フォト

カテゴリー

« Caleb Simper の「17 Voluntaries for the Organ, American Organ or Harmonium」シリーズの第7巻から、息子の Roland Chalmers Simper(1889−1917)による『Organ Melody』を、100年前の大型リードオルガンで | トップページ | ルイ・ヴィエルヌ『自由な様式による24の小品 op.31』から第20曲「田園曲/Pastorale」を、100年前の大型リードオルガンで »

2020年8月 7日 (金)

中島みゆき 作詞/作曲『記憶』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『記憶』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『記憶』は2000年『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』オリジナル曲。終結部で演奏された素晴らしく盛り上がる大曲でコアなファンの間では名曲の誉れ高い曲ですが、なんとアルバムに収録されていない秘曲でもあります。『記憶』はとりわけめまぐるしい転調の妙が素晴らしく、ハ長調(1番)→イ長調→変ロ長調(間奏)→変ニ長調→変ロ長調(2番)→ト長調→変ロ長調→ロ長調(後奏、なんとここから2分半!)→へ長調→イ長調→ハ長調という、まさに前世そして現世の断片的な『記憶』の数々をたどるかのようです。9分間というエラく長い曲ですが、是非ともこの転調をじっくり味わってくださいませ〜 (`・ω・´)

『夜会VOL.11 ウィンター・ガーデン』は、主人公の女(谷山浩子)と犬(中島みゆき)の周りに現在過去の時空を超えて繰り広げられる不思議な不思議な転生の物語。それぞれ前世の業と関連した人生(犬生w)を過ごしており、断片的に散りばめられている前世そして以前の生活の「かけら」をたよりに自らの生を見つめ、判断し覚悟を決めます。主人公の女は、原野商法に引っかかって不正をはたらいてまで貯めたお金を早晩底なし沼に沈んでしまう物件の頭金として取られてしまったという境遇、犬はその物件に居ついている存在・・・なのですが、この二者の間には前世で極めて複雑な関係があったのでした。『記憶』は、この二者が空に昇った魂のごとく、ともに人間の姿で舞台上空の止まり木で寄り添いながら唄っている、まことに美しい情景です。

 もしも過ぎた事を 総て覚えていたら
  何もかもが降り積もって 辛いかもしれない
  もしも生まれる前を 総て覚えていたら
  ここにいない人を探し 辛いかもしれない

生き物の「忘れる能力」って素晴らしく便利な能力なんですね〜。まぁそれ以前に現実世界は極めて複雑かつ多面性のカタマリですから、そもそも「こうである」と認識した時点でそれは自分の観点というフィルターを通して現実世界の切り口だけを見ているワケでして、実は気づかなかったことをすでに忘れていたりするんですけどそれはともかくw。その切り口が自分にとって素敵な思い出となるだけならそれだけで済むのでしょうが、人の心とは複雑なモンで、素敵な思い出であればあるほど逆にそれが現実でなく思い出にすぎないことに気づいて<辛い>という感覚が沸き起こってきたりもします。あ〜めんどくせ〜。

 思い出すなら 幸せな記憶だけを 楽しかった記憶だけを
  辿れたらいいけれど

幸せな記憶>や<楽しかった記憶>は意外と早く忘れてしまい、苦しかった記憶や辛かった記憶ばかりが残ってしまう経験は誰もがお持ちだと思います。あぁどうして人間の記憶ってこんなに融通がきかないんだろ・・・と思いつつ、記憶はあくまでも記憶であって現実でないことに気づいてしまった人にとっては<幸せな記憶>や<楽しかった記憶>であってもやはり辛くなってしまう記憶なのでしょう。あ〜めんどくせ〜w

 忘れてしまったのは 幸せな記憶ばかり 嬉しかった記憶ばかり
  そうであってほしいけれど

かと言ってこんな感覚になってしまうのもチト歪んでいるような気もします(あ〜めんどくせ〜w)が、記憶と現実との乖離を強く感じるタイプの人にとってはこれが無理もない感覚なのでしょうね。まさにどうしようもなく辛く寂しく悲しい人生を歩まねばならぬ人間の「業」の一つの現れなのでしょうか。

 1人で生まれた日に 誰もが掌に握っていた
  未来は透きとおって 見分けのつかない手紙だ
  何が書いてあるの>

でもね、現実と記憶の乖離を強く感じてしまう人であってもワタクシのように単純なヤツであってもw、<未来は透きとおって 見分けのつかない手紙>なんですね。自らの持つ「業」と向き合いつつ自ら切り開いていくのが人生=<透きとおって 見分けのつかない手紙>であって、<何が書いてある>のかは誰にもわからないワケです。そして、まさに『記憶』こそがそこに何が書いてあったのかを見出すための手がかりに他ならないのでした。

 そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
  あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ『時代』(1975年))

中島みゆきが『時代』で『第10回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会』そして『第6回世界歌謡祭』にてグランプリを受賞したのは、45年前の1975年のこと。さまざまな経験を経てこのような心境に至るのはなかなか厳しい道のりでしょうが、そのような心境になっても<未来は透きとおって 見分けのつかない手紙>であることに変わりはないはずです。『記憶』とは<そんな時代>であり<あんな時代>であり、ともに一個のにんげんを形づくる礎であるという意味において、実は『記憶』の世界観と『時代』の世界観とは相通ずるものなのではないでしょうか。このような『記憶』ほどの曲をアルバムに入れていないというのはチト不自然(まぁ濃すぎるのかもw)で、なにか中島みゆきの自らの芸能人生に対する深謀遠慮が隠されているような気がしてなりません。

« Caleb Simper の「17 Voluntaries for the Organ, American Organ or Harmonium」シリーズの第7巻から、息子の Roland Chalmers Simper(1889−1917)による『Organ Melody』を、100年前の大型リードオルガンで | トップページ | ルイ・ヴィエルヌ『自由な様式による24の小品 op.31』から第20曲「田園曲/Pastorale」を、100年前の大型リードオルガンで »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« Caleb Simper の「17 Voluntaries for the Organ, American Organ or Harmonium」シリーズの第7巻から、息子の Roland Chalmers Simper(1889−1917)による『Organ Melody』を、100年前の大型リードオルガンで | トップページ | ルイ・ヴィエルヌ『自由な様式による24の小品 op.31』から第20曲「田園曲/Pastorale」を、100年前の大型リードオルガンで »

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のコメント

無料ブログはココログ