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2021年1月14日 (木)

瀧 廉太郎(1879-1903)『メヌエット』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

瀧 廉太郎(1879-1903)のピアノ小品『メヌエット』を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。楽譜は、自筆譜をもとに2014年にミューズテック音楽出版が出版した原典版を使っています。

瀧 廉太郎が生まれた1879年は明治12年という文明開化華やかなりしタイミング、その生涯はわずか23歳10ヶ月でしたが幼少期から絵画や音楽に大変な才能を発揮した天才でありました。東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校に最年少で入学、ドイツへの官費留学を控えた1900(明治33)年に『荒城の月』や『箱根八里』そしてこのピアノ曲『メヌエット』などを発表しています。

瀧 廉太郎が生きた時代は西洋の文物がなだれを打つかのように流入していた時代、日本近代の黎明期にこのような本格的な西洋音楽の作品が産み出されたのは奇跡的に思えますが、まぁ同時に必然であったような気もいたします。実は1900年はヤマハが第1号のピアノを作り上げた年でもあり、この時代の日本人はスピードにしても量にしても現代人である我々の想像を絶するレベルで新しい文化を吸収して咀嚼していたのでしょうね〜。なお新橋ー神戸の東海道本線が1889年にすでに全通、上野ー青森の日本鉄道奥州線も1891年に全通、日清戦争(1894-1895)後の1899年以降にようやく順次列国との不平等条約改正を成し得たとか、国が国として大きく動いていた時代だったのでした (*´-`)

1894年製のベーゼンドルファーは瀧 廉太郎が生きていた時代のピアノで、かつ日本製のピアノがまだ影も形も存在していなかった時代のピアノです。当時は全てのピアノは舶来品で、蓄音器も普及する前で西洋音楽を耳にする機会なんぞあるハズもなし、音が合っているとか合っていないとか、揃っているとか揃っていないとかすら新しい知識であって、あらゆることが驚きに満ちていたことでしょう。そして、個人が入手できる記録装置なんぞ筆と紙ぐらいだったですから、この時代に「学ぶ」ということは現代とは全く異なる作業だったでしょう。「情報にたどりつく」ためにはまず自分が求める情報が何なのかを決めねばならぬワケで、まさに人生を賭けていたというか人生そのものだったんですね。

・・・まぁ我々はなんでも現代から昔を見て「大変だっただろうなぁ」とかなんとか思いますが、当時はあらゆる人が人生として直接観察して書物をひもといて、そして自分の手で書いて作ってみて失敗して苦心惨憺して習得していたんですね〜。いやはや、現代人ってばホントにラクさせてもらって、というか、ぬるま湯に漬けられてますわ〜(・ω・ゞ

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