュタットの遺書』が1802年ですから、ひょっとしたら自身の「音楽的な死」のための葬送行進曲だったのかも・・・と想像するのはさほど難しくはないでしょう。まぁそれがナニか?w

このタイミングのベートーヴェンは作曲家として順風満帆でこのソナタも変イ長調らしいさわやかな温かさ(主観ですヨw)に満ちているように思えますが、どうしたことか第3楽章だけが葬送行進曲、しかもこの当時としてはかなりぶっ飛んだ調性であるフラット7個の変イ短調とはこれいかに。順風満帆である人生の中に一点現れた音楽家にとって致命的な耳疾の衝撃たるや、フラット7個の変イ短調こそふさわしかったのかも。このピアノソナタはソナタ形式を持たないと最初に書きましたが、強烈な革新者変革者たるベートーヴェン自身を描いた曲だったのかも知れませんね (`・ω・´)

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