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ゆずの『栄光の架橋(2004年)』を、100年ちょい前の1905年に北アメリカのパッカード社で作られた棚付きリードオルガンで弾いてみました。現代の音楽に100年前のリードオルガンをどこまで追随させられるか、どうぞお愉しみくださいませ!(`・ω・´)
リードオルガンやハルモニウム(足踏みオルガン)は19世紀後半から20世紀初頭にかけての音楽の一翼を担ったとも言うべき大切な存在なのですが、当然ながら現代的合理的な設計なんぞされておらず修復の労が「馬鹿馬鹿しいくらいに面倒」だったりします。そのためもあってかとりあえずどんなにごまかしであっても音が出てくれさえすれば良しとされて本来の西洋が全く発揮されていないことが少なからず、マトモな楽器とみなされず「懐かしくてイイ感じ〜」程度で強制終了wされてしまいがちなのがホントに残念でなりません。ですがチト待っていただきたい。19世紀後半から20世紀初頭にかけてはアコースティック全盛の時代で、そんな時代に隆盛を極めていた楽器がマトモでないはずがないことに、そろそろ気づいても良いのではないでしょうか!
同時に、とりわけ古いお道具な世界では「100%理想的な状態」というのが理想論でしかあり得ないことにも感づかれるかと思います。多かれ少なかれ限定された状況で「カタチにして仕上げる」ためにはやはり愚直で泥臭い作業に勝るものはなし、館林の渡邉祐治氏はそこを妥協せずに根本からやってのける希有の大職人です。渡邉氏の手にかかったリードオルガンを弾くたびに、深く正しい理解に基づいた的確な見立てこそが大切なんだなぁ・・・と痛感させられます。
埼玉県上尾市にある聖学院大学のキャンパス内「緑聖伝道所・教会」に新しい聖堂ができたのは2004年とのこと、その際に当時の主任牧師が「教会の名物にする」との意気込みで古いリードオルガンを購入するも一度コンサートを開いたきりでお蔵入り・・・という、ワリとありそうな話がございまして。このオルガンは1891年デトロイトの Farrand & Votey 製の11ストップの堂々たる棚付きリードオルガン、いつものリードオルガン修理の達人、渡邉祐治氏が軽く手を加えただけで例によって化けたというタレコミwがあり、早速拝見して情報拡散のための動画を録るのはワタクシの役目でありま〜す (`・ω・´)
曲は、1909年にグラスゴーで出版された『Twelve Short Voluntaries - for the American Organ or Harmonium』から、第4曲「Andantino」です。作曲の Ernest Alfred Dicks (1865-1946) はイギリスのオルガニスト・作曲家、この当時のオルガニスト件兼作曲家らしく、精力的に作品を出版しております。いかにもオルガンらしく穏やかで滑らかな雰囲気は、この世界ならではの至福の時間ですよ〜 (*´-`)
この楽器の復活コンサートが2020年3月22日(日)14時半〜16時、この聖学院教会・緑聖ホールでございます。演奏は 大宮公園のバッハアカデミーの山田康弘 氏、レクチャーは当然ながら 渡邉祐治 氏です。「昔、学校の教室でブカブカ弾いていたよね〜」な世界とは全く異なる足踏みオルガンの世界、少しずつでも知っていただけたらなぁと思います。
一ヶ月前の1月11日の昼前のひととき、世田谷区の喜多見中学校PTA企画の「リラックス・ピアノコンサート」の講師をつとめてしまいました (`・ω・´)
家庭教育学級の<子どものために育もう 豊かな心と豊かな体>というコンセプトにぴったりな音楽と語りができる人材・・・と見込まれての登用だったのですが、なるほど、常日頃から心に留めていることを活かせるまたとない機会だったのが嬉しくて (*´-`)
鍵盤という白黒が並んだ「デジタル操作盤」で楽器を操作するのが鍵盤楽器で、そこには歌詞もございませんからなにやら単調でつまらなく感じられてしまうことも少なくありません。ですが、演奏するのも聴くのも人間ですから、そこには必ず「やり取り」があり、暖かな感じとか凛とした感じとかいろいろ一言であらわせないほどにさまざまな雰囲気が自ずと生まれるものです。人と人との意外性に富んだ「やり取り」こそが個性を育んできたはずで、それはまだまだAIでは遠く及ばないところと思います。手前味噌ではありますが芸術の周辺こそが人類の精神的な豊かさを育んできたはずで、逆に、AIに取って代わられる程度の芸ごときは取って代わられればよろしいのですぞ ヽ( ̄▽ ̄)ノ
一日中スマホやPCとだけつき合っていて「やり取り」をしなくても大丈夫なのが現代なのもまた確かですが、無駄とも思える「やり取り」を避けることで逆に私たちは妙に忙しくさせられて目に見えない大切なもの(『星の王子さま』ですね)を失っているのではないでしょうか。だからこそ、せめて自分が弾く古い音楽の周りぐらいは優しさ温かさユルさに満ちた空間にしたいものだ、といつも思っています。今回、みなさんの反応がとても素敵でこちらも十二分にリラックスしてできたと思います。ありがとうございました!
中島みゆきの『二隻の舟』を、いつもの1894年製アンティークベーゼンドルファーで弾きました。
『二隻の舟』は既に1992年のアルバム《EAST ASIA》の中に入っていましたが、1995年に発売されたアルバム《10 WINGS》ではリメイクされて冒頭を飾っています。『二隻の舟』はファン筋には言わずと知れた「夜会」のテーマソング。「夜会」とは、コンサートでもなく、演劇でもなく、ミュージカルでもない「言葉の実験劇場」をコンセプトとして1989年に始められた舞台で、言葉の使い手である中島みゆきにとってライフワークとも言える存在。そのテーマソングですからワタクシごときが軽々しく見解を述べるのもおこがましく思うのですが、まぁ弾いてしまったからには書かないワケにもいきませぬ。
<おまえとわたしは たとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟>
この詩は<おまえとわたし>は<二隻>の<舟>に乗って<暗い海>を渡っている設定。「隻」という漢字は「ひとつの」という意味を持ち、すなわちそれぞれの舟は分かれておらず「二つでひとつ」という、1+1=1の世界が示されています。・・・という解説はそれこそそこら中にあふれていますね。この曲の歌詞の比喩は中島みゆきにしては異常なまでにwわかりやすく、同時に抽象性をも十全に兼ね備えています。それだけに聴き手それぞれにさまざまな感興を呼び起こすのでしょう。
<時は全てを連れてゆくものらしい
なのにどうして寂しさを置き忘れてゆくの
いくつになれば人懐かしさを
うまく捨てられるようになるの>
この曲のイントロはこれ。どんなに人生経験を積んでも<寂しさ>や<人懐かしさ>を捨て去るのは不可能ですもんね。だいたい、人間なんつ〜弱い存在は他者との関係が希薄だと不安に陥るwもので、孤独感とは他者から必要とされていないだけで生じるものではなく、他者を必要としないと思い込んでいるはずの「己」にも実はのしかかってくるんだよなぁ・・・と。
<ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば 人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細な寂しさでつまずくものよ>(『誕生』1992年)
だからこそ、真に心を通わせられる相手/対象が見つけられたヒトは無敵であります。しみじみと「いぃなぁ」と思わせられるような素敵な老夫婦に出会うたびに、「生涯の伴侶」という日本語は表面的な夫婦関係にとどまらず精神的なつながりをも表現しているんだろうなぁ、と思います。ですが、この『二隻の舟』の世界はあくまでも舟が「ふたつ」ですから、ちぃとばかし状況は異なるようです (´・ω・`)
<敢えなくわたしが波に砕ける日には
どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
それだけのことでわたしは海をゆけるよ
たとえ舫い綱は切れて嵐に飲まれても>
『二隻の舟』とは、心を通わせているとは言えあくまでも他者どうしなのでわかり合えることは絶対にない他者どうしのつながりなのでしょうね。しかしその他者どうしは<互いの姿は波に隔てられても><同じ歌を歌いながらゆく>という、特別な関係の他者なのです。この両者の間には確固たる信頼感がありますが、そこに茫漠たる不安感と静かな覚悟が同居しており、なんとも言い表せぬ心持ちにさせられますね。まぁそもそも人間なんて全てが他者どうしですから、「わかり合う」とはなんぞや、と併せて考えたいかも。
さて、ここで全く別の切り口を提示しておきましょうか。この『二隻の舟』の世界は舞台人にとって「客席」と「舞台」であり、同時に「芸術の神」と「自分」であり、はたまた「自分」と「自分」なんですね〜。神はおのれの心の裡にあり (`・ω・´)
昨日の『古き佳き独逸の銘器 1909年製ブリュートナー・ピアノのいぶし銀の輝き』は、強〜烈な雨男のワタクシの演奏怪なのになんと穏やかな好天に恵まれてしまい、ナニが起きるか戦々恐々wでしたが、盛況のうち無事にしぅりょう致しました。
チト集中力が持ちそうにもない心配さえあるシューベルト2曲プログラムでしたが、嬉しいことにみなさま充分に楽しんでくださいました。この1909年製ブリュートナーはなにやら凄いモノを「持っている」のでいつもなにかしらの形で返り討ちに遭うwのですが、今回はなんとかコントロールを保ちつつな演奏ができた手応えがございます (`・ω・´)
小規模なコンサートならではの「楽器と演奏者そして聴衆との一体感」とはサロンコンサートを語る上での常套句ですが、嬉しいことに最近そのような会場が増えてきたような印象があります。このような場所でのサロンコンサートとは大ホールで行う大演奏会をそのままサロンに持ってくるだけでは全く成立しないので、それぞれが趣向を凝らした試みを行わねばですね。どうぞご期待くださいませ〜!(*´-`)
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