フォト

カテゴリー

« 2020年6月 | トップページ | 2020年8月 »

2020年7月の12件の記事

2020年7月28日 (火)

ブラームス『7つの幻想曲 op.116)』から第6曲を、1941年製ベーゼンドルファー200で

ブラームス(1833-1897)は最晩年の1892年にop.116〜119のピアノ小品集をまとめて書いていまして。その斬り込み隊長『7つの幻想曲 op.116』より第6曲「間奏曲/Intermezzo」を、1941年製ベーゼンドルファー200で弾きました。この楽器は故イェルク・デムス大先生が日本での稽古用として持ってきていた楽器とされており、元はサローネ・クリストフォリ成城、今はサローネ・フォンタナで一般の用に供されています。

この楽器、スタイル自体は戦前のベーゼンドルファー200でかつ響板にあるシリアル番号も1941年製を示しているのにペダルが3本・・・というところから、故デムス大先生がご自分の稽古用として3本ペダルに改造させたのではないかなぁと邪推しています(それ以前に改造されている可能性もモチロンございますがw)。本体の塗装と脚の塗装が動画で見ても明らかに異なるところも、改造されたことを示しているように思えます。それはさておき、故デムス大先生はいわゆる「目利き」の権化のような御方でさまざまな逸話がございますが、さすがはご自身がお使いになるための楽器、素晴らしく優秀な戦前のベーゼンドルファー200です。今では暴れたり疲れたりしてしまっているようですが、それはまぁ一般の用に供されている楽器ですから、多かれ少なかれ仕方がないところですね〜。

ブラームスのピアノ曲は「分厚い」とか「暑苦しい」とばかり評されてしまいがちに感じますが、本当に「暑苦し」かったのか、非常〜に疑問に思っているワタクシでして。プラームスの音の使い方はまぁ確かに独特で「分厚い」ことが多いのは確かですが、そればかりで大作曲家の仲間入りができようハズがないのは自明ではないですか〜。しかも実は、ブラームスはピアノ演奏に際してショパン同様に「柔らかさ」を常に要求していた作曲家で、そこに暑苦しさが入る余地はかなり少ないような気がしてなりません。現代のピアノよりもはるかに「柔らかさ」を表現しやすい戦前のベーゼンドルファーでブラームスの晩年の頑固オヤジっぷりを感じ取っていただけると嬉しいです!(・o・ゞ

2020年7月24日 (金)

Biereyによる『Oster Kantate (Easter Cantata)』から第4曲を「おぶせミュージアム・中島千波館」のヤマハ1923年製リードオルガンで

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻の第38番、Bierey作曲による『Ave Maria』を、YAMAHAの1923年製リードオルガンで弾きました。

このリードオルガンは栗で全国的に有名な長野県小布施(おぶせ)町の「おぶせミュージアム・中島千波館」に2020年7月に納入された楽器で、例によって群馬県館林の渡邉祐治さんによって完全修復、見事によみがえっています。世の中にあまたある「大切な品物だから鍵をかけてしまっておく」という、管理側の都合ばかりを優先させて楽器としての意味を全く無視する姿勢ではなく、流行りのストリートピアノがごとく自由に音を出してもらって愉しんでほしい、というおぶせミュージアムの姿勢はまことに素晴らしく尊いと思います (`・ω・´)

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻にはリードオルガン用の小品が70曲おさめられており、なかなか感じ良くリードオルガン用に編集されているように思えます。このBiereyの『Ave Maria』の原曲は、『Oster Kantate (Easter Cantata)』の第4曲で、アーチャーはオリジナルの変イ長調からト長調に移調して後半を骨組みを残しつつ自由に改変、終結部に少しだけつけ足しを行なっています。

2020年7月21日 (火)

印西市、ピアピット襲撃!

見るからにパワフルで楽しそうな、おもちゃ箱そのまんまなピアノ工房、ピアピット襲撃の巻〜(`・ω・´)

Img_0984

親方ってぇより親分っちぅ方がヨさそうな 渡辺順一 さん率いる公然の秘密基地、昔ながらの職人な世界と若者たちの新しい感覚が融合できている稀有の存在とお見受けしました。

Img_0981

とにかく見渡す限り楽器=宝の山、山、ヤマ。おっっっきな親分の心のもとで職人として存分に能力を発揮できる若者たちは、まことに幸せですね〜。チラリと音を出したところ(おしゃべりが楽しくてほとんど弾かなかったw)○○○なのに妙に嬉しそうに朗々と鳴ったりして、思わず「ピアピットにはウソつきしかおらんのか〜」と叫んでしまったワタクシでございましたw
*PIAPIT | ピアノは本気で直せば必ず古いピアノもよみがえります
http://www.piapit.com/repair.html

Img_0982

このご時世、保身に走りがちになるのは仕方ないこと。その中でセコく利益を確保することばかりに汲々とするのでなく、ゼイタクしなきゃナンとでもなるわ〜がははは、とおっっっきく構えている親分、ファンになりました(*´-`)

112337816_352593875731934_91465533175453

2020年7月20日 (月)

ベートーヴェン『ピアノソナタ第8番 op.13(悲愴)』から第2楽章を1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

ベートーヴェン(1770-1827)の『ピアノソナタ第8番 op.13(悲愴)』から第2楽章を、いつもの1894年ベーゼンドルファー製ウィーンアクションのピアノで弾きました。

あまりにも有名な「悲愴ソナタ」の第2楽章ですが、Adagio cantabile という、ピアノという楽器にとって鬼門な発想記号が指定されています。ベートーヴェン先生ってばその楽器では物理的に不可能なことを容赦無くやらせやがりますが、ピアノソナタの緩徐楽章ってその最右翼なんだよなぁと。ピアノという楽器は弦を叩いて音を出すので原理的に減衰音しか出せないから、歌うような表現がむっちゃ困難・・・なんてぇのは誰でも一度ならず耳にも口にもwしておられるでしょう。ベートーヴェン先生の音楽は、それに加えて基本の基本は四声体なんだし、それらを弾き分け歌い分けるのなんて当然に決まってるよね〜、とピアノ弾きに強要してくるんですよ〜〜〜〜(まぁ他のみんなもそうと言えばそうなんですがw)。コレ、単純に言えばピアノを弦楽四重奏そのまんまに両手で弾き分けろって指令で、そう言えばJ.S.Bachには四声どころか六声のフーガがあったっけ・・・と思い出せれば、アレよりは楽だと思えるんですけどね(思えないかw)。

それにしてもこの『悲愴ソナタ』って、200年以上の時間による残酷な淘汰をくぐり抜けてメジャーであり続ける、メジャーちぅのメジャーだったんだなぁとあらためて痛感させられました。これぞ古典ちぅの古典、多少の味つけの偏りなんぞモノともしない堅固な「型」と同時にわずかな味つけの偏りでもバレてしまうような「シビアさ」をも備えており、ワタクシのような芸風にとっては「シビアさ」ばかりが強烈に。やはりメジャーちぅのメジャーですから音楽としての密度も桁違いでいやはやキツかったのなんの、とにかく鍛えられましたわ〜 (*´-`)

「知られざる名作」なんつ〜のが常に探されて提案され続けておりますし、ワタクシもそのような作品を好む傾向にあるのですが、結局のところはその圧倒的多数が「マニアックな作品」やら何やらの域を脱することができないワケで。そもそも「発掘されて提案されて主張されている」時点で何百周も遅れをとっているのが冷厳な事実で、別に変に主張せずとも人それぞれの趣向が異なることを再確認しさえすれば四海波静か(・x・ゞ

ベートーヴェンの時代のピアノのアクションはウィーン式アクションとイギリス式アクションに大別できてイギリス式アクションが現代のピアノと直結しているのですが、実はベートーヴェン自身はウィーン式アクションのピアノの方を好んでいたのです。この1894年製ベーゼンドルファーとベートーヴェンがまだ生きていた1820年代のウィーン式ピアノを同じ空間で弾き比べる機会があったのですが、なんと音も響きもそっくりでノケぞりました。さすがは時間が止まっているウィーンの楽器、いわゆる「ウィンナトーン」ってぇシロモノはシェーンベルク(1874-1951)が生まれ育った時代まであまり変わっていなかったんですね〜(・ω・ゞ

2020年7月17日 (金)

クレメンティ『ソナチネ op.36-4』から第2楽章を、1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

クレメンティ(1752-1832)の『ソナチネ op.36-4』から第2楽章を、いつもの1894年製ウィーン式アクションのベーゼンドルファーで弾きました。

クレメンティの『6つのソナチネ op.36』は有名な『ソナチネアルバム』第1巻に収録されており、およそピアノを習った人ならば一度は弾かされたwことがあるぐらいに広く知られている曲かと思います。ですが、この有名な『ソナチネアルバム』は19世紀後半に編纂されており、このころに出版された楽譜の例に漏れず、譜面が当時の趣味に合うように書き変えられてしまっています。その結果、せっかくの古典派のソナチネがおよそ似ても似つかぬ姿に。まぁ逆に、この1894年製ベーゼンドルファーで弾くのであれば、実は19世紀後半編纂の『ソナチネアルバム』がオリジナルという解釈も成り立ちますよね〜^^

幸いにもIMSLPには1798-99年にウィーンで出版されたアルタリア版が転がっておりますので、それに基づいて収録しました。なお、全音楽譜出版社から発売されている 今井 顕 国立音楽大学名誉教授 校訂による『ソナチネアルバム』が初版及び初期楽譜に基づいており、古典派に取り組もうとする全てのピアノ教育者、演奏者そして学習者にとって、基礎資料として必須ですぞ。コレ、当然ながら「正しい値段」はしますが、正しい研究・考証に基づいていて解説もきわめて詳細かつ丁寧ですから当然のこと。安っちぃものにはちゃぁんと理由があるのですヨ(・o・ゞ

ソナチネ アルバム 第1巻〔今井 顕 校訂〕初版および初期楽譜に基づく校訂版
http://shop.zen-on.co.jp/p/101216

2020年7月13日 (月)

クレメンティ『ソナチネ op.36-4』から第2楽章を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、クレメンティ(1752-1832)の『ソナチネ op.36-4』から第2楽章を弾きました。

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻には小品が70曲おさめられており、なかなか感じ良くリードオルガン用に編集されているように思えます。クレメンティの『ソナチネ op.36-4』の第2楽章をオリジナルの変ロ長調から変イ長調に移調して、オルガンで演奏するために効果的な変更を随所に行っているのがこの動画で弾いている第28番『Andante con espressione』です。

修復は例によって達人の渡邉祐治氏。腕の立つ職人たちが寄ってたかってきっちり作っていた昔の品物はやたらと長持ちするものですが、それをその通りに愚直なまでに丁寧に時間をかけて修復する根気は本邦随一とさえ思わされ圧倒させられます。

・リードオルガン修復:渡邉祐治
https://www.youtube.com/channel/UCSiix1iGPuO6XR54th_BjHw

2020年7月10日 (金)

R.D.Klaafman作曲(?)による『Communion』を「おぶせミュージアム・中島千波館」のヤマハ1923年製リードオルガンで

R.D.Klaafman作曲(?)による『Communion』を、YAMAHAの1923年製リードオルガンで弾きました。納品に立ち会って動画を録らないワタクシではございませんで (`・ω・´)

このリードオルガンは栗で全国的に有名な長野県小布施(おぶせ)町の「おぶせミュージアム・中島千波館」に2020年7月に納入された楽器で、例によって群馬県館林の渡邉祐治さんによって完全修復、見事によみがえっています。世の中にあまたある「大切な品物だから鍵をかけてしまっておく」という、管理側の都合ばかりを優先させて楽器としての意味を全く無視する姿勢ではなく、流行りのストリートピアノがごとく自由に音を出してもらって愉しんでほしい、というおぶせミュージアムの姿勢はまことに素晴らしく尊いと思います (`・ω・´)

この曲の作曲者の R.D.Klaafman は記録がほとんど残っていない作曲家で、唯一、1900年ごろにロンドンのナイチンゲール社が出版した『St. Paul’s Voluntaries for American Organ or Harmonium』4分冊の第2巻の作曲者としてのみ記録が残っているようです。ワタクシ、たまたまこのナイチンゲール社の第2巻を入手したのですが、なんと「Copyright, MDCCCXCIX, by Frank Dean & Co.」と別の出版社による1899年の著作権表記があります。なお、この動画の『Communion』は第2巻の第5曲です。

この R.D.Klaafman で検索をかけてみると、YouTube上に Peter Tyor 氏が『Communion』の次の第6曲『Pastorale』を上げた動画で興味深い説を展開しているのを発見できました。R.D.Klaafman という綴りはオランダ系に感じられますが、コレ、イギリス人オルガニストでやはり教会系のオルガン曲やピアノ曲を出版していた Frank Adlam(1785-1929) のアナグラムであり、おそらくは筆名であろうと。

Img_0939

な〜るほど『St. Paul’s Voluntaries for American Organ or Harmonium』は、第2巻以外の3巻が全て Frank Adlam(1785-1929) の作曲、といういかにも不自然な姿ですし、なにやらイギリスらしい「この程度がわからないようぢゃネ、ふふふ」といういぢわるさwも感じられて、かなりの説得力を感じます。お説採用!(*´-`)



*参考 - Peter Tylor 氏による動画
“R. D. Klaafman (Frank Adlam), "Pastorale" - pipe organ, St Mewan Church” by Peter Tylor

2020年7月 8日 (水)

海沼ドライブインの奇跡のジンギスカン、そして通行止め回避の山越えw

さて、せっかく久々に遠出したからには、まっすぐ帰る選択肢はございません(`・ω・´)

Img_0916

小布施から長野市を抜けて犀川沿いの国道19号を一路松本へ。そう、昨日来の豪雨で茶色い濁流と化した犀川の迫力はすさまじく、眺めるとクラっと吸い込まれそうな。信州新町の少し手前でダムから轟音とともに濁流が放たれているのを見て思わず真ん前のドライブインにクルマを停める渡邉さん、こりゃ〜とてもぢゃないけど映像では表現できないよなぁ〜と嘆息しつつ振り返ると、いかにも昭和なドライブインなたたずまいの「海沼ドライブイン」の看板発見〜。それにしてもこのあたりにやたらとジンギスカンが多いのには、何か由来があるのかしらん?(*´-`)

Img_0927

*信州新町の「ジンギスカン街道」情報発見!
http://shin-machi.com/jingisukanroad/jingisukanstory.html

Img_0924

おそらくすりおろしりんごをた〜っぷり使っていながらもスパイスをあまり使っていなさそうな、濃厚なのにまったく口にまとわりつかないジンギスカンだれの素晴らしさたるや、もはや奇跡ではなかろうかとさえw

Img_0922

しかも温泉も宿泊もできるとのことで再訪を誓いつつ松本へクルマを転がしていくと、あろうことか電光掲示板に「土砂流出、R19通行止」でしかもガソリンが微妙。行けるとこまで行って篠ノ井線方面か大糸線方面に山越えだなぁとの楽観的(甘いw)判断のもと突き進むと、あんれまぁ、県道55号に抜ける少し手前で無情にも通行止😱、通行止め柵の写真を撮っていないほど余裕がなかった我々でございました。

Img_0933

ここで少しは険しくなさそうな信濃大町方面に舵を切ったのは正怪でしたが、県道469号の存在に気づかず、めっっっちゃ細い山道な野平神社→八坂の経路を爆走wして信濃常盤のGSで給油完了。お騒がせしました〜σ^_^;

おぶせミュージアム 中島千波館、1923年製YAMAHAリードオルガン納入

1923年製のヤマハリードオルガンの納品に、栗で全国的に有名な長野県は小布施(おぶせ)町に行ってまいりました(`・ω・´)

Img_0931

地元の篤志家の提供による、例によって渡邉祐治さんの丁寧極まりない修復で美しくよみがえった楽器。美術館のスペースにぴったりで鳴りも素晴らしく、流行りのストリートピアノ的に自由に弾けるような感じで公開していきたいとのこと、この国の文化行政の中にあって稀有な先進性と思います。

Img_0930

愉しく大切な場所が一つ増えました(*´-`)

2020年7月 7日 (火)

中島みゆき 作詞/作曲『悪女(シングル版)』ソロ:モーツァルトの旅行用クラヴィコード(1763, J.A.Stein)の複製(2002年)で

中島みゆきの『悪女』を、かの神童モーツァルトが7歳のとき(1763年)に買ってもらったJ.A.シュタイン製の旅行用クラヴィコードの複製で弾きました。クラヴィコードはピアノ以前の鍵盤楽器のなかで最も大切とされていたフシがあり、現代古楽器界w周辺では「独りで音楽の神さまと向き合う」ための楽器とみなされて過度に神聖化wされていたりします。ですが、実は、そのような内なる世界は優しく親密な世界でもあるはずで、現代人にとって大切なのはむしろ後者の性格ですよね。なお、クラヴィコードの音量は世人の想像を超えて小さいですから、背景のノイズが気にならない程度の音量に抑えたうえで少〜し耳を澄ませてくださいませ。聴こえてきますよ〜(・o・ゞ

『悪女』は1981年10月発売のシングルA面、オリコン週間ヒットチャート第1位を飾ったまさに大衆的名曲です。どクラシックガチガチだったワタクシですら唄い出しの「んまぁりこのへぇやへぇ〜(チャカチャ~ン)、んでぇんわをかぁけてぇ〜(チャカチャ~ン)、」という独特の語り口が耳にこびりついているほど、それこそそこら中でかかっていましたモンね〜。『悪女』は1982年3月発売のアルバム《寒水魚》の冒頭にも収録されていますが、耳になじんだアレンジとちがって無理矢理悪ぶっている作りモノっぽさが耳について、ま〜る〜で〜聞いてられないんですよ〜。げに刷り込みとは恐ろしきものなり ( ̄ー ̄)

 マリコの部屋へ 電話をかけて
  男と遊んでる芝居 続けてきたけれど


う〜む、『悪女』というタイトルのワリには、この唄い出しからしていつものフラれて捨てられる中島みゆきのオンナじゃないですか〜σ^_^;

 帰れるあての あなたの部屋も
  受話器をはずしたままね 話し中


この感覚は現代のケ〜タイ時代には完っ全に滅んでしまいましたね〜。つ〜か、現代は音声通話すらしないでラインするんでしょね。あたしゃラインはしないから知らんけどw

 悪女になるなら 月夜はおよしよ
  素直になりすぎる
  隠しておいた言葉が ほろり
  こぼれてしまう 「行かないで」


これぞ有名な、あまりにも有名なサビ。中島みゆきの主人公のフラれ方パターンのひとつで「精一杯強がってみせるけど本音は・・・」ですね。『御機嫌如何』(1987年)が典型的でしょうか。

 涙も捨てて 情も捨てて
  あなたが早く私に 愛想を尽かすまで
  あなたの隠す あの娘のもとへ
  あなたを早く 渡してしまうまで


サビの部分で「ん?」と思った聴き手は2番のココでようやっと腑に落ちるようになっていますが、大ヒット曲の悲しさ、2番のココまでちゃんと歌詞を味わってもらえることは少なかったでしょうw。ワタクシも当〜然そのクチでして、そもそも歌詞に2番があったことすら気づいていなかったのでした。まぁコアなファンでなく流行りモンに乗っかる一般人wは、そもそもそんなもんですわな。

それにしてもこの『悪女』って、耳に残りやすく覚えやすい単純さと飽きさせない複雑さとが絶妙にブレンドされたメジャーちぅのメジャーだったんだなぁとあらためて感じさせられました。シングル販売80万枚オーバーの実力は伊達ぢゃなく、有名になってかつ記憶に残る作品にはやはりそれなりの必然性があるのでしょう。時間の淘汰とは残酷なモンで、「知られざる名作」なんつ〜のが常に探されて提案され続けておりますが、結局のところ残念ながらその圧倒的多数が「マニアックな作品」やら何やらの域を脱することができないワケで。そもそも「発掘されて提案されて主張されている」時点で何百周も遅れをとっているのが冷厳な事実で、そんな無理な主張せずに人それぞれの趣向が異なることを再確認しさえすれば、四海波静か(・x・ゞ

2020年7月 4日 (土)

デオダ・ド・セヴラック (1872-1921)『スコラ的小組曲〜ラングドックのカリヨンの主題による』から第4曲「メランコリックなカンティレーヌ」を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、デオダ・ド・セヴラック(1872-1921)の『スコラ的小組曲〜ラングドックのカリヨンの主題による』から第4曲「メランコリックなカンティレーヌ」を弾きました。

デオダ・ド・セヴラックは南フランス出身の作曲家で、音楽の学習こそパリで行いましたが、都会風な雰囲気にイマイチなじめなかったのでしょうか、故郷の村にひっこんで教会でオルガンを弾いていたとされています。ドビュッシーに「土の薫りのする素敵な音楽」と評されたところにその傾向の一端が現れているのでしょうね。

『スコラ的小組曲』は5曲からなる基本手鍵盤のみのオルガンのために書かれた曲で副題に「〜ラングドックのカリヨンの主題による」とあって、span style="color: #ff0000;">ラングドックのとある鐘の旋律を主題の元ネタとして曲を作り上げています。いずれもヘ短調のなにやら物憂げな雰囲気に満ちており、さらにこの第4曲は「メランコリックな」と形容されているだけに雰囲気満点であります。ですが、決して陰鬱にならないところがやはり南寄りの音楽なんだろうなぁ・・・とかなんとか。

セヴラックは作曲をダンディ、オルガンをギルマン、という当代一流の名手に師事しておりまして、どれもこれもなかなかどうして地味に複雑だったりします。できればそんなところばかりでなく。このセブラック節全開の雰囲気が伝わりますように(・o・ゞ

2020年7月 3日 (金)

シューベルト『3つのピアノ小品 D459A』から第1曲「Adagio」を、100年前の大型リードオルガンで

ボストン近郊の Bridgewater で1930年代始めまで頑張っていたパッカード社1905年製の大型棚つきリードオルガンで、シューベルト(1797-1828)の『3つのピアノ小品 D459A』から第1曲 Adagio を弾きました。

フレデリック・アーチャーの『アメリカンリードオルガン教本』(1889年)の第2巻には小品が70曲おさめられており、その中の第14番『Adagio』としてこの曲の一部分が所収されています。この楽章の随所に聴かれるシューベルトの「歌」は、いわゆる歌曲の歌心とは一風異なっており、いかにも鍵盤楽器に歌わせたい方向性の「歌」である気がしてならないんですわ。アーチャーがそのように感じたかどうかはともかくwとして、リードオルガン用の小品として良くできた編曲だと思います。

原曲のピアノ曲はシューベルトの遺作の例に漏れずに由来が少々ヤヤこしく、表記が一定しておりません。世間的には五楽章からなる『ピアノソナタ D459』の第3楽章、ということにされることが多い印象がありますが、そもそも五楽章からなる「ソナタ」でしかもスケルツォ楽章が2つ入っているってめっっっちゃ破格ではないですかぃ。シューベルトが自筆譜に『ソナタ』と明記していたのは『D459』の第1楽章と第2楽章のみで、シューベルトの没後に出版されたときには単なる『5つのピアノ曲』として出版されており、それはそれで立派な見識と思います。そのため現代のシューベルトの作品目録には『5つのピアノ曲』の第1曲と第2曲が『ピアノソナタ D459』とされており、残りの3曲は『3つのピアノ曲 D459A』とされております。これ以上いろいろと憶測するのはワタクシにとっては全く意味がないのでこれにてストップさせてくださいませ。

・リードオルガン修復:渡邉祐治
https://www.youtube.com/channel/UCSiix1iGPuO6XR54th_BjHw

« 2020年6月 | トップページ | 2020年8月 »

最近の記事

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のコメント

無料ブログはココログ