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2020年6月 7日 (日)

中島みゆき 作詞/作曲『時刻表』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)で

中島みゆきの『時刻表』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました。

『時刻表』は1982年に発売されたアルバム《寒水魚》のB面後半にさしかかる位置づけであろう佳曲。あくまでも地味な曲調ですが、ひっそりとしかし確固たる何かを秘めている曲に思えてなりません。アルバム《寒水魚》のラストに向かって、この『時刻表』→『砂の船』→『歌姫』という流れ、ホントに見事の一言なんですよ〜。

 きのう午後9時30分に そこの交差点を渡ってた
  男のアリバイを証明できるかい
  あんなに目立ってた酔っぱらい 誰も顔は思い浮かばない
  ただ そいつが迷惑だったことだけしか
  たずね人の写真のポスターが 雨に打たれてゆれている

この空虚きわまりない「日常」の描写、散文の醍醐味ですよね〜。現代社会の「日常」とはこんな感じの雑然としているのに空虚な時間をひたすらくぐり抜けるだけで過ぎ去ってしまうだけのもので、その中では一人一人の存在感なんぞ皆無という。<あんなに目立っていた酔っぱらい>でも<顔は思い浮かばない>ワケで、そんな中では<たずね人の写真のポスター>なんて意味を持つはずもなく、<雨に打たれてゆれている>ばかりなり。

 海を見たといっても テレビの中でだけ
  今夜じゅうに行ってこれる海はどこだろう
  人の流れの中で そっと時刻表を見上げる

そんな虚しい中であっても、自分が生きているという実感さえ持てればそこがかけがえのない居場所となって、ありふれた日常に少しの輝きを見出だすことができます。否、そうでないと人生なんてひたすら空虚なだけになってしまいます(まぁそれでも別にイイっちゃイイんですけどねw)。主人公はそこに気づいており、<テレビの中でだけ>しか見ていない<>を実際に見て空虚さを埋めるべく、「日常」の象徴たる<人の流れ>に抗って<そっと時刻表を見上げる>んですね〜。海は全てを包む大いなる存在であって、そこに行けばいささかなりとも安心が得られるのかもしれませんが、主人公はその<>の場所をまだ見つけていないようです。

 満員電車で汗をかいて肩をぶつけてるサラリーマン
  ため息をつくなら ほかでついてくれ
  君の落としたため息なのか 僕がついたため息だったか
  誰も電車の中 わからなくなるから
  ほんの短い停電のように 淋しさが伝染する

そう。現代の日常とは虚しく淋しいものなのです。そんな日常での他人とのやり取りは満員電車の中でのため息のやり取りばかり、ってなかなかの虚無感ではございませんか。しかもそこに満ちる<淋しさが>無関係な他人どうしであるのに<伝染>して共有できてしまうというのは、社会全体がけっこう華やかだったはずの1982年の初めに出たアルバムとして、けっこう異色な着眼点だったのではないでしょうか。このアルバム《寒水魚》の言葉の切れ味の鋭さは相当なモンですよ〜。

 誰が悪いのかを言いあてて どうすればいいかを書きたてて
  評論家やカウンセラーは米を買う
  迷える子羊は彼らほど賢い者はいないと思う
  あとをついてさえ行けば なんとかなると思う
  見えることとそれができることは 別ものだよと米を買う

自らは一般人とは違うと勘違いwしている存在を<評論家やカウンセラー>として示す皮肉、最高ではございませんか。今現在の新型コロナ騒動の中にあって、このような<評論家やカウンセラー>はそれこそうじゃうじゃ跋扈しておりますが、なんのことはない、一般人とは違うとうぬぼれている彼らとて<米を買う>存在であるという意味では一人一人の顔が見えない一般人とナニ一つ変わらないのでありま〜す。実はワタクシ、おそらく小学生の頃から「ガクシキケイケンシャ」というワケわからない存在にえも言われぬ嫌悪感を抱いておりまして、ど〜せ机上の空論な連中だぜぃとかなんとか軽蔑していたのでした。あ、進歩がないのはワタクシだったのかw

 田舎からの手紙は 文字がまた細くなった
  今夜じゅうに行ってこれる海はどこだろう
  人の流れの中でそっと 時刻表を見上げる

若い日々を過ごした「ふるさと」=<田舎>は居場所としてふさわしい存在の一つになるのかも知れませんが、それは自ら探し出した場所ではなく両親から与えられたにすぎない場所。両親が亡くなればもはやそこは戻る場所ではなくなり、居場所でもなくなってしまうのです。<文字がまた細くなった>というのは、それを現実のものとして主人公に突きつけているような、まことに秀逸なレトリックだなぁと。やはり自らの意思で<人の流れのなかでそっと 時刻表を見上げる>ことこそが、己の人生に向き合うことなんですよね。主人公は<評論家やカウンセラー>のように良くお出来になる方々ではない名も無い普通の人物ですから、あくまでも<そっと>と己の人生と向き合うのが「身の丈」なのでしょう。『時刻表』とは<>に行くための経路を探すための手段ですから論理的には「路線図」が正しいのでしょうが、それでは詩にならんwww。はてさて・・・あなたの<>はどこにありますか?

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