マヌ34全自作、再怪(0)〜暖房車とは〜
本日の不善(*´-`)
その昔、電化そしてディーゼル化が少しずつ進められていた時代に「暖房車」ちぅ存在がございまして。暖房熱源としての蒸気を各戸に供給するセントラルヒーティングシステムは古くから使われており、鉄道でも蒸気機関車から捨てられるだけの豊富な高圧蒸気を客車の暖房用に使えばエエやん、という発想はごくごく自然なことだったのでしょうね。ですが、時代が進んで客車を引っ張る機関車が一部の区間で電気orディーゼル機関車に変えられると、さぁ困った。暖房用蒸気の発生源がなくなりますから、機関車に蒸気発生装置を積むか、機関車のすぐ後ろに蒸気発生装置を積んだ車両を連結するかの二択を迫られるワケです。
後者のための車輛が「暖房車」と言われるシロモノで、暖房用の高圧蒸気を発生させるだけのために乗務員が重労働を強いられたという、電気暖房が当たり前になった今となってはおよそ想像もできぬ存在だったんですね〜。形式を示す称号は、ヌクい/ヌクめるヤツ ってことで「ヌ」でした(たぶんね)。マヌ34とは、重さが「マ:42.5t以上~47.5t未満」の「ヌ」クいヤツの「3:一般型客車(3〜5)」「4:2軸ボギー車(0〜7)」ちぅ意味になりま〜す。
(1958(昭和33)年5月1日米原のマヌ34たち、wikiから拝借)
昭和24年6月1日に東海道本線浜松電化、同年9月15日のダイヤ改正で戦争で中断されていた特急運転が再開され、そのときの特急『へいわ』の先頭に立ったのが暖房装置未搭載のEF55です。この時期にはEF57も牽引機として使われていた可能性あり、EF57は一応は重油式の蒸気暖房装置を積んでいましたが、重油不足やら故障やらで暖房車のお世話になったことも少なくなかったそうで。マヌ34は同じ年の昭和24年12月中旬に一気に前期型(1〜7)ができているので時代がピッタリ(というかめっちゃピンポイントw)、復活特急『へいわ』の浜松までの冬姿を編成で揃えようと思った若気の至りが30年ちょい昔でございました。特急『へいわ』は決して良くはない状況での国鉄の矜持たる特急列車の復活運行だったようで客車は一般型の寄せ集め、東京ー大阪の所要時間は戦前の超特急『燕』の8時間より1時間多く9時間かかっていました。
(『時刻表』1949(昭和24)年9月)
この時代の初期型原型マヌ34を、あろうことかNゲージの金属製全自作で挑戦怪始、上回りの形だけがどうやらできたところで力尽きて長い長〜い眠りにつかされてしまったかわいそうな我がモデルよ。まぁ、暖房車なしでイイから特急『へいわ』の編成をとりあえず揃えようとは考えなかったワケは、実は『へいわ』は3ヶ月半ときわめて短命な特急で翌1950年1月1日から公募により特急『つばめ』と改称されてしまったので日和ったという。なぁ、なんつ〜か、それなりの分別はあったのかなぁとも思います(^x^;
昔の客車列車で冬に周りから蒸気が出ていたのをなんとなく覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。その蒸気が暖房用の蒸気で、機関車から床下の暖房管を通って車内に導かれていたんですね〜。電気機関車なのにこんな感じで蒸気を吹いていたのは、暖房用の蒸気を焚いていたからだったのでした。
京都駅 1979.3.31.
Camera: FUJICA ST-701 Lens: FUJINON 55mm F1.8
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