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2021年1月の8件の記事

2021年1月28日 (木)

中島みゆき 作詞/作曲『無限・軌道』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『無限・軌道』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『無限・軌道』のオリジナルは、2004年1月の《夜会VOL.13─24時着 0時発》のために作られ、第8場「法廷」で中島みゆき扮する“あかり”によって唄われています。そして、2005年発売のアルバム《転生(TEN-SEI)》にタイトルを『無限・軌道』と変えて新たに3番を追加して収録されています。なお、アルバム《転生(TEN-SEI)》は《夜会VOL.13─24時着 0時発》のオリジナル曲から11曲をセレクトしたもので、いわばサウンド・トラック盤ともいえるアルバムです。

 無限・軌道は真空の川  終わりと始めを繋ぐ『無限・軌道』2004年)
 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変って歩きだすよ『時代』1975年)
 伝えておくれ故郷へ ここで生きてゆくと『麦の唄』2014年)

アルバム《転生(TEN-SEI)》のタイトルともなっている転生という思想は1989年から続く「夜会」すべてに関わっておりまして、中島みゆきの実質のデビュー曲である『時代』の世界観そして中島みゆきの音楽世界で頻繁に目にする思想でもあります。文字通り生まれ変わるのみならず、人生の転換点であっても時代の転換点であっても転生となり得るワケで、今般の厄介な疫病にさらされている我々はすなはち《転生(TEN-SEI)》の真っただ中にいるのかも知れませんね〜。タイトルが無限軌道ではなく『無限・軌道』ですから、軌道が無限に続くという単純なイメージではなく、自然界というか宇宙の果てしなさと人生の限りない可能性とを並列に感じてほしいのではないでしょうか。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を思い起こす方も少なからずいらっしゃるのでは。

 本当のことは  無限大にある
  すべて失くしても  すべては始まる


『無限・軌道』はこのように始まりますが、これ、まさに今の時代にふさわしい語りかけではないでしょうか。厄介な疫病がためにあらゆる人が人生をひっくり返されてしまうほどの激動がとどまるところを知らないですが、厳しくも、始まりは<すべて失くした>ところだったりするんですよね〜。そして、ネタって実はそこいら中に転がっているはずで、それをどのように生活の糧とするか結局はアイディア勝負なのが突きつけられているという。まぁ実はコレって自分にとってはか〜なり厳しいんですけど。ど〜しましょw

 行く先表示のまばゆい灯りは
  列車の中から  誰にも見えない


この指摘はまことにわかりやすく、一瞬にして納得のたとえですね〜。このようなちょっとした視点の変化を使って印象深く語りかけてくるのは、言葉の使い手である中島みゆきのまさに真骨頂。まぁ列車に乗るときにゃ必ず行先表示を確認してから乗るでしょ〜、と突っ込むのはヤボですぜ、ヤボw

 誇らしくもなく  珍しくもなく
  普通の暮らしの一日のように
  或る朝  或る夜  君は乗るだろう
  懐かしいあの人々と  永遠をゆく鉄道の客となって


「夜会」版になくアルバムで追加されたのが、この一節です。そう言われてみると、詩的にも音楽的にもなんとな〜く唐突な印象もなきにしもあらずですが、一聴してそれとさとらせない技術はやはり一流であります。生きとし生けるもの全てその意思とは無関係に無限軌道の客であって、それを意識したタイミングからその人の人生が始まるんですね。それが2回目の『誕生』であり《転生》でもあるということは言い古されておりますが、いやはや、気づいたら最後、ず〜っと厳しくなるんですけどね〜 (`・ω・´)

2021年1月24日 (日)

Fischer の『アリアドネムジカ/Ariadne Musica』から「プレリュードとフーガ 第1 ハ長調」を、超低音16フィート付のジャーマンチェンバロで

いわき市の「いわきアリオス」所蔵、16フィート弦という超低音弦を搭載した珍しいチェンバロ(製作:Matthias KRAMER)動画シリーズ(というほどでもナイw)第二弾〜(*´-`)

J.S.バッハが学習した作曲の手本のなかでもかなり大切な位置を占めていると思われる、J.C.F.フィッシャー(1656-1746)の作品、組曲集『アリアドネムジカ/Ariadne Musica』は20曲の前奏曲とフーガおよび5曲のリチェルカーレからなるオルガン曲集で、バッハのいわゆる『平均律クラヴィア曲集』の先駆とも言える作品集です。その口開けの第1、ハ長調のプレリュード(Praeludium)とフーガ(Fuga)を弾きました。

16フィート弦つきのチェンバロに取り組んだ経験がある人物は、古楽器界でマニアックな方面でもいまだにごくごく少数派。パイプオルガンの足鍵盤がごとき重低音の支えがある豪壮なチェンバロってなかなか魅力的なのですが、ともすれば軽快なチェンバロ曲が鈍重になってしまうおそれもあり、どう使うかが演奏者の感覚そして理怪力の発露でありま〜す (`・ω・´)

この『アリアドネムジカ』の第1曲には足鍵盤の指定があってどうあがいても両手では弾けないwのですが、1オクターヴ下の音を重ねることで意外とそれっぽくなるもんでしたヽ( ̄▽ ̄)ノ

2021年1月19日 (火)

Georg Böhm の『組曲 へ短調』から「第4曲 チャコーナ/Ciacona」を、超低音16フィート付のジャーマンチェンバロで

昨日(1/18)の豪華ランチのついでに(おっとw)楽器の弾き込み仕事もしっっっかりとやってきまして、せっかくなので動画しぅろくのお願いをするところまでがテンプレでw

ココ、いわき市の「いわきアリオス」所蔵の大型チェンバロは16フィート弦という超低音弦を搭載したか〜なり珍しいチェンバロ(製作:Matthias KRAMER)でして、チェンバロに対する固定観念を吹っ飛ばしてくれる愉しい楽器です。記録が残っている楽器もきはめて数少ないので「キワモノ扱い」されるのもまた仕方ないこと。ですが、文化・芸術を醸成するにあたっては多様性こそが命。このような珍しい楽器をしかも弾き込みができる機会があれば率先して出向いて紹怪するのがワタクシの立場でありま〜す (`・ω・´)シャキーン

Georg Böhm(1661-1733) の『組曲 へ短調』から「第4曲 チャコーナ/Ciacona」です。Georg Böhm は J.S.バッハを教えた人物の一人、北ドイツはハンブルク近郊のリューネブルクの大オルガン奏者として一生を送りました。チェンバロのための組曲を何曲も書いており、どれもいかにも堅実で渋いドイツ風味な魅力にあふれていて素敵な曲集です。ここでは両手とも下鍵盤で4フィートと8フィート2本と16フィートとフルで重ねています。へ短調の厳しさと力強さを超低音の16フィート弦でがっつり増強させつつチャコーナの華やかさを4フィート弦で両立させよう、という目論見です。

2021年1月18日 (月)

ひさびさのいわき詣で:チーナン食堂/いわき

本日(1/18)はひさびさにいわき芸術文化交流館アリオス(いわきアリオス)の楽器弾きこみなお仕事(`・ω・´)

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ココは所蔵している楽器もヨいのですが、それより楽しみなのは豪華ランチでしてな。今日は弾きこみ要員はワタクシ1人だったので、いつも同乗させてもらっている調律師氏発案で海鮮丼ランチの次に地元の名店でラーメンという乱暴狼藉w

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この年季の入った普通のラーメンの味わい深さ、背脂が浮いていてこってり系かと思いきやまさかのあっさり系にまずビックリで。しかも絶妙な塩味に野菜っぽい甘みにベタつかない脂やら、複雑さにヤラれました。こりゃ毎日でも飽きないでしょね〜(*´-`)

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2021年1月14日 (木)

瀧 廉太郎(1879-1903)『メヌエット』を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

瀧 廉太郎(1879-1903)のピアノ小品『メヌエット』を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。楽譜は、自筆譜をもとに2014年にミューズテック音楽出版が出版した原典版を使っています。

瀧 廉太郎が生まれた1879年は明治12年という文明開化華やかなりしタイミング、その生涯はわずか23歳10ヶ月でしたが幼少期から絵画や音楽に大変な才能を発揮した天才でありました。東京藝術大学音楽学部の前身である東京音楽学校に最年少で入学、ドイツへの官費留学を控えた1900(明治33)年に『荒城の月』や『箱根八里』そしてこのピアノ曲『メヌエット』などを発表しています。

瀧 廉太郎が生きた時代は西洋の文物がなだれを打つかのように流入していた時代、日本近代の黎明期にこのような本格的な西洋音楽の作品が産み出されたのは奇跡的に思えますが、まぁ同時に必然であったような気もいたします。実は1900年はヤマハが第1号のピアノを作り上げた年でもあり、この時代の日本人はスピードにしても量にしても現代人である我々の想像を絶するレベルで新しい文化を吸収して咀嚼していたのでしょうね〜。なお新橋ー神戸の東海道本線が1889年にすでに全通、上野ー青森の日本鉄道奥州線も1891年に全通、日清戦争(1894-1895)後の1899年以降にようやく順次列国との不平等条約改正を成し得たとか、国が国として大きく動いていた時代だったのでした (*´-`)

1894年製のベーゼンドルファーは瀧 廉太郎が生きていた時代のピアノで、かつ日本製のピアノがまだ影も形も存在していなかった時代のピアノです。当時は全てのピアノは舶来品で、蓄音器も普及する前で西洋音楽を耳にする機会なんぞあるハズもなし、音が合っているとか合っていないとか、揃っているとか揃っていないとかすら新しい知識であって、あらゆることが驚きに満ちていたことでしょう。そして、個人が入手できる記録装置なんぞ筆と紙ぐらいだったですから、この時代に「学ぶ」ということは現代とは全く異なる作業だったでしょう。「情報にたどりつく」ためにはまず自分が求める情報が何なのかを決めねばならぬワケで、まさに人生を賭けていたというか人生そのものだったんですね。

・・・まぁ我々はなんでも現代から昔を見て「大変だっただろうなぁ」とかなんとか思いますが、当時はあらゆる人が人生として直接観察して書物をひもといて、そして自分の手で書いて作ってみて失敗して苦心惨憺して習得していたんですね〜。いやはや、現代人ってばホントにラクさせてもらって、というか、ぬるま湯に漬けられてますわ〜(・ω・ゞ

2021年1月11日 (月)

鏡開き〜♪

本日(1/11)は鏡開きの日ですが、ウチに鏡餅を飾る場所なんぞあるハズもなくw

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例によって母親のヒキの強さ、去年11月に賞味期限切れ一ヶ月後で400g4袋が100円だった無添加表示な中国製つぶあんこしあんセット。ちょっと水を加えて塩ひとつまみで煮立たせれば、誰でもカンタンなお汁粉かぜんざいか。

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ん? 賞味期限切れてるだろって? 滅法おいしかったので無問題〜(*´-`)

2021年1月 8日 (金)

上尾市、聖学院教会の Farrand & Votey 社1891年製リードオルガンで、Odoardo Barri (1844-1920) 作曲『Melodia Spagnuola』を

埼玉県上尾市にある聖学院大学のキャンパス内「緑聖伝道所・教会」に新しい聖堂ができたのは2004年とのこと、その際に当時の主任牧師が「教会の名物にする」との意気込みで古いリードオルガンを購入するも一度コンサートを開いたきりでお蔵入り・・・という、ワリとありそうな話がございまして。このオルガンは1891年デトロイトの Farrand & Votey 製の11ストップの堂々たる棚付きリードオルガン、いつものリードオルガン修理の達人、渡邉祐治氏が軽く手を加えただけで例によって柔らかく美しい音色を奏でる存在に化けたというのが100年前のリードオルガンあるあるでありま〜す (`・ω・´)

曲は、Odoardo Barri 作曲による『Melodia Spagnuola』です。Odoardo Barri は Edward Slater (1844-1920) のペンネームとされています。Slater はアイルランドはダブリン生まれ、イタリアやスペインで音楽教師や歌手として活躍したのちにロンドンで音楽学校を開いています。

この曲は1889年ごろに《The Vesper Voluntaries, Book 13》としてロンドンで出版されたうちの第6曲です。スペインに暮らしていれば、このような雰囲気のメロディーはそれこそそこら中にあふれていたんでしょうね〜。この時代の楽器は小さな音量でも全体が柔らかにふわっと共鳴するものが多く、この曲のように低音を意識的に使っていない曲のす〜〜〜っという魅力が際立ちます (*´-`)

2021年1月 3日 (日)

あけました謹賀新年

今年も2020年にしてほしい年明けですが、みなさまそれなりに心地よいお正月を迎えられたようでよかったでした。っっったく、地球全体で去年はなかったことに決めればイイのにサ(・3・)

人類はつながりを育む存在だと思うのですが、それを自らの意思を持って制限せねばならぬのがツラかったですね〜。それと同時に、従来いわゆる「人類の繁栄」と称されてきた物質的経済的な発展の脆さがはからずも露呈したような気もしますね。

まぁワタクシ自身は弾き/引きこもりな自分の一面を発見できて我ながら意外wでしたけど、それでも舞台に触れるたびにえも言われぬ「切望感」のような何かを強く感じました。

2021

芸術そして学問(同じかw)を求める心こそが人間を人間たらしめているのであって、物質的経済的な充足って実は単なる生存のための欲求の延長に過ぎないんですよね〜。ただこ〜ゆ〜感覚は収奪する側からすると厄介なワケで、だいたい封殺されますナ。

歴史上、音楽がどれほど弾圧され、またプロバガンダに使われてきたか、神さまと交信するときにナゼ通常と異なる声色を使うのか・・・音響振動空間には、人間の遺伝子に仕組まれている何かを覚醒させる力があるのでしょうね。

どうかこの夢か現かわからぬ不思議な世界を末長く感じ続けられるよう、錯綜する情報に右往左往させられずにいられますように。

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