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2020年10月の14件の記事

2020年10月30日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『荒野より』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『荒野より』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『荒野より』は2011年に発売されたアルバム《荒野より》の口開けの曲です。アルバムの1曲めにふさわしい、前向きな推進力と堂々たる決意表明とを併せ持った歌詞なのですが、コレ、音楽的に両立させるのはなかなか厄介でして。ここでポイントになるのは強〜烈に揺るぎないテンポ設定で、これぞスタジオミュージシャンたちの面目躍如。CDで聴ける決してスピード感を前面に出さずに完璧にメトロノーム的なテンポ設定は見事の一言で、少しでもスピードが速くても遅くても速くなっても遅くなってもこの揺るぎなく堂々と厳しくたゆまず進み続ける雰囲気はにじみ出なくなってしまいます。コレって〜、ユルく揺らぎだらけな音楽ばかりやっているワタクシにとって〜、めっちゃ鬼門なんですね〜ヽ( ̄▽ ̄)ノ

 僕は走っているだろう  君と走っているだろう
  あいだにどんな距離があっても
  僕は笑っているだろう  君と笑っているだろう
  あいだにどんな時が流れても


サビへの導入のこの部分、加速度的に社会的分断が進んでいるところに厄介な疫病が蔓延している2020年現在の我々にズバッと刺さってきますね〜。会いたい人に会えず、仲間と集まろうとしても集まれず、というこの状況がいつまで続くか見当もつかない現在、人と人との間にあるのはつながりではなく、果てしない<距離>と<>ばかりになってしまいました。それでも<>は<>と共に走り共に笑っているという、この素敵に無敵な姿はまことに美しく気高いですね。中島みゆきの音楽は毒なばかりwでなく、強いメッセージなのです。

 望みは何かと訊かれたら  君がこの星に居てくれることだ
  力は何かと訊かれたら  君を想えば立ち直れることだ


『荒野より』の出だしはこのように始まります。<君がこの星に居てくれる>だけが望みで、<君を想う>だけで力が湧いてくるとは、なんという姿勢でしょうか。果てしない距離と時が間に立ちふさがっていても、このように強い信頼そして愛があればこその人間の強さではないでしょうか。ただ単純に「強い」だけではそれよりも強い何かに脆くも負けてしまいますが、真に意識を共有できる対象の象徴たる<>がいれば、そこに「粘り」という不思議な助太刀が現れるのでしょうね。はて、みなさんにとって、<>とは? 人とは必ずしも限らないですよね〜。

 朝陽の昇らぬ日は来ても  君の声を疑う日はないだろう
  誓いは嵐にちぎれても  君の声を忘れる日はないだろう


2番はこのように始まります。君の声>に対する無限の信頼そして愛、この閉塞しきって人間が我を失ってしまっている今を生き抜かねばならぬ我々に向けられた輝かしいメッセージですよね〜。我々に生命がある限りこの厄介な疫病から逃れるすべはございませんで、少しでも他者とのつながりを薄くしなければならぬというそもそもの人間活動を否定されているこの状況、まさに<朝陽の昇らぬ日>であり<誓いが嵐にちぎれた>状況であるように思えます。それでも疑わないのは<君の声>で、忘れないのも<君の声>。<君の声>とはこのように信頼できる存在の象徴であって、その存在さえあれば人は無敵になれるのではないでしょうか。ここで思い出すのは、やはり『二隻の舟』の一節。

 おまえとわたしは たとえば二隻の舟
  暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
  互いの姿は波に隔てられても
  同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟
『二隻の舟』1992年)

世の中が<荒野>となってしまった現在、一人の人間としてどのように敵(=疫病だけではなく、疫病に惑わされて我を失ってしまっている世間の姿)に屈せずに自らの尊厳を守り続けられるのかが問われていると思います。厳しいと言えばあまりにもあんまりにも厳しいのですが、その厳しい環境の居心地を少しでもわずかでも良くできるのは、ひたすらに藝術であります。我田引水とおっしゃらないでネw

 あらゆる藝術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(夏目漱石『草枕』1907(M40)年)

『荒野より』は、現在を生きる我々へ中島みゆきそして藝術が向けてくれた、強く厳しく愛にあふれる応援歌です (`・ω・´)

 荒野より君に告ぐ  僕の為に立ち停まるな
  荒野より君を呼ぶ  後悔など何もない


2020年10月26日 (月)

Samuel Jackson (1818-1885)『38 Voluntaries, op.122』の第4巻の第4曲を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使った動画4発めです。10/14の上州行脚はなかなか効率良かった模様(^^)v

イングランドからアメリカに移ったオルガニスト、Samuel Jackson (1818-1885) による4巻からなる『38 Voluntaries, op.122』の第4巻の第4曲を弾きました。このベル社のリードオルガンは長い(=低い)16フィートのストップが低音側だけでなく全音域にわたって使えるのが特徴で、この曲では16+8+4フィートで豪華に鳴らしてみました(・o・ゞ

Jackson は7歳でアメリカに渡り、今でも続いている大手出版社シャーマーの校正係として結構長い間勤めていました。なお。この『38 Voluntaries, op.122』はシャーマーから出版されています。この時代は世の中に存在する音のうち蓄音機以外のほぼ全てが生音であり、生楽器の需要は現代とは考えられないほど多かったのでした。ということは、この時代は Jackson のような「普通の」音楽家がそれこそそこら中で活躍していた時代で、機械に人間が使い倒されるばかりの現代とは違って人それぞれが個性的な能力に応じて幅広く活躍できた時代だったんですね〜 (*´-`)

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2020年10月25日 (日)

『長岡鉄男のスピーカー製作合宿』参加

オトコのコって〜ヤツらは、突発的に工作好きも〜どに入るときがございまして、『長岡鉄男のスピーカー製作合宿』に参加〜。
ウチはくっそ狭くてこないだ作った Bluetooth スピーカーぐらいしか置けないので製作はしませんでしたが、例によって例の如しで 渡邉祐治 氏の企画ですし参加することに意義があるワケでありま〜す。しかもこの週末はこのワタクシが出かけるのに穏やかな好天に恵まれたというまさかの事態によっぽどワタクシ以外の参加者がマトモだったのでしょうナ(・o・ゞ

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場所は成島町の『しぜん教育研究学園』という、これまた素晴らしい公然の秘密w基地。意識が高く実践的かつ理知的な園長氏が作り上げた、滅菌消毒された環境でなければ生きていけない現代人に対する挑戦とも言うべき場所。ここでは学童保育も行なっており、遊びまわり駆けまわる子どもたちのなんとも生き生きとのびのびしていること。現代の別天地の一つかもしれません。

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材料のシナベニヤ板の切断と孔あけはなんと全て渡邉氏にやってもらえているので、参加者はとにかく部材を貼りつけて貼りつけてスピーカーの配線をちょちょっとやれば完成という、むちゃくちゃにお得な会だったんですよ〜。みんなが作っているのを見ていたら当〜然ながら自分も作りたくなってしまうワケですが、置けないモノを作っても意味ないどころかロクなことにならないので我慢我慢我慢我慢。

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部材を貼りつけるだけですから土曜日の日没までに全員箱として完成、夜は太田市の温泉がてら夕食に出向いて帰宿後は各自持ち寄りのダラダラ鑑賞会しながらテキトーにスピーカーの配線取付、日曜日の午前中に少しヤヤこしく面倒な『光琳』スピーカーを寄ってたかって完成させて大視聴会。この『光琳』スピーカーの迫真の聴こえ方には参加者一同大満足でございました。製作ってスペースに余裕があると気持ちにも余裕ができますし、この合宿は万人にオススメですよ〜 (*´-`)

2020年10月21日 (水)

Bluetooth スピーカーでっち上げ2台め

中華な小さい Bluetooth 基板をひとつかみw直輸入してあったのをフト思い出して、半年以上放ってあった簡易型スピーカー怪造(バラしてスピーカーを使っただけですがネw)ネタを無線化の巻〜。

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オリジナルのアナログアンプから変えた中華デジタルアンプは紫色の基板で、緑色のコンデンサー増量で低域アップ済。接続端子があるのに Bluetooth 基板(黒い方ね)と配置が違いやがったwので、テキトーにぐいっと曲げてサクッとハンダづけ (`・ω・´)

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スピーカーボックスは、例によって 渡邉 祐治 氏の特製木製で、このカチッと作られた木箱があってこその自然で素直な鳴り。激安でペラッペラな材料を使いつつ迫力を感じさせねばならぬ使命を持つ、現代の既製品の悲しき無理やり感wとは一線を画する生音っぽさが秀逸で、なにげに知り合い筋に気に入られて買ってもらえているのが嬉しいです。コレ、眼の間隔が広いので、ダメオヤジスタイルですね〜(*´-`)

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2020年10月20日 (火)

Salomé (1834-1896) 『Pendant l’office』を構成する「8 Offices ordinaires」の中の第2「8 Offertoires」の第1曲を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、パリの作曲家、Théodore César Salomé (1834-1896) の『Pendant l’office』を構成する「8 Offices ordinaires」の中の第2「8 Offertoires」の第1曲を弾きました。かなりヤヤこしい構成ですんません(・o・ゞ

Pendant l’office』は100曲からなるハルモニウムや小型オルガンのための小品集で、大きく2つのセット「8 Offices ordinaires」と「2 Offices funèbres」がメインとして構成されています。

・前半に「8 Offices ordinaires」が、それぞれ8曲からなる5つのセットPréludes d'entrée」「Offertoires」「Elévations」「Communions」「Sorties」で合計8×5=40曲
 それに加えてそれぞれ5曲からなる小品集ハ長調、ニ長調、変ホ長調、へ長調、ト短調、ハ短調、ニ短調、ホ短調、が8集で合計5×8=40曲

・後半も「2 Offices funèbres」が、それぞれ2曲からなる5つのセット「Préludes d'entrée」「Offertoires」「Elévations」「Communions」「Sorties」で合計2×5=10曲
 それに加えて3曲からなる小品集イ短調、2曲からなる小品集ホ短調、3曲からなる小品集ト短調、2曲からなる小品集ニ短調で合計3+2+3+2=10曲

その結果、40曲+40曲+10曲+10曲で100曲、めでたしめでたし (*´-`)

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた遊び程度の楽器、というリードオルガンのイメージ(ですよね?w)とは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

2020年10月17日 (土)

Eugene Thayer(1824-1896)『礼拝のための前奏曲 へ長調』を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」では、カナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)が入館料(200円)だけで弾き放題です。自治体関連のハコモノに納入された少し珍しい楽器はえてして担当が変わるたびに疎まれる存在となり、いつしか見て見ぬ振りをされて人知れず朽ち果てる・・・という残念な現実があります。「童謡ふるさと館」の鍵盤楽器たちも似たような状況でしたが、運良く識者に再発見されて2018年前半に2台がなんとか復活を遂げました。

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

Eugene Thayer/ユージン・セイヤー(1824-1896)は、アメリカのオルガニスト・作曲家。1870年に『The Art of Organ Playing』5分冊を刊行し、さらに1874年から1877年まで『Organist’s Quarterly Journal』を刊行しています。この動画で弾いている『Service Prelude in F(礼拝のための前奏曲 へ長調)』は、『The Art of Organ Playing』の補遺として自身を含む種々の作曲家の作品を集めて3分冊で刊行された『Organ Music for Church Service』の第1巻の第9番です。

2020年10月15日 (木)

Waňaus (1837-1893)『ハルモニウム教本 op.20』第2章「三声のための小練習曲集」から第20曲「コラール ロ長調」を、1900年ごろカナダはベル社の豪華棚付きリードオルガンで

昨日(10/14)ひさびさに出向いた、わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅から2km程度、群馬県みどり市「童謡ふるさと館」所蔵のカナダはベル社の1900年ころの豪華棚付きリードオルガン(17ストップ!)を使って、ボヘミアの作曲家、Johann Waňaus(1837-1893) の『ハルモニウム教本 op.20』の第2章「三声のための小練習曲集」から第20曲「コラール ロ長調」を弾きました。この『ハルモニウム教本 op.20』は1879年にドイツの Braunschweig の Henry Litolff’s Verlag から出版されていますが、残念ながら作曲者の Waňaus(ワニャウス)についての詳細情報は生没年しか見つけられず。『ハルモニウム教本 op.20』所収の曲はあくまでも教則本用なので大半が非常に短いのですが、このロ長調のコラールは比較的充実しています。

Waňaus は Smetana の『売られた花嫁』の旋律を用いたハルモニウム編曲, op.24 (Prague, Urbánek, 1883) など、ハルモニウムのための曲を数多く書いており、また『子どもの頃から, op.17』など2台ピアノ用のオリジナル曲を少なくとも4曲書いていることはかろうじて突き止めました。ちょっとおもしろそうなのは『スメタナの主題による三重奏曲, op.30』で、なんと編成が、ヴァイオリン&ピアノ&ハルモニウムという(・o・ゞ

このベル社のリードオルガンは1900年前後に北米で隆盛を極めていた豪華棚付きリードオルガンの生き残り。小学校低学年の授業で使われていた程度の楽器、というリードオルガンのイメージとは全く異なる堂々たる楽器です。管楽器や歌唱のイメージは「レガート」という表現に取り組む上で必要不可欠。リードオルガンは管楽器かつ持続音を得意とする楽器で、しかも空気を足踏みペダルで送るのですから工夫次第で強弱表現が可能、というかなり楽しい楽器です。素直で温かくしかも演奏者の悪知恵w次第で管楽器としての多種多彩な表現ができる魅力は、一部の世界だけに留めさせるにはあまりにも惜しい世界です。

言い古されたハコモノ行政の問題、自治体関連のハコモノに納入された楽器はえてして担当が変わるたびに疎まれる存在となり、売りつけたw業者の方も面倒なので売ったらほったらかし、いつしか見て見ぬ振りをされて人知れず朽ち果てる・・・という残念な現実があるようで。まぁこれは行政に限らず、同じように放置されて朽ちるに任されている楽器は決して少なくないようです。「童謡ふるさと館」の鍵盤楽器たちも似たような状況でしたが、運良く識者に再発見されて2018年前半に2台がなんとか復活を遂げました。この機会に音色を紹介できることを光栄に思います! (`・ω・´)

2020年10月14日 (水)

はやぶさ食堂/水沼駅前

本日(10/14)鉄道記念日の上州行脚の真の目的はひさびさに神戸(ごうど)の童謡ふるさと館の大型棚つきリードオルガンだったのですが、昨日に引き続き楽器の写真を撮り忘れましてなw。まぁ動画は撮ったのでそちらで御免σ^_^;

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帰りはいつも通りにわたらせ渓谷鉄道の水沼駅隣接の温泉センターでひとっ風呂浴びて夕食・・・と思いきや、オーダーストップが早まっていてビックリ。

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仕方なくw駅前の普通の地元メシ屋に入ったところ、またまた大充実なラーメンどんぶりにど〜んと入ったカツカレーでございました。ごはんいっぱい、おなかいっぱい(`・ω・´)

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佐野屋/大間々

上毛電鉄で赤城駅に着いたらわたらせ渓谷鐵道の大間々駅まで1kmほどの歩きでしたが、お目当のカレーうどんの名店は水曜定休で残念。ですが大間々は昔は大変に栄えていた土地で遺構があちこちに残っており、昔は商店街でにぎわっていたに違いない街道沿いに「佐野屋」という、いかにも老舗なうどん屋さんを発見して迷わずに突入(*´-`)

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まずお茶が異様に美味しく座敷には床の間そして掛け軸が二本、座布団は分厚く柔らかさも完璧だったので一驚。ワタクシ肉南蛮うどんを発注したのですが、つゆの味がかなり濃いのに塩辛さをほぼ感じないことにも仰天しまして。そう言えば、館林の「恵比寿屋」のうどんも同じような丁寧なつゆで色が濃いのに塩辛くなかったっけ。きっと、上州地域独特の味つけなんでしょうね〜。

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ヒヤリングしたところ、なんと、この地で100年以上の老舗ちぅの老舗で四代目とのこと。味も昔のまま守っていて全てを手作りでまかなっているそうで、古き佳き日本がてんこ盛りの名店発見の巻〜(`・ω・´)

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上毛電鉄/西桐生駅

本日(10/14)は鉄道記念日、ということで元鉄道少年でピアノ調律師&リードオルガン修復の渡邉祐治氏と上州行脚。まぁ足尾線のC12蒸気機関車廃止50年で桐生で写真展が開かれているという情報を見つけたのがワタクシだったのは内緒ねw

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鉄道少年ちぅのはむちゃくちゃにワガママですよって、別々に予定を立てても一緒に予定を立ててもwロクなことにならないのは必定。逆に、時間もナニも調べずになんとなくの土地勘を持った上でついていきさえすれば充実の1日になるのも必定ですので、ま〜ラクなもんです。桐生駅隣接の写真展会場は地元自治体の会議室だったのですが、いきなり「あら〜、渡邉さ〜ん!」と職員から声をかけられていて、やっぱりそこら中で悪事をハタラいている奴は違うなぁと。

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桐生駅から上毛電鉄の西桐生駅までは数百m、この駅の渋さもなかなかなモンでして、やはり先達はあらまほしきことなり。30年前に京王井の頭線を走っていた車両がほぼそのまま走っているのもまた香ばしく。

2020年10月13日 (火)

大型クラヴィコード試奏&手打ちうどん永井&ふじみ野市立福岡河岸記念館

武蔵野うどんの名店を訪ねるついでに珍しい大型クラヴィコードの試し弾きができる(逆だったかもw)とのことで、池袋から川越街道をくだって目的地はココ。公称15時までの営業でも麺がなくなったらおしまいという、まぁ普通のうどん屋さんですが、さすがの充実度。

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肉汁うどんの肉汁だけでも充分一人前になりそうなつゆと、歯ごたえしっかりでつやっつやのうどんに大満足。

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時間調整で新河岸川の舟運で栄えた舟問屋が見事に残されているふじみ野市立福岡河岸記念館を見学。美しい飾りガラスの数々、意匠を凝らした明かりとり、木道三階建の部分は一月ちょっとに一回解説員つきで見学できる機会があるそうです。

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やはり郷土資料館の類ってリキの入り方がハンパないんですね。いやはや、明治時代の建築がこれほどまでに残されていて入館料100円とは、ノケぞりましたわ〜(*´-`)

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肝心のクラヴィコードは音出しにかまけて写真を撮り忘れましたw(こちらに記事あり)が、二段鍵盤&足鍵盤つきという豪華な楽器。四年前に製作者の工房に伺ったときにたまたま出来立てを賞味wして以来の再怪でございました。

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2020年10月10日 (土)

10月10日/バロック方面より風来たる ACT.2 盛会御礼

強〜烈な雨男なワタクシの実力が遺憾無く発揮されて台風接近が危ぶまれる中の強行でしたが、幸いにも朝の天気予報で台風が南に逸れるとのことでホッ。ここ半年ほど気象予報の精度が落ちていますが、なんでもコロナ禍で世界中で航空機の運航が激減しているためにナマの気象観測データもまた激減してしまっていることが影響しているとか、なるほどそれはいかにもあり得るハナシだなぁと。コレ、地味に生活に効いてきそうなイヤな感じですね〜。

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このご時世、満席になることをヘタに喜べないというおかしな風潮も感じますが、幸いにもそのようなこともなく(?)適正規模かつめっちゃ贅沢な小規模wで怪催できました。みなさま、ありがとうございました!

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2020年10月 3日 (土)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第10番 op.14-2』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第10番 op.14-2』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

ベートーヴェンのピアノソナタ op.14 の2曲セットであるこの第9番と第10番は比較的易しいとされておりますが、なんのなんの、そうは問屋がおろしませんぞ。初期ピアノソナタの例に漏れずに少ない音数で J.S.Bach のフーガとは全く異なる多声部な構造があるのですから、演奏者は逃げも隠れもできません。この楽章の指定は Andante で2/2拍子、というなかなか悩ましい指定になっています。Andante は日本語の音楽事典では「歩くような速さで」と書かれていてそれ自体は悪くない見識だと思うのですが、受け取る人間の方が Andante を「ゆっくり」であると認識してしまうところに悩ましさの源泉があるような気がします。Andante はメトロノーム的スピード表記では Moderato よりゆっくりな位置に置かれていますが、これって Andante に「ゆっくりめ」という先入観を与える元凶である気がしてなりません。

Andante は伊太利亜弁ですから、伊太利亜弁でどのようなニュアンスである/あったのかを知るのは意味あることと思います。Andante の元となった動詞の「Andare」は「前に進む」というニュアンスを持ち、「andante」には「ごく普通」とか「まあまあ」という感じですが「moderato」という「イイ感じの普通」よりわずかに劣ったニュアンスが含まれるとのことです。とすると、「まぁまぁちょうど良い感じであくまでも前に進む感じを忘れずに」のようなテンポ感が求められているのではないかなぁとかなんとか (*´-`)

なんのこっちゃ〜とお思いかも知れません(自分でもそう思いますわw)が、そもそもテンポにしてもその他もろもろにしても表現意図と独立して存在するものではなく、てめぇがどんな Andante にしたいのかを抜きにして決められるシロモノではございません。表現意図と乖離した「お勉強」なんてまるっきり有害無益、表現意図さえしっかりしていれば自分に都合の良いお勉強をすりゃ充分・・・というのは極論ではありますが、稀代の大作曲家たちの作品を自分のレベルにまで引きずり落として楽しもうとしているのですから、所詮はそんなモンかと。とほほ ヽ( ̄▽ ̄)ノ

2020年10月 1日 (木)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第9番 op.14-1』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第9番 op.14-1』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

ベートーヴェンのピアノソナタ op.14 の2曲セットであるこの第9番と第10番は比較的易しいとされておりますが、なんのなんの、そうは問屋がおろしませんぞ。初期ピアノソナタの例に漏れずに少ない音数で J.S.Bach のフーガとは全く異なる多声部な構造があるのですから、演奏者は逃げも隠れもできません。この Allegretto で落ち着いているかに見える第2楽章ですら、かなりきっちりと独立した司令が出せないと手も足も出ないんですね〜 (*´-`)

長い長い時間の淘汰を乗り越えてきた「古典」という人類の財産は、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」を備えていますが、同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えています。このような楽章を「それっぽくできるかどうか」こそが音楽の理解力の試金石なのであって、指がまわるとか音がそろえられるとかは理解した音楽を楽器で奏でるための「方便」にすぎないのでありま〜す(`・ω・´)

ベートーヴェンの時代のピアノのアクションはウィーン式アクションとイギリス式アクションに大別できてイギリス式アクションが現代のピアノと直結しているのですが、実はベートーヴェン自身はウィーン式アクションのピアノの方を好んでいたのです。この1894年製ベーゼンドルファーとベートーヴェンがまだ生きていた1820年代のウィーン式ピアノを同じ空間で弾き比べる機会があったのですが、なんと音も響きもそっくりでノケぞりました。さすがは時間が止まっているウィーンの楽器、いわゆる「ウィンナトーン」ってぇシロモノはシェーンベルク(1874-1951)が生まれ育った時代まであまり変わっていなかったんですね〜(・ω・ゞ

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